大晦日 2011・12・31(土)
 今年も今日で終わりになった。
 一年を振り返るとやはり3月の大災害が心に突き刺さる。原発事故の追い打ちもおぞましい。個人的には愛犬・うららが7月に突然亡くなった悲しみを未だに引きずっている。
 悲しいこともあれば、嬉しく楽しいことも多い。愛犬・くるみが元気に走り回ること。孫たちの成長。年を取ったがまだスキーを楽しめること。仏像制作の出来ること。交流する仲間たちが沢山いることなどだ。そして、季節を忘れず花達が咲いてくれることが嬉しい。とりわけ月下美人と皇帝ダリアが大きく沢山咲いてくれたことが印象に残る。
 新しい年も幸あれと思う。一年のご愛読を心より感謝します。
南京余唱第4首(八一) 2011・12・30(金)
 吉野の山中にやどる(第2首)   
   みよしの の やままつがえ の ひとは おちず 
           またま に ぬく と あめ は ふる らし    解説
     (み吉野の山松が枝の一葉落ちずま玉に貫くと雨は降るらし)
みのむし 2011・12・29(木)
 庭の五葉松からみのむし(蓑虫)が消えてから何年になるだろう。他所でもお目にかかったことが無い。みのむしはガの幼虫だが、オオミノガヤドリバエの寄生よって、5〜9割激減したらしい。
 虫好きだった少年時代には簡単に捕獲して中の虫が見られる身近な生き物だった。そのことを思い起こすと、その当時の豊かな自然と生物に囲まれて、生き生きと暮らしていた田舎の原風景が目の前に浮かんでくる。
 わらで作った雨具・蓑に似ている為に「みのむし」とよばれたと言われるこの虫の名には風情がある。別名を鬼の子、鬼の捨子と言い、季語は秋、俳句に詠まれている。
      蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵  芭蕉
      蓑蟲の なくや芭蕉の 塚の木に  子規
 鳴くはずがない蓑虫を「なく」と詠む俳句の妙味がある。
 20代のユウスケに「みのむし、知っている?」と聞いたら「はい」と言う。それで安心したが、「中を見たことある?」と聞いたら「そんなこと出来ませんよ!(気持ち悪いから)」とのことだった。明日、帰省する息子たち、息子も多分聞けば同じ返事をすると思う。幼い孫たちはどんな反応をするだろうと思うが、蓑虫そのものがいない。
奥伊吹スキー場 2011・12・28(水)
 積雪200cm、ゲレンデは良好。晴れ時々曇り、気温0度前後、風はなく最高の状態だった。全コースを2回まわって夕方には帰宅した。
  
わが友・鹿鳴人 2011・12・27(火)
 奈良の鹿鳴人は本名・松森重博、同窓の同じ釜の飯を食ったと言える奈良で活躍する友人である。ともにそれぞれの郷里に帰り家庭を持ったが、手紙のやり取りに始まり最近はメールで日々語り合っている。
 彼の特色の一つは筆まめなことである。故郷に籠っていた筆不精の素空を手紙、メール、文作りに引っ張りこんだ端緒は彼の手紙にある。もちろん、豊かな能力で多種多方面に活躍中なのは言うまでもない。
 「経営する2つの会社の社長、商店街と業界の協同組合の2つの理事長に加え第3セクターの社長になった。責任も重いものです」とメールしてきた。第3セクターとは12月26日奈良市役所で設立された株式会社まちづくり奈良のことである。彼の奈良での活躍を応援しているが、ここまで活躍の場が広がると健康などに影響しないかと心配する。
 経済活動、地域活動に奔走する男だが、その穏やかで包容力がある人柄は誰にでも好かれる。生まれの良さにあるのだろうか?貧乏人の子だった素空には全くなく、真似のできないところである。郷里を中心にした素空の高校時代の同級生の女性たち(メルヘン)の全面的な信頼を得ている。奈良行きはいつも全員が賛同するのは、奈良で待っていてくれる鹿鳴人の人柄と「おもてなし」の素晴らしさである。
 松森重博(まつもりしげひろ)君は早稲田大商学部卒業後、陶器を扱う商社に勤務。75年、株式会社「まつもり」に入社。84年に5代目の社長に就任した。弟に陶芸家あり。彼のブログ「鹿鳴人のつぶやき」はアクセス数が多く、奈良案内の手引きになっている。
南京余唱第3首(八一) 2011・12・26(月)
 吉野の山中にやどる(第1首)  
  はる さむき やま の はしゐ の さむしろ に 
           むかひ の みね の かげ のより くる    解説
     (春寒き山の端居のさ莚に向かひの峰の影のよりくる)
メリークリスマス 2011・12・25(日)
 夕べは一緒に手作りしたブッシュドノエル、トルティーヤ、チリコンカン、バーニャカウダetcとプリキュアシャンメリーで乾杯してパーティーしたよ!
 サンタさんがプレゼントを置いていってくれた。朝起きたら沢山あって、嬉しくて跳び跳ねたよ。 
 クリスマス、大好き!  ココロとまっちゃんより
 

