落語クイズA 2012・10・31(水)
 兄から「落語雑学クイズ横町」という本をもらった。抜き書きするので挑戦してください。
1 次の語の読み方と意味は?
   寄席 下座 
2 次の語の意味は?
   トリ 大喜利(おおぎり) 天失氣(てんしき) まくら  
 
「大和路」(堀辰雄)と會津八一5 2012・10・30(火)
 「大和路」の「夕方、西の京にて」は続く。
 「・・・裏手から唐招提寺の森のなかへはいっていった。
 金堂(こんどう)も、講堂も、その他の建物も、まわりの松林とともに、すっかりもう陰ってしまっていた。そうして急にひえびえとしだした夕暗のなかに、白壁だけをあかるく残して、軒も、柱も、扉も、一様に灰ばんだ色をして沈んでゆこうとしていた。
 僕はそれでもよかった。いま、自分たち人間のはかなさをこんなに心にしみて感じていられるだけでよかった。僕はひとりで金堂の石段にあがって、しばらくその吹(ふ)き放(はな)しの円柱のかげを歩きまわっていた。・・・
 僕はきょうはもうこの位にして、此処を立ち去ろうと思いながら、最後にちょっとだけ人間の気まぐれを許して貰うように、円柱の一つに近づいて手で撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味わおうとした。僕はそのときふとその手を休めて、じっと一つところにそれを押しつけた。僕は異様に心が躍った。そうやってみていると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。ほんのりと温かい。その太い柱の深部に滲(し)み込(こ)んだ日の光の温かみがまだ消えやらずに残っているらしい。」
 八一の代表作 「唐招提寺にて
   おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
            つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
         (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・29(月)
 我が好かぬ男の文は母に見せ
   好きではない付け文の男を母に断ってもらう気弱な娘。
 捨てられぬ文が島田のしんになり
   愛しい人の手紙は髷(まげ)の芯(しん)に用いて大事にする娘心。
 惚れたとは女のやぶれかぶれなり
   女が「若い時は親に従ひ、盛りにしては男に従ひ、老ては子に従ふ」
  (毛吹草・寛永15年)という時代、愛の告白は余程のこと。まさしく
  「やぶれかぶれ」なのだ。
 男でも惚れたとは言いにくい。「惚れたとは短い事の言いにくき」がこの世界なのだが、この世の中心をなす素晴らしい世界でもある。
文治まつり 2012・10・28(日)
 落語家桂文治(初代)は1816年、興行中に四日市で亡くなった。その初代文治を記念し、四日市出身の落語家・桂福団治が開催する第9回「文治まつり」(四日市市文化会館)が26日にあり、ノブ君パパと出かけた。
 座った席の近くに同級生が3人、スキーの仲間にも入り口で会った。同世代は落語に向いているのかな?
 今年は特別で第十一代桂文治(旧桂平治)の襲名披露がメインだった。脂の乗り切った40代半ばの江戸落語の文治は、先代の十八番「源平盛衰記」で会場を爆笑の渦に巻き込み、なかなか見ごたえがあった。
 その後、ノブ君パパ、同級生Kと深夜まで落語を中心に談笑した。
 30日には同級生を中心に10人で大阪繁盛亭に出かける。「繁盛」している寄席の雰囲気を味わってくる予定だ。予定と言えば、この文治まつりに出演した四日市出身の林家染弥が2人会をする「神笑亭」は11月17日(土)夜に四日市の諏訪神社で開催される。染弥の諏訪神社の落語は3回目になる。Kも来るだろう。楽しみだ。 
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・27(土)
 寝て居ても団扇(うちわ)のうごく親心
  添い寝ではなく、座ったままでの母心。
 物さしでひるねの蠅を追つてやり
  子の昼寝、蠅を追い払う母は優しい。心温まる句だ。
 子を持つた大工一足おそく来る
  父の示す親心もほほえましい。子ゆえの遅刻。
 子の頭ちよつとたたいて知らん顔
   オヤジはこんな事をして仕事場へ。
 育てた子供が今は親、こんな気持ちで子育てしているだろう。
石原慎太郎の罪 2012・10・26(金)
 偏ったナショナリズムを煽り、都による尖閣諸島の購入を働きかけた石原都知事。そのことが今日の日中の不和を作った。
 領土問題がそう簡単に解決しないのは歴史上も現在も現実が示している。とりわけ、陸続きのヨーロッパ諸国が友好関係を維持しながら、粘り強く境界の問題を話し合ってきている事実を見つめるべきだ。
 戦争による日中の不幸な関係を40年にわたって辛抱強く改善してきた努力が反故にされ、こんな事態になるとは驚きであり、財界もしかめっ面をしているだろう。事態の責任など全く考えず、都政を投げ出し、新党を作って国政に出ると言うから開いた口がふさがらない。
 民族や国家体制の違いがあるとしても、他国とは友好な関係を維持すべきだし、ましてや隣国なら余計にである。それが平和な世界実現の第一歩だと思う。
 「尖閣諸島は今までも歴史的にも国際法的にも日本の領土である」と当初から政府が発表し、マスコミが報じているがそれは本当なのだろうか?たとえそれが事実だとしても、そうした疑問を持つことはつまらぬ争いに巻き込まれない方法である。さらに近代国家の成立過程における民族と領土の問題を学問的に学ぶことはとても重要なことである。
応援席(朝日新聞・あのね)2 2012・10・25(木)
 この文が10・21とダブっていた。孫の七五三で先方のジージにこれを見せて2人で大笑いした。面白いものは面白いので重複な無視。

