5月の終わりに 2013・5・31(金)
 3月11日の細菌侵入から「バイキンマン」?と言う誹謗中傷に堪え、節制していたが、月初めに回復した。しかし、2ヶ月近くの「安静=謹慎」で筋力が落ちた。念願の篠島行きを果たしたが、翌朝ふくらはぎの筋肉痛が起き、ゴルフクラブの素振りをしたら、腰がすぐに痛くなった。
 ともあれ、あちこち歩いてと思っているが、マダニ騒動で東海自然歩道などに出かけるのは中止した。山ヒルも嫌だしね。

山鳩・第17首(會津八一) 
 わが やど に しじに とひ こし わかびと の
          なす なからめ や なが たま も みよ     解説
    (わが宿にしじに問ひ来し若人のなすなからめや汝が魂もみよ)

 きい子が亡くなったのは戦時下の疎開先だったので、東京できい子の世話にもなった門下生や学生は駆けつけることができなかった。そんな若者に「ながたまもみよ・きい子の魂を見守っておくれ」と心から叫ぶ。
山鳩・第16首(會津八一) 2013・5・30(木)
 あひ しれる わかびと つどひ いつ の ひ か
            われ を かこみて な を ことなさむ    解説
     (相知れる若人集いいつの日かわれを囲みて汝をことなさむ)

 きい子が世話した八一の門下生や学生たちといつの日か供養の会を開きたいと思うのである。
篠島4(種田山頭火句碑) 2013・5・29(水)
 連絡船乗り場の近くに種田山頭火の句碑がある。彼は死の前年昭和14年に篠島に渡り、これらの句を詠んだと言う。
 山頭火篠島八句
    歩きつづけて荒波に足を洗わせてまた
    春風の聲張りあげて何でも十銭 
    花ぐもりの病人嶋から載せて来た
    出船入船春はたけなわ
    島へ花ぐもりの嫁の道具積んで漕ぐ
    島島人が乗り人が下り春らんまん
    やっと一人となり私が旅人らしくなった  
    波の上をゆきちがう挨拶投げかはしつつ
 自由律の俳句を生涯に8万句詠んだと言われるが、彼の作品
    うしろすがたのしぐれてゆくか
    まつすぐな道でさみしい
    分け入つても分け入つても青い山
 が浮かんできてそのイメージとのズレを感じた。
 また、観光協会のHPの北山公園紹介の文中に、頭火”と書いてあるのはいただけない。
   
変わらない髪型(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・28(火)
 夫が「散髪代をくれ」と要求した。「まだ行かなくていいよ。そんなに伸びてないし」と返事したら、「ばか、今行ってきたんだ」と怒られた。
             (夫の散髪に気付かない妻・63歳)

 昔、バス旅行でコースにある宝石展示・販売所に入った。一緒に見て回った女性が自分の手を見てくれと言わんばかりに動かしていた。バスに戻ると別の女性がそっと「あの人の指輪を見た!良い人が出来てもうじき結婚するらしい」と言った。
 服装や装飾品に全く無頓着だけど、その時に宝石に気づいて褒めるぐらいはしてあげた方が良かったと後日思った。
隣の子供とくるみ 2013・5・27(月)
 北隣のYさん宅は3人の子供がいて、我が家のフェンスを挟んで時々話をする。子供たちはいつもくるみを呼ぶ。フェンス越しにお手、お代りをくるみにさせている。
 先日、長女あーちゃんが「良いこと考えた!」と言って自転車の小さな籠にくるみをむりやり乗せて道路で遊んだ。籠の下にはナイロンの袋を置いて気配りもしている。くるみは大人しくしていたが、大分迷惑そうだ。
 隣家の子供達と遊ぶのは楽しいが、この頃はフェンスをよじ登って来て、我が家に抱き入れろと要求する。孫が3人増えたみたいだ。
      
    
山鳩・第15首(會津八一) 2013・5・26(日)
 をのこご に うまれたり せば ひたすらに
          ひとつ の みち に すすみ たり けむ    解説
    (男子に生まれたりせばひたすらに一つの道に進みたりけむ)

