8月猛暑 2010・8・31(火)
 話題にするだけでも嫌になる暑さだが、熱帯夜は東京・大手町で47日目、名古屋は39日目になったと報じられている。熱中症で病院などに運ばれた人は、ここ3か月で4万6728人に達した。
 例年、強い冷房や日焼けから逃れるために長袖を着用してきたが、今年はほとんど半そでシャツだった。それでもクーラー無しでは汗だらけになる。ダイエットして、骨と皮しか無いようなSUでそうだから、太っている人は大変だろうと思う。
 ともあれ、熱中症にならなかっただけでもありがたい。しかし、もううんざり、早く涼しい秋になってくれと叫ぶ、8月の終わりに!

出光美術館 2010・8・30(月)
 三井美術館から出光美術館に行く。開催中の「日本美術のヴィーナス ―浮世絵と近代美人画―」の浮世絵と上村松園の美人画が見たかったからだ。仏像、とりわけ観音の顔を日本の美人(画)との関連で考えてみたいと思っている。もちろん、仏に性別はないので観音も女性ではない。しかし、女性的な美しい顔が観音には似合うと思っている。
 別に陶片室があり、陶片がジャンル別に整理・展示されていた。最近陶磁器に関心があるので、各地の窯跡から陶片を発掘している情景を思ったりして楽しんだ。
 ただ、美術品を一度に沢山見るのは疲れるし、鑑賞の集中力が落ちる。友人Yが予定した次をキャンセルし、美術館の眺めのいい展望ロビーに座って、日比谷公園や皇居を見下ろしながら帰路につくまで長時間話していた。美術鑑賞なのか会話なのか、東京日帰りを終えた。

当てこすり 2010・8・29(日)
 ● 当てこすり   −つれあいにモノ申すー(2010・8・18)より
  出勤する夫が、家の猫に向かって言った。「今日も休みか」「毎日、お休みでいいな」。
 二度も三度も。それって、私への当てこすり!(365日休みなしの主婦・62歳)


 我が家の“くらら”は固形のドッグフードをなかなか食べない。連れ合いがすぐに美味しいお菓子や食卓のものを与えるからだ。夕食を与えるSUはドッグフードを食べさすのに一苦労する。「ドッグフードは栄養のバランスが取れている。お腹が空いたらなんでも食べられる」と“くらら”に向かって叫ぶが、もちろん連れ合いに言っている。

茶室「如庵」と八一の歌 2010・8・28(土)
 三井美術館内には国宝・茶室「如庵」が再現され、普段は茶道具を展示している。「如庵」は織田有楽斎(織田信長の実弟)が京都・建仁寺境内に建てた茶室で、現在は犬山市に移築されている。
 再現された茶室に八一の世界が作られていた。見事な書「学規」は眼前に、奥には歌書「みほとけの」の軸が掛かり、手前に貴重な初版本・南京新唱など歌集が並べられている。仏と八一の作品に囲まれて至福の時を過ごした。
    病閨@(14首)   
       みほとけ の あまねき みて の ひとつ さへ  
                    わが まくらべ に たれさせ たまへ

          (み仏のあまねきみ手の一つさへわが枕辺にたれさせ給へ )  八一

三井と真如堂 2010・8・27(金)
 7月に京都の真如堂を訪ねた時、ここは三井家の菩提寺だと聞いたが、三井は伊勢から江戸に出た越後屋が始まりだと思っていたので奇異な感がしていた。三井記念美術館から帰って調べると「真如堂は、三井家のプライベートな菩提寺であると同時に、全三井の菩提寺として存在していました。・・・(984年創建後)幾多の火事によって本堂焼失を繰り返し、元禄6年(1693)、10年の歳月をかけて現在地に再建されたのでした。さて、三井家との関係はこの頃からです。ちょうど再建されつつあった真如堂本堂に、三井高利(家祖)が参詣し、お付きの人々に、自分の墓所は真如堂にしたいという希望を述べた・・・」(三井広報委員会)
 三井家の先祖は関白太政大臣・藤原道長の時代にさかのぼるようだが、1673年に伊勢から江戸に出て越後屋三井呉服店(三越)を創業した三井高利がこの寺を菩提寺にしたのだ。
 訪れた寺と三井の不思議な縁に感心している。