 3歳の孫の幼稚園の運動会を見に行った。周りを見渡すと親世代より爺さん&婆さん世代の方が多い。「我が子の時よりも、孫の時の方が可愛くて行きたくなるんだなあ」とその時は思った。だが後でよく考えたら、「爺さん&婆さんの数って、親の2倍の4人なんだ」と気がついた。
       (北九州市・ひい爺さん&婆さんなら8人だ!・61歳)


 少子化をカバーするために応援する父兄の数が多くなったのかと思っていたが、なるほど単純な計算で説明がつくのだ。もうすぐ、七五三で孫に会いに行く。ジジババ4人千葉に勢ぞろい。
18基目の奈良の歌碑(會津八一) 2012・10・24・(水)
 會津八一の奈良における18基目の歌碑が2012年9月9日に建立された。場所は法隆寺正門近くの斑鳩町観光協会・法隆寺iセンター前である。
 10月15日に出かけ写真を撮ろうとしたら、子供が歌碑を読み始めた。平仮名書きなので読みやすい。「も」と「なる」に首をかしげ、省略された濁点は読めなかったが、素空が手伝って最後まで読むことができた。
 歌碑については鹿鳴人のブログを、歌の解説はこちらで!
         
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・23(火)
 母の手を握って炬燵(こたつ)しまわれる
   惚れた娘あるいは愛する嫁の手ではなく、母親の手を握った。
 落語にこんな話がある。
 三味線の稽古後、師匠(女)と男弟子達がコタツに入っている。
 「師匠の手を握っても分からないかな?」と考えた弟子が、コタツの中で師匠の手をギュッ!「握り返してきたぞ…。ひょっとしたら、俺に気があるのかな?」一人で喜んでいると、向こうから声がかかって師匠は行ってしまう。「ん? 師匠は向こうへ行ったのに、手だけこっちにある!?」「エヘヘヘ、俺のだ」「何で握るんだよ?」「俺も師匠の手と思ったんだ。ここでこうなったのも何かの縁、腕相撲でもしようか?」
名古屋・大須 2012・10・22(月)
 ヤマザキマザック美術館の次の予定はボストン美術館だったが、時間が無くなってきたのでカットし大須の電気街に行った。大須は東京・秋葉原、大阪・日本橋と共に3大電気街と言われる。
 大須観音を横目に大須演芸場前に出る。「入場者がとても少ないのに廃業しない不思議な演芸場」と新聞で大々的に取り上げられていたが、存続は席亭の心意気のようだ。演芸場の建物だけ見て、目指すパソコンショップに急いだ。
 目的は中古ノートパソコンの物色、今使っているものがだんだん怪しくなってきており、そのための予防措置。業務用にパソコンを使っていると言うわけではないので、ネットに繋ぐことができてHPの管理さえできれば良い。 オフィス無しでWinビスタ搭載は約1万円(保証は1週間)、Win7は2~3万円(保証は3ヶ月)、その他ジャンク品は3千円で大量に並んでいた。オフィスはオプションで古いバージョン(2003)で2千円と言っていた。手持ちのノートパソコンのデータのバックアップが先だと思って買わずに帰ってきた。
