8月の終わりに 2013・8・31(土)
 8月は猛暑と孫の季節だった。幾分体調を崩したので、年を感じる月でもあった。
 28日に出かけたデンパークの森の中ではヒグラシが鳴いていた。アブラゼミ、クマゼミが退場し、ヒグラシが鳴くと秋がそこまでやってきていることを感じる。快い秋の到来を期待して9月を迎えたい。
昭和万葉集巻15(昭和43~44年) 2013・8・30(金)
 ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳(と)かして君に遭いゆく
 道浦母都子(もとこ)の有名な歌が借りてきた昭和万葉集に他10首と共に収録されている。同時代を同じ東京で過ごした彼女に会ったことは無い。しかし、彼女の歌に当時が生々しくよみがえる。懐かしい70年安保の時代である。
 迫りくる盾怯えつつ確かめている私の実在
 催涙ガス避けんと密かに持ちきたるレモンが胸で不意に匂えり
 神田川流れ流れていまはもうカルチェラタンを恋うこともなき
 この15巻にはその頃の歌が600余首収録されている。安保、学園、その他の歌をざっと眺めたが道浦母都子の歌に引き込まれる。
 昭和万葉集は20巻、別巻1。1979年(昭和54)2月から1980年12月にかけて講談社から刊行されたもの。その数およそ8万2000首。
天才か?(朝日新聞・あのね) 2013・8・29(木)
 難しいジグソーパズルをひとりで完成させた。驚いたおばあちゃんが、思わず聞いた。「雄斗(ゆうと)は天才か?」「2歳」
         (茨城県鹿嶋市 尾崎 雄斗・今は3歳)

天才(さい)ではなく2歳(さい)、落ちが良い。ただ、バーバの過大評価(孫自慢?)も可愛らしい。夏休み、幼稚園から小学6年生まで3人の孫たちと暮らしたが、時々びっくりするような才能を発揮するのでびっくりする。あっ!これも孫自慢か。
デンパーク 2013・8・28(水)
 ノブ君親子とデンパークに出かけた。デンパークは愛知県安城市にある安城市立の公園で正式名称は「安城産業文化公園」、かつて「日本デンマーク」と呼ばれた安城市が農業先進国であるデンマークを想定して、日本デンマークの「デン」、田園の「デン」、伝統の「デン」と公園の「パーク」を組み合わせて造語した。
 1997年にオープンした花と緑の公園で、その時の夏に行ったことを覚えている。開園当時は120万人の来場者があったと言うが、今は50万人ほどらしい。幼児を連れた家族連れが目立ったが、入園者は少なく静かな公園内をのんびりと散策した。
 草花に囲まれた落ち着いた園内を歩きながら「ここは彼女と二人で廻るところだな~」とノブ君パパに話しかけたら、「うふふ!」と笑っていた。
山中高歌・第3首(會津八一) 2013・8・27(火)
 おしなべて さぎり こめたる おほぞら に 
          なほ たち のぼる あかつき の くも   解説
      (おしなべてさ霧こめたる大空になほ立ち昇る暁の雲)

 早朝の自然のダイナミックな姿が八一の心を癒し始める。  
イエスの磔 2013・8・26(月) 
  キリストの磔(はりつけ)は、新約聖書の福音書に書かれている。イエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、ユダヤ人の指導者たちによって、支配者ローマ帝国への反逆者と言う理由で十字架に架けられた。宗教上でこのことは、救い主であるイエス・キリストが人類をその罪から救うために、身代わりになったものとされている。
 しかし、バーバラ・スィーリングは以下のように言う。
 磔の中心はシモン・マグスとユダ(イスラエル12部族の一つ、民族主義運動の一派の2人の領袖)だった。イエスはまん中ではなく西側の十字架に架けられた。この刑は長時間かけてゆっくりと殺す方法で、何日もときには何週間にもわたる残忍な方法だった。そのため、長期の苦しみを避けるため毒を混ぜたブドウ酒を飲ませたりする。
 『十字架上でそのブドウ酒を飲んだイエスは「頭を垂れた。彼は病んでいたうえに、今や毒を盛られて「息を引き取った」のだ』(イエスのミステリー)
涼しい理由?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・8・25(日)
 妻と愛犬はクーラーの効いた一階で、おれはクーラーがない二階で寝る。「暑い」と文句を言うと、妻が言った。「犬は毛皮があるから暑いの。あんたは髪が薄い分、涼しいでしょ」
                      (犬がうらめしい夫・67歳)

