8月の終わりに 2012・8・31(金)
 今年の夏は暑かった。ツクツクボウシが鳴き出し、鈴虫たちに衰えが見え始めたのに残暑は厳しい。予報では来月半ばまで続くと言う。あ~~あ!!
 友人がブログを読んで「よく出かけているね」と言うが、暑い8月は自宅で過ごす時間が多かった。9月はもっと戸外へと願っている。
剣闘士4(完)・スパルタクス 2012・8・30(木)
 スパルタクスは紀元前73年、「見物人の慰み物になるよりは自由のために闘おう」と剣闘士奴隷養成所を脱出し、古代ローマで蜂起した。剣闘士・奴隷の解放をめざしたが2年後に破れる。この第三次奴隷戦争を「スパルタクスの反乱」と言う。九万の奴隷軍がイタリア半島を席捲したと言う。自由と解放を求めた闘いは、彼の名とともに今日に至るまで有名で多くの人が知っている。
 歴史家の評価、あるいは映画などで何となく彼を英雄視してきたが、もっとも心を打つものは「自由と解放」と言う言葉かもしれない。ただ、今回疑問に思ったのは用語の問題である。「奴隷戦争」の戦争は対等だが、「スパルタクスの反乱」の反乱は、あくまで逆賊扱いである。スパルタクスは勝利していたらどう呼ばれたのだろう。
 その昔の「学園闘争」は「学園紛争」、「安保闘争」は「安保紛争」と今日では呼ばれる。そんなことに疑問を感じながら「剣闘士」の話を終る団塊の世代である。
痛み(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・8・29(水)
 子どもが小さいころ、「いいか、他人の痛みが分かる人間になれ」と、よく言っていた夫。「私の痛みも分からないのに」と訴えると、「おまえを他人だと思ったことはない」だと。(言い訳の達人の妻・53歳)
 
 う~~ん!こんな言い訳の達人になりたい。
 ところでペットの扱いがわからない孫や小さい子供に、「自分がされて嫌なことをしないと仲良しになれるよ」といつも言ってきた。
                       七五三(琴将)
瑞応院(滋賀坂本) 2012・8・28(火)
 昨日、瑞応院に出かけた。奉納した伝教大師像を9月展示会用にお借りするためだ。住職夫妻といろいろ話をしてから像を白布で包もうとして、10ヶ月ぶりに見る顔がとても良いのでびっくりした。夫人が話の中で、「目がとても若々しい。充実した若き日の大師の布教活動が浮かび上がってくるようです」とおっしゃったのが微妙に影響したのかもしれない。この黒い眼は、仕上げの時に安達先生が入れてくださったものだ。
 瑞応院を出て、比叡山・坂本ケーブル駅に行く。駅には瑞応院住職の亡父・山田恵諦第253世天台座主の「縁福」の額が掲げてあった。展示会では恵諦座主の色紙を飾るつもりだ。
  
電力供給 2012・8・27(月)
 昨夏は日本全国節電一色だったのにその声が聞かれない。計画停電と言うことも無い。原発が動いていないのに、不思議だ。
 原発を必死に守ろうとする政治家や官僚の脳味噌の中を覗いてみたい。
剣闘士3・デキマティオ 2012・8・26(日)
 ローマ帝国にはデキマティオと呼ぶ残酷な制度があった。戦闘部隊が命令に従わなかったり、臆病な行動をした時、罰として兵士10人の中からくじ引きで選んだ1人を残りの9人に処刑させると言うものだった。昔の日本軍にも良く似た行為があったが、惨殺するまでには行かなかったようだ。円形競技場の剣闘士試合はこのデキマティオの影響を受けている。
 こんな制度があれば戦闘部隊は強化されるだろうが、そこは理性ある人間が存在する場所ではない。
 近頃、領土問題などでナショナリズムが鼓舞されて、諸外国への対抗意識が醸成されている。そこには危惧すべき「力の論理」が垣間見える。戦争を知らない世代がほとんどになった今、いとも簡単に軍隊が容認されていることを心配する。先の戦争から学んだ平和は護って行きたい。
ビタミン?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・8・25(土)
 朝方、足がつる。起きがけに「何が足りないんだっけ」と、隣で寝ている主人に聞くと一言。「美貌」。朝からよくそんなセリフが吐けるわぇ。     (欠乏症の妻・54歳)

