3月の終わりに 2013・3・31(月)
 月の半ばに高熱で倒れた。熱は下がったが、細菌が侵入するということは体が弱っているのだから、自粛するように医者に言われている。健康寿命(平均71歳)と言われる間は元気にあれもこれもと思うが、健康を損ねては何にもならないとつくづく思った。
 以下は10年前の独り言、あれから10年経った。
3月の終わりに 2003・3・31
 3月の事件はなんといっても米英軍のイラク侵攻である。まさかと思ったが起こってしまった。とにかく戦争には反対だ。理屈はあるがあえて言わなくていいと思っている。今回の戦争を是とする人は、少し人間の尊厳について考えてみるべきだろう。
 身の回りにはいろいろ不幸が起こった。交通事故、くも膜下出血、糖尿病悪化よる弊害、さらに病死。一つ一つの事に心を痛め、いくらかの行動をした。個人のことでもこんなに心を動かすのだから、戦争の映像を対岸からドラマのように眺めているような人間にはなりたくないと思っている。

                くるみは4歳になりました(誕生日)
會津八一の挽歌「山鳩 序」 2013・3・30(土)
 きい子は八一の実弟高橋戒三夫人の妹、20歳で身の回りの世話に入り、33歳で八一の養女になるが、昭和20年7月10日34歳結核で死去。
 このきい子については小説や舞台劇にもなっている。
 八一はきい子を悼んで山鳩21首を詠むが、その序は涙なしに読むことができない。文語で句読点が無いので、読みづらいが是非味わってほしい。
寒燈集・山鳩 序
「きい子もと高橋氏二十歳にして予が家に来り養うて子となすよく酸寒なる書生生活に堪へ薪水のことに當ること十四年内助の功多かりしはその間予が門に出入せしものの齊しく睹るところなるべしもとより蒲柳の質なりしを幾度か予の重患に侍し遂に疲労を以て病因をなしたるが如し今春臥して痾褥に在るに當り一夜たちまち戦火を被りわづかに身一つを以て免れ予とともに越後に歸り・・・」  序 全文へ
あまのじゃく(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・3・29(金)
 夫婦でドライブ中、交差点で「どっちへ行こうか」と夫。「どっちでも」と答えると「右か左か、おまえの意見は」としつこい。仕方なく「右」と言うと「よっしゃ、じゃ左」だと。   (夫と楽しい会話がしたい妻・66歳)
 
 なかなか面白い旦那だ。ジョークの範囲ならこんな会話をしてみたい。
 ジュニアが幼いころ、2人でドライブに出て、交差点で右か左を言わせて走ったことがよくあった。ある場合は京都で、また別の時は大阪で宿を取って2人で遊んで帰った頃を思い出した。今はそんなアバウトな行動は出来なくなった。
會津八一の挽歌 2013・3・28(木)
 昭和20年7月10日、八一の身の回りの世話をした養女・きい子を疎開先の新潟で亡くす。その時詠んだ山鳩21首は挽歌中でも屈指のものである。続く観音堂10首、柴売6首と合わせて、八一64歳の代表歌である。
 順次、歌の解説を紹介していきたいが、その前に會津八一の生涯と年表を書いておきたい。
     會津八一の生涯 
 會津八一は1881年(明治14)8月1日に新潟市古町通五番町に生まれる。“八一”と言う名は生まれた日による。1946年(昭和31)11月21日新潟で永眠(75歳)。美術史家、歌人、書家で、号は秋艸道人(しゅうそうどうじん)、八朔(はっさく)、渾斎(こんさい)等である。
 1906年(明治39)早稲田大学文学部を卒業、1931年(昭和6)早稲田大学文学部教授になる。独自の歌、書で世に知られる。奈良美術研究のかたわら南都に取材して盛んに短歌をつくり、1924年(大正13)に歌集「南京新唱(なんきょうしんしょう)」を上梓(じょうし)する。その後南京新唱を含む「鹿鳴集(ろくめいしゅう)」「山光集(さんこうしゅう)」「寒燈集(かんとうしゅう)」を出版、生涯に千首余の歌を詠む。オリジナリティに富んだ書は独自の世界を切り開き、ファンが多い。
 学者としては1933年(昭和8)「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」で学位を受け、美術史を早大で教える。
 1945年(昭和20年)戦災で東京から新潟に移った後は、夕刊新潟社の社長、後に新潟日報社の社賓となり、新潟の文化向上のためにも尽くした。   生涯と年表のページへ
穏やかな日々(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・3・27(水)
 短気でよく怒鳴り散らしていた夫でしたが、心筋梗塞で命拾いしてからは、おとなしくなりました。ちょっと気になるけど、結婚以来、初めての静かな生活がうれしいです。  (病気に感謝する妻・73歳)

