良いお年を 2014・12・30(火)~31(水)
 一年のお付き合いありがとうございます。今年もなんとか「独り言」を続けることができ、ほっとしています。書く材料に窮す時も多々ありますが、来年も意欲を持って続けたいと思っています。どうぞ懲りずに来年もよろしくお願いいたします。
 来る年が輝いていることを願って、今年の独り言を終わります。
      
今年を振り返って・會津八一 2014・12・29(月)
 歌と奈良が気にいって、気楽に紹介を始めたのは12年前だった。まさか全てを網羅するとは思っていなかったが、終わったのは事実だから自分でもびっくりする。ただただ、根気がよかっただけで、未だにミスが目立つので修正を行っているが、完成はいつになるか分からない。
 八一の歌と言えば奈良だが、山光集にある戦争末期の歌に良い悪いは別にして、大変な時代を追体験出来たことは大きなことだった。
 素空の恩師・植田重雄が出征のため、八一と共にした最後の奈良見学旅行の記述は常に冷静だった植田先生が感情を表に出していて読む者の心を打つ。社会人になって二度東京でお会いしたが、2006年5月14日に亡くなられた。              最後の奈良見学旅行へ
今年を振り返って・ノーベル賞 2014・12・28(日)
 LEDでノーベル物理学賞を、赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)が受賞した。とても嬉しいことだ。
 ノーベル平和賞は女子教育の大切さを唱えるパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)と、インドの児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティさん(60)だった。マララさんはまだ17歳なのに、知的で勇敢な行動に脱帽する。平和が良いと誰もが思っているのに、意識的に目指さないと世の中はいつの間にやら、争いそして戦争へと進んでで行く。歴史を紐解けばすぐにわかる。
 そうした意味で「憲法9条にノーベル平和賞を」の運動は貴重な活動だ。世界中に9条があれば愚かな戦争はほとんど無くなるだろう。そんなことはないだろうけど、安倍政権が背後で画策しなかったかと思ったりする。
 しかし、わずかであるが9条が平和賞を受けるかもしれないと思った今年は嬉しい年だった。
望郷・第1首(會津八一) 2014・12・27(土)
  はる されば もゆる かはべ の をやなぎ の     解説
             おぼつかなく も みづ まさり ゆく
      (春されば萌ゆる川辺のを柳のおぼつかなくも水増さりゆく)

 故郷を離れて暮らす八一が新潟を思って詠った7首の最初。先ずは信濃川を詠う。  
今年を振り返って・くるみの病気 2014・12・26(金)
 くるみの病気が生活行動を変えた。4月に体調を崩し、医者が完治を言った9月まで一喜一憂しながら看病した。とりわけ重かった春から夏は添い寝をするように暮らしたのでほとんど外出出来なかった。週に一度はハイキングやスポーツその他で出かけると決めていたことはすべて反故になった。その上、それが習慣になって未だに家に居ることが多い。
 くるみは犬でペットだが、共に暮らしていると人間の子供と同じである。他の動物や生物と大きく違うのは、人との対話(行動で)が優れていること、共に暮らす人間の心の中まで見透かしているような所があり、極めて賢明である。そして従順でもある。
 願わくば長生きして欲しいと思うが、こればっかりはわからない。寿命はあと10年はあると思うが、そうなるとこちらの身の方が危ない。
マイマイに願いを(中日新聞・つれあいにモノ申す) 
                        
2014・12・25(木)
 メニエール病で悩んでいる。ある日、草取り中の夫がつぶやいた。聞くと、「ばあさんの耳が良くなるように頼んだだよ」。足元のかわいいカタツムリにお願いしてくれたらしい。(ホロリとした妻・75歳)

 仏像教室の先生宅から植木鉢をもらってきた。中に3匹のカタツムリが寒さを避けて潜んでいた。家の南、西、北に一匹ずつ放してやる。殻付きだけで可愛がられ、そうでないナメクジは草花の敵と嫌われる。
日録 20世紀(1921・大正10) 2014・12・24(水)
 1921年のグラビアは以下である。
  ・皇太子、20歳の「欧州巡遊」
  ・テロ続発!安田善次郎と原敬首相の暗殺
  ・夫を捨てた美貌の歌人、柳原白蓮の「不倫」劇
  ・チャップリンの大傑作「キッド」、大当たり!

