幟(のぼり) 2011・9・30(金)
 諏訪神社の拝殿前に大きな幟が立った。写真アルバム・四日市の昭和にも昔の幟が写っている。1、2日は諏訪神社の本祭なのだ。
すき焼きの具 2011・9・29(木)
 子供が生まれた頃、近鉄霞ケ浦駅近くに住み、名古屋に通勤しながら、週末は四日市駅近くの実家に顔を出していた。素空がいないある日、勝手口から買い物袋を前に出しながら「安月給で碌なものを食べていないだろう」とオヤジが入ってきた。まだ舅に慣れていない連れ合いが、おろおろしながらお茶を出したが一向に会話は続かない。孫が見たいだけのオヤジは照れ臭く、寝ている赤ん坊を見ているばかりだったようだ。買い物袋に入った極上の肉と具は、手土産と言うよりは孫見たさの手段だったのだ。
 オヤジとは良く喧嘩をしたが、子供が生まれてからは揉めた覚えが無い。自転車で30分ほど走ってやってきて、赤ん坊を嬉しそうに眺めていたオヤジは孫が4歳の時に亡くなった。
 土曜日は、ひ孫たちの運動会、晴れだと良いのだが!
   
 孫たちのママより
 土曜日は幼稚園の運動会、ココロとまっちゃんもひよこ組で参加するために体操の練習です。楽しそうでした。雨降り予報なので心配です!
二列 2011・9・28(水)
 どうして三列は無いんだい?エスカレーターよ。 (某Tumblrより)

   注 「Tumblr(タンブラー)は、メディアミックスブログサービス。ブログとミニブログ、
      そしてソーシャルブックマークを統合したウェブスクラップサービスである」
古本屋 2011・9・27(火)
 近くの古本屋が1軒閉店した。一番近い古本屋・モリショ店はまだ頑張っている。時々立ち寄って、陶器や仏像の本などがないか探すが、ほとんどはおばちゃんと話をするだけだ。
 「閉店した本屋さんは高齢で病気もあったからね」と言うおばさんそのものが高齢だけど、とても元気である。「今日持ち込まれたきれいな文庫本、100円以上値段は付けれない」とか「息子夫婦が新品同然の単行本を持ってきてくれた」に相づちを打ちながら、本棚を眺める。
 昔は小説、最近はアート関係の本を時々手に入れるが、今日は欲しいものが無かった。ただ、2008年9月〜09年8月まで中日新聞で連載された五木寛之の「親鸞 上・下」(定価3150円)が千円を切る値段であったのが気になった。
 子供の頃から通っているから、もう50年以上あると思う。なじんだ所、特に本屋はずっとあって欲しい。おばちゃんの元気を願うばかりである。 
下駄 2011・9・26(月)
 歯が減ったので捨てた。近所では下駄をはいて犬の散歩をするおじさんと認識されている。
慶派 2011・9・25(日)
 大仏師・松本明慶は平安・鎌倉時代の運慶・快慶の流れをくむ慶派の継承者だが、現代仏師のほとんどは慶派の流れをくむと言っていい。
 慶派とは、日本の仏像作りの基本を完成させた平安時代の定朝(平等院の木造阿弥陀如来坐像)から起こった一派で、現代まで継承されている。定朝の後継には他に院派、円派があるがこの二派は後に衰微した。
 一木造りの時代から一線を画した定朝の特徴は
  ・寄せ木造りなどを確立し、仏像制作を容易にした。
  ・柔らかな曲線と曲面で作成した仏像様式を完成した。
  ・頭と身体などの比率と技法を確立することで伝承が可能になり、
   その様式は現代に受け継がれている。
 素空の仏像作りの師・安達先生は、慶派の大仏師・松久宗琳の弟子である。しかし、同じ慶派でもそれぞれに個性があって作品は異なる。ずっと松久宗琳系列の仏像をを手本にしてきたので、松本明慶の仏像の顔には違和感がある。
せつなさ 2011・9・24(土)
    言い勝てば父の白髪が眼に残り   三條東洋樹
 三十三回忌、施主がそんな親との思い出を語っていた。
 
