良いお年を 2016・12・30(水)~31(木)
 一年のお付き合いありがとうございました。なんとか「独り言」を続けることができ、ほっとしています。昔のブログその他を入れてなんとか書いてきましたが、正直苦しい時もあります。だったら、止めたらと思うけど、そうなれば心が老いてしまいそう。
 来る年が輝いていることを願って、今年の独り言を終わります。
  
今年を振り返って・鳥取の義姉 2016・12・29(木)
 義兄が定年退職して時間が取れることもあって、体調を崩している鳥取の義姉を義兄と連れ合い、くるみを連れて訪問した。幸い元気だったので訪れたこちらが世話になり、楽しい時間を過ごすことになった。
 義姉と親しく交わったのは彼女が愛知県の春日井で新婚生活をしているとき、その頃一人息子が生まれた。その後、鳥取の山奥(夫の実家)に移ったが、親交は続き、毎年孫と一緒に四日市に来てくれた。
 連れ合いは北海道の美唄生まれだが、義姉は北方4島で生まれた。ここは漁業が盛んで良い収穫があったという。北海道、四日市、愛知、鳥取と義姉は大変だっただろうけど、いつもニコニコ、とりわけ妹(連れ合い)を可愛がってくれた。兄弟姉妹を何人か亡くしているが、この3人は仲がよくてうらやましい。
 来年も元気で仲良く過ごせることを願っている。
今年を振り返って・昔のブログ 2016・12・28(水)
 毎日のブログはしんどい、それで以下のように書いて過去のブログの再現を始めた。
 掲示板やブログを書き始めてやがて15年になる。最近ではブログのネタが枯渇し困っている。15年前にパソコンスクール(PPS)で始めたHPや掲示板に書いたことをランダムに再現したい。
 読み返しながら、懐かしさが湧いてくるが、どのブログを選ぶかは難しい。ただ、自分本位なので読んでくれる人には面白くないだろうね。
昔のブログ・22 2016・12・27(火)
 退 院 2003・4・7 
 義姉が10日に退院する。「退院後の生活にはまだ軽い介護の必要はありますが、傍で見守る程度で済みそうです・・・」と彼女のHPに夫が書いている。ともあれ、くも膜下出血で地獄の淵を覗いてきたのだから、万々歳である。おめでとう!
 障害のある人を手助けするボランティア組織が各地にある。幸い義姉の近くに低料金で手助けしてくれる組織があった。しばらくはお世話になるようだ。
 たった一人のためにいろいろな助け合いのネットワークがあるのに、背後のテレビでは大量虐殺をBBCのアナウンサーが機械的な声で報じている。
今年を振り返って・近所の子供 2016・12・26(月)
 4歳の陽ちゃんと遊ぶようになり、近所の子供がくるみの散歩に一緒に行くようになり、居間でも遊ぶようになった。子供たちは可愛いし、一緒いると楽しい。ただ、子供が5人~6人といると連れ合いと二人ではフォローできないことがある。(自動車事故が怖い)そんな時、子供たちに厳しくすることがある。あるいは叱ることもあるが、家庭ではそれほど叱られないのか、足が遠のいた子供もいる。また、毎日では大変だと親が「1週間に一度に」と言ったという。
 そんなわけで、最近はくるみはゆったりと散歩できるし「近所の子供」のページの更新のネタが無くなった。
 冬休みになったこともあって、久しぶりに昨日今日と子供たちとくるみの散歩に出かけた。
  
今年を振り返って・谷岡経津子 2016・12・25(日)
 四日市博物館館長である谷岡経津子画伯に親しくしていただいた。博物館でいろいろなものに触れ、プラネタリウムも楽しんだ。また、画家の作品を間近に見る機会をがあり、心豊かになった。
 画家自身はこう語っている。
  この10年の画風は「饗宴」白の詩」から始まる胡蝶蘭シリーズである。「白」を基調にもう一度原点に戻ることになる。「白」ほど複雑な色は魅力的であり追及する価値がある。自己の心の中に感動と葛藤の歳月が流れている。「生きていく限り作品は未完である。」
 プロの画家は近寄りがたいと思っていたが、彼女はとても人懐っこく親切である。四日市博物館に行く回数が増えた。
               小話・小論「画家・谷岡経津子へ」 
今年を振り返って・暖冬 2016・12・24(土)
 1月22日にこう書いている。「近年、初スキーはノブ君親子と一緒だったが、雪不足とノブ君の家の都合で今年は一人だった。3日前に降った雪で奥伊吹もやっと滑れるようになった
 3月には暖冬で雪質が悪く、怪我を考えて早めに終わってる。実際、4年前の回数の半分だった。今シーズンは暖冬にわが身の体力低下もあってそれほど滑れないかもしれない。
 ただ孫たちが年末にスキーをしたいと言うので、その頃には沢山降ってほしいと思っている。
観仏三昧・第13首(會津八一) 2016・12・23(金)
  二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山(あかはだやま)正柏が窯(かま) に立ちよりて息(いこ)ふ(第3首)     解説
     もの かきし すやき の をざら くれなゐ の
           かま の ほむら に たきて はやみむ