三井記念美術館 2010・8・26(木)
 「奈良の古寺と仏像」を開催する三井記念美術館は日本橋の三井本館にあった。本館は三井高利(家祖)が伊勢から江戸に出て、1673年越後屋三井呉服店(三越)を創業した場所だ。三井財閥が集中するこの八重洲・日本橋を「三井王国」と呼ぶだけあって本館周辺は大勢の人が行きかう。
 三井家の収集した美術品(国宝 志野茶碗 銘卯花墻など)を集合し、平成17年10月開設したこの美術館の展示場は、大きくはないが静かで落ち着いた雰囲気を保っている。開場を待って入館し、音声ガイドを聞きながらまわったが、あっという間に時間が過ぎた。在京の友人Yと近くにある奈良まほろば館を見学後、昼食にした。

夜行列車 2010・8・25(水)
 1960年代後半、新幹線は開業していたが、四日市から東京へ夜行列車をよく使った。国鉄四日市駅(現JR)を午後11時に乗って東京駅に5時頃に着いたから6時間ぐらいかかった。5時はまだ早いので駅内にある公衆浴場に入って時間を使い、その後目的地に向かった。
 昨日は東京を日帰りした。近鉄四日市駅から東京まで新幹線を使って2時間半、友人と美術館を回り、たっぷりと積もる話をして、午後8時には四日市に帰っていた。早くなり便利になったが、乗り越しをしないかが心配だった。亡父は名古屋を通過して京都でUターンしたり、四日市で降りずに津まで行ったりしていた。
 夜行列車は寝ていても必ず東京駅で車掌さんが起こしてくれた。懐かしい思い出である。

ネット・バカ 2010・8・23(月)         注 明日は都合により独り言を休みます
 ニコラス・G・カーの書いた「ネット・バカ」の書評を養老孟司が昨日の新聞に書いている。書の内容は 1 著者のネット履歴 2 脳の可塑性 3と4 文字と本が人に与えた影響 5 ネットと印刷物との関係 6 ネットによって本がどう変化するか? 7 ネットによる脳の変化 8 グーグルの考え システムの効率が第一 9 人間の記憶とコンピュータに蓄積されたデータは違う 10 結論 ソフトウエアが賢くなれば、ユーザーはバカになる。
 楽しそうな本なので読んでみたいと思っている。著者が言う『ネットを常用していると「深い読み」が出来なくなる』は的を得ている。ネットを離れて沈思黙考する必要を痛感する。

ウノと月下美人 2010・8・22(日)
 昨夜は連れ合いが友人と恒例のウノ会だった。居間は冷房が壊れているので、涼風機と扇風機を回して始めたが、途中で冷房がある和室に移ったと言う。参加者は比較的重量級なので、この暑さに冷房無しでは無理なようだ。連れ合いは予想したことなので、早くから和室に冷房を効かしていた。(細身のSU夫婦は冷房なしでも過ごせる。熱中症は怖いが!)
 和室の外の月下美人が一昨夜は一輪、昨夜は二輪咲いた。夜ととも徐々に開花していく花を眺めながらウノを楽しみ、大きく開いた花を皆がカメラに撮ってお開きになったそうだ。
 SUは例によって放し飼い、夕方になって外に放たれた。

けうとい風景(気疎い) 2010・8・21(土)
 辺見庸が中日新聞(09・11・24)の随筆で「けうとい」を「いとわしい、気味が悪い、人けがなくてさびしい、恐ろしい、不思議だ、得心できない」と説明し、そのうえで政財界の企画で行われた天皇即位20年を祝う「国民祭典」の様子をけうとい風景と言う。「本当に天皇が願っただろうか?」と書いて、現在の天皇制利用主義にうごめく世相を「けうとい」と表現する。
 天皇制を正面から否定するのでなく、婉曲的に批判する彼の真意は何処にあるのか?それは1961年に起こった嶋中事件(右翼テロ事件)以降の言論界のあやうさにある。直接的には右翼による刺殺を恐れているのだろう。また、真正面から書けば、天皇制批判を自己抑制する言論界から排除されてしまう。
 自由・平等・博愛を掲げ、民主主義と市民社会を実現したフランス革命から200年以上も経ているのに「天皇制」云々が禁句なら、こんなけうといことはない。

17基目の八一歌碑 2010・8・20(金)
 新潟で開催された 「平城遷都1300年記念 奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて」は13万余人の来場者で成功裡に終わったそうだ。会場が八一の故郷であることもさりながら、有名な中宮寺の菩薩半跏像が展示されたことが大きい。
 中宮寺の日野西光尊門跡が新潟に延べ13日滞在し、精力的に活動したことが関係者によって伝えられている。さらに、特筆すべきは門跡が八一の歌碑建立(17基目)を熱望したことだ。その熱意に応えて、800万円の建立資金の募金活動が始まった。
    中宮寺にて   
       みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
                    あさ の ひかり の ともしきろ かも

