9月の終わりに 2013・9・30(月)
 7月からずっと続いていた口内炎のような症状は、抜歯した後の尖った骨が原因で舌の裏が炎症を起しているためだった。月初めに分かり、4日にミニ手術で骨を削ってもらい、徐々に痛みが引き食事もできるようになって中旬には完治した。
 猛暑もあったが、痛みと異常な疲れの連続に「どこか悪い?」「年かな?」「いよいよ・・・」と落ち込む。ノブ君パパも随分心配してくれたが、近鉄沿線ハイキング、ゴルフ、ノブ君ハイキングと元気に動いているので、突起した骨だけの問題だったようだ。
 それにしても健康なことがどれだけ嬉しいことか、健康万歳!10月は元気にいろいろしたい。
                    ノブ君ハイキング・彦根城         
山中高歌・第9首(會津八一) 2013・9・29(日)
 たにがは の そこ の さざれ に わが うま の 
          ひづめ も あをく さす ひかげ かな    解説
      (谷川の底のさざれに我が馬の蹄も青く射す日かげかな)

 谷川の水の中の馬の蹄も青く見えるほどの日の光だと言う。憂患から解放されつつある八一は太陽の光も素直に受け入れる。
イエスの生涯 2013・9・28(土) 
  紀元30年頃のイエスの磔の後、イエスは復活(現れ)と昇天(隔離)した(イエスの復活、参照)。そして、隔離生活からまた「復活」し、パウロなどの伝道者たちとギリシア、ローマと西方に向かい布教したと言う。
 「イエス自身の最後の日々については、記録がない。A・D64年には彼は70歳であった。ローマで隔離されたまま老衰で死んだことは大いにありうることである。また、家族が、あの帝国への希望とともに起こった迫害を恐れて、北方へ旅したかもしれない。南フランスには、ヘロデ党の所有地があった。彼らはそこに亡命したかも知れない」バーバラ・スィーリングは最後にこう記している。
 「イエスのミステリー」は難しいが、知らなかったことが多く楽しい本でもある。キリスト教を宗教的に信じること、「イエスのミステリー」が言う歴史上の生身のイエスの姿を信じること、どちらも自由である。
 「イエスのミステリー」の内容を十分に把握したかは分からないが、並行して新約聖書も再読した。さらに、旧約聖書を読み始めたが、何年かかることやら。
「ふ~っ!」(朝日新聞・あのね) 2013・9・27(金)
 お母さんから「手紙を書き終えたから、封をしようね」と言われた私。封筒のふたに向かって、一生懸命、息を「ふ~っ!」。
                   兵庫県宝塚市 松田 仁美・3歳)

 可愛いね~~。近所に2歳になる女の子が2人いるが、くるみを見て喜ぶ仕草が何とも言えない。
桑名駅(9・22) 2013・9・26(木)
 桑名駅には11時半に着き、駅と駅前を写真に撮った。桑名市は人口14万人で、今は名古屋市のベッドタウン化が進むが、機械・金属系を中心とする工業都市でもある。蛤で有名で、ナガシマスパーランド、多度大社、東海道の七里の渡しなどがある。四日市に隣接する町なので、ほとんどの場所は行っている。
 駅を利用することは滅多にないので構内はほとんど印象にない、それよりも知人などを車で迎えるために駅前に駐車する方が多い。
 ここから長島駅まで6kmほどありそうなので、桑名の見学はカットして食事をするところを探しながら、国道1号線を歩くことにした。
 近鉄桑名駅の1日の平均乗車人員は12,000人ほどである。(JRは5,000人 養老鉄道は2,500人)
  
    
山中高歌・第8首(會津八一) 2013・9・25(水)
 かぜ の むた そら に みだるる しらくも を 
          そこ に ふみ つつ あさかは わたる   解説
      (風のむた空に乱るる白雲を底に踏みつつ朝川渡る)

