10月の終わりに 2015・10・31(土)
 平らな板に仏を詠んだ詩歌と仏像を彫ることを始めた。今6枚目に挑戦しているがそう簡単には彫れない。「100枚彫るぞ」と始めたがもう挫折気味。連れ合いは廊下の壁の飾りものをすべて外して待っている。困ったものだ。先生はこの板が良いと提供して下さるし、隣の建具屋さんは板を何枚も持って来てくれた。材料に殺されそう。
 久しぶりの高校の同窓会、昔を思い起こすと同時に新たなつながりもできた。その時、「急死したOさんの事」は詳しく分からなかったが、その後、白血病だったことがわかった。哀悼の意を表して10月を終わりたい。
枕草子(四十一段)・七月ばかりに 2015・10・30(金)
 酷暑を越えた旧暦7月(秋の始め)の気分を語る。夏と秋の交錯に視点を置いて、台風(?)で涼しくなった秋の昼寝は結構なものとする。 
(四十一段)
 七月ばかりに風いと(た)うふきて、雨などさは(わ)がしき日、大かたいとすゞしければ、扇(あふぎ)もうちわすれたるに、汗(あせ)の香(か)すこしかゝへたる綿衣(わたぎぬ)のうすきをいとよくひき着てひるねしたるこそ、お(を)かしけれ。

 七月頃(秋の始め)に、風がたいそう吹いて、雨も非常に強く降った日、一帯がとても涼しいので、夏扇のことなどすっかり忘れて、汗の香りが少し匂う綿入れの薄いものをすっぽりと被って昼寝をする気分は良いものだ。
斑鳩・第10首(會津八一) 2015・10・29(木)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第10首) 解説
   ふろしき に つつめる かご の とまりぎ に
              かそけき あのと きき の よろしき

 風呂敷の包んだ籠の鳥のかすかな足音に心を動かす。“あのと(足音)”響きの良い言葉だ。
                           (前日の解答は4番目)
思い出の楠ノ木子供会 2015・10・28(水)
 先日あった高校の同年会の全体写真から諏訪神社の宮司と話が弾み、小中高の卒業アルバムを持ちよって話していた。
 そのついでに四日市諏訪商店街振興組合専務理事のブログを見ると「思い出の楠ノ木子供会」のページにたどり着いた。このページに掲載されている写真をちょうど目の前に置いて話していたので、偶然にびっくりした。
 ブログの写真の4枚目前列に小学校の低学年だった素空がいる。兄も離れているが写っている。宮司は3枚目前列左から3人目、専務理事は3枚目前列左から7人目にいる。この写真には当時の町名で新田町、諏訪町、連鎖街の子供や親が写っている。懐かしい顔が沢山あり、これは「〇〇君だ」と言いながら見ていたが、女性の名前がほとんどわからない。多分この頃は男同士で遊び、異性には無関心だったのだ。
 ところで素空は左から何人目か分かるかな? (子供会写真
散歩(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・10・27(火)
 妻(60)と手をつないで散歩をしていた。近所の人に「ラブラブですねー」と言われて、妻は照れていた。私は「転倒防止のためです」とは言えなかった。            (山梨県北杜市・よく転ぶ妻をもつ夫・65歳)

