連想 2011・8・31(水)
 8月 「猛暑、うちわ、入道雲、蝉の声、お祭、花火、終戦、お盆、帰省」
 9月 「台風、残暑、稲刈り、赤とんぼ、菊、コスモス、月見、お彼岸、旅」
卑しさ 2011・8・30(火)
 故河村又次郎(陶芸家)が言う。「技術的に茶碗は少しもむずかしくない。ロクロを練習して、最初にできるのは、茶碗です。壺を作るのは技術的には難しいが、茶碗ならいやおうなしにできる。だから、茶碗には、技術は必要ないといっていいのです。とするなら、茶碗は何で見せるのか。形か。だが形で見せようという意図的なものが出てくると、作った人間の卑しさが出て、お茶が飲めなくなります。・・・
 ものづくりをする者にはとても気になる言葉だ。「卑しさ」だけは出したくないと思っているが、その前に「拙さ」ばかりが目立つ仏像作りである。作品を云々するより、創作活動そのものを楽しんでいるのだが、それでも良いものに仕上げたいとは思っている。
キヨシロー(友人からのメール) 2011・8・29(月)
 このジイさん(自分)が、今さらながら、キヨシロー。ーNKDー
          http://hiroakikoide.wordpress.com/

 (上記ページの「SUMMER TIME BLUES/忌野清志郎」動画参照=クリック)ー素空ー
盧舎那仏(るしゃなぶつ) 2011・8・28(日)
 東大寺の大仏は盧舎那仏、正式には毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)という仏だが、密教では大日如来を言う。どんな仏と問われても答えが難しいが、全ての世界、宇宙全体を表す仏と思っている。だから、全ての仏を統合していると言えるかもしれない。
 その仏を詠った会津八一の歌と杉本健吉の書画を壁にかけた。
   東大寺にて
   
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
            おほき ほとけ は あまたらしたり
  八一 解説
  
福島の子供を守れ(友人からのメール) 2011・8・27(土)
 この映像(福島の子供を守れ)の最後で、「反原発」の意思表示をしたために仕事から降ろされ、それでも意志を曲げない俳優の山本太郎さんが言う「(放射能被曝基準)を1ミリ から20ミリSvに引き上げましたよね。これで我慢しろって。これは人殺しですよね」――――9月11日は、6ヶ月記念「反原発デモ」に行こうと 思う。しんどいけど…。 ーNKDー

       ゆっくり静かに進む動画(約27分)、インパクトは強い。ー素空ー
喧噪の後 2011・8・26(金)
 目覚めるとくるみが横に寝ているいつもの風景だ。昨日までは早くに孫たちが起しにやってきて、寝たふりをしていると耳元で大声で叫んだり、身体の上に飛び乗ってきた。
 穏やかな日常が戻ったが、かわいい孫たちがいないのは寂しい。くるみも遊び相手がいなくなったせいか、あるいは疲れたのか、とてもおとなしい。
 朝食後、仕事のポスターを作り、気になっていたスパティフィラムの株分けをし、久しぶりに彫刻に取り組む。伝教大師の錫杖を作っているが、なかなか進まない。これでは、先生に特別に時間を割いてみていただこうと思っていたが、お願いもできない。
買い物からお風呂 2011・8・25(木)
 ジャスコで買い物と昼食、「満天の湯」で夕食を済ませ、ひと眠りして9時に千葉に向かって出発した。
  

               3人はずっと仲良く遊んだよ。
刈谷ハイウェイオアシス 2011・8・24(水)
 今日は刈谷ハイウェイオアシスへ。主にオアシス内の岩ケ池公園で遊ぶ。去年の7月に鳥取の創志と行った時とは雲泥の差で、施設がとても充実し、料金も廉価だった。自宅から車で40分、幼い子供達を遊ばすのに最適で自信を持ってお薦めできる。朝、10時に出て帰宅は4時、子供達はゴーカートとメリーゴーランドに乗り、親水広場で水遊びをした後、いろいろの遊具を楽しんだ。昼食後も観覧車や遊具で遊んだ。
 朝早くから孫たちに起こされた素空はバテ気味、その上強い日差しで顔が真黒になった。
  
