5月の終わりに 2016・5・31(日)
 今月は動き過ぎ(遊び過ぎ?)で一時体調を崩したが、楽しくすごくことができた。
1 近くの陽香ちゃん(4歳)と愛犬・くるみを通して仲良しになったこと。
  同時に北隣の4人(小学3年生を長女とした子供たち)とも楽しく過
  ごしたこと。
2 春の花に囲まれて暮らしたこと。
3 画家・谷岡経津子の紹介を終えたこと。(ノリタケの森訪問)
4 筋ジストロフィーが進む同級生Kと楽しく会食したこと。
5 参ったのは耳に虫が飛び込んだこと。(激痛が懐かしい??)
 さて、来月はどうかな?  
南京続唱・第4首(會津八一) 2016・5・30(月)
 菩薩戒会(ぼさつかいえ)の唐招提寺にて(第2首)       解説
   のき ひくき さか の みだう に ひと むれて 
               には の まさご に もるる ともしび

 戒会のお堂から洩れる灯火に浮かぶ庭の真砂を詠う。堂内の賑やかさと静かな庭が対照的である。
サラリーマン川柳発表 2016・5・29(日)
 発表された上位10句に素空の選んだ句は2句(2位と10位)しかなかった。完敗!
 1 退職金もらった瞬間妻ドローン          元自衛官
 2 じいちゃんが建てても孫はばあちゃんち    川亨
 3 キミだけはオレのものだよマイナンバー    マイナ
 4 娘来て「誰もいないの?」オレいるよ       チャッピー
 5 福沢を崩した途端去る野口            サイの京子
 6 カーナビよ見放さないで周辺で          トラ吉ジイジ
 7 決めるのはいつも現場にいない人        七色とうがらし
 8 妻が見る「きょうの料理」明日もでず       グルメ老
 9 ラインより心に響く置手紙             豆電球
 10 愛犬も家族の番付知っている           ワンワンマン

 2月23日に素空がざっと読んでいいなと思ったのは以下の9句。
 ならいごと 去年テニスで 今ラグビー       ジェントル・ダダ
 辞書にない 難読難解 生徒の名          わりことし
 定年後 帰りは何時 聞く側に            オケ爺
 じいちゃんが 建てても孫は ばあちゃんち    川享
 スポーツの ルール知らずに ブーム乗る     プレミアム和栗
 愛犬も 家族の番付 知っている          ワンワンマン
 ゆう活で 夕食係を 命ぜられ             女房が一番
 「一言で 言えば」の話が 一時間          なでしこ君
 球拾(たまひろ)い だったオレにも 背番号(マイナンバー)
                                ゲゲゲのタラちゃん
盗難事件(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・5・28(土)
 洗濯物を干している夫。「俺のパンツがない。すわっ、盗難だ」と騒ぎ始める。一体、だれがあなたみたいなおじさんのデカパン、持っていくと言うんですか?  (冷静な妻・61歳)


 パンツは小さいけれど、サウナに忘れてきたことがある。よっぽど酔っていたんだろう。
            くるみの部屋・川遊び(5・27) 陽香ちゃんとくるみ(5・27)
海ゆかば1 2016・5・27(金)
 居酒屋で二十歳前に集団で歌った歌の中には軍歌があった。平和憲法のもと、民主教育で育ったが軍歌にそれほどの違和感はなかった。ただ、二十歳前後から平和や人の命の貴さを考えるなかで軍歌は自らの中では最も悪しきものとなった。
 その後、先輩が「海ゆかば」を歌っているのを初めて聞いて、その歌詞に驚いた。なぜなら、戦争で死ぬことを前提にしており、死ぬことが己のためでも家族友人恋人のためでもない、天皇のためだというのだ。
    海(うみ)行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)く屍(かばね)
    山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね)
    大(おお)君(きみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
    かへりみはせじ

     (海を行くなら水に漬かる屍ともなろう 
      山を行くなら草の生える屍ともなろう
      天皇のおそばにこそ死のう
      一身を顧みはしない)
 先の戦争で多くの人がこの歌とともに戦死した。
南京続唱・第3首(會津八一) 2016・5・26(木)
 菩薩戒会(ぼさつかいえ)の唐招提寺にて(第1首)       解説
   よもすがら かいゑ の かね の ひびき よる 
              ふるき みやこ の はた の くさむら 