 きい子は昭和20年7月に亡くなる。旧憲法下の戦前戦中に生きたが、この時代は女性が世の中で活躍するには厳しい社会だった。
篠島3(ハイキング) 2013・5・25(土)
 島の北にある八一歌碑(北山公園)から、左回りで南下した。途中の神社仏閣は通過し、ひたすら南にある歌碑公園(万葉の丘)をめざす。
 篠島海水浴場の横を歩きながら、鄙びた島なので観光の特色をノブ君パパと話す。「夏は海水浴、冬はフグ料理、釣りには良さそうだ」「會津八一では人は呼べないね、ましてや進入禁止では」「観光と言うよりは漁業の島なのだ」
 歌碑公園には篠島を詠った万葉集巻7の歌碑があった。
      いめのみに つぎてみえつつ しのじまの
                いそこすなみの しくしくおもほゆ
         (夢耳継面所見小竹嶋之/越磯波之敷布所念)
 寄せては返す波のように繰り返し恋人を思い出す、と言う意味のようだ。
 歌碑公園で休憩、ノブ君はお菓子とお茶、朝食抜きの素空はここで持参のクリームパンを半分食べた。歩いてきた道沿いの食堂は休業、コンビニは見当たらなかった。
 その後、島中央の丘の道を北上、漁港と郵便局のあるところでやっと昼食を食べることができた。ノブ君は天丼、我々はシラス丼である。
 写真を撮りながら、師崎港までの連絡船(観光船)を待ち、帰路につく。たいした土産物は無く、シラスのちりめんじゃことかまぼこを持ち帰ったら、夕食はその二品+αだった。連れ合いは美味しいお土産で食卓を満たそうと思っていたようだ。

      
おもわぬ要望(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・24(金)
 テレビでルーブル美術館の番組を見た。「ダビデ像の肉体美。うっとりね」と言ったら、夫は「おれもモナリザみたいなほほ笑みがほしい」。物心ともに満たされないと、あんな上品な顔になりません!
                  (大口を開けて笑う妻・65歳)

 我が家には「ダビデ像の肉体美」も「モナリザのほほ笑み」もないようだ。しかし、物心ともに満たされれば、肉体美は望めないがほほ笑みは期待できる。
 くるみがおバカさんをすると2人で大口を開けて笑っているけどね。
山鳩・第14首(會津八一) 2013・5・23(木)
 くみ いでて ひと に すすめし ひとつき の
       ちや に さへ こめし なが こころ かも      解説
     (汲み出でて人に勧めし一杯の茶にさえこめし汝が心かも)

 きい子の亡骸を前にしてかっての日常が次々と思い出される。来客には心をこめて接した優しいきい子だった。
仏像彫刻の美・江場琳黌 琳觀 2013・5・22(水)
 22日三重刻友会メンバーで名都美術館で開催中(~5月26日)の仏像展に出かけた。江場琳黌仏師を良く知っている岡崎のKさんからお願いして、作品の解説をしていただき最後に記念写真を撮った。
 仏師本人が解説をしているため、終わりごろは他の入館者も一緒になって話に耳を傾け、展示場が一杯になり、刻友会メンバーの見分けがつかないくらいだった。
 刻友会の安達先生は所用で欠席されたが、先生も江場仏師と同じ京都の大仏師松久朋琳・宗琳の流れである。
 「仏像彫刻は他の彫刻と違って己を出さないことだ」と最初に言われた言葉が印象的である。2005年愛知万博でお話を聞いてから8年が経つ。
   
篠島2(會津八一の歌碑) 2013・5・20(月)
 八一がこの島で詠んだ2首目は
  尾張篠島をおもひて(第2首)
    きみ と みし しま の うらわ の むし の ひ の   解説
               まなこ に ありて ととせ へ に けり
       (君と見し島の浦曲の虫の火の眼にありて十年経にけり)
 この歌から10年後に篠島の夜を思い起こして詠んだことがわかる。18日篠島に下りて島の名物の夜光虫を見たかったけれど、残念ながら夜でなければ見れない。
 歌碑を見てから、島を歩いた。短時間だったが島の北端から南端まで往復したので良いハイキングになった。
  
        私の水彩画 日光東照宮 表門 (Masanori.Y)
             (明日第3火曜日は独り言を休みます) 
 