リニア鉄道館 2011・8・23(火)
 スージ、カコバー、さだおじさんと5人でリニア鉄道館へ。
  
大雨洪水警報 2011・8・22(月)
 深夜、四日市は大雨、警報が出た。孫たちを三滝川の上流で川遊びさせるつもりだったが危険なので中止にした。
 墓参りを終えた夕方、川遊びのかわりに三滝公園の流水で水遊びをした。くるみも喜んで飛び跳ねた。
 夕食はすーおじさん夫婦、さだおじさんも一緒だった。ココロはお寿司だけだったが、まっちゃんはお子様用の寿司とカレーうどん、さらに白玉ぜんざいを注文した。そんなに頼んで大丈夫?と思ったら寿司はイクラだけ手を付けただけだった。
  
孫たち登場 2011・8・21(日)
 “ひいおばあさん”が亡くなり、その葬礼を昨日済ませて、今日、孫たちが四日市にやって来た。相棒・うららがいなくなって、おとなしかったくるみが喜んではしゃいでいる。
  
前期認知症 2011・8・20(土)
外れてる?
 日頃から物忘れがひどくて、失敗ばかりしている私。先日、見慣れないネジが床に落ちているのを見つけた。「これ、何のネジかなあ」と夫(40)に尋ねると、「お前のじゃないの」。
      (そうかもしれない・34歳  朝日新聞・いわせてもらお)

 最近物忘れがひどく、固有名詞などもなかなか出てこないし、間違う。「う〜ん!前期認知症かな?」と言ったら、連れ合いが「前期??」だって。
パソコンのメモリ 2011・8・19(金)
 メモリを倍にしたら動きが早くなった。ただ、設定やネット接続でトラブルは続いている。
学徒出陣と出征2 2011・8・18(木)
 (「・・・文学部長の日高只一は・・・戦場に赴かねばならぬ君達が可哀想でならぬ。どうか、身体を大切にしてくれ」とハンケチで目頭を拭いて途切れとぎれに語った)学生たちはよくも分らず戸惑う者もいたし、その言葉を噛みしめる者もいた。
 やがて、都下各大学の出陣学徒は明治神宮外苑の球場に集合して、雨の降る中を泥濘を踏みちらして行進し、国の危急に赴くことになった。
 もとより、生還を期すことなき青年たちの中には、多くの悩みをもちながら戦死したものもいた。戦後編纂された戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』『雲流るる涯に』などは、これらの還らざる青年ののこした魂の記録である。    ー秋艸道人・会津八一の生涯(植田重雄著)よりー
 (植田先生も出陣学徒として会津八一教授と最後の奈良旅行で別れを
  した1人である。 会津八一の学藝・植田重雄著 参照 )

  紅日 (新に召に応ずる人に 第3首)   八一
    いくとせ の いのち まさきく この かど で
           きみ を し またむ われ おいぬ とも   
   
