11月の終わりに 2015・11・30(月)
 今月は暖かかった。10月に人工雪を使って早々と開業した奥美濃のスキー場、4日ほど前は積雪が20cmまで減って、リフトの乗り降りは道具を手に持って行い、雪面まで歩いて欲しいとネットで書いていた。ただ、その後の初雪ですこし回復したらしい。
 紅葉もずいぶん遅れたようだ。今年は遠出をせず、近くの銀杏や桜の紅葉を見ていた。きれいな紅葉はもっぱらメディアで楽しんだ。
 さて、明日から師走、この言葉を思っただけでせわしい気分になる。
枕草子(四十五段)・おのこは 2015・11・29(日)
 身分の低い男を従者としない貴公子で、しかも下襲(服)の裾が短いのをみっともないと言う。この当時、服の後ろの長さは身分によって決められていたと言う。文中の弁官(太政官の事務官僚)は高位では無かったので、短かった。清少納言に気にいられるには随身を引き連れ、後ろの長い服の高官でなければいけないようだ。
(四十五段)
 おのこ(を)は、又、随身(ずいじん)こそあめれ。いみじう美々(びゝ)しうてお(を)かしき君達(だち)も、随身なきはいとしらじらし。弁などは、いとお(を)かしき司(つかさ)に思ひたれど、下襲(したがさね)のしりみじかくて、随身のなきぞいとわろきや。

 男(身分の低い男)では、随身(警護に当る従者)が勝れているでしょう。たいそうきらびやかな服装で見事な貴公子でも、随身を連れていないのでは、見栄えがしない。弁官(太政官の事務官僚)などは、たいへん魅力のある官職だと思っているのですが、下襲の裾が短くて、随身もいないので、みっともない。
読書の秋は(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・11・28(土)
 推理小説だけでなく、怖い本やホラー映画も好きな妻。夜中に読んだり見たりして、夜中に「うーん」とうなされる。頼むから「あー、怖かった」と私を起こすのはやめてください。       (睡眠不足の夫・65歳)

 「あー、怖かった」と起されることは無いが、寝ながらのパンチやキックは遠慮して欲しい。
                   ベルファームと松阪城址(ノブ君ハイキング)
生方たつゑ 2015・11・27(金)
 戦後女流歌人の第一人者、生方たつゑ(1905~2000年)を歌人石本隆一は新聞にこう書いた。「生方たつゑ氏は、三重県伊勢の温暖な地に生まれ、日本女子大学家政科を卒業されたのち、雪深い上越国境近くの沼田の旧家に嫁がれた。そののち十年近くを風土の落差と、人間関係の違和におびえ、その負を埋めるべく歌作を始められたという」 
 彼女はアララギ派の今井邦子に師事し、1936年に歌誌『明日香』創刊に参加。上州の厳しい風土を感じさせる緊張感に満ちた作品群は「硬質ガラスの叙情」と形容された。
   傷舐めてゐるけだものも濡れてをり
               時雨してかの石もぬれゐる

 けだものとは多分身近な野良猫や野良犬をさすのだろうけれど、それは作者自身の姿だろう。
 仏像を詠った生方たつゑの歌に出会った。
   いのち噴く季(とき)の木ぐさのささやきを
               ききてねむり合ふ野の仏たち

 早速、安達洋子先生に書いていただき、野仏を想像して彫ってみた
旅愁・第1首(會津八一) 2015・11・26(木)
 軽井沢にて                               解説
   からまつ の はら の そきへ の とほやま の      
              あをき を みれば ふるさと おもほゆ

