一月の終わりに 2013・1・31(木)
 年頭に考えたのは今年こそ身の回りの整理をと言うことだった。一昨年紹介した老前整理だがほとんど実行されていない。保存した名刺や出す年賀状を減らしたが、一冊の本を整理するのにも戸惑っている。
 忍びよる認知症への不安もある。ともあれ、するべきことだけはしておいて、今の生を楽しく過ごしたいと思っている。2月から実行あるのみ!

観仏三昧(會津八一)第8首 
 浄瑠璃寺(第3首)
       やまでら の ほふし が むすめ ひとり ゐて 
            かき うる には も いろづき に けり    解説
       (山寺の法師が娘一人ゐて柿売る庭も色づきにけり)  
観仏三昧(會津八一)第7首 2013・1・30(水)
 浄瑠璃寺(第2首)
      あしびき の やま の みてら の いとなみ に 
            おり けむ はた と みる が かなしさ    解説
     (あしびきの山のみ寺の営みに織りけむ機と見るが悲しさ)

                  奥伊吹スキー場
ばせを 2013・1・29(火)
 俳句のなかの「ばせを」、小さな文字が見にくくなったので「ば」か「ぱ」か判別できない。しばらく眺めて「ば」だと気がつく。その上で意味不明、随分考えていてやっとわかった。「芭蕉」なのだ。そもそも芭蕉の「野ざらし紀行」を読んでいたのだから、気がつかないのはよほど耄碌したと言うものだ。
 古くなった本を読んで処分しようと実行しているが、やっと岩波文庫の「蕪村俳句集」を流し読みした。ただ、分かるのは以下の句ぐらい。
  春の海 終日のたりのたり哉    牡丹散りて打かさなりぬ二三片
  ゆく春やおもたき琵琶の抱心    さみだれや大河を前に家二軒
  菜の花や月は東に日は西に    寒月や門なき寺の天高し
 義姉の所望で、この1989年発行の句集は捨てられずに、第2の人生を送る。素空が付箋を付けた蕪村の一句
       一書生の閑窓に書す
             学問は尻からぬけるほたる哉 
観仏三昧(會津八一)第6首 2013・1・28(月)
 浄瑠璃寺(第1首)
 二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる。寺僧はあたかも奈良に買ひものに行きしとて在らず 赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り我等がためには九体阿弥陀堂の扉を開けり 予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機ありこれを見て詠じて懐を抒(の)ぶ。
   やまでら の みだう の ゆか に かげろひて 
            ふりたる はた よ おる ひと なし に   解説
   (山寺のみ堂の床にかげろひて古りたる機よ織る人なしに)  
魔法の薬 2013・1・27(日)
 今やコンビニは生活に無くてはならぬものになっている。最初は「値段が高く、食べ物はまずい」の代名詞のようなものだったが、今は食べ物が美味しくなり、何処にでもあって便利になった。昼時のコンビニ駐車場はコンビニ弁当を食べる車で満車状態になる。
 数年前から弁当の米やおにぎりが美味しくなった。その頃から、我が家でもコンビニの食品を利用する回数が増えている。
 ところがコンビニの米の中に魔法の薬と呼ばれる精米改良剤や炊飯改良剤なる物が使われているものがあると言う。精米改良剤は古米を精米する時にスプレーし、新米に見せかける添加物のことで、古米の匂いを消し、光沢が増し、甘味が付き、さらに割れにくくなる薬品のこと。その中のプロピレングリコールは石油の精製品なので、「プラスチック新米」と呼ぶ人もある。
 「米不足の影響でコンビニのおにぎりなど外食のご飯には古米や古古米が使われ、特有のにおいを消したりするため、精米、炊飯段階で食品添加物が使用されている」との報告書(平成15年)があるので、コンビニの米が美味しくなったなと思い出したころと一致するような気がする。
 すべてそうだと言うわけではないが、おにぎりや弁当類を買う時は「アミノ酸等」と書いてないものを選ぶようにと本に書いてあった。
       炊飯改良剤  古米の臭いを消し、ツヤを出す
落語クイズR 2013・1・26(土)
23 「勉強し直してまいります」が、客席へ向けた最後の言葉になった落語家は?
 ・古今亭志ん生  ・三遊亭円生  ・林家彦六  ・桂文楽
落語クイズNの答
22 故立川談志の持論は、落語とは“業(ごう)の肯定である”。