 痩せているのでクーラーは苦手だ。でも、くるみが熱中症になると連れ合いに文句を言われそうなので、昼過ぎには冷房を入れる。お犬様は涼しい部屋で、犬用のアイスノンを置いたソファーの上にいつも鎮座している。
緊張(歯の治療) 2013・8・24(土)
 歯の治療は昔に比べて痛くないし、安心して受けることができる。今通っている歯医者は先生が息子さんに代わったが、先の先生を上回るほど親切で優しい。
 悪くなった歯を抜いてもらい、今は歯垢を掃除している。痛みも何も伴わないのに身体の一部がどうしても緊張して固くなる。意識的にその緊張を取り除くようにしている。ゆったりしている方が楽だし、幼児の様に緊張丸だしはみっともない。
 緊張をほぐして、ブログのネタを考えたりしているが、緊張感が無くなると眠くなり、一瞬寝てしまう。年と共に神経の線が数本馬鹿になったのか、それ以外でもすぐ眠気が襲ってくる。若い時の不眠症はどうなったのだろうと不思議に思う毎日である。
山中高歌・第2首(會津八一) 2013・8・23(金)
 かぎり なき みそら の はて を ゆく くも の 
          いかに かなしき こころ なる らむ   解説
      (限りなきみ空の果てを行く雲のいかに悲しき心なるらむ)

 空の遠くをちぎれ雲が流れていく。その描写だけで八一の孤独が伝わってくる。

 創志君の3日目 
 近鉄四日市駅西にあるララスクエア四日市で遊ぶ。5階アミューズメントパークがお気に入り。お土産などを買って、4時前の電車で帰路へ。鳥取の自宅に着くのは夜の9時過ぎだろうか?
鈴鹿サーキット 2013・8・22(木)
 創志君は念願の鈴鹿サーキットへ!体調不良でリタイアした素空を除くジジババ3人がナイト役を務める。デジタルカメラを持っている創志君に「写真を撮ってきてね」と頼んであったので3枚下段にアップする。
 足の悪い鳥取のバ~バ、サーキットはきつかった様だ。帰宅第一声が「死にかけた」だった。「僕と一緒に冷房の効いた部屋にいればよかったのに」と言うと「創志が心配だから」と返ってきた。見上げた祖母根性である。
創志君登場 2013・8・21(水)
 はるばる鳥取から祖母と2人でやってきた。小学6年生だが、身長は祖母をはるかに追い越し、体重は素空と同じぐらいである。
 まずは墓参りへ。墓には曾祖父母が眠る。掃除をして写真を撮る。夕方はくるみの水遊びのお相手をした。
 創志君の今回の希望は鈴鹿サーキット、ネットでいろいろ下調べをしてきたと言う。4歳の時にも一緒に行っているが、彼はうろ覚えである。こちらはサーキットカートに一緒に乗った事を良く覚えている。
  
山中高歌・第1首(會津八一) 2013・8・19(月)
 みすずかる しなの の はて の むらやま の 
          みね ふき わたる みなつき の かぜ    解説
      (みすずかる信濃のはての群山の嶺吹き渡るみなつきの風)

 心身ともに疲弊して信濃の山田温泉に出かけた八一の第1首。調べのよい歌が清々しい眼前の光景を表現する。
              (明日第3火曜日は独り言を休みます)