 自ら絵付けした陶器の完成を待ち望む気持ちを詠んだ。
高齢ドライバーの事故 2016・12・22(木)
 副題に「統計と報道イメージに差」とある記事が12月16日の朝日新聞に載った。書き手は神里達博(千葉大教授)である。
 最近はこの問題が社会問題化しているが、以前からおかしいと思っていた。事故を起こすのは高齢者だけではない。恣意的に報道が取り上げているのではないか?背後には行政(警察など)の後押しがあるのではと思っていた。その思いにある程度の解答を与えてくれた記事だった。結論的に言えば、メディアが年齢別の事故の実情(統計的な)を無視して、「高齢ドライバーが危険」と言う議題設定をしているので、普通なら優先順位が低いニュース(高齢者の事故等)が積極的に報じられているという。
 記事に書かれている統計を以下に羅列しておく。
 ・ 事故死は1万5000人(1970年)から4,117人(2015年)、4分の1
 ・ 加害者としての高齢者より、犠牲者としての高齢者のほうが圧倒的
   に多い。
 ・ 運転者による死亡事故件数(10万人あたりの)
     ・ 全世代平均     4.4件
     ・ 16歳から24歳   7.6件
     ・ 高齢者65歳~    5.8件        
       (ただし、高齢者の全体数が増えているので、事故が目立つ)
 年をとれば能力が衰え、判断ミスが出やすいがそれを克服しながら安全運転をすることは可能である。運転に不適切な身体になってなお運転することはいけない。しかし、高齢者が悪いわけではない。
 仏像教室のわが師が高齢になり、免許を返上しようかと考えてみえる。あちこちに致命的な衰えがあっての返上は必要だが、報道に左右されて判断するのだけは避けて欲しいと願っている。
不安(つれあいにモノ申す) 2016・12・21(水)
 前から亡き夫に似ていた孫が、最近、より一層、そっくりになってきた。そこで、とあることが心配になり、天国にいるはずの夫にお願いすることに。「あなた、孫が女遊びだけはしないように見守っててくださいね」(似てほしくない・69歳)


 父は女の人によくモテた。父に似なかった素空はそんな人を指をくわえてみていた。息子(父の孫)はいい男でミュージシャン、持てるだろうと思うけど家庭を大事にしていて、浮いた話は聞いたことがない。
畦道にて・はなちゃんの絵4 2016・12・19(月)
 コスモス(秋桜)の季節はもう終わり、冬がやってきたが、近場では三重郡菰野のコスモス畑が素晴らしい。
 名前は、ギリシャ語のkosumos、cosumos(美しさ、調和、宇宙、秩序の意)からきている。
 花言葉は
   「乙女の真心」
   「調和」
   「謙虚」
と紹介されている。
 その他「愛情」「純潔 」「優美」「少女の純潔」「野生の美しさ」「自然の美しさ」「恋の終わり」などが紹介されている。


        (明日第3火曜日は独り言を休みます)
               K宅ー田ージャズドリームートミジャス
昔のブログ・21 2016・12・18(日)
 お彼岸 2003・3・21
 「お彼岸の中日に先祖をしのび、自分が今あることを感謝して、先祖の供養をするとともに、自らも極楽往生できるよう精進するものである」と解説にあった。仏教徒ではないが「自分が今あることを感謝」の言葉から過去の連鎖として自分が存在することを思い出したが、後がいけない。先祖ばかりか過去の戦争で犠牲になった膨大な戦死者まで現れた。連鎖があるなら、彼らの悲しみ、無念、怨念を受け継いでいる。彼らとじっくりと語ることが出来るなら戦争などとは違う別の選択肢が浮かび上がってくるだろう。過去は今に繋がり、今は未来を拓く。
写真の著作権2 2016・12・17(土)
 検索エンジンが大量の写真を収集し、提示できるのには法的な根拠があった。日本では検索エンジンが大量の画像ファイルをロボットで収集することは合法だと2009年の国会で法改正で決まった。
   著作権法第四十七条の六
     1.ロボットでサイトの記事内容を収集できる
     2.収集したデータをリストに加工・整理できる
     3.リストを用いて検索結果表示を提供できる

