10月の終わりに 2016・10・31(月)
 団塊の世代である同級生が鯨船を元気に引いているのには驚いた。活躍していると若々しい。驚くほど老けて見える人もたくさんいるが。
 ただ、活動も過ぎると体調を崩すので気をつけなければいけない。15年ぶりに鳥取の義姉宅まで車で出かけたが、帰ってしばらくしてから体調不良が続いた。
 得意だった懸垂、一回するのがやっとだ。年なのか、努力不足なのかわからないが、今シーズンのスキーは大丈夫だろうかと思ってしまう。
 だけど明日は新しい月、11月だ!と思うとなんとなく力が湧いてくる。
お供え(朝日新聞・いわせてもらお) 2016・10・30(日)

 仏壇のお供えにと亡き義母が好きだった酒まんじゅうを買って帰った。中2の長男に「チンして供えておいてね」と頼んだところ、仏具の「りん」を鳴らすのではなく、電子レンジで「チン」してほかほかに温めて供えていた。       (東京都羽村市・ピンとこなかった?・39歳)

 レンジは必需品だけど我家に仏壇がないので、「チン」とか「リン」とか鳴る仏具はない。しかし、「リーン」と鳴く鈴虫が毎年夏を飾ってくれる。

鳥取行き3・往路 2016・10・29(土)
 鳥取行きを決めた時、悩んだのは出発時間。片道400km弱、何度かの休憩を入れて走行時間を7時間とした。渋滞と暗くなっての走行は避けたいと思った。
  ・早く出て明るいうちに着く
  ・仕事の目途が着いた時間に出る
  ・深夜出発明るくなったころに着く
 結局、仕事の目途がついた午後1時過ぎに出た。渋滞は避けれたが鳥取の米子道・江府インターを降りたときは真っ暗になっていた。ここから義姉宅へ一般道を1時間ほど走る。まずは休憩がてら夕食と思ったが、食べ物屋がない。ずいぶん走ってミニスーパーを見つけ、弁当を買い結局義姉宅で食べた。
 暗いうえに義姉宅の近くは対向車がきた場合どこか広いところまでバックしてかわすよう な小山を越えていく一車線道路だった。さらにナビが認識できないような山の中なので最後に迷ってしまった。灯りのついている農家で聞いたら、孫(中学3年生)の同級生が出てきて教えてくれた。
 往 路
自宅
ー東名阪(四日市インター)ー新名神ー名神ー中国道ー米子道ー 江府インター一般道 (休憩4回)
日録 20世紀(1941・昭和16年) 2016・10・28(金)
 1941年のグラビアは
  ◦日本軍、真珠湾奇襲!
  ◦20世紀最大のスパイ「ゾルゲ事件」の深い闇
  ◦女優「李香蘭」加熱人気の秘密
  ◦ドイツ軍300万人がソ連に電撃作戦開始!
 12月8日未明、日本海軍が行なったハワイ真珠湾軍港への奇襲攻撃。その成功に国民は沸いたが「卑怯なだまし討ちだ」とアメリカを激怒させてしまい、山本五十六の開戦時に大打撃を与え、戦争意欲をなくさせるという作戦とは正反対の結果となってしまう。
 そもそもこの時の日米の国力比は1:10だったという。(ヒルマン調査による1937年の世界の工業生産高に占めるシェアは、1位 アメリカ35.1%  6位 日本3.5%)
 愚かな太平洋戦争の始まりだが、鍋釜や寺の鐘まで軍事徴用しなければいけなかったし、そもそも資源の少ない日本には無理な話だった。
 未だに真相不明のゾルゲ事件、のちに国会議員にまでなった李香蘭・山口淑子の話。
 6月22日、ソ連に侵攻したドイツ軍は真珠湾攻撃(12月8日)の頃にはソ連の反撃により進撃をストップしている。
観仏三昧・第4首(會津八一) 2016・10・27(木)
  三月堂にて        解説
   びしやもん の おもき かかと に まろび ふす 
           おに の もだえ も ちとせ へ に けむ

 仏像に踏まれた邪鬼に優しい目を向ける。その視点に驚いた印象的な歌である。
鳥取行き2・大地震 2016・10・26(水)
 
