11月の終わりに・紅葉 2013・11・30(土)
 3か所の紅葉写真で今月を終わろう。
・祖父江町(稲沢市)
 19日祖父江の銀杏を見に出かけた。ただ、時期がまだ早かった。ギンナンを落としたり、拾い集める姿を初めて見た。 
  
・ゴルフ場(フォレスト芸濃ゴルフクラブ・津市芸濃町)
 池の多いゴルフ場、紅葉が池に映って素晴らしい。池にボールを打ちこんでも拝観料と思えばいいかもしれない。池の修理で水を抜いているところに真新しいロストボールが沢山あった。なぜか、池に入れても手持ちのボールが増えていた。
  

・唐招提寺(奈良市)
 薬師寺東塔の水煙を見に出かけた30日、唐招提寺まで足をのばす。八一の歌碑の周りを紅葉が彩りしていた。
   唐招提寺にて(第1首)                    解説
    おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
           つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
      (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)
  
放浪唫草・第9首(會津八一) 2013・11・29(金)
 ふたたび厳島を過ぎて
  うなばら を わが こえ くれば あけぬり の
          しま の やしろ に ふれる しらゆき     解説
     (海原を我が越え来れば朱塗りの島の社に降れる白雪)  

 大正11年12月29日、九州の旅の途中に一度大阪に帰り奈良を訪れる。その時厳島神社に立ち寄った。
名古屋駅(10・18) 2013・11・28(木)  
 地図にある米野駅近くの寺を探したが分からなかった。疲れも出ていたのであきらめて、太閤通りに向かって歩く。もう、大都会・名古屋の町並みで沢山の人だ。若い頃、名古屋市西区に住んでいて、四日市に帰る時はこの太閤通りを越えて走ったことを思い出した。
 太閤通りを東へ、ガードをくぐって笹島交差点に出るとヤマダ電機である。トイレを借りに入ったが、1階が全てスマホと携帯電話なのには驚いた。100mほどで近鉄名古屋駅に着いたが、駅舎の外見は小さく目立たない。この駅は名古屋市中村区名駅一丁目にあり、1日の平均乗車人員は110,000人ほどである。
 駅を超えてジェイアール名古屋タカシマヤにある東急ハンズに行き、そのまま12~13階で食事をしようとしたが、どこも並んでいた。並ぶのは嫌なので、高島屋を出てやっと食事にありついた時は1時半を廻っていた。
 食事をしながら、近鉄沿線ハイキングの目標である名古屋にたどり着いた感慨に浸っていた。達成できた喜びはひとしおである。
 帰路、電車の中から歩いた道を眺め、その時々を思い出していた。
 近鉄名古屋線は名古屋駅ー中川駅なので、四日市駅から中川駅までということもあるが、それは今後の課題である。
  
                   正面改札口 
落語会 2013・11・27(水)
 今年も諏訪神社で林家染丸の落語会があり、宮司と一緒に聞いた。
 「平林」と「御公家女房(延陽伯)」を林家染吉、「時うどん」と「鹿政談」を染弥が演じた。中堅として充実してきた染弥は来年9月に三代目林家菊丸を襲名する。連れ合いが「去年よりずっと良くなった」と褒めていた。桑名出身の林家染吉もしっかりした演者だ。
 後日、宮司と一緒にその時の落語談議、落語に肩入れしてきた2人なので、結構辛辣な感想を述べ合う。素空は「時うどん」の人物表現に疑問を言い、宮司は「鹿政談」の話の矛盾について指摘する。
 ところで「御公家女房」は「延陽伯(たらちね)」の落ちが変えてあるもので、初めて聞いた。調べると桂枝雀の弟子桂九雀が「延陽伯」の難しい落ちをやめて新たな落ちを作り、タイトルをお客から公募して「御公家女房」に決めた噺と言う。古典落語も時代によって変化して行く。
 ともあれ、四日市出身の染弥が、菊丸襲名を機に更に成長する事を願っている。来年の神社での落語会が楽しみだ。
  
