誕生日 2011・2・27(日)    (都合により明日から3月2日まで独り言を休みます)
 孫・まっちゃんは明日、3歳の誕生日を迎える。まっちゃん!おめでとう。3歳になると頭も体もずいぶん成長し、いっぱしの大人並みである。先日送ってきたビデオに姉との対話があるが、落ち着いた対応が見ていて反って面白い。
 姉・ココロは3月6日に5歳になる。ココロ!おめでとう。一年経つと小学生だ。2人の誕生日祝いを明日届くように送った。子供の成長はあっという間だ。元気に育ってほしいとジージ(スージ)はいつも思っている。


記憶力・思考力 2011・2・26(土)
 『近々の大事件もすぐになぜか遠い日々のように思える。以前は遠い昔のことを「つい昨日」のようの思い起こすことが多かったが、・・・』と新聞記者が書いているが、その通りだ。歳を重ねたので記憶力が衰えているのは確かだ。さっきのことや思いついたことをすぐに忘れる。
 しかし、この記者が問題にするのは比較的大きな事件や思い出のことで、その早い風化は便利だと思うデジタル化が原因の一つではないかと言う。パソコン上で文を上書きするように記憶をあっさり更新し、体験にもとづく貴重な過去を簡単に捨てていると書いている。なるほどと思う。ネット上では「より早く」が優先され、一つ前の検証をほとんどしない。ネットやメディアが扱う「民意」がころころ変わる現状の根拠の一つだろう。
 紙きれのように軽い「民意」を無批判に受け入れないように、思考力だけは大事にしたい。

折りたたみ式自転車 2011・2・25(金)
 安達先生から使わなくなった折りたたみ式の自転車を頂いた。従来からある自転車は連れ合いと共用で、物を運ぶための大きなカゴが前後についている。それに比べて折りたたみ式はコンパクトで軽く、ちょっとした用を足すのにとても便利である。
 同じ頃に友人が6段変速機付きの折りたたみ式を買った。「〇〇町は道が狭いので、手前で車を止め、手早く簡単に自転車を組み立てて街中を自転車で散策できた。凄い機動力だ」と言う。地域のいろいろなことを実地で学ぶ強力な武器にしているようだ。
 SUは郵便局に行ったり、昼食を食べに出かけるのに使っているが、カゴがないのでポケットに入らない荷物は困る。しかし、よく考えてみたらゲレンデではいつもリュックを担いでいるのだからリュックを使えばいい。今日は沢山の本をリュックに入れて持ち運びした。

「しゅんざん」さん2 2011・2・24(木)
 茶道具を商う本家の姉さん(従兄の奥さん)とCDをコピーしながら話していて、春山さんの話になった。もう鬼籍に入った叔母(従兄の母)が、高価なものだからと持って行き、今は店に無いと言っていた。探したがSU家にも無い。
 初代笹岡春山の娘さんは豊山という陶芸家で、パラミタミュージアムの「昭和萬古とその系譜」展にその作品が展示されていた。本家の姉さんは、この豊山さんの作品を昔、沢山仕入れたので今でもあると言っていた。
 いろいろな昔の話をしていたら、CDコピーはずっと前に終わっていた。「店頭の茶器を見に行くので、解説をして頂戴!」とお願いして別れた。

デスクトップの表示 2011・2・23(水)
 パソコンでいろいろなウィンドウ(メールやワードなど)を立ち上げている最中に、それぞれのウインドウを終了することなく(隠して)、デスクトップを表示したいときは、タスクバーに入っている「デスクトップの表示」(ショートカット)をワンクリックしている。(WinXP及びWinVista)
 ところが友人のWin7で、その表示がわからなかったので慌てた。開いているウィンドウをそれぞれ最小化するのでは面倒だ。先日、新聞でキーボードにあるウィンドウズキーとDキーを同時に押せばよいと出ていた。再度、各ウィンドウを開くにはもう一度ウィンドウズキーとDキーを押すだけだ。すぐ忘れるので独り言に書いて覚えようと思う。

個人と社会5(完) 2011・2・22(火)
 斎藤貴男は言う。政府の健康問題の専門家と議論した時『健康を個人の自由にゆだねてもいいのか』と反論されました。一人の肉体も国の管理下にあると言わんばかり。健康の問題は、十分な情報が行き渡っていればあとは各人にゆだねるべきです
 この政府の専門家の思考は「軍部の上意下達」とあまりに似通っているではないか。
 斎藤はこうも言う。「成人全員が喫煙者というのもおかしいけれど、誰も吸わないのもおかしい」 イエスマンばかりの組織とか、誰もが同じ服を着ている世界や、嘘ツキばかりの社会を想像すれば理解できる。
 川上弘美は「七夜物語」のなかで主人公の子供にこう語らせている。「いいところも、へんなところも、まじりあってでこぼこで。そういうものがすてきなんだよ。・・・ものは、徹底的にうつくしいものがいいのだと、さよは思っていた。でも、もしかしたら、違うのかもしれない。いい子の中にいい子じゃない部分があるから、すてきなのかもしれない