 伝統工芸展から始めた名古屋周りは大須で終了、夕食に間に合うように四日市に帰った。万歩計の数量は大きかった。週一ハイキングのジャンルに入る。
応援席(朝日新聞・あのね) 2012・10・21(日)
 3歳の孫の幼稚園の運動会を見に行った。周りを見渡すと親世代より爺さん&婆さん世代の方が多い。「我が子の時よりも、孫の時の方が可愛くて行きたくなるんだなあ」とその時は思った。だが後でよく考えたら、「爺さん&婆さんの数って、親の2倍の4人なんだ」と気がついた。
       (北九州市・ひい爺さん&婆さんなら8人だ!・61歳)

 少子化をカバーするために応援する父兄の数が多くなったのかと思っていたが、なるほど単純な計算で説明がつくのだ。もうすぐ、七五三で孫に会いに行く。ジジババ4人千葉に勢ぞろい。
「大和路」(堀辰雄)と會津八一4 2012・10・20(土)
 「大和路」の「夕方、西の京にて」は
 「秋篠の村はずれからは、生駒山(いこまやま)が丁度いい工合に眺められた」で始まる。
 先に引用した八一の「秋篠寺にて」 が浮かぶ。
    あきしの の みてら を いでて かへりみる 
         いこま が たけ に ひ は おちむ と す
 「・・・ひとりでに西大寺(さいだいじ)駅に出たので、もうこれまでと思い切って、奈良行の切符を買ったが、ふいと気がかわって郡山行の電車に乗り、西の京で下りた。・・・荒れた池の傍をとおって、講堂の裏から薬師寺にはいり、金堂や塔のまわりをぶらぶらしながら、ときどき塔の相輪(そうりん)を見上げて、その水煙(すいえん)のなかに透(す)かし彫(ぼり)になって一人の天女の飛翔(ひしょう)しつつある姿を、どうしたら一番よく捉まえられるだろうかと角度など工夫してみていた。が、その水煙のなかにそういう天女を彫り込むような、すばらしい工夫を凝らした古人に比べると、いまどきの人間の工夫しようとしてる事なんぞは何んと間が抜けていることだと気がついて、もう止める事にした」
 八一は 「薬師寺東塔」で水煙と天女を詠んだ。
    すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
               ひま にも すめる あき の そら かな
        (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・19(金)
 子を持ってやうやう親のばかが知れ
   親不孝を繰り返したが、自分が親になって
  親馬鹿を理解する。
 孝行のしたい時分に親はなし
   親馬鹿の心理が分かって親孝行をしたいと
  思っても。
 孝行のしたい時分は我も耄(ぼ)け  
              “折句倉(おりくぐら)より”
   なんと言う皮肉、ボケが始まる我身への警句。