 軽井沢から見える山の向こうは八一の故郷新潟である。
「日吉館をめぐる文化人 會津八一と奈良」展 2015・11・25(水)
 同窓会を11月に企画した奈良の友人・鹿鳴人が早稲田大学會津八一記念博物館で開催(10月17日~11月28日)されている展覧会の印刷物「日吉館(79頁)」を送ってくれた。
 會津八一や多くの文化人の宿として愛された奈良の日吉館(1914~1995)は今はもう無い。名物女将の田村キヨノさんは1988年に88歳で亡くなっている。素空が「会津八一の歌と解説」を始めた時はもう廃業しており、建物しか見ることができなかったが、それも今は無くなっている。寂しいことだが、展示された八一の手紙や宿帳を見ていると日吉館に一度は泊まってみたかったと思う。
 八一の日吉館宛書簡1(昭和4年・1929年)にはこう書いてある。
來る二十日夜 拙者早稲田大學學生十二名を同伴して貴館に着し三泊御厄介に相成度候 板橋君も同行の筈にて候宿泊は一泊一円五十銭づゝにて御ひきうけ被下度候
 また田村キヨノさんについてウィキペディアではこう書いている。
戦後は1980年代になっても1泊2食付き2000円という破格の宿泊料で、夕食は常にふんだんに肉や野菜を入れたすき焼きであった。また向学心・探求心を持つ宿泊客を好み、朝になっても起きてこない客に「奈良には勉強するために来たんでしょう」と言って布団を片付けたという逸話も残されている』 
 貰った印刷物にはすき焼きを作るキヨノさんの写真が載っている。
 (なお、日吉館については“春日野にやどりにて・・・”を参照)
林家菊丸・落語会(諏訪神社) 2015・11・24(火)
 3代目菊丸を襲名した染弥の5回目の落語会である。1年にわたる襲名披露公演を経て、一回り大きくなった彼の落語を聞いた。四日市文化会館の大ホールでの襲名披露とは違い、畳に座って身近に聞く落語は違った味があって楽しい。
 演じた噺は二つとも素空には初めてのものだった。枕も面白いし、観客を引き込む力を持っている。連れ合いや友人たちと笑い転げていたが、途中で急用ができて退座してしまった。噺が本題に入ったところだったので菊丸には申しわけなかったと思っている。少ない観客なので途中で動くとよく目立つ。
   
太る原因(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・11・23(月)
 大阪で働いている長女(36)が帰省した。今までで一番太った様子で、ぽっちゃりしている。「妊婦と間違えられん?」と冷やかすと、「この前、電車で席を譲られた」という。「そりゃさぞかしショックだったろう」と聞くと、「ラッキー!って喜んで座った」。あかん、これが太った原因か……。
          (三重県熊野市・考え方の問題だったのか・66歳)

 血糖値が高いので食事制限をしているが、先日ジーパンを買おうとウェスト73をもってきたら大きい。70でぴったりだったけど、さすがにびっくり、ショックではないが、食事もそこそこに栄養不良で走り歩いていたガリガリの若い頃と同じとは。
                          占領・くるみ(11・22)
救急車を追う 2015・11・22(日)
 遠方から来た知人の動きがおかしかったので、連れ合いが救急車を呼び素空に連絡してきた。今までの経験から、絶対安静にして救急車を待った。救急隊員がその場で応急処置をし、病院(三重県立総合医療センター)へ向かった。連れ合いが救急車に乗り、素空が車で追いかけることにした。
 消防署の人に「救急車について行きますよ」と言うと言下に「無理ですよ」と言う。「なぜ?」と思いながら、後ろについて国道一号線に入ると赤信号で沢山の車が止まっており、それらを上手に避けながら救急車は走って行き、あっという間に見えなくなった。なるほど「無理なのだ」と思いながら、抜け道を走って病院へ向かった。距離は6km弱だったが、素空が着いた時は処置を終えた救急車は帰って行くところだった。
 翌日、長年地域の消防団員をしていた隣人に話すと「(消防団員は)ライトを付けてすぐ後ろをついて行けば良いと昔は言ったけど」と言う。「でも違法かな?」とも言う。
 知人は軽い脳溢血で今は一般病棟に移った。左に軽い麻痺があるのでリハビリに入ったと電話をしてきたので、昨日病院を訪れ、いろいろ話をし励ましてきた。
枕草子(四十四段)・殿司こそ 2015・11・21(土)
 殿司(とのもづかさ)とは後宮の清掃・乗り物・灯火など司る役所。また、その女官。ここでは女官をさしている。その下仕えの女官の若くて可愛らしい顔をした一人を自分が世話を焼いてみたい。衣装も季節に応じて新調し、流行に遅れないようにして宮仕えさせたいと言う。
 可愛い娘を世話焼きたい。いつの時代にでもあるのだろうね。
(四十四段)
 殿司(とのもづかさ)こそ、猶(なほ)お(を)かしき物(もの)はあれ。下(しも)女のきはは、さばかりうら山(やま)しき物はなし。よき人にもせさせまほしきわざなめり。わかくかたちよからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからんかし。すこし老(お)いて物の例(れい)知(し)り、おもなきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。
 殿司(とのもづかさ)の、顔(かほ)愛敬(あいぎやう)づきたらん、ひとり持(も)たりて、装束(しょうぞく)時にしたがひ、裳(も)、唐衣(からぎぬ)などいまめかしくてありかせばや、とこそおぼゆれ。