鳥取行き(17~19日)から2日後の21日14時7分頃、鳥取県中部を震源とする最大震度6弱の地震があり、四日市も2~3の揺れがあった。すぐに連れ合いと義兄が鳥取に電話をかけたがつながらない。連絡を受けて甥にラインでメールした。しばらくして電話が繋がり、無事が確認できた。大丈夫というラインの返事もきた。
 義姉宅は鳥取の西の端の高地にあるので大きな被害はなかったようだ。「ここは地震も津波も無い良いいところだよ」と久しぶりに会った義姉の連れ合いが言っていたが、日本では地震はどこでも起こるようだ。義姉夫婦は農業だが、高齢になったので農地は人に任せているという。
昔のブログ・13 2016・10・25(火)
 爆走~東京物語・番外編 2002・8・29
 「同じ釜の飯を食った」仲間3人でずっと同窓会をしている。それぞれの在住の地、東京・奈良・四日市と転戦する。学生時代に「赤ちょうちん」か格安の「焼肉屋」しか知らなかったので稼ぎ出してからは恐る恐る冒険をした。
 某年某月、場所は東京、下落合辺りかな?深酒の後の2次会、きらびやかなネオンに誘われドンちゃん騒ぎ、幹事のSUが値切って支払い。「これだけしか持っていないのでお願い!」と予算内で収めてご満悦、「爆走」なしで宿へ。宿の酒を持ち出して3次会、A君曰く「ホステスさんに言われたので追加料金払ってきたよ」  
喫茶店 2016・10・24(月)
 「エリーゼ」の二階の奥の暗い部屋
          そこがいっとき青春だった   山崎波浪(坂戸市)
 朝日歌壇(10・3)に掲載された歌である。懐かしい思い出が次々に浮かんでくる。少し暗いボックス席で一人本を読み、また友人と語り合った。それが心に残る青春時代の好きだった喫茶店で、今の明るくしかもメニューの豊富な店はなんとなく違和感がある。
 東京での学生時代、一杯のコーヒーで一階に長居するので二階の奥に追いやられたこともある。お金が無くなると20円用意して母に電話する。一回目は「紙と鉛筆を!」と言い、二回目で喫茶店の電話番号を伝える。母の折り返しの電話で近況を語り、最後にお金の無心をした。また、ビールの値段がコーヒーとそんなに変わらない深夜喫茶で飲酒することを覚えたのもそのころだ。四日市に帰って、二階ではないが連れ合いと初めて出会ったのも喫茶店だった。
むかしはよかった(中日・つれあいにモノ申す) 2016・10・23(日)
 時間を設定しておけば、ふっくら炊きあげてくれる炊飯器に、夫は「嫁いらずだなあ」と言う。三十五年前は、私の手術のとき「何より家内が大事」とお医者さんに泣いて訴えたのにねえ。  (ライバルは炊飯器・69歳)

 インスタント食品とレンジがあれば、連れ合いなしで生き延びれるかも?
学規の読み方・会津八一 2016・10・22(土)
 蒲原宏(俳誌『雪』主催)さんの講演要旨が秋艸会報第42号に載っていて、八一と彼の対話が書かれていた。素空も間違っていたけど、八一は自作の学規を以下のように読んでほしいと言った。
     ふかくこの生を愛すへし
     かへりみて己を知るへし
     学芸を以て性(さが)を養うへし 
     日々(にちにち)新面目あるへし

 性を「せい」、日々は「ひび」と読んでいた。性(さが)とは「持って生まれたというか、天与の性質を言うのだから」と八一は語っている。
 この講演要旨で面白かったのは、八一に
「・・・あんたはいい加減な字を書いて、歌を詠んで学者づらをして生き延びている・・・」と暴言をはいた男を鬼のような形相で怒鳴りつけ、襟元を鷲掴みにして店外に引きつりだしたという部分だ。沢山の八一に関する本や雑誌を読んできたけど、八一を褒めるばかりでこんなことは書いてなかった。
観仏三昧・第3首(會津八一) 2016・10・21(金)
  十七日東大寺にて(第2首)            解説
   おほてら の ひる の ともしび たえず とも 
           いかなる ひと か とは に あらめ や