共通券 2011・2・21(月)
 規模が小さく人気のないスキー場同士が共通リフト券を出す例は昔から沢山あるが、人気もあり、規模も大きい奥美濃のスキー場が本格的に共通券を発行しだした。西日本で最大級の規模を誇るダイナランド高鷲スノーパークである。両者は大日ヶ岳山麓の斜面にあるので、頂上付近でつながっている。
 シニアの年齢が55歳に下げられ、シニア一日券が3000円と格安になったことも嬉しい。早速挑戦したが、ゲレンデの半ばを滑り終えた頃に疲れてしまった。全コース制覇を諦めて早めに下山した。これだけ大きくなると日帰りではなく、一泊でゆっくりと滑りたいと思った。
  


個人と社会4 2011・2・20(日)
 「禁煙一色」のその先の恐ろしさを考えているだけだが、昭和10年代の共同体(ここでは日本)の法と倫理、生活がどれほどのものだったか、「少年H」(妹尾河童著)から引用する。
・敵国語(英語など)はダメなので「“カキフライ”が“牡蠣洋天(かきようてん”・・・“サイダー”が“噴出水(ふんしゅつすい)”・・・自動車の“ハンドル”を“運転円把(うんてんえんぱ)”
・小学校(国民学校)の歌「勝ち抜く僕らは少国民~天皇陛下の御為に~死ねと教えた父母の~赤い血潮を受け継いで~心に決死の白だすき~かけて勇んで突撃だ。・・・・
国家総動員法が成立すると、国民動員体制のための大政翼賛会が発足し、社会は軍部の方針を追認するだけのものになった。「欲しがりません勝つまでは」のもと、全ての自由な行動、発言は封じられ、軍部の上意下達のもと個人の自由はすべて奪われた。
 平和な今では考えられないことだが、これは事実だし、こんな社会では暮らしたくない。

大学入試 2011・2・19(土)
 ◎顧客対応 (いわせてもらおう 朝日新聞より)
 高3の息子が県外の国立大学を後期日程で受験することになり、近くのホテルで予約した。ただし前期で合格したら受けない予定なので、キャンセルの仕方を電話で尋ねた。一通り聞いて電話を切ろうとしたら、「では、おいでをお待ちしております」。返事に詰まった。
               (熊本市・どうぞ、またないで。53歳)
 友人の息子は1浪して今年受験、前期は2月25日、後期は3月12日である。本人も大変だろうが親である友人も心労が多い。受験で苦戦したわが身のことや、息子の受験の時を思い出す。その当時は親がかりで受験するのは当たり前と思っていたが、今になって受験生の親の気持ちがよくわかる。
 頑張れ、〇〇君!2浪だけはやめましょう。

川柳 2011・2・18(金)
 今年も第一生命のサラリーマン川柳100首が決まった。その100首の中から一般の投票でベストテンを決める。(締切3・16)
 新聞やテレビで紹介される秀作に「今年は良いのが無いね!」と連れ合いが言う。確かにこれっ!と思うものがなかったが、SUが選べば以下の3句ぐらいかな。
     「指舐めて ページをめくる アイパッド      化石パパ 」
     「一〇〇〇円が 惜しくて渋滞 抜け出せず   悟空 」
     「物忘れ 増えて良くなる 夫婦仲         シルバーパス 」

 その一つを早速投票したが、今年はどうだろう?
 去年の一位は
     「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い  北の揺人」 3,191票
 ぜひ、投票して楽しんでください。

