6月の終わりに 2011・6・30(木)
 「今日も朝から雨が降っている。その上、寒いのでセーターを着用した」と月の初めに書いたが、今日の四日市は34度である。何かが狂っているのだろうか?
 今月はずっと地震と原発事故のことが頭の中にあった。廃棄物処理の見通しが無い原発に頼るのは愚かだ。だけど、今ある豊かで便利な生活スタイルを捨てるのか?あるいは維持するためにどうするのかが、今、人類に問われているのだろう。
 30数年前、水戸巌教授は講演最後で「新しい技術と世界観を!」で触れている。転載は一週間後ぐらいになるだろう。

講演「原発はいらない」s 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
3 エネルギーと文明
 エネルギー問題は政治の問題 2
 石炭から石油に変ったのは、科学校術の問題ではなかったのです。この切り換えというのは、第一に政治の問題であった。
 西ドイツなどでは石炭をまだその後ずっと続けているわけです。日本の指導者だけが全部石油に切り変えてしまった。それから20年もたたないうちに石油がなくなるということを言っているわけです。これは、私は政治家として失格だと思うんですね。そういう人達が、今度は石油がなくなったから原子力だという。
 何という見通しのなさかということ、20年先を見られない人など政治家の資格はないのではないでしようか。それだったらあっさり謝って、自分には指導する資格はないから、どうぞ皆さん他の人がやってくださいと言うのが本当だと思うんです。ふんぞり返って、今度は、石油がないんだから原子力をやる。石炭から石油に切り換えたのも政治の問題であるし、石油から原子力に切り換えるのもそうです。

緑のカーテン 2011・6・29(水)
 節電で一躍人気が出た緑のカーテンは窓外にヘチマやゴーヤ、アサガオなど植えること。室内温度が6℃も下がった例があるらしい。一時はゴーヤの種が手に入りにくかった。
 去年、我家の一階はクーラー無しで過ごせた。南の庭には樹木が植えてあるが、効果がもっともあったのは皇帝ダリアのようだ。今年も、もう2m以上に伸びて葉を大きく左右にも伸ばしている。そんなわけで故障したクーラーもそのままにしてあるが、夏にやってくる孫たちや連れ合いのウノ仲間はクーラー無しでは耐えられないだろう。明日にでも手配しようと思っている。
 今日などの暑さは体脂肪率10ちょっとのSUでも限界に近い。

講演「原発はいらない」r 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
3 エネルギーと文明
 エネルギー問題は政治の問題 1
 以上、原子力発電所のもたらす潜在的危険性、それからスリーマイル島で起きたこと、この二つのことについて述べてきましたが、最後に、「エネルギー問題」として、少し考えてみたいと思います。
 「エネルギー問題」を科学技術で全部解決できるかのように政治家は考えているようですが、決してそうではないんだというのが私の考えです。
 かつて1960年位までは、トップが石炭であり、その後65年位を境にして、石油がものすごくダンピングされていった。その時、日本の企業や政府は、これからのエネルギーは全部石油だということで、石炭を全部強引に打ち切った。炭坑労働者などはストライキをやって激しい闘いをやった。それを押しのけて石炭産業を全部スクラップ化して、石油に切り変えたわけです。

君が代起立条例 2011・6・28(火)
 このバカみたいな大阪の条例に対して、野中広務元官房長官がこう言っている。“「起立せなんだら処罰する」なんてやり方は権力者のおごり。教職員を処分してまで従わせようというのは、国旗・国歌法の制定に尽力した者として残念です」”“「国旗は、日章旗とする」「国歌は、君が代とする」という二つの条文だけのシンプルなものです。・・・国旗や国歌をどう思うかは心の問題で、法的根拠を作っておけば十分だと思ったからです”
 自由人を標榜するSUには、国旗・国歌法は束縛そのものではあるが、この大阪の条例は気違いじみている。野中元長官の発言が真っ当に聞こえるのは不思議だが、ここに書き記しておきたい。

講演「原発はいらない」q 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
もっと危険だった日本の原発 2 
 事故直後、日本原子力委員会は強引に加圧水型炉の運転を継続していた−といっても大飯のだけしか動いていなかったのですが−のですが、このNRC声明でとうとう止めざるをえなくなりました。
 結局日本の原子力委員会は、高圧注入系を手動で入れる、ということで運転を再開した。それは、10分以内に入れれば大丈夫であり、10分以内に運転員が判断して入れることは充分可能であるというのです。日本のものはスリーマイル島のものと違って高圧注入系が入らないでも、10分間はもつと言っている。ここで注意して欲しいのですが、スリーマイル島では高圧注入系が2分後に入ってあれだけの事故になってしまっている訳です。
 強引に、大飯の原子力発電所を動かしてしまったのは、私はサミットの問題があるのではないかと思います。今、日本の加圧水型の原子炉全部ストップしています。これはスリーマイル島の事故が起きる数日前に、実は全部ストップしていたのです。それは制御棒の駆動装置に故障があったからで、制御棒というのは一旦事故が起った時にただちに炉を止めるための一番の中枢部分ですね。その部分の故障が見つかったために、しかも日本中の加圧水型原子炉に共通にあったために、止まっていたわけですね。そういうことで全部の加圧水型の原子炉が止まっているということではみっともないということで、かなり強引にそういう惜置をとってしまったと思います。

良寛の逸話 2011・6・27(月)
 良寛が夕食の魚(肉食)を食べたら、同宿した若い僧がそれをとがめた。翌朝「沢山の蚤で眠れずに夜を明かしました。あなたはよく眠っていましたね」とその僧が言うと良寛は笑いながら「・・・魚肉を食べたのをあなたはとがめましたが、私は魚肉を食べる代わりに、蚤や蚊に喰われても平気です。あなたも蚤や蚊に喰われるようになりなさい。そして平気で魚やケダモノを食べなさい
 良寛は、寺をもたず無一物の托鉢生活で暮らし、多くの階層の人と親しく交わった。子供ともよく遊んだ。正直で無邪気な人で、人と自然を愛して自然のなかに没入していた。とても羨ましい人柄と生活だ。こんな歌がある。
   のみしらみ 音に鳴く秋の 蟲ならば わがふところは 武蔵野の原