 燃え続ける灯火に対比して人間の生命には限りがあると詠う。
鳥取行き1・義姉宅訪問 2016・10・20(木)
 義姉の嫁ぎ先・鳥取県日野郡日南町に車で出かけ2泊3日した。同行したのは連れ合いと義兄、義姉とこの2人は3人姉弟だ。さらにくるみも一緒だった。昨夜、帰ったが走行距離930km、さすがに今日は疲れ果てている。長旅は初めてのくるみだけが元気に飛び回っている。
 3か月前に身体を壊した義姉が元気になったので見舞いがてら訪ねた。自宅を訪ねたのは15年ぶりだった。
 日南町は鳥取県の西の端で島根、広島、岡山に接している山地で、何度かの休憩をしながら片道7時間かかった。
     
マコモダケ(マコモタケ、真菰筍) 2016・10・16(日)
 三重県菰野町が2003年頃から栽培をはじめ、今では国内随一の生産量を誇る。2012年10月には「第7回マコモサミット」を開催していて、知っていたが見るのも食べるのも初めてだった。柔らかい筍のような歯ざわりがあり、ほのかな甘味とかすかにとうもろこしのような香りと説明されている。みそ味などで炊き込んで食べたが、味を表現するのは難しい。
 マコモダケはマコモ(イネ科マコモ属)の根元に出来る肥大した茎の部分を指し、東アジアや東南アジアに広く分布し、日本でも河川や湖沼の水辺に群生しており、中国料理でよく使われる食材という。
 「古事記」や「万葉集」などにもその名前が出ているそうだが、そんなことを考えながら初物として食べたことが嬉しい。
     (都合により17日~19日は独り言を休みます
息子の一声(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・10・15(土)  
 糖分に気を付けるよう病院で言われた夫。なのに、ケーキ、お菓子を食べまくる。私が注意すると「食べるなとは言われとらん」。でも、息子に言われたら一瞬でシュン。    (持つべきはいい息子・64歳)

 息子は怖い。雑な運転をいつも注意される。最近は隣のあーちゃん(小学3年生)にも叱られる。
枕草子(七十段) 2016・10・14(金)
  恋人と一夜を過ごす時の「をかし」(面白い・趣がある)を書いている。清少納言らしい感性である。
 内容は下段の現代語訳を見てもらえばよいが、さすがに高校生用の枕草子解説書では扱われていない。
(七十段)
  しのびたる所にありては、夏こそお(を)かしけれ。いみじくみじかき夜の明(あけ)ぬるに、露ねずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされたる。猶(なほ)いますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどする程に、ただゐたるうへより、烏(からす)のたかくなきて行(い)くこそ、顕証(けせう)なる心ちして、お(を)かしけれ。
 又、冬の夜いみじう寒きに、おもふ人とうづもれ伏(ふ)して聞(き)くに、鐘の音の、たゞ、物の底(そこ)なるやうに聞(きこ)ゆる、いとお(を)かし。烏のこゑも、はじめは羽(はね)のうちになくが、口(くち)をこめながらなけば、いみじう物ふかく、とを(ほ)きが、明(あく)るままにちかくきこゆるも、お(を)かし。

 人目を忍んだ逢引の場所では、夏が一番情趣がある。とても短い夏の夜がもう明けてしまったので、一晩中ちっとも眠らずにいた。どこもかしこも昼間と同じように開け放したままで夜を過ごしたので、庭も涼しく見渡すことができる。(一晩中語ったのに)やはりまだ少し話し足りないことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに、座っている頭の上を、烏が高い声で鳴きながら飛んでいくのは、まるで誰かに見られているような気持ちがして面白い。
 また、非常に寒い冬の夜、恋人と夜具に埋もれて寝たまま聞いていると、お寺の鐘の音がまるで物の底で鳴るかのようにこもって聞こえるのが面白い。鳥の声も初めは羽の中で鳴くのだが、口を突っ込むようにして鳴くので、とても深くて遠い場所からのように聞こえているのだが、夜が明けてくると段々近くで鳴いているように聞こえてくるのも面白い。
観仏三昧・第2首(會津八一) 2016・10・13(木)
 十七日東大寺にて(第1首)           解説
   おほてら の ひる の おまえ に あぶら つきて
           ひかり かそけき ともしび の かず