             (み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも )  八一

猛暑の休み 2010・8・19(木)
 17日の休みはとても暑かったので、外出する気にもならなかった。とりわけ小型犬「くらら」は汗をかかないので体温調節が苦手、うかつに外へは連れて行けない。太陽の直射で高温に熱せられた路面は犬には大敵である。夕方まで自宅に籠ったが、「くらら」の散歩と食料の仕入れだけは必要、考えた結果、商店街のアーケード下を散歩し買い物をすることにした。ついでに「くらら」が入れる冷房の利いた親戚の店や知人宅に立ち寄った。
 開けて18日、近くの桑名が38.5度になった。猛暑が2日続くとさすがに体調がおかしい。大人しくしていたら、嫁から「猛暑」見舞いのメールが届く。ところが、返事をする元気がない。涼しくなった夜中に「なんとか元気!」と返事した。30度を超える日はもういらない。

ことわざ・川柳にみる女の一生2 2010・8・18(水)
 最近、昔なら適齢期を過ぎたと言える男女が周りに目立つ。媒酌人・仲人の力は落ちたのかな?昔は持参金が高いほど手数料(一割)の額が多かった。
  ・仲人の七嘘  ・仲人のそら事  ・仲人の十八  ・仲人口は半分に聞け
  ・仲人の嘘と思えど見たくなり  ・仲人の舌は抜かるる覚悟なり
 持参金を狙う男のさもしさを言う。
  ・百両は消えやすいがあばたは消えず  ・笑わば笑え長持が十五棹(さお)

第3火曜日 2010・8・17(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

          しらかみに 大き楕円を 描きし子は 
                      楕円に入りて ひとり遊びす 
   河野裕子

伝教大師6(完) 2010・8・16(月)
 瑞応院の庭は「阿弥陀聖衆25菩薩来迎図(参照)」をテーマとしており、写真の中央が坐像の阿弥陀如来を表している。この来迎図はもともと比叡山にあったもので、今は高野山にあると住職夫人は憂いを持って言う。天台と真言は仲がよいわけではない。
 瑞応院訪問の目的は、先生の指示で伝教大師像を木彫りで作るための準備だった。写真からルーツをたどる中で、いろいろなものを得ることができ満足している。大師像は完成後、夫人の要望で故山田恵諦座主のお弟子さんのもとに行くことになった。

 ( 阿弥陀聖衆来迎図と言い、臨終の信者を極楽浄土へ迎えるため、阿弥陀如来と聖衆が楽器をならしながら天空から降りてくるさま。阿弥陀如来は観音・勢至菩薩の先導のもと、二十五菩薩を従えている

ことわざ・川柳にみる女の一生1 2010・8・15(日)
 1974年、井上ひさしが雑誌に書いた小文で、女性史を共同婚(団体婚)−略奪婚ー売買婚ー契約婚から見て、昔のことわざ・川柳を取り上げている。男性と女性では見方が違うだろうが、知らないものもあったので掲載する。意味は辞書やネットで調べてほしい。
 ・踊り踊るなら品よく踊れ 品のよいのを嫁にとる
 ・女は三界に家なし  ・女に定まる家なし  ・女百まで家持たず
 ・七去三従  ・男は松 女は藤  ・男子は外を言い、女は内を治むる

 これらは「女は男の財産である」という時代に作られた女性像。もっとひどいのは嫉妬を離縁の対象(七去の一つ)としたにもかかわらず、以下のような勝手な言い草もある。
 
・悋気せぬ女ははずまぬ蹴鞠(けまり)なり  ・悋気は恋の命
 ・悋気せぬ美人は苦い唐辛子  ・悋気は女の七つ道具
 小文の趣旨・本音は「男に家なし」?強くなった女性への抵抗のようである。

歌人・河野裕子を悼む 2010・8・14(土)
 突然の訃報に驚くと言うより、驚愕している。明日の毎日歌壇に撰歌原稿を送っていると聞く。彼女の情感あふれる作品群やNHK短歌、毎日歌壇で選ぶ短歌の素晴らしさにずっと感心し、現代歌人として尊敬していた。
 年齢が近い人の死は、わが身に照らしてしまうので余計に動揺する。
 各記事で歌人の紹介と代表作が紹介されているが、乳がんで亡くなった彼女の初期の代表作を掲載してお別れしたい。
          ブラウスの 中まで明るき 初夏の陽に 
                        けぶれるごとき わが乳房あり