講演「原発はいらない」p 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
もっと危険だった日本の原発 1 
 日本の原子力安全委員会は、事故の起った直後に日本の加圧水型の原子炉はメーカーが違うから安全だということを言ったんですね、これは、世の顰蹙をかって安全委員会ではなくあれは安全宣伝委員会であると批評されたわけです・・・ところがその声明は一週間たらずのうちに、アメリカのNRCが「日本にあるウエスチングハウス社製の原子炉はもっと危険だ」ということを言ったために、この声明は一辺につぶれてしまった。・・・
 それはどういうことなのか。スリーマイル島の原子炉は、高圧注入系が働くための信号系が、炉心の圧力が減少する、つまり圧力が減少した場合に働くようになっています。そのために二分間後に圧力が下ったので高圧注入系が働き出したのです。それに対して、日本のウェスチングハウス社の炉はどうなっていたかと言うと、圧力減だけでは働かない。もう一つ水位低という信号が入らないと働かない、その両方で初めて高圧注入系がはたらくようになる。ですからスリーマイル島の事故でそういう高圧注入系になっていたら、これは水位計がこわれてたのですから水位低にならない。高圧注入計はまったく作動しなかったでしょう。というわけで、NRCはウェスチング社製の方が危険だといった。

白内障の手術 2011・6・26(日)
 友人が白内障の手術をした。人工の眼内レンズを入れるので、近視用のレンズを入れると眼鏡が必要無くなるようだ。ただ、老眼が進行しているので近くを見るためには眼鏡がいる。
 SUは今年、スキー用のサングラスのレンズを替えたら、雪面が良く見えて滑りやすかった。友人がゲレンデで慎重だったのは白内障でかすんでいたのが大きな原因、来シーズンは快適に滑るだろう。でも、歳だから暴走はいけない。 

講演「原発はいらない」o 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
有効でなかったECCS 2 
 これについてもミス説が言われています。そのミス説というのは二台の高圧注入系を、4分後に一台を止めてしまった、それから6分後にもう一台を止めてしまった。これがミスだと言われています。
・・・これが非難されているのですが、実はあまり恨拠がないのです。というのは、6分30秒後に、ふたたびいれているのです。ですから、高圧給水系を、止めているのは、実質上、20〜30秒という短い時間だけです。しかもその前に、4分までは高圧注入系は2台働いた。マニュアルには、一台の高圧注入系で、充分熱を除去できると書いてあります。一台で充分なものを、二台働いたのだから、この結果から見て、30秒間ぐらい止めたということはが事態の本質をなにもそれほど変えたことにはなっていないはずですね。・・・
 問題はECCS、あるいは高圧注入系が作動しているにもかかわらず、期待された役割りをほとんど果さず、その後あれだけの大規模な事故へ発展するのをとどめることができなかったという点がポイントだと思います。

虫と気温 2011・6・25(土)
 生まれた鈴虫が旺盛に餌を食べ始めた。街灯に集まる虫を食べるため、ヤモリも活動を開始した。季節によって虫たちの種類や活動形態が変化するのは、変温動物たちが気温に大きく影響されることによるのだろう。
 梅雨に入ってナメクジに花芽を食べられ、特にカリブラコアは全滅に近い被害を受けている。ところが、昨日今日はナメクジの姿が無い。調べてみると高温と乾燥に弱いらしい。
 虫たちの多くは、30度以上では活動しないようだ。寒いのも苦手だが、暑いのもダメと言うのは人や犬と同じなのだ。

講演「原発はいらない」n 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
有効でなかったECCS 1 
 そのあといくつかの人為ミスが指摘されています。
 さっき言ったように、一次系の圧力があがってきます。・・・自動的に、加圧器の圧力加減弁が開いて、ここから蒸気をにがしてやります。ところが、もう遅くて、蒸気と一緒に中から熱い水が外にふき出してしまいした。・・・この弁が本当は、しまることになっていたのがしまらないで、開きっぱなしになってここからどんどん水がもれてしまった。・・・加圧器の弁から一次冷却水が出ていったということです。そして、・・・炉心がはだかになってしまった。炉は、どんどん熱くなっていって、燃料棒が損傷するということになるのですが、実はこの時に緊急冷却装置というのが働いています。これは、冷却水が失なわれていったとき、水を注入してやる、つまり、水を注入して炉心が裸になる露出してしまうことを避けるよう、水を上から注入してやって炉心を冷やす、それをふつうECCSといいます。・・・
 今までこういった炉心の冷却水がなくなったような場合でも、高圧注入系の緊急冷却装置があるから大丈夫だ、事故にならないと言われてきたのですが、今度の場合は作動しています。・・・実を言うと、これが働いたのに事故がどんどん拡大していった。これは、ECCSが確かに働くは働いてくれたけれども、注文通りの役割りを果きなかったというのが、はっきりと証明されたことなのです。

39.8度 2011・6・24(金)
 埼玉・熊谷市で6月としては観測史上最高となる39.8度になった。去年の夏は猛暑が続いたがそれは7月のことだった。
 舗装された道路に履物を脱いで足を置いてみると焼けるように熱い。そんな上をくららは素足で散歩するのだからたまったものではない。まずくるみが「抱っこ」を要請、その後うららも抱き上げた。帰宅しても舌を出してゼイゼイ言いながらアイスノンにしがみついていた。
 人にも犬にも厳しい夏がやってくる。日本の過去の最高気温は40.9度だそうだ。

