6月の終わりに 2010・6・30(水)
 ほとんど期待していなかった岡田ジャパン、「よくやった」と褒めるしかない。W杯は世界の強豪を楽しめばよいと考えていたが、彼らのお陰で楽しい時間を持てた。ちなみにビデオも入れて全試合を現在観戦中。
 今月は奈良を皮切りにあちこち出かけることができた。年とともに脳も身体も衰えていく中では、新たな物に接することはとてもいいことだと思っている。だが、感受性も乏しくなり、理解力も落ちているので、一度に多くは荷が重い。それでも時間を見つけて少しずつ、良い物を探して出かけたいと考えている。 

浴衣 2010・6・29(火)
 祭りや花火、盆踊りなどの夏の行事では、なんと言っても浴衣が似合う。相撲界は浴衣が夏の正装、浴衣姿の力士は夏の風物詩だ。名古屋場所開催でほっとしている。
 孫・ココロの浴衣姿が送られてきた。様子をするおませな写真を「うんうん、いいね!」とジジババで褒める。四日市祭りにはやってきて、浴衣姿で楽しむだろう。待ち遠しい。

弁財天像(円空展) 2010・6・28(月)
 特別展ポスターに使われ、博物館の入り口の看板にもあった弁財天だが、荒々しく彫りの深い大きな不動明王や毘沙門天に見入っていて見逃した。再度館内を回って見つけたが、像高6.8cmの小像だったのだ。小さいのに細部まで彫り込まれており、顔が実にいい。
 弁財天は元はヒンズー教の女神だったが、仏教や神道に取りこまれて、仏教の守護神や七福神の1つになっている。この像は額に鳥居を頂いているので、神社の神様かと思うが、解説によると仏教でも鳥居は使われているそうだ。
 ともあれ、円空仏の中では珍しい形をしており、何よりも可愛らしい。

円空展(一宮市美術館) 2010・6・27(日)
 「阿弥陀さまと観音さまのお顔には本当にひきこまれました」知人の言葉に導かれて円空展へ。各地の代表的な円空仏の写真が並ぶ廊下の先に、1m弱の観音菩薩立像が迎えてくれた。ここが展示場の入り口である。柔和な微笑みは何とも言えない。各地を旅した円空は、お世話になった人の顔を彫り込んだといわれる。この観音菩薩のモデルになった人も優しい方だったんでしょう」(伊藤一宮市美術館学芸員)
 この仏を安達先生は新円空・観音菩薩として彫った。 安達観音は優しい夫人の顔である。

スカパー 2010・6・26(土)
 放映していない試合が見たいW杯観戦に埋没しているユウスケが言う。「確かスカパーは全64試合放送だよ」(SU)「どこかでスカパーないかな?」(ユ)・・・・・・「あっ!自宅にはスカパーはある。でも、無料番組だけでW杯は購入していない」(S)
 ところがW杯はスカパー契約さえしていたら無料番組ということがわかった。それ以来、韓国戦、スペイン戦・・・・・とDVDに録画してはユウスケに手渡している。彼は先日の日本対デンマーク戦を、市内のスポーツパブで朝まで友人と応援した。

V字回復?? 2010・6・25(金)
 サッカー日本決勝進出おめでとう!まさか3点も入れるとは思っていなかった。試合開始(3時半)まで1時間半、軽いストレッチをし、軽食を取りながら新聞や本を読む。いよいよと思ってテレビをつけ、録画した別の番組を見ていたら、眠ってしまった。はっと気がつくと開始から7分たっている。17分本田の得点から脳が覚醒し、前半を食い入るように見る。後半はうつらうつらしながら音だけで聞き、勝利を聞いて寝た。W杯前の不評から岡田ジャパンは評価も関心もV字回復した。勝負事は勝ってナンボのものなのだ。
 小鳩を排除して菅民主党は支持率をV字回復させた。これは選挙に勝ったり、難事を見事に解決しての結果ではない。挙句に消費税アップなど旧来の自民党と紛うような政策を行おうとしている。衆院選でのマニフェストは詐欺?騙すのもいけないが、支持するほうも情けない。

