6月の終わりに 2015・6・30(火)
 暑かったり涼しかったりした6月、なんとなく季節に裏切られているような気になった。
 今月はなんと言っても四日市博物館の公害館見学からいろいろなことを考えさせられた。企業優先が弱者をないがしろにしてきた歴史を思う。
 もう一つ、現内閣が集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障法制の関連法案を強行採決して、戦争への道に突き進もうとしていることに怒りを感じる。なんでこんな方向に行くの?と不思議で仕方が無い団塊の世代である。
 どのような理由があろうとも人を殺すことは悪である、と言う所から出発すべきだと思う。
あこぎ(阿漕) 2015・6・29(月)
 あこぎな商売をするなどと使われる“あこぎ”、辞書では“しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること”などと書いてある。
 言葉の由来は三重県津市にある禁漁だった阿漕ヶ浦で、阿漕の平治という漁師が病気の母親のために、たびたび密漁をして、ついには見つかり簀巻きにされたという伝説からである。
 しかし、この孝行な息子が浜に忘れた笠をかたどった平治煎餅が津では有名である。
 また、津で有名なものは“うなぎ”、うなぎ屋が多くその消費量が日本一の年もあったようだ。素空の子供のころ、津の阿漕ヶ浦の西方の海岸(島崎町)に親戚がうなぎを養殖していたが、今は養殖場はほとんど無いらしい。阿漕の平治が獲った栄養価の高いヤガラという魚は長い魚でうなぎに似ている。
裁判ざた(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・6・28(日)
 夕食のギョーザからネジが出てきて、「訴えなあかん」と息巻く夫。でもそのギョーザ、作ったのは私です。       (訴えないでね・58歳)

 食に関する環境が良くなったことによるだろうが、物の乏しい時代に育った素空はそれほど気にならない。それに何でもかんでも必要以上に騒ぎ立てるマスコミも困る。
枕草子(二十二段)・すさまじき物 2015・6・27(土)
 「すさまじ」は物が期待通りの姿を取らない時の不快感を言う。清少納言は時節はずれや期待はずれでうんざりさせられるものを列挙する。冒頭で「すさまじき物、ひるほゆる犬」と言う。これは犬は夜ほえるものだから、調和を乱していて不快だとする。わが家の犬・くるみは昼吠えて夜は寝ているので彼女に嫌われそう。
 この段の中心は、今年は確実と予想されたが国司の任官にもれた家の状況をすさまじく、やりきれないものとして描写する。任官に期待して集まり騒ぐ従者達の落選後の手のひらを返したような姿を描いている。
 作者の父清原元輔は国司を歴任しているので、清少納言も選にもれたあとの「すさまじき」状態を経験したようだ。
 この段は長い。ネットの原文へ。 
日録 20世紀(1926・大正15・昭和元年) 2015・6・26(金)
 1926年のグラビアは
  ◦ 大正天皇崩御と“元号誤報”
  ◦ 中庭つき 「同潤会アパート」のハイカラ生活
  ◦ 軍隊内の差別糾弾闘争と「福島連隊事件」
 12月25日、肺炎から心臓麻痺で崩御、この日以降元号を「昭和」とする。ところが当時の東京日日新聞が元号を「光文」と誤報した。このため社長が辞表を提出したと言う。当時は大変なことだったろう。
 ところで、元号の由来が書いてあったので転載する。
   明治  出典は『周易(しゅうえき)』の「聖人南面して天下を聴き、
        明(めい)に嚮(むか)いて治む」
   大正  出典は『易経(えききょう)』にある「大いに亨(とお)りて
        以って正しきは、天の道なり」
   昭和  出典は『書経(しょきょう)』にある「百姓昭明 万邦協和」
   平成  出典は『史記(しき)』の「内平(たいら)らかに外成(な)る」と
        『書経)』の「地平らかに天成る」
 同潤会アパートは関東大震災後に政府の公的な資金で初めて建てられた集合住宅の事。
 福島連隊事件は軍隊内の著しい差別を隠蔽し、事実をねつ造して部落出身者を弾圧した事件。いつの時代も弱者を差別し、中身のない己を正しい者として優越感に浸ることが多いが、実社会で実行されると事は大きい。
南京余唱・第29首(會津八一) 2015・6・25(木)
   奈良に向かふ汽車の中にて (第2首)           解説
   あさひ さす いなだ の はて の しろかべ に 
             ひとむら もみぢ もえ まさる みゆ
     (朝日さす稲田のはての白壁にひとむら紅葉燃えまさる見ゆ)

