良いお年を 2015・12・30(水)~31(木)
 一年のお付き合いありがとうございました。今年もなんとか「独り言」を続けることができ、ほっとしています。ブログのネタに窮することが多々ありますが、来年も続けていきたいと思っています。週一ぐらいにすれば楽だろうけど、それでは書け無くなってしまいそう。どうぞ、お付き合いを!
 来る年が輝いていることを願って、今年の独り言を終わります。
  
今年を振り返って・仲間たちと 2015・12・29(火)
 同級生の会、仏像彫刻の会、スキー・ゴルフの仲間、親類、個人的な友人、日々言葉を交わす近隣の人達、仕事上で付き合う人たちとの交流が一年を支えてくれた。
 もともと交際が広い方ではないし、付き合えないなと思った人からは遠ざかってきたので友人知人は少ない。自分が正しいと自己中心に生きてきたが、年と共に人を嫌ったり、差別したりする気持が無くなってきた。
 「ふれ合う人は皆友人」などと仏さんのような気持になってきた。自分が無くなった府抜けのような気もするが、今はこの穏やかな気持に満足している。この気持を大切にして来年を迎えたい。
今年を振り返って・安保法制(安全保障関連法制) 2015・12・28(月)
 今年最大の事件は戦争法とも言える安保法制が国会で可決されたことだ。だれでも好き好んで戦争(殺し合い)をしたいわけではない。平和な世の中が一番良い。場合によっては実際に兵士としてかりだされる幼い孫たちの将来を思うと暗然とする。
 先の戦争の中身を歴史を紐解きながら眺めれば、そこに存在する不条理に誰もが気がつくはずだ。
 戦争への道を開こうとする現政権の支持率の高さにもびっくりする。今の人は何も考えずに時代の波に流されているようにみえる。
 節目節目に考えることを強いられ、どういう行動をするのか問われ続けてきた団塊の世代は化石になったのだろうか。
今年を振り返って・運動不足 2015・12・27(日)
 今年はなんとなく家にいることが多かった。スキーやゴルフは例年どおりに行ったが、週一で出かけていたハイキングは無しになり、月一のノブ君ハイキングだけになった。だから、万歩計の数値が設定した数値にほとんど届かない。
 運動不足だけでなく、体力も衰えた。小学校の時に何十回と出来た懸垂が全く出来なくなり、ノブ君と遊んだロープをつかんで移動する遊具も無理だった。年を取ったからと言えばそうだが、情けない。磨きがかかってきたのは口先だけ。
 挙句に先日から持病の腰痛が再発した。スキーシーズンなのにスキー板のホットワックスも行っていない。ただ、暖冬でスキー場は閉鎖状態、神様が素空のためにオープンを先延ばしにしてくれているのだと思っている。
やむを得ない投稿(中日新聞・つれあいにモノ申す)
                            
2015・12・26(土)
 物忘れした体験を妻に話すと「おもしろい。つれあいに出したら」と言う。そこでパソコンに向かってみて困った。どんな話か思い出せない。妻に聞いたが覚えていない。仕方がない。そのことを投稿しよう。
                     (次は思い出します・67歳)

 今思ったことをすぐに忘れ、物を置いた場所がすぐにわからなくなる。固有名詞を忘れ、暗記もほとんど出来なくなった。昔、年寄りを馬鹿にしたことを今反省している。
星占い6・八一の歌の意味(完) 2015・12・25(金)
 太陽を詠む(第2首)
   おほそらの獅子の宮居にやどる日のゆうをよき日とあをうましけむ
 星占いから考えて、意味は
 「太陽が獅子宮(獅子座の方向にある7月23日ー 8月22日)にある時の夕方を良い日と定めて私を生んでくれたのであろう」となるだろう。
 太陽を詠むの第1首は
   ひのかみのこがねのむちにおどろきてそらにみだるるあかつきのくも
 「夜明けの太陽の輝く陽射しに驚いたように暁の雲が乱れている」と言う意味だと思うが、歌としては2首とも凡作である。
 八一の解説ページの読者の質問に、西洋占星術の仕組みを学習しながら上記の結論を出した。
 「世の中には知らないことが多い」が感想だが、連れ合いに「獅子座、知っているよ。私が生まれた時だよ」と言われた。
その心は?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・12・24(木)
 年を取ると、目も歯も耳も悪くなる。そんな話をしているとき、夫に「補聴器はまだいらない?」と聞くと「それより耳栓がほしい」。それって、私がうるさいってこと?(そんなにおしゃべりじゃない妻・66歳)