 近い将来を思わせる話しだ。最近、立っているときのバランスが悪くなった。連れ合いに世話になる日も近そうだ。
栗木京子 2015・10・26(月)
 NHK短歌の第3週選者、栗木京子の初期の代表作は
     観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
 清新な青春歌、恋の歌である。
 観覧車よ、もっともっと回っておくれ、今日のデートがもっと続くように。私には一生忘れられない想い出となるだろうに、君にはたった一日のことでしかないかも・・・。
 栗木京子は1954年愛知県生まれで第一線の歌人として活躍中。京都大学理学部卒。「塔」短歌会選者。歌集に『夏のうしろ』(読売文学賞)『けむり水晶』(迢空賞)『水仙の章』(斎藤茂吉短歌文学賞)など。2014年紫綬褒章受賞。
 上記『夏のうしろ』は平成15年に第8回若山牧水賞を受賞している。この中の歌を弥勒菩薩と一緒に木に彫った。
   この寺を出ようとおもふ黄昏の京を訪へば彌勒ささやく
 京都の寺(広隆寺)を訪れたら、悩んでおられたのだろう、弥勒菩薩が寺を出て人々のために尽くそうとそっとささやいた。
 とても良い歌である。                   「この寺を」へ
斑鳩・第9首(會津八一) 2015・10・25(日)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第9首)  解説
   こまどり は きみ が まにまに この はと を
              おきて かふ べき とり も しら なく に

 「君は好きなように鳥を選びなよ、僕が買うのは斑鳩だよ、これしかない」と語る八一の姿が見えるようだ。 
枕草子(四十段)・虫は 2015・10・24(土)
 14種の虫をとり上げ、ユーモアを交えて語る。
 鈴虫(今の松虫)、ひぐらし、蝶、松虫(今の鈴虫)、きりぎりす(今のこおろぎ)、はたをり(今のきりぎりす)、われから(海草につく虫)、ひを虫(かげろう)、蛍、みの虫、ぬかづき虫(米つき虫)、蝿、夏虫、蟻。
 みの虫の話は面白いが分かりにくい。親に捨てられた子供が秋になって「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くのが可哀そうだと言うが、みの虫は実際は鳴かない。俳句の秋の季語に「蓑虫鳴く」があるが、これは他の虫の鳴き声と間違えたらしい。
 「ぬかづき虫(米つき虫)も殊勝な虫だ。ちっぽけな虫なのに仏教の修行をしたいと、頭をいつも地面に付けて歩くという礼拝の業をしているとは」などと歩く時に頭を上下する米つき虫を面白く描く。
 蝿は嫌われているが、蟻も憎らしいと言っている。
                    原文と訳へ
シートベルト(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・10・23(金)
 この夏、山梨へバスツアーに行った。バスの後ろの座席から、母娘3人の大きな声のおしゃべりが聞こえてきた。結構、ドライなお母さんのようだ。サービスエリアで休憩したあと、発車する前、お母さんは娘さんたちに「シートベルト、忘れずにね! もし事故ったら、保険金の額が違うんだからね!」。
         (東京都東村山市・「命を守ってくれるんだから」と
                          言ってほしかった・52歳)

 従来の習慣で、後部座席でシートベルトはなかなか掛けにくい。「保険金の額」などとは思わないが、大きな被害は受けたくない。
                      
高田本山・専修寺(ノブ君ハイキング)
日録 20世紀(1930・昭和5年) 2015・10・22(木)
 1930年のグラビアは
  ◦ 浜口首相狙撃事件!
  ◦ 日本人134人を殺害した「霧社事件」の背景
  ◦ 東京ー大阪間、夢の超特急「つばめ」発車!
  ◦ “非暴力”ガンジー、390キロの「塩の行進」
 謹厳実直で潔癖性だった浜口雄幸(おさち)首相は、11月14日東京駅で軍部につながる右翼に狙撃され、翌年8月に死亡する。前年始まった世界大恐慌の中での「金解禁」が経済的には裏目に出て、多くの中小企業や農村が大きな打撃を受けたこと、ロンドン海軍条約調印による軍縮が軍部や野党の反発をかったことが原因である。浜口の死後、「柳条湖事件」を経て軍部が暴走し、日中戦争へと向かう。
 霧社(むしゃ)事件とは日清戦争後、日本が植民地支配した台湾の山岳地帯・霧社で起こった少数民族による反日襲撃事件である。
 イギリスからの独立を勝ち取ったガンジーが最初に行ったのは「塩の行進」だった。イギリスによる不当・高額な塩税廃止を徹底した非暴力で求めたのである。この運動が独立につながった。尊敬する偉人である。 
斑鳩・第8首(會津八一) 2015・10・21(水)
  八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第8首)  解説
   わが こふる おほき みてら の な に おへる
              とり の いかるが これ に し ありけり