                   パズルー友人K宅ー花ひろばートミジャス
篠島(會津八一の歌碑) 2013・5・19(日)
 歌碑を訪ねてノブ君親子と師崎港から船に乗って篠島に降りた。
   尾張篠島をおもひて
     まど ひくき はま の やどり の まくらべ に   解説
               ひねもす なきし ねこ の こ の こゑ
        (窓低き浜の宿りの枕辺にひねもす鳴きし猫の子の声)
 島の観光協会で歌碑のある北山公園への道を聞いて訪ねたが、途中でロープが張ってあって進入禁止になっていた。無視してはいったがこれでは八一がかわいそう。昭和62年建立の歌碑は立派なものだった。
 この歌は大正元年に島を訪れた八一が10年ほど後に詠んだもので、こんなことも書いている。「この島の少年は、馬を見知らず。名古屋に修学旅行して荷馬車を見て、大なる鼠が箱を曳くとて驚きしといふ。素樸愛すべし」
  篠島は漁業が中心、漁船数460、しらすの水揚げ高が3,000トン余で日本一であるが素朴な島である。やっと探した食堂で食べたのはしらす丼、これは美味しかった。
 外周8.2kmの島を1万歩ほど歩いたが、途中のんきに日向ぼっこをする猫がいた。八一が鳴き声を聞いた猫の子の子孫かもしれない。
    

                                 写真集・篠島へ
どっちもどっち(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・18(土)
 最近、お互いに物忘れが多い。妻が「夕べは何を食べた?」と聞くので「おかずがありすぎて、思い出せん」とごまかした。すると「刺身と冷ややっこよ。しっかりして」と言う。本当はサバのみそ煮だと、口にできなかった。
             (物忘れも楽しい夫・72歳)

 物忘れの話に惹かれ実感する。「固有名詞が出てこない」と歎き、仲間が「私も」と言ってくれて安堵するが、この人のように「物忘れも楽しむ」余裕もあっていい。
山鳩・第13首(會津八一) 2013・5・17(金)
 ひと みな の はばかる われ に つつま ざる
          なが ことのは の すがし かりし か     解説
   (人皆のはばかるわれに包まざる汝が言の葉のすがしかりしか)  

 よく大喝激怒した八一を門下生などまわりは恐れた。そんな彼に直言したのはきい子一人であった。八一を思う真心に感謝するのである。
橋下徹の暴言 2013・5・16(木)
 旧日本軍の従軍慰安婦を容認するとは恐れ入った人物だ。時代錯誤も甚だしい。近代市民革命(自由、平等、博愛)以降、人権尊重をめざしてきた長い歴史をどう考えているのだろう。
 世論の人気に支えられて市長になり、政党を立ち上げた人だから評価すべき面もあるかと思っていたが全く間違いだった。単に世論の注目を集めてずる賢く立ち回る政治屋にすぎない。
 この人を知ったのはテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」、弁護士のくせに軽い発言を繰り返す人だと思っていたら、光市母子殺害事件弁護団に対し2007年の同番組で「あの弁護団に対して、もし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」 と弁護士にあるまじき発言をした。
 この時、馬鹿な人だと思ったが、なんと今や大阪市長であり、「維新」の代表である。中身の空疎な立ち回り上手な輩が時代の寵児ともてはやされるなら、彼を評価したこちらの側にも問題がある。
 少しでも評価しようと思った不明を恥じる。ただ、こんな輩を支持した人も考え直してほしいと心から思っている。ここまで来ると思想の良し悪しで判断する問題ではない。
ドラマ「平城山を越えた女」を見て 2013・5・15(水)
 ドラマは會津八一と奈良が大好きな素空向けである。仏像、寺、風景、八一の歌、全てが素空ワールドと交わる。
 ドラマの展開はそれほどのものでないが、香薬師像と奈良と八一が至る所で扱われるので食い入るように見た。ドラマで流れた和歌は
   あをによし ならやま こえて さかる とも 
             ゆめ に し みえ こ わかくさ の やま
 解説
    (あをによし平城山越えて離るとも夢にし見えこ若草の山)
   あまごもる なら の やどり に おそひ きて 
              さけ くみ かはす ふるき とも かな   解説
      (雨ごもる奈良の宿りに襲ひ来て酒酌み交はす古き友かな)