わが家は安心(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・11・26(火)
 有名ホテルやレストランの虚偽表示のニュースをテレビで見ていたら、「そんなところに食べに行かなくてよかったな」と夫。よく言うわね、一度も連れていってくれたことがないくせに…。
               (有名店で食事をしたい妻・68歳)

 ブランド名に騙されて「美味しい、美味しい」と言っていたかもしれないので恐ろしい。成型肉・成型ステーキ(4月1日)で見分ける方法は値段しかないと書いたが、食品偽装して値段も高く表示したのだから、全く見分ける方法はなかったようだ。
                        チビーズ通信・元気だよ
皇帝ダリア 2013・11・25(月)
 仏像彫刻の安達先生宅では皇帝ダリアが何本も咲いている。黄色いミカンの上で咲く花は味わいがある。わが家では台風で3割ほど折れてしまったが、少し遅れて咲きだした。先生は台風に供えて、いろいろ補強して立派な花を咲かせたという。
 近所に配った皇帝ダリアの苗はほとんどが育たなかったので、今年は挿し木をしっかりして、咲かなかった家に渡そうと思っている。
 11月になって咲きだすこの背の高い花を、隣の人が2階のベランダから眺め、楽しんでいるといつも言っている。

  
放浪唫草・第8首(會津八一) 2013・11・24(日)
 厳島にて(第2首)
  みぎは より ななめに のぼる ともしび の
           はて に や おはす いちきしまひめ    解説
    (みぎはより斜めに登る灯火の果てにやおはす市杵島姫)  
 
 船上から見る宮島の灯火の奥にイツクシマ神社に祀られている市杵島姫(イチキシマ)を想う。
                         暖を取る・くるみ    
米野駅(10・30) 2013・11・23(土)  
 黄金駅からは線路の左、住宅が続く中村区側を歩く。名古屋駅周辺の巨大なビル群が見える割には、線路沿いは雑然とした寂しいところである。
 家の庭にはキンモクセイが咲き、あの甘くて強い香りが漂っていた。今、我が家ではギンモクセイが咲いているが、これほどは匂わない。黄色いミカンもなっている。アスファルトで固められた町中ではその匂いと色彩が心を和ませる。戸田駅あたりの黄金色に色づく稲穂も見あきなかった。
 黄金駅から600mぐらいのところに陸橋があり、ここでも中川区側に行けるようだ。上ると鉄道マニアなのか子供連れの人が数人眺めていた。
  
 1kmほど歩くと米野駅に着く。これが駅?名古屋駅の隣の駅なのかと思うほどの小さな駅である。調べると近鉄駅(323駅)中273位、1日の平均乗車人員は650人弱と書いてある。
    
 黄金駅を過ぎたところに「ささしま米野歩道橋」があったが、八田から歩き続けて疲れたので上がる元気はない。その大きな歩道橋の下の道端に座りこんでお茶を飲んで休憩し、最後の名古屋駅に向けて歩きだした。
天国の夫へ(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・11・22(金)
 あなたより一日後に逝くって約束してたよね。でもやることが多すぎて、まだまだ逝けません。ごめんなさい、あと二十年くらいは待ってね。楽しい人生をありがとう。(約束違反を許して欲しい妻・60歳)

 「男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く」を何となく思い出した。 
麻雀大会 2013・11・21(木)
 三重県麻雀北大会のお手伝いに出かけた。10数年ぶりである。ルールの説明をしたり成績集計をしていたが、会場の壁に新聞と写真があった。よく見ると素空が写っている。18年前のものである。とても懐かしく写真を撮ってきた。タイトルには第1回敬老麻雀大会とある。
  

 指先を使って頭を動かすことは能の老化を防ぐという。運7分、実力3分と言われる麻雀は複雑で難しいゲームだが、将棋・碁などの実力だけが勝敗を決めるものとは違って、初心者でも運によっては強豪を負かすことが出来る楽しいゲームである。最近では、介護施設などで麻雀が取り入れられていると聞いている。
 既に敬老の仲間入りしたが、麻雀は毎日のように打っている。脳の老化は防ぐだろうが、それ以上に老化が激しいのか、成績はかんばしくない。
  