個人と社会3 2011・2・17(木)
 斎藤貴男は「禁煙一色」の理由の一つをこう述べた(個人と社会1参照)。
「もう一つは、みんな自分で生き方を自由に選ぶことが怖いというか、生き方を規制してほしがっているためのような気がします」
 個人と共同体の関係について、吉本隆明は共同幻想論・規範論の中でこう書いている。
『ニーチェはいかにもニーチェ的な皮肉をこめて「人はみな一つの共同体のなかで生活し、共同体の利便を享受している(おお、なんという利便だろう!われわれは今日これを往々にして過小評価するが)。人は保護され、いたわられて、外部(・・・)の人間すなわち<平和なき者>が曝されている或る種の危害や敵意に心悩まされることもなしに、平和と信頼のうちに住んでいる。ードイツ人は、<悲惨 Elend>(ēlend)という語の原義の何たるかを、よく知っているー。つまり、そうした危惧や敵意を顧慮すればこそ人は自分自身を共同体に抵当に入れ、共同体にたいして義務を負ったのである。」とのべている。』                         
 共同体には小から大まであり、またそれらが同心円でつながれている場合も、そうでない場合もある。似非なものや歪められたものもある。そうした中で個人が自らの尊厳を保ちながら自由に生きてくためには、余程の洞察と決意が必要になる。

釣船茶屋ざうお 2011・2・16(水)
 連れ合いの提案で、今話題の「ざうお」(鈴鹿店)にSU家のOさん夫婦と出かけた。魚釣りのシステムやメニューの説明を聞いてから、とにかく釣ってみようとOさんが挑戦した。餌だけ取られて餌の再注文、交代したSUがやっと鯛を釣り上げて、一同ほっとする。2人とも釣りの経験はほとんどないのだ。
 半身を塩焼き、残りを刺身にしてもらって宴会が始まった。仕事の話から政治の話、さらに週末にOさん夫婦が娘の結婚式に行く沖縄の事まで話題は尽きない。料理は美味しく、さらに今月中は支払いの50%を金券で返してくれるのでこれもよい。

第3火曜日 2011・2・15(火) 
         今日は定休日独り言も御休み。

         願はくは 花のもとにて 春死なむ 
                    その如月の 望月のころ 
     西行

 個人と社会2 2011・2・14(月)
 斎藤貴男は「お上まかせ」では失うものが大きいと言う。
「犯罪や伝染病の予防のように、法律や制度で禁じなければならないことと、個人が主体的にやめることは別です。喫煙の規制は、たばこの苦手な人たちにはいいでしょう。でも、ある領域で国や自治体から規制されることを許してしまえば、次は違う領域に踏み込まれてしまわないとも限りません。たとえば、社会全体の生産性や経済的利益を阻害しかねない思想とか」
 こうしたことは、日本の敗戦前に個人の尊厳が無視されていたことを思い起こしてみればわかりやすい。最近は国や行政がマスコミを取りこみながら行う「規制」が、大手を振ってまかり通っている。そのため、個人の自由な領域がどんどん狭まっている。路上やスキー場のゲレンデで、吸い殻の始末さえすれば喫煙はかまわないと思うが、今は喫煙禁止だらけである。
 「喫煙」を他の言葉に変えてみると怖さがわかる。「服装」「言論」「思想」「共同行動」「自転車の乗り方」「外出(規制)」、括弧の中は何でも構わないが、国家や共同体の指導者達が許容すること以外は徐々に締め付けられていく傾向にある。個人(自ら)を大切に思うなら、そんなことにわざわざこちらから迎合していくことはない。

個人と社会1 2011・2・13(日)
 社会の禁煙化が進む中で、その有無を言わせぬ風潮に危惧を感じている。タバコを吸わないジャーナリスト・斎藤貴男さんへのインタビュー記事(お上頼みの禁煙は個人の自由を損なう 2009・5・23朝日新聞)から引用する。
ーどうして禁煙一色になったと思いますか。
「ある時期から、国が巧みに運動を取り込んでいったことが一つ。もう一つは、みんな自分で生き方を自由に選ぶことが怖いというか、生き方を規制してほしがっているためのような気がします」
ー・・・飲食店の禁煙化が進んだおかげで、安心して外食を楽しめるようになった人も少なくありません。
「・・・お上が決めたからみんなで従う。お上にお願いして自分たちを規制してもらう。結果的に都合が良ければ満足してしまうようなら、ぼくらはどこまでもお上に頼る存在になってしまわないか。失うものも想像してほしい」  
(続く)

めいほうスキー場 2011・2・12(土)
 全国的に強風・降雪の予想される中、出かける寸前の奥美濃の天気予報は良さそうだったので、奥美濃のめいほうスキー場に出かけた。滑り始めは小雪だったが昼前には青空も覗いていた。ただ、土曜なので車の渋滞を避けるために午前中だけ滑って帰ってきた。最近行ってないのでめいほうスキー場はどうしても行きたかった。ただ、このハードなスキー場はなかなかSUの腕では受け付けてくれない。苦戦!