 四日市のサンタジージとバーバの贈り物は子供用のキーボードとギターだったんだよ。
        
   
かでん 2011・12・24(土)
 「かでん=訛伝」を広辞苑(第4版1992年)で調べた。
 家電、荷電、家伝、瓜田、火田、訛伝がある。スマートフォンのアンドロイドキーボードで「かでん」と打つと家電、荷電のみ、ウィンドウズパソコンで「かでん」と打つと家電、荷電、家伝、瓜田がでた。瓜田が出たのでほっとしたが、スマートフォンの語彙力には失望。
 火田は朝鮮半島で行われた焼き畑、訛伝は誤って伝えること、ともにネットのYahoo辞典に解説があったのでほっとする。
鷲ヶ岳スキー場・ノブ君と初滑り 2011・12・23(金)
  今年は雪が遅かった。まだ十分な積雪量ではないと思ったが、ノブ君親子、同級生のちゃーちゃんと4人で昨日出かけた。人工雪で作られた狭いコースを思っていたが、2,3日前からの降雪でコースが広がり、楽しく滑れた。
 ノブ君も8本ぐらい滑ったかな?上手になったのでスピードでは負ける。しかし、新雪に入って転び雪だるまになってしまった。ちゃーちゃんに助け起こされ、雪で冷たくなった手を優しく温めてもらっていた。こう言う時は女性に限る。
 終日小雪だったが、腰痛もなく気持よく滑る。初回なので無理をせず、早めに切り上げて夕方には帰宅した。
 さて、今年は何回行けるか?
南京余唱第2首(八一) 2011・12・22(木)
 吉野塔尾御陵にて  
    すめろぎ の こころ かなし も ここ にして 
           みはるかす べき のべ も あら なく に  解説
   (すめろぎの心かなしもここにして見晴るかすべき野辺もあらなくに)
龍の瞳 2011・12・21(水)
 龍の瞳と言う高価な米をもらった。ネットで調べると「龍の瞳は2000年9月に岐阜県下呂市でコシヒカリの中から偶然に発見された稲の品種です。特徴は大粒(コシヒカリの約1.5倍)で、粘り、香り、弾力があり、ご飯が甘いこと」と書いてある。
 連れ合いは1kg1000円する超高価なものだという。早速、押しいただくように食べた。大粒で粘りのあるもち米の感じもする美味しいご飯だった。
 1kgが1000円と言われてもどう高いのかわからなかったので調べると国産米は1kg200円の激安米から1000円を超えるものがあり、一般家庭では400円前後のものが食べられていると書かれている。こうなると龍の瞳などは一粒残らず食べないと罰が当たりそうだ。お米が大好きな愛犬・くるみにもそうはあげられない。
 ところで流通経路に出る前の国産米は1kg251円とのこと。輸入米は170円で、そこに341円の関税が加算されて511円だと新聞に書いてある。なるほど、輸入米を直接炊飯して食べるということは日常ではないのだ。TTP参加後はどうなるのだろう?と考え、親戚の農家はやっぱり打撃を受けるのだと思った。
関宿の町並み 2011・12・19(月)
  円空・布袋がYさんの水彩画「関宿の町並み」と交換になった。見事な絵が二つあったが、迷った挙句、これを選んだ。理由の一つは6月にくららと行ったドッグカフェが描かれており、またずいぶん前にうららと手前の会津屋で食事をしているからだ。
 早速、玄関に掲げ、その内に店にも持っていくと言ったら、店用にもう一枚あげるという。ラッキー!!
 その後、2人で久しぶりに昼食を共にした。ゴルフ、スキーの話から延々と男のおしゃべりが続いた。場所は先輩が経営するラーメン「田」、美味しいラーメンランチを食べた。場所は四日市市西阿倉川1210−2 素空の推奨店である。
              (明日第3火曜日は独り言を休みます)
南京余唱(なんきょうよしょう) 2011・12・18(日)
  南京余唱 大正十四年の作。前半二十七首は同年三月に、後半十五首は同年十一月に詠まれた。「新唱」に対する余唱である。
                   (鹿鳴集歌解・吉野秀雄より) 
 全42首、新たに八一の歌の解説を始めた。
  吉野北六田の茶店にて  
    みよしの の むだ の かはべ の あゆすし の 
           しほ くちひびく はる の さむき に    解説
     (み吉野の六田の川辺の鮎鮨の塩口ひびく春の寒きに)
水彩画と仏像 2011・12・17(土)
 伝教大師像を四日市市美術展に見に来てくれた「私の水彩画」の友人・Yさんが「僕にも一つ彫ってくれ!水彩画を上げるから」と言う。これには慌てた。手の遅い素空は一体作るのに一年ほどかかる。
 考えた結果、短時間で彫ることができる円空仏の地蔵菩薩と布袋を急いで彫り始めた。そのために、布袋を拝観できる荒子観音堂にも出かけた。出来あがったので、月曜日にどちらか一体と絵を交換することにした。どんな絵がもらえるか楽しみだ!
      