 70代になってとは遅いような気がするが、夫婦円満は結構なこと。若い時でも病気の辛さを知ると連れ合いに優しくなるようだ。
 いろいろな経験や苦労を重ねて、人は「好々爺」になる。でもこれは男、女の同義語を探したが見つからない。女の人は気を付けてくださいね!「いじわるばあさん」と言う語がすぐに浮かんでくる。
醤油 2013・3・26(火)
 随分前だが、醤油が美味しくなったと感じた。ちょうど、味の素(主成分はグルタミン酸ナトリウム)を入れたような味だ。長年、インスタント食品や外食などで味の素を使った味に馴らされ、それによって美味しいという感覚を植えつけられたのですぐにわかった。
 醤油(本醸造)は本来大豆と麦の麹に塩水を加えて発酵させ、1年以上かけて作ったものを言うが、近年では2~3週間で作る。(新式醸造方式、混合方式) 大豆カスを原料にアミノ酸液(グルタミン酸ナトリウム生成の副産物)を加えて作る。さらに甘みを増す糖類・甘味料、うまみを増す化学調味料、色を整えるカラメル色素などが使われる。
 こうした醤油はそこらじゅうに出回っているので、厳選した天然のだしを使って料理しても何にもならない。
 専門家は「有機栽培された丸大豆(遺伝子組み換えでない)、小麦、食塩のみで作られた本醸造醤油」をとアドバイスする。
君子蘭 2013・3・25(月)
 仏像彫刻の安達先生からいただいた君子蘭が今年も咲いた。南アフリカが原産地の彼岸花科の花で、学名はClivia(クリビア)と言う。
 君子蘭と言う大仰な名前がどうしてついたか調べたら、クライブ家(Clive)出身の公爵夫人を讃えた名前であることや高貴な花と言うイメージから君子蘭と呼ばれるようになったらしい。
 ちなみに花言葉は「情け深い、誠実」となっているが、感覚的には「派手で、高貴」と言う感じだ。
 株分けは3年ぐらいで開花後に行うと言うことだが、株分けすると狭いわが家では置く場所が無くなる。先生に頂いた月下美人はもう8鉢ぐらいになり、嫁入り先が無いかといつも思っている。
  
中学同窓会 2013・3・24(日)
 団塊の世代の同窓会(9クラス)が「蔵人rin sen kyo」であった。参加は120人ほどあり盛況だった。ただ、鬼籍に入った先生や同級生が1割ほどで年齢をつくづく感じた。
 来賓の先生は音楽の安達洋子先生(仏像教室の安達先生の奥様)一人で寂しかったが、楽しい挨拶と素晴らしい歌声にはいつもながらびっくりする。仲間が安達先生の所にと要請するので、何度も言葉を交わすことになった。
 中学卒業以来初めて会う人があったり、40年以上会ってない昔の恋人同士が再会したり、いろいろあって楽しい会合だった。幹事役は大変な仕事だったと思う。ご苦労様。
 写真がうまく撮れなかったので、一眼レフカメラで写していた東京のN君が送ってくれるのを楽しみに待とうと思う。
                伊勢神宮外宮火除橋付近 (Masanori.Y)  
つれない夫(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・3・23(土)
 体調を崩して、寝込んだ夫が「メロンパンを食べたい」というので買ってあげた。数日後、今度は私が寝込んだので、夫に「おはぎが食べたい」と頼むと「おれは食べたくない」だと。(メロンパンは二度と買わない妻・65歳)

