くるみの身分証 2011・3・31(木)
 今日、くるみは狂犬病注射、うららは今年の複合ワクチンを獣医で打った。出かける前にカード(獣医の発行した身分証)を見ていた連れ合いが「凄い!ここに生年月日が印刷してある」と言う。SUは「携帯のアドレス帳にくるみの生年月日は書いているよ!」と話していて気がついた。なんと2009年3月31日生まれのくるみの2歳の誕生日だった。
 獣医で痛い思いをした後でドッグショップでお祝いに美味しいものを買った。ちなみにうららは2005年12月20日生まれ、四つ違いの姉さんなのだ。

カモメ 2011・3・30(水)
 夕方のくららの散歩は三滝川の老松橋から西へ行き、慈善橋の手前で右折して家に戻る。この川面に冬になるとカモが飛来するが、今年は少なく20羽あまりが生息している。一方、カモメたちは老松橋から東の遠い所に群れを作っていた。
 今日散歩に出ると川面は移動したカモメの大群に占領されている。一緒に散歩をしていた連れ合いは、今朝、慈善橋の上から乱舞するカモメを見たと言う。やっと近くまで来てくれたのだ。集団で美しく飛び交う姿を今年もしばらく見れそうだ。しかし、昨日までいたカモ達はどこに行ったのだろう。春の気配にもう北へ飛び立った?

ゴッホ展 2011・3・29(火)
 あの強烈な色彩で描かれた「ひまわり」の印象と共にあるゴッホ、彼の作品が名古屋市美術館に約70点並んでいる。37年の生涯、実質10年の画家生活の作品が初期の摸作による習作時代から順番に並べられている。
 独特なタッチの「ひまわり」や「自画像」のイメージしかない頭の中のゴッホを壊しながら、作品の推移の中に新しいゴッホを見る事が出来たように思う。初期の暗い色調の作品とミレーの影響を大きく受けた「籠いっぱいのじゃがいも」や「じゃがいもを食べる人々」に彼の当時の思想を感じ、その後の印象派の影響をうけた明るい色調に少し安堵感を持ちながら接した。最後の部屋に置かれた晩年の作「サン=レミ療養院の庭」に画家の集大成を見た気がする。この作品展には「自画像」はあるが12点ある「ひまわり」は一つも無い。

ノブ君ダイビング 2011・3・28(月)
 ノブ君親子と奥伊吹スキー場に出かける。久しぶりのスキーなのでノブ君は元気に滑りまくる。中級コース(斜度25度)でも大丈夫だと思ったので、初挑戦させたら直滑降で滑り下りていく。この角度はターンをしながらスピードをコントロールして降りるところなので、とても追いつけない。左にコースを取ってリフト乗り場に行くとノブ君がいない。リフトに乗って探すとパトロールのスノーモービルがゲレンデを走っている。しまった!と思って駆け付けるとゲレンデの防御柵を飛び越えて雑木林に突っ込んだノブ君が助け出されていた。かすり傷と打撲でその後も元気に滑っていた。帰ってからの医者の判断も骨折その他は無しだったのでほっとした。
 教訓!無理な滑降をさせてはいけない。ノブ君のお父さんやお母さんには平謝りした。
  
修了証書 2011・3・27(日)
 ココロとまっちゃんに地震や計画停電のお見舞いに絵ハガキを送ったら、修了証書を手に持った写真を送ってくれた。そして2人はこう言っている。
 ココロより
   3月24日、無事一年間の幼稚園生活を終えることができたよ。
  4月からは年長さんだよ。頑張るね!!
 まっちゃんより
   3歳になったので、おトイレの練習も頑張ってるよ。
  大きくなったら、ゴオカイジャーになるぞ!!
  