 ところで我が家の香薬師像を連れ合いに見せ、視聴を薦めたが、後で聞くと「主役の俳優が好みでないのでチャンネルを変えた」と言っていた。
素直すぎる夫(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・14(火)
 夕食の支度で忙しかったので、夫に「野菜炒めをよそって」と頼んだ。「はいよ」と返事はしたものの案の定、フライパンごと皿の上にのせただけ。いつまでこの調子なのか・・・。  (気が利かない夫の妻・67歳)

 能転気な夫で幸せだと思うよ。ガミガミ言ったり、神経質だったり、威張ってばかりいる連れ合いよりずっと良い。ところで「醤油を片づけて」と言われて冷蔵庫でなくレンジに入れた素空は能転気ではない。この先が心配な「年寄病」?
「未完成」の美しさ 2013・5・13(月)
 中日新聞の「けさのことば」(岡井隆)に以下のような言葉が載っていた。
 「美しい物の中には、あまりに完全にでき上がった時よりも、未完成のままの時のほうが光って見えるものがある。“ラ・ロシュフコー箴言集(しんげんしゅう)”」
 なるほどそうか!と思った。精緻に出来上がった見事な陶磁器よりも手作りの茶陶に惹かれる。織部焼ほどに大胆にデフォルメされたものよりは白い釉(ゆう)を厚く施した柔らかみのある志野焼が好きである。精緻に完成された磁器の冷徹な感じが肌に合わないのかもしれないが。
 そのことを芸術に蘊蓄の深い友人Kに話したら「そうだよ、金継ぎなどはとても趣がある」と言う。
 ところでKの弟が今年の四日市市美術展で岡田文化財団賞を受賞した「万古赤絵山水文壺」は精緻なものだったが、これは良かった。

 金継ぎ
 割れたり欠けたりした陶磁器を漆(うるし)で接着し、継ぎ目に金や銀、白金などの粉を蒔(ま)いて飾る、日本独自の修理法。修理後の継ぎ目を「景色」と称し、破損前と異なる趣を楽しむ。
山鳩・第12首(會津八一) 2013・5・12(日)
  わが ため に ひとよ の ちから つくしたる        解説
           なが たま の を に なか ざらめ や も 
     (わが為に一世の力尽くしたる汝が玉の緒に泣かざらめやも)

 20歳で新潟から八一の身の回りの世話に入り、34歳で亡くなったきい子の東京での生活はまさしく「ひとよ=一生」だった。涙を禁じえない。
目薬は飲み薬?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・11(土)
 目薬をさそうとしたら、夫が「おれがやったる」と近づいてきて、おもむろに「はよ、口開けろ」だと。確かによくしゃべるけど、口は疲れてません。
                        (眼球疲労の妻・54歳)

 なるほど、眼薬は口や鼻の穴にも効くかもしれない。連れ合いではないがよくしゃべる人には口にさしてやると良さそう。えっ!「お前の口にさせ」だって、失礼しました。
ディズニーシルバー 2013・5・10(金)
 天声人語(4月12日)にこう書いてあった。
『・・・コラムニストの天野祐吉さんが、(ディズニー)ランド、シーに続く三つ目のパークはディズニーシルバーでどうかと話している(中央公論5月号)。老人が集まって、「しびれるような退屈」を楽しむ場があっていい、と冗談半分としても、こんなことを思いつく人はアメリカにはいまい。本家との関係もわけがわからなくなりそうだが、行ってみたい気がする。ディズニーでひねもす無聊(ぶりょう)に身をまかせ、あくびでも一つ。乙である。』
 “外から入ってくるものを貪欲に取り入れ、ごった煮にして新しいものを生み出す。よく聞く日本文化論”、その発想例としてこのディズニーシルバーの提案を取り上げている。
 わざわざ、ディズニー関連にシルバーを作ってもらわなくても至る所に環境はあると思う。そしてそこに是非採用して欲しいのは落語「あくび指南」のような心持である。くだらないことが乙なのだ。
 ところで、「乙である」の意味と語源を調べて見た。
「乙」は邦楽の音階の一つで「甲」が甲高い声であるのに対し、「乙」は1段階低い、あじわいのある渋い音を指します。だから、「おつ」とは、趣がある、シャレていると言う意味である。
 知らないことは多いものだ。
山鳩・第11首(會津八一) 2013・4・9(木)
 いたづき の われ を まもる と かよわ なる
             なが うつせみ を つくしたる らし    解説
    (いたづきの我を守るとか弱なる汝がうつせみを尽くしたるらし)