 八一の購入目的は「斑鳩(数珠掛鳩)」。聖徳太子を慕い、その寺である法隆寺・斑鳩寺の研究を重ねた彼にはこだわりのある名の鳥である。 
金子兜太 2015・10・19(月)
 著名な俳人だが、種田山頭火の研究家であることを知った。(種田山頭火1・ブログ参照)同時に兜太が「とうた」と読むこともわかった。
 新聞の俳句選者などで知っていたが、今回の安保法制反対デモで掲げられた彼の書 ”アベ政治を許さない” は注目を浴びた。ネットにはこう書かれていた。「アベ政治の非道に、主権者一人ひとりの抗議の意思をいっせいに示そう。全国共通の スローガンを、同時に掲げる。言葉は ”アベ政治を許さない” 文字は金子兜太さんに書いていただきました」
 金田兜太は1919年生まれの96歳、埼玉県出身で加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たす。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。
 今回、「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」という金子兜太は戦時、南洋のトラック島(戦死者は1万人超、引き揚げ200人)で“捨て石”とされた体験(1年3カ月の捕虜生活)から復員船で、その後の生き方を決意して詠む。
     水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
 骨太の俳人に敬意を表する。
                     (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                              花ひろばートミジャス
五輪(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・10・18(日)
 トリノオリンピックの開会式のニュースを見ていた小学1年の息子に、『虫のオリンピックはあるの?』と聞かれ、『?・・・・?』。どうやら、『鳥のオリンピック』だと思っていたらしい。
   (静岡県御殿場市・ヘラクルスオオカブトが金メダルかな・49歳)

 虫の世界ではやっぱりカブトムシがカッコいい。7月に友人からもらったカブトムシが10月初めに寿命を全うした。卵や幼虫がいないかと探したが今のところわからない。
枕草子(三十九段)・あてなるもの 2015・10・17(土)
 “あてなる”とは上品で高貴な美しさを言う。当時の社会と清少納言の感性によるが、姿かたち、色彩、光沢の美しさをあげる。可愛らしい幼子が苺などを食べる様子が“あてなるもの”とは、きわめて女性らしい。
(三十九段)
あてなるもの うす色にしらかさねの汗衫(かざみ)。かりのこ。削(けづ)り氷(ひ)にあまづらいれて あたしき金椀(かなまり)にいれたる。水晶(すいさう)の数珠(ずゝ)。藤(ふじ)の花。梅の花に雪の降りかゝりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなどくひたる。

上品なもの(品があるもの) 薄紫色の下着(衵・あこめ)に白がさねの上着(汗衫・かざみ)。かるがもの卵。削った氷に甘いあまづら(甘味料)を入れて、新しい金属のお椀に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている景色。とても可愛らしい幼い子供が、苺などを食べている姿。
作品展  2015・10・16(金)
 安達仏像教室の杉本茂次さんが先生宅の陳列スペースで作品展(10月15日~12月17日)を始めた。12体の円空仏を展示しているが、とても良い。彼の円空仏の顔は独特の個性がにじみ出ていて味がある。
 展示ウインドウの案内の最後にこう書いてある。
 「私事、或る日朝日町でウインドウ内の仏像の微笑に魅せられ、安達先生に仏刻の教えをお願いして四、五年なります。未熟ですが私なりに無心で模刻しています。ご笑覧下さい。     杉本茂次
 80歳を越えて頑張っている人生の先輩をいつも尊敬して一緒に教室に通っている。自分はこの年まで頑張れるだろうかと思いながら。
 近鉄朝日駅から旧東海道を北西へすぐの所に展示されているので、近くまで行かれたらぜひ観賞して欲しい。           作品展写真へ 