 ただ、以下の条件があるようだ。
  公開範囲に制限がかかっているサイトは勝手にデータの収集をしてならない。また、単にリンクだけを結果表示するだけではダメで、URLも表示すること。
 アメリカでは1976年に著作権法を改正し「フェア・ユース(公正な使用)は、著作権の侵害とならない」と定めたという。
 日本でもアメリカでも不正な作品(著作権を無視した盗作など)は収集してはいけないとなっているが、難しい話である。ともあれ、著作権は尊重しなければいけないし、自分を含む多くの人の著作権は守ってほしいと思っている。
観仏三昧・第12首(會津八一) 2016・12・16(金)
  二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山(あかはだやま)正柏が窯(かま) に立ちよりて息(いこ)ふ(第2首)  解説
    もの かきて すやき の さら を ならべたる
          ゆか の いたま に とぶ いなご かな

 絵付けした素焼きを乾燥している板の間に飛ぶ蝗をとらえて詠んだ。
写真の著作権1 2016・12・15(木)
 ネット上での写真の扱いについて疑問があったので調べてみた。まず写真の著作権は著作権法第10条で以下のように書いてある。(抜粋)
 1 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
 2 音楽の著作物  3 舞踊又は無言劇の著作物
 4 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物  5 建築の著作物
 6 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型
   その他の図形の著作物
 7 映画の著作物 
 8 写真の著作物
 ただ、条件として「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」が創造的な表現の中に「子供やアマチュアが制作した作品でも、その人の”個性”が認められる作品」も含む。
 写真は構図の構想(撮る位置など)などがあるので、著作権が成立するようだ。だからネット上の写真を許可なく勝手にコピペするのは違反だということ。フリーの写真も「利用規約」をよく読んで使わないといけない。以下はネットで紹介されていた。
 「平成27年4月、東京地裁はたとえ写真素材がフリーサイトから入手されたものだったとしても、その作品が著作権を無視して載せられていた作品であるなら、被告は責任を免れないと判断し、20万円弱の損害賠償の支払いを命じた
 ところがヤフーやグーグルなどの検索エンジンには大量の画像ファイルが掲載されている。素空が許可したわけでもないのにブログ上の写真や仏像作品の写真が載せられている。これには納得いかない。
迷子(いわせてもらお) 2016・12・14(水)
 ショッピングモールで案内係のアルバイト中、70代くらいのおばあさんが「主人が迷子になった」。店内放送や警備係への連絡をしていると、ご自宅から電話があった。ご主人からで、「妻を忘れてきてしまった。迷子になってないか」。   (静岡県函南町・忘れ物には大きすぎます・23歳)

 迷子は子供と決まっていたのに、今は高齢者が多い。スキー場でよく迷子になったが、今は電波事情が良くなったので携帯電話さえ持っていればなんとかなる。
昔のブログ・20 2016・12・13(火)
 他力本願 2003・3・9
 療養中の義姉に「頑張って」と言ったら「他力本願・・」とささやいた。一瞬ぽかん~としてしまったが優しい夫(他力)に頼ると言うことだった。「鬼」の弟は自力更生をと思うのだが、まだ絶対安静中の義姉には酷かな?身内に「他力本願」というロックを歌っている輩もいる。他力本願は親鸞聖人の教え(所詮はなにもできない存在である自分を認め、すべてを仏に委ねる)
 SUは唯物論者で無神論だがそれでも神のようなものの存在を否定しきれない。人間が有限ならその向こうに無限なるものが想定できるからだ。無限は言い換えればオールマイティ=他力=ゴッド。人は有限で非力であるからこそ自己努力して真理への道を模索する。
 「他力本願」と言った義姉の本音は「甘え」と受け止めれるが、「己を空しくして・・」という究極の真理を具現しているのかも知れない。
観仏三昧・第11首(會津八一) 2016・12・12(月)
 二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚焼(あかはだやき)正柏が窯(かま)に立ちよりて息(いこ)ふ(第1首)      解説
  あかはだ の かま の すやき に もの かく と
            いむかふ まど に ちかき たふ かな


 赤膚焼を知ったのは陶芸家・松森哲重(友人鹿鳴人の弟)の作だった。奈良絵を施した美しい作品をいつも眺めている。
貴為和以 2016・12・11(日)
 聖徳太子の十七条憲法の第一条冒頭の言葉「和を以て貴しと為す」。
 十七条はこの言葉しか知らなかったが一条だけでも長い。
 原文の書き下し分 
 一に曰く、和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
 
