11月の終わりに 2010・11・30(火)
 体調不良とは困ったことである。腰痛の回復が長引き、喉や歯も腫れ胃腸も荒れた。仕事以外はベッドでひたすらテレビを見ていた。日頃は見ない長時間ドラマなども沢山見た。仏像作りは停止、滋賀や奈良に出かけようと思っていたが全て実現しなかった。
 喜んだのはうららとくるみ、一日チチがいて遊んでくれるので退屈しない。庭も放置していたが皇帝ダリアだけは見事に沢山咲いてくれている。
 昨日、庭の花の手入れをし車にキャリーを付けた。身体に異常はなさそうなのでぼちぼち活動を再開しようと思うが、それにしても健康のありがたみを痛感した11月だった。

中宮寺 2010・11・29(月)
 今日、会津八一の奈良における17基目の歌碑が建立された。その様子を新潟日報が報じている。
    中宮寺にて  
       みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
                  あさ の ひかり の ともしきろ かも
    解説
 この仏(半跏思惟像)の前では思わず正座して、その美しさに見とれ時間を忘れる。多くの言葉、沢山の写真で紹介されるとても有名な仏だ。後日訪れて歌碑の歌を味わいながら、仏を拝観したいと思っている。

拓本 2010・11・28(日)
 早大名誉教授加藤諄さんの拓本のページには、「文字・文様は紙に書かれたものだけではない。紙以外に金属や石に、ときとして木に刻まれた文字・文様がある。これを金石文という。この金石文を墨を用いて、紙の上に写し採ったものが拓本である」と書いてある。拓本には直拓、乾拓、湿拓があるそうだが、重要な物は湿拓で作成するようだ。
 加藤諄さんのページで拓本の方法を見ていたら、手本になっている歌碑は坪内逍遥を詠んだ八一の歌だった。
 なお、板彫りなどの仏像を拓本したものは拓影と呼んでいるようだ。
八一とその弟子は沢山の拓本を採っているので八一展ではいろいろ見れそうだ。

喜光寺 2010・11・27(土)
 喜光寺に、會津八一の奈良16基目の歌碑が10月31日に建立された。大正時代に荒廃した喜光寺を訪れて詠んだ歌である。
  菅原の喜光寺にて
      ひとり きて かなしむ てら の しろかべ に
            きしや の ひびき の ゆき かへり つつ
  八一
 八一の南京新唱は奈良導きの歌集と言われるが、廃仏毀釈以降の荒廃した奈良に対峙しながら、古代への憧憬を詠ったものが多い。さらにその背景には失恋による感傷もある。寺が修理され、に南大門が再建された現在ではとても当時を想像できないが、12月に友人たちと訪ねる時には大正時代に戻ってみたい。
 八一は自註鹿鳴集でこう言う。
作者が、この歌を詠みしは、この寺の屋根破れ、柱ゆがみて、荒廃の状目も当てかねし頃なり。住僧はありとも見えず。境内には所狹きまでに刈稻の束を掛け連ねて、その間に、昼も野鼠のすだくを聞けり。すなはち修繕後の現状とは全くその趣を異にしたりき。
 吉野秀雄は鹿鳴集歌解にこう書いている。
かすかな「きしやのひびき」にもほろほろと土をこぼしそうな、古びた崩れかけた白壁の白さの哀愁である。汽車を点出して、少しも不調和でなく、よく渾熟した詩美を醸している。

井戸端 2010・11・26(金)
 整骨院で電気治療を受けながら本を読んでいるといろいろな言葉が飛び込んでくる。「さんの家に救急車が来た」「中町の柿安本店が牛肉販売を除いて無くなった」「香具師の店で買って商品に文句を言えば半殺しにあいそう」「宝くじを買わなきゃ」「△△さんはもう終わった?」「先生!電気が効き過ぎ~、痛い」・・・・・・
 ほとんど高齢の人だが、重い病気ではなく、肩、腰、足などが痛くて通ってくる人ばかりなので元気、特に女性は口が達者である。先生も上手に相手する。もともとしゃべり上手なのかあるいは対応していて上手になったのか、皆を飽きさせない。
 連れ合いに話すと、これからも聞いてきてと言う。他愛のない会話や噂は罪が無くていい。