 汽車の窓から見た明るい朝日の下での黄、白、赤の光景である。

             犬山城とモンキーセンター(ノブ君ハイキング)   
円空・木喰展(松坂屋美術館) 2015・6・24(水)
 会場に入ると木喰の微笑仏が圧倒的な存在感で迫ってくる。そして師事する安達先生の新木喰が脳裏に鮮明に浮かんできた。先生は「童顔の顔面に笑みをたたえ、三日月型に細められた眼の下に丸々と頬肉を盛り上げた微笑仏、拝まれる仏像ではなく、親しまれる仏像」と表現されるがまさにその通りである。2006年東京博物館で、2008年岡崎市美術博物館で観賞しているが、10年を越える仏像作りの中でその印象も変わる。微笑みをたたえた丸みのある仏像に懐かしさを強く感じた。
 続く円空仏展示場では懐かしい仏たちが並ぶ。摸作した仏像を親しみをこめて観賞してきた。
 17~18世紀(江戸時代)に全国を行脚して独創的な仏像を彫った2人、円空は12万体と言われ、木喰は生涯2千体の造像を願ったと言われ、現在700体ほどが確認されている。
 名古屋の松坂屋美術館で7月12日まで開催されている。
ファッション(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・6・23(火)
 私の習い事の先生は、いつも背広でピシッと決めた、おじいちゃん世代の男性。ある日、私服で来ていた女子生徒を見ながら、私にこう聞いてきた。「最近は短パンから、ももひきを出すのが、はやっているんですか」。先生、あれはレギンスと言います。
       (鹿児島県薩摩川内市・出していいヤツなんです・13歳)

 レギンズと言う名を初めて知った。女子のプロゴルファーが半袖のシャツの下に長袖を着ている。「こんな着方は前からあったの?」と連れ合いに聞いたら、何にも知らないのねと言う顔で「あったよ」と返事がもどってきた。
四日市博物館7・プラネタリウム(完) 2015・6・22(月)
 リニューアルされたプラネタリウムはフロアを宇宙の港として、宇宙船で旅立つ。今回のリニューアルに合わせて制作されたオリジナル番組「アース・メッセージ」は“四日市公害と環境未来館”と連携して宇宙から地球を眺めることで、地球規模での環境問題を考えることを意図している。
 プラネタリウムはぜひ見てと勧めてくれた谷岡館長と合流し、一緒に観賞した。公害当時の四日市の星空とよく見えるようになった現在が映し出される。宇宙の美しい映像に楽しい時間が過ぎて行った。館長は放映後も館内に置かれた本物と同じ宇宙服や古い映写機などを親切に説明してくれた。
 四日市公害は企業(コンビナート)が利益を追求する陰で多くの人が犠牲になった。公害を負の遺産として産業の発展と環境保全を目指すと言うが、環境保全がはずされて産業の発展だけが追求されないか心配である。「お金を軸に競争して社会を発展させるのが最も効率がよい」と考える今の社会では常に弱い者は犠牲になる。
 今進行する地球の温暖化の悪影響は多くの生物を死に追いやり、人間をむしばみつつある。企業の方しか見ていないような日本の現政権ではこの先が心配で仕方が無い。
 公害の資料とプラネタリウムの美しい星空を見て感じ、考えたことである。
   
南京余唱・第28首(會津八一) 2015・6・21(日)
   奈良に向かふ汽車の中にて (第1首)           解説
   かたむきて うちねむり ゆく あき の よ の 
             ゆめ にも たたす わが ほとけ たち
     (かたむきてうち眠りゆく秋の夜の夢にも立たすわが仏たち)