 朝川のその川底に白雪が映っている。それを踏んで渡る八一の心境はどうだったのだろう。
西桑名駅・三岐鉄道北勢線(9・22) 2013・9・24(火)
 7月11日、伊勢朝日駅から益生駅まで歩いた。その日は38.5度、こんな日にハイキングとは気違い沙汰だと非難され、その後の体調不良もあって近鉄沿線ハイキングを中止していたが、9月22日にやっと再開した。
 体調を考慮して、益生から桑名を通って長島までと思っていたが、欲張って弥富まで歩いた。あちこち覗きながらなので10kmを大幅に超えていた。弥富の手前、木曽川を渡る尾張大橋(ここで愛知県になる)では疲れが出て後悔したがもう引き返せない。
 この日、益生駅を11時過ぎに出て桑名駅をめざした。益生の特色をと思って辺りを見ながら歩いたが、ほとんどめぼしいものがなく、三岐鉄道北勢線の駅である西桑名駅に着いた。ここまで1kmぐらいである。ここから北へ300mの所に桑名駅(近鉄、JR、養老鉄道)がある。
 桑名駅の東南にありながら「西」桑名駅は不思議だが、理由はいろいろあるらしい。出発した益生駅も1930年頃まで西桑名駅を名乗っていたから面白い。しかも今は西桑名町という町名はないと言う。
 この西桑名駅の1日の平均乗車人員は2,400人ほどである。
101回目のメッセージ(中日新聞・つれあいにモノ申す) 
                                2013・9・23(月)
 認知症の母が毎日同じことを繰り返し言う。「その話は100回も聞いた!」と怒り声で言うと、「おや、お前さん、今日は101回目の話をしているところよ」とのたもうた。  (秋田市・口の減らない母に似てきた娘・72歳)

 「土日ぐらい一人にさせてくれよ」と言った85歳の義父さんとユーモアのセンスを競う!!
丘の会・第10回記念展 2013・9・22日(日)
 出展している知人・佐治悦子さんから案内を頂いたので、仏像彫刻の仲間3人で出かけた。去年に続いて2回目である。仲間Sは昔、佐治さんと同じ陶磁器業界にいたので佐治さんの旦那さんとは面識がある。
 今年は3点「静物」「鶏足寺の紅葉」「春薫る」を出展している。「静物」に魅力を感じたが、写真ではうまく伝えられない。「鶏足寺の紅葉」はメルヘンの仲間で出かけたことを思い出し、とても印象深いものだった。「春薫る」は桑名の風景だと言うことだ。展覧会は9月29日まで小山田美術館(四日市市)で開催されている。  
山中高歌・第7首(會津八一) 2013・9・21(土)
 あをぞら の ひる の うつつ に あらはれて 
          われ に こたへよ いにしへ の かみ    解説
      (青空の昼のうつつに現れて我に答えよ古の神)

 八一の叫びである。山中高歌を代表する1首。
日録 20世紀(1903・明治36) 2013・9・20(金)
 1903年の最初のグラビアは「ライト兄弟、初飛行」と「藤村操(みさお)の死」である。また、ニュースファイル冒頭にはこう書かれている。
「東京にチンチン電車が走り始めたこの年、大阪にはスピードと料金勝負のポンポン船が登場・・・。そして年末、満州(中国東北部)から撤退しないロシアをにらんで、連合艦隊が編成される」
 海外ではキューリー夫妻がノーベル賞をもらっている。
 印象に残るのは藤村操、たしか高校時代に教師からそのことを聞き、衝撃を受けたことを覚えている。
 藤村操は1903年(明治36年)旧制一高の学生の時(16歳)、華厳滝で投身自殺した。哲学上の悩み、あるいは失恋と言われているが、遺書「巌頭之感」は後世に残った。
 巌頭之感
  悠々たる哉天壤、
  遼々たる哉古今、
  五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
  ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
  萬有の眞相は唯だ一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
  我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
  既に巌頭に立つに及んで、
  胸中何等の不安あるなし。
  始めて知る、
  大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
独居(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・9・19(木)
 85歳の義父は田舎で独り暮らし。寂しくないよう、月曜から金曜までヘルパー、デイサービスを活用している。「土日は寂しくない?」と電話で尋ねたら、「土日ぐらい一人にさせてくれよ」と言われた。
                (相模原市・まだまだ元気です・55歳)