講演「原発はいらない」m 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
事故の経過 −人為ミス説批判−3 
 もちろんさっき言いましたように燃料中の核分裂反応は、早い段階で止まっています。10秒後に、制御棒が降りて緊急停止されています。ですからあと、事故を拡大させていったのは、核分裂成生物、つまり、死の灰の出す熱、普通で言えば余熱です。余熱といったら、電気を切ったあとのアイロンの熱を連想しますが、それとは違い死の灰のときは、熱発生が続いているのです。
 このポンプが閉っていたことがまず第一の問題ですが、こういう重要な装置の弁が閉っていたらそもそも原子炉全部が動き出さない、たとえば制御棒を抜こうと思ってもぬけない。ここが閉っていれば、自動的に制御棒をひき上げることは不可能であり、このようになっていれば安全設計なわけです。・・・安全装置は、点検している時には、弁をしめてやりますからそのとき、もし事故が発生したら、その安全装置は止まったままという、ジレンマにあり、かといって運転中いっさい点検をやめるというわけにはいきません。点検をやったあとに弁を閉め放しというのはおこりえる人為ミスと言えるでしょう。 

歌の数 2011・6・23(木)
 プロの歌人は生涯数千から数万首の歌を読む。当然だが駄作も沢山あるだろう。会津八一は886首しか読んでいない。調べを大事にし、推敲を繰り返したので長い年月をかけて作ったものが多い。友人から問い合わせがあったので、整理してページを作った。

講演「原発はいらない」l 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
事故の経過 −人為ミス説批判−2 
 今回の、スリーマイル島事故は決して人為ミスだけで起きたというわけではないんです。
 たとえば、人為ミスの一つと言われているのは、一番最初の、補助給水ポンプの弁をしめ忘れた点です。事故の発端は何かというと、とれは少し図を見て下さい。 
          
 Aが原子炉圧力容器で、ここの中で燃料が燃えて水を熱くしています。その水をBの蒸気発生器にもってくる。この中で、圧力容器からの熱水を細い管に分けて、一次系の熱を二次系に伝える。二次側は、この中で蒸気になります。要するにここはやかんだということです。この中で水が蒸気に変わっていきます。蒸気発生器の一次側の水は圧力容器へもどります。ここで循環して燃料俸をたえず冷しているわけです。
 一方、二次側の蒸気はタービンをまわし発電をしますが、Cの復水器で冷却され再び蒸気発生器にもどります。つまり二次側の水はたえず蒸気発生器の一次側の熱水を冷却しているわけです。
 Dのポンプ、二次給水ポンプですが、それが止まったのです。これが止まるということは、わりあいしょっちゅう起っているようです。少なくとも一年に3回ぐらい、いろんな原因で起ります。これが止まりっぱなしだと、どういうことが起こるか。燃料棒の発生熱を少くするため、炉は停止しますが、なお、死の灰の熱発生がつづいて燃料棒で発生しているこの熱を取り去らないと圧力容器の温度が、どんどん上がります。そういうことになっては困るので、ただちにここでEの補助給水ポンプがただちに作動して、Dの代りをします。ところがFの弁が締まっていたのです。3台の補助ポンプが一せいに動いたけれども、何の役にもたたず、これが事故の発端になります。しかし8分後には、この弁が締まっていることに気が付いて、8分後には冷却がはじまっています。8分間水が止まっただけで、あの大事故につながってしまった、それだけの巨大な慣性を持っているものだということです。

ドッグカフェ 2011・6・22(水)
 昨日の休日は雨が降らなかったので、関宿にある和風ドッグカフェ「 ぽ庵」に出かけた。ゆったりした店内でうららもくるみも嬉しそう、でもお店の大きなワンちゃんにはちょっと腰が引けたようだ。
 注文した犬用マドレーヌをくるみは喜んだが、お姫様?うららはそっぽを向いた。ちょっと匂いがきつすぎるようだ。チチハハはオムそばとパスタ、コーヒーを美味しく頂いた。帰路立ち寄った亀山公園の菖蒲は盛りを過ぎていた。


講演「原発はいらない」k 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 2 スリーマイル島事故の教えるもの  事故の経過 −人為ミス説批判−1 
 スリーマイル島の事故は、どう起きたか。新聞記事で読んだ人は何がいったい本当なのか、よくわからない、いろんな話が変っていってわからないと思うんですが・・・
 あの事故は人為ミスで起きたのであって、日本の運転員は訓練されているのでああいうことは起きないというようなことを原子力委員会の安全審査委員で東大工学部教俊の内田秀雄などという人が言っております。これは非常に間違った考え方です。・・・従来まで内田さんが主張してきたこと、つまり、原子力発電所というのは非常に巨大な潜在的危険性を持っているが、どんなことがあっても、事故にならないように出来ているんだ、とりわけ人間が誤まったことをしても、事故を発生しないように出来ているということをこの人が言っているように、たとえば制御棒を間違えて引きぬいてしまったような場合、それでも暴走しないように出来ている。つまり、ある数以上の制御棒は、絶対に人間のミスで引きぬけないように設計が出来ている、というふうなことをさかんに言っていたのですが、それを完全に裏切っている。・・・
 人為ミスだから、原子炉そのものが安全だというようなことは成りたたないということを私は言っておきたいのです。しかし、今回のスリーマイル島事故は決して人為ミスだけで起きたというわけではないんです。

第3火曜日 2011・6・21(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

    高層のホテルに届く月影や非難せしわれを攻むるごとくに
 
                       武藤敏子 (朝日歌壇 佐佐木幸綱選


 雨さん 2011・6・20(月)
 楽しみにしていた遠足の朝、空はあいにくの雨模様。窓の外を見ながら、
      「あめさんも、いっしょにえんそくにいきたいんだね」。

              愛知県安城市 砂塚 優衣・3歳  朝日新聞・あのね より
 明日の休みは雨模様、亀山公園に菖蒲を見に行く予定だが、「あめさんもいっしょに行きたいんだね」とうららとくるみはおもっているかも。大雨だと我家では「市内循環」と言って、アーケードのある商店街か家の廻りの舗装道路を傘をさして散歩するだけになる。

