明日香1 2012・3・31(土)
 昨日、「平成円空彫りと南画展」が明日香・橘寺で開催されているので、三重刻友会のメンバーで出かけた。入口に小学生の作品があり、まずはその力量にびっくりする。内緒だが素空の作品とそんなに変わらない。
  
 展示場の往生院内には大きな力作が並ぶ。力強さとノミの切れ味の良さに感心し、いろいろな工夫が施されていることを学ぶ。
  
 案内に「今回の震災で亡くなられた方々や行くえ不明の人達を祈り約19,330体の地蔵菩薩を彫り・・・」と書いてあったのでその数に驚いていたが、高さ10cm前後の木端仏(こっぱぶつ)のことだった。これなら短時間で作れるので納得できる。
  
 9月4~9日に四日市文化会館で開催する三重刻友会の仏像展の参考になることが沢山あった。会員は仏像展で災害地支援のために頒布する仏像作りを始めたところである。
                       今日はくるみの誕生日
シルバー川柳2 2012・3・30(金)
 「第11回シルバー川柳」 入選20首より
  ・中身より字の大きさで選ぶ本      西村嘉浩(神奈川県/71歳)
  ・若作り席をゆずられムダを知り     津村信之(東京都/71歳)
  ・入場料顔見て即座に割り引かれ    赤羽慶正(東京都/71歳)

 数年前、伊吹山で証明するものが無かったのに、「(無しで)いいですよ」と若い女性に笑顔でシニアスキー券を渡されたことが忘れられない。
高村光太郎13(完) 2012・3・29(木)
 高村光太郎について書き出したのは、彼の詩集を読み終えたのが端緒である。だが、詩集を読みだしたのは吉本隆明の「高村光太郎」による。3月16日吉本は亡くなり、その存在が大きくマスコミで取り上げられていることは何かの因縁があるかもしれない。団塊の世代の多くは吉本に大きな影響を受けたと言えるが、各種報道の底の浅さを見ていると現在の少し若いと思われる報道関係者にはもう彼の思想を捉える力は無さそうだ。
 そのことはさておいて、高村と吉本の終戦時における挫折とその後の姿勢を今回は明らかにしたかった。戦後、崩壊した自らの立脚点(思想)を借り物の思想で置き変えることなく、考え抜くことによって新たな思想や道筋を作りだしたことを評価する。
 そうしたことを知り得たからこそ、若い時に接した高村の「道程」や「智恵子抄」が新たな視点から内容豊かに迫って来るのである。
 また、彼らの生き様は素空自らにも跳ね返ってくる。遠い昔の挫折を「借り物の思想」で置き換えはしなかったが、残念ながら自らが自前の思想を紡ぐほどの能力も努力もなかったことを悔いている。
シルバー川柳 2012・3・28(水)
 「第11回シルバー川柳」(全国有料老人ホーム協会主催)入選20首より
  ・これ大事あれも大事とゴミの部屋   川端  和子(東京都/67歳)
  ・振り返り犬が気遣う散歩道       森内奈穂子(北海道/44歳)
  ・聴力の検査で測れぬ地獄耳      大沢  紀恵(新潟県/71歳) 
市民壇 2012・3・27(火)
 四日市の諏訪公園には子供たちが市民ダイと言っていた市民壇(1934年建立)があった。幼い頃はそこでよく遊んだが、1990年3月に移転されて無くなった。その当時のことは同年代の隣人・武兵衛さんがブログで語っている。
 先日、何度も行った南部丘陵公園を兄に紹介して歩いていたら、なんと公園内のマンドリンの森にこの市民壇があった。仲間より小さかった自分が壇から飛び降りる事が出来なかったことなどを思い出した。それ程風化していない石材にそっと触れると懐かしさがこみ上げてきた。
 市民壇の裏には当時は無かった「四日市祭三相」が描かれているが、昔の思い出を共有し、その当時にタイムスリップしている兄弟には好ましいものには思えなかった。思い出はその頃のままが良い。
  