バス 2013・11・20(水)
 近鉄沿線ハイキングでバスを利用するようになった。初めはどう乗るのか不安だったのでネットで乗り方を調べた。自宅の周りの路線やバス停の場所、時間もわかった。数回乗ったが、それでも整理券はどこへ入れるのかなど戸惑うことがある。先日、80代の仏像製作仲間Sさんと一緒になった。この路線は最低料金ばかりだから、整理券はいらないよと教えてくれた。
 連れ合いにバスの話をしたら、ずっと乗った覚えが無いという。普段は自転車と車を使っているからだ。
 都会の真ん中では、乗用車やタクシーはほとんど使わず、公共交通を利用する。渋滞もあるし、高い駐車場代など経費もかかる。そう考えると公共交通機関を利用してこなかったということは、日常生活に車がどうしても必要な場所だということだろう。我が町は立派な田舎と言うことかな。
放浪唫草・第7首(會津八一) 2013・7・20(月)
 厳島にて
  みやじま と ひと の ゆびさす ともしび を
          ひだり に み つつ ふね は すぎゆく    解説
      (宮島と人の指差す灯火を左に見つつ船は過ぎゆく)

 海上から宮島の夜景を見ながら、九州への旅は続く。

              (明日第3火曜日は独り言を休みます)

    祖父江・銀杏ーおちょぼー花ひろばートミジャスーカインズ(四日市)
黄金駅(10・30) 2013・11・17(日)  
 烏森駅からJR関連施設と日清製粉の間を歩いて黄金駅近くには来たが、駅舎はJRの関西線とその車両区、あおなみ線と各種引込み線、さらに近鉄線の向こうだった。そこへ行く踏切は見当たらない。しばらく迷ったが、巨大な陸橋の下に登る階段があった。後で調べるとそこは黄金陸橋(黄金跨線橋・こがねこせんきょう)と言い、1,107mの長さでさらにその上を名古屋高速が走っていた。陸橋の上でひと休みして写真を撮った。
  
  
 陸橋を渡り長い階段を下りて少し烏森方面に戻ると黄金駅(名古屋市中村区黄金通8丁目)になる。駅は小さく、黄金と言う名前にはマッチしない。駅前広場のようなものも無く、ごく普通の町並みである。
 烏森駅から700mにあるこの駅は通学・通勤用に利用され、1日の平均乗車人員は2,100人ほどである。写真を撮ってから米野駅へ。
  
雑食(朝日新聞・あのね) 2013・11・16(土)
 お隣さんから昆虫をもらった。図鑑でエサを調べたお兄ちゃんに、「雑食だって」と教えられ、「ママ!うちに『雑食』ある~?」。
                    (横浜市 中込 峻弥・4歳)
 
 子供の間違いは可愛らしい。素空は最近、雑食(?)になった。好き嫌いはないが、以前はそれでも口に運ぶ食品を選ぶので片寄った。ところが最近は栄養のバランスを考えて何でも食べるようになった。
日録 20世紀(1904・明治37) 2013・11・15(金)
 1904年のグラビアは「日露開戦!旅順の136日」である。2月8日、日本軍は朝鮮半島を北上し、10日ロシアに宣戦布告する。8月19日旅順203高地を攻めるが、陥落までに死傷者5万9304人(死者1万5390人)を出したという。司令部(乃木司令官)の無能・無策が書かれている。司令部の能力はともかく、戦争の無残な姿が浮き彫りになっている。
 当時の日本は戦争翼賛一色だったが、9月発売の「明星」は与謝野晶子の有名な詩が掲載されベストセラーになっている。もう一度、ゆっくり味わってみるのもいい。

   君死にたまふことなかれ   
      旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて     与謝野晶子
   あゝをとうとよ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ、
   末に生れし君なれば
   親のなさけはまさりしも、
   親は刃(やいば)をにぎらせて
   人を殺せとをしへしや、
   人を殺して死ねよとて
   二十四までをそだてしや。