「しゅんざん」さん 2011・2・11(金)
 幼い頃、茶道具を扱う祖母に連れられて万古焼で煎茶器を作るしゅんざんさん宅へ行った。よく似た歳の2人の茶飲み友達が、湯を沸かし湯ざまししてお茶を入れるあいだ、庭で遊んだりして待っていたが、子供心に何と長い時間だと思ったことを覚えている。手びねりの小さな茶器に入ったお茶は水のようにぬるく甘くて美味しかった。それが玉露だと知ったのはずっと後だった。
 パラミタミュージアムの「昭和萬古とその系譜」に懐かしい手びねりのしゅんざんさんの煎茶器があった。子供だったがその独特の形や色を覚えていた。初代笹岡春山と表示され、二代春山作品と並んでいた。
 日展の陶芸は、全てが大きく精緻で近寄りがたいほど素晴らしい。しかし、同じ日に見た手びねりの春山さんの小ぶりの煎茶器やその他の万古焼により心が動いた。

日展 東海展2 2011・2・10(木)
 彫刻展示室に入って最初の裸婦像(加藤幸男)で動けなくなった。仏像作りで常に悩む顔や二の腕から胸のあたりを食い入るように見つめ、像の脇にも身体を入れて、横からの立体感も確かめる。腰から太ももに至る微妙な曲線の変化に気が付き、他の裸婦像でも確かめた。
 大量の絵画鑑賞で疲れた?あるいは絵画ほどには人気がない彫刻だからか、次から次へと入ってくる人たちが、立ち止っているSUを邪魔だという気配はない。絵画の部屋でゆっくり立ち止っていると押しのけられそうな雰囲気なのに。
 加藤幸男、何だか知っているような気がしたので調べてみると四日市市西坂部町の人だった。市の作品展で見たのかもしれない。

日展 東海展 2011・2・9(水)
 日展は作品数の多さとそれをはるかに上回る入場者数にいつも圧倒され、十分に鑑賞できずに疲れだけが残る。東海展は総数589点、それを全て気持ちを込めて鑑賞するのは無理だ。毎年、ざっと見まわして目に飛び込んでくるものだけを見るようにしているが、混みあう人たちをかいくぐりながら、絵画部門(238点)を見終わった頃にはぐったりする。
 絵画はよく似た作品が多いことと同じような大きさの作品が壁にびっしり展示されていることが鑑賞の意欲を削ぐ。もっと大きさに差があっていいと思う。大きなものでないと入選できないのだろうか?
 意識的に観たのは友人の知り合い谷岡経津子(津)の「白の詩」、以前に描いていた鶏頭の赤のイメージから、しばらく前から色彩的に大きく変化し幅が広がったようだ。
 ともあれ、今回の目的は彫刻と工芸(陶芸)だったので時間はほとんどそこに割いた。

鳥インフルエンザ 2011・2・8(火)
 鳥羽では鳥インフルエンザの影響でペンギンショーを中止したと言う。先日、鴨が石を投げつけられている夢を見た。あちこちの鳥たちにとって受難の時代のようだ。生き物大好き人間には、こんな状態はとても辛いことだ。感染した養鶏場で早期の迅速な密閉撲滅作戦により大量の鶏が殺されるのは、食用と割り切っていても悲しい。
 しかし、鶏たちを密閉撲滅された養鶏場の経営者は、ウイルスをもたらす野生の鳥に石ぐらい投げつけたいだろう。
 そんなこんなで鳥インフルエンザ騒動でいろいろ考えさせられるが、人のインフルエンザ流行で同じような方法が適用される夢などは絶対に見たくない。

初孫 2011・2・7(月)
 初孫に恵まれた奈良の友人は酒豪である。『・・・お祝いにお酒を持ってきてくれた。大吟醸酒の一升瓶、名前は「初孫」と言う。まいったまいった』とメールあり。“まいったまいった”は“うれしいうれしい”としか読めない。新しい生命の誕生はどれだけお祝いしてもまだ足りない。
 昔、ジュニアが誕生日の祝いに八一と言う酒をプレゼントしてくれたが、嬉しくて未だに箱と瓶を部屋に飾ってある。
 「初孫」に触発されて、スキーにちなんだ酒は無いのかと探したらあった。なんと有名なスキー用具のロシニョール社と武蔵野酒造の作ったもので、2011年1月12日発売の限定商品(写真)だった。

