6月の終わりに 2014・6・30(月)
 家にいることが多かったが、月末に信楽(ノブ君ハイキング)と桑名(メルヘン昼食会)に出かけた。運動不足なのでちょっとした外出でも結構疲れるものだ。
 ワールドカップを録画して見ているので、普通の番組の録画はすべてストップした。全試合見ようと思うと大変、まだ予選ラウンドを見ている。
 ところで、政治の世界は右傾化につぐ右傾化で見ているのも嘆かわしいが、戦争への道を歩むことは絶対にいけないと思っている。
 18日に書いた「恐竜大好き」
 “歴史の勉強がおろそかで、史実を捻じ曲げ、平和が嫌いでノーベル賞ものの平和憲法をないがしろにし、戦争への道を開くことに狂奔した好戦的な恐竜」と後世の歴史書に書いてある”
 複数の方から共感のメールを頂いた。嬉しいことだが、自らの無力さも痛感する毎日である。 
五大茶屋(家庭料理の店) 2014・6・29(日)
 メルヘン昼食会(6月27日)は桑名の五大茶屋だった。Qちゃん(メンバー)の同級生夫人が一人で丹精込めた料理(おまかせ定食)である。
 ランチは限定10食、コーヒー付きで1200円、食後に出てきたコーヒーの器はそれぞれ違っていてどれも素晴らしいものだった。そのことだけでも会話が弾んだ。
 寺町通り商店街の中にあるが、堀沿いにある無料駐車場も味わいがあっていい。食後、九華公園を散策し柿安で買い物、その後長島にある又木茶屋トールペイント作品展を見てティータイム。楽しい会話がはずんだが、このメンバーはやっぱり姦しい。近くにいた方々、ごめんなさい。
  
放浪唫草・第53首(會津八一) 2014・6・28(土)
 大宰府のあとにて                     解説
 いにしへ の とほ の みかど の いしずゑ を
          くさ に かぞふる うつら うつらに 
     (古の遠の御門の礎を草に数ふるうつらうつらに)

 大宰府跡に立って、遠い昔に思いを馳せる。以前、奈良・飛鳥の川原寺跡で古のことをしきりに考えたことを思い出す。
シマトネリコ 2014・6・27(金)
 諏訪神社の境内の南側、3番街商店街の間の大きな木が全て無くなった。大木の根が下水などに影響したり、その他の理由があったようだ。しばらくしたら整備されて、3mほどの木が植えられた。宮司に名前を聞くと「シマトネリコ」と言う。直ぐに忘れたので翌日また聞いてメモした。
 この木はモクセイ科の植物の一種で亜熱帯に分布する常緑高木または半常緑高木で5~6月頃に咲くと言う。
 寒さは苦手だが病害虫も少なく強いので、業者に勧められたと宮司は言う。地球温暖化でこのあたりでも成長するらしい。和風・洋風どちらの家にも似合うために雑木として近年頻繁に使用されるようになったと言う。
 子供の頃から遊び、慣れ親しんだ神社も少しずつ変わっていく。
意外な効能(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・6・26(木)
 頭髪を気にし始めた夫は最近、高価な育毛シャンプーやリンスを使う。「私は節約して、あなたの十分の一の値段の物だわ」と不満を言うと「何もしなくても君はきれいさ」だって。(発毛効果が気になる妻・47歳)

 外見を気にして努力し、「何もしなくても君はきれいさ」と、とっさに言える男の奥さん、喜んでいる場合ではないよ、外でもこう振舞っているかもしれないから。
日録 20世紀(1916・大正5) 2014・6・25(水)
 1916年のグラビアは“新兵器「タンク」出現!”、“葉山「日影茶屋事件」の顛末(新しい女がアナーキストを刺した!)”である。
 第一次世界大戦(1914~1918)は新兵器の開発競争でもあった。1916年9月15日イギリスが開発したタンク(戦車)がフランス中北部・ソンム戦線に始めて投入されたと言う。イギリスの飛行機は開戦時約70機だけだったのに、大戦中5万5千機生産されたと言う。ドイツも5万機製造した。おろかな戦争のために兵器が大量生産された事実に唖然とする。
 日影茶屋事件(11月8日)とは、ジャーナリストで婦人運動家の神近市子が金銭援助をしていた愛人のアナーキスト・大杉栄が、新しい愛人伊藤野枝に心を移したことに嫉妬し、彼を刺した事件である。
 大杉栄は関東大震災直後、憲兵隊司令部で横死(甘粕事件)、2年服役した神近市子は政治家に転身し、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めたと言う。この事件は初めて知った。
 この年の12月9日、夏目漱石が49歳で亡くなっている。現在朝日新聞で「こころ」が連載(再掲載)されている。
放浪唫草・第52首(會津八一) 2014・6・24(火)
 旅中たまたま新聞にて大隈候の病あつしと知りて     解説
 わせだ なる おきな が やまひ あやふし と
          かみ も ほとけ も しろし めさず や 
      (早稲田なる翁が病ひ危ふしと神も仏もしろしめさずや)