講演「原発はいらない」j
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 被爆の影響 
 その被害の表われ方ですけれども、昨日事故が起きて、明日死ぬという形では表われません。勿論、非常に大量な放射能を浴びせられた場合には、急性症状で、一週間以内に下痢とか毛が抜ける広島の被曝者が典型的に表わしたような症状を表わします。
 もっと少量の、微量だけ浴びた場合には、5年後、10年後、20年後に発生するというふうに、後になって出て来る訳です。ですからこれが、例えばスリーマイル島でそういう人が出てくると思うのですが、この人が果たしてスリーマイル島の事故でなったのか、それとも自然の他に起きている、癌だろうか区別する方法がないんですね。そこに、原子力公害、放射能被害の場合の、他の公害の場合と非常に違う点があります。因果関係を証明して、原発事故による被害なのだということを証明するのは難しいという点があるのです。・・・
 ですから、今、スリーマイル島の事故で人一人死ななかったではないか、こんなに大さわぎをしてなんだ、というような反論がちらほらあるようですけれども、とんでもない話です。一人急性の死者が出るような場合には、数万人の人が癌で死ぬということが約束されているわけです。一人の死者も出なかったなどというのは、原子炉公害のことを知らない人の言うことです。

90歳 2011・6・19(日)
 シベリア抑留から生還し、元気に暮らしているMさん、タバコをやめたりして健康に気を配っていたが、先日医者から「何も気にせず、好きなように暮らしてください」と言われた。電車で3駅の四日市駅で降りて、毎日好きなことをしている。しばらく止めていた麻雀も再開、タバコもぷかぷか吸っている。
 長寿を研究している同級生が「金さん銀さんの長生きは若い時から神経質にならずに自由気ままに暮らしてきたのが一つの要因だ」と言っていたが、このMさんも人の批判など気にしない人だ。後輩の整形医も「病は気からと言うことが大いにあります。神経質にならないことです」と言っていた。
 SUは長生きできないようだ。

講演「原発はいらない」i
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発事故からの被爆2 
 放射線を出しながら、放射能の強さが半分になる時間を半減期と言います。例えば、セシウム137という放射性物質は30年経って漸く半分になります。60年経つと四分の一になり、90年経って漸く八分の一になります。決して半減期だからその二倍経つとなくなってしまう訳ではなく、指数関数的に減少します。それから、ストロンチウム90も約30年の半減期で、セシウム131という沃素(ヨウソ)は、8日間で半分になりますが、有効期間は約30日、ひと月間ぐらいの間、絶えず甲状腺を放射線で侵し続けるのです。
 このことによって白血病とか骨髄の癌になることもありますし、その他様々な癌を誘発する可能性があります。 今話した様に、原子力発電所の事故によって出てきた雲は、外部照射と内部照射との二面によって私達を照射するということを忘れないで頂きたい。・・・実際、大部分の事故の場合には内部照射の方が一過性の外部照射に依るよりもずっと影響が大きいのです。私達の所で試算した結果では、一過性の外部照射によるものは10%程度です。その他大部分は、内部照射によるものです。・・・

サーチュイン遺伝子 2011・6・18(土)
 同級生の医者が、90歳までは普通生きることができるので、100歳までを研究していると言っていたのは4年前の同窓会だった。
 「あなたの寿命は延ばせる」(NHKスペシャル 6月12日)で、誰でも持っているサーチュイン遺伝子の機能を高めると平均寿命が100歳を超える可能性があると放送していた。不老長寿を求めた昔の中国の皇帝たちが聞いたら大喜びだろう。
 しかし、この番組を見たのはこちらも寿命が気になる年齢になったと言うことだ。友人が「長寿の薬できたら良いが、100歳ばかりになるかもしれないおそろしさもあり」とメールしてきた。

講演「原発はいらない」h
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発事故からの被爆1 
 外界に撒き散らされた死の灰は、・・・二つの側面を考えておく必要があるのです。
  ・・・原子力発電所・・・に内蔵されていた死の灰の1割が放出されるとすると、・・・(それは)ガス状のもので揮発しやすいもの、高温で揮発しやすい物質、セシウムとかマンガンとかいった物質です。これらは、熱い蒸気の雲と一緒に出て来ます。私達の頭上をその雲が通り過ぎるとき、その雲からγ線(ガンマ)という放射線が出てきます。我々がこれにさらされるならば、原爆症の原因となります。この被曝は一過性ですね。・・・
 もう一つは、・・・内部被曝と言います。しかし、呼吸を止めているわけにはいきませんから、私達はセシウム137 、ストロンチウム90、沃素131等を含んだ空気を吸い込んでしまいます。・・・それらは私達の身体の骨とか、或は甲状腺という所に大部分が吸収されます。それは一過性ではありません。一たび私達の身体の中へ取り入れられたら、これは物理的半減期、および生物学的半減期で自然に減っていくのを待つ以外にないんです。

夢殿の書画 2011・6・17(金)
 杉本健吉と会津八一の書画集・春日野から夢殿の作品を壁にかけた。先日、夢殿を訪れた時のことが鮮明に浮かんでくる。
   法隆寺東院にて
     ゆめどの は しづか なる かな ものもひ に
                    こもりて いま も まします が ごと
    解説
    

講演「原発はいらない」g
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発事故の特徴3 
 水素爆発というようなことも控えています。・・・スリーマイル島の事件でも御存知のように水素が大量に発生して、水素爆発を起こすということが非常に危倶された訳です。この水素爆発が、もし、原子炉圧力容器の中で起きれば、さっき言った蒸気爆発と同じ様に原子炉圧力容器を吹き飛ばして、その破片によって格納容器も潰されてしまう、という事態が考えられます。 ・・・いずれにしても、死の灰の熱を取り去ることに失敗した場合には起ってくるわけですね。
 もう一度要約しますと、大量の死の灰、その大量の死の灰の一つの側面は、非常に大量の熱を発生し続けるということ、ただそこに熱があるというのではなくて熱が発生し続けるという側面です。それがバラバラとなって撤き散らされて人々の頭上に降り注ぐ時には、今度は放射線として生物学的な危害を加えるという、こういう二つの側面で死の灰の潜布的危険性を考えていくことが必要です。

藍綬褒章 2011・6・16(木)
 毎日話をして仲良くしている隣家のダンナが、昨日、写真入りで藍綬褒章受賞者(三重県8人)と新聞に載っていて、びっくり。まずは連れ合いがお菓子を持って表敬訪問したが、何かお祝いをしようと思っている。
 ◇地域の安全守り、住民の信望厚く
    四日市市消防団分団長・近沢順一さん(70)=四日市市新浜町8
「小さな正義感が大切だ」。31歳で入団以来、建具職人として腕を振るう傍ら、40年間にわたって地域の安全を守ってきた消防団長は、長年の経験で培った思いを語る。日夜を問わず出動し、危険な任務に携わる姿に、住民の信望も厚い。・・・」
(YAHOOニュースより)