 そんな無礼な言葉を一度は言ってみたいけど、恐ろしい。先日、内科の医者に「足りないのは鉄分」と言われた。

                円空・不動明王の絵  (Masanori.Y)
剣闘士2・生かすか殺すか 2012・8・24(金)
 剣闘士試合は一方の剣闘士が傷つき倒れた時点で勝敗がつき、勝った剣闘士は観客や皇帝に、破れた剣闘士を生かすか殺すかを仰いだ。10人に1人が殺されたという。
 剣闘士はもともとは死者を弔う為に始められた儀式だったが、時代とともに見世物となった。その隆盛の背景にはローマ時代のある種の軍国主義精神の発揚的な側面もあったようだが、単なる殺し合いになっていったこと、キリスト教の台頭などで紀元500年頃に衰退する。
 「生かすか殺すか」を観衆に委ねるなどは全くばかげたことで、今日ではとても考えられないことだ。
木喰 2012・8・23(木)
 木喰とは五穀、塩、火を通した食物を断ち、木の実や果実のみを食して修行することをいう。50年前、柳宗悦によってその芸術性が発見された木喰上人は円空より100年ほど後、甲斐(かい)国(山梨県)生まれの江戸時代の仏師である。全国を行脚して寺を建て、仏像を刻んだ。その作品は微笑仏とよばれ、現在300体の遺作がある。
創志君の夏休み(四日市) 2012・8・22(水)
 昨日はN家の墓参りを済ませて、リニア・鉄道館へ。さすが鉄道マニアの5年生である。館内を縦横に走り回り、時々蘊蓄を披露してくれる。抽選で在来線の電車運転が当たったので、喜びを倍増させたようだ。
 今日は南知多ビーチランド・おもちゃ王国に出かけた。創志君の希望もあったが、ペットも可で愛犬くるみも行けるのが良い。ここは幼児向けの遊具が主力だったが、ほとんどの乗り物に乗っていた。ただ「海底探索」は少し怖かったようだ。圧巻のイルカショウを見て帰路についた。
 ペットが同伴できる所なので沢山の犬を想像したが、今日はくるみしかいなかった。伊吹山山頂には沢山いたのに! 
鳥取の創志君登場 2012・8・20(月)
 2年ぶりに四日市にやってきた。小学5年生だが、一緒に来た祖母と背丈が同じになっている。
 彼の夏休みの諸行事がやっと終わったので、恒例の四日市詣でが実現した。今夜は大叔父、大叔母と一緒に寝て、明日は午前中は墓参り、午後はリニア・鉄道館に行く。小さい頃からの鉄道マニアである。

  (明日第3火曜日は独り言を休みます)
剣闘士 2012・8・19(日)
 友人にギリシャローマ神話を読んでいると話したら、彼の奥さんから「剣闘士」と言う本が届いた。その名も知らなかったこの本を読み終えたが、未だによくわからない。殺し合うということに強度のアレルギーを持っているので、そもそも受け付けないのかもしれない。
 剣闘士についてネットを参考に以下に書いておく。
 紀元前後のローマにおいて、見世物として剣闘士試合で戦った。多くは奴隷である。共和政ローマやローマ帝国の多くの都市に円形競技場があり、そこで剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられた。剣闘士試合では競技者が死ぬのを見て歓呼したと言う。紀元500年頃まで各地で続けられた。
脳トレ(中日新聞・つれあいにモノ申す)
                 