 殿司は、これ以上ないほど優雅な役職である。後宮の下仕えの女官では、これほど羨ましいものはない。身分の高い人にも、ぜひ勤めてさせてみたいくらいだ。若くて美しい人が、身なりを立派に整えてこの職を務めたなら、更に素敵に見えるだろう。少し年取っていて宮中の先例について良く知り、テキパキ仕事をこなしているような人は、この仕事にふさわしくて見事だ。
 殿司の可愛らしい顔をした人を、一人自分が世話を焼いて、衣装も季節に従ったものとし、裳・唐衣なども今風の流行に見合ったものにして宮仕えさせてみたいと思われることだ。
嫁さんさえ・・・ 2015・11・20(金)
 貰いものの柿を持って隣家に行くと70代の夫婦は車で出かけるところだった。「家の戸締りした?」と助手席の奥さんが言う。「戸締りか!嫁さんさえ取られなければいいよ」と旦那が言った。
 これには奥さんと一緒に笑い転げた。素晴らしいジョークだ。世の男性みんなが、こんなしゃれた言葉を発すれば、夫婦円満だ。
 奥さんは末期の肝臓不全で娘さんの肝臓を移植した。術後の経過が悪く、長い間寝ていたが、リハビリを行って最近やっと歩けるようになり、元気な日常を過ごしている。
 「嫁さんさえ取られなければいいよ」は、この闘病生活を支え続けた旦那に培われた本心だろう。
鹿鳴集・旅愁(會津八一19首) 2015・11・19(木)
 会津八一の鹿鳴集・旅愁(19首)は旅の歌。
 早稲田大学文学部英文科を卒業し、新潟県中頸城郡(なかくびきぐん)板倉村(現上越市板倉区)の有恒学舎(現県立有恒高等学校)に英語教師として赴任した翌年明治40年(1907年)から大正15年(1926年)までの旅の歌で、作者27~46歳までの作品である。
 1 軽井沢にて
      からまつ の はら の そきへ の とほやま の
                 あをき を みれば ふるさと おもほゆ 
 2 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第1首)
      むらびと が とがま とり もち きそひ たつ
                 あした の はら に きり たち わたる  
 3 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第2首)
      さよ ふけて かど ゆく ひと の からかさ に
                 ゆき ふる おと の さびしく も あるか 
 4 越後の中頸城(なかくびき)に住めるころ(第3首)
      よるべ なく おい に し ひと か やまかげ の
                 をだ の はすね を ほり くらし つつ 
 5 信濃の野尻なる芙蓉湖に泛びて
      しまかげ の きし の やなぎ に ふね よせて
                 ひねもす ききし うぐいす のこゑ 
 6 汽車より善光寺をのぞみて(第1首)
      みすずかる しなの の はて の くらき よ を
                 ほとけ います と もゆる ともしび 
 7 汽車より善光寺をのぞみて(第2首)
      の の はて の てら の ともしび のぞみ きて
                 みち は やまべ に いらむ と する も
 8 習志野(ならしの)にて馬に乗り習ふころ
      かすみ たつ のべ の うまや の こぼれむぎ
                 いろ に いづ べく もえ に ける かも 
 9 勝浦の浜にて(第1首)
      いそやま や けさ みて すぎし しろうし の