(何年ものこの戦争で、死ぬことなく無事還ってくる君をこの門で
    待っていよう。たとえ、私が老いてしまっていても) 
 学徒出陣と出征1 2011・8・17(水)
 (昭和十八年秋)早稲田大学では六千名の学生たちのために、まず壮行会が安部球場でひらかれた。「祝学徒出陣壮行会」ののぼりがひるがえっていた。これは道人の大書したものである。壮行会がおわったあと、文学部長の日高只一は文学部玄関に学生をあつめて挨拶をした。それはまことに変わった一場の挨拶だった。「わたしは英文学の研究家で、戦争のことはよく分からない。しかし、一介の素人としての感想をのべたい。かってわたしはアメリカに留学し、フォードの自動車工場、ゼネラルモータースの工場を見学したことがある。厖大な規模その生産力は霞んでいるように広い工場内でたちまち組み立てられ、出口にはもう走るくるまとなって出てくるのである。そのような生産力と技術をもつ国と日本は戦っている。とても勝目のない戦さである。戦場に赴かねばならぬ君達が可哀想でならぬ。どうか、身体を大切にしてくれ」とハンケチで目頭を拭いて途切れとぎれに語った。
          ー秋艸道人・会津八一の生涯(植田重雄著)よりー
戦時の歌(八一) 2011・8・15(月)
 くりやべ は こよひ も ともし ひとつ なる
      りんご を さきて きみ と わかれむ   
芝草第六首
   
(我家の台所は今夜も乏しい。せめて一つだけあるりんごを分けて、
    きみと別れよう)
『(昭和十八年)十月二十四日、秋艸堂の垣根の芝を刈っていると、若き士官が訪ねてきた。去年早稲田を卒業し、海軍航空隊にはいった長島勝彬という青年である。ラバウル戦域への赴任に際し、訣別に来たのである。その夜、道人は眠りをなしがたく、「芝草六首」を詠じた。』
        ー秋艸道人・会津八一の生涯(植田重雄著)よりー

                      (明日第3火曜日は独り言を休みます)
墓参り 2011・8・14(日)
 ジュニアたちの帰省が下旬になるので、昨日、義兄と一緒に3か所の墓参りをした。墓地の駐車場に入れないほどの大勢の人で、さすがはお盆だと感心した。例年は8月初めに出かけているので、何処の墓も静かである。
 大谷霊園のキリスト教の墓は、隣の人が草抜きをし除草剤を撒いてくれてあったのでお参りをするだけだった。親子で習字を習った先生の墓の草が伸び放題だったので、義兄と一緒にきれいにしたが、炎天下の作業はきつい。ジュニア一家や兄弟達が一緒なら、こんなことも楽しい作業になったのかもしれない。 
月下美人 2011・8・13(土)
 既に訂正したが、昨日は月下美人を皇帝ダリアと書いてしまった。あちこちから指摘を受け直したが、連絡に感謝します。今後もおかしい所があれば連絡を頂くととてもありがたい。
 昨日の昼に咲き終わった16輪の月下美人を机の上に並べてみた。
   
16輪の月下美人 2011・8・12(金)
 一月前に咲いた月下美人がまた咲いた。しかも16輪も咲いたのでびっくりした。数が多いからか少し花は小さいような気がする。いつもは夜8時ごろに開花するのに、今回は深夜だった。
 寝る頃にまだ蕾だったので、連れ合いは見る事が出来ず、とても残念がった。くるみと素空は深夜に花見を楽しんだ。
  
  
猛暑 2011・8・11(木)
    あつき日は 心ととのふ 術もなし 
               心のまにま みだれつつ居り
   斎藤茂吉
チビーズ通信・曽谷貝塚夏祭り 2011・8・10(水)
 今年初の浴衣と甚平を着て夏祭りに行ってきたよ。いっぱい幼稚園のお友達にあえたし、ずーーーっと踊って楽しかったよ!

    
 曽谷貝塚
 曽谷貝塚は、千葉県市川市曽谷の住宅街の真ん中にある3000〜4000年前、縄文時代晩期の遺跡です。最大の特徴はその規模で、外径東西210m・南北240m、内径東西60m・南北210mという規模は、日本有数といわれている。(単独の馬蹄形貝塚では日本一の規模)
書 八一と魯山人 2011・8・9(火)
 八一は魯山人の書を「縁日芸人が、見学の鼻先で剣舞するが如し」(『魯山人の作品評』)と評し、魯山人は「あんなヘナヘナのもの、字じゃないよ」と八一の書に反発しあっていました。ーーー秋艸会報 第32号より