鬱と躁 2010・11・25(木)
 「仏像作りは腰痛のため頓挫」と2日前に書いたら、水彩画のYが心配して電話をくれた。友達とはありがたいものだ。骨には異常が無いと検査でわかっていたので、気分は楽だったが半月以上経つのに治りが遅い。医者に言わせば「年齢」だと言うが、ウィンターシーズンを前に焦り、場合によってはスキー断念と思うと気分が鬱になった。
 しかし、5日ほど前から急速に回復すると気分は躁、途端に活動的な日程を考える。大きなものはスキーツアーの計画、仲間に電話やメールをして準備を始めた。来週の奈良行き(会津八一展)も楽しみが増す。
 ところで、ゴルフも大好きなYに「大事を取って来月のゴルフは中止」と話したら、がっかりしていた。SUはゴルフよりスキーが大事なので申し訳ない。

美味しい牡蠣とタンチョウの報告8(完) 2010・11・24(水)
 エゾシカは釧路湿原の中にもたくさんいましたが、カヌーのガイドの話が印象に残っています。釧路湿原は東西25km( 最大)、南北36kmで、東京・品川区から埼玉県の旧大宮市までがすっぽり入ってしまう広大な面積に木道の散策路が張り巡らされているのですが、「木道を外れて湿原に入っていくような人はいないのか?」と尋ねたところ、「いないですね。湿原には、表面は草原に見えるけれど、その下は底なし沼というところがたくさんあるから。エゾシカだって、そこにはまって死ぬ」という答えでした。3日間の走行距離は652km。免許はあっても「できれば運転したくない」という連れ合いに比べ、「できれば運転したい」性格なのですが、釧路から根室、根室から野付湾、野付湾から養老牛温泉、そしてまた釧路へと、「行けども行けども牧場(ほとんど乳牛)と牧草地」ばかりの根釧原野(こんせんげんや)の中を何時間も走り続けるのは、少ししんどくなってきました。……でも、やっぱり北海道はいいなあ。 (おわり)
 NKDさんの文の転載を終わる。旅行はいいなあ、と思うがそれ以上に羨ましいのはこの北海道記だ。いろいろな長文を書いてみたいが、なかなか文が続かない。

津城跡 水彩画 2010・11・23(火)
 友人Yが新しい水彩画・津城跡をアップした。前回の津城から6日である。それに引き換えSUの仏像作りは腰痛のため頓挫、伝教大師像はむなしく机の上に横たわっている。
津城跡  Masanori.Y
 前回、津城の唯一の建築物である隅櫓を描きましたが、城の象徴でもあるお堀からそびえたつ石垣がなかったので何か不完全な気持ちであったことから、いいスポットを探したところお城の建物はありませんが想っていたイメージに近いスポットがあったので描いてみました。本来、石垣の上に隅櫓があれば最高でしたが、隅櫓のあるべき場所に松の木が群生していました。また、これはこれで栄華の当時の情景を想像できてよいのではないかと思います。
                                    2010年11月21日

リカちゃんシリーズ 2010・11・22(月)
 昨日の「独り言」にココロの欲しいのは「ジェニードール エクステチェンジ ジェニー」と書いたら、早速訂正が入った。正しくは「リカちゃんシリーズのヘアカラーチェンジさくらちゃん」だった。まだサンタさんにお願いしてなかったからよかったけれど、そのままだったらスージとサンタさんが叱られるところだった。ジジババは孫には嫌われたくはないからな~。
 ところでココロのパパは12月8日にライブで名古屋の今池にやってくる。「おいで」と言われているけど、客層に不釣り合いな年齢なので、いささか躊躇している。それに、大阪や四日市のライブを見に行った時、すぐに周りの若い人にパパのオヤジだと見抜かれた。これも複雑!