 20歳の皇太子(後の昭和天皇)は6ヶ月の「欧州巡遊」を行い、帰国後大正天皇の摂政になる。(この事は初めて知った)
 原敬が初の政党内閣の首相、そして暗殺された、ということは知っていたが、彼は普通選挙成立を阻止し、民衆には無慈悲な首相だったとは知らなかった。
 柳原白蓮はNHKのドラマ「花子とアン」で登場する。朝ドラは見ていないが、報道などで耳に入ってきた。伯爵令嬢だった白蓮が大富豪の夫を捨てて年下の恋人に走った事件は、日本女性史に特筆される壮挙だったという。投獄さえ覚悟しなけばいけない状況での恋を選んだ彼女を評価するし、告訴せず円満に離婚した大富豪の豪気も魅力的。彼女は戦後は平和運動に情熱を注いだという。
 ドタバタ喜劇ではなく、笑いの中に涙があるチャップリンの「キッド」やヒトラーを批判した「独裁者」などをもう一度見たい思った。
会津八一 鹿鳴集・望郷(七首) 2014・12・23(火)
               いつの頃よりか大正十四年七月に至る
自註鹿鳴集より   
 作者の郷里は新潟の市内なり。されど一生の大半を東京にて暮らし、罹災して困窮に陥りしために、やむなく老後の身を故郷に寄せ来りしなり。かへつて新潟の歌を詠むこと少きは、住むこと久しからざりしためなり。  
 
 会津八一は1881年(明治14)8月1日に新潟市古町通五番町に生まれ、1902年(明治35)21歳の時、東京専門学校(現早稲田大学)高等予科に入学する。1925年(大正14)44歳に早稲田大学附属高等学院教授になるまでに詠んだ若き日の望郷の歌を含む7首である。
 作品を収録した歌集「鹿鳴集」の刊行は1940年(昭和15)59歳の時、その鹿鳴集を自ら解説した「自註鹿鳴集」の刊行は1953年(昭和28)72歳の時である。
目を見開き、耳を澄ませ(辺見庸) 2014・12・22(月)
 かって、「内なるファシズム」を語り、知らず知らずのうちに己の心の内で自由主義を否定し、全体主義へ加担する行為に警鐘を鳴らしていた辺見庸が今回の選挙前に「目を見開き、耳を済ませ」(神奈川新聞)で安倍政権批判をしている。その中で「内なる特高」を語る。
 「(芸術や思想にかかわることは無視した警察の芸術家逮捕に)メディアをはじめ世論に反発する声がなく、政権に対する恐怖心もない。社会全体が自警団のようになっていて、特高は外部ではなく、私たちの内部にいる。権力に瀬踏みされ、自由の幅はさらに縮んでゆく」と述べている。
 アベノミクスで経済効果ばかりが論議されて、人間の「生き様」を考えること、また人間らしく生きるための体制をどうするかは語られない。特に若い人や現役世代の無関心に失望する。
 辺見庸の文章は神奈川の友人の紹介で読んだ。友人はこう言ってきた。
・・・もうだいぶ長いことデモにも行っていないけれど、イメージ的にはわれわれの生活環境が「ナチスのゲットー」になりつつある感じのところ、神奈川新聞に逸見庸が登場し、「選挙後のナチス体制へのデモをしなきゃいけない。倒れるまで…」と言われている気がする。・・・
 「良いお年を」というべきところかもしれないが、来年はいい年になんかなりっこないよね。

     http://www.kanaloco.jp/article/81601/cms_id/116317   』
ぬか喜び(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・12・21(日)
 朝、化粧の後で言った。「化粧すると、十歳若返るな」。ってことは四十九歳に見えるんだと喜んだのもつかの間、「化粧して、やっと年相応の五十九歳に見えるんだ!」だと。(もう飯は作ってやらん・59歳)