業の肯定
 人間の業とは欠点だらけの人間の生きざまのこと。業の塊である人間の良いことも悪いことも全てを落語は肯定的に描くことだと談志は言う。法律などのルールに制約された業ではない業そのもの、それが人間であり、業を肯定するとはありのままの人間を肯定する事だと言う。それは人間存在丸ごとの肯定であり、笑いの中に深い人間愛を表現することなのであろう。
観仏三昧(會津八一)第5首 2013・1・25(金)
 十九日室生寺に至らむとて桜井の聖林寺十一面観音の端厳を拝す
旧知の老僧老いてなほあり
    さく はな の とわ に にほへる みほとけ を    
             まもりて ひと の おい に けらし も    解説  
   (咲く花の永遠ににほへるみ仏を守りて人の老いにけらしも)

 聖林寺の十一面観音は素晴らしい。古寺巡礼(和辻哲郎)の「七 疲労――奈良博物館――聖林寺十一面観音」は必読! 
自分の目がそこまで至っていない 2013・1・24(木)
  1965年発売の黄色に変色したゲーテ格言集、それほど心を動かす言葉はないが気にいった格言を取り上げる。下記の格言は「そこまで至っていない・・・」が気に入った。
「これまでもあったし、今日でもあることだが、造形美術の作品を初めて見た際、自分の目がそこまで至っていないため、それが自分に気にいらないことがある。しかしその作品にいゝところがあると感じたら、私はそれに近づくことに努める。そうすると、きわめて喜ばしい発見をすることが常である。作品については新しい特性を認め、自分自身については新しい能力を認める。」
                    (ゲーテ格言集「格言と反省」から)
落語クイズQ 2013・1・23(水)
22 故立川談志の持論は?
 ・落語とは“魂の叫び”である ・落語とは“業(ごう)の肯定である”である
 ・落語とは“人生の学校”である ・落語とは“性(さが)の確認”である
落語クイズMの答
21
 落語「いかけや」は路上で鍋釜の修理をする人を扱う。子供のころには鋳掛け屋を見かけたが、今では死語と言っていい。この落語は鋳掛け屋と悪ガキとのやりとりを扱っていて、桂春団治(3代目)の得意芸である。初代春団治の「いかけや」(録音)を聞いたことがある。
おくりびと 2013・1・22(火)
 「おくりびと」は死者の遺体を棺に納める納棺師の職に就いた男が、仕事を通じ、様々な死に出会い、そこに息づく愛と向き合う中で人間的に成長していく映画だ。
 随分昔に父や母を見送った頃はこんな映画はなかった。若かったので葬儀全体のいろいろに意識が振り回され、湯灌や納棺の細部はほとんど覚えていない。
 昨日、義姉のお母さんの湯灌と納棺に立ち会った。この日の納棺師は女性2人、親切で丁寧な立居振舞いで、きびきびと仕事をこなしていく。プロの仕事だ。髪を洗い、姿勢を直し、化粧をして旅立ちの衣装を着せる。合間に遺族が手伝い、お棺には見違えるほどに整ったお母さんが納められた。そして、故人が愛用していた品などの副葬品も置かれた。
 素空自作の小さな仏像を手に握って貰った。死出の道の守り仏になってくれれば幸いである。
観仏三昧(會津八一)第4首 2013・1・21(月)
 三月堂にて
  びしやもん の おもき かかと に まろび ふす
     おに の もだえ も ちとせ へ に けむ 
                       解説  
  (毘沙門の重き踵にまろびふす
              鬼のもだえも千年経にけむ)
「大和路」(堀辰雄)と會津八一13 2013・1・20(日)
 「古墳」の中で柿本人麻呂の挽歌を扱う。會津八一との関連はないが、愛する人がまだ山中に生きてさ迷っていると詠う人麻呂の歌が好きだ。