                    素空仏像作品集へ   
久しぶりの登場・くるみ 2011・12・16(金)
 11月に体調を崩したけど、今はもう元気に走り回っている。昼はチチの仏像作りの邪魔をするのが日課だよ。
  
電子書籍 2011・12・15(木)
 iPad(アイパッド)に代表されるタブレット型コンピューター(A4〜A7の大きさ)やスマートフォンで購入できる電子書籍が注目されているが、高齢者には操作や経費の問題がある。
 しかし、新たに本を購入しなくても著作権の切れたものはインターネット上で無料で読むことができる。しかも名作が多い。それは以前にも紹介した電子図書館・青空文庫である。
 新聞やテレビで宮沢賢治の“銀河鉄道の夜”が取り上げられていて、自分はそれを読んだのか?あるいは読んでも忘れたのかわからなかった。青空文庫はパソコンでも携帯でもスマートフォンでも接続して簡単に読むことができるので早速繋いでみた。それ程長くない童話作品なので一気に読むことができた。スマートフォンの小さい画面でも十分読める。短編の読書に青空文庫はとても良い。
 ところで“銀河鉄道の夜”は亡くなった友人との銀河旅行を通じて生と死を描いている名作である。再読すると、年と共に忘れそうになる何かがよみがえってくる。お薦めである。
 著作権と青空文庫
 著作者の生存期間およびその死後50年を保護期間とし、以後、著作権は消滅し、だれでも無料で自由に利用できるものとしている。従って1961年以前の名著は青空文庫に多く収録されている。それ以外に作者の承諾を得た新しい作品もある。
苹果 2011・12・14(水)
 調べたら「へいか」または「ひょうか」と読んで、リンゴのことだった。“銀河鉄道の夜”(宮沢賢治)に出てきた。
比叡山12首(会津八一) 2011・12・13(火)
 昭和13年、会津八一は新設の早大文学部芸術学専攻科の主任教授になり、同年10月、専攻科の学生を引率して奈良と京都・比叡山の見学旅行を行う。その時の作品が鹿鳴集にある比叡山12首である。
 前年、盧溝橋事件を契機に日中戦争が始まり、言論や研究の自由を圧迫する暗い時代へと向かっていた。東大の矢内原忠雄や早大の津田左右吉辞職などが起こっている。
  これよりさき奈良の諸刹をめぐる(第2首)
    いかで かく ふり つぐ あめ ぞ わが ともがら 
             わせだ の こら の もの いはぬ まで 
 恩師・故植田教授は「戦況の見通しは暗く、泥濘を歩むような様相を呈していった」とこの第2首に時代の影響を敏感に感じ取っている。