                 ペットショップ・犬の家ートミジャス
日録 20世紀(1902・明治35) 2013・8・18(日)
 『八甲田山「死の雪中行進」で、この年は明けた。ロシアの「満州」(中国東北部)支配強化に、日本政府は日英同盟でこたえた。五月には、戦艦「三笠」が英国から回航され、海軍拡張のため増税を強行する桂内閣は、十二月、伊藤・大隈の反対の中、議会を解散した』
                (ニュースファイル 冒頭より)
 八甲田の悲劇は対ロシア戦を想定した訓練で、210人の第5連隊は199人死亡の大惨事、別行程の第31連隊37人は無事だった。あらためて雪山の怖さを思った。
 「糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな」を記して9月18日正岡子規が亡くなっている。現代の詩歌は彼を出発点にしたと言っても過言ではないだろう。
 この年の東京の人口は145万人(世界8位)、1位はロンドンで660万人だと書いてある。ちなみに現在は東京840万人、ロンドン717万人、1位はムンバイ(ボンベイ) 1,191万人と、あるHPに記載されている。
鹿鳴集・山中高歌(十首)(會津八一) 2013・8・17(土)
 大正10年6月、長野の山田温泉・湊屋旅館(現風景館)での作。早稲田中学教頭(大正9年就任11年辞任)の八一は、中学幹事と運営上の問題で対立し、持病のリウマチもあって心身ともに疲弊して山田温泉に出かけた。その時に作った歌。最初14首(坪内逍遥への書簡)あった歌を推敲を重ねて10首とし、山中高歌と名付ける。鹿鳴集では南京新唱(99首)に続くものである。
 山中高歌  序               大正九年五月
 山田温泉は長野県豊野駅の東四里の谿間(けいかん)にあり山色浄潔にして嶺上の白雲を以て餐(くら)ふべきをおもはしむ かって憂患を懐きて此所(ここ)に来り遊ぶこと五六日にして帰れり 爾来(じらい)潭声(たんせい)のなほ耳にあるを覚ゆ                    解説
くるみは熱中症? 2013・8・16(金)
 猛暑で外出を控え自宅にいて暇なので、子犬・くるみを相手にする。遊んでいるうちは喜んでいるが、毛玉を取りながら櫛を入れたり、毛を刈ったりすると嫌がる。毛玉取りは痛みを伴うことがあり、あごの下や足の裏の毛を切るときは逃げようとする。それでもチチはハハと違って怖いので、大人しくはしているが、隙があれば逃げていく。でもまた捕まっていじられる。
 昨日の深夜、いつもくるみは顔を舐めに来るのに動かない。夜が明けてからもいつもはすり寄ってきて冷房の利いた居間のソファーの上で過ごすのに和室にいる。元気がないし、鼻が乾いている。熱中症かと心配した。
 ところが、夕方ハハから電話がかかってきたら飛び跳ねる。電話の音でハハの帰宅が分かるのだ。聞けば、ハハとの朝の散歩の時は元気に飛び廻っていたと言う。
 チチの暇つぶしから逃れる仮病だったのかと疑いたくなる。
柴売・第6首(會津八一) 2013・8・15(木)
 そまびと の くるま いにたる くさむら に
          しば ひろひ きて かしぐ けふ かも    解説 
       (杣人の車去にたる草むらに柴拾ひきて炊ぐ今日かも)

 この句で、きい子への鎮魂歌(山鳩、観音堂、柴売 37首)が終わる。
ラザロの復活 2013・8・14(水) 
  3人姉弟の末弟ラザロが病気になり、2人の姉はイエスに助けを求めた。しかし、イエスはすぐに現れず、結局ラザロは死ぬ。ラザロの死から4日後、イエスはラザロが葬られている洞窟の前で祈りを捧げる。するとラザロは息を吹き返し、墓の中から歩いて出てきた。(ヨハネ福音書第11章より)
 この復活をバーバラ・スィーリングは、教会によるラザロ(シモン・マグス)の破門の話だと言う。
 破門とは、その男を文字通り死んだように扱い、埋葬用の服を着せ、自分の墓の中に数日入れる。その後、精神的に「死んだ」者として共同体から追放することだった。イエスはこの時に釈放の役を果たそうとした。イエスが墓の石を持ち上げ、「ラザロ(シモン)よ、出てきなさいと!」と叫び、ラザロが復活したのである。奇跡の一つの解説として紹介する。
朝のあいさつ(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・8・13(火)
 ある朝、珍しく妻が「おはよう」と言った。振り向くとペットのインコに声をかけていた。なんだ、やっぱりおれじゃないのか・・・。
          (たまにはさわやかに目覚めたい夫・64歳)