 こう言う人は頼もしいし、ユーモアもある。「敬老」と言うより、「尊老」と言いたい。
敬老の日 2013・9・18(水)
 16日は敬老の日だった。孫から手紙が届いたので、素空も「敬老」の対象なのだと気がついた。
 法律では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」となっている。それでは「老人とは?」と考える。一般には65歳以上と言われているが、ある調査(敬老の対象となるのは何歳?)では67歳以上になったと言う。とにかく、高齢者は「敬老」をいつまでも自分事にはしたくないと思っているし、素空もそうだ。「年寄り扱いされたくない」と言うことだろう。
 夏の猛暑下で体調不良が続くとやっぱり年を取ったと思うし、年寄り扱いされたくないと思うが現実は悲しいかな進行する。
 しかし、時の流れに逆らって新たなことに常に挑戦したいと思っているし、涼しくなると気力も起こってくる。新たな挑戦が能を活性化させ若返りになると言う。敬老の日はそんな気持ちにさせる良い日かもしれない。
派手な服の効用(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・9・16(月)
 私が買った服は気にいらないのに、息子の嫁にもらったド派手なTシャツは喜んで着ている夫。まあいいか、そろそろ迷子になる年かもしれないし、外で目立っていいかもね。        (地味な服が好きな妻・72歳)

 連れ合いが買う服はいつも押し頂く。好みじゃない服は着る回数が少ないけど。息子や嫁がくれる服は「ド派手」なものではないが、嬉しいのでよく着る。これって、嫁に「ド派手なTシャツ」を期待しているわけじゃないよ。
                 (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                       おちょぼさんートミジャス
星野富弘9~10月の詩画 2013・9・15(日)
 詩「そこになくても(リンドウ)」
      そこになくても見えるもの
      失うほど 増えるもの
      歌わなくても聞こえる歌
      私がいちばん
      大切にしたいもの
 良い詩だ。まっすぐに生を肯定する。逆境にあってもこんな詩が一緒なら救われる。
            
山中高歌・第6首(會津八一) 2013・9・14(土)
 いにしへ の ヘラス の くに の おほがみ を
          あふぐ が ごとき くも の まはしら   解説
      (いにしへのヘラスの国の大神を仰ぐがごとき雲の真柱)

 雲がギリシャの神のように見えると言う。憂患の八一に神々はどう語りかけたのだろう。
映画・少年H 2013・9・13(金)
 妹尾河童の自伝的小説・少年Hを評価しているので、期待して映画を見た。「全編とても重い」が率直な感想である。
 昭和初期の神戸、好奇心と正義感が強い少年H(肇)は、厳しい軍事統制下で誰もが口をつぐむ中でも、自分が疑問に思ったりおかしいと感じたりしたことを素直に口にする。映画は戦前から終戦直後までの戦争という暗い時代の影をはねつけながら生きるH一家の姿を映し出す。
 戦後生まれの素空は、アメリカナイズされた戦後「民主」教育を受けた世代なので、戦争の経験はないが先の戦争の愚かさ、恐ろしさを骨の髄まで植えつけられている。そして「民主」主義の申し子のようなものである。そんな素空から見た少年Hは 
 ・戦時の厳しい統制下で現実にはあり得ないと思えるほどに
  逆らっている勇気ある少年
 ・敗戦後、軍国主義から簡単に民主主義に転換した風潮への
  批判の目を持つ理知的な少年
 ・ファシズムや「民主」主義に潜む衆愚政治に自らの考えを
  大事にして立ち向かえる頼もしい少年
 映画館の観客に若い人はいなかった。アメリカと闘ったことすら知らない若い人が多くなったと言う。こんな映画を少年や学生に見てもらいたいと思うが、戦争への道を開こうとしているようかのように見える現政権下では危険な映画だとみなされそうだ。
 ただ、こんな映画が作られている日本や世界はまだ捨てたものではないとも思っている。
今日は何の日?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・9・12(木)
 「今年は何年だ?」と突然、夫が尋ねた。目の前に新聞もカレンダーもあるのに、ついに、物忘れが始まったかと、顔を見ると「結婚して何年だと聞いたんだ」だって。あーっ、今日は結婚記念日でした。
                      (物忘れが心配な妻・60歳)