 A先生は耳が遠いが「奥さんの小言は聞こえないふりをする」とユーモアのある発言をされる。素空も耳が遠くなったのか連れ合いに「(テレビの音を)もう少しあげて!」とお願いするのが日課になっている。
星占い5・西洋占星術2 2015・12・23(水)
 占星術を地球を中心にし、太陽が動くと考えると以下になる。
 地球から見て、太陽が一年かけて地球の周りを一周する時に描く天球上の大円を黄道といい、これを一二等分したものが十二宮で、太陽が一カ月ごとにこれらの宮を順に移動すると考えられた。それぞれ星座の名前でもって呼ばれ、それが占星術の十二星座になっている。
 誕生時に太陽が十二宮のどの宮(サイン)に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占う。
      
 獅子座は
生まれながらにしてリーダーの気品と風格を備えておりグループの中でも自然と中心になっていることが多い。性格は優しく、正義感も強いため、一見、欠点がなさそうにも見えますが人の目を気にする一面も。意外と繊細で子供っぽい性格
 八一が「おれはもともと獅子座の住人だ」と言った意味がよく分かるし、現実に獅子座の人間のように生きた。
                              Ciroちゃんと・くるみ(12・22)
旅愁・第6首(會津八一) 2015・12・22(火)
 汽車より善光寺をのぞみて(第1首)                 解説
  みすずかる しなの の はて の くらき よ を
              ほとけ います と もゆる ともしび
  
 明治から大正初期、東京から新潟へは長野廻りだった。帰省の途中で詠んだ歌と思われる。 
枕草子(四十七段)・馬は 2015・12・21(月)
 お(を)かし(趣がある、興味深い、心が引かれる)と思う馬を列挙する。馬は身近であった。最近は、なかなか見ることができない。
 文中、「葦毛」は白に青や黒の毛の混じった馬。「ゆうがみ(
木綿髪)」は馬のたてがみの白いものや雪降り髪を言う。
(四十七段)
 馬(むま)は いと黒(くろ)きが、たゞいさゝか白(しろ)き所などある。紫の紋(もん)つきたる。蘆毛(あしげ)。薄紅梅(うすかうばい)の毛(け)にて、髪(かみ)、尾(お)などいと白(しろ)き。げに「ゆふがみ」ともいひつべし。黒(くろ)きがあし四つ白(しろ)きもいとお(を)かし。
 馬はとても黒くて、ほんの少しだけ白い所があるのが良い。紫色の斑点のある馬(も良い)。葦毛の馬。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などが真白の馬。こんなのは本当に「木綿髪(ゆうがみ)」とでも言えるだろう。黒くて、四つ足が白い馬も、とても面白い。
夫の指輪(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・12・20(日)
 病院の検査のとき、指輪を外してなくした夫。「簡単になくすなんて」と怒る私に真顔でひと言。「独身だと思われるかなあ」。一体、だれが、そんなこと思います?(怒る気がうせた妻・64歳)
 
