4月の終わりに 2010・4・30(金)
 今日も暖房(営業所)がいるほどの異常な気候の4月だ。気候の変動の激しさにもめげず、花たちは面倒を見てやれば美しく咲いて我家を取り巻いてくれる。冬のパンジーなども残り、桜、ハナミズキ、牡丹と続くこの季節が一番美しく、「いつも楽しませてもらっています」と近所の人からも声をかけられる。
 花はあでやかだが、諸々が重なって気分はすっきりしない4月だった。独り言はなんとか続けているが、これも事柄が無いと継続に苦労する。そんな4月だった。

 お知らせ 「平城遷都1300年記念 奈良の古寺と仏像展 會津八一のうたにのせて」に中宮寺の
        国宝・菩薩半跏像が出展されるのは新潟会場だけで東京と奈良の会場には出展されない。

白いテッセン 2010・4・29(木)
 白のテッセンがいつの間にかフェンスの左右に広がって一面に咲いている。新しい苗を毎年追加しているが、ほとんど紫のものを選び、最近は白を買っていない。白の蔓はぐいぐい伸びる。強くて早咲きかな?
 去年亡くなった人の仏前にと近所の娘さんに数本渡し、我家のためにも切った。毎年あちこち切り花にして配るが、当分は白だけになる。

号泣が山を枯らすほどの悲嘆 2010・4・28(水)
 香薬師が盗まれて僧の嘆きが高円山を枯らすほどだと八一は詠う。須佐之男命の故事からの連想だと言う。手がけてきた香薬師像(木像)が完成し、八一の香薬師の歌の解説も完了した。
  三月二十八日報あり・・・(第5首)  「山光集・香薬師」  
       (三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝観するに香薬師像
       のたちまち何者にか盗み去られて今はすでにおはしまさずといふ
       を聞きて詠める)
    かどのへ の たかまどやま を かれやま と 
               そう は なげかむ こゑ の かぎり を

             (門の辺の高円山を枯れ山と僧は嘆かむ声の限りを)  解説

忘れそうになっていたもの 2010・4・27(火)
 「土門拳の見た日本人」(パラミタミュージアム)に出かけた。「絶対非演出の絶対スナップ」を唱えた凄腕の写真家である。「いい写真というものは、写したのではなく、写ったのである。計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る。ぼくはそれを鬼が手伝った写真と言っている」と言う案内掲示に心ひかれた。
 終戦前後に撮影された「こどもたち」、特に「江東のこども」(1953年)はSUの時代と重なる。ベーゴマ、おしくらまんじゅう、泣く子などは懐かしい。体制翼賛的な写真も撮った戦中から転換し、戦後は現実に肉薄し日本の社会と日本人を鋭く映しだした。悲惨な広島に衝撃を受けて撮った写真も新しい分野である。
 写真展の中で、貧しかったけれど生き生きしていたあの時代を思いだした。何をどうとは言い表せないが、今の自分や社会が忘れかけていたものである。

月曜日のミュージアム 2010・4・26(月)
 博物館、美術館は月曜日が休館のところが多い。パラミタミュージアムは年中無休だが、月曜日は来館者が少ない。
 館内のパラミタガーデン(1200坪)は人一人無く、静寂そのものである。木陰には春の山野草があちこちに静かにひっそりと咲いている。シャガが沢山咲き、少し大きめの白いヤマシャクヤクがよく目立つ。一風変わった初めてみる花が8本ほど並んでいる。名はユキモチソウ(写真)だった。庭を出たところに24日作成の花紹介のカラーチラシがあって、エビネ、ヤマシャクヤク、ユキモチソウ、ウラシマソウ、エンコウソウ、ハルノタムラソウ、キリマンジャロツツジ、ハルリンドウ、ヤマブキソウ、ニリンソウ、ユキツバキが載っている。派手ではない清楚な山野草はこのミュージアムに似合っている。

ハナミズキ 2010・4・25(日)
 周知のようにこの花はアメリカに桜の苗木を送った3年後に返礼として送られてきたのが始まり、それは1915年のことだった。植木市で買った1mぐらいのハナミズキの苗を我家に植えたのは1980年の半ばだった。
 数年前、幹の先端を切ったからか、花は色づくが花びらが開かなかったりよじれたりするようになった。心配していろいろ試みたが改善されず、毎年この時期に祈るような気持ちで開花を待つようになっていた。そして今年、見事に花が復活した。立て替えた家と同じ年月を過ごしてきた花の復活は我家のビッグニュース、とても嬉しいことだ。