 「――自分のひそかに通っていたかるの村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩おうのうする、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……かるの市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍うねびの山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、いもが名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられてあります。

 秋山あきやま黄葉もみぢしげまどはせるいもを求めむ山路やまぢ知らずも
 もみぢの散りゆくなべにたまづさの使つかひを見ればひし日おもほゆ

 丁度、晩秋であったのでありましょう。彼がそうやって懊悩しながら、軽の村をさまよっていますと、おりから黄葉がしきりと散っております。ふと見上げてみると、山という山がすっかり美しく黄葉している。それらの山のなかに彼の愛人も葬られているのにちがいないが、それはどこいらであろうか。そんな山の奥ぶかくに、彼女がまだ生前とすこしも変らない姿で、なんだか道に迷ったような様子をしてさまよいつづけているような気もしてならない。だが、それが山のどこいらであるのか全然わからないのだ。」

 私事だが、今日の早朝義姉のお母さんが94歳で亡くなられた。とてもお母さんを大事にした義姉にこの人麻呂の歌を捧げたい。
控えめな理由(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・1・19(土)
 夫は長身で速足なので、何時も追いつけない。「三歩下がって控えめな妻だね」とつぶやくと、夫に「口だけは五歩先を行く」と返された。
                   (謙虚な振りをしている妻・37歳)

 連れ合いはせっかちなところもあるので、出がけにぐずぐずしていると置いていかれる。そんなこんなで友人たちの前では「三歩さがって妻の後を歩く」と冗談を言っている。しかし、口だけは注意している。言い争いではいつも完敗だから。 
「大和路」(堀辰雄)と會津八一12 2013・1・18(金)
 「十月二十六日、斑鳩の里にて」は続く。

 「僕はようやく心がしずかになってから夢殿のなかへはいり、秘仏を拝し、そこを出ると、再び板がこいの傍をとおって、いかにもつつましげに、中宮寺の観音を拝しにいった。・・・・
 それから約三十分後には、僕は何かかがやかしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群へぐりの山のふもと、法輪寺ほうりんじ法起寺ほっきじのある森のほうへぶらぶらと歩き出していた。」
 関連する八一の歌を引用する。
   みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
             あさ の ひかり の ともしきろ かも    解説
   くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
             かげ うごかして かぜ わたる みゆ   解説
   みとらし の はちす に のこる あせいろ の 
             みどり な ふき そ こがらし の かぜ  解説
落語クイズP 2013・1・17(木)
21 落語「いかけや」の「いかけや」は何をする人?
    ・競馬の予想屋        ・鍋釜の修理をする人
    ・祭の景気づけをする人  ・芝居の大道具、小道具を作る人
落語クイズLの答
20
 登場人物の酒量がけた外れに多いのは試し酒
試し酒
 客のお供の下男が大酒飲みだといい、旦那と客で五升飲めるか賭けをする。心配だから表で考えると出て行くが、しばらくして帰ってきて一升入りの盃で五杯飲む。旦那が「表で考えるといって何かマジナイをしてきたのだろ。それを教えてくれ」というと「今まで五升なんて飲んだことがないので、表の酒屋で試しに五升飲んできた」
チチのお土産 2013・1・16(水)
 チチは今日めいほうスキー場に出かけた。最近、靴下でもナイロン袋でも何でも遊ぶのでお土産を買ってもらったことがない。今日はめいほうの雪だるまの人形をプレゼントされた。一年前のめいほうのお土産以来だ。チチは気持よく滑れて機嫌が良かったのかな?
 咥えたおもちゃをチチに引っ張ってもらったり、ボールの代わりに投げてもらって取ってくる遊びが大好きだよ。
 
観仏三昧(會津八一)第3首 2013・1・14(月)
 十七日東大寺にて(第2首)
    おほてら の ひる の ともしび たえず とも     
             いかなる ひと か とは に あらめ や  解説  
   (大寺の昼の灯火絶えずともいかなる人か永久にあらめや)

        チビーズ通信・初雪だよ 2013・1・14(月)
              (明日第3火曜日は独り言を休みます)
        おちょぼさんー立田道の駅ージャズドリームー北ジャス
物忘れ 2013・1・13(日)
 最近、人の名などの固有名詞がなかなか出てこない。それを話すと、
同年代は「私も!」と相づちを打つってくれるが心配である。先日新聞に「認知症のチェックリスト」があった。介護者がチェックする、と書かれていたが本人でもよい。4個以上チェックがついたら認知症が疑われるとある。
 どきどきしながら、チェックを入れた。あなたはどうかな?