 昭和14年は日本が大陸での戦争に突き進んでいく暗い時代である。東大寺も訪れる人は少なかった。

                 石山観音・ノブ君(10・13)
島かぼちゃ 2016・10・12(水)
 高野尾花街道で島かぼちゃ落花生マコモダケを買ってきた。
 落花生は素空の好物、島かぼちゃは初対面、ひょうたん型に惚れ込んだ。マコモダケは三重郡菰野町が力を入れているが、見たのは初めてだった。
 島かぼちゃは沖縄の在来種で、収穫して間が無い物は緑の地にクリーム色の模様、長期間貯蔵していると全体にオレンジ色になってくるという。果肉は濃いオレンジ色で、比較的水分が多いタイプ、甘味は少なく、ホクホク系ではなく粘質なので、味が染みやすい煮物がお勧めですとネットで紹介されている。
 かぼちゃは好物の中に入らないので、このまま飾っておきたいが、連れ合いが手をかければ味は賞味できる。
                あーちゃんの将来(10・12)
                   
ハロウィン・琴将(10・12)
昔のブログ・12 2016・10・11(火)
 7日に津の石水博物館で「會津八一と川喜田半泥子—独往と無茶の交流—」を鑑賞した。その時、仲間に八一の古書の値段の話をしたが、以下は東京で見た短冊1枚の値段を書いたブログ。
 八木書店 2002・7・3
 東京神田にあり、有名な書や画を展示即売する。植田先生に紹介されて東京の友人Yと会津八一展を見たことがある。それがきっかけで案内が届く。今回は写真入の近代名家自筆短冊特輯。小さな短冊一枚の値段。古書の世界を価格で味わってください。
 萩原朔太郎「猫のような風景である 朔」60万円、会津八一45万、斉藤茂吉40万、岡本かの子38万、北原白秋38万、泉鏡花35万、谷崎潤一郎35万、若山牧水30万、坪内逍遥28万、柳田国男25万、与謝野晶子25万・・・全333、一番安いのは2000円
 バブルのときはもっと高かったんだろうな!古書は好きだが、SUの手の届くものではない。(展示7・3~31)
鼻高々な妻(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・10・10(月)
 電話に出ると、不用品買い取りのセールス。思い当たらないので「一点だけある。家内です」と言うと、先方は「高価すぎて扱えません」。それを聞いていた妻は「やっぱり私は高価で、いい妻でしょう」。うーん、信じられないなあ。       (確かにいい妻です・77歳)

 さすが優秀なセールスマン、我が家に掛けてこないかな?お土産付きで連れ合いを出すのに!
              変な顔(りの&かず)(10・10)
近所の内科 2016・10・9(日)
 先月の休み、台風が来たので奈良行きを取りやめ、連れ合いは午前中にK内科へ、くるみは皮膚病で午後獣医に行った。
 内科待合にはだれもいなくて、医者も看護師も「こんな日に来るなんて!」と診察よりもその話ばかりしていたという。連れ合いは待ち時間がなくて「ラッキー」と言っていた。
 後日、血液検査で素空が内科に出かけた。血管が細いので並みの看護師には何度も注射針を入れられて閉口する。腕の良い婦長さんは素空の血管は細いのでいつも大変だと言うが一回で採血するから嬉しい。採血後は近所の話などで他の看護師さんも入れて盛り上がる。
 台風の時の話をしたら「台風の時はそれでも3人来ましたよ」と言っていた。この医院は患者が多く、医者も親切(話が長い)なので長時間かかる。被害の出ない台風の時の通院は「正解」だと思う。
           
石水博物館から高野尾花街道(10・9)
観仏三昧・第1首(會津八一) 2016・10・8(土)
 十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出(い)づ   解説
   やまと には かの いかるが の おほてら に
           みほとけ たち の まちて いまさむ 