  古都奈良の深まる秋を鉦の音で浮かび上がらせている。  
耳に激痛 2016・5・25(水)
 午後、くるみとあぜ道を散歩していたら、急に耳が痛くなった。激痛が走り、身体中汗が噴き出す。何かが入ったような気がしたが、痛みをこらえて自宅へ!虫だったらと思い耳の周りを押し付けたあと、耳かきを入れると赤い血がついてきた。(こんな時に耳かきはいけないと後で医者に聞いた)
 最初の痛みは治まったが、30分後にも激痛が走る。2時間後、くるみのお友達の陽(はる)ちゃんのおじいちゃん・M医者に診察をお願いした。
 流れた血が固っていて、中にあるものを取り出すのにMは気を使って慎重にとってくれた。我慢したがとても痛かった。出てきたのは長さ1cmのコガネムシのような形の虫。虫だったので安堵したが、他の大きな病気だったらと心配していた。Mは虫を記念に持っていけと言い、寝ている時にゴキブリなどが入った場合は、無理をせずに薄いアルコール液などで退治するという。
 M医者とは同級生で、久しぶりに会ったので話に話が咲き、車で連れ合いとくるみが待ちわびていた。
 3日分の薬を出してくれた同級生のI薬剤師が「そんな話は聞いたことがない」と言い、千葉の同級生Fは「獅子身中の虫と聞いたことはあるが耳腔中の1センチの虫は古今東西聞かず。・・・悪い雌虫には注意してほしい」とメールしてきた。 
満点です(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・5・24(火)
 荒川静香さんが滑っているのをテレビで見て「結婚してきれいになった」と感心しきりな夫。「私もきれいになった?」と聞くと「結婚前からきれいだった」。その完璧な答え、まさに金メダル。  (審査員・62歳)

 その完璧な答え、メモしてさらによどみなく言えるようにしておこう。
谷岡経津子 ・ノリタケの森ギャラリー
         
  (画家・谷岡経津子 追記) 2016・5・23(月)
 5月21日(土)、名古屋駅近くのノリタケの森ギャラリー訪問、メンバーはH(愛知・一宮)、M(兵庫・川西)、T(愛知・蟹江)。画家・谷岡経津子が満面の笑顔で迎えてくれた。
 展示のタイトルは「 TAIWAN JAPAN ART FRIENDSHIP 紅色・藍色 」で、会場正面奥にある胡蝶蘭の大作が圧倒的な迫力で眼前に迫ってくる。見慣れた赤の鶏頭花と胡蝶蘭以外の作品が沢山並べられており、また違う画家の絵の魅力を堪能した。
 Hはこう言う。
 「谷岡さんの絵は気持ちいい親しみと暖かさが伝わり、ついついこちらが笑顔になりました。鶏頭の絵はオリジナリティにあふれ素敵、胡蝶蘭とアジサイは色合いが好き、小品の花で鷺草、白い鷺の飛ぶ姿に似ている花だけど、谷岡さんが描くと熱帯の花かと思うほど暖かさが伝わってくる。私の鷺草に持つイメージが変わってしまいました
 Tはメールで言う。
 「谷岡さんの絵は今まで見た「鶏頭」や「胡蝶蘭と紫陽花」のような大きい作品だけでなく可愛い野草を描いた小さい作品や風景もあり、とても新鮮でした」  
 Mは翌日こう言ってきた。
 「谷岡先生はみんなのメールで読んだ通りの素敵な方でした。素敵な花のドレスと笑顔、どちらも魅了されました。お忙しいのに私たちに時間を割いて頂いて感謝しています。ちゃーちゃんの書いているように、小品の野の花の可愛かったこと。ダイナミックな胡蝶蘭の絵とはまた違った魅力が有りました。野の花がとても好きな私にとっては感動でした
 陶芸と絵画でコラボされた会場の雰囲気はとてもよく、今回参加した4人は四日市出身なので、作品を出展している四日市の陶芸家・稲垣竜一ともいろいろ話が弾んだ。
 見学を終えた時、東京在住の同級生Hが名古屋駅にいると連絡が入ったので急いで合流し昼食を共にし、その後、別れて日動画廊(中区錦)で開催されている「第4回東海光風会会員選抜展(~5・21)」に足を延ばし、画家・谷岡経津子の作品を鑑賞した。間近で素晴らしい作品に接し、とても充実した一日だった。
 日動画廊のことをTはこう言っている。
 「残った3人で再度谷岡さんの絵を追いかけて、伏見の日動画廊まで。そこで見た日の出の伊勢・夫婦岩の風景画には心打たれて、感動!夜、谷岡さんからお礼の電話をいただき、そのことを言うと、同じような画題の絵でもノリタケにあった夫婦岩の絵とは全然違うでしょ、と作家本人の言葉を聞いて、日動画廊まで行ってよかった!!
    