平山郁夫−平和の祈り− 2010・6・24(木)
 佐川美術館では昨年12月に亡くなった平山郁夫の追悼展を開催中。有名な薬師寺壁画を描きなおした「大唐西域画」と同時に「平和の祈り−サラエボ戦跡−」が展示されている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で荒廃したサラエボの街を背景に、決してくじけていない子供たちが描かれている。シルクロードや奈良の穏やかな絵になれた目には、この戦禍の絵は一瞬違和感を持って目に飛び込んでくる。しかし、原爆被災者である彼の平和への強い願いが見る者を圧倒する。戦禍のサラエボは広島の姿と重なってくるのだ。

サッカーW杯と相撲 2010・6・23(水)
 日本がカメルーンに勝ち、にわかに岡田ジャパンの評価が変わった。サッカー関係者及び関連業界はほっとしているだろう。25日深夜3時半デンマーク戦はどれほどの人が見るのだろうかな?韓国の決勝進出は良かった。内紛によるフランスの敗退は情けないが、北朝鮮の大敗は気の毒である。力の差が出てしまった。
 大相撲の野球賭博問題は、連日マスコミが大々的に報道し、名古屋場所開催が危ぶまれるようになった。法律で禁止された賭博はいけないが、公営賭博が認められ、個人的な賭けごとが庶民の楽しみとして行われている現状で、どういう解決が出てくるのだろう?ただ、報道関係者にも賭博が深く浸透している中で、マスコミが正義のような報道は頂けない。

楽焼 2010・6・22(火)
 佐川美術館には楽家15代吉左衞門が手掛け、彼の作品のためのみに趣向を凝らした館がある。亡母が使っていた普通の黒楽焼のイメージを一蹴するほどの斬新な作品が、淡い照明の中に異彩を放っている。明るい所で手にとって鑑賞したいという思いにかられる。これからもう少しいろいろな茶碗を見てみたいと考えた。
 楽焼は桃山時代に元瓦職人の楽長次郎が、千利休の知遇を得て始めたもので、轆轤(ろくろ)を使わない手捏(てづく)ねという手法で作られている。
 母が持っていた茶碗の本(1962年)には、13代目までの紹介しかなかった。15代目は1981年に襲名している。

硅灰石 2010・6・21(月)
 石山寺は巨大な硅灰石の上に建っており、本堂向って右の巨石の上に多宝塔が見える景色は素晴らしい。硅灰石を初めて見たが、解説によると石
灰岩に花崗岩などのマグマが貫入してきた際、その接触部が変質したものだそうだ。この石山寺硅灰石は天然記念物に指定されている。寺の名はこの硅灰石に由来する。
 
本堂に本尊・如意輪観音を安置しているが、雨の中の新緑の美しさが際立っていた。

牛玉(ごおう)さん 2010・6・20(日)
 石山寺の門前に牛玉さんと書いてある。とても「ごおう」とは読めないが、観音の縁日に当たる毎月18日に開かれる門前市のことのようだ。雨だったので、昼前にほとんどの店が店じまいを始めていた。
 石山寺の木々の新緑は、雨にぬれて瑞々しさを際立させていた。この寺は紫式部が瀬田川に映る十五夜の月を愛でながら、源氏物語の須磨・明石の構想を練ったと言われる。5月の宇治訪問から6月の大津の石山寺へと源氏物語を追う形になった。

南アW杯、日本残念! 2010・6・19(土)
 日本はオランダに0−1で負け、勝ち点3(1勝1敗)になった。前半は仕事中で見れなかった。後半はゆっくり見れたけど残念な結果になった。せめて引き分けをと思うけどそうは甘くない。格上オランダは強かった。
 日本がカメルーンに勝って、にわかにサッカー観戦者が増えた。「試合開始前には帰らねば」「今からサッカーだぞ〜〜!」と叫んで帰っていった顧客は、日頃はプロ野球ファンでサッカーなんてと言っている面々だった。とはいえ、サッカー界にとっては観戦者やファンが増えることはいいこと、そのためには勝つことしかないようだ。24日デンマーク戦の勝敗は?