□ 同じことを何回も話したり、尋ねたりする
□ 置き忘れや、しまい忘れがある
□ 出来事の前後関係がわからなくなった
□ 服装や身の回りに無頓着になった
□ 水道栓やドアを閉め忘れたり、後片付けがきちんとできなくなった
□ 同時に二つの作業を行うと、一つを忘れる
□ 薬を管理してきちんと内服出来なくなった
□ 以前はてきぱきできた家事や作業に手間取るようになった
□ 計画を立てられなくなった
□ 複雑な話を理解できない
□ 興味が薄れ、意欲が無くなり、趣味活動を止めてしまった
□ 前より怒りっぽくなったり、疑い深くなったりした
□ 大切な物をぬすまれたと言う(家族のみ)
新年会 2013・1・12(土)
 昨夜、同級生(メルヘン)の新年会があった。メンバーが集まるのは昨秋の天満天神繁盛亭行き以来である。2か月ぶりに会い、年頭のあいさつもそこそこに女性4人のおしゃべりが始まる。空中を飛び交う会話に無口(?)な素空はたじたじである。延々3時間、酒なしの宴席で料理の話題は一つもなかった気がする。ともあれ、今年もよろしくと笑顔で散会した。
 帰宅してから思った。にぎやかにおしゃべりするは姦しい、女4人の場合は?と考えた。漢字ならだろうが、辞書で調べても見当たらない。女2人の文字はあった。奻で音読みはダン、ナン 訓読みはいいあらそう。いいあらそう(奻)よりはにぎやかにおしゃべりして(姦)仲良しの方が良い。

観仏三昧(會津八一)第2首 
 十七日東大寺にて(第1首)
    おほてら の ひる の おまえ に あぶら つきて    
             ひかり かそけき ともしび の かず    解説  
   (大寺の昼のお前に油尽きて光かそけき灯火の数)
チビーズ通信・3学期始まる 2013・1・11(金)
 月曜日から待ちに待った(←ママが)学校&幼稚園がスタートし、ようやく慣れてきた日々です。
 四日市では、楽しいお正月をありがとう。又会える日を楽しみにしています。(スージ、カコバーへ)
 追 伸
  ココロはコマが回せるようになって、百人一首も縄跳びも頑張ってます。まっちゃんは本日の身体測定で108.6㌢(3ヶ月で2㌢以上伸びた!) 19.6㌔(着衣での計測だけど、お正月太り気味です)  
観仏三昧(會津八一)第1首 2013・1・10(木)
 新たに鹿鳴集の中の観仏三昧・28首を紹介する。昭和14年10月の作である。早大文学部芸術科の学生を連れた奈良見学旅行の時の作で、冒頭に八一はこう記す。「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと」

