良いお年を 2010・12・30(木)〜31(金)
 一年のお付き合いありがとうございます。予報では大晦日は雪が降るようです。寒そうですが、いつものように年越しをする予定です。来年もよろしくお願いいたします。

帰省 2010・12・29(水)
 千葉からジュニア一家が帰省した。夏に比べると孫のココロとまっちゃんは一回り大きくなった。2人はくららと遊び、夕食後はカコバーとお風呂で騒いでいた。明日、ジュニア夫婦とカコバーは年末の用意や美容院行きで忙しい。孫はスージの担当になった。垂坂山でそり遊びをしようと思うが、1人では難しいので義兄に手伝ってもらおうと思っている。三滝川での凧上げもできるかな?雨模様なのが気になる。大晦日には兄夫婦も合流して元旦夜まで楽しい時間が続く。
 2日に孫たちが帰るまではパソコンをいじっている暇はなさそうだ。今日が今年の独り言の書き納めになりそう。

追記
 諏訪神社のホームページ(12月27日)が出来た。びっくりするほど素晴らしいページだ。友人の宮司から作ることは聞いていたが、これほどとは思わなかった。今聞いたら、大晦日と元旦に甘酒を振る舞うと言う。数に限定はあるそうだが、諏訪神社でうまく甘酒にありつければ、歳納めも新年も縁起がいい。
 SU家は正月に諏訪神社の御神籤引換券を顧客に配る予定。

2010年 2010・12・28(火)
 今年の「独り言」をざっと眺めていた。最近はほとんど日記に近いものになってきているが、必ずしも事実ではなく創作も多分にある。概ね、書いていることは以下のことだ。
  1 遊び(スキー、ゴルフ)  2 家族(夫婦や孫、小犬)        3 交際 
  4 仏像(鑑賞と作製)    5 会津八一(展覧会や歌の鑑賞) 6 雑事

 くだらないことをよくもまあ書き続けていると思うが、こんな雑文を読んでもらっている人には頭が下がる。心から感謝!
 ところで連作していた「罰について」が止まっていることに気がついた。越年して書き続けようと思っている。

イケメンDAY 2010・12・27(月)
 レディースDAYとかシニア割引は最近何処でも実施しているが、リフト券が「イケメンDAY」なので2000円(通常4000円)と書いてあるのにはびっくりした。一瞬、イケメンとは?と考えたが、容姿容貌にかかわらず、男なら全て該当するのだと気がついた。一般的にはレディースDAYで参加した女性のフェロモンで男性たちをおびき寄せるものなのだが?!
 オープンしたばかりの奥伊吹スキー場に「イケメン」が多いというわけではなく、冬休みなので家族連れが多かった。
 しかし、初すべりのイケメン・ノブ君がゲレンデを縦横に滑降した。早いのでついていくのが精いっぱい、ゲレンデを15本ほど滑ったが、SUは「腰が危ない」、ノブ君パパは「膝がおかしい」と言ってノブ君に終了をお願いした。

お寺案内DVD・笑い飯哲夫 2010・12・26(日)
 笑い飯哲夫が寺を案内するDVDを友人からもらった。寺案内には似合わない笑いを取ろうとする解説が当初嫌だったが、見ているうちに知らないことやなるほどと言うこともあったので3時間ほどのDVDをしっかり見た。
 DVDをもらった時に笑い飯と言う漫才師のことがわからず、相方・西田幸治の顔すら浮かばなかったが、今日のM1グランプリ優勝を見て思い出した。連れ合いが毎年見ていたM1グランプリを横から覗いていた時によく見ていた2人だった。今年でこの企画は無くなるそうだ。ともあれ、優勝おめでとう。DVDを見たのも何かの縁なので。
 ただ、同時にもらったDVD・桂文珍 大東京独演会が圧倒的に面白い。連れ合いと毎日、あそこが良かったなどと会話がはずんでいる。やっぱり落語の方が良い。