 長年、髪を染めてきた。染めを止めて短く切ったが、前髪以外はゴマ塩でヘンテコリン、その上10歳は老けて見える。残念!
大雪と初スキー 2014・12・20(土)
 前日の18日は大雪、ほとんどの有料道路が閉鎖になっているので、スキー場まで行けるかどうか心配だったが、6時半に家を出てノブ君宅経由で一般道を走って奥伊吹スキー場へ。過去に一度引き返したことがあるので、行けない場合はどこかでノブ君と遊ぼうと思っていた。
 案の定、道はいたる所で混んでおり、関ヶ原の手前では凍った路面のぼこぼこした雪に車が左右に飛ばされそうになる。神経を使ったのでいつもより疲れた。滑り初めは通常より1時間ほど遅れた。
 ところが、スキー場は新雪が降ってゲレンデが見事に整備され、素晴らしい状態だった。10コースほど快適に滑ったが、ノブ君は一度も転ばずに快走する。ノブ君パパも素空も一度ずつ転んだ。
 施設全体が田舎風で村営みたいだったこのスキー場に、新しい最新複合施設「センターハウス」が出来ていた。居心地もよい。今年はここへ来る回数が多くなるかな?
 今日はあちこち筋肉痛である。初滑りは結構大変だ。
  
淡島寒月老人に(會津八一) 2014・12・19(金)
  わが やど の ペルウ の つぼ も くだけたり    解説
           な が パンテオン つつが あらず や
   (わが宿のペルウの壺も砕けたり汝がパンテオン恙あらずや)

 20歳ほど年上の敬愛する淡島寒月にも諧謔の語をもって歌を送る。
會津八一の歌と解説(完) 2014・12・18(木)
  たびびと の め に いたき まで みどり なる     解説
            ついぢ の ひま の なばたけ の いろ

 崩れた築地の向こうに萌え立つ緑の菜畑が見えるという。何でもない様な風景だが、歴史のある奈良であるからこそ感慨深い。築地の崩れが時を感じさせるのだ。この大好きな歌を解説した2002年5月18日が始まりで、それから886首完成に12年半かかった。詩心も乏しいのに、思いつきでいい加減にはじめたがここまで来れたのは根気だけ。能力不足でも少しずつ実行すればなんとかなるということかな?
  わたつみ の そこ ゆく うを の ひれ に さへ     解説
            ひびけ この かね のり の みため に

 四国の五剣山八栗寺の鐘の鐘銘として詠んだ歌、海の底を行く魚にまでこの鐘の音が仏の教えとして届けと詠う。この歌が886首目(12月9日作成)最後の歌である。
 終わって少し虚脱感はあるが、ほっとしている。作成に協力していただいた友人、知り合い、あるいは投稿の方に感謝している。そして、最後のお願いとして、誤りその他を見つけられたら、是非指摘して欲しいと思っている。
 會津八一死後58年、命日は12月21日。 
ぼったくり?(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・12・17(水)
 初めて立ち寄ったお店で、赤と黒のフェルトペンを買った。レジで、「86円、86円2本で186円いただきます」。え?と思いながら支払いを済ませてレシートを確かめてみると、なるほど消費税を含めると186円だった。
  (岡山市・8%って高いなあ・78歳)