 連れ合いが「ただいま」と言っている相手は愛犬・くるみ、尻尾を最大限に振って玄関までお出迎えするのはくるみだから仕方がない。「おかえりなさい」と玄関まで行かなくてもいいから楽だけどね。
安達工房 2013・8・12(月) 
  朝日町歴史博物館の館長と朝日町の職員、まちかど博物館関係者が安達先生の作品見学で安達工房にやってきた(8・7)。先生の要請でお手伝いする。最初に「難しい質問はだめですよ」と前置きし、先生の作品を説明し製作過程のいろいろを話した。見学者にとっては製作過程の話は目新しいことなので、興味を以て聞いてもらえた。
 朝日町歴史博物館に先生の作品を展示する計画もあると言うことで、今後を楽しみにしている。
 過日、富田駅から朝日駅まで歩いた時、疲れてしまって朝日町歴史博物館に立ち寄ることが出来なかった。近いうちに行けそうだ。 
  
柴売・第5首(會津八一) 2013・8・11(日)
 むらびと は おのも おのもに しば かひて
          つみたる のき の あたたかに みゆ    解説 
       (村人はおのもおのもに柴買ひて積みたる軒の暖かに見ゆ)

 冬用に積まれた柴が暖かく見える。心身ともに落ち着き、心穏やかになってきた八一の心の投影と言える。
パーッと(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・8・10(土)
 仕事の区切りがついた夫(45)が「今日は打ち上げだ。夕飯はいらない」という。それを聞いて、「いいな、私も連れてって」と中学1年の娘。「来てもおじさんばかりだ。何が楽しいものか」と夫が返すと、「ねえ、どんなの打ち上げるの?大きくてきれいなヤツ?」
      (宇都宮市・完全に花火大会と勘違いしている娘・42歳)

 花火もなかなかする場所がなくて困る。川原でしていると近所の人からクレームがつく。火の問題と後片付けをして行かない人がいるからだろうと思う。そんなわけで孫用の花火はずっと使われずにわが家に鎮座している。
 ところで四日市の花火大会は8月25日(日)に四日市港富双緑地で19:15~20:30に開催される。我家の窓からわずかに見える。 
体力勝負 2013・8・9(金)
 孫たちと過ごす夏休みは楽しいが、この年齢では体力勝負と言っていい。猛暑も襲いかかってくる。
 孫たちはカコバーと一緒に寝ると言って、セミダブルのベットにやってくる。スージ、カコバー、ココロ、まっちゃん、くるみの5人が1週間一緒に寝た。睡眠不足になるので、遠出の時は車中で居眠りをし、自宅では夕方に睡眠を取ることに心がけた。今日午後に帰って行ったが、寂しいけど同時にほっとしている。カコバーは気抜けして夕方ふわふわしていた。
 元気なのはくるみ、夕方の散歩で水浴びをし飛び回っている。

    今日の孫たち 仏像の仕上げとお土産。  

  
       まっちゃんを無視してパパの食べ物を見つめるくるみ
柴売・第4首(會津八一) 2013・8・8(木)
 ひとり すむ みどう の には に つどひ きて
          むらびと さわぐ しば かふ らし も     解説 
       (一人住むみ堂の庭に集い来て村人騒ぐ柴買ふらしも)

 観音堂の周辺は冬支度に入る。八一の静かな一人暮らしには珍しい光景である。
近鉄益生駅(7・11) 2013・8・7(水)
 伊勢朝日駅近くの安達仏像教室の横に車を止めて、東海道を歩く。このあたりは朝日町縄生、なおと読む。員弁川に出て国道一号線の町屋橋を渡って桑名市に入る。
 
 橋を渡ると藤棚で有名な料理旅館「すし清」の横に出る。藤棚を覗きながら、近鉄線の方向に左折して進むがここからは未知の世界。幸い、この日は道ナビがなんとか利用できた。それでも迷い迷い益生駅近くまでくると味噌・醤油の食品メーカー「一、二、三のサンジルシ」があった。社名の由来は、木曾三川(木曽川・揖斐川・長良川)にちなんだものだと言う。
 12時過ぎに流れる汗を拭きながら益生駅に到着、駅前の喫茶店に飛び込んでランチを注文したらカレーだった。猛暑にカレー、店内でも汗は止まらなかった。
 目標を桑名駅までとしていたが、午後は仏像教室の予定があったので益生から電車に乗って伊勢朝日まで戻った。
   