 観仏三昧28首は、昭和14年10月の作である。早大文学部芸術科の学生を連れて奈良見学旅行に赴いた時の作で、冒頭に八一はこう記す。「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと」
昔のブログ・11 2016・10・7(金)
 らっきょ 2002・6・20
 義兄の知り合いから「らっきょ」が届いた。たくさん食べるものではないが、先輩とよく行ったゴルフ場でカレーライスの添え物の「らっきょ」でよくビールを飲んだ。ゴルフ場で当たり外れのない食べ物はカレーライス、おいしくビールをいただくために「らっきょ」はカレーの先に出るべきだといつも思っていた。最近、健康上の理由で飲酒を控えているが、懐かしくそんなことを思い出した。
 らっきょは1年物に対して2年物が価値がある。「橋のない川」で貧しい兄弟が立派に育った1年物のらっきょを売りに行ったが、思うようにお金にならなかったシーンをなぜかよく覚えている。
             トイレットペーパーの芯・くるみ(10・6)
枕草子(六十九段)・夜烏どものゐて 2016・10・6(木)
 烏の夜の生態をとらえ、昼間のずる賢い烏とは違って愛嬌があり趣があるという。昔も烏はずる賢い存在だったのかな?
 ところでそんな夜烏を「をかし」という。古典での美的表現の代表は「をかし」と「あはれ」なので、以下に簡単にまとめておく。
 「をかし」は「面白い・趣がある」、「あはれ」は「しみじみとした情緒がある」と思えばよいが、「あはれ」は対象を知的・批評的に観察し、鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣で、枕草子は「をかし」の文学。「あはれ」の代表は源氏物語、深いしみじみとした感動・情趣を表す世界である。
(六十九段)
 夜烏(よがらす)どものゐて、夜中ばかりに寝(いね)さは(わ)ぐ。落ちまどひ木づたひて、寝(ね)おびれたるこゑに鳴(なき)たるこそ、昼(ひる)の目(め)にたがひてをかしけれ。

 夜烏が沢山木に止まっていて、夜中ごろ、寝ぼけて騒いでいる。木から落ちそうになって慌てふためき、枝から枝へと飛び移り、今、目覚めたような寝ぼけた声を出して鳴くのは、昼間のずる賢そうな姿とは違っていて趣きがある。
             
陽ちゃんとパパ(10・5)
操縦方法(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・10・5(水)
 何度、庭の草刈りを頼んでもやってくれなかった夫。でも、娘の友達が遊びに来ると伝えると、重かった腰を軽々と持ち上げる。再三にわたる愛妻のお願いよりも、他人の目なのね。 (動かし方を再考する妻・63歳)

 他人の目は威力がある。ぼろぼろの服を着て庭いじりをするが、出かけるときはそれなりに気にする。だけど頓珍漢な服を着て、いつも連れ合いに馬鹿にされる。
大空小学校 2016・10・4(火)
 不登校がゼロという大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子さん(65才)の記事を読んだ。子供たちに彼女はこう言ったという。
 「人にされていやなことはしない、言わない
 当たり前の言葉と思うかもしれないが、小さい子供たちと遊ぶときいつもこのように言っているし、くるみ(犬)への接し方も「自分がされていやなことはくるみにしない」と教えている。だけど、子供はなかなか理解しないし実行しない。
 くるみは嫌なことをされると噛みつく真似をするからいいが、人と人ではなかなかむつかしい。特に年齢が低いほど難しい面がある。今一緒に遊ぶ子供は6人、良い子に育ってほしいといつも願っている。
比叡山・第12首(會津八一) 2016・10・3(月)
 法隆寺福生院に雨やどりして大川逞一にあふ    解説
   そうばう の くらき に のみ を うちならし 
           じおんだいし を きざむ ひと かな

 仏像彫刻に手を染めているので、この歌を思い出しながら法隆寺・福生院前に行ったが門がしまっていた。
鯨船・勢州丸 2016・10・2(日)
 昨日紹介したEさんが参加する鯨船を兄や陽ちゃんと諏訪神社で見学した。活動休止になっていたこの鯨船を復活したのは水谷宣夫さん(同級生)で運営を同級生(小学校、中学校)が手伝っている。
 何十人もいたが、はっきりわかる同級生は数人、その中で付き合いのあるEさんとNさんの写真を掲載する。
 連れ合いと一緒に見学したくるみはびくびくしながら興味深そうに眺めていた。    

Eさん

Nさん

鯨船
10月の初めに 2016・10・1(土)
 1~2日は諏訪神社の例大祭・四日市祭、江戸時代初期が起源と言われる本来の四日市祭(8月の大四日市祭とは別)で素空の小学生の頃は学校は午後休みになり、諏訪神社にゴザを引いて祭りの練りを見たものだ。
 同級生Eさんがこう言ってきた。
 「10月2日の四日市まつりに鯨船がでます。2年前から古い鯨船を復活させる活動があって、地元の同級生が頑張っています。私も少しかかわりがあって当日、鯨船のまわりにいます
 宮司も仲の良い同級生だから見学に行こうかな!(諏訪神社への鯨船の練り込みは2日15:35~)

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