 86の偶然の一致、面白い。でも消費税は高いね~~。1年半後のアップを選挙で問うと言っているけど、庶民にとっては消費税廃止がいいけど!
喪中葉書 2014・12・15(月)
 わたくしの現在地ふと見失う淋しい葉書が次々に届き
              (松阪市)小山 肇美  中日歌壇(12月14日)
 「人の死は、自分がいま人生のどの辺にいるかという問いを喚起する」
                      (選者・島田修三 評)
 喪中葉書で知った業界の先輩の死、干支で一回り年上だが、街中をいつも歩いて病に対処していたが、会わないなとと思っていたら亡くなっていた。いろいろな思いは浮かんだが、一番気になったのは引退した高齢の元組合長のこと。糖尿などで視力が落ち、痴呆が始まっていると聞いていたので、期日前投票を済ませて訪ねてみた。駅前の店はシャッターが下りていた。近くの店で話を聞くと、シャッターを叩いても出て来ないが元気、買い物にも出かけると言う。ただ、息子達とは最近別居したようで、わずかに孫が泊まりに来るらしい。もしやと思ったことは杞憂だった。
 別の喪中葉書は元気な奥さんが看病していた先輩のもの、しかし息子さんから届いた文面にはその奥さんの名前もある。びっくりしたが、高齢だったので共に旅だったのかもしれない。悲しいことだが、すこしほっとした。
                 (明日第3火曜日は独り言を休みます)
        カインズーラーメン・田ートミジャスー安達家ー三滝公園
山口剛に(會津八一) 2014・12・14(日)
  うつくしき ほのほ に ふみ は もえ はてて     解説
            ひと むくつけく のこり けらし も
    (美しき炎に書は燃え果てて人むくつけく残りけらしも)

 (山口剛が)罹災して悉く蔵書を喪(うしな)ひ、悲嘆の状見るに堪へず。是を以て作者ことさらに諧謔(かいぎやく)の語を以て、一首を成して贈る。意はむしろ倶(とも)に啼(な)かんとするに近し。(自註鹿鳴集)
三角ヨイショ 2014・12・13(土)
 NHKの100分で名著・枕草子で司会の伊集院光が「三角ヨイショ」と言った。今までに聞いたことが無い言葉だが、自分を売り込みたい相手に直接「ヨイショ」するのではなく、その人とつながりある人に「ヨイショ」して意図を伝えると言うことだった。芸能界内部だけの言葉のようだ。
 ところで、枕草子に触れたのは10代の頃、しかも受験のためであったので、楽しんで読んだ覚えは無い。放送を見て、ゲスト講師・山口仲見が「清少納言は歌人の娘なのに、歌が不得手だったから、随筆(枕草子)が書けた」「才女だったが、“法師はイケメンがいい”と言いきるミーハーなタイプ」と話している事が面白かった。
 そんなことで、ホコリだらけの枕草子を本箱から出してきた。受験用で無ければ、楽しんで読めるのか?挑戦してみようと思う。
被服廠(ひふくしよう)の跡にて・第2首(會津八一) 
                         
2014・12・12(金)
  みぞがは の そこ の をどみ に しろたへ の      解説
         もの の かたち の みゆる かなしさ
     (溝川の底のをどみに白妙の物の形の見ゆる悲しさ)

 「しろたへのもの」は人間の足らしきもの、と八一は言っている。
ギンナン 2014・12・11(木)
 ギンナンを祖父江の黄葉まつりで買ってきた。茶碗蒸しに入っているギンナンしか知らなかったが、レンジで加熱(約40秒~1分半)して食べたら、とても美味しい。方法は紙袋に塩と一緒に入れ、レンジで加熱し、殻が割れていない物はペンチで割ればいい。  
 ギンナンは滋養強壮、強精効果や、膀胱や肺をあたためる働きがあり、頻尿や夜尿症の改善、ぜんそくの治療、せき止め、たん切りなどに効果があると紹介されている。
 ただ、食べ過ぎると中毒症状が起こるので気をつけなければいけない。 子供は7粒未満、大人は40粒未満にしないと危ないと言う。
 ギンナンの賞味期限は1週間~1か月以内、時間が経つと固くなってうま味がなくなり、カビも生えてくる。ただ、我が家はそんな心配はない。結構あったギンナンは腹の中に収まっている。
 黄葉も良かったがギンナンも美味い。来年の黄葉まつりも行きたい。
店員さんのひと言に(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・12・10(水)
 少しぽっちゃりの母(54)と買い物に行った。母が「これいいね」とチェックのズボンを手に持つと、「痩せてみえますよ」と店員さん。母は「デブって言われたみたい……」とがっかりしていた。
            (神奈川県平塚市・コメントも難しいですね・30)