2012・8・18(土)
 デイサービスの能トレが難しくて、帰宅後「私、ばかになったみたい」と言った。すると主人が「おまえ利口だったのか」と言った。     (悪口夫の妻・81歳)

 物忘れが多く、固有名詞がなかなか出てこない素空に連れ合いの眼は結構厳しい。
伊吹山とプリウスPHV 2012・8・17(金)
 今月の「月一でノブ君と出かけるハイキング」は伊吹山。駐車場からお花畑が人気の山頂へ20分ほどで登った。琵琶湖を眼下に見下ろす風景は壮大である。昼食はカレーうどん、ノブ君パパはうまそうに生ビールを飲んでいた。
 ノブ君パパのプリウスPHVは出発時、電力だけで走るEV走行(満充電)が21kmを表示していた。走行21kmを過ぎた時から、ガソリンが主力のHVモードの走行に切り替わる。今回驚いたのは、山頂からの下り17km(伊吹山ドライブウェイ)をHVモードで走り終わった時、EV走行可能距離が0から15.8kmに回復していたことだ。さすが、最新の車である。さて次回9月はこのプリウスに乗ってノブ君と何処へ出かけようかな?
 ところで、20日から鳥取の義姉と孫の創志君がやってくるので、来週はあちこち厳しいハイキング?になりそうだ。
梨 2012・8・16(木)
 埼玉の同級生Yから、今年も梨が届いた。今年は一週間遅れと言っているが、我が家では初物で美味しくいただいている。久しぶりの電話で、老人会のピチピチの若手として活躍していると言っていた。
月下美人 何輪? 2012・8・15(水)
 開花が近づいたので、庭から座敷にあげた月下美人が11日から咲き始めた。咲く前に蕾を夫婦で何度も数えると14個あった。今年、挿し木した別の鉢にも4個ある。
 12日までに咲いてしぼんだものを切り取って並べたら15個ある。まだ蕾が3個、「あれっ!数が違う」と連れ合いが叫ぶ。なんと一鉢に18輪が咲いたのだ。別鉢を合わせて22輪、「どんな勘定をしているのだ」と間抜けな夫婦はお互いを非難しながら花に見いる。
 去年の8月12日に16輪咲いて大喜びをしたが、今年は一鉢に18輪、我が家の新記録である。
        
香薬師如来 2012・8・14(火)
 香薬師を拝して(會津八一) 
  みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の   解説
                 やまとくにばら かすみて ある らし
 歌意
  香薬師のうっとりとした眼には古代の大和の国が春の霞にかすんでみえているらしい。               香薬師の歌十一首へ
                          チビーズ通信へ
菰野富士 2012・8・13(月)
 湯の山温泉を中心に小さい頃からあちこち訪れ楽しんできたが、近くに菰野富士と言う山があることは知らなかった。標高369mの山だが、なんと言っても名前が良いし、「近鉄湯の山温泉から菰野富士山頂まで3776mのハイキング」と富士山の高さに関連させたアピールが面白い。
 菰野の菩提寺(西信寺)に出かけた後、一番安直なコース「鳥居道駐車場から登り30分、下り20分」を歩いてきた。多度山や尾高山は鶯だったが、ここではヒグラシが合唱していた。だれもいない山頂でゆっくり昼食をして下山したが、ここは眺めが良い。眼下には菰野町、四日市市が見渡せ、背後には、御在所岳をはじめとする鈴鹿山脈や湯の山温泉が一望出来る。
  