   堺(さかひ)の街のあきびとの
   舊家(きうか)をほこるあるじにて
   親の名を繼ぐ君なれば、
   君死にたまふことなかれ、
   旅順の城はほろぶとも、
   ほろびずとても、何事ぞ、
   君は知らじな、あきびとの
   家のおきてに無かりけり。

   君死にたまふことなかれ、
   すめらみことは、戰ひに
   おほみづからは出でまさね、
   かたみに人の血を流し、
   獸(けもの)の道に死ねよとは、
   死ぬるを人のほまれとは、
   大みこゝろの深ければ
   もとよりいかで思(おぼ)されむ。

   あゝをとうとよ、戰ひに
   君死にたまふことなかれ、
   すぎにし秋を父ぎみに
   おくれたまへる母ぎみは、
   なげきの中に、いたましく
   わが子を召され、家を守(も)り、
   安(やす)しと聞ける大御代も
   母のしら髮はまさりぬる。

   暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
   あえかにわかき新妻(にひづま)を、
   君わするるや、思へるや、
   十月(とつき)も添はでわかれたる
   少女ごころを思ひみよ、
   この世ひとりの君ならで
   あゝまた誰をたのむべき、
   君死にたまふことなかれ。
放浪唫草・第6首(會津八一) 2013・11・14(木)
 尾道にて(第2首)
  わが すてし バナナ の かは を ながし ゆく
          しほ の うねり を しばし ながむる    解説
      (我が捨てしバナナの皮を流しゆく潮の流れをしばし眺むる)

  誰もがしてみたい、あるいは実行した楽しいことである。

                   ノブ君ハイキング・リトルワールド 
烏森駅(10・30) 2013・11・13(水)  
 八田駅を降りて中村区(北側)を歩く。すぐに烏森町になる。ここは古い住宅街だが、新しいマンションやアパートも点在する。線路の南側は中川区である。しばらく歩くと木々が見えたので近づくと禅養寺と天神社があった。アスファルトで固めた町中を歩いている時は寺社に出会うとほっとする。この寺は家康配下の武将が出家して隠棲したところだという。天神社の燈籠に蛇の子供がいた。ちょっとびっくりしたが、生き物好きの素空には嬉しい対面である。
      八田から烏森は約1km、到着して今まで“からすもり”と思っていたが“かすもり”だということに気がついた。地名の由来は、城跡に森があり多くの烏が棲んでいたため「烏(からす)の森」と呼ばれ、略して「烏森(かすもり)」となったという。
 烏森駅(名古屋市中村区牛田通4丁目)の入り口は線路の下にあった。八田駅もそうだったが、歩いてきた今までの駅にはこんな形は無かった。この駅の1日の平均乗車人員は4,500人弱である。
 駅を過ぎて中川区側に出て黄金駅を目指したが、右に巨大なJR関連施設があり、道路を隔てて日清製粉があった。
  
ジェラシー(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・11・12(火)
 季節ごとに花の苗を植え、水やりも草取りも全部一人でしている。でも毎年、妻は「きれいに咲いたね。お利口ね」と花を褒める。俺は無視?
                    (庭いじりが好きな夫・66歳)