まだ動くの?(朝日新聞 あのね より) 2012・3・26(月)
 スーパーの精肉コーナーで、たこ糸にぐるぐる巻かれたお肉を見た。「どうしてしばってあるの? まだ動くの?」 舟生(ふにゅう)凛々子・6歳 

 昨日南部丘陵公園に兄と出かけた。「いのししに注意してください!」と看板が立ててある。可愛い「うり坊」を連想したが、しし鍋も頭に浮かんだ。
祖父母の葬儀は孫の祭り 2012・3・25(日)
 先輩の91歳になるお母さんが亡くなられた。お母さんの孫たちは大きくなっていて、可愛いひ孫たちが何人か参列していた。皆おとなしく礼儀正しい。律儀な先輩の血を引いているのだと思う。そんな子供たちの姿に、ずいぶん昔の素空の父の葬儀で、まだ小さかった長男が牧師さんや棺桶の周りを不思議そうな顔をしながら、でも楽しそうに動き回っていたことを思い出した。「祖父母の葬儀は孫の祭り」とは言い得て妙、とりわけ亡くなった人が高齢の場合は幼い子たちの羽目を外した行いが、反ってその場の雰囲気に合っている。
 急を聞いて駆け付けた先輩の同級生たちにとっても久しぶりのある意味での良い時間だったようだ。夜は同級生の食事会が急遽行われ、そのひとりである兄は会食後、素空宅に泊まった。
 ご夫婦でお母さんを数年介護した先輩は最後にこう挨拶した。「母は苦しむことなく穏やかに逝きました。・・・・結婚40年、介護を通じて初めて妻に心からありがとうと素直の言うことができました。妻やお世話下さった人々に心から感謝しております」 
南京余唱第24首(八一) 2012・3・24(土)
 またある日(第2首)   
  いにしへ に わが こふ らく を かうべ に こ 
            おほさか に こ と しづこころ なき    解説 
      (古に我が恋ふらくを神戸に来大阪に来としづこころなき)
エッセイの目玉 2012・3・23(金)
 鹿鳴人の恩師、随筆家・僅はじめ氏の「あとはよろしく。」のなかに“エッセイの目玉”と言う文がある。書き方の文章論ではなく、読み手の側に立って、興味を覚え面白いと感じる作品として以下をあげている。
 1 生き方や人生にかかわるもので、ものの見方や考え方が中心に
   なっているもの。
 2 風景、旅、草花、動物などの文で、美しいイメージを共有出来たり、
   そこへ是非行ってみたいと思うもの。
 3 身近な体験、変わった出来事、失敗などの話題。
   「ある、ある、そんなこと」と自然に顔がほころんでくるもの。
 4 新しい知識が加わり、新発見に出くわす場合。知らなかったことを
   初めて知って嬉しくなる文章。
 5 なにげない言葉のやりとりや日常の行為に見られる人物像で、
   「楽しい人がいるもんだ」「その場にいたかったな」と思うもの。
 そしてエッセイについてこう語る。「散文の世界で、多くの食材、ゆたかな味わい、美しい彩りをもったちらし寿司のような感じさえしてくるもの」
 読み手の素空が「興味を覚え面白いと感じる」エッセイである。
南京余唱第23首(八一) 2012・3・22(木)
 またある日(第1首)   
  あまごもる なら の やどり に おそひ きて 
          さけ くみ かはす ふるき とも かな    解説 
     (雨ごもる奈良の宿りに襲ひ来て酒酌み交はす古き友かな)

                   スキージャム勝山へ  (3・21)
梅見(いなべ市農業公園) 2012・3・21(水)
 昨日はいなべ市農業公園内の梅林公園に出かける。例年は月ヶ瀬梅林に行くのだが、今回は初めての所にした。ただ、3分咲きでまだまだだったためか、500円の入園料は無料になっていた。祭日だったので沢山の人が来ており、暖かい日差しのもと、つくし取りをしている人もいた。
 去年はうらら姉さんも一緒の梅見だったが、今年はくるみ一人、ちょっと寂しい定休日だった。
 梅林公園の向こうには雪をかぶった鈴鹿山脈が美しい。藤原岳より北の山々である。
  