 一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
 Cさん(燐家)から依頼されたので、安達先生夫人に何枚も原稿を書いていただき、Cさんの希望した楷書の字を彫った。良い言葉である。
  
出迎え(つれあいにモノ申す) 2016・12・10(土)
 仕事で、たまに帰宅が遅くなる。そんなとき、出迎えてくれるのは、わが家に来て十年の犬。熟睡中の夫は、いびきでしか「おかえり」って言ってくれないけれど…。        (見習ってほしい・44歳)

 誰もいないときはしっぽを振って出迎える我家に来て7年の「くるみ」、深夜に帰宅すると大好きな連れ合いと一緒のベッドから動かず、玄関にはやってこない。
枕草子(七十二段)・ありがたきもの 2016・12・9(金)
  めったにないものを列挙するが、「舅(しゅうと)に褒められる婿。また姑(しゅうとめ)に可愛がられる嫁」から始まって列挙されるものは現代でも納得できるものだ。最後に人と人の仲良い関係は終生続けがたいと言う。よく観察していると思う。とにかく身近な人間関係は昔も今も難しい。
(七十二段)
  ありがたきもの 舅(しうと)にほめらるゝ婿(むこ)。又、姑(しうとめ)に思はるゝ嫁(よめ)の君(きみ)。毛(け)のよくぬくる銀(しろかね)の毛抜(けぬき)。主(しう)そしらぬ従者(ずさ)。露のくせなき。
 かたち、心ありさま、すぐれ、世にふる程(ほど)、いささかの疵(きず)なき。同じ所に住(すむ)人の、かたみに恥(はぢ)かはし、いさゝかのひまなく用意(ようい)したりと思ふが、つゐに見へ(え)ぬこそかたけれ。
 物語、集(しう)など書(か)きうつすに、本に墨(すみ)つけぬ。よき草子(そうし)などは、いみじう心して書(か)けど、かならずこそきたなげになるめれ。男(おとこ)、女をばいはじ、女どちも、契り(ちぎり)ふかくてかたらふ人の、末(すえ)まで仲よきこと、かたし。

 めったにないもの 舅(しゅうと)に褒められる婿。また姑(しゅうとめ)に可愛がられる嫁。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく欠点がない人。
 容姿・心・態度が優れていて、世間に交わってもまったく非難されない人。同じ所に奉公して住んでいる人で、お互いに面と向かって顔を合わせず、少しの隙もなく相手に配慮しているような人はいない者だが、本当にこういった人はめったにいない。
 物語や歌集などを書き写す時に、元の本に墨を付けない人。立派な本などは、非常に注意して書き写すのだけれど、必ずといっていいほど、よごしてしまうようだ。男と女の関係については言うまでもない、女同士でもずっと仲良くしようと約束して付き合っている人でも、終わりまで仲が良いということはめったにない。
昔のブログ・19 2016・12・8(木)
 愛のことば 2002・10・20 
 岩波文庫にそんな題の本がある。岩波文庫の名著名作から印象深い言葉を選んだとある。3番目に載っていた句は辛らつだ。
 男は恋をささやくときは4月みたいだけど、結婚してしまえば、12月よ。娘も、娘のころは5月だけど、人妻になると、空模様は変わってしまう。
           (シェークスピア「お気に召すまま」第4幕第1場)
 なるほど名作家はうまい表現をする。
尾張津島天王祭の車楽舟行事 2016・12・7(水)
 7月の第4土曜日・日曜日に行われるこの祭りもユネスコの無形文化遺産になった。1年の日数の提灯を飾る巻藁船の姿は圧巻である。津島神社は、京都の八坂神社と並ぶ夏の疫病退散を祈る神社で、この夏祭りは悪疫よけの神とされる牛頭(ごず)天王(てんのう)祭りである。
 知人に「天王(てんのう、てんおう)って何?」と聞かれて戸惑った。普通は仏教の神(天部)の呼称で、四天王とか毘沙門天とかをさしている。厄介なのは牛頭天王である。調べると日本における須佐之男命との神仏習合の神で出身は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神だと言う。細かいことはさておいて、疫病退散を祈る牛頭天王祭だとわかった。
 天王川公園の藤祭りは何度も行ったが、この祭りは見たことはない。よく考えたら桑名の石取祭と同じで夜がメイン、素空は夜が仕事だからだった。だけど、一度は見てみたい祭りだ。
  
観仏三昧・第10首(會津八一) 2016・12・6(火)
 この日奈良坂を過ぎ佐保山の蔚々(うつうつ)たるを望む聖武天皇の南陵あり傍(かたわら)に光明皇后を葬りて東陵といふ    解説 
     さほやま の こ の した がくり よごもり に 
             もの うちかたれ わがせ わぎもこ