南京続唱・第2首(會津八一) 2016・5・22(日)
  唐招提寺にて(第2首)                    解説
   あまぎらし まだき も くるる せうだい の
              には の まさご を ひとり ふむ かな

 霧、あるいは小雨など空一面が曇っている寺に一人いる八一、どことなく寂寥感の漂う歌である。
枕草子(六十二段)・里(さと)は 2016・5・21(土)
  興味ある里の名前を列挙する。 今ではほとんどが場所を特定できないようだが、相坂は大阪または逢坂(滋賀)のことかな?
 つまどりの里とは自分の妻をとられたか、あるいは人の妻を取って自分の妻に「もうけ」たのか、それが面白いと書いている。決して今言う妻をめとることでは無い。
(六十二段)
 里(さと)は 相坂(あふさか)の里(さと)。ながめの里(さと)。ゐ(い)ざめの里。人づまの里(さと)。たのめの里(さと)。夕日の里(さと)。
 つまどりの里(さと)、人にとられたるにやあらむ、我まうけたるにやあらむ、とをかし。伏見の里(さと)。朝顔(あさがほ)の里(さと)。
  里といえば、相坂の里。ながめの里。寝覚の里。人妻の里。頼めの里。夕日の里である。妻取りの里というのは、人に妻を取られたのであろうか、それとも自分が人の妻を奪い取ったのであろうか、面白い。伏見の里。朝顔の里。
暇人(朝日新聞・あのね) 2016・5・20(金)
 近所の図書館に出かけた。平日の昼間なので、すいているかと思ったら、意外と混雑していた。帰宅してから、妻(60)に「暇な人が多くて混雑しとったわ」と報告すると、「あなたもそうでしょ」と返された。
             (兵庫県加古川市・リタイア元年・65歳)


 読書が似合わない友人が図書館に通っていると言うのでびっくり。経費をかけずに時間をつぶすのに良いという。
公文式(KUMON) 2016・5・19(木)
 知り合いの子供が通う学習塾の名前、そこの元先生も知っているがどんなところか知らなかった。
 まず、名前の由来は公文式の勉強法を始めた公文公(くもん とおる・1914-1995)さんからきているとのこと。これにはまず驚いた。
 勉強方法はそれぞれに自学自習プリントが配布され、解説を見ながら各自問題を解く。出来たら採点してもらい、誤りをやり直しをしてすべて正解を出し、次の段階に進む。「公文」という名に特殊な勉強法があるかと長年思っていたけど、当たり前の勉強法だった。
 中学時代に数学の先生宅で教わったが、その日の問題をその場で解く、解けなければこたつでずっと考えていなければなかった。それはある意味屈辱的な時間でもあった。ここで、数学は自力で解く、勉強は丸暗記では絶対だめだと教わった。苦痛に耐えられずに塾を逃亡したが、その後数学は得意科目になった。後に同じ方法で子供達の勉強をみたことがあるが、やはり逃亡した子供がいた。
 ところで「公文」という変わった姓名は全国で約4,300人だという。1位の「佐藤」が約1,893,000人だから、「公文」は希少、現実にこの名の人に会ったことはない。
                              鈴虫生まれる
観音力 2016・5・18(水) 
 観音力とは観音の功徳の力、観音に備わる法力だと辞書にある。簡単に言えば「観音様のお力」かな。
 仏像づくりをしていて観音が一番好きだ。信心は薄いのでその美しさがいい。また会津八一の観音の歌や晩年の観音堂の歌からも「観音」という言葉に心が動く。
 観音力を板の上に凸字で彫り、観音の絵を書いた。    作品へ
南京続唱・第1首(會津八一) 2016・5・16(月)
 唐招提寺にて(第1首)                 解説
   せきばく と ひ は せうだい の こんだう の
              のき の くま より くれ わたり ゆく