 旅先で大隈重信の重病を知ったが、東京へは直ぐに戻らなかった。旅前の学内での対立もあって知人らが帰京を勧めなかったという。
アクアイグニス 2014・6・23(月)
 三重郡菰野町に用事で出かけ、その後、アクアイグニス(湯の山温泉にある癒しと食の総合リゾート)に寄った。中庭にイスとテーブルがあり、くるみも一緒に食事、チチハハは美味しいパスタを食べた。
 食べ終わってよく見ると何か彫像がある。近づくと「聖バレンタイン像」だった。スタッフが聖バレンタイン協会より「聖バレンタイン名誉伝道師」に任命され、聖バレンタイン像の寄贈されたという。
 くるみはその前のきれいな床で水を飲んで満足そうにしていた。


 菰野町の用事は病気の友犬・エイトのお見舞い。11歳のラブラドール・レトリバーで起き上がれなくなった。くるみは元気になってよかった。  
忘れもの(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・6・22(日)
 夫を送り出した後、テーブルの上に置いた携帯電話に気づいた。焦って「携帯忘れてるよ!」と自分の携帯から夫にメールを送信した。もちろん、目の前の携帯から受信を知らせる音がした。
          (兵庫県加東市・テレパシーが使えたら・37歳)

 携帯電話を忘れて行った人への連絡が一番困る。しかも自分が直ぐにその場を離れたい時。忘れて行った人は素早く電話できないし、もちろんこちらからも相手に繋がらない。その内に良い方法が出てくるだろうけど。

月下美人 6月19日に最初の一輪が咲き、翌20日にもう一輪咲いた。
    
スローイン(サッカー) 2014・6・21(土)
 日本はギリシャと引き分けて、決勝トーナメント進出が険しくなってきた。日本の応援をしながら、自分のフィーリングで応援チームを決めてW杯サッカーを楽しんでいる。
 以前から、スローインの場所がアバウトなのが気になっている。ボールが出た所から相当離れていてもとがめない場合があるので調べたら、明確な規定がなくて審判の常識的な判断になっているようだ。
 スローインについて調べたので、知らなかったことを以下に書いておく。
   ・スローインによって直接ゴールを狙うことはできない。
   ・スローインでは、ボールを受けた選手がオフサイドポジションに
   いてもオフサイドにならない。
   ・スローアーは他の競技者がボールに触れるまで再びボールに
   触れることはできない。
   ・すべての相手競技者は、スローインが行われる地点から2メートル
   以上離れなければならない。 
放浪唫草・第51首(會津八一) 2014・6・20(金)
 車中肥後の海辺にて           解説
 たち ならぶ はか の かなた の うなばら を
          ほぶね ゆき かふ ひご の はまむら 
      (立ち並ぶ墓の彼方の海原を帆船行きかふ肥後の浜村)

 墓のある風景、次歌にある大隈重信(早大初代総長)重症の影響があろうか。 
法隆寺壁画と鈴木空如 2014・6・19(木)
 鈴木空如(1873~1946)と言う日本画家をNHKの日曜美術館で知った。法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を単独で生涯3度も行っていて、1949年の火災による壁画の焼損後、1967年に行われた再現模写事業に無名の空如の模写は貴重な資料となったと言う。
 再現模写が完成したことは嬉しいことだが、空如の模写があったことも素晴らしい。
 会津八一は法隆寺に何度も足を運び、壁画の歌を多く作っている。そして壁画について鹿鳴集自註でこう書いている。
「・・・これ等の壁画の保存方法につきて意見を求められしに対して、作者は、これら十二枚を、いとも周到なる用意のもとに切り取りて、別の安全な処に保管し、その跡には現代作家をして新(あらた)に揮毫(きごう)せしむるに如(し)かずとの意見を送りたるに、忽(たちま)ち法隆寺の内外より猛烈なる反感を招き、不謹慎、不敬虔の譏(そしり)をさえ受けしが、その後、その寺にて不注意より起こりし火災のために、壁画は殆ど全滅とも云ふべき大破を来(きた)したり。」
 八一の嘆きとは別に、空如のような目立たないところで価値ある仕事をした人を評価したい。
恐竜大好き(朝日新聞・あのね) 2014・6・18(水)
 僕は恐竜が大好き。ある日、新聞の見出しに「アベノミクス」文字を見つけた。「アベノミクスって、どんな恐竜やろなあ」
         (和歌山県有田川町 福本浩成〈こうせい〉・7歳)