 “夢にも立たす仏たち”こんな心境になってみたいものだ。素空の夢に現れたものにろくなものは無い。
口三味線(くちじゃみせん) 2015・6・20(土)
 辞書によると
   1 口で三味線の伴奏をまねること。くちざみせん。
   2 口先で相手を巧みにだますこと。しゃみせん。
 三味線が手元に無かった、あっても弾けないとき、口でその声音を真似した。だから、どんな曲でも自在に弾けた、それが口三味線。
 桂米朝の落語・軒づけは口三味線ではないが、習いたてで3個の短い音しか引けない三味線弾きを連れた浄瑠璃愛好家のアマチュア達の話。他所の家の軒で芸の修行のために浄瑠璃を語り、物議をかもしだす面白い落語。もちろん、高座の米朝は口三味線で表現する。
 口三味線が転じて2のように口先で相手をだますことを言うが、麻雀では口でだますことを略して「三味線を弾く」と言う。もちろん、対戦相手と戦うゲームなのでいろいろな「だまし」はある。それは高い技術として認められるが、口でのだましは人の感情を逆なでする。多くの場合、三味線は禁止されている。仲間によっては容認されている場合もあるようだが、口で嘘をつきあってする麻雀はしたくない。
枕草子(二十一段)・おいさきなく 2015・6・19(金)
 清少納言による女性の宮(宮中)仕え礼賛論。
 「えせざいはひ (似非幸ひ・見かけだけの幸)=きまじめに、夫の出世を願い、ただ家庭を守っているだけといった、形だけで中身のない幸福」を求める女性はだめで、(利点のある)宮仕えをすべきだと説く。
 宮仕えする側(清少納言など)からの一方的な主張だが、一理はある。ただ、それが宮中勤めであることは片寄っていて現代には通じない。なかなかなじめない一文である。原文は次を参照
四日市博物館6・食事 2015・6・18(木)
 博物館内には食事をするところはない。しかし、市の中心である近鉄四日市駅近くなので食べるところは沢山ある。5月に見学に来た義姉には都ホテルの和食の店を紹介した。
 我々は美食大臣の肩書を持つポンちゃんが、四日市文化会館近くの“旬彩たちばな”を予約してくれていた。注文した“点心弁当 嵯峨野”は美味しかった。
 今回は“四日市公害と環境未来館”を目的としたが、もう一つの柱は食事会である。そしてその中心は“おしゃべり”。近況からありとあらゆる話題に会話が続く。美味しいものを食べて会話する、この会が長い間仲良く続いてきた秘訣はここにあるようだ。  
連想(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・6・17(水)
 最近話題になった片付けコンサルタントの若い女性がテレビに出演していた。「気持がときめかなくなったものは『今までありがとう』と言って思いきって捨てましょう」と話すのを聞いて、思い浮かんだのは夫(76)の顔だった。        (和歌山県橋本市・ごめんね、本当は好きだよ・68歳)

 自室を片付けようと段ボール箱を用意した。
「気持がときめかない」物ばかりだが、どれにも思い出があり、箱へ入れることができない。結局、段ボール箱には衣替えした冬服が入った。

 16日の休みはチチハハといなべ市の万葉の里公園に行ったよ!くるみの部屋を見てね!
       万葉の里公園・くるみ(6・16)
四日市博物館5・四日市公害と環境未来館2 2015・6・15(月)
 公害は1960(昭和35)年ごろから発生。石油化学コンビナートの排煙が原因で多くのぜんそく患者が出た。患者が起こした訴訟で津地裁四日市支部は72年、企業6社の共同責任を認め、8800万円余の損害賠償を命じた。その後、市や国の施策で産業廃棄物が規制され、環境は徐々に改善されてきている。
 1960年ごろ、小学校の遠足・海水浴では重油が肌に着いたから、煙だけでは無く、産業廃棄物も海に流されていた。高校時代に食べた地元の魚は臭くて食べれなかった。他県から国鉄(現JR)の汽車に乗って四日市に近くなると排煙が臭くて窓は開けてはおれなかった。受験生時代を含む少年時代だったのでただ傍観するだけだったし、裁判の判決が出たころは四日市を離れていた。
 “四日市公害と環境未来館”に入館した時、広々とした空間に整然と資料や映像が並んでおり、立派だな!と言うのが第一印象だった。ただ、何かが違うと思った。仲間に「せめて排煙や魚の臭さが体験できたらいいのに」と言った。それは自分には環境汚染当時の現実が迫ってこなかったと言うことである。
 しかし、館内では沢山の映像を見ることができ、とりわけ「四日市公害裁判の記録 証言で綴る四日市公害裁判」(19分)はよくできている。これは中部映像関連事業社協会コンテストの大賞になっている。
   