                 くさ はみて あり おなじ ところ に  
 10 勝浦の浜にて(第2首)
      みなぞこ の くらき うしほ に あさひ さし 
                 こぶ の ひろは に うを の かげ ゆく
 11 塩原温泉途上
      なづみ きて のべ より やま に いる みち の
                 みみ に さやけき みづ の おと かな
 12 鎌倉長谷のさるかたに宿りて
      かぜ のむた ほとけ の ひざ に うちなびき
                 なげく が ごとき むらまつ の こゑ 
 13 尾張篠島をおもふ(第1首)
      まど ひくき はま の やどり の まくらべ に
                 ひねもす なきし ねこ の こ の こゑ 
 14 尾張篠島をおもふ(第2首)
      きみ と みし しま の うらわ の むし の ひ の
                 まなこ に ありて ととせ へ に けり
 15 滋賀の都の址に遊びて後に同行の人に送る
      みづうみ の きし の まひる の くさ に ねて
                 きみ が うたひし うた は わすれず 
 16 讃岐の海岸寺にやどりて病める北川蝠亭によみて送る
      いそやま の あをばがくり に やどり して
                 よる の うしほ を きき つつ か あらむ 
 17 大和安堵(あんど)村なる富本憲吉の工房に立ちよりて
      いかるが の わさだ の ころ にかりほ して
                 はに ねらす らむ ながき ながよ を
 18 大和のさるかたにて
      みづがめ の ふた の ひびき も うつろ なる
                 てら の くりや の くれ かぬる ころ
 19 京都東山のあたりをおもひて
      はる と いへど まだしき れんげわうゐん の
                 ひとき の やなぎ もえ いで に けむ 
親戚・親族の呼び名 2015・11・18(水)
 友人のメールに「孫一人に両親、祖父母などが参加する運動会」とあった。我家では孫が来るとジジババの兄弟まで参加する。素空(ジジ)の兄はどう呼ぶのだろうと調べると「大伯父」だった。それなら兄の奥さんはどう呼ぶのかと思った。義理の「大伯母」だろうけど、煩わしいので「義理」は省略しても良さそう。
 先日、義理の叔父さんの37回忌があり、兄が参加したので小さな円空仏を作って元気な叔母に渡してもらった。他のオジオバは全て鬼籍に入っているので、たった一人存命の大事な叔母である。
 孫から見たら、この叔母は「曾祖叔母(そうそしゅくぼ)」と呼ぶ。「大叔母」は「おば」と読むのに「しゅくぼ」と読むのだそうだ。
観仏と白衣観音 2015・11・16(月)
 観仏とは、心に深く仏を観想すること。會津八一の鹿鳴集に観仏三昧28首があり、彼は冒頭で 「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと」と記している。
 白衣観音(びゃくえかんのん)は、安達先生のページに「白衣をまとい、本来は白の蓮華上に座す。息災延命や安産、育児などの祈願の本尊として崇められている」と書かれている美しい観音である。
 「心に深く仏を観想する」ときは美しい白衣観音が良いと思う。ほとんど信心のないアマチュアの仏像作りが考えた俗っぽい、素直?な形である。
 「観仏と白衣観音」を平らな板に彫ってみた。     観仏と白衣観音へ