 十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出(い)づ
    やまと には かの いかるが の おほてら に    
             みほとけ たち の まちて いまさむ    解説  
   (大和にはかの斑鳩の大寺にみ仏たちの待ちていまさむ)
木曽路のスキー場 2013・1・9(水)
 中央道を中津川で降りて、国道19号線を走る。木曽路である。すぐに馬籠宿の横を通り、7kmほど走ると妻籠宿だ。スキーを早めに切り上げて帰りに妻籠に寄ろうと思った。木曽路は数々の名所があり、案内を見ながら走るだけでも楽しい。
 きそふくしまスキー場がある福島宿を超えるとやぶはら高原スキー場に着く。そこは奈良井宿の手前薮原宿の近くにある。9時前に滑り始め、帰路に妻籠に寄ることを考えて昼ごろに終わろうと思ったが、もう一回もう一回が重なって、帰り支度が遅くなる。ほとんど寝ていない日帰りスキーなので、途中の睡眠時間も考慮して妻籠はあきらめた。
 スキー場そのものは泊まりでくるほどの大きさではないのだが、木曽路で遊びながらの一泊スキーツアーもありかなと考えた。
赤べこ 2013・1・8(火)
 福島県会津地方の郷土玩具。807年、柳津町の徳一大師が円蔵寺の虚空蔵堂を建立する際、牛の群れが現れて手伝い、最後まで働いたのが赤色の牛だったという伝説がある。そのことから、赤べこが作られた。赤は魔避けを表す。
 會津八一は30歳の時、坪内逍遥の招きで早稲田中学の英語教員になる。その頃、新渡戸稲造を中心にした郷土史研究会の一員になり、郷土玩具の収集に熱中し、600点余集めた。その中に「会津の赤べこ」があったがどうかは定かではない。
 星野富弘さんの1,2月を飾る詩と絵は「赤べこ
       
追い込み(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・1・7(月)
 高校3年生の娘が、テスト期間中だというのに、早い時間からベットに潜り込んで寝ていた。「具合が悪いの?」と尋ねると、娘はか細い声でこう答えた。「『文字酔い』した・・・・」
       (川崎市・受験生が文字に負けるなんて~・55歳)

 友人の次男も大学受験中!今年の大学入試センター試験は1月19日(土)と20日(日)、合格を祈っている。お祝いはスキーセットかな!
「大和路」(堀辰雄)と會津八一11 2013・1・6(日)
 「十月二十六日、斑鳩の里にて」では鹿鳴集の歌が引用される。
 「・・・・僕は法隆寺へゆく松並木の途中から、村のほうへはいって、道に迷ったように、わざと民家の裏などを抜けたりしているうちに、夢殿の南門のところへ出た。そこでちょっと立ち止まって、まんまえの例の古い宿屋をしげしげと眺め、それから夢殿のほうへ向った。
 夢殿を中心として、いくつかの古代の建物がある。ここいらは厩戸皇子うまやどのおうじの御住居のあとであり、向うの金堂こんどうや塔などが立ち並んでおのずから厳粛な感じのするあたりとは打って変って、大いになごやかな雰囲気を漂わせていてしかるべき一廓いっかく。・・・・
 そこで僕はときどきその品のいい八角形をした屋根を見あげ見あげ、そこの小ぢんまりとした庭を往ったり来たりしながら、
   ゆめどのはしづかなるかなものもひに
                 こもりていまもましますがごと     解説
   義疏(ぎそ)のふでたまたまおきてゆふかげに
                 おりたたしけむこれのふるには   解説
 そんな「鹿鳴集」の歌などを口ずさんでは、自分の心のうちに、そういった古代びとの物静かな生活をよみがえらせてみたりしていた。」
 八一の夢殿の歌は以下もある。
   あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
              この さびしさ を きみ は ほほゑむ  解説
南京続唱 2013・1・5(土)
 昭和3~5年(會津八一48~50歳)に作られた南京続唱14首の解説を先月終わった。
 故植田重雄教授は南京続唱についてこう記している。
 「昭和三年秋十月に、美術史研究のために奈良の諸寺を訪れ、十三首ほど生まれた。今までとはちがい学問考証に没頭し、歌は余滴のように詠まれている。・・・・以前の抒情的、パセティックな作品とちがい、一首一首が歌域(かいき)をひろめ、言葉が緊密な構造力をもっている。
            パセティック 哀れをさそうさま。また、感動的なさま)