 ぎっくり腰でよく寝込むが、度々になると連れ合いは「またか!」と言う顔で、用事を頼んでも色よい返事をしない。そんな時は連れ合いがたった一度だけなったぎっくり腰の事を思い出させ、なにかあっても面倒見ないと蚊の鳴くような声で言う。
激減する猿沢池の柳 2013・3・22(金)
 報道によると「1980年代半ば、緑のすだれが隙間なく囲んでいるように見えた奈良公園・猿沢池のシダレヤナギが枯れて3分の1に激減した」とある。いろいろ対策をしているが、めぼしい効果が今のところないそうだ。
 あの有名な「衣掛柳」も枯れて、新たに植えられたようだと言う。この柳だけは無くなって欲しくない。 
 天皇を思慕する采女が寵愛が薄れたのを悲しみ、つらさに堪えかねて猿沢池に入水自殺をした時に衣をかけた柳は會津八一にとっては記念すべき柳だった。失恋の痛手を胸に秘めて、28才の八一が初めて訪れた奈良で詠んだ思い入れの深い柳であるからだ。
 猿沢池にて
   わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
            いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら    解説
       (吾妹子が衣掛け柳みまくほり池をめぐりぬ傘さしながら

                  スキー・ホワイトピアたかす(3・22)
観仏三昧(會津八一)第28首 2013・3・21(木)
二十八日高尾神護寺にいたる
       あきやま の みづ を わたりて いまだしき 
             もみじ の みち を われ ひとり ゆく    解説
         (秋山の水を渡りて未だしき紅葉の道を我一人行く)

 この歌で會津八一が仏像や寺を詠んだ歌の解説を終わる。引き続いて、八一の挽歌(養女・きい子へ)を紹介していきたい。 
月ヶ瀬梅林 2013・3・20(水)
 初夏の気候だった昨日、梅林は満開で沢山の人がいた。過去の3月第3火曜日(休み)はいつも散りかけていたので、見事な梅を見れて満足。いつものように遊歩道を歩き「うららと一緒に来たのは3年前で、あそこでくるみと一緒に写真を撮ったね」とくるみに話しかけながら梅を愛でる。
 月ヶ瀬ファンになってもう十数年になる。串おでんや草もちを歩きながら食べ、昼食は山菜定食とにゅうめん、肉厚の見事なしいたけを買って帰ろうとしたら、友人・Kが杖をつきながらやってきた。立ち話をして別れ、駐車場に来たら、彼の車に素空の彫った十一面観音が置かれていた。健康をいつも祈っている。       月ヶ瀬写真
  

  
堤防のボケの花 2013・3・18(月)
 くるみの散歩をする堤防にボケの花がある。去年、剪定されなかったので伸び放題になっている。散歩で堤防にお世話になるので、ハサミを持って行って刈りこんだ。連れ合いがそれなら生け花にすると言う。
   
 昨秋、堤防に水仙を植えた。長さは15mぐらいになった。黄水仙が咲き、混じっていたヒヤシンスも咲きだした。
 連れ合いは「これは我が家の花だ」と言い、散歩の時に切って帰る。
     

           (明日第3火曜日は独り言を休みます)    
                     月ヶ瀬梅林、トミジャス 
観仏三昧(會津八一)第27首 2013・3・17(日)
二十六日山内義雄に導かれて嵯峨に冨田渓仙の遺室を
弔(とむら)ふ 第3首
      ぶつだん に とぼし たつれば すがすがし 
             あすかぼとけ の たちて います も     解説
     (仏壇に灯火立つればすがすがし飛鳥仏の立ちていますも)
ヘイトスピーチ 2013・3・16(土)
 恐れていた事が現実に起こっていると報道されている。竹島問題を契機にした韓国(人)に対する東京での過度な抗議デモである。それは憎悪にもとづいた発言や差別的行為を煽動する言動で色塗られている。
 そうした言動をヘイトスピーチと言う。ヘイト(Hate)は「憎む」「憎悪する」を意味する英語である。
 韓国で過度の排日行動が行われているから、我々も・・・ということもあるらしいが、程度の低い行動に同じレベルで対応するのは幼児のようだ。過去の歴史の教訓の中から、程度の低い悪しきナショナリズムからは何も生まれず、反って紛争や動乱が起こったことを学習してきたはずだ。
 いま求められているのは民族と言う特殊性を考慮に入れつつも、根幹にヒューマニズムを据えた国際的な視野で他国や他民族と接していくことだ。