お彼岸 2011・9・23(金)
 「お彼岸は昼と夜の長さが同じです。仏教では中道を尊ぶので、この日にお墓参りなどの仏事を行うのです」と法事のお坊さんが言う。
 今日は叔父の三十三回忌、従姉の一周忌だった。ずいぶん世話になった厳格で律儀な叔父さんは、素空の父が亡くなった翌年に鬼籍に入った。従姉は優しい才女で歌の好きなクリスチャンだったが、昨秋不慮の死を遂げた。叔父の二十七回忌に、1人身だった彼女といろいろ話し、携帯番号の交換をした時のことを事をはっきりと思い出す。今はその番号もむなしく電話帳に残っている。
 彼女の母、素空の九十三歳になる叔母は耳が遠いだけで、元気に法事の世話をしていた。この叔母が元気なのが何よりだ。
大仏師・松本明慶展 2011・9・22(木)
 300余点、圧倒される。26日まで 名鉄百貨店本店7階。
四十九日 2011・9・21(水)
 仏壇があるわけではないが、うららの四十九日は土曜日だった。深い悲しみが徐々に去って、いろいろな思い出を静かに語れるようになった。
 「うららを連れて遠出したのは関宿(6月)だったね」と話しながら、昨日の休みはくるみを連れて花ひろばに出かけた。1人になって静かだったくるみも9月になると元気になり、家じゅうを走り回る。
 「こんなところは、うららは賢かったけど、くるみはおバカだね」とか「うららは一人っ子で育てたので我ままだったけど、くるみは言うことを良く聞くね」などと話しながら、休みを過ごした。
 四十九日が過ぎても、くるみをうららと時々呼び間違えているのだが。 
写真アルバム 四日市の昭和 2011・9・19(月)
 発売されたばかりの「四日市の昭和」(写真600枚 280頁 9990円)を友人の宮司とじっくり見た。四日市市と三重郡の懐かしい写真が並んでおり、とりわけ2人の子供時代の、今は無い諏訪駅周辺の商店や映画館の写真に話が弾んだ。記憶がもうあやふやになっていて思い出せないことも多いのだが、それでも写真にある商店や風景に遠い昔が浮かんできた。
 諏訪神社の池で遊ぶ子供や学校の写真に知人がいないか念入りに見たが、写真が古くモノクロのせいかよくわからなかった。しかし、表参道スワマエの写真に、友人・kimuの実家の洋服屋の看板を見つけた。
 ところで昭和は1926年(昭和元年)から1989年(昭和64年)、戦後生まれの団塊の世代は昭和の3分の2を経験したことになる。
               (明日第3火曜日は独り言を休みます)
自然エネルギー発電 2011・9・18(日)
 電力会社が意図的に買わないと脱原発は程遠い。野田政権に葬られないように電力行政を注視する必要あり。
産霊(むすび) 2011・9・17(土)
 『そもそもムスビ(結び)は「ムス」と「ヒ」という言葉から成り立っている。ムスは生むこと、ヒは霊力や威力のことをさす。漢字をあてはめると「産霊」と綴ってムスビと読む。・・・潜在していた力が目に見えてあらわれてくること、それが産霊である。・・・』  百辞百物百景 011/100  松岡正剛
 ムスビにはそんな意味があったのを初めて知った。さっきまで話していた友人の宮司は仕事柄そのことはよく知っていた。
 ところで、松岡正剛の千夜千冊(同じ著者の本は2冊以上取り上げない、同じジャンルは続けないとしてほぼ毎日のように更新した)にはいつも驚かされたし、調べもので度々参考にさせてもらった。
古タイヤ 2011・9・16(金)
 3年落ちスタッドレスタイヤ(スチール付き)処分、3000円。
シャクヤク 2011・9・15(木)
 安達先生の土地にあるシャクヤクをもらいに先輩と出かけた。初夏に見た時は青々と大きく茂っていたのに、今日は何処にあるかさっぱり分からない。先生がわざわざ札を立てて下さってあったので見つける事が出来た。
 「ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草である」とネットに書いてある。秋に入って葉や茎は枯れて根だけ残るのだ。ボタンと同じ木だと思っていたのが間違いだった。
 腰痛気味だったので、もっぱら掘り起こすのは先輩にまかせて口だけで手伝って、4株ほどもらってきた。その他にムクゲ一株と大量のラッパ水仙の球根をもらってきた。
 こんなにもらってきて何処に植えるのだろう??
       