河村市長再選 2011・2・6(日)
 開票が始まる前の出口調査75%支持で当選確実、そのタレント性を考えても高い支持には驚く。確かに小泉元総理と同じような人心を揺さぶりつかむ術には長けているようだ。しかし、その政策が支持されたと言う人が多いだろう。河村市長は市民税10%減税案と議員報酬半減案を掲げ「庶民革命」を力説したのだから、名古屋市民は減税を支持したことになる。
 都市と国とは政策が違うかもしれないが、菅内閣が選挙公約にはなかった増税(消費税増税)を恥じらいも無しに掲げていることを名古屋市民や国民はどう思っているだろう。増税の模索は財務省に象徴される高級官僚たちの目線で、そこには河村市長の言うような下(市民)からのアプローチは全く感じられない。現内閣が選挙になれば25%の支持も獲得できないような気がする。

赤ちゃん誕生 2011・2・5(土)
 昨日、奈良の友人に孫が誕生した。長男の第一子で女の初孫である。母子ともに元気だと赤ちゃんの写真と産室前での短歌を送ってきた。心配の後の喜びがひしひしと伝わってくる。昨夏、東京の友人の孫が600gに満たない早産児(超未熟児)だったこともあったので、心配していたがとても嬉しい。
 当方からの祝辞
 “まずは「ジジ世界」にようこそ!!かわいい孫の話をこれからは共有できるね
 ところで、心配した東京の友人の孫も徐々に体重が増え3000g近くまで育ったと、赤ちゃんを抱く友人の写真が年末に東京から届いている。

関宿の町並み 2011・2・4(金)
 友人Yの水彩画・関宿の町並みがアップされた。今年の第2号である。この会津屋で食事をしたことがある。
 関宿の町並み
 東海道53次の47番目の宿場である関宿に絵になる風景を求めて訪れてみました。訪れた日は1月半ばの寒い日でしたが古い町並みがよく保存され案外絵になる風景がたくさんありました。近場にこんな良い場所があったのかと再認識した次第です。絵は、今でも関の地蔵院前で山菜おこわと街道そばの店として営業をしている仇討で有名な「関の小萬」が生まれ育ったといわれている「会津屋(当時は山田屋)」から東方に向けて描いてみました。
                                      2011年2月4日

ザッケローニ監督 2011・2・3(木)
 アジアカップ決勝で李忠成が放ったボレーシュートの見事さは言うまでもないが、何よりもザッケローニ監督の采配の妙が素晴らしかった。
 ただ、日本中で起こるザッケローニ監督称賛のなかで、この監督の負けた時の評価がどうなるか心配だ。人々の評価があまりにも単純に激変することを見てきたからだ。ワールドカップでベスト16を果たした岡田監督の時を思い出せばいい。大会前のみじめな4試合で「辞めろ!」の大合唱が起こったが、いざベスト16に進出すると手のひらを返したように「名監督」と称賛した。
 「鬼畜米英」と戦った日本人が、敗戦後すぐに占領軍トップとして君臨したマッカーサーに対し「あなた様は日本の大衆を救ってくれた恩人です」と一万通以上の手紙を送ったと言う。そして、マッカーサーは後日こう語った。「日本人はすべての東洋人と同様に勝者に追随し敗者を最大限に見下げる傾向を持っている

八百長 2011・2・2(水)
 相撲の八百長が確たる証拠で表面化した。熱心な相撲ファンなら、八百長あるいは八百長まがいが存在していたことは前提だったと思う。本場所90日(6場所)と地方巡業等を入れれば、格闘技としては異常な勝負数なので、ガチンコ(本気)で通せば身体は持たないと思われるからだ。ショーとしてのプロレスほどではないとしても、千秋楽で8勝を挙げて勝ち越す例が多いのは、心情的な八百長が横行していたと言える。ただ、八百長が相撲賭博と連携していたり、多額の金が動いていたとしたら、大きな問題だろう。
 携帯の削除した記録が再生されて発覚したそうだが、記録装置に保存したものは装置そのものを破壊しなければ完全には消えない。AU携帯をショップで破棄した時、携帯のど真ん中に穴をあけて確認を要請された時の驚きを今でも忘れない。

2月の初めに 2011・2・1(火)
     梅一輪 一輪ほどの あたたかさ      服部嵐雪
 この寒さの中で我家の紅梅が咲き始めた。梅の花を眺めながら、昨日までとは違うかすかな厳寒の緩みを感じる。川原を吹き抜ける風も穏やかで、くららの散歩も今日はゆったりとし、2匹は嬉しそうに走っていた。
 先月の積雪でダメージを受けた花たちの手入れと再生が月初めの仕事だが、チューリップやフリージアは去年と同じように地上に顔を出し始めている。極寒の中でも進む自然の営みにいつも驚き、その驚きにマンネリが無いのがとても嬉しい。

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