 結婚指輪なるものは持っていない。だけど、誰も独身とは思ってくれない。連れ合いにはゴールドの指輪を送ったが、人気はプラチナと言う。あるネットで順位は以下になっていた。
  1 プラチナ(78%) 2 ピンクゴールド(8.5%)
  3 ホワイトゴールド(3.8%) 3 プラチナとゴールドの合金(3.8%)
  5 シルバー(2%) 5 ゴールド(2%)
                          MIMからイオン常滑(12・18)
星占い4・西洋占星術1 2015・12・19(土)
 「獅子の宮居」とは獅子座(7月23日ー 8月22日)の事だと言うことにたどり着いたが、事は簡単ではない。若い時から「占い」に関心がなかったので星占いを理解するまでに時間がかかった。わかっているのは8月1日生れの八一は占星術で獅子座(生れ)と言うことだけ。
 西洋占星術について国立科学博物館のHPから以下を転載する。
 「ある人の誕生日と星座を結びつけ、その人の性格や運勢を占うのが星占い、西洋占星術とよばれるものです。
 太陽や月、惑星は星座を作る星(恒星)とことなり、星座の間を動いて行きます。そこで占星術では、生まれたときにこれらの天体が位置する星座の性格が、その人の一生を決めると考えます。特に、私たちの生活にもっとも影響する太陽の位置する星座が、基本的な運勢・性格を決めています。星座の中で太陽の動くみちすじを黄道とよびますが、黄道にそった12の星座を黄道12星座とよんでいます。じっさいの星座には大小があり、太陽が位置する期間もまちまちなので、占星術では星座(Constellation)のかわりに宮(Sign)とよび、1年を12等分して黄道12宮とよびます。
 星座(宮)の性格とは、その名前から連想される性格です。たとえば、しし座は勇猛な性格、てんびん座はかたよりなくバランスをとる性格、というように説明されます。・・・
・」
      
旅愁・第5首(會津八一) 2015・12・18(金)
 信濃の野尻なる芙蓉湖に泛びて                   解説
  しまかげ の きし の やなぎ に ふね よせて
              ひねもす ききし うぐいす のこゑ

 野尻湖にある琵琶島(弁天島)のあたりでのんびりと自然に浸る。
ねうねう 2015・12・17(木)
 11月の天声人語で、ペットとしての猫が犬を抜きそうだと書き、「日本文学史を闊歩(かっぽ)する素晴らしい猫」が2匹いる(丸谷才一)と紹介していた。一匹は漱石の「吾輩」、もう一匹は若菜(源氏物語)に登場する女三の宮の愛猫「ねうねう」。
 これには少し驚いた。一つは若菜は昔、娘が生まれたら付けようと思っていた名前だったこと。もう一つは数年前に円地文子訳の源氏物語を読んだのに「ねうねう」がわからなかったこと、さらに言えば若菜の内容もほとんど思い出せなかったことだ。
 と言うことで、せめて若菜だけでも読んでみようと原文と円地訳の2冊を本棚から探し出した。ところが原文(古文)は100ページ、円地訳は300ページある源氏物語中最長の巻だった。思いつきで本を撰ぶ悪い癖(枕草子に悪戦苦闘中)だが、読み終わるのはいつになる事やら。
 ところで若菜の紹介を以下に書いておく。
 若菜は、「源氏物語」の第34帖(全54帖)。巻名は、光源氏の40歳の祝いの席に養女の玉鬘(たまかずら)が若菜を差し出したことおよび光源氏の若菜を詠んだ歌による。
 朱雀院は最愛の娘・女三宮(13歳)を光源氏に嫁がせる。源氏(40歳)の正妻である紫上は衝撃を受ける。蹴鞠(けまり)を催した際、柏木(内大臣の長男)は、猫(ねうねう)の飛び出した御簾の影に女三宮の姿を見て、その美しさに想いを募らせる。(若菜上)
  紫の上が病に臥し、源氏はその看護に専念する。その間に柏木はかねての思いを遂げ、女三宮を懐妊させてしまう。柏木が女三宮に送った手紙を手にした源氏は事情を知って懊悩する。 柏木は良心の呵責に悩み、病に倒れる。(源氏41~47歳) (若菜下)
オレオレ詐欺(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・12・16(水)
 銀行の窓口で30万円をおろした。念のため「オレオレ詐欺ではありませんよ」と告げると、若い女性行員はにっこり笑って「はい、詐欺が疑われるのは、もっと高齢で、もっと高額です」。高齢には納得がいったが、高額には耳まで赤くなった。    (川崎市・私にとっては高額だったのに・51歳)