  
  
南京余唱第22首(八一) 2012・3・19(月)
 春日野のやどりにて   
  かすがの の よ を さむみ かも さをしか の
           まち の ちまた を なき わたり ゆく    解説 
     (春日野の夜を寒みかもさ牡鹿の街の巷を鳴き渡りゆく)

 会津八一の奈良での定宿・日吉館は老朽化を理由に2009年に取り壊された。奈良の友人・鹿鳴人にその後を問い合わせたら、すぐに写真と共に返事が届いた。
 「日吉館の持ち主の子孫が、貸し家を建てテナント募集をしているが、借り手がつくかどうか、難しいと思う。 なぜもっと以前の日吉館であったことを特徴にしなかったのか、疑問を感じる。会津八一会館イン奈良を作ればよかったと思う」
 彼の言うように八一ファンとしては、現在の日吉館跡には失望する。
 
                  (明日第3火曜日は独り言を休みます) 
横書きを縦書きに 2012・3・18(日)
 著作権が切れた書物を無料で読むことができる青空文庫を以前に紹介したが、このページは横書きである。ところが便利なもので、この青空文庫を縦書きで読むことができる「えあ草紙」と言うページが出来た。実際使ってみるととても読みやすい。
 ところで、3月13日、エンサイクロペディア・ブリタニカ社はブリタニカ百科事典の書籍出版をやめ、今後は電子版にすると発表した。新聞や書籍の電子化は時代の流れであろうか。
 巷では、部屋を占領する本の整理・処分の方法がいろいろ言われているが、その一つに「図書館で読める本は処分する」がある。これに加えて「青空文庫・えあ草紙で読める本もいらない」となりそうだ。
 ただ、青空文庫に会津八一作品は短文がたったの4個、寺田寅彦作品は287個(ほとんどが短文の随筆)しかない。慌てて手持ちの本を処分すると読めなくなるので、照合しながら整理した方が良さそうだ。

                        琴音卒園式
誕生祝い 2012・3・17(土)
 昨日、息子一家からスージの誕生祝いと孫たちの動画が届いた。

                       奥伊吹へ  (3・16)
高村光太郎12 2012・3・16(金)
 脱原発を宣言した全日本仏教会の河野太通会長は言う。「日中・太平洋戦争で仏教の教団は何をしたか。戦争反対の声は上げず、信徒から集めた寄付金で、軍に戦闘機を贈ったこともあった。それでも戦後しばらくは、懺悔もしていない。そういうことでいいのかと思い続けてきた」「あの戦争の時、宗教者が国家に順応して戦争に協力してきたことと、原発問題に口を閉ざす雰囲気が重なる。原発事故で故郷を離れざるを得ない人々のことを思えば、命の尊厳を唱える仏教者として原発は持ってはいけないものだ。生活のあり方を見直し、原発を必要としない社会をめざすべきだ」(朝日新聞3月11日より)
 遅きに失したとはいえ、宗教家による戦争への反省が述べられている。戦後すぐに7年の隠遁生活に入った高村光太郎とは違って、多くの芸術家や文学者、思想家が何の反省も無くイデオロギーを横滑りさせていったことは醜悪この上ない。この人たちに比べればこの宗教家の反省は尊い。
 ただ、原発事故以後の廃止への流れは、一年経っただけなのにもう続行の方向に傾きつつある。「喉元過ぎれば・・・」ではあまりにも原発問題への洞察が軽すぎる。
 大事なことは「電力」なのか「人間」なのか、考えなくても答えは出ている。