風邪? 2010・12・25(土)
 昨日は急に熱が出て動けなくなった。深夜に飲んだ解熱剤が効いて、今日は平熱に戻ったが、一日おとなしくしていた。午前中、医者に「胃が重く、ゲップのようなものが」と話したら、「お腹が空くまでは水にしなさい。熱が下がったのなら薬もいらないでしょう」と言われた。
 高熱後の脱力感があったので、今日は終日テレビを見ながら居眠りをしていた。おかげで、ハードディスクに溜まっていたテレビの録画をほとんど見ることが出来た。
 うららとくららはチチが遊んでくれないので、仕方なく一緒にベットで添い寝となった。

休み 2010・12・24(金)
 都合により独り言は休みます。

なぜ? 2010・12・23(木)
● 母がチーズトーストを出して「熱いから気をつけて」。何度も息を吹きかけ、「なんで口の中
  に風があるん?
」 (大津市 原口想也6歳)  朝日新聞 あのね から  
 いつ読んでも子供の「なぜ?」は楽しい。「そんなこと当たり前だ」と答えるようになると想像力の干からびたつまらない大人になってしまう。
 小惑星探査機「はやぶさ」はなぜ「イトカワ」のサンプルを持ち帰ったのか?プラネタリウムで知ったことだが、太陽系の成り立ちを研究する上でとても役立つと言うことだった。いつも「なぜ?」と思っていないといろいろな物事の意味がわからなくなる。

  探査で何がわかるのか(ネットから)
 小惑星は「太陽系の化石」といわれるように、原始太陽系における、惑星に成長する前の微小天体の姿をそのままとどめていると考えられています。小惑星を探査して、さらにサンプルを持ち帰って分析することは、太陽系の成り立ちを研究する上でとても重要なことだといえるのです。これに対して、地球のような大きな天体は、形成されたときにいったん溶けて、内側の核と外側の地殻・マントルに成分が分かれ、原始太陽系における姿をとどめていないのです。

「はやぶさ」とプラネタリウム 2010・12・22(水)
 四日市博物館で「はやぶさ」帰還カプセルを見てきた(10分制限)。展示されたものは小さなものだが、その偉業が「はやぶさ」ビデオ(15分)で見る事ができ、プラネタリウム(50分)では素晴らしい映像「HAYABUSA  BACK  TO THE  EARTH」 として浮かび上がる。カプセル展示は26日までのわずか5日間、この歴史的なカプセルとイベントを見逃す手はない。特に美しいプラネタリウム(発射から帰還)がお薦めだ。時間のない人は15分ビデオと帰還カプセル見学だけで「はやぶさ」の偉大さが実感できる。
 友人が整理券を得るために並んでくれたが、平日だったこともあってほとんど待ち時間なしに見る事が出来た。大人数を予想したので意外だった。
 

第3火曜日 2010・12・21(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

             ふと咲けば山茶花の散りはじめかな     平井照敏

喜光寺の親切 2010・12・20(月)
 先月紹介した喜光寺の会津八一の歌碑を今月3日に見学した。SUも鹿鳴人も建立に寄付しているので思い入れは強い。訪れた午後、強風と冷雨に見舞われ本堂に逃げ込むぐらいだった。歌碑見学後、南大門を出ようとすると受付のある狭い内部に外国人の画家が風雨を避けていた。「境内で写生していた人にあまりの雨と風だったので入っていただいたのですよ」と受付の人が言う。スケッチブックを見せてもらいながら、寺の暖かさを感じた。
 ところで午前中に見学した奈良県立美術館の受付で、いくばくかの質問をしたら学芸員が出張中でお答えできないと言われた。入館者がさほど多くなく忙しそうでもなかったので、「後日返事を」と言う対応でもいいのではないかと思った。努力を怠る公的美術館の末を心配する。
 その質問は新潟の八一記念館に電話で問い合わせて、調べてもらって解決したのだが。

四日市港遊覧船 2010・12・19(日)
 孫に漁港を描いた絵ハガキを送って、船を見に行こうねと書いたら、船に乗れると大喜びだと伝わってきた。四日市には遊覧船「いなば2」があるから乗せてやればいいと思っていた。ネットで調べると船を所有していたセラヴィ観光汽船は2008年6月に自己破産して、今は運航していない。船もどこか第3者に売られたらしい。
 四日市市は所有する大事な「いなば2」を安価で
民間のセラヴィ観光汽船に売り、その会社が破産したのだ。市民の遊覧船という意識があっただけに腹立たしい。何もかも「民営化」が正しいとは限らないと思う。
 孫とは凧上げとそり遊びで遊ぼうと思っている。