  
薬師如来 2012・8・12(日)
 薬師如来は、病気で苦しむ全ての人を救う事が仕事である。ボランティアで働く医者達の代表と考えれば「医師如来」と言っていいだろう。他の仏に無い特徴は左手に薬壺を持つこと。
鈴虫の脱走 2012・8・11(土)
 大きな4個の水槽で孵化した鈴虫が7月に鳴き始め、今は大合唱。鈴虫のいる2階の部屋は涼しげな音色ではなく、激しいシャワーの音のようだ。
 あちこちに嫁入りさせたが、まだ千匹以上いるだろう。少しずつ庭に放すが、トカゲなどに食べられるのだろう、3日ほどで鳴き声が無くなる。鈴虫は自然では生きられないようだ。
 ところで育てている間に脱走する「勇敢な輩」が沢山いる。隣の部屋だけなら良いが、階下に降りてうろうろしている鈴虫がいる。ジュニア一家には嫌いなゴキブリに似ていると歓迎されなかった。
 脱走した鈴虫たちを水槽に戻すようにしているが、素早く部屋の隅などに逃げた場合は気の毒だ。なぜなら、餌や水分補給が出来ないと生き延びることができない。水槽で飼っている鈴虫も秋の終わりには絶えてしまうが、産卵で次代へと生命を繋いでいく。
山道(中日新聞・つれあいにモノ申す) 
                
2012・8・10(金)
 主人と山道をドライブ。「ゆっくり走ってよ。タヌキやキツネが飛び出してきたらどうするのよ」と言うと、「大丈夫。もう隣にいるだろ」だと!(化ける妻・74歳)

 少食と夏痩せで頬がこけてきた素空を、連れ合いはキツネが運転していると思っているかも。
岡崎市 2012・8・9(木)
 9月の仏像彫刻展の準備で岡崎の小林さん宅を7日に訪れた。小林さんは徳川家康像で岡崎市民美術展・朝日新聞社賞を受賞しており、彫刻展のメインとしてこの像を出品する。
 時間をかけて岡崎市に行ったのは初めてである。簡単な打ち合わせをしてから、岡崎ニューグランドホテルで昼食を取る。眼下に岡崎城を見下ろしながらの食事は別世界のようだ。6年ほどのお付き合いだが、ゆっくり話したのは初めてで、話に花が咲いて昼食が2時間になった。(いつものことだよ、長話は!とメルヘンメンバーの悪口が聞こえそう)
 せっかくだからと徳川氏(松平氏)の菩提寺である大樹寺(だいじゅじ、だいじゅうじ)や、宝物展が開催されていた真宗高田派の満性寺(まんしょうじ)を案内してくれた。
   
十一面観音・善女龍王・善財童子  2012・8・8(水)
 一本の丸太を割って三体の像を造っている。十一面観音の台座の上に、像の彫刻してある面を内側にして両脇の二体を重ねれば、丸太の形が復元できる。
 十一面観音、像高221.2cm、岐阜県関市洞戸の高賀神社蔵。
 4年前、三重刻友会ツアーで高賀神社を訪れた。
チャリティー用作品 2012・8・7(火)
 9月の仏像彫刻展で福祉事業支援のためにチャリティー用作品を展示する。春から会員全員で彫ってきた。円空彫り作品の他、写真のものなどがあり、50点を超える。10年前の展示会ではほぼ即売だったと言う。
 ご希望の方は義援金箱に義援金(1,500円~50,000円)を入れて、チャリティー作品をお持ち帰りください。福祉事業支援のためにご協力を!
フォトジェニック(朝日新聞・いわせてもらお) 2012・8・6(月)
 夫(62)は旅行に行くと、お寺や史跡の前で必ず私の写真を撮るので恥ずかしい。先日、「もう私の写真はいいよ」と断ったら、「いや、お前は《たばこ》だから」と言う。「?」と思い、尋ねたら「風景の大きさを測るスケールだ。お前が必要なんだ」。   (愛知県刈谷市・私の身長は156cm・61歳)
 