 素空も同じでほとんど全部一人でする。我家の連れ合いは「きれいに咲いたね。お部屋に入りましょう」と言って切り花にする。
さつま芋 2013・11・11(月)  
 腰痛で世話になった近くの接骨院の先生が、仕事を止めた後、家庭菜園に精を出している。いつもは先生一人なのに奥さんが朝から手伝っていた。午後に菜園を通ると「立派な葉っぱだったのに芋は全く取れない」と歎いている。「多分、肥料のやりすぎです」と言う。
 後日、農家のKさんと大きな家庭菜園を作っているNさんに聞いたら、「肥料のやりすぎ、土は酸性、手をかけないで良い」と同時に二人が言う。
 整骨院の先生は本などでいろいろ研究しているようだが、「先達はあらまほしき事なり」だと思った。
 ところで、収穫の時だけお手伝いとは我家の連れ合いと同じで極めて女性らしいし、さつま芋は魅力的なのだろうね。 
岩清水八幡宮 2013・11・10(日)
 メルヘンツアーの行先を話していたら、ノブ君パパが京都府八幡市にある石清水八幡宮はどうかと言う。仲間と相談したら、八幡宮から宇治にある萬福寺、さらに伏見神社に決定した。
 ノブ君パパは大学卒業後さらに専門の大学・神道科で1年学んだ神主のエリートである。その学習の過程で、1週間の修行が岩清水八幡宮であったと言う。それほどの所では無いよと言っていたが、訪れたら立派なところで皆が喜んでいた。その上、山麓にある走井餅の店での抹茶タイムが好評だった。この餅は大変美味しく、土産で食べた連れ合いが喜んでいた。
 岩清水八幡宮は徒然草52段の「先達はあらまほしき事なり」で有名でもある。私営の有料駐車場に止めたが、帰る間際に無料駐車場の存在が分かった。全く「先達は・・・」だった。
 ツアーは時間の都合で伏見稲荷神社はカットしたが、このツアーに参加しなかったノブ君パパは伏見稲荷に行きたいと言っていた。
          岩清水八幡宮から萬福寺へ(11月8日)
放浪唫草・第5首(會津八一) 2013・11・9(土)
 尾道にて
  ほばしら の なか より みゆる いそやま の
          てら の もみぢは うつろひ に けり    解説
      (帆柱の中より見ゆる磯山の寺の紅葉葉うつろひにけり)

 船旅の八一は穏やかな心で陸地の寺の紅葉を眺める
八田駅(10・18) 2013・11・8(金)  
 伏屋駅から県道29号線に戻り、八田駅をめざす。直線で2,6kmほどである。坂を上って庄内川に出ると視界が広がって名古屋が見渡せる。名古屋駅にあるツインタワーも現れた。その姿に沿線ハイキングもここまで来たかと感慨深いものがある。
  
 庄内川を渡って住宅街の中を八田町に入ると荒子川がある。ほとんど源流になるのか、川幅が狭く小川のようである。荒子の名から、円空で有名な荒子観音堂を思い出し、スマホで場所を確認する。意外に近いが、円空仏開帳の第2土曜日は過ぎているので寄り道はあきらめた。
  
 亡き父母が「ハッタに住んでいた」と幼いころに聞いたことがある。その「ハッタ」がどこなのか兄に問うたが分からないという。四日市にも「八田」はある。そんなことを思いながら近鉄八田駅に着く。
 近鉄八田駅は名古屋市中村区八田町長田(中川区に接する)にあり、1日の平均乗車人員は3,000人余である。ここから、電車に乗って四日市に戻る。次回は最終回、名古屋駅をめざす。
  
10倍返し(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・11・7(木)
 「100円貸して」と孫のところに来たおじいちゃん。次の日「10倍返しだ!」と千円くれた。ええぞ、半沢じいちゃん。今度は100倍返しでお願いします。      (大阪市河内長野市・孫が大好きおばちゃん・66歳)

 「100円貸して」は半沢じいさんになるためのものかな?孫には100倍返しでもOKだろうね。
スマホ4(完) 2013・11・6(水)
 高齢者用のスマホがある。ドコモの「らくらくスマートフォン」やソフトバンクの「シンプルスマホ」などである。
 利点は分かりやすいこと(アプリは25種のみとか)やパケットの定額料金が普通のスマホより4割ほど安いこと。ただ、分かりやすいということはパソコンでできる複雑なことが出来ないということでもある。購入後、自由にアプリをダウンロード出来ない。ネットの定額料金が安いということは、見る量の上限が低く設定されている。一定の量以上ネットを使うとそれ以上は追加料金になる。(年配者はそれほどネットを使わないだろうということ)
 ただ、検索ページに文字入力が出来ない、その努力が出来ない人には無用の長物である。音声で文字を入れる機能があるが、これだけではスマホは自由に動かせない。画面にあるキーボードを指先で使いこなさないとスマホを十分には使えない。
 結論としてパソコンに精通した人なら普通のスマホがよい。それほど使わないがネットを使いたい人、挑戦したい人は簡単スマホを選べば良い。
 80代の仏像仲間が今後どう使いこなすか楽しみである。 
放浪唫草・第5首(會津八一) 2013・11・5(火)
 尾道にて
  ほばしら の なか より みゆる いそやま の
          てら の もみぢは うつろひ に けり    解説
      (帆柱の中より見ゆる磯山の寺の紅葉葉うつろひにけり)