 「歴史の勉強がおろそかで、史実を捻じ曲げ、平和が嫌いでノーベル賞ものの平和憲法をないがしろにし、戦争への道を開くことに狂奔した好戦的な恐竜」と後世の歴史書に書いてある。
藺草 2014・6・16(月)
 ユートピア(トマスモア)の航海の場面に、「船の帆は藺の草で」と書いてある。“い”と振り仮名はあるが、調べると畳に使うイグサのことだった。
 辞書にはこう書いてある。
 “イグサ(藺草)はイとも呼び、茎を畳表や花むしろの材料とするために栽培もするイグサ科の多年草。茎の髄を灯心として利用したところからトウシンソウの名もある。(季語は夏)
 それにしても知らない言葉、漢字は沢山あるものだ。人生を結構長く生きてきたのに。
 ところでこの頃は生活が洋式化して、和室が少なくなり、畳の生産が少なくなったと言う。我家も和室は一つしかない。しかも使うのは息子家族が帰省した時に使うだけである。この和室の障子貼りをした。子供の頃に手伝わされたおぼろげな記憶を頼りに行ったが、初めてとしてはOK、しかし良く見るとまるで素人仕事。
 くるみが病気だと家の中の用事が結構はかどる。
               (明日第3火曜日は独り言を休みます) 
                      アクアイグニスーカインズ
放浪唫草・第50首(會津八一) 2014・6・15(日)
 木葉(このは)村にて(第8首)         解説
 ましらひめ さる の みこと に まぐはいて
          みこ うまし けむ とほき よ の はる 
      (ましら姫猿の尊にまぐはいて御子生ましけむ遠き代の春)

 木葉村にて8首は尊と姫の間の子の誕生で締めくくる。緊張を解いた遊び心溢れる歌である。 
親鸞と他力本願 2014・6・14(土)
 五木寛之の親鸞(完結編)が中日新聞に連載されている。とても面白いので歎異抄を再読した。他力本願の意味を以下の言葉で理解したような気がする。
 “弥陀の大悲の御恩の有難さから念仏申すのである”
           (歎異抄14、念仏は滅罪の為の手段ではない) 
 念仏は罪を浄化するものではない、臨終の時のためでもない。阿弥陀如来が迎えに来て極楽浄土に連れて行ってくださるそのことへの感謝の念仏であり、それが他力本願の意味だと受け取った。
 それにしてもこの新聞小説はドラマチックで面白い。毎日、読むことを楽しみにしている。しかし小説だからだろうがその面白過ぎることが気になる。とはいえ、小説に親鸞の教えのみを求めることが間違いなのだろう。

 (歎異抄14)
お経には十念の唱和により八十億劫の重罪が滅すと、ある。これは十悪、五逆の重罪を知らしめるためのものであり、念仏を滅罪のためにせよと、いっているのではない。しかるに、この教説により念仏滅罪説を立てる者がいる。これは他力本願の信心ではない。

真の信心とは、弥陀の本願を信じようと発願したとき、一生、造罪の身のまゝで臨終に際し往生を確約するものである。それゆえ、弥陀の大悲の御恩の有難さから念仏申すのである。もし、念仏滅罪の功による応生なら、罪業無限の身の上にとっては途切れなく念仏申さねばならず、とても叶うものではない。

真実の念仏は臨終の正念にあるのではない。煩悩に染まりながらも、摂取不捨の願心を頂くことである。我ら罪業深き衆生は、弥陀の慈悲溢れる本願がなければ如何様にして迷界からの離脱を成し得ようか?弥陀の御恩に御報いして感謝申し上げるのであす。決して滅罪の利益を得るために念仏申すのでない。これ即ち、自力による念仏であり、その念仏には他力の信心はないのである。
寿(朝日新聞・あのね) 2014・6・13(金)
 おひなさまの金びょうぶに「寿」の文字。「おばあちゃん、これお寿司屋さんでもらったの?」           (鳥取市 大野 ゆな・6歳)