 作った仏像の写真を撮る時に大きさを表すことが難しい。まさか《たばこ》を置くわけにはいかないし。ところで、フォトジェニック(photogenic)とは“写真うつりの良いこと”と言う意味だそうだ。
挽歌 2012・8・5(日)
 「萬代の橋より夜半の水の面に涙おとしてわが去らんとす」 吉野秀雄
 昭和31年11月、會津八一の葬儀後、“新潟の萬代橋(ばんだいばし)から悲しみの涙を落して去った”と詠む。八一のただ一人の短歌の門弟・吉野秀雄の深い悲しみの歌である。弟子といってもただの弟子ではない。八一が多くの弟子の中でたった一人歌人として認めた歌の友である。
 この歌の歌碑を新潟市に建立する案内が届いた。彼の歌碑は各地にあるが、新潟市では2基目となる。1基目は
 「枝堀にもやふ肥船ほとほとに朽ちしが上に柳散るなり」

吉野秀雄
(よしのひでお 1902年-67年) 群馬県高崎市生まれ。慶大中退。伊藤左千夫・正岡子規らアララギ派の作風に強い影響を受けたが、会津八一の南京新唱に感動し師事する。大学在学中に結核を患い、「病人歌人」としても知られる。戦中に妻はつ子と死別。とみ子(八木重吉の元妻)と再婚。愛飲家、酒豪でもあった。作品に「苔径集」「早梅集」「寒蝉集」「良寛和尚の人と歌」「歌秋艸道人會津八一」「鹿鳴集歌解」

          円空・護法神の絵  (Masanori.Y)
落差(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・8・4(土)
 何事があっても、謝ることをしない夫。なのに、猫のシッポをちょこっと踏んだだけで、「ごめん、ごめん、痛かったね」と猫なで声で謝る。
                  (猫になりたい妻・67歳)

 くるみの足などを踏みつけるものなら、すぐに連れ合いの叱り声が飛んでくる。犬になりたい時もある。ところで、生まれ変わってなりたい動物は猫が一位で犬は人気がなかった。        
尾高山(おだかやま) 2012・8・3(金)
 三重県三重郡菰野町にある標高533mの山で、釈迦ヶ岳(1,092m・鈴鹿山脈)から東南東に延びる尾根上にある。先月、尾高山の山麓にある尾高観音(尾高山和光院引接寺)横から登った。登山ではなくハイキングには最適の高さである。その先の釈迦ヶ岳まで登ると言う大それた考えは全くない。シニアのお手軽ハイキングである。
 尾高観音堂(六角堂)は古くから伊勢観音三十三番として親しまれているが、堂前の300mを超える檜の美しい林は素晴らしい。心が洗われるようでとても落ち着いた気分になる。
  
墓参り 2012・8・2(木)
 いつものように三つの墓を回る。キリスト教と仏教の墓、「まんまんちゃー、あん!」「アーメン!」混乱しそう。小田原出身のジュニアの嫁から「「まんまんちゃー、あん!って方言ですか?」と聞かれる。「子供の頃から言ってるよ」と答えたが、それは方言ではなく「南無阿弥陀仏」と発音できない幼児言葉「まんまんだ」からきているらしい。               
  
  
諸国六玉河(玉川) 2012・8・1(水)
 歌川広重(パラミタミュージアム)の浮世絵に諸国六玉河・短冊絵があった。「六玉川」という言葉が気になったので帰ってから調べた。
 六玉川(むたまがわ)は歌枕として古歌に詠まれた全国六ヶ所の玉川を指し、東京の調布玉川、京都の井手玉川、大阪の三島玉川、和歌山の高野玉川、滋賀の野路玉川、宮城の野田玉川を言う。
 また題材を六玉川にとり、歌詞に織り込んだ邦楽曲(箏曲 ・富本節 ・清元節 ・長唄など)があると書いてある。
 浮世絵展と同時に「歓喜する造形・50年の軌跡」森正の陶展が開催されている。「・・・森正は勤務していた瀬栄陶器四日市工場で、クラフト運動の指導者として知られる日根野作三に師事・・・」と紹介されているが、瀬栄陶器は亡き義母がいたところなので懐かしい。  

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