兜跋(とばつ)毘沙門天 2010・6・18(金)
 四天王の中の北方の護法神である多聞天は、独尊では毘沙門天と呼ばれる。特徴は甲冑を着て、手に宝塔を持っていること。毘沙門天のなかでも西域兜跋国に写真のような姿で現れたのが兜跋毘沙門天で、地天女と二鬼の上に立っている。本の図解(手書き)で見たばかりのこの天女と邪鬼の実物を、石山寺で今日見ることができて良かった。
 四天王は「じぞうこうた(地蔵買うた)“持国天 増長天 広目天 多聞天”」と覚えると良いが、守護する方位は東南西北で、麻雀での順番トンナンシャーペイと記憶しておくと良い。

あつ〜〜い! 2010・6・17(木)
 「くらら」は涼しい風が通るところを探して室内をうろうろ、挙句に伸び切ったうなぎのような格好をして寝ている。出がけにアイスノンを置いたら、奪うようにして枕にしていた。
 夕方、ハハと散歩から帰った「くらら」はゼイゼイ、夕食後も冷蔵庫を眺めてアイスノンを要求する。遂に寝室のクーラーをオンにした。
 2階のSUの部屋のエアコンは冬に動かなくなった。ここでノミとツチを使ったら、汗だくで地獄になりそう。電気屋さんを呼ばなくては!

「くらら」の休日 2010・6・16(水)
 昨日、午前中は雨が降っていなかったのでチチを無理やり起こして、桑名の九華公園に菖蒲を見に行った。「くらら」は私たち二人くるみ・うららのことだよ。アヒルやカモを眺めて公園を一周し、揖斐川を眺めていたら、雨が降り出したので、柿安の美味しいお弁当を車の中でチチハハと一緒に食べた。帰りにはドッグフードやお菓子を買ってもらった。休みは楽しいな!

第3火曜日 2010・6・15(火)
             
         今日は定休日、独り言も御休み。

        ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜       桂 信子

オイ、バアさん 2010・6・14(月)
 ●呼び名     (つれあいにモノ申す)
 二人暮らしなのに「オイ、バアさん」と話し掛けるのはやめて。あんたのバアさんは私じゃないの。言っていいのは、孫が遊びに来たときだけよ。(ジイさんの妻・63歳)
 我が家も二人暮らしだが「バアさん」などと呼んだら追い出されそう。それでも亭主関白志向が強いから「オイ!」と呼ぶのは許してもらっている。
 孫がいるときは「スージ」「カコバー」と皆が呼ぶことになっているが、いざ孫の前では「ジージがね、・・・・」と自ら話し掛けているから、やはり「ジイさん」は隠せない。

罰について(4) 2010・6・13(日)
 綽空(しゃくくう 親鸞)はこう考える。    (五木寛之著 親鸞より)
そもそも悪人とても救われる、という教えと、悪人こそ救われるのだ、という説のきわどい境目をどう人に説くのか。・・・・
 殺生(せっしょう)、ということ一つをとってみても、人はほかの命を食することで生きている。 肉食(にくじき)をさけることはよい。しかし、稲(いね)や麦に命はないのか。草にも、木にも、仏性(ぶっしょう)があると比叡山(ひえいざん)でも教えているではないか。
 牛にも、魚にも、鳥にも、そして粟(あわ)や稗(ひえ)にも命があり、生きる本能がある。すべての命が平等だとすれば、わたしはそれを犯して生きざるをえない悪人ではないか。

 親鸞の善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をやは長老・ゾシマの罪人を愛することは神の愛であり、愛の究極である」と相通じるところがある。

明日香 2010・6・12(土)
 飛鳥資料館でキトラ古墳の有名な四神壁画が壁からはがされた状態で展示されているのを見た。石棺の模型が大変うまく作られていて、発見された当時の状況がよくわかる。この古墳は7世紀末から8世紀初め頃のものと思われるが、誰が埋葬者かを考えながら、古代を思うと楽しくなる。高松塚古墳の壁画と並ぶこの彩色の壁画は、渡来人の影響が色濃くあるとはいえ、日本で初めて絵画的な絵が登場した象徴的なもので、今回、目の当たりに見ることができ、いまだに感動の余韻が残っている。飛鳥資料館に近い石舞台も見学して帰路に着いた。