             (月下美人3輪、10月16日 今年3回目)
名古屋・ヤマザキマザック美術館 2012・10・18(木)
 栄町にある丸善の後は新栄町へ。ここには一昨年出来たヤマザキマザック美術館があり、一度行きたかった。
 館長・山崎照幸が言う。「・・・自社の工作機械を世界市場に広めることに一生懸命でありました。・・・そうした中で、パリの画廊で一枚のボナールの絵に出会い、購入したことがその後の絵画コレクションのきっかけとなりました。やがて、収集を重ねていくうちに、フランス美術に強く惹かれるようになり・・・いつの頃からか、これら作品を展示する美術館を作りたいと思うようになりました」
 6階から館内に入るとフランソワ・ブーシェの大作「アウロラとケファロス」が迫ってくる。ギリシャ神話に登場する女神・アウロラが人間・ケファロスを誘惑する場面である。メイン展示で大きく迫力がある。ここには18世紀から20世紀に至るフランス絵画が展示され、5階にはアール・ヌーヴォーの様々な作家達のガラス工芸品、家具が展示されている。
 とてもゆったりしていて落ち着いた時間を過ごすことができたが、館内で会った人が4人だったのは寂しい。美術館一階のカフェテリアは満員だったのだが。
観音堂第9首(會津八一) 2012・10・17(水)
 10月15日(月)、奈良の友人・鹿鳴人夫妻に八一の書画を寄贈した。會津八一が好きで、奈良まほろばソムリエとして活躍する彼のもとにあれば、奈良を酷愛した八一も喜んでいるだろう。
  ひそみ きて た が うつ かね ぞ 
    さよ ふけて ほとけ も ゆめ に いり たまふ ころ  (解説
     (ひそみきて誰が打つ鐘ぞさ夜更けて仏も夢に入り給ふころ)
  
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・15(月)
 お袋をおどす道具は遠い国
   遠くに行くと脅して、へそくりを引き出す道楽息子。
 母親はもったいないがだましよい
   子に甘い母親はだましよい。
 棒ほどなこと針ほどに母かばい
   「棒大針小」に言って父親の前で子をかばう。
 ちとしめてくりようと親仁(おやじ)寝ずに居る
   父親はそうは甘くない。
       (明日第3火曜日は独り言を休みます) ー屋根修理ー
「大和路」(堀辰雄)と會津八一3 2012・10・14(日)
 「大和路」の「海竜王寺にて」は続く
 「・・・私はそれからその廃寺の八重葎(やえむぐら)の茂った境内にはいって往って、みるかげもなく荒れ果てた小さな西金堂(さいこんどう)(これも天平の遺構だそうだ……)の中を、はずれかかった櫺子(れんじ)ごしにのぞいて、そこの天平好みの化粧天井裏を見上げたり、半ば剥落(はくらく)した白壁の上に描きちらされてある村の子供のらしい楽書を一つ一つ見たり、しまいには裏の扉口からそっと堂内に忍びこんで、磚(せん)のすき間から生えている葎までも何か大事そうに踏まえて、こんどは反対に櫺子の中から明るい土のうえにくっきりと印せられている松の木の影に見入ったりしながら、そう、――もうかれこれ小一時間ばかり、此処でこうやって過ごしている。女の来るのを待ちあぐねている古(いにしえ)の貴公子のようにわれとわが身を描いたりしながら。……」
 八一の 「海龍王寺にて」第2首は柱の落書を詠む  
    ふるてら の はしら に のこる たびびと の 
               な を よみ ゆけど しる ひと も なし
        (古寺の柱に残る旅人の名を読み行けど知る人もなし)
 「楽書を一つ一つ見たり」と書く堀はきっとこの歌が頭にあったのだろう。 「大和路」は「海竜王寺にてから「夕方、奈良への帰途」に続く。
 「海竜王寺を出ると、村で大きな柿を二つほど買って、それを皮ごと噛(かじ)りながら、こんどは佐紀山(さきやま)らしい林のある方に向って歩き出した。・・・」
     まめがき を あまた もとめて ひとつ づつ
            くひ もて ゆきし たきさか の みち
        (豆柿をあまた求めて一つづつ食ひもて行きし滝坂の道)
 これは八一の「滝坂にて」第2首である。「噛(かじ)りながら」は「くひ もて」と同じ表現だ。
前世は・・・(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・10・13(土)
 働き者の夫は、家でもじっとしていられない。「もっとゆっくりすれば」と言ったら「動いていないと、頭がおかしくなって死にそうだ」あなたの前世はマグロかも。               (マグロの妻・65歳)