おきりさん(人その1) 2010・4・24(土)
 亡父は空襲を逃れて身重の母をリヤカーに乗せて、四日市から出身地の菰野町に疎開した。そこで兄が生まれる。SUは次男として同じ所で生まれるが、2人の赤ん坊を取り上げたのが「おきりさん」と言う産婆さんだった。何度も何度も聞かされた名前で、後に会ったこともあるようだが、その容姿は浮かんでこない。だが、この世に連れ出してくれた人と言うことで忘れられない名前である。
 今後、折々に出会った人のことを書いてみたい。
 ところで一説によるとSUの誕生は蚕小屋だったという。もし本当なら、キリストの馬小屋に比して嬉しいとずっと思ってきた。

お姉ちゃんを盗られた? 2010・4・23(金)
 孫・まっちゃんは毎日泣いているようだ。仲良く喧嘩していた??ココロお姉ちゃんを幼稚園に盗られたからか?1人が寂しいのか?いろいろ考えられるけど、本当は自分も幼稚園に行きたいからのようだ。
 お姉ちゃんは幼稚園通いでお疲れのようで、夕食後に直ぐに寝入ってしまう。電話中に声が小さくなるともう睡眠手前のようだ。
 昨日から兜などを飾ったと言うメールが届いた。機嫌良く端午の節句を迎えるといいのだが。

平城遷都1300年祭 2010・4・22(木)
 いよいよ24日から平城宮跡で始まる。皇太子が奈良に来て23日の大極殿での式典に出る。内覧会で平城宮跡を訪れた奈良の鹿鳴人がブログで書いている。この紹介ブログはとても丁寧かつアドバイスに富み価値あるものと思う。ぜひ一読して今年は奈良を訪れて下さい。
     ブログ「鹿鳴人のつぶやき」  いよいよ平城遷都1300年祭 (4月22日)
 会津八一が以下に詠んだ大極芝の上に大極殿が再建された。感慨深いものがある。
     平城京址の大極芝にて
       はたなか の かれたる しば に たつ ひと の 
                    うごく とも なし もの もふ らし も
      八一


隠元の額

十八大羅漢
黄檗山萬福寺 2010・4・21(水)  
 雨の降る平日の午後、ほとんど参詣する人のいない黄檗山(おうばくざん)萬福寺を訪ねる。整然とした寺宇と庭園が禅宗の寺らしい。黄檗三筆(隠元、木庵、即非)で名高く、随所に聯(れん)と額があるこの寺を八一が詠んでいる。
 二十四日奈良を出で宇治平等院黄檗山万福寺を礼す
  わうばく に のぼり いたれば まず うれし もくあん の れん いんげん の がく
           (黄檗にのぼり至ればまづうれし木庵の聯隠元の額)
  しやかむに を めぐる 十八 だいらかん おのも おのも に あき しづか なり
           (釈迦牟尼をめぐる十八大羅漢おのもおのもに秋静かなり)
                ( 聯は相対して柱や壁にかけて飾りとする細長い書画の板)

第3火曜日  2010・4・20(火)
             
         今日は定休日、独り言も御休み。

     はかなくて 過ぎにしかたを 数ふれば 
                 花に物思ふ 春ぞ経にける     
式子内親王

能面展 2010・4・19(月)
 三重刻友会の安田さんは能面も彫る。彼が出品する能面会を去年に続いて観てきた。能面は「延命冠者」「
髭景清」、細工物は「根付」帯留」「ループタイ」が展示されていた。細工物はしゃれていて楽しい。能面をヒノキの一枚板から掘り上げる制作の工程、工夫するところなどを聞く。坪内逍遥記念演劇博物館で見た古ぼけた能面の話をしたら、その古風、古色がいいのだと言っていた。

ココロの入園式 2010・4・18(日)
 孫の成長は早い、12日はココロの幼稚園入園式だった。チチハハオトウト
も一緒に出かけた。式の前にカコバーに電話で「おとなしく参加するのよ」と言われていたけど、どうだったのかな?式後、嬉しくて仕方が無いと言う大声で「うさぎ組だよ!」とスージに叫んでいた。
 ジジ化?ジジ度?は満4年になる。


大極殿
平城宮跡 2010・4・17(土)
  平城遷都1300年祭の平城京跡会場は4月24日にオープンする。

朱雀門
   モデルと
    大極殿

昨日16日は報道向けの内覧会だった。報道に混じっていろいろな催しを見学しながら広い会場を回った。8年前に訪れた時とは様相が一変していた。新たにオープンする見事な第一次大極殿を中心に素晴らしい会場が出来上がっている。 会場には駐車場が無いので公共交通がよい。最寄りの駅から無料シャトルバスがある

VICS(ビックス) 2010・4・16(金)
 渋滞、事故、交通規制などの情報を得ることができるVICSのアンテナをフロントガラスに貼り、配線をしてポータブルナビを車にセットした。配線は車の内壁を剥がして通すので、車のディーラーに質問しながら時間をかけて慎重に行う。ナビを買ってから、設置と取り扱いの学習に半月もかかってしまった。
 今日の夕方、初めて渋滞情報が入った。「3キ先渋滞」と音声と地図表示、渋滞が1号線だったのでバイパスになる23号線に入り無事帰宅した。
 