ヘイトスピーチ
人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済状態、外見などを理由に、それの異なる集団や個人を貶め、暴力や差別的行為を煽動したり、行動すること。
知ったかぶり(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・3・15(金)
 テレビの番組やニュースで見たことを後日、「いかにも物知り」という顔で話す夫。「はい、はい」と聞いていますが、全部知っています。だってテレビはいつも一緒に見てるでしょ。(新しい情報がほしい妻・66歳)

 情報は新聞とネットで仕入れるが、連れ合いにあれこれ話すとほとんどのことを知っている。よく知っているなといつも感心するが、新聞とネットの中にある情報のほとんどは、朝のワイドショーで取り扱われているようだ。
細菌侵入 2013・3・14(木)
 11日夕方急に高熱が出た。手持ちの解熱剤で7度台に下がったが、翌日40度を超え震えが来た。医者で調べたがインフルエンザなどの病気ではなく、細菌がどこかに入ったと言う。抗生物質の点滴を1時間かかって投与してもらい、絶対安静を命じられる。やっと今日、平熱を保ったので仕事場に復帰した。
 発熱がスキーと関連すると医者は言わなかったが、スキーからの帰宅後だったので、ノブ君とのスキーはしばらく日延べになるかな?
                   スキー・ホワイトピアたかす(3・11)
観仏三昧(會津八一)第26首 2013・3・13(水)
二十六日山内義雄に導かれて嵯峨に冨田渓仙の遺室を
弔(とむら)ふ 第2首
      ここ にして きみ が ゑがける みやうわう の 
             ほのほ の すみ の いまだ かわかず   解説
       (ここにして君が描ける明王の炎の墨のいまだ乾かず)
                                発熱でダウン
観仏三昧(會津八一)第25首 2013・3・12(火)
二十六日山内義雄に導かれて嵯峨に冨田渓仙の遺室を
弔(とむら)ふ 第1首
      きうきよだう の すみ の すりかけ さしおける 
                とくおう の ふで さながらに して    解説
     (鳩居堂の墨の磨りかけさし置ける得応の筆さながらにして)
                                 発熱でダウン
以心伝心(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・3・11(月)
 母(55)は最近、ものの名前が思う出せない。「電話の先っぽどこ?」。子機のことだろ。「髪のやつ、買ってきたから」。シャンプーって言えよ。「顔まだある?」顔はあるけどね。「洗顔料、まだある?」の意味らしい。
          (滋賀県彦根市・どんどん適応する息子・15歳)