キュアマリン 2010・11・21(日)
 ココロの衣装は伝説の女性戦士「プリキュア」になって変身したキュアマリン、ネットとおもちゃ屋さんのカタログを見てわかった。我家の子どもは男だったし、孫は遠方にいるので「プリキュア」なるものの意味を今回調べて初めて知った。
 孫たちにサンタさんの贈り物を聞いたら、ココロは髪の毛をチェンジできる人形「ジェニードール エクステチェンジ ジェニー」が希望のようだ。まっちゃんは仮面ライダーオーズの変身ベルトとオーメダルだと言う。良い子にしていることを条件に、スージがサンタさんにお願いに行くことになるだろう。

美味しい牡蠣とタンチョウの報告7 2010・11・20(土)
 3日目は朝から雨。「でも、ひょっとしたら」と思いながら摩周湖(ましゅうこ)へ行ってみましたが、あっちから見ても、こっちから見ても、やっぱり霧だけ。きれいな摩周湖はまだ見たことがありません。でも、運よく午後から晴れ、湿原の中を蛇行する釧路川をカヌーで気持ちよく下り、最後は細岡(ほそおか)展望台から夕日の釧路湿原を見ることもできました。
 レンタカー事務所では、道東に多いエゾシカとの衝突事故について注意を受けましたが、うわのそらで聞いていました。でも、そこここに「シカ飛び出し注意!」の看板があり、実際に70~80kmで走っている道路のすぐ際の草陰からエゾシカが顔を出しているのを何回も見ました。数年前、朝早く然別湖(しかりべつこ)から糠平湖(ぬかびらこ)へ向かって走っている車の直前に大きなエゾシカが1頭、ぴょーんと、車を飛び越しそうな勢いで飛び出してきて冷や汗をかいた経験があるので、それを思い出すたびに速度を落としていました。
(その6)

琳派(りんぱ) 2010・11・19(金)
 桃山時代の芸術に関心があったので、「宗達と光琳」(原色日本の美術14)を見ていた。尾形光琳の名から付けられた「琳派」は、桃山時代後期に興り近代まで活躍した美術家・工芸家の総称だが、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一に受け継がれた。「宗達と光琳」では大和文華館所蔵の琳派の作品が沢山紹介されている。また、一年前の朝日の新聞小説「麗しき果実」(乙川優三郎)では女蒔絵師を主人公に、酒井抱一・鈴木其一らの琳派の世界が描かれていた。
 そんな時、奈良の友人から大和文華館への誘いがあり、仲間と出かける事にした。またNHKの日曜美術館でも紹介されている。(11月21日夜再放送

若者と年寄りの知恵 2010・11・18(木)
 営業所の年末感謝の商品を買いに行った。いつも連れ合いと行くが、今回は20代のユウスケも同道した。彼の提案で鈴鹿の「ドンキホーテ」(安売り店)に行くことになった。我々夫婦では思いつかない場所である。客層はずいぶん若い。
 粗品から数千円のものまで数十個選ぶのは大変である。しかも3人の商品に対する価値判断が違う。今まで夫婦で選択をけなしながら購入してきたが、今回は男と女の見る目の違いの上に、年齢の違いがあった。ユウスケの選択にはなるほどと言うものがあり、目からうろこである。反対に全く採用できない選択もあったが、楽しい買い物だった。
 若者から学び、年寄りの知恵を吸収する。こうすればもっと視野が広がりそうだ。

美味しい牡蠣とタンチョウの報告6 2010・11・17(水)
 私たちの周りにいるすべての生き物が、生まれて、そして死んでいく、命に限りのある存在です。私たち自身も、限りある生命体です。地球も一つの生命体であって、地核とそれを取り巻くマグマが燃え尽きれば、死滅します。そうなれば、地球が持つ熱も引力もなくなり、その上に生きるすべての生命体が死滅します。地球などの惑星が引力に引っ張られて回っている、その中心にある太陽も限りある生命体で、それが燃え尽きれば、太陽系のあらゆる惑星が死滅するでしょう。
 ですから、私たちはまず何よりも、広く生命全般を最優先し、重視すべきなのだと思います。私的な利益や利権や、地位や社会的評価や、さまざまな主義・主張や、「安心・安全」みたいなものよりも……。
(その5)

第3火曜日 2010・11・16(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

       瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
                われても末に あはむとぞ思ふ
     崇徳院