                      (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                           
九華公園ー柿安ーカインズ
 
関宿と昼食 2015・11・15(日)
 同級生と東海道47番目の宿場である関宿を訪ねた。観光駐車場から町並みに入り、西の端にあたる西追分・休憩施設まで歩く。いつもはいろいろな施設がある東の方に歩くのでどうしても西の方へ歩きたかった。皇帝ダリアやいろいろな花があちこちに咲いていて目を和ませてくれる。
 ターンして東へ歩きだしたが、昼食(鈴鹿)を予約した時間に間に合わなくなったので駆け足で見学した。年と共に見方が変わるのか、以前よりずっと魅力を感じ、またやってきてじっくり見学したいと思った。
 昼食は有名な肉料理の「まと場」、美味しいあみ焼きをワイワイ話しながら食べた。次はどうする?と聞いたら洋菓子店に行くと言う。さすがメルヘン(女性たち)、男は黙って後ろからついて行く。着いたところは洋菓子の「CHERIR(シェリール)」、沢山の人がいたのでびっくり、土産は無いよと家を出てきたが、洋菓子をもって帰宅したらとても敷居が低かった。
                                  写真集へ 
のど自慢(中日新聞・つれあいにモノ申す)   2015・11・14(土)
 歌いながら料理する妻。レンジがチンというたびに「また、カネ一つかあ」と悔しそう。どんなに美しく歌っても、レンジは一度しか鳴りません。いいかげん、あきらめなさいな。   (レンジよりは温かく見守る夫・65歳)

 音痴なので小学校の頃、オルガンの前に座らされていた。歌唱力の評価以前の問題である。
星野富弘11~12月の詩画・ポインセチア 2015・11・13(金)
    太陽が
    沈んでゆく
    今日も
    生きられた
    明日は
    どんな一日が
    来るだろう

    向こうの国では
    今新しい一日が
    始まっている

 沈む太陽を前にして今日を生き得たことを感謝し、明日への期待を言う。地球の反対側では新しい朝が始まっている。世界中の人々が迎える希望の明日なのだ。
斑鳩・第12首(會津八一) 2015・11・12(木)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第12首) 解説
  こがくれて なけや いかるが あす より は
              はた の はて なる ひと も きく がに