 結婚式が何年前かは息子の年に一つ加えればいいと思うが、自信がない。ただ、はっきりしているのは3月21日だったこと、その年は春分の日だったので印象深い。
東日本大震災・2年半 2013・9・11(水)
 ラジオが特別番組を流し、新聞は2年半と報じている。9月10日現在の死亡15,883人、不明2,654人である。改めてこの震災の恐ろしさを思う。死者への哀悼の意を表すとともに一日も早い復興を願いたい。
 9月1日防災の日に当って会津八一の震余を紹介したが、その惨状は見るに忍びない。会津八一の震余を紹介したが、
関東大震災
の惨状は見るに忍びないものだった。しかし、今回は原発事故と言うことが重なったので余計に悪い。もはや東京電力で解決できる問題ではないのに、問題を先送りしてきた政府の責任は重いと思う。
 とりわけ、東京オリンピックの実現のために国際社会に汚染水漏れの防止を宣言するなどは本末転倒である。原発事故の処理と被災地の復興が第一に考えられるべきである。
 国民の税金はこのようなこと(個人の力ではなしえないこと)に第一に使うべきだと日ごろから思っている。
                           くるみの浮き彫り
山中高歌・第5首(會津八一) 2013・9・10(火)
 くも ひとつ みね に たぐひて ゆ の むら の 
          はるる ひま なき わが こころ かな    解説
      (雲一つ峰にたぐひて湯の村の晴るる暇なき我心かな)

 雄大な自然のなかで心は癒されていくが、しかし憂患は続く。

                        将周からの手紙
イエスの復活 2013・9・9(月) 
  イエスは十字架で「息を引き取った」(イエスの磔、参照)。しかしそれは括弧付きである。イエスは十字架上では死ななかった。ヘビ毒の入ったブドウ酒を飲んで気を失っただけだった。既に死んだかに見えたイエスは他の2人と共に洞窟に埋葬された。そして仲間によって助け出される。復活したのではなく蘇生したのである。シモン・マグスも生き返るがユダだけは洞窟の窓から崖下に突き落とされ死亡した。
 イエスは聖職者たちの前に現れ、その後、隔離生活のために独身の共同体に戻った。それがイエスの復活(現れ)と昇天(隔離)であるとバーバラ・スィーリングは言う。
 長年、聖書になじんできた者には奇想天外な話である。ただ、信者以外の者にとっては「復活と昇天」も現実離れした話である。
冗談か本気か(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・9・8(日)
 美容整形のちらしを見ながら「私もやってみようかな」と冗談を言ったら、夫は「おおごとになるぞ」とひと言。ちょっと、真面目に答えないでよね。
                (二重まぶたになりたい妻・60歳)