男やもめにウジがわく 2010・12・18(土)
 「男やもめ」の由来を知りたくて調べてみると、「やもめ」は家に棲みつく「やもり」から派生した言葉で、夫のいない女性の意である。昔は男にも「やもお」と言う言葉があったが、その呼び方がすたれ、「やもめ」だけが残ったので、男の場合に「男やもめ」と「男」をつけるようになった。「め」がつくから、男に「やもめ」はおかしいのはもっともだ。
 秋にやもめで一人住まいの従姉が亡くなっていて、発見が遅れた。近くに住むSUの義兄も男やもめ、身辺が少々汚れるぐらいはかまわないが、孤独死だけは困る。盆暮れと年4回のゴルフの時のやりとりだけでは不安が残る。

春日野(八一と健吉の合同書画集) 2010・12・17(金)
 かけてあった十一面観音の書画から久しぶりに薬師寺東塔の書画に取り替えた。もうじきやってくる初春には向かない歌かもしれないが、寒風吹きすさぶ奈良の景色が脳裏に浮かんでくる。この歌や寺の薬師三尊や聖観音が「薬師寺においで!」と言っているようだ。
   薬師寺東塔
    あらし ふく ふるき みやこ の なかぞら の 
             いりひ の くも に もゆる たふ かな
    解説
      (嵐吹く古き都のなかぞらの入日の雲にもゆる塔かな)

早産 2010・12・16(木)
 友人の孫が600gに満たない早産児(超未熟児)として夏前に生まれた。その時「生死は半々かな、育っても障害が?」と言っていたが、昨日2200gに成長した赤ちゃんの写真を持って東京からやってきた。にこにこしながら「やっと抱けるようになった」と嬉しそうに言う。
 それにしても医学の力にはびっくりした。昔なら処置なしで生命を与えられなかっただろう。医者は「800gぐらいあれば問題なく対応できる」と言っているらしい。その子は600g未満だったので、まだ障害が出る恐れがあるらしいが、生命、生命力に感心する。
 その子の親(友人の長男)は小さい頃から、四日市にやってくると我が家にやってきて遊んでいた。おっとりしているが粘り強い子だった。しかし、この半年の心労は計り知れない。赤ちゃんの元気な成長を心から願っている。

形式的な年賀状交換 2010・12・15(水)
 この歳になると相手の顔さえおぼろになっている年賀状の宛先がある。同級生はほぼ定年退職しているが、まだ現役の時の形式的な年賀状交換が続いていると嘆く人がいる。多くはこちらから賀状を手控えて自然に減らすようだが、現役時に活躍した人ほど少なくならないようだ。賀状での挨拶を一方的に断ることは、相手に失礼なこととして批判はあるかもしれないが、今年の賀状で翌年の交換をやめたい旨を書けばよいと思う。
 「定年を迎えましたので、今年を最後に年賀状交換を止めたいと思います」とか高齢のため、今年で最後にさせてもらいます
と添え書きする。しかし、年齢からして関係者に鬼籍入りする人も多く、喪中ハガキの延長でそのまま賀状交換が無くなる場合もでてきた。
 パソコンの先生に依頼した年賀状が出来あがってきた。後は親しい人だけに手書きの近況を書くばかりだ。ずいぶん楽だけど、やはり年賀状作りは年末の大仕事に違いない。