 さすが6歳児、発想が楽しい。
 ところで「すし」は「すっぱい」を意味する形容詞「酸し(すし)」からきていると言う。「寿司」は当て字で、「寿を司る(つかさどる)」という縁起担ぎの意味らしい。
サボテン 2014・6・12(木)
 近くのガラス屋さんからもらったサボテンが咲いた。大きくて美しい。直ぐに月下美人の花を思った。月下美人は蕾を持っている鉢があり、もうじき楽しめそうだ。赤い花が咲く孔雀サボテンを別の人からもらったが、これは挿して間が無いので咲くまでには2,3年かかりそう。
 サボテンには苦い思い出がある。小学生の時、校庭にあった平たいサボテンを一葉ちぎってズボンのポケットに入れて持ち帰った。生きているものは何でも欲しかったようだ。下校途中から、太ももが耐えられないほど痛くなり捨てたが痛みはずっと続いた。
 他所の物を勝手に持ち帰ってはいけないという誡めだったのだろうが、その後、棘ある物には注意するようになった。物でも人でも。

     
放浪唫草・第49首(會津八一) 2014・6・11(水)
 木葉(このは)村にて(第7首)        解説
 さる の みこ ちやみせ の たな に こま なめて
            あした の かり に いま たたす らし 
     (猿の皇子茶店の棚に駒並めて朝の狩りに今立たすらし)

 馬に乗る陶器の猿を今にも狩りに出ようとしていると遊び心で詠んでいる。八一の頭には常に古代の風景があった。
テントウムシ 2014・6・10(火)
 ギンモクセイや槇の剪定をしているとテントウムシとその幼虫がいた。
 名の由来は太陽に向かって飛んで行くことから、太陽神の天道からとられたと言う。
 テントウムシと言えば、直ぐにチェリッシュのてんとう虫のサンバが出てくる。
  あなたと私が夢の国  森の小さな教会で  結婚式をあげました
  照れてるあなたに  虫たちが  くちづけせよと  はやしたて 
  そっとあなたは  くれました  赤 青 黄色の  衣装をつけた
  てんとう虫が しゃしゃりでて  サンバにあわせて  踊りだす 
   愛するふたりに  鳥たちも  赤いリボンの花かごと 
   愛のくちづけくれました

 とても好感度のある昆虫だが、庭木に害を与えると困ると思った。調べると、アブラムシやカイガラムシなどを食べるもの、うどんこ病菌などを食べるもの、ナス科植物などを食べるもの3種がある。どうも庭木にとっては益虫のようだ。
 もうじき殺虫剤を撒こうと思うので早く成虫になって飛んで行って欲しいと思っている。
簡易トイレ(朝日新聞・あのね) 2014・6・9(月)
 工事が始まった空き地に、ぽつんと立っている簡易トイレを見つけた。
 「ママ、どこでもドアがあるよ!」 (さいたま市 宮野 寧々・6歳)

 大きな空き地や公園にある簡易トイレは本当に「どこでもドア」みたい。子供の想像力は楽しい。ドアが開くとどこかのホームセンターになるコマーシャルは夢がなくて好きではない。
きしめん 2014・6・8(日)
  テーブルにきしめん(乾麵)を置いて、新聞を読んでいたら丁度きしめんの記事があった。幅が広く薄い麺(うどん)だが、最近は需要が少なくなっていると書いてある。腰のある普通のうどんが好きなので、もともときしめんを食べる回数は少ない。なぜ、こんな平たい麺を?と思っていたら、茹でる時間が早く、味が浸みこみやすいからと書いてある。納得!
 起源はいろいろあるが、江戸時代初期に愛知県刈谷市(旧・三河国芋川)で作られたものが、きしめんの先祖という説が有力らしい。語源もいろいろある。一つ紹介すると、愛知県知立市(三河池鯉鮒)で雉の肉を入れたうどんが好評で雉麺(きしめん)と呼ばれたとある。
 カレーうどんが好きで足しげく通う“角源”(四日市)には“四日市きしめん”というメニューがあるが、注文しても平麺でなく普通のうどんで出てくる。不思議なメニューである。
放浪唫草・第48首(會津八一) 2014・6・7(土)
 木葉(このは)村にて(第6首)        解説
 ひとごと を きかじ いはじ と さる じもの
          くち おしつつみ ひじり さび す も 
      (人言を聞かじ言はじと猿じもの口おし包み聖さびすも)