                   (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                         いなべ万葉の里公園ートミジャス
南京余唱・第27首(會津八一) 2015・6・14(日)
   笠置山にのぼりて                        解説
   のびやかに みち に より ふす この いは の 
             ひと なら まし を われ をろがまむ 
    (のびやかに道に寄り伏すこの岩の人ならましを我をろがまむ)

 木津川の南岸にそびえる笠置山は、古くからの修験道場、信仰の山として、また、歴史上のさまざまなドラマの舞台として知られ、奇岩や怪石が数多くある。 
四日市博物館4・四日市公害と環境未来館 2015・6・13(土)
 時空街道で合流したポンちゃん、仕事の都合で直接“四日市公害と環境未来館”に来たQちゃんを加えて5人で館内を廻る。
 今でも400人近くの公害認定患者がいる四日市公害、やっと3月に四日市博物館内に資料館が出来た。四大公害発生地(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)で資料館が無かったのは四日市だけだった。今回の開館への被害者ら関係者の努力を評価したい。
 歴代の市長が資料館の設置に消極的な中で、開設に踏み切った田中俊行市長は「行政の企業に対する遠慮もあったと思う。私も負のイメージを強調しない方がいいと思った時期がある」しかし「大きな犠牲を払った四日市公害は市にとって『負の遺産』かもしれないが、産業の発展と環境保全を両立させる街づくりの先駆けとなった『正の遺産』とも言えるだろう」と語る。しかし、市の努力は評価するが、こうした発言から読みとれるようにあるいは“四日市公害と環境未来館”と言う命名からもわかるように、公害の被害の大きさ、事の重大さの表現が足りない。“産業の発展と環境保全を両立させる街づくり”が強調される。
 ただ、建設地の候補だったコンビナートが立地する被害が沢山出た塩浜地区の連合自治会が「住民の感情を逆なでする」と反対したりする困難の中での開設はとても立派である。さらに5階プラネタリウムで放映される「アース・メッセージ」が連携していて見ごたえがあった。
 次回で子供の頃の体験をまじえて、もう少し四日市公害についてふれてみたい。
枕草子(二十段)・清涼殿のうしとらのすみの 2015・6・12(金)
  「清涼殿の」で始まる二十段は長文である。清少納言が中宮の和歌についての問いに見事こたえた回想記。清涼殿での天皇、中宮、女房たちの和歌をめぐる美しい情景が描かれる。
 宮中は古今集の和歌を暗誦していることが常識だと言う世界、村上天皇の后、宣耀殿の女御が全て記憶していたという逸話が語られる。
 原文は次を参照(でも読むのはしんどいよ) 
四日市博物館3・館長 2015・6・11(木)
 谷岡経津子館長は親しみやすい方で、我々にいろいろ説明しながら、解説ボランティアの佐橋さんのこともほめる。写真撮影はOK、各種のパンフレットを5人分用意し、新しい企画や館運営の話などをしてくれた。7億円かけて新しくなったプラネタリウムは1億4千万個の星を投影でき、その数は現在日本一なので、ぜひ見て行けと言う。2時半の開演の10分前に来るようにと言い、昼食は何処がいいと言うことまでアドバイスしてくれた。
 その後、2階の四日市公害と環境未来館見学中にサイン入りの絵葉書を渡しに来てくれたのには感激した。
 午後は四日市駅周辺を散策する予定を変更、博物館に入り、4階の書道展を見て5階のプラネタリウムへ向かった。館長のアドバイスが適切だったのは上映作品が“四日市公害と環境未来館”と連携していたからだ。
念願がかなって(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・6・10(水)
 萩本欽一さんが73歳で大学に入学、というニュースを見て、次女(13)が「すごい」を連発している。高齢でも新しいことに挑戦する姿に感動したのかと思ったら「一体、何年浪人したんだろうね」。
       (東京都目黒区・あなたの現役合格が心配な母・50歳)