トイザラス 2010・12・14(火)
 「全国のサンタさんが仮面ライダーオーズのベルトを求めて路頭に迷っている」とジュニアからメールがあった。孫・まっちゃんがジジババサンタに希望する仮面ライダーオーズのベルト」は売り切れで、各販売店に入荷の見通しもない。千葉でも探してもらい、鳥取の義姉にもお願いしたが全くなし。ネットで2倍の値段で売られていた物も今は在庫なしになっている。仕方がないので孫に変更してもらったが、それでもトイザラスにないかと出かけた。
 まずは駐車場が満車に近い。仮面ライダーオーズのベルトを探しにきているのかな」と連れ合いと話しながら店内に入ると同年輩の女性が「無いですね」と語りかけてきた。ババサンタも苦労しているのだ。係の人に聞いたら「仮面ライダーオーズのベルトの廉価版」が一つだけあったので購入し、変更になった「天装戦隊ゴセイジャーのテンソウダー」を手に入れた。ココロの注文の「リカちゃんシリーズのヘアカラーチェンジさくらちゃん」と「ホイップる」は手に入った。なんだか年末の大仕事をした気分だ。

会津八一の奈良 2010・12・13(月)
 初めて奈良を訪れたのは1908年(明治41年)、その時に詠んだ20首の中に「わぎもこ」の歌がある。この時のことを故植田重雄先生は著書「会津八一の生涯」でこう書いている。
(新潟から大阪へ・・・)八月六日、大阪からただひとり汽車で奈良に向かった。酷暑の天気が久しぶりに崩れて雨が降っていた。奈良駅につくと、さっそく案内記を買い求め、昼の雨の町すじをたどりながら、東大寺転害門(てがい)の近くの對山褸に宿をとった。宿の二階の廊下で店を出している名物屋の女から、通俗的な名勝案内をもう一冊買った。宿の浴衣に着替え、宿の番傘をさして、この案内書をたよりに雨のけぶる猿沢池を散策した。
  
わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら
 天皇の寵を失って悲しみのあまり、この池に身を投じたという采女(うねめ)の伝説が、なぜか身につまされて悲しかったのである。春日野をさまよい、老松の中に鎮(しずま)る朱塗の春日大社をたずねてゆく。さらに、若草山にのぼる。久しぶりの雨に、古都はしっとりと濡れ潤っていた。・・・

 この對山褸跡地に20年前に作られた天平倶楽部で食事をした。とても嬉しいことだった。

天平倶楽部 2010・12・12(日)
 奈良のレストラン天平倶楽部は、会津八一が初めて奈良を訪れた時の宿、 對山褸の跡地にできた和風レストランで、敷地内には「子規の庭」を持っている。興福寺国宝館を出て、境内の八一の歌碑を見た後、昼食をここで取った。(鹿鳴人ブログ参照
  興福寺をおもふ  
     はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり 
                ほとけ の には に はな さく らし も

             (春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも)    解説
 八一は對山褸で粗末な奈良案内を手にする。その中の天皇の寵愛を失った采女の入水を読むとすぐに猿沢の池に出かけた。
  猿沢池にて
    わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
                いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら 
         
             (吾妹子が衣掛け柳みまくほり池をめぐりぬ傘さしながら) 解説
 美味しい食事を食べながら、初めて奈良の地に来た八一の心境をこの歌を口ずさんで思い馳せた。

ウミウ 2010・12・11(土)
 奈良で池のカモを見ながら、四日市の河口に近い川辺にはウミウ(海鵜)がいると話したら、友人がそれはカワウ(川鵜)だと言う。海に近いからてっきりウミウだと思っていたが間違いだった。ウミウはカワウより少し大きく、海岸の岩壁に集団営巣するので川には入ってこないようだ。今日の中日新聞に鵜匠の背中に乗る人懐っこい「キータロウ」(ウミウ)の記事が掲載されていて、茨城県日立市の絶壁「出身」と書いてある。
 夕方、「くらら
」の散歩のときにカワウの写真を撮ろうと思ったが、いたのはカモの群れと一羽の青鷺、一羽の白鷺だけだった。

はやぶさ 2010・12・10(金)
 四日市市立博物館小惑星探査機はやぶさ」の帰還カプセルがやってくる。期間は12月22日(水)〜26日(日)だが、多分大勢の人が押し寄せるだろう。
 【観覧方法】 午前の整理券を9:00から、午後の整理券を12:30から配布します。
          配布場所は、博物館西側 じばさん三重前入り口付近です。
          整理券に記載されている時刻に展示会場にお入りいただけます。
           ※ 整理券配布は、幼児以上、一人につき3枚までです。
           ※ 観覧時間は、約10分です。
           ※ 当日は混雑が予想されます。お時間に余裕をもってお越しください。