講演「原発はいらない」f
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発事故の特徴2 
 冷却系が・・・もし働かなかった場合、沸騰水型の原子炉では約150トンの燃料棒、それから、加圧水型の原子炉では約90トン程度の燃料が使われてしまいますが、これが全部ドロドロに溶けてしまいます。その溶融温度は2800度という非常に高いものなんですけども、それが2800度を越えてしまい、固まりのドロドロの溶解物になってしまうのです。更に、原子炉圧力容器といって燃料棒を入れているボイラーと考えて下さればいいんですけれども、厚さが13cm、直径数m、高さが15m以上のものです。それが全部溶けてしまいます。死の灰の熱出力はこれだけの能力を持っているのです。そして更に、格納容器の底部のコンクリート、これは厚さ30cmというものですが、それが熱によって分解されて地面の中に潜り込んで行く、・・・もっと恐しいのは、そこまで行く前に、例えば、ドロドロに溶けた燃料棒が原子炉圧力容器の底の水に落ち込んで、蒸気爆発を起こし原子炉が圧カ器の蓋を吹き飛ばすことです。格納容器と言って更に圧力容器の周りにもう一つ覆があるんですけども、その格納容器の天井をも吹き飛ばすということが考えられています。そのようなケースは、事故が始まってから数時間の間に起こると考えられています。そうすると非常にフレッシュな死の灰が環境の中にまき散らされてしまうのです。こういう時が、実は、被害としては大きくなるんです。

集団ヒステリー状態 2011・6・15(水)
 自民党の石原幹事長は脱原発について「あれだけ大きなアクシデントがあったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かるが・・・」と述べた。“集団ヒステリー”の言葉尻をとらえて批判するより、もっとヒステリックに脱原発を言った方がいい。力のある大企業や政治家、官僚が原発をこれからも推進しようとするだから、力のないものは集団で叫ぶしかない。

講演「原発はいらない」e
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発事故の特徴1 
  スリーマイル島の事故は二次系の給水系故障から始まりました。発電所というのは皆さんもご存知のように、かならず熱の何倍かは冷やして海へ捨ててやらなければなりません。これが排熱ですが、これは熱力学の原理によって縛られていて、如何に頑張ってみても熱を全部電気に換えることはできません。原子力発電所の場合には100万KW電気出力を得るために、なんと200万KW相当の熱を海に捨てているわけです。技術的にも残念なことですが、これがまた、温排水として環境を汚染します。熱汚染ですね。200万KW分の熱を外へ取り除いてやる、ということをどうしてもしなくてはいけない。
 その冷却系統が故障したというのがスリーマイル島事故の出発点なわけですが、火力発電所でしたら冷却系統が故障したら直ちに石油の供給を止めてしまってボイラーの火を止めてしまえば、それで済んでしまいます。
・・・ところが原子力発電の場合には給水系が止まったらただちに制御棒が入って核分裂反応を止めてしまいます。スリーマイル島の場合には、約8秒後に制御棒が全部入って核分裂反応は全部止まったと言われています。核分裂反応は止まってしまったのですが、まだ出力は続いているのです。死の灰の20万KWという熱出力です。ここが火力と原子カのまったく違う所だということをよく肝に銘じておいて下さい。

モノトーンの法隆寺壁画 2011・6・14(火)
 4年前に新潟会津八一記念館を訪ねた。その時、コロタイプ印刷で複製された原寸大(縦横約250cm)のモノトーンの法隆寺の壁画が展示されていた。その迫力に圧倒されたことを今でもはっきり思い出す。12日、NHKの日曜美術館(法隆寺金堂壁画)で再見した。その複製をおこなった便利堂の新たな取り組みも紹介されている。19日(日)午後8時の再放送をぜひ見てください。

講演「原発はいらない」d
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 原発の中にヒロシマ死の灰1千発分 
 具体的にどういうふうに危険なのかという事に移りましょう。
 先程、広島の原子爆弾、広島で有効に使われたウラニウムは約1Kgであると言いましたが、ちょうどそれと同じ量は、出力100万KWの原子力発電の中で約10時間で消費されます。従って、100万KWの発電所の中には、1年間操業した時に1トンの死の灰が内蔵されています。死の灰の放射能の恐しさということを考えますと、その危険性は非常に大きなものだと言えますね。広島の死の灰の約1千発分が、原子力発電所の燃料棒の中に蓄積されている訳です。・・・
 単に放射能があるということだけでなく、もう一つの側面は放射能というのはそのまま工ネルギーだということですね。・・・100万KWの原子力発電所では、死の灰の持っている出力は20万KWです。20万KWの発電所と言いましたら非常に大変なものですね。・・・その点が火力発電所と違うところです。火力発電所でしたら・・・火が消えてしまえばそれでおしまいですが、原発ではこの20万KWを冷却し続けなければならないのです。

チビーズ通信・参観日 2011・6・13(月)
 土曜日は幼稚園の参観日でした。家族皆で参加し、手遊びや歌、体操やパパ参加のリレーを楽しみ、皆で船を作って浮かべたりもしました。園児とその家族の前でママが代表で絵本を読みました。最後はココロ姫からサプライズのプレゼントで、家族の肖像画を貰いました。例によって雨でしたがよい日でした。