花冷え?? 2010・4・15(木)
 桜の季節が終わりそうなのにこの寒さ、花冷えどころではない。北極の寒気が放出と蓄積を繰り返す「北極振動」による寒暖の激しい入れ替わりが原因らしいが、季節を追って生き、成長するものにはとても迷惑だ。
 今日の筍掘り、意外に頭を出していなかった。名人が次から次へと見つけて掘りだしたが、今年は寒さのために丈が短いそうだ。寒さの影響で野菜は高値になっている。家庭菜園をする知人は野菜の芽が伸びなかったり、玉ねぎなどの結球が出来にくいと言う。そのほか梅などの結実にも影響が出ているようだ。我家のテッセンの蔓も激しい寒暖の入れ替わりで伸びたり止まったり、誘引をしない日が多い。鈴虫もこの寒さでは当分土中から出られまい。

強風 2010・4・14(水)
 今年初めてのゴルフに出かけた。寒さと強風で前半9ホールは震えていた。プレーは迷惑をかけない限り基本ルールを無視していいというSURUMEルール。練習なしのぶっつけ本番で回ったがそうは甘くない。大たたきして残ったものは心身共の疲れだった。
 


「碍」 2010・4・13(火)
 常用漢字1945字(1981年)が30年ぶりに5字減、196字増で2136文字になる。ニュースでは障碍(しょうがい)の「碍」が入らなかったことを報じている。障害の「害」がなにか悪いことのように読めるので、関係者が「碍」を強く求めていた。現実に政府が「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山首相)などとひらがなを使っているのなら、「碍」も「害」も認めればよいのにと思う。
 ずいぶん前の事だが、書類に書かれた「
障碍」の読みも意味もわからなかった。常用漢字に入っていないからと言訳は出来るが、その時関係者の前でとても恥ずかしかった。

京田辺の十一面観音 2010・4・12(月)
 十一面観音は観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つで、本体の顔以外に頭上に十一の顔を持つ菩薩と言うことは周知のこと。今日の日曜美術館(NHK)で、伊吹山の太平寺にある円空の十一面観音を映していた。その摸作の素空風十一面観音は友人宅に数体ある。稚拙なものだが喜んでもらってくれた。
 奈良時代の十一面観音の代表は何と言っても奈良・聖林寺の国宝だろう。その豊満で美しい像に何時も圧倒される。同時代の十一面観音(国宝)が京田辺市(京都)の観音寺にある。四日市から奈良までの車のルートをネットで調べたら、従来の名阪国道ではなく新名神を表示した。そのルートの奈良に入る手前に京田辺市はある。


               春の花
 2010・4・11(日)









         成長望む「牡丹」「くるみ草?」「ハナミズキ」


最速168.6キロ 
2010・4・10(土)
 朝日新聞によると野球投手の最速球はジョエル・ズマヤ(タイガース)が2006年に出した。そのアメリカで21歳の新人スティーブン・ストラスバーグが166キロを投げると話題になっている。日本人の最速は158キロだそうだ。
 剛速球を投げる秘訣は並外れた筋力が絶対的な条件ではなく「体の回転力」、松阪大輔はそのことを「一つのスキもない、究極の投球フォーム」と表現している。そして回転力が集中的に最後に集まるところは肘(ひじ)だと言う。肘の靭帯(骨をつなぐ)と腱(筋肉と骨をつなぐ)は大きな強化は出来ないので、今後の飛躍的なスピードの増加はないと言われている。
 腰痛克服を考えているので、靭帯や腱の言葉でこの記事を興味を持って読んだ。

一字違いの怖さ 2010・4・9(金)
 昨日の「あ」抜き政党から「ら」抜き言葉などを連想したが、ずいぶん昔の「た」ぬき事件を思い出した。
 業界の名簿を作成印刷して総会で配った時、「さぬき荘」が「たぬき荘」になっていた。営業者から指摘され叱られた。平謝りに謝って、残部に訂正の「さ」を貼ることで何とか了承してもらったが、若かったので随分ショックだった。今、思い返すと、その営業者が大だぬきのような風貌だったので、知らず知らずに「た」に変わってしまったのかもしれない。忘れることができない思い出だ。