 全12首に時代性や政治性を読み取ることは難しいが、そんな時代に八一は「学問は新しい資料や事実があらわれれば、今までの説や研究は時代おくれとなる。しかし、藝術はその人のものであるから、新旧はない」と短歌や書に力を発揮して行く。
 「比叡山12首」が飛びぬけて秀でた歌とは思わないが、時代と八一の心意気をもとに鑑賞すれば一つの世界が開けてくる。
 素空にとって比叡山の歌は、自身における伝教大師像完結のためのものでもあった。以下の12首目をもって「比叡山12首」の解説を終わる。
  法隆寺福生院に雨やどりして大川逞一にあふ
     そうばう の くらき に のみ を うちならし 
            じおんだいし を きざむ ひと かな    解説
      (僧坊の暗きに鑿をうち鳴らし慈恩大師を刻む人かな)  
お得です(いわせてもらお・朝日新聞) 2011・12・12(月)
 今のマンションに引っ越して5年。洗面所の電球が切れたので電気店に買いに行った。「40倍は長持ちしますよ」と勧められ、LED電球を購入した。電球を付け替えてから、ふと思った。「5年×40倍=200年」……
         (京都市・そのころ、この部屋には誰が?・43歳)  
岐阜県現代陶芸美術館 2011・12・11(日)
 陶磁器の里・多治見に行きたいと思っていたら、「岐阜県陶磁器試験場の100年展」が昨日から岐阜県現代陶芸美術館で始まった。副題は「人間国宝 加藤土師萌・加藤孝造を輩出した試験研究機関のあゆみ」、両氏の作品は学習中の素空には目を見張るものばかりだった。
 ここへは伊勢湾岸道や名二環を利用すると、四日市からは1時間20分ほどで行ける。
 作品も良かったが、この3階建の美術館の立派さに驚いた。館の外でも展望台など、いろいろと楽しむ場所があるようだ。次回は、弁当や飲み物を持って、ゆっくり一日過ごしたいと思った。
 昨日はこの展示会の初日なのにほとんど来館者が居なかったので、箱モノ行政の産物と非難されないかと余計な心配をしてしまった。
比叡山第11首(八一) 2011・12・10(土)
 これよりさき奈良の諸刹をめぐる(第2首)
  いかで かく ふり つぐ あめ ぞ わが ともがら 
          わせだ の こら の もの いはぬ まで    解説
 (いかでかく降り継ぐ雨ぞわがともがら早稲田の子らのもの言わぬまで)
クリスマスツリー 2011・12・9(金)
 「今年も飾れました。サンタさん、来てくれるかなぁ?」(ココロとまっちゃん)
 「プレゼントは何がいいかな?」と両親にそっと聞いて、そわそわするサンタジージとバーバなのだ。
    