 か弱い人・きい子は守られてもよい存在、そうであるのに度々病魔に襲われた八一を看病し守った。きい子の献身的姿が浮かぶ。
枯れる原因(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・5・8(水)
 「このリンゴはみずみずしいな」とほめたら、妻が「私と同じね。あなたは干し柿みたいだけど」と嫌みを言う。「水気ならある。夜中に二回もトイレにいくからな」と言い返したが、「だから枯れるのよ」とダメ押しされた。
                     (妻を言い負かしたい夫・83歳)

 減量したら、腹はへこんだが「枯れる」みたいになってきた。「ホネちゃん」と呼ばれていた高校時代を思い出す。寝酒を止めたので、夜中のトイレに起きることは無くなったが、早く目覚めるようになってしまった。 
「平城山を越えた女」と「香薬師像」 2013・5・7(火)
 内田康夫原作の「浅見光彦シリーズ47 平城山を越えた女」が、5月10日(金)21時~22時52分フジテレビ系で放送される。ぜひ見て欲しいドラマである。
 古都奈良を舞台にした「香薬師像」(新薬師寺)盗難事件を扱う。會津八一は香薬師を愛して、歌11首を詠んでいる。八一好きで仏像作りをする素空は、行方不明のこの像を早大文学部にあったレプリカを頼りに彫った
 ドラマ放映は友人・鹿鳴人のブログで知ったのですぐに録画予約した。
 以下、香薬師について素空の八一ページから転載する。

 八一自註
 おもふに、わが「香薬師」は、本来この堂(香山堂)に祀られるを、何故かこの堂は早く荒廃して、この像は「新薬師寺」に移され、その後はその記念のために「香」の一時を仏名の上に留めたるなるべく、寺そのものも、この像あるがために、・・・・「香薬寺」といふ別名を得るに至りしなるべし。

 また別の八一自註では
 「この像はさきに盗難にかかること二回なれども、多少の損傷はともかくも、二回ともにめでたく寺中に戻りたまえり」と書いている。盗んだ犯人はこの銅造の香薬師仏を金で作られていると勘違いしたらしく、確認のため両手首を切り落としたと言う。その時は数日して畑の中から出てきている。

  八一は亀井勝一郎の対談でこんな話をしている。
『・・・何時も私の行った後で盗まれた。それが三度もあった。私も連累ではないかと怪しまれやしないか。』 会津
『あの仏像を見ていると盗みたくなりますね。』 亀井
『そうなんです。盗難にあった後、・・・吉井勇が「香薬師もとの御堂に還れよと秋艸道人歌よみたまえ」などと書いている。私は失くなられる度に因縁が深い。』 会津
山鳩・第10首(會津八一) 2013・5・6(月)
 いくたび の わが いたづき を まもり こし
         なれ なかり せば われ あらめ や も     解説
   (いく度のわがいたづきを守りこしなれ無かりせばわれあらめやも)  

 肺炎、肋膜炎、糖尿病など、八一は何度も重い病にかかったが、そのたびにきい子の献身的な看病で立ち直った。きい子自身、病床にあることが多かったにもかかわらず八一の看病に力を注いだ。
本人確認(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・5・5(日)
 戸籍謄本を取りに、区役所へ。窓口で「身分の証明できるものを」と言われ、車の免許証を出したのに、職員が戸惑いの表情。よく見たら動物園の年間パスポートだった。 (広島市・写真付きで、よく似てたもので・38歳)

 昔、名刺交換で他人のものを出して混乱させたことがある。先日、スキーの途中で上着を脱いで滑った。リフト券は上着にあったため不携帯だったのに、係の人は全くとがめない。こんな場合もある。
サユリストの話 2013・5・4(土)
 5月2日のブログでサユリストのことに触れたら、憲法研究所(参照)の機関誌に以下の文があったので紹介する。S・Hは兄弟である。