たちぎれ線香 2010・4・8(木)
 「死んだ芸者が三味線を弾く落語の題は?」と友人から問い合わせがあった。「たちぎれ線香だよ」と答える。芸者小糸と大家の若旦那の悲恋の物語。落ちに「線香が立ち切れです」が使われている。昔は芸者の花代を線香が1本燃え尽きるまでの約30分で計算した。今でも「もう1本お願い!」などと言われると時間延長で料金が高くなる。
 新党の名が「たちあがれ日本」と発表された時、渡辺喜美代表(みんなの党)が「たちがれ日本?」と聞き返していたが、SUはすぐにこの「たちぎれ」を思った。「立ち枯れ」「立ち切れ」真ん中の「あ」が無いとあまりいい言葉ではない。「あ」抜き政党にならないようにと心配する。

五言絶句と和歌 2010・4・7(水)
 八一は唐の漢詩から歌を作り、鹿鳴集で印象として9首発表している。引用歌は唐の詩からなのに、彼が思慕する良寛の雰囲気が漂ってくる。
        やま ふかく くすり ほる とふ さすたけ の 
                   きみ が たもと に くも みつらむ か
  

          (山中深く薬草を採集していると言うあなたの袂は
           湧き立つ雲があたりに満ちて、しっとりと濡れているだろう)
     隠者を訪うて遇わず  賈島
        松下問童子   (松下に童子に問へば)

        言師採薬去   (言く、師は薬を採りて去れり)
        只在此山中   (只だ此の山中に在らん
        雲深不知処   (雲深くして処を知らずと)

春眠2 2010・4・6(火)
 孟浩然の「春暁」は、明の時代(16世紀)に李攀竜(りはんりょう)が編纂したと言われる唐詩選に収録されている。収められている漢詩は465首、多いものは杜甫が51首、李白が33首である。
 20年以上前にその漢詩を小筆で毎日書いた。亡母や子供にそれを読ませていたが、毎日欠かさずでも1年3ヶ月かかったことになる。毛筆(小筆)の練習が一つの目的だったが、ちっとも上手くならず、漢詩も覚えていない。残っているのはそんな記憶だけなので、NHKの「新 漢詩紀行」は新鮮で楽しい。

春眠 2010・4・5(月)
 昨日訪れた安達先生宅に夫人の見事な書が掛けてあった。有名な孟浩然の漢詩「春暁」である。高校で習ったので覚えている。
     春眠不覚暁    (春眠暁を覚えず)
     処処聞啼鳥    (処処啼鳥を聞く)
     夜来風雨声    (夜来風雨の声)
     花落知多少    (花落ちること知る多少)
 「日めくり万葉集」(毎朝5時から5分、教育テレビ)が終わり、続いて「新 漢詩紀行」が放送されている。今日この「春暁」が放送された。偶然に驚くが、万葉集に続いてこの漢詩紀行を楽しもうと思っている。


                 海蔵川 2010・4・4(日)
                   「近鉄電車から見た十四川の桜は満開、
                    海蔵川はまだみたいでしたよ
」(A夫人)
                          7分咲きの桜の下を
                            うらら達と通り抜けしてきた。














同窓生 2010・4・3(土)
 小学校の同窓会で遠方から友人Yが帰省した。同じ小学校ではなかったが、中学、高校の同窓生だ。同窓会出席は初めてと言うから、50年ぶり??
 会が終わってからやってきて、そこに地元の友人Nも参加して長談義となった。2人は2005年のループKの会のメンバー、最後は初夏に奈良に行く案が出た。5月末から6月初めの予定でメンバーを募ることになった。Yは埼玉から車で来てくれると言う。楽しみが増えた。

写真家 2010・4・2(金)
 頭の中で直ぐ浮かぶのは入江泰吉と土門拳だ。入江は大和路の風景、仏像、行事などの写真が素晴らしく、入江泰吉記念奈良写真美術館がある。土門は日本の庶民や寺院、仏像等を撮影、酒田市に土門拳記念館がある。
 絶対非演出のリアリズム写真を主張した土門拳の写真展がパラミタミュージアムで始まった。1日(初日)に出かけた兄夫婦からこう言ってきた。「(SUの)子供の頃の日本人の写真が沢山あり、会津八一の写真もあるよ」この写真展は5月30日まで、もちろん見に行くつもりだ。

アナログテレビ変換 2010・4・1(木)
 ネットで調べたら、アナログテレビで地デジを見る裏技が載っていた。携帯電話の設定画面で外部接続の赤外線通信を選択し、電源をオンにしておく。その携帯電話をテレビの入力端子のそばに置けば地デジが見れると言う。
 カラーテレビが出回りだした1960年代に「白黒テレビをカラーテレビに変えるには、テレビの上から、女性用ストッキングをかぶせること」と言われ、カラーテレビは高くて買えない頃なので、かなりの人が試したらしい。ナイロンストッキングも出始めで、光に透かすと乱反射して虹色が見えたため、信じた人がいたそうな!
 ところで今日は4月1日、携帯電話の話を信じてもSUは責任を持たない。


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