   ( パソコンが不調なので独り言の更新が無い場合は「団塊のつぶやき」を
      見てください)
テレビ番組 2011・8・8(月)
 最近の民放テレビはどう考えてもつまらない。視聴者に迎合した大衆追随主義に侵されているのかと思っていたが、それ以外にも理由があるようだ。主要には広告収入の減少による番組制作費の切り詰めにあるらしい。
 ・安いギャラのタレントを沢山使ったスタジオ内(ロケ代節約)でのバラエティ番組 ・円高による安価な韓国ドラマなどの海外作品 ・だらだらと時間だけ長い報道番組とワイドショー ・番組宣伝の多用
 格調の高い中身の濃い番組や硬派の番組では視聴率が取れないからという説明に以前は納得していたけれど、この頃の番組を見ているとそんな言い訳は納得しがたい。放送の公共性を大事にしない放送局各社の堕落だと言えよう。原発問題を見ればよくわかるが、ある時は賛成報道をし、ある時は蝙蝠のように反対に回る。こんな不見識なところに電波を利用して民意を左右されては、この国の先行きは危なくて仕方がない。
 と言いながらも、最近読書量が落ちたのはテレビ視聴にある。
東大寺にて(八一) 2011・8・7(日)
  おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
           おほき ほとけ は あまたらしたり 
  解説  関連
祭 2011・8・6(土)
 くるみを連れて、夕方祭見学へ。諏訪神輿の祝儀御礼立て札のある公園通りをひっきりなしに祭見物の人が行きかう。その隣で演奏している諏訪太鼓の音に驚いたくるみは「だっこ」を要求した。
 久しぶりに店に訪れた義兄を入れて、4人で夕食をともにする。食卓には祭限定の吉田ビル特製手羽先が乗っていた。数日前から吉田さんが仕込みをしたもので、美味しくてすぐに無くなってしまう。義兄が帰りに祭をぶらぶらしながら、トウモロコシを買って行くと言う。好きなものはビールだけだと思っていたが、トウモロコシが好きだというのは初耳だ。

     
孫たちから花が届く 2011・8・5(金)
       「うららはお空の星になったね」と
       ココロとまっちゃんが言っています。
       ずっと皆を見守ってくれてるよ。
仏像教室(刻友会)と新人 2011・8・4(木)
 先生が順番に個人指導している間は、その他の会員は別室で四方山話をしている。今日は新しい会員が差し入れた菓子を頂きながら、打ち合わせ、仏像談義、その他もろもろの話をした。先生夫人から皆にプレゼントがあり、世話人のKさんからは自宅で作ったゴーヤが配られた。素空も鳴き出した鈴虫を希望者に渡した。
 新人は素空より一回り以上年上の熱心な方で、円空の観音菩薩をほとんど作りあげ、次の薬師如来の材料を手にしていた。前回、会の連絡のため、携帯メールアドレスを聞いたが契約してなかった。今日、「今度、携帯メールを登録してきます」と言われた。「そんなに使わない場合は費用がもったいないですよ」と返事したら、「いろいろなことに挑戦しないと!」と返ってきたので脱帽!次回にメールのイロハをお教えすることにした。
四日市祭ホームページ(8月6〜7日) 2011・8・3(水)
   山津見神社例祭    大四日市まつり
静かな中で 2011・8・2(火)
 うららがいないだけで家の中が静かになった。くるみも勝手が違うのか、おとなしい。そんな中、あちこちからお悔やみを頂き、うららは幸せである。だけど、残された者は寂しいものだ。いろいろなことに力が入らない。
 心配ごとの一つは、隣の4歳のあーちゃんにどう説明するか?顔を会わさないようにしているが、「神様のお家に貰われて行った」と言おうかな!
くるみ、うららとお別れ 2011・8・1(月) 
   
 子供のごと友が育てし愛犬が傍らで死すと悲しみのメール  鹿鳴人
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