四日市市民大学 熟年クラス 2011・3・26(土)
 四日市文化会館で展示されている沼田さんの十一面観音を観てきた。高い技術と二年半の長い時間をかけて作った観音の見事さを再確認した。安達工房の中ではなく、沢山の仏像以外の作品が並ぶ展示場では余計に目立ち立派である。沼田さんに説明を聞こうと何人かの人が群がっていた。仏像作りの仲間だからと言ってひいき目に見ているわけではないが、他の作品はほとんどかすんで見えた。
 帰路、近鉄百貨店の「人間国宝 井上萬二 白磁展 3・30(水)まで」に立ち寄る。それぞれの白磁の色合いは微妙に違っていた。もう少し、白磁に首を突っ込んでみようと思う。
 ところで、市民大学とは?と思って調べたら、四日市市のHPがあった。

誕生会 2011・3・25(金)
 SUの誕生祝いと銘打ってメルヘングループの昼食会を5人で行った。PON美食大臣が用意してくれたのはフランス料理の「ビストロ グレンデール」、とても美味しいランチコースを堪能した。料理もいいが、ナイフとフォークのほかに箸を出してくれるのはありがたい。
 食べながらの話題は東日本の大震災といつものバカ話、あっという間に時間が過ぎた。
 このグレンデールはジュニアの同級生夫婦と両親が経営している。食後に少しジュニアの話をして帰ってきた。孫たちが来たら、一度皆で行きたいと思った。

日に日に暖かく 2011・3・24(木)
 寒さが続くが、冬は遠くに行ってしまったようだ。スキー場にはまだまだ雪があるのに、ほとんどファイナルフェアに入り、月末をめどにクローズになる。雪山ばかり眺めているうちに、パンジーが勢いを増し、水仙が咲き、アネモネの開花が始まった。チューリップやフリージアも蕾を持ち始めた。あちこちでコブシが真っ白に咲いて人の目を奪っている。
 ただ、残念なのは不注意で雪にあててしまった月下美人や観葉植物が、いまだに回復の兆しを見せないことだ。
 花だけではなく、雑草もたくましい。昨日今日と地面に座り込んで草抜きをしながら、春だな〜!と思っていたら、ノブ君からスキーの「お誘い」があった。もう一回雪山に行ける。

やきもの談義2 2011・3・23(水)
加藤「文様を付けているうちは良かったが、絵画をやきものに描くようになってから全部だめになっちゃった。・・・・やきもの自体の美しさから出発したものはいいですね」
白洲「染物でいえば織物がしっかりしていないと上にのっからないからね」
加藤「絵はね、絵として描けばいいのだからね
 なんとなくわかるような気がする。文様でも鍋島などは圧倒され感心するが、感動と言う面ではまた違ってくる。
 ところで、対談から受ける加藤唐九郎の印象は、聡明だが変人である。「永仁の壺」事件の真相も軍部に頼まれたとけむに巻くようなことを言っている。まだ子供の頃のことだが、母親が大騒ぎしていたのでこの事件をよく覚えているし、その時唐九郎の名もしっかり覚えた。
 永仁の壺事件
 
1959年、「永仁2年」(1294年)の銘をもつ瓶子(へいし)が、古瀬戸の傑作として重要文化財に指定された。しかし、この瓶子は贋作として、2年後に指定を解除される。世間を大きく騒がしたこの事件は、実は加藤唐九郎の現代の作(贋作)ということで決着したが、真相についてはなお謎の部分が多い。
  
加藤唐九郎
 1897年ー1985年、陶芸家及び陶磁史研究家。愛知県瀬戸市水北町出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めた。永仁の壺事件で、無形文化財の資格を失う。事件後、作陶に専念し多くの名作を残す。

春スキー?? 2011・3・22(火)
 ダイナランド&高須スノーパークも22日からは最終モードになり、一日共通券は3000円、駐車場は無料になっていた。雪が柔らかくなってシャーベットのようになっているので、とても滑りにくい。安定して滑降するには足腰のバランスと力が要求される。もちろん、そんな力はないので午前中だけで降参して帰ったきた。土産は明宝ハム(紫蘇入り)と草餅、くららの土産は無し。
  

やきもの談義 2011・3・21(月)
 近所のモリショ店(古書店)に久しぶりに立ち寄って立ち話、ついでに「やきもの談義 白洲正子×加藤唐九郎」(1976年)を買ってきた。有名な2人の講演や文章を読んだことは無いが、加藤唐九郎の陶器は見たことはある。この個性的すぎる2人の対談を楽しく読んだ。以下は特に興味深い。
加藤「日本人はねえ、そして文様の複雑なものを嫌うんですわ。世界中で日本人と朝鮮人だけが文様の複雑なものを嫌うんですわ。・・・」「(文様が精緻になった)仁清頃ぐらいまで来ると嫌になっちゃう」「どうも女の長襦袢のような文様が出て来るから。(笑)
白洲「やきものそのものがね、やきものの質より絵が勝っちゃてる
 SUが志野茶碗に惹かれるのはそのあたりのことかもしれない。桃山時代の陶芸を再現したと言われる加藤唐九郎の志野茶碗は素晴らしい。