 「おおごとになるぞ」は辛辣!何歳になっても美を求める人は美しい。
スージー 2013・9・7(土)
 素空の家庭での別名はスージでスージーではない。スージはネットのハンドルネームSURUMEのスとジージ(爺)の合成語で最初スージーだったが、SUージィ(SUー爺)は拒否してスージと呼んでもらうことにした。
 ところが兄の愛称は名前のスミ・・からスーチャンであるので、孫たちと一緒にいると兄には気の毒だが紛らわしい。
 先日、ドラマでスージーと言う猫の名が出てきた。桂文珍のセリフでは、やせ細って筋だらけの貧相な猫と言う意味らしい。若い時から痩せていたのでホネチャン、スジ・・・とかあだ名がついていたので、スージもスージーも適切な名前なのかもしれないと思った。
山中高歌・第4首(會津八一) 2013・9・6(金)
 あさあけ の をのへ を いでし しらくも の 
          いづれ の そら に くれ はて に けむ    解説
      (朝明けの峰の上を出でし白雲のいづれの空に暮れ果てにけむ)
 第3首で詠んだ朝明けの雲の行く末に思いやる。雄大な自然のなかで八一の心は穏やかになっていく。
朝日町中3殺害事件と仏像 2013・9・5(木)
 被害に遭った少女のために仏像作りの師・安達正秋先生夫妻が、お花と十一面観音菩薩を現場に供えられたのは9月1日、彼女の告別式の日だった。
 先生は「朝明中学は教鞭をとった最後の学校でしたし、現在朝日町に在住しているためです」と話されている。
 安達先生は朝明中学校長を最後に教職から離れ、仏師への道に進まれた。その弟子が素空を含む三重校友会のメンバーである。今日、先生は会員に一緒にお参りして欲しいと言われた。もちろん、冥福を祈りたいと思っていたので全員で出かけた。
 「先生!この仏像は先々どうなるのでしょう?」とお伺いすると「沢山の方々の祈り、思いが籠められていますから、“お精”(魂)が入っています。おろそかには扱えません」とおっしゃった。
 昨日、印象に残る先生の話を書いたが、心の優しい安達先生は今現在指導を受ける尊敬する方で、同時に大好きな先生である。
   
   
故藤田登先生 2013・9・4(水)
 高校1年の担任だった藤田登先生(国語)が8月28日に亡くなられたと友人からメールがあった。
 入学してほっとしたのもつかの間、この先生の授業は厳しかった。教えながら、生徒がどれだけ理解しているかを常に問うた。矢継ぎ早に出る生徒への質問が自分にやってくる前は緊張が最高潮に達した。そのため、学習に力を入れたのか国語は比較的成績が良かった。この頃、一緒に学んだクラスの仲間を中心にした会がメルヘンである。
 2年でも担任だった藤田先生はとても印象に残る先生である。多くの先生に学んだが、もう1人影響を受けた印象に残る先生がいる。予備校時代の日本史の先生だ。大教室で受けた授業だが、歴史の流れ(転換)をその必然から理解することを強調しながら、暗記するだけの学習はダメだと力説した。知識の垂れ流しのような授業や暗記に走る学習法になれた自分には新鮮だった。
 印象に残る先生は自分の一部となって残っている。そんなことを思いながら亡き先生を偲んでいる。
男は黙って・・・(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・9・3(火)
 妻はよくトイレの明かりを消し忘れるくせに、おれの消し忘れには厳しい。「いつも消してやっているのに」と訴えても「黙って消し、何も言わない。それが男でしょ」。そんなこと言われても・・・。
                      (口では妻に勝てない夫・82歳)

 黙って消し、何も言えない。それがわが家の夫です。 
震余8首 2013・9・2(月)
 昨日9月1日は防災の日、各地で防災訓練が行われた。この日は1923年の関東大震災(約10万5千人が死亡あるいは行方不明)から90年にあたる。1日の朝日新聞で墨田区本所・被服廠跡(死者4万人弱)の目を覆いたくなるような写真が掲載されていた。
 会津八一はこの時、震余と題して8首詠んでいる。2か月前に歌の解説を作ったのでそこから一首掲載し、当時の犠牲者を偲びたい。
  被服廠(ひふくしよう)の跡にて(第1首)     解説
    あき の ひ は つぎて てらせど ここばく の 
          ひと の あぶら は つち に かわかず
    (秋の日はつぎて照らせどここばくの人のあぶらは土に乾かず)
9月の初めに 2013・9・1(日)
 残暑ならぬ猛暑が続きそうだが、心は秋である。
 名歌名句辞典(三省堂)の人名索引(和歌・短歌)のトップは會津八一である。「あ」に「い」が続く名前は索引で良い場所をもらっているのだ。素空は幼いころクラスで背が一番低かったので、いろいろな順番がトップだったが良いことも都合の悪いこともあった。
 辞典に戻ると八一の歌は7首選ばれている。最初はもちろん鹿鳴集・南京新唱の第1首「春日野にて」である。
   かすがの に おしてる つき の ほがらかに 
         あき の ゆふべ と なり に ける かも 
    (春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)

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