 なるほど、よく働く連れ合いは前世はマグロだったのだ。あるいは、アリかもしれない。働くことが嫌いでのんびりしていたい自分の前世はマンボウかキリギリスかも。
養老公園 2012・10・12(金)
 ノブ君との「月一ハイキング」は養老公園。養老の滝から一番遠い駐車場に止めて40分ほど坂道を登る。程よい運動である。ノブ君パパとずいぶん昔に訪れた養老の滝を話題にして歩くが、ほとんど記憶から消えている。
 滝を見物した後、茶店で昼食、ノブ君は肉うどんを注文した。ノブ君の食事はとてもゆっくりなので、ノブ君パパとの会話が延々と続く。ハイキングなのかおしゃべりタイムなのか分からない。
 食後は一度入りたかった養老公園内の養老天命反転地へ。平らなところがほとんどない変わった公園である。ここはノブ君が気に入ったようだ。
 帰路、南濃の道の駅で、いつものように親子はソフトクリームを食べた。  
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・11(木)
 国の母生まれた文(ふみ)を抱(だき)あるき
   遠くに嫁いだ娘の初孫の便り、手紙を赤ん坊のように抱く親の情愛。
 国の親手答のする封を切り
   これも同じ、子からの手紙は嬉しいものだ。
 
 学生時代に「手答」?のある手紙をせっせと親に送った。オヤジが亡くなった時、大事に保管された段ボール一杯の手紙が出てきた。末尾はどれも「お金送って!」。
名古屋・丸善 2012・10・10(水)
 カレーライスを食べてから、9月にオープンした丸善名古屋栄店に足を踏み入れた。最近はネットでの購入ばかりなので、書店を訪れるのは久しぶりだ。丸善と言えば丸善京都を舞台にした梶井基次郎の「檸檬」を思い出すが、なんと古い話であることよ。
 古いと言えば、丸善の店内の陳列や雰囲気は今風ではない。落ち着いていて格式があるかもしれないが、案内が少ないため「探し物が分かりにくい」と大声で文句を言っている年配の人がいた。最近は店員に聞かなくても、店内のパソコンで本の場所を探せるが、慣れないと手が出しにくい。
 ところで、丸善に出かけた目的は辺見庸が書いた序文を読むためだ。その本は「棺一基」。あの三菱重工爆破事件で死刑が確定している大道寺将司(東アジア反日武装戦線〝狼〟)の全俳句集である。極左パラノイアで悲現実的だった彼らの行動には全く興味がないが、辺見庸が言うように「奇しき生」から苦悩し展開する彼の「生きざま」を己の「生(実存)」と対峙させ、沈思することは重要なことだ。
 序文は長文で難しく、立ち読みは長かった。
 棺一基 大道寺将司全句集
 ――辺見庸「〈奇しき生〉について 序のかわりに」よりーー
   確定死刑囚として37年に及ぶ獄中生活を送る大道寺将司の全句集
       棺一基(かんいっき) 四顧(しこ)茫々と 霞みけり
   十七字において、かれは塗炭の苦しみをなめつづけ、十七字においてのみ
  かれは、極限の個として、ひと知れずやっと自由なのだ。供述調書より起訴状
  より判決文より、較べるもおろか、句群にこそかれの真情は巧まず塗りこまれて
  いる。俳句にいまや全実存を託したのだ。             
おへそ(朝日新聞・あのね) 2012・10・9(火)
 ●夕立で雷が鳴っていた。ママに「雷さんっておへそ取るんでしょ?」と言いながら、おへそを隠して「こんなん集めてどうするんやろ」。
         [兵庫県川西市  毛利 柊彩(ひいろ)・5歳]