              来春にはこんな風に咲いて欲しい 
クミコ・石巻心の復興コンサート 2011・9・14(水)
 こういう音楽の力というのも、あるんですよね。(コンサート) NKD 
 
 (動画を見れない方はUstreamのログインからアカウント新規登録をしてください)
斉藤茂吉 2011・9・13(火)
 会津八一は若き日に正岡子規に会い、60代(1945年)になってから斉藤茂吉と酒を酌み交わしている。八一の処女歌集・南京新唱(1924年)がほとんど評価されない時代に、その歌を高く評価したのが茂吉である。
 茂吉は子規の「有(あり)の儘(まま)に写す(写生)」を学んだが、自身の特異な感覚や心理がにじみ出た初期の代表作「赤光」(24〜32歳)を発表、「短歌は直ちに『生(いき)のあらわれ』でなければならぬ。従ってまことの短歌は自己さながらのものでなければならぬ」と語った。
    めん鶏(どり)ら砂あび居(ゐ)たれひっそりと
              剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり
    のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
              足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 1920年(39歳)「短歌における写生の説」で「実相に観入して自然、自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である」と説く。写生とは自然と自己の同一化であり、万物(自然)の命を感受し表現することであるとした。
    最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでに
              ふぶくゆふべとなりにけるかも

 上記は斉藤茂吉歌集(岩波文庫)読後の覚書だが、茂吉が戦争時代及び終戦時にどう詠んだのか、あるいは今の素空と同年代にどう詠んだのか、などにも興味を持って読んだ。 
デジカメを使いだした頃 2011・9・12(月)
  
              
不忍池 2000・10・13撮影
11日残影 2011・9・11(日)
 3月11日、田畑を飲み込んでいく津波の映像、その時は事の大きさ重大さが全く分からなかった。今まで経験が無い「津波から早く逃げてください」と繰り返すラジオやテレビの訴えを不思議な気持ちで聞いていた。そして、原発事故、大変な事だと思ったが、その恐ろしさにはっきりと気づいたのはもっと後である。
 9月11日、世界貿易センタービルに激突する航空機、唖然として映像を眺めるばかりだった。これほどの規模の「テロ」に遭遇するのは理由があるはずだと、超大国アメリカのこれまでの世界戦略をぼんやりと想定した。
 ともあれ、今日現在、大震災死者15,781人、不明4,086人、9・11とその後のアメリカの報復戦争による死者177,990人(中日新聞)。
死の町、発言 2011・9・10(土)
 多くの人はそう認識しているだろうが・・・。「放射能を分けてやる」は頂けない。まるでやんちゃな小学生のよう。政治家失格。
メダカの中学校 2011・9・9(金)
 メダカを上手に繁殖させている先輩から「小学生と言うよりは中学生かな?」と言って小さな15匹と布袋葵が連れ合いに届いた。
 大慌てで伏せてあった睡蓮鉢を洗い、金魚用に用意してあった置き水を入れ、もう一つの鉢から睡蓮を分けて入れ、新しい住み家を用意した。写真は一夜明けて元気に泳ぐ中学生の姿である。
 メダカをもらった理由は、もう一つの睡蓮鉢で飼っていたカダヤシ(メダカモドキ?)がいなくなったからだ。ところが、睡蓮を分けていた時に大きな一匹が現れ、今朝は小学生ぐらいの子供が水面を泳いでいた。カダヤシは丈夫なのだ。
 しばらくは玄関の二つの鉢を覗きこむ日が続きそうだ。
  