母の命日
 
 今日は母が亡くなって19年になる。夕食を食べながら、連れ合いと母の思い出話をした。
斑鳩・第7首(會津八一) 2015・10・15(木)
  八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第7首)  解説
   たな の うえ の ちひさき かご の とまりぎ に
              むね おしならべ ねむる はと かな

 この眠る鳩たちが八一のお気に入りなのだ。
                               カピバラ・くるみ(10・16)  
高校の同年会 2015・10・14(水)
 親睦グループ「四一会」が懇親会と銘打って同窓会を開催したのでいつもの仲間と一緒に参加した。参加は50人余で少なかったが、話をするにはちょうど良い人数だった。旧知を温め、楽しむことが目的だが、その他に2つの事を考えていた。
 一つは夏前に急死したOさんの事だったが、ほとんど細かいことはわからなかった。
 もう一つは中学時代の卓球部の友人M君の情報。会には彼の離婚したYさんが参加しており、同じテーブルだったのでいろいろ話した。彼女は明るく活動的な人で、この懇親会の幹事の一人である。
 M君は四国にいると聞いていたが、詳しいことはわからなかった。ただ、少し前の小学校の同窓会に参加していたという話があった。彼にも会いたいと思うが、彼の二人の兄さんとも付き合いがあったので、その話も彼女とした。
 ただ、驚いたことは親しかったわけではない彼女が素空の若い時からの事をよく知っていたことだ。同級生の間ではいろいろな話が飛び交うと言うことかな。
  
枕草子(三十八段)・鳥は 2015・10・13(火)
 20種の鳥をとり上げるが、ほとんどが観察してというよりは詩歌などからの知識による評価だ。主に「うぐいす」と「ほととぎす」について述べる。両方とも素晴らしいが、うぐいすはいつまでも鳴く事(季節感が無い)や夜に鳴かないのは欠点だと言う。それに比べてほととぎすの夜明けの鳴き声は気品があり、6月になるとぱったり鳴かないのが素晴らしいと言う。
 最後に「夜鳴くもの、何もめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき」(夜泣きの赤ん坊はいただけない)と上手に締める。      (原文と訳へ
流れを変える(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・10・12(月)
 「痛い!」。卓球の練習試合中、急に足がつった。幸い痛みは軽く、少しのマッサージで治まったので試合再開。その後は良い調子で勝ってしまった。試合後、相手に「あれは手だったのね?」と言われ、「いいえ、足です」と返したら、ウケた。 (香川県丸亀市・今度は手で行こうかな・67歳)

 仲の良い同級生2人は卓球大好き、とても元気なので感心するが、年齢が年齢なので怪我をしないかと思っている。ゴルフで倒れそうになった素空の心配。
種田山頭火2 2015・10・11(日)
 朝日新聞では次の句を挙げてこう書いている。
   濁れる水の流れつつ澄む
 酒に溺れた彼だが、酒より水の歌が多い。この歌は「なにか物事の『本質』を見ようとしていたのかな・・・」と感じる学芸員の言葉を紹介する。
 先日から仏像を詠った詩歌を探していて
   水音の絶えずして御仏とあり
 を見つけた。上の句から考えれば、多分この「水音」は仏の声だと思えるが、いろいろ調べてみた。 
 山頭火がこの句を詠んだのは、東北の旅からの帰途、永平寺に参禅したときである。この時の事は以下のように伝わっている。
「あの時わしは旅に疲れ、暑さにあてられ、路銀もなく、・・・まったくの乞食であった。しかし(永平寺の)係りの人に、・・・俳句を作りながら、行乞の旅をしているものです。旅に疲れて一銭のお金もないものですが、しばらく泊めて下さいませんでしょうか、と頼んだところ、善良そうな和尚は、よろしいと答えて七日間、気持ちよく食べさせて下さった。寺内の樣子もわかったので、三日目からは法堂に出頭し、勤行もさせて貰った。そして師からきいていた永平半杓のあの水の御教の手水をも拝んだ。ほんとうに有難いことであった。」(山頭火後日談、大山澄太さんからの手紙より)
 山頭火は永平寺で自然と一体となり、伝わってくる水音に仏の声を聞いたのだ。
 この句と観音を板に彫ったが、込められた意味の重さを感じている。
                              「水音の」へ
斑鳩・第6首(會津八一) 2015・10・10(土)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第6首)  解説
   ももどり の なき かふ みせ の たな の うえ に
              ましろき はと の ただに ねむれる