        「3月16日、吉本隆明氏(87)死去 合掌」
南京余唱第21首(八一) 2012・3・15(木)
 春日野にて   
  かすがの の しか ふす くさ の かたより に 
        わが こふ らく は とほ つ よ の ひと    解説 
     (春日野の鹿伏す草のかたよりに我が恋ふらくは遠つ世の人)
サンシの名が変わる 2012・3・14(水)
 「サンシの名が変わるのね!」(カコバー)
 「エッ~~!それは大変、なんて名になるのかな?」(おかちゃん)
 「・・・・・???」カコバー
 「遂にスーパー・サンシも経営者が変わってしまうのだ」(おかちゃん)
 「違う!サンシ(三枝)がブンシ(文枝)を襲名する話よ」(カコバー)
 桂三枝の襲名と四日市のスーパーマーケット・サンシを混同したお粗末の一席。
 パラミタミュージアでは三枝の弟子でカナダ人の桂三輝(サンシャイン)の特別公演がある。4月22日(日)14:00開演、パラミタミュージアム・池田満寿夫「般若心経シリーズ」展示室。ちょうど4月20日から「光記念館日本画名品展 横山大観と日本画のあじわい」が始まるのでぜひ見てみたいと思っている。
高村光太郎11 2012・3・13(火)
 吉本隆明は終戦時の高村光太郎の「一億の号泣」を読んで、はじめて高村光太郎に異和感をおぼえた。なぜなら、それまで2人が信奉してきた価値観、とりわけ天皇制ファシズムが崩壊した中で彼は新たな立脚点になる思想的拠り所を模索し始めていたからである。
 しかし、高村は「一憶の号泣」後、全ての活動を停止し「戦争責任」を自問して7年間岩手での隠遁生活をする。そのため吉本は彼を評価することになる。(ただ高村の反省に疑問を呈する人もいるが)
 高村はこう語った。「何も偉いことはありません。この通りの生活をしています。私は戦時中戦争に協力しました。文学の方面や美術の方面などで。戦争に協力した人は追放になっています。私には追放の指令が来ませんが、自分自ら追放、その考えでこう引込んでいるのです」。
 そして1947年7月に以下の詩を作っている。
「わが詩をよみて人死に就けり」
 爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
 電線に女の太腿がぶらさがつた。
 死はいつでもそこにあつた。
 死の恐怖から私自身を救ふために
 「必死の時」を必死になつて私は書いた。
 その詩を戦地の同胞がよんだ。
 人はそれをよんで死に立ち向つた。
 その詩を毎日よみかへすと家郷へ書き送つた
 潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
南京余唱第20首(八一) 2012・3・12(月)
 奈良博物館即興(第4首)  
  のち の よ の ひと の そへたる ころもで を 
             かかげて たたす ぢこくてんわう    解説
   (後の世の人の添へたる衣手をかかげて立たす持国天王)

 安達微笑仏館 四日市CTYテレビで放映
   3月1日~15日 市民チャンネル・16時30分~45分(日曜を除く)
     (16日以降はメディアネット四日市で配信される予定)      
こぶしの花 2012・3・11(日)
 富弘さんの三月の詩と絵はこぶしの花。今年は寒いが、近くにあるこぶしはしっかりと蕾を持ってきている。桜より早い3月半ば頃に咲くので、昔の人はこの花の開花時期から農作業のタイミングを判断したと言う。そんなことから「種まき桜」と呼ぶところもあるらしい。
 こぶしと共に咲き始める三滝川の白いユキヤナギは、沢山の蕾の中にほとんど目立たないが開花しているものもあり、満開が楽しみである。
 真白な花達は春の初めによく似合う。
   
私はウサギ(くるみ) 2012・3・9(土)
   