 唐招提寺に一人立ち、暮れゆく姿を金堂の軒の入り込んだ暗いところから始まると詠む。
              (明日第3火曜日は独り言を休みます) 

                  花ひろばートミジャスーカインズ
下宿代 2016・5・15(日)
 亡父が残した書類を整理していたら、1968-9年の下宿の契約書が出てきた。
     板橋区南町  (1968年)  4畳半  6,800円
     新宿区戸塚町 (1969年)  4畳半  6,500円
 学生下宿が1畳1,000円と言われた時代だったが、東京は高かったのかな?板橋は都心から離れていたが、部屋は良かった。新宿は高田馬場駅近くだったので、古い屋根裏部屋にような所だったが高かった。普通郵便の切手代が15円、学食でカレーライスが50円ぐらいの時である。今の東京の学生下宿は10倍ほどだと聞いている。
 通学の便利な戸塚町に移ったが、仕送りの中の下宿代を使い込んだので、すぐに父から下宿への直接振り込みに変わった。家主からの領収済みの手紙に素空のことも書いてあるが、良い人(?)だったので、当たり障りのないことしか書いてない。
 こんなことを書くとあの世で父が苦笑しているだろう。


                   バラ園からブルーボネット・ノブ君(5・13)
特技(朝日新聞・あのね) 2016・5・14(土)
 眠るのが得意で、どこでも寝られる私。先日の夜、自宅で眠っている時、夢の中でも「疲れたからちょっと寝るわ」と言って昼寝をしていた。二度寝ならぬ「二重寝」?
       (兵庫県川西市・疲れも二重に取れたらよかった・56歳)