 いろいろ沢山の鳥たちが鳴いている鳥屋の中の静かに眠る白い鳩を注視する。
種田山頭火1 2015・10・9(金)
   分け入つても分け入つても青い山
 漂白の俳人・山頭火の自由律の有名な俳句である。朝日新聞(9月28日)に「悲しみと寂しさを抱き、さまよい続けた俳人。その弱さは現代人の孤独を支える」として「今こそ種田山頭火」と言う文が載っていた。
 社会を捨てて「無にはなれるが、空(くう)にはなかなかなれない」(日記)と言う彼を「本当の世捨て人になれず、・・・迷ってうろうろする弱者の典型」(金子兜太)と言い、「うつりゆく心の影をありのままに写」した山頭火の悲哀が孤独を抱えて生きる人々にやさしく寄りそうと書く。
 山頭火は1882年に山口県に生まれる。早大中退。荻原井泉水に師事し、のち尾崎放哉に傾倒する。1924年仏門に入り、庵を結び、また乞食行脚で各地を遍歴し、自由律の独自な句を残した。1940年、四国松山で57歳の生涯をとじている。(続く)
ペットは姉妹?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・10・8(木)
 「ママとランは一緒だな」と夫。ふと隣を見ると、わが家の愛犬ランは、あおむけで腹を丸出し。さらに大股開き…。なんたる姿か。あなた、いくら何でも失礼でしょ。           (夫婦も似てくるのよ・54歳)

 わが家の愛犬・くるみも帰宅した素空にベットで同じ格好をする。「チチを信頼しています」の表現だと思っているが、連れ合いのそんな素ぶりは見たことが無い。
                    私の水彩画・紅葉の糺の森(Masanori.Y)
枕草子(三十七段)・花の木ならぬは 2015・10・7(水)
 花の咲かない木(花を賞するのではない)について書く。その数19。桂、五葉松、たそば(かなめもち)、真弓、宿り木、榊、楠、檜、楓、あすなろ、ねずもち、楝(あふち)、山橘、山梨、椎、白樫、ゆずり葉、樫、棕櫚(しゅろ)。(原文と訳へ
 清少納言らしい感性で木々をとらえて書いているが、同時に歌や漢詩を背景にしたところも多いので結構難しい。
 19の中から日頃素空が仏像作りに使う檜についての部分を紹介する。
「檜(ひ)の木、これまた人里近くには生えていない(身近でない)木だが、建築の材料として扱う“三葉四葉の殿造り”という歌(催馬楽)も面白い。また、五月には、“木から滴り落ちるしずくで雨の音を真似する”(唐詩)ということだが、それも殊勝で哀れである」 
故植田重雄先生 2015・10・6(火)
 秋艸会(秋艸道人・會津八一を愛好する会)の会報(40号)に“写真・會津先生十三回忌の集い(1968年11月16日)”が掲載されている。参加61人の中に懐かしい植田先生の姿があり、その当時の事を思い出した。
 クラス担任だった先生にドイツ語を教わったが、ベトナム戦争や安保条約などの討論でほとんど授業ができなかった。いや、潰したと言った方がいいかもしれない。苦虫を噛みころしたような顔で教室の隅で立っておられた先生の顔を覚えている。思想的には相対するところがあったが、先生は面倒見が良かった。
 その年の12月に大怪我をし、退院間も無いドイツ語の後期試験、白紙でお詫びの文字だけを入れただけだったが、及第を下さった。
 その後、手紙のやり取りや東京で2度お会いした時の先生の笑顔が忘れ
られない。上野公園でお別れする時、“もう帰るのか!”と残念そうに言われた事も心に残っている。
 この写真を掲載できないが、我が家にある先生の歌を載せる。この時、先生は46歳だった。
   ものいはず 争はず 嘆かず いきづきて 
            まりも 瞳線に かたまりにけり
斑鳩・第5首(會津八一) 2015・10・5(月)
 八月二十三日友人山口剛を誘いて大塚に小鳥を買ふ(第5首)  解説
   こまどり の なき の まにまに わが とも の
              かがやく まなこ わらわべ の ごと