福島原発 2011・3・20(日)
 余りに大きい地震と津波のために未曾有の事故に発展している。対応する関係者や特に放射能の危険の中で活動する人たちに、敬意を表するとともに一日も早い終結を望んでいる。
 公的領域と個人の安全のはざまでずいぶん悩んでいる関係者がいるだろうけど、身の安全のため現場を遠く離れた人が大新聞のインタビューを受け、現場批判と受け取られかねない発言をしているのは理解しがたい。
 ただ、いろいろな危険が想定される原子核分裂を人類が制御できると言うのは、過信と言うか横暴と言うか、今後は見直さなければいけないだろう。ドイツの現政権では覆されたが、シュレーダー前政権が原発廃止を決めた時は、驚き立派なことだと思った。日本もエネルギー政策を考え直さなければならない時に来ているようだ。
 ともあれ、現実の福島原発情報は不透明なことが多いので、近隣の人は危険を感じたら、いち早くの退避が必要だと思う。

スキー手袋 2011・3・19(土)
 電話口でジュニア一家が「ハッピィバースデー」を歌う。「何歳になったのですか?」と聞くので「還暦を過ぎると歳は減っていくのだ!」と答えたら笑っていた。後日、お祝いにインナー付きのスキー手袋が届いた。
 最近、早朝のゲレンデで指先が冷えて耐えられなくなっていた。志賀高原で、仲間に指摘されたのだが手持ちの二つの手袋は指先がボロボロ寸前だった。そんな時だから嬉しいプレゼントだ。早速、ゲレンデに出かけようと思ったら風邪をひいてダウン、今週はあきらめた。そろそろシーズンが終わる。「この時期(東日本大震災)に?」と言う連れ合いの圧力に「ジュニア一家のプレゼントを活用しなければ!」と答える。あと何回挑戦できるかな?

 ブラックマヨネーズ・新幹線でびっくり! 2011・3・18(金)
 連れ合いが、 昨日のテレビ・ダウンタウンDXで吉本の漫才師・ブラックマヨネーズ吉田の話を聞いた。SUはこの話のいきさつを知っていたので、ネットで調べてみると、こう書いてある。
 『ブラックマヨネーズ・吉田はある時、新幹線で席がガラガラなのに初老の男性が隣に座ったのでずっとイライラして、「あーっ!」とかあからさまに態度に出し、後ろの席に移動するとその初老の男性が「ブラックマヨネーズの吉田さんですよね」と聞いてくるので吉田は「あー」と不機嫌な態度で返すとその男性が「私、こういう者です」と差し出した名刺を見ると吉本興業副社長だった
 四日市に来ていた同級生の副社長が、その時のことを漫才師がネタに使っていると笑っていた。しかし実際は、同行していた娘さんが隣に座った人気絶頂のブラックマヨネーズに記念写真を希望したが、不機嫌そうだったので名刺を出したとのこと。彼らは名刺を見てびっくりしたが、それでも信じられず後で調べたそうだ。

月ヶ瀬梅林 2011・3・17(木)
 今年はOさん夫婦が初参加、「くらら」を入れて総勢6人で出かけた。この時期はいつも散り始めているのに、今年の寒さで8分咲きぐらいで止まっており、十分に梅見を楽しめた。連れ合いの目的はシイタケやコンニャク、帰宅後美味しくいただいている。
 月ヶ瀬の現状は鹿鳴人のブログを参照してください。
   

鹿児島のK君2 2011・3・16(水)
 2007年、東京で再会したK君と夕食をともにした。それ以来だから4年ぶりである。若く楽しい時代を共有した同級生だから、次ぎから次ぎへと話の途切れる間が無い。5時半に会って別れたのは4時間後だった。
 地震、津波、原発に始まって話はあちこちに飛んだが、大半は学生時代のことと家族のことだった。新宿で最初に行った合同コンパで、深酒して行方不明になり「鹿児島から来た田舎者が消えた」と言われたらしい。結局、参加した女子大生に発見されたが、その時、陣頭指揮して探しだしてくれた東京出身の同級生とは親友になったようだ。
 同じ時かどうかはわからないが、下駄ばきに高校時代の学生服を着て、バンカラ気分で参加したSUは参加者から全く相手にされなかった。「三重から来た田舎者」だったのだ。