なでしこ 2011・9・8(木)
 五輪出場おめでとう!サッカー観戦はハラハラする。
キンモクセイ 2011・9・7(水)
 花が咲き、あの甘い香りが漂うのはもう少し先だが、秋を代表する印象的な匂いを何時も待っているような気がする。外を歩くとここにもあった、ここにもと香りが教えてくれる。
 残念ながら、我家のギンモクセイはほとんど匂わない。
  時を待つ(キンモクセイ) −星野富弘−
    花が咲くのは 年に一度    後は静かに 時を待っている
    あくせくするのは 止めよう   一度 でいい ひとつでいい

         
               
うらら、ありし日 2011・9・6(火)
                  生後3ヶ月
        
濁流 2011・9・5(月)
 いつも、くるみと散歩する三滝川の川原は台風による増水のため全く見えなくなり、恐ろしいほどの濁流が渦巻いていた。各地で多くの被害が出たが、我が家も三滝川沿いの河口から2km弱なので、常に水害の危険がある。津波や地震と同じで、いざという時にどこに逃げるのかと言うことが常に頭をよぎる。
 今日、流れが穏やかになった三滝川に漁りする鳥たちを見ていたら、この川の名前の由来を知りたくなった。ネットで調べると以下のようだ。
 三重県北部の三重郡菰野町および四日市市を流れる三滝川は、鈴鹿山脈の主峰御在所山、その南の鎌ヶ岳、そして北の国見岳、この三山から流れて落ちる百間滝、潜戸の滝、蒼滝の三瀑布のあることが名の起こりで、全長23,3km、古くは、三重川として知られ、広重の東海道五十三次の四日市宿にも描かれている。
新内閣 2011・9・4(日)
     改造へ もしやもしやの モーニング    仲川たけし
市民窓口サービスセンター(四日市) 2011・9・3(土)
 印鑑証明が必要だが今日は土曜日、困ったなと思ったら、土・日・祝日も住民票や印鑑証明等を発行してくれるところがあった。近鉄四日市駅高架下にある市民窓口サービスセンター(四日市物産観光ホール内)である。こんな便利な所に、土日に使える窓口があることを知らなかったことが恥ずかしいぐらいだ。
 10時の開業を待って窓口に出かけたが、対応は親切で発行も早かった。常日頃、行政の不備や怠慢に目が行くが、こんなサービスは歓迎だ。
どじょう〔どぢやう〕【泥=鰌/×鰌】 2011・9・2(金)
 コイ目ドジョウ科の淡水魚。小川や田んぼなどにすみ、冬は泥に潜る。全長約20センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行う。やながわ鍋やどじょう汁などにして食べる。近縁に、口ひげが三対のシマドジョウ・アジメドジョウなどがある。おどりこ。
                            (大辞泉より)
月の初めに 2011・9・1(木)
 爽やかな秋の到来を期待する月初めだが、残念ながら台風の影響で暑い日になった。しかし、8月は息も絶え絶えに見えた草花が、なんとなく生き生きしてきているように見える。
 隣から種が飛んできたのか、ゴーヤが我家でひとり生えしている。緑の壁として猛暑対策の象徴のようにもてはやされているが、緑の葉と伸びる蔓は瑞々しく、小さな蕾と黄色の花は可憐だ。こんな可愛い花からどうしてあのゴツゴツした苦い実ができるのか、とても不思議である。
 まだ実らないゴーヤを期待しているが、それよりも秋の到来とともに変化し、成長する生き物たちを見るのは楽しい。
 菊の花芽はあるかな?コスモスの花は何時咲くだろう!
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