 「読書力旺盛で、才気煥発、学問は秀れているかもしれないが、大塚の鳥屋では友はまるで子供である・・・」 (會津八一の芸術 植田重雄著)
四日市市教育委員会賞
      
2015・10・4(日)
 安達教室の先輩・安藤宣朗さんの天燈鬼・龍燈鬼が四日市市美術展で教育委員会賞を受賞したので早速訪れた。(文化会館10月3日~11日月曜は休館)
 製作過程をずっと見てきたが、展示場でもその見事さはずば抜けていた。
 入門した時から憧れてきたが、追い付くどころかどんどん引き離されていく。そもそも腕の違いはあるのだが、「努力が足りない!」と叱責する安達先生の声が聞こえるような気がする。

  天燈鬼・龍燈鬼の写真へ
  安藤さんの仏像作品へ
夜中のごう音(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・10・3(土)
 夜中の激しい雨音で目が覚めた。窓を閉めて、再び横になる。ようやく、これでぐっすりと思ったが、ごう音は収まらない。そこで気付いた。しまった!ごう音は、隣のいびきだった。    (熟睡したい妻・59歳)

 轟音では無いいびきをよく聞く。愛犬・うららのいびき、これは可愛らしい。連れ合いは寝言で叫ぶことがある。これは怖い。
松尾芭蕉 2015・10・2(金)
     菊の香や 奈良には古き 仏たち
 芭蕉は元禄7年(1694年)9月9日(重陽の節句・菊の節句)に奈良でこの句を作る。「重陽の節句に奈良の都は菊の香に包まれ、その中に遠い昔から多くの仏たちがおられる」と詠んだ。
 一面に菊の香りが漂う古都、その中に長い年月を過ごしてきた味わいある仏たちがある。なんと魅力的な句であろう。古都奈良への旅情をそそる。しかし、元気だった芭蕉はこの1ヶ月後、10月12日に大阪で病死する。享年50歳。
     旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
 奈良から移った大阪で死の床に臥しながらも、見るのは旅の夢だった。芭蕉の悲愴な気持ちが迫ってくる。
 上2句は同じ時期に詠まれたのに全く趣が違う。そんなことを思いながら、「菊の香や・・・」の句を飛天を入れて彫ってみた。     「菊の香や」へ
10月の初めに 2015・10・1(木)
 寝起きにぽんすけ(人形)が叫ぶ。「運動会しよう!一等だよ、きっと!」透き通るような秋空のもとで子供達が跳ね飛び遊ぶ。その光景を思い浮かべながら小さい頃を追想してみるのもいいね。
 秋の空と言えば、この歌に尽きる。天女の衣の間から美しく澄んだ秋の空が見える。
   すゐえん の あまつ をとめ が ころもで の 
            ひま にも すめる あき の そら かな
    
    (水煙の天つ乙女が衣手のひまにも澄める秋の空かな)  八一

 上記は10年前の10月1日のブログ。お話するぽんすけ(人形)は、しゃべり過ぎでやかましいので、今は電池を抜き取られている。
 いい歌は年月を経ても変わらない。薬師寺で出かけて東塔の水煙の向こうの秋の空を見上げたいが、解体修理中で平成31年まで無理だ。

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