 73歳でとは素晴らしい。「浪人」の文字に、何年も浪人している友人の息子が心配、浪人生活経験者としては。
四日市博物館2・時空街道 2015・6・9(火)
 以前は四日市の歴史を太古から陳列展示していたが、リニューアル後は時空街道という体感型の常設展になっており、町の発展とそこに住む人々のくらしの変化を感じられる場所になっている。①時空街道の旅②久留倍の村③四日の市④四日市宿⑤四日市湊⑥展覧処「白里亭」と続いている。
 入室するとすぐに「ご説明しましょうか?」と男の人が親切に
声をかけてくれた。博物館が誇る市民による解説ボランティアである。説明を受けながらリアルな旅人(人形)の手に驚く。これだけで、博物館に来たかいがあったと思った。後で聞いたことだが、この階だけで7億円(総額24億円)かけていると言う。ちゃーちゃんと一緒に旅籠に上がり、実際に戸の上げ下ろしを体験しているとえっちゃんが合流した。驚いた顔をした彼女がそのボランティアの方は知り合いだと言う。名前は佐橋さん。
 館長はちゃーちゃんの旦那さんの同級生、その話をしたら佐橋さんが連絡をとってくれた。解説が終わるころに館長が現れる。館長は洋画家、日展でいつも作品を見てきた本人が目の前にいる。親切な館長の出現で予定を変更、午後も博物館内で過ごした。
      
  
                 左から佐橋さんと館長
南京余唱・第26首(會津八一) 2015・6・8(月)
  木津川の岸に立ちて                       解説
   み わたせば きづ の かはら の しろたへ に 
           かがやく まで に はる たけ に けり 
      (見渡せば木津の川原の白妙に輝くまでに春たけにけり)

 この歌を思い浮かべながら、浄瑠璃寺(京都府木津川市)から観音寺(京都府京田辺市)へ国宝十一面観音を求めて車で木津川沿いを走った時を思い出す。
泰山木の花2 2015・6・7(日)
 4日にもらった蕾は6日に開いた。大きさは10cmぐらいである。期待した割には小ぶりであでやかさも無い。「同じ一日花でも月下美人の方が大きいし、いいね」、「月下美人は夜だけど、泰山木は昼に咲いてくれるからいいけど」と話してその翌日起きてくると大輪に変化していた。
 花弁の艶やかな白が素晴らしいとは思っていたが、開ききった花の大きさにはびっくりした。大きさを測ってみると23cmある。実物は下の写真の2倍近くの大きさである。びっくりの一語だ。くるみの顔が三つほど入る。
  
四日市博物館1・丹羽文雄記念室 2015・6・6(土)
 メルヘン(同級生の会)は春の奈良に続いて今年3月にリニューアルオープンした四日市博物館を訪れた。目的は新設された“四日市公害と環境未来館(2階)”だが、予想外の事などがあって楽しいものになった。
 集合は館内を観終わった12時として、午前中は各自が自由に館内を廻ることにした。
 まず3階の常設展にある丹羽文雄記念室に入った。丹羽文雄(1904~2005)は四日市出身の文化勲章受章作家で名誉市民でもある。陳列の中に数年前に読んだ作家の「日々の背信」を見つけた。ここは以前と同じだが思い入れの深いところだ。丹羽文雄は三重県四日市市北浜田にある崇顕寺で1904年に生れ、早大文学部を卒業後、一時生家の寺で僧職に就いていた。素空の母方の実家はその寺が菩提寺で、亡母との縁談の話があったと聞いている。そんなことを思い出し、また、この日のメンバーは丹羽文雄と高校が同じだと言うことに気がついた。
 ところで、22年前にできたこの博物館の今の館長は有名な洋画家・谷岡経津子(ふつこ)さん、彼女は日展会友、光風会会員で四日市大学名誉教授である。
     