 広大な屋敷だった落合秋艸堂で共に暮らす斑鳩に心ゆくまで鳴きなさいと詠う。八一の新たな友である。
渋滞情報(VICS情報) 2013・11・11(水)
 車のナビの渋滞情報が受信できなくなった。少し前にエアバックのリコールで修理に出したのでそれが原因かと思い、聞いてみると「ラジオを聞いていませんか?それだと情報が入りません」と言う。不思議だったがその場でCDに切り替えたら受信できた。いつもCDで落語を聞いていたが、音飛びがするようになったので、AMラジオに切り替えていた。
 調べてみると「渋滞情報(VICS情報)はカーオーディオのFM受信機能を使用しているものがあり、オーディオのスイッチがOFFになっているときや、ラジオ(FM民放とAM局の放送)を聞いているときは、受信できなくなる機種がある」 とあり、他にも「 NHKーFMが、受信できなければ、渋滞情報を受信できません。ナビによっては、ラジオチューナーが、1つしかないナビがあります。ラジオを、NHKーFM以外を聴いていると、ナビがFMチューナーをNHKーFMに使うことができずに、VICS情報を受信できません。受信できない時は、FMラジオを聴いたり、AMラジオを聴いていたりしませんでしたか?
 全くその通りだった。渋滞情報がいるときはCDをかけ音量をゼロにしている。来週大阪に出かける友人にこの車を貸すので、ほっとしている。  
                              皇帝ダリア(写真集)
枕草子(四十三段)・細殿に人あまたゐて 2015・11・10(火)
 清涼殿への通路に当る細殿(女房たちがたむろする部屋)は関所のようなもの。女房が沢山いて退屈しのぎに往来の者たちを品評したり冷やかしたりする。もちろん、この中に清少納言もいるが、昔も今も同じ、それなりの女性が沢山集まると恐ろしい。
(四十三段)
 細殿(ほそどの)に人あまたゐて、やすからず物などいふに、きよげなる男、ことねりは(わ)らわ(は)など、よきつゝみ袋(ふくろ)などに、衣(きぬ)どもつゝみて、指貫(さしぬき)のくゝりなどぞ見えたる、弓(ゆみ)、矢(や)、楯(たて)など持(も)てありくに、「たがぞ」ととへば、ついゐて、「なにがし殿(どの)の」とて行(い)くものはよし。けしきばみ、やさしがりて、「しらず」ともいひ、物もいはでも去(い)ぬるものは、いみじうにくし。
 細殿に女房が沢山いて、通りかかる人に迷惑もかまわず声を掛けている。小ぎれいな格好をした男(貴人の従僕)や小舎人童(雑用をする少年)などが、立派な包みや袋などに主人の衣服を包んでいて、その端から指貫の裾のくくり紐などが覗いている、また弓、矢、楯などを持ち歩いているので、「誰のか」と聞くと、その場にひざまずいて「何々様のです」と答えて立ち去るものはこころよく満足だ。気どったり、恥ずかしがったりして、「知りません」と言ったり、返事もしないで去ってしまう者は、とても憎らしい。
萬古焼 2013・11・9(月)
 朝日町歴史博物館(三重郡朝日町柿2278)で「萬古焼、東へ ー秋田・二本松・鴫山・足利ー」(10・24~11・22)が開催されている。仏像教室の杉本さんに誘われて観てきた。“萬古焼(ばんこやき)は四日市の陶器”ぐらいに思っていたが、朝日町小向(おぶけ)で始まっていろいろな場所に伝わったのだ。
 杉本さんは現役時代に陶磁器(萬古焼)を扱っていたので思い入れが深く、またよく知っている。四日市在住の陶工の幾人かと付き合いがあったと言う。
 素空の祖母はお茶と茶道具を商っていたので、陶磁器にはいろいろな思い出がある。展示されている煎茶器を眺めながら、祖母と仲の良かった手びねりで萬古焼を作っていた人の家で遊んだ小学校の頃を思い出した。
 ところで、いろいろな作品を見ていて、萬古焼とは?他の陶器との違いは?と思って調べたがよくはわからない。それで、ウィキペディアの解説を以下にコピペする。
萬古焼(ばんこやき、万古焼)は、陶磁器・焼き物の一つで、葉長石(ペタライト)を使用して耐熱性に優れた特徴を持つ。陶器と磁器の間の性質を持つ半磁器(炻器)に分類される。
出世(朝日新聞・いわせてもらお)   2015・11・8(日)
 久しぶりに東京から帰省した44歳の長男。お酒を酌み交わしながら、私が「あなた、大学卒業して会社に入って22年も経つけど、何か役職に就いているの?」と質問。すると「就いたよ、宴会部長」。
              (秋田市・この親にしてこの子あり・70歳)

 会社勤めは5年も続かなかったが、今の業界で20年目の頃は宴会部長で雑用係だった。
キウイ 2013・11・7(土)
 安達先生宅のキウイが豊作だ。いつも世話している桑名のK先輩が、「見事だから写真を撮って」と言う。「逆光なので上手くいかないですよ」と言って何枚か撮った。加工ソフトでなんとか見れるようにしたのが下の写真。この木には写真の20倍ほどのキウイがなっている。
 先輩が「収穫は日曜(8日)ぐらいですよ」と言っていた。楽しみだなと思っていたら、今日福島から林檎が届いた。「キウイのまだ熟していないものはそのまま室内に置いておき、追熟させる。急ぐ場合はバナナやリンゴなど、エチレンガスを出す果物と一緒に袋に入れておくと早く熟す」とネットに書いてある。
 次回の教室の時に少し頂けると期待している。届いたリンゴも相棒を楽しみにしているようだ。
 蛇足だが、キウイとは
キウイフルーツ(英: kiwifruit)は、マタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物の果実である。また、マタタビ属のActinidia deliciosaを指して特にキウイフルーツとも呼ぶ
  

                                 皇帝ダリアが咲き始めた。
与謝野晶子 2015・11・6(金)
 まだ女性が自由に活動できなかった時代に、歌集「みだれ髪」で女性の官能をおおらかに詠った与謝野晶子の歌はインパクトが強い。
  
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
 彼女は5万首の歌を残したが、源氏物語の現代語訳も行っている。
  
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
  その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