 一説によるとおへその佃煮(アサリの佃煮に似ている?)を作るとか!でたらめだけど、子供なら信じるかもしれない。
「大和路」(堀辰雄)と會津八一2 2012・10・8(月)
 「大和路」の「海竜王寺にて」でこう展開する。
 「・・・村の入口からちょっと右に外れると、そこに海竜王寺(かいりゅうおうじ)という小さな廃寺がある。そこの古い四脚門の陰にはいって、思わずほっとしながら、うしろをふりかえってみると、いま自分の歩いてきたあたりを前景にして、大和平(やまとだいら)一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。僕はまぶしそうにそれへ目をやっていたが、それからふと自分の立っている古い門のいまにも崩れて来そうなのに気づき、ああ、この明るい温かな平野が廃都の跡なのかと、いまさらのように考え出した。・・・」
 この描写から八一の「秋篠寺にて
  あきしの の みてら を いでて かへりみる 
       いこま が たけ に ひ は おちむ と す
  (秋篠のみ寺を出でてかえり見る生駒ヶ岳に日は落ちんとす)
が浮かんでくる。そして「古い門のいまにも崩れて来そうな」から「ついぢ の ひま」を連想する。「高畑にて
 たびびと の め に いたき まで みどり なる
          ついぢ の ひま の なばたけ の いろ
        (旅人の目に痛きまで緑なる築地の隙の菜畑のいろ)
 初めて海竜王寺を訪ねた時、真っ先に目に入ったのは門前にある古い築地だったのを昨日のように思い出す。
年代物(朝日新聞・いわせてもらお) 2012・10・7(日)
 我が家の食卓にひさしぶりにタバスコが登場した。「これ、古くないか?」と夫が言うので、私は自信たっぷりに「13・11・19」という賞味期限の表示を見せた。すると、高校生の長男がつぶやいた。「平成13年だったりして」。その瞬間、家族全員の箸が止まった。
      (山形県上山市・誰もおなかは壊しませんでした・47歳)

 素空一族の若いユウスケは異常に賞味期限を気にする。年配の岡ちゃんは全く気にしない。この頃お互いに歩み寄ったようだが、極端も困る。
名古屋・日本伝統工芸展 2012・10・6(土)
 久しぶりに名古屋に出かけた。車での移動を強いられる四日市から見れば大都会である。JR、私鉄、市営地下鉄が縦横に走り、行き先に楽にたどり着けるのは東京と同じだ。
 ただ、慣れないと駅を降りてから戸惑うことも多い。目指す第59回伝統工芸展・三越百貨店へは少々迷ったが、デパートに入ると2年前の伝統工芸展を思い出し、スムースに会場に入れた。
 全体の大半を占める陶芸作品は大きい物ばかりである。見事さに圧倒されるが、心惹かれるものは少ない。小さな秀品、瀬戸黒茶碗(加藤孝造)志野茶碗(鈴木藏)がどれほどの人に注視されたかは疑問だ。今回は精緻で見事なものより、備前焼緋襷(参考)の陶器に目が行った。次に木工作品をゆっくり見て、さらに人形の顔の違いを比べながら歩いた。
 会場を出て、丸栄百貨店で昼食にカレーライスを食べる。この日の目的は他にもあった。

 日本伝統工芸展 2010・10・10(日)
 名古屋三越で開催中の第57回工芸展(入選734、受賞作品16)を見てきた。すばらしい作品が並べられていたが、数の多さに戸惑い、また素人目で見るだけなので、判断停止に陥りながら、ただ歩き回るだけだった。
 受賞16作品はNHKテレビで見ていたが、やはり実物を見るに越したことはない。普段、木彫りをしているのでやはり木工に目が行き、漆を上塗りした木目の美しい木工作品をじっくり見てきた。陶芸では多くの作品が並んでいたが、酒井田柿右衛門や今泉今右衛門の作品にはすぐ気がついた。
相手次第で(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・10・5(金)
 最近すっかり元気がない夫。心配して「私も家事に疲れたから、二人で外食してみたい」と言ったら、「他の人となら行ってもいい」だって。
                 (心配して無駄だった妻・81歳)