 二つの御陵を親切なタクシーが「ここはどうですか」と案内してくれた時はこの歌を知らなかった。
鯨船と石取祭 2016・12・5(月)
 ユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」(33件)の中に三重県から3件入った。その中で鯨船(くじらぶね)は素空の住む四日市のもの、また隣の市である桑名市の石取祭(いしどりまつり)も入った。
 鯨船行事(8月14~15日)は富田地区にある鳥出神社の関係で以下のように紹介されている。
 「四日市の北郊・富田地区には昔からの民話が語り継がれ、氏神・鳥出神社に勇壮な鯨船神事を行って豊漁と町の安全を祈願している。金色で飾られた絢爛豪華な舟形の山車、これに着飾った稚児や少年が乗り込み歌と太鼓の音で踊りながら鯨取りの物語を展開する
 素空は市中心部の諏訪神社の近くで育ち、そこに奉納する鯨船を小さい時から見てきたので、今回の決定はとてもうれしい。
 「日本一やかましい祭り」と言われる石取祭(8月第1日曜日とその前日の土曜日)は隣の市で近いのに一度も見たことがない。これを機会に行きたいと思っている。
 以下に案内を抜粋して転載する。
 「石取祭は町屋川の清らかな石を採って祭地を浄(きよ)めるため春日神社に奉納する祭りで、町々の祭車は、太鼓と鉦で囃しながら練り回る。 土曜日の午前0時に叩き出しが始まり深夜にはいったん終了、日曜日は午前2時より叩き出しが明け方まで行われ、午後からは各祭車が渡祭(神社参拝、午後6時30分から)のための曳き揃えを行い、渡祭が順次行われる。 浴衣に羽織の正装で行き交う姿は豪華絢爛な祭絵巻を醸し出す
昔のブログ・18 2016・12・4(日)
 辺見 庸 2002・10・26
 1991年、「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞をした彼の作品「赤い橋の下のぬるい水」が映画化されて1年たった。映画がヒットしなかったのか、もうWOWOWで放映されている。原作のあの独特の雰囲気を出すのは難しかったらしく、セックス描写の滑稽さが、笑うところではないのに観客の笑いを呼んでしまったらしい。
 主義に賛同するかは別にして、彼はアメリカの武力的な対外政策に反対して孤軍奮戦に近い論陣を張っている。姿勢だけは学びたいと思っている。
 アフガン、イラン、ロシア(チェチェン)など、どうなっていくんだろうね。
時代は変わる(つれあいに・・) 2016・12・3(土)
 かつてはゴルフに行くための服選びに、百貨店に足しげく通った夫。入退院を繰り返すようになり、年金暮らしの今、「どの服、持ってこようか?」と尋ねると「ジャージーの上下」。あなたも変わるものねえ。
                (つつましい妻・69歳)

 昔は変な格好をしていると連れ合いに注意された。今は何を着ていても注意されたことはない。あなたも変わるものねえ。
食用菜花・はなちゃんの絵3 2016・12・2(金)
 写真は一宮在住の友人・はなちゃん(同級生)の描いたもの、その3
 菜の花と言えば、以下の歌がすぐに浮かぶ。
  菜の花畑に 入り日うすれ
  見渡す山のは かすみ深し
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて においあわし

            (おぼろ月夜)
 この絵は食用だが、菜の花からはすぐに菜種油を思う。
 素空が育った四日市は江戸時代に菜種が盛んに栽培され、その菜種油は“伊勢水”の名で知られ主要産地に数えられていた。明治時代には全国第3位の菜種油生産県だったという。その後、菜種油生産は原料不足などで衰退したが、現在も 昔の名残で四日市港の周辺に食用油生産企業があり、胡麻油・ 菜種白絞油などを生産している。
 小学生の頃、通学路はに菜の花畑があり、校歌を歌って通った。
     鵜の森の緑 菜の花の黄・・・・・
12月の始めに 2016・12・1(木)
 「もう12月!」と叫んでしまいそう。時間の経つのは早い。
 昔は年末謝恩セールなどが始まり、気分は忙しくなったが、今は商店街から物販が消えた。四日市の中心、一番街通りは飲食店ばかりになった。しかし、一時人通りが少なくなった商店街も若者たちで賑やかである。
 素空の母方の実家である武蔵野園(お茶屋)も当主が高齢になり閉店、もうじき居酒屋になる。血縁は消えるが、幼い頃に遊び育った懐かしい場所である。開店したら訪れたいと思っている。

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