 化粧して素敵な服を着た人に「きれいになったね!」ではなく「きれいだね」と言わなければいけないかな?
菅原文太 2014・12・9(火)
 菅原文太についてはあまり知らなかったし、興味がなかった。ただ、その訃報で朝日新聞の天声人語にこう書いている。
仙台一高時代には、『悪の華』で知られるフランス象徴派詩人ボードレールに飛びついた。新聞部の1年後輩だった作家の故井上ひさしさんとの対談によれば、マントを羽織って、部室でたばこを平気でふかす文学少年だった
 実はボードレールの「悪の華」をつまみ読みしていたので、なんとなく親近感が出来た。そして、早大第二法学部中退ということも親しみを感じる。ただ、ボードレールの生誕から死までを退廃的、官能的に表現したという「悪の華」は素空にはほとんどわからない。
 その上で彼をもっと評価するものがあった。それは菅原さんが約30年前、在日韓国人のための老人ホームを大阪に建てる運動に協力したこと。彼の呼びかけで1億円を超える寄付が集まり、1989年、堺市南区に施設「故郷の家」が建設されたという。きっかけは、社会福祉法人「こころの家族」理事長、尹基(ユンギ)さん(72)の新聞投稿。高齢の在日韓国人の孤独死を取り上げて施設の建設を呼びかけると、菅原さんが尹さんに「福祉の事は分からないが、難しいことをやらせてほしい」と募金の呼びかけ人を買って出たという。
 悪の華と在日朝鮮人支援とはかけ離れているが、長い人生の中で他人のためにいろいろと活動したことは確かな事実。今頃になって彼を評価して申しわけないが、彼の冥福を祈りたい。
被服廠(ひふくしよう)の跡にて・第1首(會津八一) 2014・12・8(月)
  あき の ひ は つぎて てらせど ここばく の     解説
           ひと の あぶら は つち に かわかず
   (秋の日はつぎて照らせどここばくの人のあぶらは土に乾かず)

 震災の生々しい姿を詠む。「人のあぶら」は強烈である。
小松菜と葉ボタン 2014・12・7(日)
 8月に蒔く種として小松菜、葉ボタン、パンジー、ビオラがあったので、購入してプランターで育てることにした。ところが、パンジーとビオラが芽が出なかった。反対に小松菜と葉ぼたんは沢山芽が出て順調に育った。
 葉ボタンが虫に弱いのを知らなかったので、途中で青虫に沢山食べられた。気が付いた時から毎日虫取りをしてなんとか育ったので、他の花とコラボした正月用の鉢植えを作った。
 小松菜は何度かに分けて栽培し美味しく食べていたが、途中から小さな虫が大量に付いた。薬は使わないので、手で取り除いているが、被害にあった小松菜は幾分苦い。先日、知り合いから「小松菜をプランタで作っています。無農薬でいいですよ」とメールがあった。
 敗戦の一年前(昭和19年)、八一に小松菜の歌がある。
    まちびと が きばこ に まきし こまつな の      解説
           このごろ のびて はる はて に けり
     (町人が木箱に蒔きし小松菜のこの頃伸びて春果てにけり)
よく落ちる洗剤(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・12・6(土)
 テレビの情報番組で、「汚れがよく落ちる」との触れ込みで、ある洗剤を紹介していた。見ていた父は同じ70代の母に「これで、その顔のシミも落とせば?」。むっとした母は「お父さんの腹の黒いのも、それで落ちればいいわね!」。負けていなかった。
        (東京都葛飾区・買って共に服のシミは落とした・43歳)