 毎日元気な連れ合いに「名古屋のデパートの伝統工芸展を見に行かない?」と誘ったら「行かない」とつれない返事。“相手次第で”なのかと思ったが、子犬の展示会なら「行く行く」だって!
開眼供養 2012・10・4(木)
 三重刻友会の円宣(安藤宣朗)さんが作成した阿弥陀如来立像(円空彫り)を素空の菩提寺・西信寺(三重郡菰野町永井)へ10月1日に奉納した。開眼供養(お精入れ)もその日に行うと言うことで、刻友会代表の近藤さん、安藤さんと3人で列席した。
 同寺の銀杏を切った一部を譲り受け、ひび割れ等を防ぐために3年間寝かせ、安達先生の指導のもと円宣さんが製作した。仏像を持って行って納めればいいと安直に考えていたが、住職夫妻及び檀家総代の丁重なもてなしを受け、立派な開眼供養に上座で参列した。
 ただ仏像を彫っていただけなのに、盛大な開眼供養を体験出来てとても感激している。
古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・3(水)
 役人の子はにぎにぎを能覚(よくおぼえ)
   今も昔と同じ、役人への賂は横行する。
 是(これ)小判たつた一晩居(ゐ)てくれろ
   庶民の小判(お金)は右から左へと出て行く。
 裏店(うらだな)へ小判の這入(はい)る素晴らしさ
   小判は貴重、下っ端の武士の給金は年3両だった。
3回忌 2012・10・2(火)
 お経は苦手だ。無学をさらすことになるが「南無阿弥陀仏」以外の言葉の意味がほとんど分からない。幼い時、家に仏壇がなく、触れる物と言えば聖書だけだったのが影響しているようだが、読経の間、お経についていけず、唱和も出来ない。
 一昨日は従姉の3回忌、従姉と同い年だった兄と一緒にお参りした。不慮の事故で亡くなった従姉の弟が随分落胆し、悲しんでいたのを昨日のように思い出す。しかし、この年になると法事は久しぶりの親族会のようなもので、法要後は楽しいおしゃべりの会になる。
 ところで苦手なお経にも効用がある。読経の1~2時間の間、静かに考えることができることだ。まず従姉のことを思い、さらに越し方行く末に思いが広がる。「死んだ人は残ったものにどう生きるかを問うている」、お坊さんの言葉もなれない哲学的な世界に引きずり込んでいく。充実した今かどうかが問われているようだ。
 我が子に先立たれた叔母は95歳、耳は遠いがかくしゃくとしており、良く動く。冗談を言いながら、久しぶりに叔母との長い時間を過ごしてきた。
10月の初めに 「愛の詩」 2012・10・1(月)
 彼は片手をつき
  半ば身をおこしたまま、心からの愛のまなざしで、
  うっとりと彼女を見おろし、
  目醒めているときも眠っているときも
  特別な魅力をはなつその美しさに見とれていた。
  やがて彼はゼピュロスがフローラにささやく時のようなやさしい声で、
  そっと彼女の手にふれながら、ささやいた。
  「目をおさまし!ぼくのいちばん美しい者よ、ぼくに縁づけられた者よ、
  ぼくがいちばん後に見つけた者よ、天からの最後の、
  そして最高の贈りものよ、ぼくの永遠に新しい喜びよ」
                          「失楽園」(ミルトン)
   「 ゼピュロスは西風の神で、花と豊穣と春の女神フローラの恋人
                                (ギリシャ・ローマ神話より)

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