枕草子(十七段~十九段)・渡は たちは 家は 2015・6・5(金)
 渡とたち(舘または太刀)と家について書く。
 渡は水上の渡し場を言う。たち(十八段)はわからない。
 多くの解説書(特に高校生用)が十段~十九段を省略している。それはそれほど面白くないからだろうし、試験にも出そうにない。
(十七段)
渡(わたりは しかすがの渡(わたり)。こりずまの渡(わたり)。水はしの渡(わたり)。」
(十八段)
「たちは たまつくり。」
(十九段)
「家(いえ)は 近衛(このゑ)のみかど。二条わたり。一条もよし。
 染殿(そめどめ)のみや。清和院(せかい)。菅原(すがはら)の院。冷泉(れいせい)院。閑(かん)院。朱雀院。小野(おの)の宮。紅梅(こうばい)。県(あがた)の井戸(ゐど)。東三条。小六条。小一条。」
泰山木の花 2015・6・4(木)
 仏像作りの先輩・Nさんの家には大きな泰山木がある。「どうですか!」と言って下の方の蕾を切ってくれた。奥さんが「あの高いところで咲いてもいい匂いがするのですよ」と10m以上ある蕾をさして言っていた。
 泰山木の切り花は初めてなので喜んでもらってきたが、とても嬉しいのは會津八一が斜め向かいに住む日本画家・大沢恒躬(つねみ)から泰山木の蕾を一つもらい花瓶に活け、短い花の命を詠った歌(寒燈集・泰山木5首)があるからだ。それを追体験できそうなのでわくわくしている。
 泰山木は一日花、「月下美人と同じね」と言いながら連れ合いが活けていた。くるみと一緒に開花を楽しもうと思う。
   泰山木(第1首)                         解説
     きぞ の よひ さして いねたる ひとえだ の 
              たいさんぼく は さき いで に けり
    (昨夜の宵挿して寝ねたる一枝の泰山木は咲き出でにけり)
  
ポーズフィラー 2015・6・3(水)
 ある落語家の枕で「えー」が多く、とても聞きづらかった。また、ラジオで言葉の後に常に「さー」をつける女性に違和感を感じた。そのことから名人・桂文楽(八代目)の修行の時の話を思い出した。
 そこでは会話のスキマを埋める「あー」「ええと」をポーズフィラーと書いてあった。
 修行時代の文楽はポーズフィラーが多く、師匠がそれを矯正する。文楽が練習している時、ポーズフィラーが1回出るとガラスのおはじきを1個文楽に投げつけた。最初は一席話し終えるとおはじきの数が70を越えた。稽古を重ねるにつれておはじきの数は減っていき、やがて0になったと言う。
 落語家は言うに及ばず、ラジオやテレビに出る人、あるいは講演などをする人は文楽を見習ってほしいし、自らも気をつけたいと思っている。
 冒頭の落語家は名人と言われた人の名を継いでいるので余計に落胆が大きい。 
フラダンス教室(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・6・2(火)
 義母(81)が通っているフラダンス教室の発表会の写真を見せてもらった。みな、思い思い、バラバラのポーズで写っているので、「自由演技なの?」と尋ねると、「ずっと同じ振り付けで踊っていた」とのことでした。
  (群馬県みどり市・平均年齢80歳のサークル、御立派です!57歳)

 80代の友人が団体でオカリナを始めた。なかなか難しいと言っていたが、1年後の発表会はオカリナ演奏ではなく、肉声での合唱だったとか言う噂がある。
6月・水無月のはじめに 2015・6・1(月)
 今日鈴虫が孵化した。いよいよ夏に向かって季節が動く。
 水無月の「無」は「の」で水の月と言う意味だと言う説と田に水を引いたり暑さで水枯れになるので水無し月だと言う説がある。新暦なら「水の月」が似合うし、旧暦なら6月下旬から8月初旬に当たるので字の通り「水無し月」が妥当だ。
 新暦6月の行事を列挙してこの月を始めよう。
  1日 (月)  衣替え 貴船祭    2日 (火)  横浜開港記念日
  4日 (木)  歯の衛生週間   
  6日 (土)  芒種(ぼうしゅ)・二十四節気の一つ
 10日 (水)  時の記念日     16日 (火)  和菓子の日
 21日 (日)  父の日        22日 (月)  夏至   
 28日 (日)  貿易記念日     30日 (火)  夏越しの祓

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