墨はじき 2010・8・13(金)
 江戸時代、佐賀藩(鍋島藩)の藩直営の窯で製造された高級磁器・鍋島の技法に墨はじきがある。本で読んだだけではわからなかったが、十四代今泉今右衛門展(四日市近鉄百貨店)の図解でよくわかった。ろうけつ染めと同じ原理で、(最初に用いた)墨が蝋(ろう)の役目を果たして絵具をはじき、窯で焼くと今度は墨が飛ぶので下地の白が現れるというもの。
 鍋島は今泉今右衛門で復興継承されている。初めて観る十四代目の60個の作品の精緻な美しさに驚き、圧倒される。学び始めた子供と同じ目でその色絵をじっくりと見てきた。今泉家のHPに出ている作品集は全て展示してあった。

実力が足らん 2010・8・12(木)
◎足りないものは
  いつも献立に苦労し、結局は定番に落ち着く私。先日は久しぶりに料理本を見ながら、新しい煮物のレシピに挑戦した。でも、どうもいま一つ味が決まらない。そこで、味見に来た大学一年の次男に「何が足らんと思う?と聞くと、「実力が足らん」。

      (愛知県尾張旭市・その一言は余計です・49歳) “新聞・いわせてもらお”より』
 息子だから言える。連れ合いや嫁に言ったら、地獄が待っている。

日韓併合 2010・8・11(水)
 「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」(石川啄木)
 100年前、啄木が日韓併合を批判した歌が今日の中日春秋(中日新聞)余禄(毎日新聞)に載った。新聞の一面で同時に取り上げられるとは珍しい。暴力(軍事力)で他国を支配すると言う暴挙を日本は過去に行った。総理談話など待たなくても、常日頃から日本人は謙虚に反省しなくてはいけないし、そうした考えを自虐史観などと言って攻撃する人の気がしれない。日本が韓国に併合されて植民地化された状態を想像してみれば、その不幸がどんなものかわかるはずだ。
 学生時代、頭脳明晰で論理的な韓国籍の友人が、ことこの問題になると理性的に論争できなくなったことを思い出す。それほど彼らの反日感情は強かった。

臓器提供意思表示カード 2010・8・10(火)
 カードを常時携帯しているが「臓器提供に年齢制限があるのでは?」と連れ合いが言う。カード記入の2004年から何年か経っている。(社) 日本臓器移植ネットワークのホームページでは以下のように書いてある。「臓器提供者適応基準では、おおよそ心臓50歳以下、肺70歳以下、腎臓70歳以下、膵臓60歳以下、小腸60歳以下が望ましいとされています。しかし、この年齢を越えた方でも、医学的に提供が可能である場合もあります
 提供は難しい問題を含むが、人のためになればと思っていた。だが、この年齢ではほとんどが不可、寂しいことである。

伝教大師5 2010・8・9(月)
 京都の真如堂から山越えで滋賀・坂本に入る。瑞応院前に車を止めると住職夫人の出迎えがあった。安達先生が6年前に撮った伝教大師像に対面する。ネットと電話で苦労して探した甲斐があったが、住職夫人も写真を頼りにわざわざ来たことを喜んでくれた。
 京都・愛宕念仏寺の住職が(公朝が)故山田恵諦座主(第253世天台座主)にお願いし、衣と帽子を被っていただきモデルとしたと聞いています。と話したのは本当だった。「阿弥陀聖衆25菩薩来迎図」をテーマにした庭園を前にして、「顔は伝教大師だが、手足は恵諦座主そっくりです」と住職夫人は話していた。

喧噪の後 2010・8・8(日)
 孫たちは5日にみんな帰っていった。ジジババもくららも2日ほどぐったりし、睡眠を多くとって体力を回復した。元気になっていつもの暮らしに戻ったけれどなんとなく寂しいものだ。深夜に孫たちの部屋に侵入して遊んでいたくるみは、あちこち動き回っては所在無げにソファーやベットの上で居眠りしている。
 部屋を片付けると鳥取の創志の忘れものが出てきたので送ったら、今度は千葉のココロの靴が玄関から出てきた。また〜!と言いながら、カコバーが楽しそうに送る準備をしている。