ワールドカップ開幕 2010・6・11(金)
 夜11時、9万人で埋め尽くされたスタジアムで南アフリカ・メキシコ戦が始まった。南アフリカは世界ランク83位だが、開幕前12戦負けなし、自国の熱狂的なファンの期待と応援を背にして戦っている。格上メキシコ(17位)との戦いは興味深い。
 日本(45位)は直前の試合で結果を出せず、戦術も定まらないようで、期待度が著しく下がっている。4年前のあの「日本チャチャチャ!」の興奮が感じられない。14日カメルーン(19位)戦はどうなるのかな?
 我が家のユウスケはすでに日本を見限り、トップレベルのスペインやブラジルのハイレベルな戦いを名古屋のサッカーカフェで楽しみたいと言っている。

四神(しじん)壁画 2010・6・10(木)
 平城宮跡に再現された大極殿の内壁には、日本画家・上村淳之(あつし)による四神と十二支の動物が描かれている。四神とは天の四方をつかさどる神で、東の青竜(せいりょう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)のこと。今回はこの現代の四神とキトラ古墳壁画の四神を同時に見ることができた。
 上村淳之は美人画で有名な上村松園の孫、松伯美術館では現在「うつくしの屏風で味わう三代」を開催している。この展覧会も見たいものだ。

長距離 2010・6・9(水)
 友人Yは埼玉から400Km以上走り、朝7時半SUの自宅に来た。奈良から夕方戻って四日市の実家により、そのまま静岡の息子宅に走って行った。定年退職して時間があると言っても、そのパワフルさには感心する。
 彼は高校時代からの写真マニア、その当時、高価な一眼レフカメラを使っていた。今回持っていたのは最近買ったというカメラ一式、相当高かったようだ。大極殿前の広場で、広角レンズでの映像の違いを見せてもらったり、写真のアングルや背景の選び方を教わった。雲を背景に大極殿を撮ってみたが、そう簡単に良い写真とはならない。

平城京跡から明日香 2010・6・8(火)
 埼玉、一宮、蟹江から近鉄四日市駅集合、7時50分出発。奈良1名と平城京跡で合流。

罰について(3) 2010・6・7(月)
 表題から逸れるが、「地球(物質)が人類を産み落とした」と書いたのでそのことに触れる。唯物論と言うのは、物質を根本的実在とし、精神や意識を物質に還元してとらえる考えで、その観点から歴史の原動力は人間の意識・観念ではなく、社会の物質的な生産にあるとする。唯物論とへーゲル弁証法から考えだされたマルクスの唯物史観については煩雑になるので説明を省略する。人間の意識・観念は経済を中心にした下部構造に規定されると考えるので、意識・観念の影響を考慮してもすべては下部構造が歴史を動かしてきた。
 神(観念的なもの)による人間の創造を認めないなら、人間も地球も宇宙も物質なので、長い歴史の中で「地球が人類を産み落とした」と言える。しかし、唯物論哲学に造詣の深かった先輩が、「物質の(自己)運動によって歴史は動いたのは確かだけど、宇宙の始まり(ビックバン)のその前は??神が想定されうる」と言っていたのは印象深い。

ランチ 2010・6・6(日)
 兄が同窓会でやってきて我が家に一泊したので、翌日久しぶりに兄と義兄と3人で昼ご飯を食べた。日曜なので人気の店は席待ちになっていた。以前に連れ合いに聞いていた店の和食のランチを食べることにした。
 オリジナルランチ、とんかつランチ、寿司ランチを食べながら、話題は政権のこと、菅、鳩山、小沢、蓮舫の名が飛び交う。スポーツの話は、低迷するサッカーは全く話題にならない。兄二人は巨人ファンなので、連勝にニコニコしてプロ野球の話をしていた。
 この和食屋のランチはいろいろ難点があった。帰って連れ合いにその話をしたら、「あの店まだあったの?」とのたまう。