ぬるホッカイロ 2011・12・8(木)
 ドラッグストアに「ぬるホッカイロ」があった。廉価だったので冬山用にと買ってきた。クリームを塗るとぬるぬるだが、しばらくすると乾燥する。しかし、驚くほどの効果は無さそう。
 これなら、手袋の中にトウガラシを入れた方が良さそうなので、それも用意した。
 ネットで検索すると「ほかっとさん」と言うものもある。これは成分にトウガラシが入っていて、塗ると2〜3度は温度が上がると報告されている。ミットの手袋など、指先の寒さ対策に努めているが、しばらく近場に雪が降る気配が無い。
比叡山第10首(八一) 2011・12・7(水)
 これよりさき奈良の諸刹をめぐる
  ゆく として けごん さんろん ほつそう の 
          あめ の いとま を せうだい に いる    解説
      (行くとして華厳三論法相の雨のいとまを招提に入る)
湖北から彦根へ5(夢京橋キャッスルロード)完 2011・12・6(火)
 昼食は彦根城前の街並みが美しい夢京橋キャッスルロードの店で食べる。仲間は近江牛は美味しい!と叫んだ。吾輩はハンバーグを注文したが、隣の皿から一きれ頂戴した。
 食後、四番町スクエアまで散策する。ここは、3年前の夏、元気だったうららと食事をしたところ、当時のことを思い出しながら歩いた。
 その後、彦根城を見学し、「たねや」に入る。お土産を買い、コーヒーを飲む。いつものように、家の敷居を快くまたぐには、どうしても「たねや」のお菓子が必要だった。
 帰路につく頃には暗くなっていた。彦根駅で兵庫の同級生を下し、蟹江で夕食をして、そこで1人同級生を下す。その後四日市まで戻り、友人宅を回って別れる。いつもは四日市駅解散なのに、軒先から軒先までの「特別バージョン」。少し疲れたが、久しぶりに良い旅だった。
比叡山第9首(八一) 2011・12・5(月)
 下山の途中に(第2首)
   あきやま の みち に すがりて しのだけ の
            うぐひすぶゑ を しふる こら かも    解説 
      (秋山の道にすがりて篠竹の鶯笛を強ふる子らかも)

       私の水彩画  東大寺南大門(12月2日更新される)
湖北から彦根へ4(彦根城) 2011・12・4(日)
 彦根は3年前、うららを連れて出かけた。犬は城や庭園に入れないので、その時は城の周りを散策した。
 今回は彦根城に登り、紅葉の美しい玄宮園を回った。傾斜の厳しい城内の階段に急斜面のゲレンデを思い出したが、滑り下りれるような生やさしい角度ではない。手すりに両手をかけて上り下りするのがやっとだ。
 見学しながら、ここは井伊直弼で有名な井伊家の城であったことを思い出した。寺や仏像ばかり考えているので、こんなことも忘れている。
 城外の階段を降りながら「初めて彦根城に登った。良かったね」と言ったら、「高校の遠足で来ているよ」と仲間の返事が返ってきた。あ〜〜あ、前期認知症!!
  
湖北から彦根へ3(ひこにゃん) 
           
2011・12・3(土)
 彦根城博物館前でひこにゃんの演技を見た。愛らしい動作は思っていた以上に可愛いものである。

 
湖北から彦根へ2(渡岸寺の十一面観音) 2011・12・2(金)
 今回の大きな目的は渡岸寺(向源寺)観音堂の国宝・十一面観音を観ることだった。仏像制作の先輩2人が挑戦し、三年弱かかったものである。
 国宝の十一面観音は7体(聖林寺、法華寺、室生寺、観音寺、道明寺、渡岸寺観音堂)あるが、好きなものは聖林寺のもの、“凄い”と思うものはこの渡岸寺の観音である。
 寺や仏像鑑賞に仲間を誘ってばかりなので、今回の“ピクニック”は別の場所と思ったが、この仏像は別格だから提案した。仲間の賛同を得て、今回3度目の対面を果たした。1回目(東京国立博物館・仏像展)は精緻なものだと言う印象だけが残っている。2回目(渡岸寺観音堂)は仏像作りの仲間と鑑賞、住職の説明や先生の解説で素晴らしさが浮き彫りになった。
 三度目の今回、先生の指導で作った聖観音の頃を思い出しながら細部をじっくり鑑賞した。高さ194cmの均整のとれた体躯と凛とした顔立ちが素晴らしい。像の前に立つとわずかに腰をひねってこちらに歩み出しそうな動的な動きに圧倒されそうになる。仏に性はないが、観音は総じて女性をイメージして作られていると思う。この仏は胸から腰、両足に官能的なものを感じるが、それが程良く表現され、観音の威厳を保っているのが良い。
 仲間たちも満足してくれたようでほっとしている。この観音をまた観に来たいし、まだ対面していない道明寺の十一面観音に近々会いに行きたいと思っている。
比叡山第8首(八一) 2011・12・1(木)
 下山の途中に
   くだり ゆく たに の さぎり と まがふ まで 
           まつ の こずゑ に しろき みづうみ    解説
       (下りゆく谷のさ霧とまがふまで松の梢に白き湖)
inserted by FC2 system