鈴虫の餌 2010・8・7(土)
 孵化時期の気温が低かったので孵化から成長が遅れたが、7月の下旬に鳴き出した。今年もあちこちにプレゼントして音色を楽しんでもらっている。
 まだ鳴かない頃に渡したところから、餌をなかなか食べないと相談を受けた。その中でも友人の姪はわざわざやってきて、「餌を食べないけど、おじさんは良い餌を与えているのでは?」と言う。「10匹ぐらいの鈴虫では餌はそんなに減らないよ。雌が妊娠すると沢山食べるけどね」と返事した。こんなに心配してもらえる鈴虫たちは幸せである。
 少量の
鰹節や煮干しなどのタンパク源と水分を取るための野菜があれば十分育つ。何千匹もいるSU家では餌は沢山いるけれど。 

美女 2010・8・6(金)
 30年ほど前に刊行された文芸春秋のグラビア「日本の美女たち」の中に法華寺の十一面観音が載っている。ほとんどが人物の写真や絵であるのに仏像とは珍しい。
 今日、壁の書画を掛け替えた。「春日野(八一と健吉の合同書画集)」
  法華寺本尊十一面観音   
   ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に 
                あひ みる ごとく あかき くちびる

           (藤原の大き后をうつしみに相見るごとく赤き唇)  八一

パプリカ 2010・8・5(木)
 仏像作りの先輩を車で送ると「鈴虫の餌に」と言って家庭菜園のキュウリなどをくれた。本当はあなたが食べなさいと言うことだが「鈴虫の餌に」と言う所が快い。その中に丁寧に包んだ真っ赤なパプリカがあり、「なかなかこのように色づかない」と言う。楽しそうなので、車から降りて菜園の見学に行く。黄色いパプリカと手前のトウガラシ1個はSUが摘んだ。
 80歳を超える御夫婦は2人だけで、悠々自適の生活を500坪の土地で送っている。街で育ち、生活するSUには腰の抜けるほどの広さだ。

墓参り 2010・8・4(水)
 菩提寺の近くの先祖代々の墓に参る。孫たちにはお祭りのようなものだろうけど、けなげに手を合わせる姿を見ていると、きっと先祖や父母を大事にする子に育つだろうと思った。その後、キリスト教の墓にも参ったので、手の合わせ方が仏教とは違うとママが教えていた。
 本家に寄ると「(菩提寺に)納める阿弥陀さんはどのくらい進みましたか?」と聞かれた。「銀杏の木が乾燥していませんので、まだまだです」と返事しておいた。

アンパンマンこどもミュージアム&パーク 2010・8・3(火)
 昨日から腰の痛いSおじさんも一緒に出かける。幾分、気温が下がっていたのと多くの遊び場が冷房のある屋内なので、ジジババは助かる。入館後すぐに食事をした。皿に描いてあるキャラクターの名前を聞くとココロとまっちゃんが同時に大きな声で答えてくれた。「しょくぱんまん」や「カレーパンマン」の名を覚えた。
 しっかり遊んで、帰路の車では二人とも寝た。帰宅後、くららの散歩をしてから、夕食にお子様ランチを食べた。明日は兄夫婦が合流して墓参りをする。ジジババの体力は持ちこたえられるだろうか??
ジャンボ海水プール 2010・8・2(月)
 創志のお父さんが鳥取からやってきたので、長島温泉のジャンボ海水プールへ。ココロとまっちゃんを最近できた子供(幼児)専用プール・スパキッズに当初から連れていくつもりだった。しかしスパキッズはすぐにやめて、ジャンボ海水プールの方へ移り、浮き輪をつけて遊んだそうだ。成長したものだ。
 疲れが出て行かなかったSUを除いた9人が夕方には戻り、夜は花火を楽しんだ。ただ、大人たちは足が腫れたり、腰が痛くなっったりする者が出た。孫たちと遊ぶのも大変だ。
 明日、創志一家は鳥取に帰る。カコバーと2人でココロとまっちゃんを長島温泉の「アンパンマンこどもミュージアム&パーク」へ連れていく予定。ジジババの孫独占タイム??

四日市祭 2010・8・1(日)
 四日市祭りの目玉はなんといっても大入道、子供たちを大入道が演技している会場近くまで車で送った。猛暑なので年寄りは送迎だけにして自宅で休んでいた。
息子夫婦は子供たちを連れて、SUの母方の実家と諏訪神社の宮司を表敬訪問してきた。四日市駅西の市民公園で諏訪太鼓を叩かせてもらったと喜んで帰ってきて、孫たちは太鼓を打つしぐさをしたり、大入道の真似をして首を伸ばして舌を出す。ジジババにはこれが楽しい。

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