 「二重寝」とはすばらしい。昔は不眠症、今はよく寝るけどすぐに目が開く、朝になるとそれも忘れている。
私の60年代(山本義隆) 2016・5・13(金)
 山本義隆と言っても今では知っている人は少ないだろう。医学部事件を発端にした東大闘争を主導した東大全共闘の議長である。その後、ずっと駿台予備学校講師をしていると聞いていたが、去年の秋「私の60年代」を出版した。書店で辺見庸の「17」を探した時、この本を買ってきた。
 封鎖された安田講堂には行ったことはあるが、山本義隆には面識はない。今回この本を読んでこの人の人となりを知ったが、それ以外に彼が印象深く忘れられないという王子野戦病院闘争(王子にあった米軍野戦病院撤去闘争・1967~8年)は素空にとっても懐かしい。
 右も左もわからない東京で同郷の同級生Yに連れていかれたところが野戦病院前だった。デモや闘争を見るのは初めてだったので足が震え、強張った体のまま見続けた。
 ベトナム戦争反対の学生、地域住民、群衆の病院撤去闘争が今までにない大きな運動を作った。「・・・ジャンバーや背広、カーデガンからドテラ姿、ナイトガウン、それにサンダル、ぞうりばきといった様々な服装。しかも全学連の学生と同じように激しく警官隊に・・・」(毎日新聞)山本はこの群衆のパワーに圧倒されたと書いている。
 長くいろいろの運動にかかわっていた山本の受け止め方とは違うが、初めて見るそのダイナミックな光景に心動かされたことを今でもはっきり覚えている。
 山本義隆(よしたか)の履歴を書いておく。
 1941年(昭和16年)大阪に生まれる。大阪府立大手前高等学校卒業。1964年 (昭和39年) 、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。日本の科学史家、自然哲学者、教育者、駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。
会津八一 鹿鳴集・南京続唱(十四首)  2016・5・12(木)
 昭和3年10月十三首、昭和5年一首、計十四首。南京新唱(九十九首)、南京余唱(四十二首)に対する続唱である。
 故植田重雄早大教授は南京続唱についてこう記している。
 「昭和三年秋十月に、美術史研究のために奈良の諸寺を訪れ、十三首ほど生まれた。今までとはちがい学問考証に没頭し、歌は余滴のように詠まれている。・・・・以前の抒情的、パセティックな作品とちがい、一首一首が歌域(かいき)をひろめ、言葉が緊密な構造力をもっている。」
 十四首を徐々に紹介する。
枕草子(六十一段)・橋は 2016・5・11(水)
 面白い名の橋を列挙する。全てが歌枕。棚橋は板一枚を渡した橋だが、多くの歌に歌われている。
 「天の川棚橋渡せたなばたのい渡らさむに棚橋渡せ」(万葉集巻10)
 昔、棚橋と言う名の知人がいたが、意味がたった一枚の板を渡した粗末な橋とは思ってもいなかった。
 なお、橋の解説を最下段に付記する。
(六十一段)
 橋は あさむづの橋(はし)。ながらの橋(はし)。あまびこの橋(はし)。浜名(はまな)の橋(はし)。ひとつ橋(ばし)。うたゝねの橋(はし)。佐野(さの)の船橋(ふなはし)。ほり江の橋(はし)。かさゝぎの橋(はし)。山すげの橋(はし)。をつの浮橋(うきはし)。一すじわたしたる棚橋(たなはし)、心せばけれど、名を聞(き)くにお(を)かしき也。
 橋といえば、あさむづの橋。長柄の橋。天彦の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅の橋。をつの浮橋である。たった板一枚を渡した棚橋、ずいぶんけちな橋と思うが、名前を聞くのが面白いので・・・。
 ・あさむづの橋 福井市浅水町にある朝六つ橋。
 ・長柄の橋    大阪市大淀区を流れていた長柄川に架けられていた橋。
 ・天彦の橋    不明。歌では天彦は天人、山彦の意で使う。
 ・浜名の橋    浜名湖の入口に渡した橋。
 ・ひとつ橋    1本の木だけをかけ渡した橋。一本橋。丸木橋。
 ・うたた寝の橋 人が寝ていることから命名された。後世では吉野に
           義経ゆかりの「うたたねの橋」があったと言う。
 ・佐野の船橋  船を繋いだ橋。上野国佐野(群馬県高崎市下佐野町)
 ・堀江の橋    難波の堀江。
 ・鵲の橋     かささぎの渡せる橋におく霜の
               白きを見れば夜ぞ更けにける 大伴家持
 ・山菅の橋    日光の神橋(山菅橋、山菅の蛇橋)
 ・をつの浮橋   浮橋は船を並べ板を渡した橋。滋賀県野洲郡。
序列(朝日新聞・あのね) 2016・5・10(火)
 両親は仲がいい。買い物に行って疲れた母(66)にかわって、私が食事を作ることになった。支度が出来ると、父(66)は「姫を呼んでくるか」。「私は?」と聞くと間髪入れずに「下女」。抗議すると「あ、間違えた。侍女」。
           (神奈川県厚木市・母は姫というより女帝・40歳)

 我が家の連れ合いは
やっぱり女帝だろう。息子は次期皇帝の皇太子だろう。「私は?」と聞いても返事なし。ものの数に入ってないのだろう。
日録 20世紀(1935・昭和10年) 2016・5・9(月)
 1935年のグラビアは
  ◦大本教大弾圧の真相!
  ◦忠犬ハチ公13歳の死と「伝説」の由来
  ◦ 「第4艦隊事件」、日本海軍を震撼させる!
  ◦ ベニー・グッドマン楽団と”スウィング時代”
 2度の弾圧で壊滅状態になった大本教(おおもときょう)、世直しを掲げたこの団体は、軍国主義化、全体主義化していく権力者には邪魔だった。
 忠犬ハチ公は実は「渋谷駅前の屋台でもらえる焼き鳥が目当てだった。戦争前夜で(忠)を求める政府と時流におもねるマスコミのデッチあげだった」という。真偽は別にあまり聞きたくない話。
 第4艦隊事件とは演習中に台風で艦船が次々と真っ二つになった事件。
 クラリネット奏者ベニー・グッドマン率いる楽団が演奏したスウィング・ジャズが大流行した。その後10年、老いも若きもスウィングのリズムとジルバ(ジッターバグ・4分の4拍子の速いテンポのダンス)に熱中した。
小園・第9首(會津八一) 2016・5・8(日)
 某生の訃(ふ)をききて                    解説
   くれ かねて いざよふ はる の むさしの の
              いづれ の そら に きみ を もとめむ 