 なかなかの夫婦である。きっと仲良く長生きすると思う。
林家菊丸襲名披露 2014・12・5(金)
 11月23日の諏訪神社での襲名披露に出かけた。話は「竹の水仙」と「天狗裁き」だった。充実した内容になっていたが、それよりもなんばグランド花月での最初の襲名披露(2014・4・27)以降の話が面白かった。有名な落語家への挨拶や襲名披露の口上の話で場内を沸かせた。
 関西での襲名は少なく、この由緒ある名跡を115年ぶりに継ぐのはとても価値あるようだ。四日市出身の落語家程度に思っていたが、彼は関西で活躍する中堅の落語家だという。1年かけて行う襲名披露で飛躍して大落語家になって欲しいものだ。
 来年9月の四日市文化会館・第1ホールでの最後の襲名披露は盛大なものになりそう。未確認だが、歌丸や円楽がやってくるようだ。これは見逃せない。いつから、予約出来るんだろうね!
  
後数月にして熱海の双柿舎を訪はむとするに
       汽車なほ通ぜず舟中より伊豆山を望みて 
                          
2014・12・4(木)
  すべ も なく くえし きりぎし いたづらに       解説
       かすみ たなびく なみ の ほ の へ に 
  (すべもなく崩えし切り岸いたづらに霞たなびく波の秀のへに)

 2004年、熱海に一泊しても双柿舎を見学し、掛けられていた扁額を写真に撮った。そのことを昨日のことのように思い出す。
水晶の歌声をめざして6(帰路) 2014・12・3(水)
 コンサート終了後、ちゃーちゃん夫妻に挨拶して、Qちゃんと地下鉄へ向かう。切符売り場でスキー仲間のNさんと会う。彼女とは1月末のスキーに一緒に参加する。Nさんに「奥さんですか?」と問われて「ガールフレンドです」と軽口を叩いて別れ、地下鉄に乗る。
 発車してすぐに前の女性が席を立った。不思議だなと思っていたが、しばらくして気が付いた。そこは優先席、素空の頭を見て譲ってくれたようだ。笑い話でよく聞くが、まさか自分にとは思わなかった。親切はありがたいが、結構心が傷ついた。帰ってから、この事を話して笑いをとったが、ショックは続いている。
 そんな中で近鉄名古屋駅で改札を通ろうと思ったら、乗り降りできるPiTaPaカードが無くなっている。駅員さんに聞いて、2か所に電話してカードの停止をしたが30分ほどかかった。
 さらに四日市に着いて歩いていたら親戚の家族に会いしばらく立ち話、遅れたので時間を決めて待っていた連合いの機嫌が悪かった。
 素晴らしい絵や歌を見聞きでき、充実した一日だったが、ちぐはぐな一日でもあった。(おわり) 
バナナ月(朝日新聞・あのね) 2014・12・2(火)
 保育園からの帰り道、空に月が出ていた。ママが「きれいな三日月だね」と言うので、「ミカンづきじゃなくて、バナナつきだよ」。
               (横浜市 菅野 光生“みつお”・4歳)

 なるほど、どう見てもバナナに見える。三日月なんて説明を受けないと意味がわからない。
12月のはじめに 2014・12・1(月)
 時間の経つのは早いもので、もう12月に入った。12月もあっという間に過ぎそうだが、今月の目標は一つある。それは會津八一の歌、886首(会津八一全歌集・S61年7月25日初版)の解説の完成。あと35首になった。なんとか終わらせたいが、いろいろな事を調べたりして解説していると1首に相当の時間がかかる。ただ、一人で出来たわけではない。アドバイスや間違いを指摘してくれてきた仲間の協力があったから。感謝!!
    

 
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