 これらの歌も印象深いが、女性解放を詠い、日露戦争の時の「君死にたまふことなかれ」で反戦の意思も表している。久しぶりに読んでみるのもいい。(「君死にたまふことなかれ」へ
 与謝野晶子“本名与謝野志よう( しょう)。旧姓鳳(ほう)”は1878年生まれ、与謝野鉄幹(与謝野寛)と結婚し子供を12人出産している。作家、歌人として活躍したが1942年、63歳で亡くなった。
  かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな
 この歌を鎌倉の大仏と一緒に彫ってみた。 「かまくらや」へ
 
斑鳩・第11首(會津八一) 2015・11・5(木)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第11首) 解説
  おちあひ の のなか の もり の ひとつや に
              さげて わが こし かご の いかるが

 当時住んだ落合の“秋艸堂”まで鳥かごを下げて1時間ほど歩いた。目的の斑鳩(珠数掛鳩)を手に入れ軽やかな足取りだっただろう。 
枕草子(四十二段)・にげなき物 2015・11・4(水)
 にげなき物とは「似合わないもの」ということ。中宮・定子に女房として仕えた地位から、不似合いな物を列挙する。「そうだそうだ」と全てに賛同は出来ないが、前半を意訳すると
  身分の低い者の家に雪が降っている景色や月が明るくさすのは似合わない。月夜に荷車にあった時。また、そんな車を高級牛がひいている不釣り合い。また、年とった女が妊娠して大きなお腹で歩く姿。若い夫を持っているというだけでもみっともないのに、その夫が他の女の元に行ったと腹を立てる姿にはあきれる。年老いた男が、寝ぼけている姿。また、老いた髭面の男が、椎の実をかじる姿も。歯がない老女が、梅を食べて酸っぱがっている顔。・・・
 これからは寝ぼけないようにと思う。      原文と訳 
長女が赤ちゃんを産んだ。(朝日新聞・いわせてもらお)
                          
2015・11・3(水)
 次女が『お姉ちゃんに似て口が可愛い!』
 長女『目が彼に似て可愛い!』
 私の夫『小さなお手手が可愛い!』
 私『お鼻が私に似て可愛い!』
 娘婿『オレの子だ、すべてが可愛い!』と一括。
 シーン。みんな納得した。          (長野県諏訪市・親バカ・56歳)

 孫を見ているとその時々で可愛いところが見つかり驚く。だけど、そもそも孫が可愛いのだから「すべてが可愛い!」のだよね。ジジバカ、納得。
                               
東京タワー・琴将(11・1)
左右非対称の顔 2015・11・2(火)
 能面は意図的に左右非対称に作って、全体のバランスを取りながら左右対称より魅力が出るようにしてある。また、それは顔の向きをかえた時いろいろな表情を作りだすことができるからだ。
 人の顔は左右対称は美人、左右非対称は美人度も好感度も下がると言われるが、実際はそうではない。左右対称は冷たい感じ、少々の左右非対称は人間味のある優しい良い顔になる。
 初期に仏像の安達先生から「仏の顔は左右同じではない」と教えられた。最初は左右をバランスよく彫ることができない素空を慰める言葉と思っていたがそうではない。仏像は左右非対称にして親しみを表している。その顔は慈愛に満ち、豊かで深い精神的な味わいがあると言えるだろう。
 左右の形も濃さも非対称な髭を剃りながらそんなことを考えた。
朔日(ついたち) 2015・11・1 (日)
 諏訪神社は朔日の祭があり、伊勢神宮では「朔日詣り」がある。旧暦で新月の日のことを”朔(さく)”と言い、この日を各月の1日とした。ここから毎月1日を”朔日”としたようです。毎日は参りが出来ないので、朔日ぐらいはということで朔日詣りが始まった。伊勢赤福の朔日餅は「えびす餅」だった。11月は商いの神様・えびすさんの月だそうです。ともあれ、朔日、月の初めは心を新たにして出発したいものですね。    (2002・11・1)
 13年前はこんなことを書いていた。美しい11月の紅葉を期待して今月を始めよう。

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