 仲間から見に行こうとの誘いがあるが、並んで整理券を手に入れても長い時間待たされるのは辛い、でも見たい。

拓影
と興福寺国宝館 
2010・12・9(木)
 奈良県立美術館の「會津八一のうたにのせて」の会場に入ると興福寺の板彫十二神将拓影二つ(迷企羅と毘羯羅)が迎えてくれる。八一の歌碑の拓本の一つ一つが素晴らしいが、この拓本された板彫りの拓影も魅力的に迫ってくる。原品とは違う拓本の世界である。
 
奈良の友人の立ててくれたスケジュールが良い。リニューアルした興福寺の国宝館に導いてくれた。館内に入るとすぐに出会うのがこの板彫十二神将である。ここは有名な阿修羅像があるため、この十二神将を通り過ぎてしまいそうになるが、拓影鑑賞のすぐ後ではまた違った輝きを持って眼に飛び込んでくる。拓影と実物、新しい経験と感動である。
 国宝館の良さは尽きない。
白鳳期の山田寺仏頭、これは最近SUが作成した香薬師(新薬師寺)の顔に共通するものがある。国宝・華原磬は素晴らしく、国宝・天燈鬼と竜燈鬼を見ていると楽しくなってくる。展示が変わって見やすくなった阿修羅像、向かって右斜めからの顔が良いなと思ったら、帰宅して見た自宅にある写真はやっぱり右斜めのものだった。

俳聖殿 2010・12・8(水)
 芭蕉生誕を記念して上野公園内に建てられたこの建物を見たことがない。伊賀上野界隈は何度も出かけたのに訪れていないのが不思議だ。
 芭蕉と言えば、唐招提寺の鑑真和上像を詠んだ「若葉して御目の雫ぬぐはばや」を思い浮かべる。幾多の苦難を乗り越え、今は失明した鑑真(像)の眼に涙を感じて、瑞々しい若葉で拭いてあげたいと詠んだ芭蕉の心根を想う。
 友人の水彩画・俳聖殿がアップされた。以下のように書かれている。
  俳聖殿(伊賀上野城公園)
 この建物は昭和17年に上野出身の俳句詩人の松尾芭蕉翁生誕300年を記念して地元の代議士が私財で建てたものです。旅に生涯をおくった芭蕉翁の旅姿を表しているそうです。2階の屋根は旅笠、1階の屋根は旅合羽(マント)です。11月下旬に妻が友人と訪れたときに撮影した写真で俳聖殿と紅葉とのコントラストがあまりにもきれいだったので描いてみました。
                                      2010年12月6日


天声人語 2010・12・7(火)
 今日の天声人語は今の政治の姿を的確に表現している。
 『▼「さあ政権交代だ」の呼び込みに胸を躍らせ、千客が木戸をくぐって1年あまり。私たちが見せられたのは、国政の後ずさりだった。「これがホントの政権後退」と言われ、笑って許す有権者はいまい▼菅内閣も明日で半年になる。普天間、政治とカネの負の遺産に、参院選大敗、党を二分しての代表選、閣僚の失言が重なり、自壊の道をゆく。
 去年8月の独り言に『予想されたとはいえ民主党の圧勝、小選挙区制の凄さを実感した。「大きな政府」的な政策を持つ民主党の今後を注視したい』と書いたが、その後の民主党の混迷に直面し、自らの不明を恥じるとともに政治を語る気さえなくしてしまった。
 本当に日本丸は何処へ行くのだろう?優れた指導者による政治を期待するが、極右ナショナリズムからのファシズムの台頭だけは困る。

桂文珍 2010・12・6(月)
 落語は沢山蒐集したが、文珍落語はほとんど持っていない。あるのは若い時の新作落語だけだ。先日、文珍の国立演芸場10日間連続独演会をDVDに収録した桂文珍 大東京独演会 」を友人からプレゼントされた。これが凄く面白い。今年の4月6日から15日までのものなので、枕に最近の世相をふんだんに用いて大観衆の爆笑を誘っている。
 時々しか落語を見ない連れ合いが面白いと言って
夜毎見ている。今日の夕方「新版・七度狐」をたまたま2人で見て笑い転げた。若い頃に桂米朝の落語全集をレコードで初めて聞いた時と同じように興奮している。
 ところで友人はこのDVDの発売元の代表者だが、入院していたお父さんが3日に亡くなった。学生時代に数回お会いしたお父さんにお別れをしてきた。冥福を祈りたい。