第3火曜日 2011・3・15(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

         地震、津波、原発事故 
                     心からお見舞い申し上げます。 
 

 宅配便 2011・3・14(月)
 千葉では災害用の商品が品薄になっている、とジュニアから協力要請があった。懐中電灯、乾電池、保存食やパンなど。特に計画停電に備えて、必要なものを調達して送ることにした。朝一番に連れ合いが大手家電に出かけたが、乾電池は底を尽きかけ、懐中電灯やラジオも高価なものしか残っていなかった。
 大災害に備えて、この地方でも誰もが買い求めるので品薄になるようだ。これを機会に車載の懐中電灯を調べたら、乾電池が潮を吹いてパンク、電池を入れ替えて点灯を確かめた。
 半分ほど物品を調達したら、宅配を扱う友人から宅配便も小包も災害地向けは受付中止と連絡がきた。結局、夕方には受け付けてくれたので、到着時間未定だが送ることができた。
 幼い孫たちが停電の暗闇にいる姿を想像すると堪らない。四日市に疎開しておいで!とは言っておいたけど、幼稚園などあってそうもいかないようだ。

チビーズより 2011・3・13(日)
 「地震、こわかったけど、元気だよ。今朝の写真を送るね」孫たちからメールが届いた。ジュニアからは地震の翌日、千葉の自宅に無事帰ったと連絡があった。想像を絶する悲惨な事態の中で、家族が無事なのはとてもありがたい。
 ただ、千葉でも災害時の必需品などは店頭から姿を消していて、特に計画停電が始まるので、懐中電灯や電池などがほとんど手に入らないようだ。
            


避難袋 2011・3・12(土)
 時間と共に明らかになってくる地震と津波の被害の大きさに驚いている。余震も多発しているし、福島原発の事故の行方も心配だ。これ以上被害が増えないことを願う。
 ところで「我家の避難袋は?」と連れ合いに聞いたら、「玄関先に置かなきゃいけないのに部屋の奥の方にしまってある」と言う。その上、袋の中身は7年前に入れ替えたもの、パンの缶詰などはとっくに賞味期限が切れている。再点検しないといけない。
 連れ合いは犬達を抱きながら「地震の時は何を置いてもくららをリュックに入れて逃げて!」と言う。「そんな大きなリュックは無いよ」こんな会話をしていられることの幸せを感じる。

地震と携帯電話 2011・3・11(金)
 ラジオを消し、CDの音楽を聴きながら仏像を彫っていたので、地震は全く気がつかなかった。いつもは鳴き騒ぐ「くらら」が静かだったこともある。地震の1時間後、連れ合いが「携帯はつながらない」と言いながらかけてきた自宅への電話で知った。千葉在住のジュニア一家が心配なので、電話をかけ続けたが全くつながらない。携帯メールを送ったが返信が無い。その間にも親戚から、千葉のジュニアたちの安否確認が自宅電話に次々と入ってきた。
 携帯電話は便利だが、これに頼っていると災害の時は困る。結局、メール発信後2時間経って東京の会社に泊まる。家族は無事」とジュニアから返信メールがあって安堵。3時間後ジュニアの嫁から一般電話あり。「避難用具を玄関に置いて、洋服のまま今夜は子供と寝ます」と言っていた。家族の安全が確認できてほっとした。

ヒヤシンス 2011・3・10(木)
 3〜4月の富弘さんのカレンダーはヒヤシンス
        「ヒヤシャンセが咲いたど」 
        父はヒヤシンスの花を そう呼んで
        自分だけのユーモアに ひとりで笑った
        ・・・あの時一緒に 笑ってあげればよかった・・・
        父のいない庭で 小さな声で言ってみる
        「ヒヤシャンセが咲いたど」
 庭では、数年前に月ヶ瀬梅園で買ってきた黄水仙が今年も咲きだした。そのわきに小さくヒヤシンスが咲いている。養生した球根ではないのでヒヤシンスは小さく花びらは少ない。その可憐さが黄水仙と
よく合っている。
         