講演「原発はいらない」c
 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
 甘い放射能への認識2 
 本当に死の灰、放射能というものの恐しさがわかったのは、1945年の広島の経験以後と言っても差し支えありません。・・・
 最近になって更に現在まで蓄積されていた知識よりもっと恐ろしいということがわかってきたのは、ネパダでアメリカ軍が原爆実験をやった時、作戦に参加していた兵士達の間で癌がどんどん発生してきているということが知られてきたからです。これに非常に慌てて資料を集めている様です。軍当局自ら兵士達を実験材料に使ったのか、それとも、本当の放射性物質の恐しさということに対して非常に甘い考え方を持っていたということでしょう。
 そういう中で、この原子力の開発というのがどんどん続けられています。現在の原子力の利用というのが、まったく原水爆技術、原子兵器技術の延長上でしかない。あるいはそのお余りだというふうに私は言えてると思うんです。つまり、戦争技術であれば多少それを製造する人、そこに働く人、労働者に危険があるということを無視しても強行されたのです。そのやり方が現在そのまま原子力開発の上に、平和的利用の原子力開発の上に続いているということが根本的にあるというふうに思っています。

人を出し抜いても金儲け 2011・6・12(日)
 「瓦礫の中から言葉を」で辺見庸はこう語る。「3.11を境に、少なくとも1週間から10日、テレビからコマーシャルが消えた。人に優しくしようみたいなキャッチフレーズが気が狂わんばかりに何度も何度も流されていく。今度は優しさを押し売りしてくる。あれは裏返せば3.11以前の予感のない表現世界と変わるところがない。みんなでとにかく人を出し抜いても金儲けしようと言ってきたじゃないか。あなたがたの表現世界はそのことに奉仕してきたではないかと言いたい。投資に乗り遅れるな、ハイリスク・ハイリターンと言ってきたではないか。そのための映像を、言葉を作ってきたではないか。詩人たちも無警戒に作ってきたじゃないか。誰がそれに異を唱えたか。人が買い占めに走る、それを今頃になって醜いという。でもその姿は3.11の遥か以前からあったじゃないか
 簡単に豹変するマスメディアの不誠実、あるいは嘘を見抜くにはどうしたらいいのか悩む。それでも、情報はいつもマスメディアから得ている。


講演「原発はいらない」b
 水戸 巌・芝浦工大教授
 甘い放射能への認識1 
 放射能物質の本当の恐しさについては、認識がまだまだ甘い。我々人類の認識は、非常に甘いのです。それは何よりも私達が、放射性物質に接するようになったのは、キュリー夫人のラジウムの発見、これが19世紀末ですね。19世紀末ギリギリの年です。そのころはまだ放射性物質の恐しさというものを知りませんから、科学者達は平気で手の平に乗っけて歩いたりいろんなことをしたのです。従って非常に多くの科学者達が白血病で亡くなられています。
 ラジウムを発見したキュリー夫人、その娘イレーヌ・ジョリオ・キュリー、その御婿さんのジョリオ・キュリー、非常に優れたフランスの物理学者ですが、皆白血病で亡くなられました。
 それから世界で最初の原子炉は何のために作ったかというと、長崎のプルトニウム原子爆弾を作るために作ったものですから、日本人にとっては、あまり良い気分がしませんが、それを作ったのはエンリコ・フェルミというイタリアの非常に優れた物理学者で、この人も白血病で亡くなっています。つまり自分で放射性物質を、地球、我々の世界に招いた人々は放射能の危険性というものをほとんど知らずに自ら犠牲になっていったんです。

法隆寺の歌 2011・6・11(土)
 会津八一の法隆寺の歌は19首ある。残っていた3首(17,18,19)の解説をし、一覧にまとめた。19首目で“み仏たちが私を待っている”と断定的に詠む。平易な歌だが“私も恋焦がれるが相手(み仏たち)も私を待っているのだ”と言い切れる所に八一の心情の深さを垣間見る事が出来る。
   十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出づ
       やまと には かの いかるが の おほてら に 
                   みほとけ たち の まちて いまさむ 
        解説
            (大和にはかの斑鳩の大寺にみ仏たちの待ちていまさむ)

街頭テレビ 2011・6・10(金)
 昔、力道山のプロレスを電気屋さんの店頭で観戦した。また、住所欄に呼び出しの電話番号を書いた。そんな様子を20代の人に話したら、想像できないと言う。いつのまにか、豊かな生活を送るようになった。より便利に暮らすことに何の疑いも持たない現状に、電力不足は大きな問いを発している。目先の安易な対処では済まない、根底から見直しを迫られている。
講演「原発はいらない」a 水戸 巌・芝浦工大教授 1979年6月16日
1 原発−その巨大な危険性 
 ・・・広島に溶ちた原子爆弾、これもウランの核分裂の連鎖反応を利用しています。その時にだいたいどのくらいの量のウラン235が核分裂したか・・・だいたい1kgぐらいであろうと思われます。ウラン235で1kgは手のひらにのるくらいですね。・・・これが15万人もの人々が即死され、あと10万人程の人々が、原爆症のために亡くなられたという広島のあの惨状を成した一瞬なのです。
 ・・・死の灰の恐しさというのは、広島の人々には知られていたのですが、一般の人々はその時ピカドン、それから、その瞬間に出た中性子の放射線、こちらの方に気をとられていて本当に死の灰の恐ろしさということは認識されていませんでした。
 それがはっきり認識されるようになったのは、それから約9年後の1954年のビキニ、死の灰事件です。・・・久保山愛吉さんという方が数ヶ月後に亡くなられました。・・・同時に、マーシャル群島の住民約240名の人々が同じ死の灰を浴びていました。翌日、アメリカ軍が来てこの人々を皆退避させたのですが、既に体の中に放射能を吸い込んで、非常に多くの被爆者を出しています。・・・とにかく1954年の死の灰事件で、核分裂生成物の恐しさというものがクローズアップされるようになった訳です。

永田町漫才 2011・6・9(木)
 人間、うそをついてはいけません  −−−鳩山由紀夫
 宇宙人ならいいのか           −−−菅直人
   朝日新聞 かたえくぼ(6・8)

 小賢しい連立につく大の文字                        朝日川柳(6・8)

 こう揶揄されるほど政治家の存在感は軽い。自民党の長期政権によるウミを一掃するどころか自民党の二番煎じになり下がっている民主党の右往左往に開いた口がふさがらない。もっと言えばこの国の未来を憂う。
 そんな中でNHK「こころの時代 作家・辺見庸 瓦礫の中から言葉を」ー再放送は6・11(土)13:00教育ーをお薦めする。東日本大震災の中で、必死に言葉を紡ぐ作家であり詩人である彼の言葉は重い。
 もう一つ、32年前の水戸 巌・芝浦工大教授の講演 『原発はいらない』も良い。福島原発事故を言い当てたような内容に驚く。(明日から、抜粋を連載しようと思っている)