 銀行は連れ合い担当なので分からない。だけど、店舗改装でお金が要った時は根掘り葉掘り聞かれたのは覚えている。
星占い3・古代ギリシャへの憧れ 2015・12・14(月)
 少し星占いからそれるが、八一が「日本希臘学会」(大正9年)を設立した翌年、長野の山田温泉で詠んだ「山中高歌10首」の第6、7首を紹介したい。古代ギリシャの神々に精通した歌である。
  いにしへ の ヘラス の くに の おほがみ を
           あふぐ が ごとき くも の まはしら
     第6首
      (いにしへのヘラスの国の大神を仰ぐがごとき雲の真柱)
 「古代ギリシャの偉大なゼウスの神像を仰ぎ見るような雲の柱であることよ」と詠み
  あをぞら の ひる の うつつ に あらはれて
           われ に こたへよ いにしへ の かみ
   第7首
      (青空の昼のうつつに現れて我に答えよ古の神)
 「青空が広がるこの現実の世界に姿を現して、憂患の中にある私の呼びかけと問いに古代ギリシャの神よ、答えてください」と叫んだ。
 「この時代は、兄のギリシャが奈良の弟をいつも連れそって歩いていた」(植田重雄)が、この後、八一は奈良美術の研究に没頭して行くのである。
 話を星占いに戻そう。
                   (明日第3火曜日は独り言を休みます)
         
K君宅ー垂坂公園ーオビジャスー田ー
                トミジャスー安達先生宅ー日之出ーカインズ
家庭内の優先順位(中日新聞・つれあいにモノ申す)
                        
2015・12・13(日)
 ネコに餌をあげようとすると、夫が「コーラ取ってくれ」。先にネコに餌をあげると「俺よりネコが先か」と夫。もちろんです。それに、あなたは自分で取れるでしょ。(やっと気付いたのね・60歳)

 全く同じ、愛犬・くるみは大事なお嬢様、素空はくるみの下処理係。
夫(つま)を詠う 2015・12・12(土)
  わが家の 角まがるとき 樟(くす)匂ふ 
                 不動明王 夫の彫るらし   
安達洋子
 樟、楠(クスノキ)は古代から仏像の材料である。木目が美しいし、大木があるので大きな作品にも適している。この木のもう一つの特徴は独特の芳香を持ち、樟脳(しょうのう・防虫剤や医薬品等に使用)の材料であること。仏像作りはその防虫効果も考慮している。
 素空もひのき材からクスノキ材になった時、部屋中にその香りが充満し、廊下まで流れたその匂いに、連れ合いが驚いていたことを覚えている。
 上記の歌は仏像作りの師・安達先生夫人の作である。この作は夫人の鋭い感受性もあるが、一心に不動明王を彫る夫への信頼と尊敬が存在する。言いかえれば、愛する夫の姿を詠みあげたと言える。
 この歌は随分昔に夫人から頂いた短冊に書かれている。今回、それを不動明王と一緒に板に彫ってみた。ただ、歌の字を白くするのが難しく、夫人の字を損ねてしまった。               作品へ
旅愁・第4首(會津八一) 2015・12・11(金)
 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第3首)         解説
   よるべ なく おい に し ひと か やまかげ の
              をだ の はすね を ほり くらし つつ

 東京から教師として赴任した新潟で年老いた農民の蓮根掘りの姿に心を動かされる。 
星占い2・獅子座の人 2015・12・10(木)
 英語教師をした新潟で星座を研究した八一にはこんな俳句がある。
    「日の暮れて獅子座に飛ぶや赤蜻蛉
    「星ならば君は何星夕涼み」(先輩の博士を偲んで)
 新潟から戻った早稲田中学教師時代に少しの間だったが「古代希臘学会」(大正5年)から「日本希臘学会」(大正9年)を設立し会長として活動する。その頃に「おれはもともと獅子座の住人なのだが、縁あってこの地球に生れてきた。縁尽きれば、またわしは獅子座に帰ってゆくのだ」と八一は言っている。
 星座を研究した八一が獅子座の住人と言うことは、彼は星占い(西洋占星術)にも精通していたと思われる。占星術で獅子座は、7月23日ー 8月22日に生れた人の性格や相性、運命を占うとある。八一は8月1日に生れている。
評判のいい人(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・12・9(水)
 「野良猫がまた、ふんをした」とブツブツ言う夫。「むやみに餌をあげるのは近所迷惑」と、新聞の発言欄に投書することを提案すると、「名前載るだろ。俺はいいじいさんで通したいから、おまえ出してくれ」。
                              (私は悪役・69歳)