 三猿(さんざる、さんえん)は江戸初期の左甚五郎作と伝える日光東照宮のものが有名。八一は木葉村の三猿を滑稽味を以て詠った。
太陽を蝋燭の火で照らす 2014・6・6(金)
 翻訳本に上記のことわざが出てきた。意味は「不可能」だろうと思うが、文中では「太陽のように偉大な人を才能のないちっぽけな私が語ろうとしても語り尽くせない」と言う意味で使われている。念のためにネットで調べたが、該当するものがない。ことわざ辞典(書物)で調べてもなかった。
 この頃は言葉をネットで検索することが多くなったが、コピペで同じ回答だったり、信憑性がイマイチだったりすることがある。ネット検索は便利だけれど、やはり広辞苑などの紙の本が頼りになることは間違いない。最近はページをめくることが億劫になったり、辞書そのものが重すぎると感じるようになった。余談だが広辞苑の厚みは常に8cmだと言うことだ。
 先日「舟を編む」と言う映画をテレビで見た。主演の松田龍平が気にいっているのだが、辞書を作る物語も素晴らしいもので、本物とはこんなものだと随所で思った。
上野動物園(朝日新聞・あのね) 2014・6・5(木)
 おばあちゃんに「上野動物園に行こう」と誘われた。
 「上の動物園?下の動物園もあるの?」
                 (東京都国立市 石崎 和音“わと”・4歳)

 下野動物園は聞いたことがないね。上野公園は何度も行ったが上野動物園は行ったことがないので行きたいところ。
剽窃チェッカー 2014・6・4(水)
 インターネットの普及でコピー&ペースト(コピーして貼り付ける)を使えば、他人の文章を使って簡単に作文ができるようになった。もちろん、いけないことだが、それに対抗して、剽窃チェッカーという無料ページがネット上に現れた。自分のブログの文をいれたりしてみると結構面白い。以下に紹介する。(以下はネットのページのコピペなんだけど)
 インターネットの普及に伴いさまざまな情報を手軽に検索・引用できるようになりました。しかし、ネットに公開された論文や他人の文章をあたかも自分の著作であるかのように拝借する「剽窃(ひょうせつ)」行為が横行し、剽窃レポートを提出する学生や、中には剽窃論文を発表する研究者まで現れる始末で、剽窃行為は大きな社会問題になっています。そんな剽窃を絶対に許さないネットサービスが「剽窃チェッカー」です。
 剽窃チェッカー:レポートなどの文がコピペかどうかチェックします

     http://plagiarism.strud.net/
剽窃チェッカーの使い方は、文章を検索ウィンドウ内に入力し、「剽窃をチェックする」ボタンをクリックするだけと、とても簡単です。
放浪唫草・第47首(會津八一) 2014・6・3(火)
 木葉(このは)村にて(第5首)       解説
 さる の こ の つぶらまなこ に さす すみ の
           ふで あやまち そ はし の ともがら 
      (猿の子のつぶら眼に注す墨の筆過ちそ土師のともがら)

 猿のまるくてかわいい目を上手に描いて欲しいと優しい気持ちで詠う。 
ごみについて 2014・6・2(月)
 道を歩きながら思った。大昔、人間にとってごみとは、ただ捨てるもの、そして自然界で分解され循環して行くだけのものだったはずだ。
 しかし、高度に文明が発達した現代、しかも社会性をもった人間にとってはごみはやっかいである。所かまわずごみを捨てることは論外だが、その捨てられたごみにどう対応したらいいのか。
 路上に捨てられたごみを拾って歩けばいいが、なんだか偽善めいて気が引ける。多ければ対処できないし、衛生上の問題もある。
 それで、家の周りや犬の散歩道の小さなごみだけは拾って処理するようにしている。「ごみの無いところにはごみは捨てにくい」と思いながら。
 お菓子の殻、缶類、タバコ、犬の糞などがいろいろあるが、糞の始末をしないとそのうち犬の散歩をするところが無くなっていくだろう。
 これらは個人の生活の小さな問題だが、ここまで書いて思い出した。原発のごみはどうするのだろう?現状で解決できないこの問題に明確な解答は今の所無い。
イチゴ(朝日新聞・あのね) 2014・6・1(日)
 おやつのイチゴを一粒ずつ部屋のあちこちに置いてまわった。「何してるの」とたずねるおじいちゃんに、「イチゴ狩りするの」。
 家族で行ったイチゴ狩り、楽しかったもん。
                     (岐阜県本巣市 吉田 萌恵・9歳)

 いいね~~!こんな発想ができる年頃が羨ましい。現実的になった大人の時代を通過して、ボケる未来が見えてきた。 

 
inserted by FC2 system