すいとん 2011・6・8(水)
 「はっと」とはすいとんだった。桜と「はっと」を書いたNKDさんもSUと同じ団塊の世代なので、戦時中の代用食だったすいとんはほとんど食べたことが無いだろうが、この「はっと」は主に東北地方に伝わる郷土料理だそうだ。
 「それにしても、福島原発はひどい。東電や政府やマスコミの対応はとろい。もう現場はチェルノブイリ。それに、早く静岡の浜岡原発を止めさせないと、全体がチェルノブイリになって、日本は破滅する(3月17日)」団塊の世代のパワーを失わず、精力的に活動するNKDさんが怒りを内に秘めながら「 いろんなところで、いろんな人が、いろんなことを感じながら生きている――ということを最近、強く感じます。で、自分も、気持ちの整理をつけるために」書いたと言うこのルポを評価している。

桜と「はっと」14 完 【志波姫の農民2】 
 無料サービスの「はっと」を私もいただきながら、出店の売り物を眺めると、大豆や黒豆や蜂蜜や梅干しの中に、ひときわ目立つ大きなパックがあり、よく見ると「まいたけ」だ。・・・・「すごく立派なまいたけですね、この『はっと』に入っているのが、これなんですか?」と訊くと、テーブルの向こう側にいた数人の男女のうち、椅子に腰掛けていた実直そうな1人の中年男性が立ち上がって「私が生産者です」と伏し目がちに言って、そのままの姿勢で椅子に戻る。
 そのテーブルの端には「震災義援金」と書かれた箱が置かれていたが、財布を見ると1万円と5千円しか札がない。「まいたけ」などを買って支払いを済ませてから千円札を入れればいいということに気づくのに、数秒かかったーーああ、疲れているな……。
 帰宅後、焼いて食べた志波姫の「まいたけ」は、とてもおいしかった。
 タクシーで走り抜けた栗原市の川岸に、立派な桜並木があって満開だったが、車をそこへ向けて数分間でも止めてもらうだけの余裕(たぶん、こちらがわの精神的な)がなかった。心残りになった。
 やっぱり東北だな、自分も東北の血だなーーということを再認識し、させられた2泊3日の旅だった。 
                                          (おわり)

11人の美女 2011・6・7(火)
 安達微笑仏館に11人の訪問客があった。例によって雑用係のSUはお手伝いに参上する。11人は公的な仕事もするパワフルな方々で、重圧感はあったがなんとか案内をした。
 仏像の完成を見た鎌倉時代以降、仏像の発展は乏しい。その上、江戸時代の檀家制度による寺の仏教(宗教)としての堕落がそれを助長したと解説し、第二次大戦後にその価値が見出されブームになった円空仏や木喰仏(江戸時代17〜8世紀)の紹介をした。
 後でわかったが、11人の中に寺の住職夫人がいたそうな、冷や汗。

    
桜と「はっと」13 【志波姫の農民】 
 帰る日、4月29日、まぶしいくらいの晴天で、雪をいただいた栗駒山が輝いている。
 この日から東北新幹線は仙台・一ノ関間が復旧して全線開通。営業再開初日の「くりこま高原」駅の前には、地元・志波姫(しわひめ)の農家の人たちが幟を立てて出店していた。駅に入って新幹線が予定通り運行しているのかどうか確認したり、トイレへ行ったりしているうちに母とはぐれ、もう一度外へ出てみると、母が農家の出店の前に立って発泡スチロールのお椀を抱えて何かを食べている。
 テーブルの向こうの農家の人が「無料サービスですよ、食べていってください」と言っている。近寄ってみると、母が「『はっと』よ。石越で食べたかったけど、ここで食べられた!」と、うれしそうに笑う。そういえば、タクシーで走っている時、「あっ、この食堂で『はっと』をやっている!」と外を見ながら母が叫び、「何?」と尋ねる私に「『すいとん』よ!」ーーという会話があった。

暑いから! 2011・6・6(月)
 車の中はクーラーが無いと乗れないほど今日は暑かった。きっと、鈴虫が孵化しているだろうと思って水槽を覗くと沢山の黒色の子供にまじって生まれたばかりの白い子供も動いている。(写真は5倍大)
 毎年、家庭菜園でキュウリを作っている仏像教室のNさんが「まだ、鈴虫用のキュウリはできてないよ」と言って他の野菜をくれたのは木曜日、その時は生まれていなかった。
 鹿児島在住の同級生から現地の枇杷が今朝届いた。甘くておいしい。その残りを鈴虫たちに与えた。去年より1週間遅れの誕生、7月末に鳴いてくれるだろうか?
 
桜と「はっと」12 【全国から医療支援団】 
 葬儀後、夜に宿へ戻ると、相変わらず駐車場は車でいっぱい。玄関を入ると、十数人の男女がロビーに立って円陣を組んでいるので、驚く。全員、深緑色のユニホームのような服装で、女性の背中に「看護師」と大きく印刷されたゼッケンが見えたので、ああそうかと思う。この人たちは、決して大きな声を出さず、しかし、きびきびと何か話をしている。そういえば、この2泊の間、朝早く全員が消えており、夜中も朝も足音や物音がせず、館内でしゃべっている声はほとんど聞かなかった。宿のおかみさんの話では、全国から来ている医師・看護師・技師などの医療支援団で、交代で津波の被災地の病院へ詰めるのだという。ロビーの円陣は、業務の引き継ぎだろうという。