 所かまわず糞をする猫は嫌われるようだ。飼い主が糞を処理しない犬も困る。ところで我が家は「いいじいさん、いいばあさん」でいたいから文句は言わないようにしている。
星占い1・歌の意味がわからない 2015・12・8(火)
 太陽を詠む(第2首)
   おほそらの獅子の宮居にやどる日のゆうをよき日とあをうましけむ
 上記の歌は會津八一の歌。本人が没にしたものだが、彼の死後、拾遺の中に取り上げられている。メールでこの歌の意味を問われたが、さっぱりわからない。
 八一だから、日本の古代に関係があるだろうと「獅子の宮居」を友人の宮司に聞いたがわからない。
 とりあえず、直訳して「(太陽が)大空の獅子の宮(住家)に泊まる(沈む)日の夕方を良い日だとして私をお産みになったのだろう」としたが、全く意味をなさない。
 その後、八一が大学卒業後英語教師として赴任した新潟の寒村(板倉村)で星座を観測していたことを思い出した。学生時代に小泉八雲に学んだ詩人キーツ(卒論になっている)などから古典ギリシャへと進み、ギリシャ神話の神々の名がつけられている星座に興味を持ったのは自然だ。
 「獅子の宮居」とは西洋占星術の星座(獅子座)の事だったのだ。
 八一は板倉村で5年過ごしたが、その時星座の研究に時間を割いている。「田園に灯をとぼして夜な夜な狸が立っている」と言う噂が立ったが、それは提灯を持って星図を読み、星を見ていた八一だった。
 当時の親友への手紙で失恋した彼女(渡辺文子)を「(君と)我が恋ふる人とをたとえなば、・・・・、彼女は北天のLyraか」と書いている。
                “Lyraは琴座(りらざ)の星”        続く
枕草子(四十六段)・職の御曹司の 2015・12・7(月)
 清少納言と「三蹟」と呼ばれる藤原行成は恋人同士と思われるほど仲が良かった。(三蹟は藤原行成、小野道風、藤原佐理)
 46段では中宮職の役所での2人の事を書くが、長くて分かりにくい。この当時、女は顔を男に見せないことがしきたりだったが、ここでは藤原行成に清少納言が顔を見られたと書いている。
 難しいところもあって、女房達の不評を買う所もあった藤原行成を清少納言は評価し認めている。(原文と訳へ  
 なお、2人の仲の良さは129段にも描かれる。そこでは百人一首にある
  「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」
を詠んだことが書かれている。この歌は藤原行成に送った歌である。
 なお、清少納言は藤原行成より5~10歳ほど年上だったと言う。
旅愁・第3首(會津八一) 2015・12・6(日)
 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第2首)        解説
   さよ ふけて かど ゆく ひと の からかさ に
              ゆき ふる おと の さびしく も あるか