 「電話の先っぽどこ?」は秀逸!!
 物の名前が出ないのは当方も同じ、最近は「それ」「あれ」が常用句になっている。冷蔵庫を洗濯機と言って連れ合いに馬鹿にされるのは日常茶飯事。携帯電話が小さくなったので、テレビのリモコンと間違えることは無くなったけれど!
地震と原発 2013・3・10(日)
 東日本の大災害から今日で丸2年、月日の経つのは早いものだ。被害に遭われた方々の冥福を祈るとともに苦労されている人達の1日も早い復興を思う。
 だが、復興は遅れており、原発事故収拾の先行きは見えていない。それなのに今の政権は原発追加の方向を向いているので困ったものだ。
 若いころは人生を「運」で語るのは嫌いだったし、実際「努力」することがいろいろな道を切り開いて行くと考えていた。しかし、大きな災害に直面するとそうしたことに影響されなかった被災地以外の団塊の世代は運が良かったと思うようになった。受験や就職で狭き門と言われたが、そんなことは大したことではなかった。最も運が良かったのは戦争の時代に生まれず、また戦争のない時代で人生を全うできそうなことだ。その他、いろいろあるが健康で現在あるのは運が良いと言える。
 ところで自らを運が良かったと思うなら、悲運に遭遇した人達と運や運で得たものを共有すればいい。そんなところが「絆」の一部を作っているような気がする。
人工イクラ 2013・3・9(土)
 回転寿司や駅弁、スーパーの惣菜など安い商品に人工イクラが使われると言うが、消費者の反発その他で最近は少なくなったと言う。中身はサラダ油と海藻エキスでニンジンから抽出した色素で着色している。これと、寒天、アルギン酸ナトリウムを一緒に塩化カルシウム溶液に垂らすと外側に膜ができる。さらにそれらしい匂いを付けて完成させる。
 富山の化学会社が、接着剤の研究過程で小さいカプセルを作ろうとしている時に偶然出来たと言う。当時、同級生のノブ君パパはこの研究室にいた。今から40年ほど前の話である。
 ところでイクラの見分け方は、お湯をかけて白く濁るものが本物、その上、人工の物は落とすと跳ねると言う。
 昨日、連れ合いがイクラ入りの弁当を食べていた。美味しくないというので上記の話をして、お湯をかけたら白濁しない。食卓の上で落としてみたら見事に跳ねる。一粒食べたら、膜が分厚かった。
 連れ合い曰く「安い弁当はいけないね!」
観仏三昧(會津八一)第23首 2013・3・8(金)
二十五日大原に三千院寂光院を訪ふ(第2首)
      おほはら の ちやみせ に たちて かき はめど 
            かきもち はめど バス は みえ こず     解説
    (大原の茶店に立ちて柿食めどかき餅食めどバスは見えこず)
観仏三昧(會津八一)第24首 
この日修学院(しゆがくいん)離宮を拝す 林泉は後水尾(ごみずのお)法皇の親(みずか)ら意匠して築かしめたまふところといふ
      ばんじよう の そん もて むね に ゑがかしし 
             みその の もみぢ もえ いでむ と す   解説
      (万乗の尊もて胸に描かししみ園の紅葉燃え出でむとす)  
星野富弘3~4月の詩画 2013・3・7(木)
 題は花の名「ブルガリス」。1946年生まれの彼は中学校でクラブ活動指導中に頸髄を損傷、手足の自由を失い、入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始めた。
 そんな彼ならではの視覚、見上げるなかでの詩である。
 野原に寝そべって、空を見上げることが最近無くなった。春になったら大地に思い切り手足を伸ばし、ゆっくりと過ごしたい。
       

                      琴音誕生日へ
寝るのが怖い(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・3・6(水)
 最近、寝言でよく娘の名を叫んでいるらしい。年ごろなので結婚式の夢でも見ているのか?「たまには私の名前も呼んでよ」と妻に冷やかされたが、間違えて違う名前を叫んだらどうしよう・・・。 (寝言に悩む夫・51歳)