鈴虫松虫 2010・6・5(土)
 「・・・鈴虫の声の限りをつくしても」(源氏・桐壷)、この場合は松虫のことをさす。古くはスズムシのことを「マツムシ」、マツムシのことを「スズムシ」と呼んでいた。紛らわしいが、唱歌「あれマツムシが鳴いているチンチロ チンチロ チンチロリン・・・・あれスズムシも鳴きだした リンリン リンリン リーンリン」の鳴き声は正しいのかな?
 昨日、鈴虫が孵化した。涼しかったので例年より一週間ほど遅い。

罰について(2) 2010・6・4(金)
 長老・ゾシマは「罪人を愛することは神の愛であり、愛の究極である。(全能でない)人間が神の愛を実践できれば、世界を全世界的な愛で、まるごと愛せるようになると言う。
 SUは無宗教で唯物論なので、神がアダムを作ったとは思わない。あえて言えば地球(物質)が人類を産み落としたと思っている。しかし、人間は有限(いつかは死ぬ)で能力に限界があるから、この世のことをいろいろ考えると、(死のない)無限で全知全能の絶対者=神を想定することにやぶさかではない。
 「人とは壊れた神のことである。誰がそういったのだったか、考えていた」「いや、人とは堕落した神のことである、だったか」「人とは狂った神のことかどうか」(「水の透視画法」辺見庸)この言葉は神と人との関係をよくあらわしている。
 無神論者であっても、いろいろな神や仏の語る言葉には謙虚に耳を傾ける方がいい。

木喰上人自刻像 2010・6・3(木)
 3月の仏像展示コーナーで、参加者に一彫りずつノミを入れてもらった木喰上人自刻像がやっと完成した。この像はSU家のOさんの家に置かれる。
 木喰
はあまり知られていないので、下記のような案内を作った。
木喰は江戸時代後期、日本全国を行脚して、各地でさまざまな仏を彫り続けた仏師。生涯に12万体の仏像を彫ったと伝えられる有名な円空の1世紀後に活躍した。1718年、甲斐国(現在の山梨県)の山村に生まれ、22歳で出家し、56歳のとき諸国巡礼の旅に出て、その後60歳を過ぎてから仏像作りを始める。北海道から九州、四国、佐渡島を行脚し、生涯に1000体を超える像を遺した。木喰による仏は、従来の仏教彫刻の様式にとらわれない独創的な作風で、それらのなかには口元にかすかな笑みを浮かべたものが多いことから、『微笑仏(みしょうぶつ)』と呼ばれて、広く庶民の信仰を受けてきた

罰について(1) 2010・6・2(水)
「兄弟たちよ、人々の罪を恐れてはいけない。罪のある人間を愛しなさい。なぜならそれは神の愛の似姿であり、この地上における愛の究極だからだ。神が創られたすべてのものを愛しなさい。その全体も、一粒一粒の砂も。葉の一枚一枚、神の光の一筋一筋を愛しなさい。動物を愛しなさい。植物を愛しなさい。あらゆる物を愛しなさい。あらゆる物を愛すれば、それらの物のなかに、神の秘密を知ることができるだろう。いつかその秘密を知ることができたら、そのときには、日々たゆみなく、ますます深くその秘密を認識するようになるだろう。そしてついに、全世界を全世界的な愛で、まるごと愛するようになるだろう」
        修道院の長老・ゾシマの言葉より (カラマーゾフの兄弟 第2部第6編)

水無月 2010・6・1(火)
 6月・水無月を辞書はこう言う。
初夏から仲夏の季にあたり、中旬には梅雨入り、下旬には一年中でもっとも昼の長い日、夏至がくる。田植時で、麦の色づく麦秋の季節でもあって、農家ではもっとも多忙な月である
 庭ではガクアジサイとカシワバアジサイが咲き始め、百合も蕾を持ち始めた。夏に向けて花々も代わっていく。三滝通りのタチアオイがもうじき咲くだろう。

   人閧フかうべの上によぢのぼりひらかむとするたちあふひのはな  葛原妙子


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