 親しかった友人への挽歌、小園9首の最後の歌。
4人兄弟 2016・5・7(土)
 先月(28日)紹介した隣家のあーちゃんは4人兄弟、その時の写真をプリントして渡したら、長男・かず君が僕も撮ってほしいという。それで、兄弟4人を一度に撮った。子供たちはどんどん大きくなるし、おじさん、おじさんと慕ってくれると、とても可愛くうれしい。
 くるみも可愛がってもらっているが、お父さんが犬を飼いたいと言う。さすがに奥さんは4人の子供の子育てがあるので、私は犬の世話までできないだろうと言っていた。
 お父さんは「病気気味の次女のための犬セラピーです」と言っていたが、それ以上に動物を大切にして育てることは子供たちの成長を豊かにするだろう。
  
作務衣着て・・・ 2016・5・6(金)
 作務衣着て 阿弥陀如来を 刻みいる
            夫の背中に 木漏れ日のさす
   安達洋子
 夫であり仏師である安達正秋先生を詠んだ歌である。工房の中で一心に作仏に励む夫の背中に木漏れ日がさしている。その光景が作者には仏の光背のように見えたのかもしれない。
 光背は仏の背後にあり、後光とか輪光などともいう。仏身から発する光明を象徴化したものだ。昔いただいた短冊の歌を阿弥陀如来と一緒に板に彫った。                           作品へ
ごあいさつ(朝日新聞・あのね) 2016・5・5(木)
 中学生のお兄ちゃんがテストの結果を見せたら、お母さんが「ツメが甘い」。それを聞いて「爪って甘いの?」。
             (秋田県大館市 成田愛音(あいね)・5歳)

 身内にツメを噛む癖がある者がいた。どんな味がしたか聞いてみたい。
筋ジストロフィー 2016・5・4(水)
 筋ジストロフィーが進行し、杖を2本使うようになった名古屋在住の同級生Kが「実家(四日市)を取り壊したので四日市に行きづらくなった」と言ったので、同級生Nと名古屋まで行き、昼食を共にした。Kとは高校3年生と浪人時代を共に暮らし、Nとは幼いころからの友人で3人は一緒に浪人生活を送った。ある意味、暗い時代を過ごした仲間は絆が強い。それに思い出もたくさんある。楽しい会話で時間を過ごし、歩行は苦手だけど車の運転の得意なKに名古屋市内をドライブをしながら案内してもらった。
 楽しい時間だったが、歩行が危なっかしく、手も少し動かしにくくなったと言うので先行きが心配だ。
 帰路、「半年ぐらいしたら、また名古屋に押しかけて行こう」とNと話して別れた。
 筋ジストロフィー
筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患で根本的治療法はない。
小園・第8首(會津八一) 2016・5・3(火)
 折りにふれてよめる(第3首)                    解説
   ふじ の ね の そこ つ いはね に もゆる ひ の
             あかき こころ は しる ひと も なし

 上3句は(八一の)あかきこころを導く序詞。
星野富弘5~6月の詩画・マロニエ 2016・5・2(月)

  飛び たいのに
  大きな手に
  おさえられて
  しまうん
  だって

  誰の手だい
  自分の手じゃ
  ないのかい



 挑戦を邪魔するのはつまらない自分の常識、若い時は常に非常識だったのに!
5月のはじめに 2016・5・1(日)
 冬から咲いていたパンジーやビオラが終わりに近くなり、ボタンは咲き終わった。かすみ草やオステオスペルマム、テッセンが咲き、バラが蕾を膨らませている。
 家の前でくるみと一緒にY君親子(陽香ちゃん4歳)と遊んでいたら、近所の人が寄ってきて「井戸端会議」風になった。多い時に7人、延べ13人と犬2匹。たわいないことを話しながら1時間以上話していた。風薫る5月、こんな時間を大切にしたいと思う。
 さて、今月はどんな月になるのだろう?
                             陽香ちゃん・くるみ(5・1)
  

inserted by FC2 system