 船旅の八一は穏やかな心で陸地の寺の紅葉を眺める。
若い時は戻ってこない 2013・11・4(月)
 平日、名古屋の地下街ですれ違う人達はいろいろである。ただ、子供はほとんどいない。どうしても同年代以上がよく目に入る。歩き方や姿勢に衰えのある人に出会うと「・・・我が振り直せ」で自らをチェックする。あんな風にはなりたくないな、と思うけれど行き先を見ているようで侘びしいものだ。
 また、若い人にも目が行く。動きが俊敏でエネルギッシュな人を見ていると気持がよい。着飾らなくても美しい。毎日が楽しいだろうなと想像する。今さら若返ることはできないので、彼らが羨ましいがそれ以上ではない。その年に応じたふさわしい生き方をすればいいからだ。
 ただ、若い時はその時だけだから、彼らがその生を十分に楽しみ、実りあるようにと思った。何年も浪人を続ける知人の息子がいる。自らの経験を思い出しながら、受験だけで青春の多くを使うのはもったいないと思い、地下街を歩きながら合格を切に願った。
湯治先は(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・11・3(日)
 86歳の父の住む町には、アルカディアという温泉施設がある。老人会で久々に行くことになり、うれしそうに話していた。カレンダーにもちゃんと予定が書いてある。が、よく見ると「アルカイダ」と記入されていた……。
          (広島市・アルカディアは理想郷の代名詞・58歳)

 アルカイダの方が覚えやすい。このお父さんにとっては中東の混乱など関係なさそう。お湯に入れば平和そのものかな!
伏屋駅(10・18) 2013・11・2(土)  
 戸田駅から伏屋駅(名古屋市中川区伏屋二丁目)へは戸田川を渡って愛知県道29号線を歩いた。名古屋への幹線道路なので、道の両側には大型店が並ぶ。もう名古屋、都会だと思ったが、左折して伏屋駅をめざすとひっそりとした住宅街だった。
   
 伏屋は“ふせや”ではなく“ふしや”と読む。名前の由来は、ここに伏屋城があり、伏屋氏が居城にしていたことによるらしい。他には、旅人を救う“布施屋”から来たという説もあるようだ。
 駅は戸田駅から直線で2km余、40分ほどで着いた。1日の平均乗車人員は5,500人ほどである。駅の写真を撮って八田駅へ向かった。
    
薬師寺・水煙 2013・11・1(金)
 水煙は仏塔の最上部にある火炎状の銅版で、火の字を嫌って水煙とよぶ。會津八一はその姿をこう詠んだ。この歌は八一の代表作の一つである。
  薬師寺東塔(第2首)                      解説
   すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
           ひま にも すめる あき の そら かな
     (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)
 今、薬師寺では「東塔水煙降臨展」(~11・30)が開催され、この「あまつをとめ(飛天)」が34mの高さから61年ぶりに降ろされ、間近に見れるという。先日から飛天(松久宗琳作)の浮彫を彫り始めたので余計に見に行きたいと思っている。
 奈良の友人・鹿鳴人は薬師寺を訪れ、水煙を詠った。
     水煙の天つ乙女ら舞い降りて吹く横笛の凍れる調べ
                     (毎日新聞・やまと歌壇 入選)
  
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