     全日本学生法律討論会(65・66年)余話     S・H
 65年全日本学生法律討論会(全法連)は早稲田での開催。私達は2年だったので先輩の応援。行き帰りは夜行。成績は全然記憶にない。はっきり記憶にあるのは、吉永小百合ときしめん。
 当時彼女は早稲田に在籍していたので、我々は学内を探し回った。しかし、残念ながら遭遇できなかった。早稲田の学生によると彼女は雑踏の中でもその美しさが際立っていたそうだ。我々だけが憧れた訳ではないようだ。帰路途中、早朝名古屋駅着。停車時、プラットホームでの立ち食いきしめんのおいしかったこと!50円だった。
 翌66年は我々の出番。
 関西での討論会は3回。憲法・刑法・民法からの出題で採点は学者3名、弁護士・判事・検事、計6名。上位3大学が全法連出場資格をもつが、同志社が開催校なので、全法連に出ることは決まっていた。
 全法連での出題は田畑先生の「大学の自治」、論者である私が先生の教えを受けようとしたら、先生曰く「出題者である自分はアドバイスできない。上田君に相談しなさい」
 自分ながら討論会での集中力は抜群だったので、優勝は疑わなかったし、その通りになった。しかし、司会を務めた友人は、「S・Hの力ではなく、鋭そうな質問者を徹底的に避けて進行した俺のおかげ」とか。
 討論会後、田畑先生が「君を一番には採点できなかった。開催校の出題者だからね。それでも優勝は確信していたよ」と嬉しそうに話された。
 大好きだった先生に喜んで貰えた、数少ない出来事の一つだった。
                     (同志社大学田畑ゼミ出身)

  憲法研究所
 同志社大学の故田畑忍先生(元法学部教授、元学長)によって、1962年に創立された憲法の重要問題を研究する機関。
山鳩・第9首(會津八一) 2013・5・3(金)
 ひとのよ に ひと なき ごとく たかぶれる
         まづしき われ を まもり こし かも        解説
     (人の世に人無きがごと高ぶれる貧しき我を守りこしかな)

 破門や面会謝絶は八一の特徴としてよく語られる。秋艸堂を訪れる門下生などへの言葉だが、本当は厳しい指導の裏返しのようなものだった。破門はしばらくすると解かれた。しかし、現実には軋轢が生じないようにいろいろと気配りしたきい子の存在が八一の評判に果たした割合は大きい。
 2013・5・2(木)
   軍靴など履かず踏まれず老いし幸 
 朝日川柳(2012・8・15)に載った作。作者は終戦の年、1945年生まれである。日本周辺のきな臭い状況に加え、憲法改正から軍隊の正式な容認など、右翼的なナショナリズム国家を目指す現政権の動きの中でこの句は光る。一件消極的な表現だが、痛烈な軍隊(戦争)への批判である。戦後の日本が得た平和な世界を「幸」と真っ向から表現する精神に脱帽。軽薄な世論に躍らされて、平和憲法として国際的に高い評価を受ける憲法の改正(悪)に加担する誤りだけはしたくないし、してはいけない。
   戦後何年即座に言えるサユリスト
 同じ1945年生まれの作者は吉永小百合と同い年である。ちなみに我兄も同じ、きっとサユリストだろう。
 憲法記念日を目前にして! 
中原中也 2013・5・1(水)
 車に中原中也の詩集が入っていて、時間のある時にながめている。その中の「臨終」という詩に惹かれた。作中の女性は中也の運命の女らしいが、大事な女性を亡くした人に捧げたい詩である。

   秋空は鈍色にして
   黒馬の瞳のひかり
     水涸れて落つる百合花
     あゝ こころうつろなるかな

   神もなくしるべもなくて
   窓近く婦の逝きぬ
     白き空盲ひてありて
     白き風冷たくありぬ

   窓際に髪を洗へば
   その腕の優しくありぬ
     朝の日は澪れてありぬ
     水の音したたりていぬ

   町ゝはさやぎてありぬ
   子等の声もつれてありぬ
     しかはあれ この魂はいかにとなるか?
     うすらぎて 空となるか?

             
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