南京続唱(會津八一)第13首 
 春日野にて(第3首)
    うつくしき ひと こもれり と むさしの の    
             おくか も しらず あらし ふく らし    解説  
   (美しき人こもれりと武蔵野の奥かも知らず嵐吹くらし)
南京続唱(會津八一)第14首 完 
 述懐
    ふるてら の みだう の やみ に こもり ゐて   
             もだせる こころ ひと な とひ そ ね  解説  
   (古寺のみ堂の闇に籠りゐて黙せる心人な問いそね)
芸術品 2013・1・4(金)
 ほぼ黄色に変色した1965年(32刷)発売のゲーテ格言集(新潮文庫)は定價90圓である。捨てる前に一読した。その中から目にとまった以下を紹介する。(「芸術と文学について」から)
 「取扱われた対象の内的実質こそ芸術の初めにして終わりである。なるほど、天才なり、修練を積んだ芸術的才能なりは、取扱い方一つで、どんなものからでもどんなものでも作ることができ、どんなに始末におえない材料でもこなすことができるということを否定しはしないであろう。しかし、よく見ると、そういう場合にできるものは芸術品というよりむしろ技巧品である。芸術品というものは価値ある対象に基ずくべきもので、最後にその取扱い方の巧妙さと苦心と努力によって、材料の価値を一段とよく見事にあらわすていのものでなければならない」
 「素材はだれの前にもころがっている。内容をみいだすのは、それに働きかけようとする者だけだ。形式は大抵の者にとって一つの秘密だ」
 技巧品にも届かず下手な模倣品になっている自作品の前では耳の痛い言葉である。しかし、眼前の“素材”に飛びつかないと何も始まらないのも道理だ。 
落語クイズO 2013・1・3(木)
20 登場人物の酒量がけた外れに多いのは?
    ・寄合酒  ・親子酒  ・試し酒  ・夢の酒
落語クイズKの答
19
 長屋じゅうのおかみさんたちがそろいもそろって“尼さん”になって
  しまうという噺は大山詣り。富士詣り、野崎詣り、天王寺詣りとも落語
  だが富士詣り、天王寺詣りは聞いたことがない。  

大山詣り
 大山詣りで喧嘩した者は罰金を払い坊主にすると決める。喧嘩っぽい熊さんは案の定、坊主にされてしまう。熊さんは、一足先に江戸に戻り、おかみさん連中に、途中金沢八景見物の舟が転覆して、皆亡くなってしまったと嘘をつき、皆を尼にしてしまう。
 男衆が帰ってきて、女房が尼さんになっているのにびっくりするが、先達さんがそれを見て「めでたい」と言う。理由を問われて、「お山が無事に済んで帰ってきたら、皆さんお毛が(怪我)なかった」というサゲ。上方(かみがた)では「百人坊主」。
屋根の上で 2013・1月2日(水)
 昨秋、屋根塗りをしたのを孫たちは知っていたので、興味を示しいろいろ質問する。それならと屋根の上で日向ぼっこをした。くるみは平気だが、最初渋っていた孫たちが時間をかけておっかなびっくり屋根に出た。パパも参加して記念写真を撮る。しばらくしてSおじさんが車で到着した頃には余裕で手を振っていた。
 最初はとても怖がっていたココロ曰く「屋根は楽しいね!」  

南京続唱(會津八一)第12首 
 春日野にて(第2首)
    をとめら が ものがたり ゆく の の はて に   
             みる に よろしき てら の しらかべ  解説  
   (乙女らが物語りゆく野の果てに見るによろしき寺の白壁)
全員集合 2013・1月1日(火)
 今年もみんな(兄夫婦、義兄、息子一家、素空夫婦)が集合して、大晦日~元旦を楽しく過ごした。
 孫・ココロ(一年生)は冬休みの課題が百人一首を40首覚えること、なんと恐ろしい!と思ったが、強力な助っ人がいた。義姉である。数学の先生なのに国語にめっぽう強い。百人一首が大得意で川柳作家でもある。過去に大病をして体力が落ちているが、孫たちと歌を読み合わせしながら居間で活躍、こんな元気な義姉を見るのは数年ぶりである。
 ココロは40首をほぼ知っており、まっちゃん(4歳)も数首暗記していたのにはびっくりした。
  
謹賀新年 2013・年初
 
あけましておめでとうございます
       昨年中はたいへんお世話になりました  
      本年もよろしくお願い申し上げます
                        平成25年元旦
   
     H  P : http://www.cty-net.ne.jp/~masahiro/soku/

            素 空

  

               

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