桜と「はっと」11 2011・6・5(日)
 【どんどん亡くなるお年寄り】
 ・・・・93歳になる母の姉(長女)は、「まんず、はつじゅうのとしよりがたけえとこさあがるなんてや?(全く、80 歳の年寄りが高いところに登るなんてねえ)」とタオルで目頭を押さえた。
 故人の長男は水道工事関係の仕事をしていて、震災後、休みが取れないほど忙しいから、家のことをかまっていられない。しかし、春になって、稲の苗代作りや種蒔きをしたり、やることはたくさんある。屋根の修理もしなければならない。まだまだ80なんだから、自分がやらなければ……そういう年寄りの、焦りに近い思いが招いた死だった。
 宿のおかみさんは次のような話をした。
 ーー「畑の枯れ草を早く片付けなければ」と言うおばあさんに、息子夫婦は「いろいろ忙しいし、急いでやらなくてもいい」と適当にあしらう。息子たちが仕事に、孫たちが学校へでかけた後、おばあさんは枯れ草を片付けるため1人で山の畑へ行った。畑の近くを通りかかった人がおばあさんを発見したのは、夕方。枯れ草に着けた火が自分の服に燃え移ったらしく、すでにこと切れていた。腕時計は午前11時過ぎの時刻で止まっていたーー
 おかみさんは「お年寄りがどんどん亡くなっていますよ。体調を崩したり、精神的なものもあったり…」。

富本憲吉記念館 2011・6・4(土)
 奈良に会津八一の歌碑を訪ねた日、最後に富本憲吉記念館に立ち寄り、静かなたたずまいの展示室で係の人の親切な解説を聞いた。代表作は「色絵金彩羊歯文(しだもん)大飾壺」。ネット上に奈良県の作った映像「近代陶芸の巨匠 富本憲吉」(5分間)あり。
 後日、友人・鹿鳴人から八一の鹿鳴集に富本憲吉を詠った歌があると教えられたので、早速八一ページに解説を加えた。
   大和安堵村なる富本憲吉の工房に立ちよりて
       いかるが の わさだ の くろ に かりほ して
                     はに ねらす らむ ながき ながよ を
   解説

肋骨骨折 2011・6・3(金)
 今日掲載の桜と「はっと」10に屋根修理から転落し、折れた肋骨が肺に突き刺さって死亡したと書かれている。
 数年前、長野で肋骨を数本折ったが、身体を捻らなければ耐えられたので安堵した。しかし、四日市の整形で「折れた肋骨が内臓に刺さっていないかが問題です」と言われ、「もしそうなら命にかかわります」と言われた。2度ほどの検査でその恐れが無いことが分かったが、背筋が寒くなったことは今でも忘れられない。
桜と「はっと」10 【10日間の命の闘い】 
 ・・・・亡くなったのは母の妹の夫、79歳。度重なる地震でガタガタになった納屋などの屋根に登って修理を続けているうち、4月15日、誤って転落し、救急車で病院に運ばれた。転落するのを見た妻が駆け寄ると、「おれ、おづたんだか?(俺、落ちたんだろうか?)」と言ったが、それが最後の言葉になってしまった。会食の席で、医者のカルテの写しを見せてもらった。ヘルメットもかぶり、首などを痛めたわけでもなかったが、肋骨が10本折れ、それが肺に突き刺さって肺気腫を起こした。15日のカルテには「非常に危険な状態」と書かれ、家族もほとんど面会謝絶に近かったという。24日のカルテには「手の施しようがない」とあり、新療法があるのでそれを試してみるというようなことが書かれてあった。しかし、その日の早朝、10日間にわたる命の闘いは終わった。

チビーズ通信・引越し 2011・6・2(木)
 引っ越して早一週間たちました。空いていない段ボールも十個無い位になり、チビーズも全てのオモチャと再会出来ました。幼稚園までの道のりは、やや遠くなりましたが、ほぼ毎日、頑張って歩いて通ってます。写真は、眠れる森の美女のオーロラに扮したココロとマジレンジャーのマジレッドになりきったまっちゃんです。
桜と「はっと」9 【柱が折れている本堂】 
 ・・・・驚いたのは、住職が「本堂の柱の一部が折れていて危険な状態だが、この葬儀だけは一生懸命つとめさせていただく。この後は、もう無理だろう」という意味のことを言ったことだ。思わず天井を見上げてしまったーー今、地震がきたら、どうなるの?
 ・・・・葬儀が終わり、納骨のために墓地へ昇っていく坂道は、アスファルトの舗装のあちこちに大きな亀裂が入っていて、足元のおぼつかない老人たちが昇るには少し危険だ。墓地に着くと、なんだか雰囲気がおかしい。すぐに、たくさんの墓石が倒れているからだと気づく。地元の人の話では、3年前の宮城県内陸地震(震度6強)で倒れたのをみんな直したが、3月11日の本震後に一部直した墓石も4月7日の余震(震度6強)で再び倒れ、その後はいつまた余震があるか分からないので、みんなそのままにしてあるーーということだった。

6月 2011・6・1(水)
 梅雨、今日も朝から雨が降っている。その上、寒いのでセーターを着用した。昔は八十八夜(5月の2,3日)に孵化すると言われた鈴虫だが、こんな寒さでは出てこない。いつ赤ちゃんが出てくるか毎日水槽を覗く日が続きそうだ。
桜と「はっと」8 【葬列】
 10時半にタクシーを呼んで、(栗原市)金成へ向かう。・・・・母親は女ばかり5人きょうだいの真ん中で、末の5女が金成に嫁いだ。・・・・この日は、朝9時から火葬、11時半過ぎにお骨が家へ戻り、約1時間、お坊さんがお経を上げる中、香炉を回して焼香。それから葬列を組んでバスまで歩き、バスに乗ってお寺へ。バスを降りてから再び葬列を組んで歩き、本堂前で葬列は円を描いて7周(?)し、それから本堂へ入って約1時間半の告別式。その後、坂を昇った上の墓地で納骨。
 ・・・・葬列は、親族や部落の代表など、1人1人に役割分担が決められていて、それぞれが遺骨、遺影、花、団子、菓子、そして幟(のぼり)、提灯、その他の飾り物などを決められた順番に持ち、男の遺族は額に白い三角布を付け、女は肩に白い布をかけた上、長い白布を頭上に揚げて1列につながり、いちばん最後尾に遠縁や近所の人などがつく。・・・・
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