雪質 2011・3・9(水)
 奥伊吹スキー場に出かけた。前夜からの降雪でゲレンデには新雪が10cmほど積もっていた。朝一番の誰も滑ってないゲレンデに新しいシュプールを描くのは嬉しいが、志賀高原とは違って雪が重く滑りにくかった。雪質によってこんなに違うかと思うほどうまく滑れない。こんなところで技術のなさが露見する。今日はずっと雪、午後早めに切り上げて帰ろうとしたら空が晴れてきた。今年は天候に恵まれない。
 ところで、今日は最大斜度46度(平均斜度43度)のニューチャレンジコースは滑降禁止になっていた。
  


足洗いと風呂 2011・3・8(火)
 夕方の散歩の後は足洗いから乾燥までしてもらうんだよ。ハハは夕食の準備で忙しいからチチの担当。最初は嫌だったけど、この頃はお湯に浸かると気持ちよくて、チチのするままになっている。
 くるみはね!風呂に入っているチチの周りで遊ぶのが好き、時々滑って湯ぶねに落ちるけど、その時はそのまま抱かれて浸かっている。極楽極楽!!
   
   

国宝十一面観音 2011・3・7(月)
 滋賀県長浜町の渡岸寺(向源寺)にある十一面観音は素晴らしい。実物に接すると圧倒される。仏像作りに励む三重刻友会はH20年7月に訪れた感銘を受けた2人の会員がこの観音に挑戦した。作成中の沼田さんが先週の仏像教室で台座(作成中)の指導を先生に受けていた。あと数日で完成して作品展に出品する。手がけて2年半、出来栄えとその時間的努力に頭が下がる。
    市民大学(熟年クラス)21期会 作品展 
       日 時  3月26(土)〜27(日)  (26日10:00〜16:00 27日9:00〜16:00)
       場 所  四日市文化会館  第1展示室AB
 
バースデーケーキ 2011・3・6(日)
 ココロの誕生日に楽天のグリーティングカードを送ったら、メールが届いた。
素敵なプレゼントありがとう!昨日パーティーをして、自分の似顔絵チョコレートののったケーキをたべたよ。今日は朝からディズニーシーで沢山遊んで今帰ってきました。ますますお姉さんらしくなって、素敵な5歳になります。 スージとカコバーへ」
             
誕生日2 2011・3・5(土)
 明日6日は孫・ココロの5歳の誕生日。昨年は誕生日祝いにディズニーランドだったので、今年はディズニーシーに出かけると聞いている。弟・まっちゃんも3歳になったので、2人にとっては楽しいディズニーシーになるだろう。千葉に住んでいるので近くだからいい。
 スージ(SU)はディズニーリゾートに行ったことが無いので、孫たちと一度は行きたいと思っているが、まずはスキー場に連れて行かねばと思っている。

風日祈宮 2011・3・4(金)
 「かざひのみのみや」と読む伊勢神宮内宮の境内別宮で、本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となった。その別宮への橋を友人が描き、こう説明している。
      風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)(伊勢神宮内宮の別宮)
 2月16日に遅ればせながら伊勢神宮に初詣に行ってきました。1月中は参拝客も多いからと思って2月まで待っていましたが、この日は平日(水曜日)にもかかわらず天気も良かったせいかやはりたくさんの参拝客がありました。神楽殿の前から通ずる参道の奥に風日祈宮があり、そこは比較的参拝客もまばらで、ちょうど神宮の禰宜が風日祈宮の手前にある風日祈宮御橋を渡るところでしかも参拝客が途切れた時を狙って描いてみました。
 神宮林の中から漏れいずる日の光を強調したつもりです。
                               
Masanori.Y  2011年2月28日

快挙 2011・3・3(木)
 昨日の志賀高原・横手山スキー場は雪、ガス、寒さの三拍子だった。スキーウエアの上にポンチョ(雨具)、顔面には雪用マスクを付けても寒い。(写真参照) ゲレンデにほとんど人は無く、SU達も暖を取るため、標高2300mにある横手山頂ヒュッテへ入る。ここは「日本一高い所の雲の上のパン屋さん」として有名で、横手山スキー場に来るといつもパンを食べながら休憩する。
 志賀高原ツアーは3日とも雪ばかりだったが、適度に積もった新雪のため反ってゲレンデは最高だった。従来挑戦できなかった熊の湯スキー場の最大斜度33度の壁を初めて滑り下りた。「もう次は無いだろうね。一生に一度の快挙!」と一緒に降りた仲間とVサイン。
            

                         
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