合唱団の会報(伝教大師) 2012・3・9(金)
 奈良の鹿鳴人が入っていた東京の東京アカデミー合唱団・楽友会の3月の紙面に鹿鳴人の歌が載った。彼は東京時代に入団していた。なんとそれは素空が彫った伝教大師像を詠んだ歌である。
  友の彫る伝教大師が完成し出展の日を楽しみて待つ
        毎日新聞やまと歌壇・入選句(平成23年10月20日)
 彼は誌上でこう解説している。
 大学時代の友人が趣味で、彫刻の先生に指導を仰いで1年2ヶ月かけて作品を完成させた彫刻「伝教大師武蔵野を行く」が三重県四日市美術展で教育委員会賞を受賞したそうです。その受賞の悦びを詠ったものです。この彫刻を手がけるために、比叡山の麓のお寺にある伝教大師(最澄の諡号)を見学に行ったり、仏像彫刻関連の書物を読んだりして、かなり時間をかけたとのことです。出展後は、見学に行った比叡山麓のお寺に奉納したそうです。
 思わぬところで紹介されて恐縮している。
南京余唱第19首(八一) 2012・3・8(木)
 奈良博物館即興(第3首)   
  ガラスど に ならぶ 四はう の みほとけ の 
         ひざ に たぐひて わが かげ は ゆく    解説
    (ガラス戸に並ぶ四方のみ仏の膝にたぐひて我が影はゆく)
                        奥伊吹へ(3・8)      
霧中の走行 2012・3・7(水)
 志賀高原からの帰路、中央道にかかると霧が出てきた。道路にある点滅する反射鏡と前を走る車のバックライトを頼りにして走り、無事帰ってきた。こんな時のためにフォグランプがあるのだが、その時はスイッチがわからなかった。それに車によってはフォグランプがついていない。
 ずいぶん昔、東海北陸道で濃霧にあい、とても走れなかったので車を止めようと思った。しかしフォグランプに気づき、点灯すると黄色いライトが加わって視野が良くなり、走行を続けることが出来たことを今でも思い出す。
 調べてみると、フォグランプは装着義務がなく、対向車等に迷惑にならないような明るさなら付けて良いということである。同道した友人の車にはないと言っていた。帰宅して取扱説明書で確認したら、今乗っている車にも付いていなかった。若い子2人にその話をしたら、フォグランプそのものを知らないと言っていた。
すし皿(つれあいにモノ申す) 2012・3・6(火)
 回転ずし店で、夫が食べた皿は六枚、私は九枚。お会計が来る前に、私の皿四枚を夫の皿の上に重ねて置いた。ごめんなさい。(見え張る妻)
  血糖値が高く食事を制限しているため痩せているので、すし皿を山のように積んでいる人が羨ましい。奥さんの皿を自分の方に重ねて見栄を張ってみようか。
孫たちの誕生日 2012・3・5(月)
 3月3日に2人の孫の合同誕生パーティーをしたと連絡があった。ママが頑張って作ったケーキは、なかなか上手にできている。
 ココロの誕生祝いの自転車を見て、素空の子供時代を思い出した。子供用ではなく大人の自転車を使って練習した。高くてサドルに座れないので、横から足を入れて乗った。三角乗りと言っていた様に思う。補助輪などなかったので、運動神経の悪い自分が乗れるようになるまでずいぶん時間がかかった。
 電話で達者に話せるようになった弟・まっちゃんは、カコバーが「スキーに行こうね」と言ったら、「いいよ。垂坂でソリでやったからできるよ」と返事したと言う。パパや貞叔父さんにしがみつくようにして滑ったのに口は達者なようだ。毎年、スキーに連れて行きたいと思うが、自転車乗りの練習のころのどんくささがまっちゃんに隔世遺伝していないかと心配する。
南京余唱第18首(八一) 2012・3・4(日)
 奈良博物館即興(第2首)   
  あせたる を ひと は よし とふ びんばくわ の
           ほとけ の くち は もゆ べき ものを     解説 
    (褪せたるを人は良しとふ頻婆果の仏の口は燃ゆべきものを)
新型ゲートシステム 2012・3・3(土)
 志賀高原スキー場に出かけるとリフト券がICチケットから、クレジットカードサイズのキーカードに変わっていた。大した違いではないと思ったが、よく見ると「滑走データを保存」と書いてある。
 登録したSkilineポータルにログインして、リフト券番号を入力すると滑走日、滑走標高差(m)、乗車したリフト数など色々な情報がデータを入力することなく、いつでもスマートフォンやパソコンで見ることができる。
 下の画像がデータだが、朝から夕方まで目いっぱい滑った3月1日は25リフト滑降距離30kmとなっている。3日間では54km、マラソンより長く走ったことになる。


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