 七五三の祝いで息子宅に泊まった時、息子の嫁に「おとうさん!随分寝言を言っていましたよ。意味は不明ですが!」と朝言われた。
 もし寝言で女性の名前を呼んでしまっても娘がいないのでごまかしようがない。これからは女性の友人を男性でも通用するような呼び名で呼ぼうかな??
観仏三昧(會津八一)第22首 
      まかり きて ちやみせ に たてど もんゐん を 
             かたりし こゑ の みみ に こもれる     解説
      (まかり来て茶店に立てど門院を語りし声の耳にこもれる)
雪面キラキラ 2013・3・5(火)
 昨日の早朝、リフトに乗って下を見ていると雪面がキラキラ光っていて、光る宝石がちりばめてあるようだった。初めて見たが、細かい氷の結晶が空気中に浮かんで光るダイヤモンド・ダストではない。写真を撮れなかったが、帰ってからネットで調べたら「表面霜」だった。
 「放射冷却により雪面の温度が急速に低下すると、空気中の水蒸気が雪面に凝結して霜の結晶ができる。これが表面霜で、湿度90%以上、風速2~3m/sの場合には、一晩で大きな霜の結晶ができる」この結晶が朝の光で輝いている素晴らしい光景だった。
 幸先が良かった。この日は風のない晴天、雪質最高、ゲレンデ整備も文句なしで気持よく滑ることができた。
               スキー・ホワイトピアたかす(3・4)
観仏三昧(會津八一)第20首 2013・3・4(月)
この日醍醐を経て夕暮に京都に出で教王護国寺に詣づ 平安の東寺にして空海に賜(たま)ふところなり講堂の諸尊神怪を極む(第2首)
      ひかり なき みだう の ふかき しづもり に 
              をたけび たてる 五だいみやうわう     解説
       (光なきみ堂の深きしづもりに雄叫びたてる五大明王)
観仏三昧(會津八一)第21首
東寺の塔頭(たつちゆう)観智院にて
      むかし きて やどりし ひと を はりまぜ の 
            ふるき びやうぶ に かぞへ みる かな   解説
      (昔来て宿りし人を貼り混ぜの古き屏風に数へ見るかな)   
早生まれの特典 2013・3・3(日)
 1月1日から4月1日までに生まれる「早生まれ」は、小学校入学当時はとてもハンデがある。4月生まれの人とは1年ほどの差があるので、体格、体力、勉強面で差がつく。
 もともと小さい素空は3月生まれで小学1年生の時は断トツで背が低く、中学3年まで背ではいつも1番だった。強い人と仲良くなるなど、体力差を克服するための知恵は働いたが、体力的には総じて劣等感にさいなまれることが多かった。
 先日スキーで一緒だった素空を入れた男3人は、3月生まれで誕生日も同じ。医者のSさんは60代後半の大柄な人、製薬会社のYさんは50代初めの中肉中背のプロ並みのスキーヤー、幼い時の話をしたが、素空ほどハンデを感じていないようだった。ただ、同じ誕生日の近親感からか、ホテルで長時間話に花が咲いた。
 そこで語られた「早生まれの特典」は、「中高年になると同級生より年が1年若い」と言うこと。年を取るとこの1年の差がとても大きいと変なところで強調しあう。
 ところでこのツアー、医者の同学年は3人、素空の同学年も3人だった。
悪口・・・ 2013・3・2(土)
  「なぜこう悪口が絶えないのか。人々は、他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位を損ずるように思っている。」
                    (ゲーテ格言集「格言と反省」から)

 心の中で人をけなしている時がある。相手の功績を妬んでいるのだろうね。そんな自分が恥ずかしい。

観仏三昧(會津八一)第19首 
この日醍醐を経て夕暮に京都に出で教王護国寺に詣づ 平安の東寺にして空海に賜(たま)ふところなり講堂の諸尊神怪を極む(第1首)
      たち いれば くらき みだう に ぐんだり の 
            しろき きば より もの の みえ くる     解説
   (たち出れば暗きみ堂に軍荼利の白き牙より物の見えくる)   
伊東静雄 2013・3・1(金)
 処分する本の中に伊東静雄の詩集がある。彼の名と「わがひとに与ふる哀歌」という詩だけが頭の中に印象深く残っている。多分、高校の教科書にあり、とても気にいる何かがあったのだろう。生、愛、哀しみ・・・が交差していると思えるこの詩を、昔はある程度理解できたと思っていたけど、今は理解できずにただ懐かしく読んだ。

わがひとに与ふる哀歌
  太陽は美しく輝き
  あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
  手をかたくくみあはせ
  しづかに私たちは歩いて行つた
  かく誘ふものの何であらうとも
  私たちの内(うち)の
  誘はるる清らかさを私は信ずる
  無縁のひとはたとへ
  鳥々は恒(つね)に変らず鳴き
  草木の囁きは時をわかたずとするとも
  いま私たちは聴く
  私たちの意志の姿勢で
  それらの無辺な広大の讚歌を
  あゝ わがひと
  輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
  音なき空虚を
  歴然と見わくる目の発明の
  何にならう
  如かない 人気(ひとけ)ない山に上(のぼ)り
  切に希はれた太陽をして
  殆ど死した湖の一面に遍照さするのに

伊東静雄(いとう しずお、1906ー1953年)
 詩人。長崎県諫早市出身。京都帝国大学国文科卒、大阪の中学校教諭として生涯を送る。代表作に『わが人に与ふる哀歌』など。萩原朔太郎が「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛。浪漫的かつ日本的な叙事詩に耽美を加えた作風で、少年期の三島由紀夫にも多大な影響を与えた。三好達治、中原中也、立原道造らとともに、詩同人誌「四季」に参加。

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