 下宿の2階から通り行く人の唐傘に降る雪の情景を詠う。詩的な情景が浮かぶ印象的な歌だが、都会から寒村に来た八一の淋しさも感じられる。
お茶が甘い 2015・12・5(土)
 食事の時、煎茶を入れるのは素空の役目。湯ざましをして万古焼の急須に入れ、時間をかけ湯のみに入れる。出すのをよく忘れ「早く入れてよ」と催促される。
 先日、時間をかけて入れたお茶の味が異常に「甘い」ので「何か添加物が入ってない?」と連れ合いに言うと目の前に「玉露」の袋がさしだされた。煎茶だと思っていたので、玉露の甘みとは思いもよらなかったのだ。
 日本茶の最高級品とされ、光を覆って(70~90%遮光)栽培した葉を用いて製造する玉露は、独特の覆い香と言われる香りと甘みとコクのある味わいのあるお茶。玉露を初めて飲んだのは小学校の時、祖母に連れられて行った万古焼の陶工の茶室、長い時間かけて出てきたその味は未だに忘れられない。しかし、大きくなってからはほとんど飲んだことは無かった。
 ところで煎茶は遮光しないで作った程よい渋みと爽やかな香りあるすっきりとしたお茶、日本の流通量の80%以上を占めると言われている。かぶせ茶は玉露と煎茶の間を言う。
 ついでにネットにあった「玉露のおいしいいれ方(2人分のいれ方)」を以下に書いておく。
   茶葉の量 6g   湯の量 100ml   湯の温度 60度
    (常温の急須に入れたお湯を湯のみにいれるとよいーゆっくりとー)
   浸出時間 2分 (さました湯を急須にいれて)
花? 私?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・12・4(金)
 庭の手入れをしていると、通り掛かった人が「いつもきれいですね」と褒めてくれた。すがすがしい気分の私に、「あんたのことじゃないよ」と近くにいた夫。(分かっとるわ!・58歳)

 関宿で家の前にきれいな花を並べている年配の女性に面と向かって「きれいですね」と言ってみた。「ええ」と言いながら怪訝な顔をしたので、上記の「花? 私?」を紹介した。
日録 20世紀(1931・昭和6年) 2015・12・3(木)
 1931年のグラビアは
  ◦ 「満州事変」勃発!
  ◦ 「カジノ・フォーリー」「ムーラン・ルージュ」の輝き
  ◦ 子供が育てた「のらくろ」「黄金バット」人気!
  ◦ “摩天楼”エンパイヤ・ステート・ビル完成!
 日本軍(関東軍)は柳条湖事件を起し、中国・満州で軍事侵攻を開始、敗戦までの15年戦争に突入する。歴史の事実として、また戦争に対する反省としてきちんと記憶しておくべきである。
 軽演劇ブームの中心、カジノ・フォーリーは榎本健一(エノケン)が率いた東京浅草の軽演劇団だった。新宿ではパリのレビュー小屋「ムーランルージュ」を模して作られたムーラン・ルージュ(新宿座)が人気を博した。
 「のらくろ」「黄金バット」、名は知っているが漫画そのものは読んだことががない。
 有名なエンパイヤ・ステート・ビルは高さ381m、現在の最も高いビルは828mのブルジュ・ハリファ (UAE)である。
旅愁・第2首(會津八一) 2015・12・2(水)
 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第1首)        解説
   むらびと が とがま とり もち きそひ たつ
              あした の はら に きり たち わたる  

 大学を卒業した八一は故郷新潟の有恒学舎(現県立有恒高等学校)に教師として赴任する。5年後に早稲田中学の教師になるまでここで暮らす。
喪中葉書 2015・12・1(火)
 師走とは「忙しいので師=先生が走る月」と思っているが、語源はいろいろあるようだ。語源がどうあろうと喪中葉書などが届き、年賀状作成が浮かんで気ぜわしくなる。
 18歳の時、友人Hと一緒に受験勉強のため40日滞在した奥飛騨の民宿(学生村)の奥さんが亡くなったと喪中葉書が届いた彼女は僕ら二人と同い年で、食事や日常の世話をしてくれた。閑な時は一緒にゲームをして遊んだりもした。長男の誕生にも立ち会い、名づけを旦那さんに相談されて「進さんの長男だから進一では?」と言ったら、それが採用された時には驚いた。その後20年ぐらいは家族付き合いをしていたが、今は賀状だけになっていた。
 賀状だけの付き合いになってもいつもその夫婦には会いたいと思っていた。2月に近くの「ほうのき平スキー場」まで行ったので足を伸ばして会いに行けば良かったと悔やまれる。その民宿に遊びにやってきたノブ君パパは覚えていて、その当時の事を2人で懐かしんだ。
 喪中葉書もいろいろあるが、心を動かされた一つであり、青春時代がいろいろと浮かんできた。

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