奈良・会津八一展 2010・12・5(日)
 東京三井記念美術館で夏に開催された「会津八一の歌にのせて」は仏像と八一作品のコラボレーションだったが、仏像が重点なので八一ファンには不満な所もあった。その点、奈良会場は真正面からの八一作品展示だったので深い味わいがあった。
 奈良博物館にて
  くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
                  かげ うごかして かぜ わたる みゆ 
   解説
 棟方志功板画や福岡隆聖画に書かれたこの名歌に間近に接することができ、さらにこの歌の歌碑の拓本が同時に見れると言う贅沢である。あれもこれもと食い入るように見つめ、時間の経つのを忘れた。
 この展示会は友人・鹿鳴人のブログに詳しい。ぜひ読んでいただきたいのと奈良に友人があることを心から感謝している。

化粧なんて(いわせてもらお 朝日新聞) 2010・12・4(土)
 高価な化粧品をもらった。「私はもうオバサンだから何しても変わらないし」と言って、娘(30)にあげようとした。すると、娘は「そんなことないよ」。「うれしいことを言ってくれるわね」と思ったら、続けて言った。「オバサンじゃなくておばあちゃんじゃん」
                       (事実、孫もいますけど・・62歳)
 昨日、奈良の帰りに亀山サービスエリアで仲間が土産を買った。どう考えても孫用と思われる品物を物色している。「同級生の女の子じゃなくておばあちゃんじゃん

奈良県庁屋上 2010・12・3(金)
 奈良の友人・鹿鳴人がかねてより推奨している県庁の屋上に初めて上った。眼前の絶景に同道の仲間たちから自然に歓声が上がった。四方を見渡せ、大型の双眼鏡も備えられている。東大寺の大仏殿、若草山、興福寺の五重塔が間近に広がるここは穴場と言うよりは奈良一番の観光スポットと言ってもいいようだ。それに無料なのが何よりも良い。
 今日は鹿鳴人を先達にして、会津八一展を皮切りに奈良の各地を楽しんだ。

会津八一の書 2010・12・2(木)
 初めて見るとびっくりするほど変わったである。なぜなら、我々が幼いころから「習字」として学習してきた字からは大きくかけ離れているからだ。弟子・故安藤更生(早大教授)が「反抗の書」と言ったのは書道、書道界の常道を踏まなかったことからきている。だが、実際の八一の書は風格のある独創的なものだ。このことこそが彼の書が評価され、愛されてきた所以だろう。実際一作品が何十万円もすることからもわかる。
 この独創の書はどう作られたのか?
 字は伝達の道具であることを八一は強調しながら言う。「・・・字は要するに垂直線である。そうでないところは円の一部のようなものだから、弧のようなものと垂直線と水平線が書ければよろしい。もう一つ必要なことは一定の面積を等しい距離に分割したコンビネーションが一番人のわかる字になる・・・」これは新聞の明朝活字に通じると言う。しかし、書道の常識からは離れている。
 また、膨大な古今の書を収集し眺めながらも真似をしなかった。ある書を見ていてその書の影響を断ち切るために正反対の書を同時に見たと言う。独創はここから生まれた。
 我々が「書道」的に名筆とみなす視点から一度離れて、八一の書を見るとその良さが見えてくるように思う。

師走 2010・12・1(水)
 早いものでもう12月になった。年末謝恩セールなどが始まり、気分は忙しくなるが、商店街は往時の勢いがない。四日市の商店街もメイン通りは小売店などの物品販売より、飲食店やサービス業が幅を利かすようになっている。整骨院の先生が久しぶりに繁華街を歩いてその様変わりにびっくりしていた。
 ともあれ、年末を頑張り、良い年につなげたい。雪も早く降ってほしいと思っている。


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