 益生駅は桑名市大字矢田にある旧西桑名駅、1日の平均乗車人員が1,300人ほどの駅である。
 この日の桑名は38.5度、夕方のニュースで聞いてびっくりした。こんな日にハイキングとは気違い沙汰だと周りはみんなあきれていた。
              (猛暑のため、ハイキングはしばらく中止)
思い返せば(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・8・6(火)
 4歳の息子は最近、随分と一人前の口をきくようになってきた。「あっちいね~!昔は夏もここまで暑くはなかったもんだけどね~」
  (川崎市・あんたの知ってる昔はせいぜい……・35歳)

 昔はこれほど暑くなかったのか、それとも我慢していたのか。クーラーのなかった子供の頃は、蝉取り魚取りに熱中していて「暑さ」の覚えがない。
墓参り 2013・8・5(月)
 大府在住の兄が同級生の経営する介護施設の助っ人で四国・松山に出かけてから2ヶ月以上になる。遠いところを駆けつけてくれたので、今年も皆で一緒に墓参りをすることが出来た。お参りをすると生前の父母を思い出すが、祖父母は早くに亡くなっていたので会ったことは無い。ジュニアに祖父母の記憶を尋ねると、両方の祖母しかわからないと言う。
 夕方、兄が介護施設のお祭りのビデオを見せてくれた。入居者は大事にされているのが良くわかったが、高齢社会を肌で実感する。
 夜、義兄を送っていく時に「どちらの両親も在宅の状態で見送った。それは良かったね」と話した。
柴売・第3首(會津八一) 2013・8・4(日)
 そまびと の つみたる しば に わが かど の
          さくら の したば いろづき に けり   解説 
       (杣人の積みたる柴にわが門の桜の下葉色づきにけり)

 きい子の死から、時は経ち桜の下葉が紅葉する季節になった。目の前の自然が八一の心を安らかにしていく。

 今日の孫たち 円空阿弥陀坐像の色塗りをする。 
    
孫たち登場! 2013・8・3(土)
 ココロ7歳、まっちゃん5歳、大きくなったものだ。とても元気で人懐っこくなっている。しっかりしてきて一人前の口をきく。
 床に釘で打ち付けた板を外す作業を二人に手伝わせた。金づち、くぎ抜き、マイナスのドライバーを使う。全く初めてでおっかなびっくりだが、それでも面白かったのか、二人で交互に10枚ほどの板を外した。
 今日から一週間、どう彼らと遊ぶかが課題、いろいろ考えているけど、仏像の色塗りも手伝わそうと思っている。  
  
イノシシVS妻(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・8・2(金)
 夫婦で山歩きの最中、看板に「イノシシ注意」とあったのに、さっさと先に行く夫。「私が襲われたらどうするのよ」と文句を言うと、「おまえが負けるわけないだろ」だって。(イノシシ年生まれの妻)

 「危険に遭遇したら、お前が被害に遭っている間に逃げるよ」と連れ合いや仲間に冗談を言うことはある。でも、力の弱いものが危険に直面した時は「相手をぶちのめす気持で対処しないと危機を脱せない」といつも言っている。
日録 20世紀(1901・明治34) 2013・8・1(木)
 素空家のユウスケは退職し、新たにKが入った。その彼が「日録 20世紀」(グラビア週刊誌・講談社)を持ってきた。20世紀最初の年の見出しは「足尾銅山鉱毒事件の田中正造」と「みだれ髪の与謝野晶子」である。写真が多いので気楽に1901年を覗き見ることができる。ぼちぼち読んで楽しもうと思う。
 末尾に近い「三面記事」にある「山口県下の吉兆を表す俗諺(ぞくげん)」が面白いので以下に転載する。
 「蜘蛛が丸くなって落ちるのを見れば金儲けができる」
 「鯛の目玉を1000個集めれば幸福間違いなし」
 「外出する時、鍋墨を以て出れば怪我せぬ」
 「鳥居の上に石を投げてとまれば良縁に恵まれる」
 「新しい履き物を夕方おろせば悪魔に襲われる」
 新しい履物は一度親に足を通してもらえば大丈夫、この悪魔は親は襲わないからと但し書きしてある。これらは、ほかの地方では聞かれなかった俗諺と書いてある。俗諺にはでたらめも多いが、中には一理あるものもある。その一理が知りたいと常々思っている。
  

             
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