津城(安濃津城) 水彩画 2010・11・15(月)
 友人Yが新しい水彩画・津城をネットにアップした。前回の平等院(10月29日)から半月で仕上げたと言うことだ。仕事をしながら、余暇として描くのだから大したものだ。我仏像作りは遅々として進まないというのに!
津城(安濃津城)  Masanori.Y
 別名「安濃津城」ともいわれ、藤堂高虎が1608年伊予今治藩から22万石で入城し、明治維新まで治めました。来年の大河ドラマの主人公お江が幼少期に過ごしたとして一躍注目され、敷地内にはキャンペーンのぼり旗がたくさん立てられていました。
 地元に住みながら地元のお城をと思い唯一城らしき建物の隅櫓を描きました。お城は廃藩置県により廃城になり建物は破却されたことから、この隅櫓は昭和33年に復元されたものです。秋晴れの日でしたが、秋らしき雰囲気を出すために紅葉を強調しました。
                                   2010年11月14日

美味しい牡蠣とタンチョウの報告5 2010・11・14(日)
 翌日は野付半島(ここも春国岱と同様の砂州)のトドワラへの散策路を歩いた後、去年と同じ裏摩周(摩周湖の裏側の地域)の養老牛(ようろううし)温泉『だいいち』へ泊まりました。このホテルは深夜、庭のエサ台にシマフクロウがくることを一つの売り物にしていたのですが、「もう1年もきていない」ということで、国の天然記念物で絶滅危惧種であるこの鳥の未来は厳しい??という感を強くせざるを得ませんでした。(その5)

美味しい牡蠣とタンチョウの報告5 2010・11・13(土)
 泊まったのは野付湾(のつけわん)に面した尾岱沼(おだいとう)温泉です・・・ちなみに、この野付湾では年に数回、冬の寒い朝に「四角い朝日」が見られるそうで、・・・これは、空気の温度差によって起こる蜃気楼の1つだそうです。
 ・・・朝4時頃に目が覚めたので、「日の出」の撮影に挑戦することにしました。あいにく水平線のあたりは雲がかかっていますが・・・最終的には、雲のために、きれいな朝日を見ることはできませんでしたが、その空と雲と海の色が刻々と微妙に変化していく様をじっくり見ることができました。しかも雲は動いているのですから、今の一瞬と次の一瞬で景色は全く異なるのです。生命の一生の流れのように・・・。最初のシャッターは4時24分、もういい加減にやめようと切り上げた最後のシャッターが5時29 分。その間に撮った写真は47 枚でした。
(その4)

木の葉 2010・11・12(金)
 11~12月の富弘さんのカレンダーは木の葉
        木にある時は 枝にゆだね 
        枝を離れれば 風にまかせ
        
地に落ちれば 土と眠る  
        神様にゆだねた人生ならば 木の葉のように
        一番美しくなって 散れるだろう

 『自我をほろぼし、万人および各人に無条件にそれを献(ささ)げることが最大の幸福であり、自我の法則はヒューマニズムの法則と融合するとドストエフスキーはいう。それこそが「キリストの楽園」であって、人類の歴史とは、その楽園へいたるための闘いの道にほかならない』(ドストエフスキーの生涯 亀山郁夫)

花は20cm 2010・11・11(木)
 背の低い皇帝ダリアは花に手が届くので、連れ合いが切り花にした。 初めて目の前で見るダリアの花が大きいので定規で測ってみると20cmもある。去年は5mぐらいの高い所に咲き、下から眺めるだけだったので、花がこんなに大きいとは思っていなかった。
 裏窓から、3mばかりの高さに咲いている花に手が届いたと言って、今日も連れ合いが花瓶に活けていた。

美味しい牡蠣とタンチョウの報告4 2010・11・10(水)
 木道が水路の上で橋になっているところで、後ろから早足で歩いてきたおじさんが、「あっちにタンチョウがいるよ。すぐ近くまでいったけど、全然逃げないで、寄ってきた」と言います。・・・「やっぱり、いたんだ」という気持ちで、おじさんの指差す方向へ行ってみることにしました。・・・(ヒグマが心配でしたが)「まあ、でも、糞が発見されたのは去年の6月だから」と自分に言い聞かせ、連れ合いに不安を与えないように、大きな声でしゃべりながら薮の中を歩きます。
 5分ほど歩くと、急に視界が開け、その先は湿地帯になっています。といました!タンチョウです。湿地の中にいるのは2羽で、つがいのようです。双眼鏡でなんとかまともに見えるくらいの距離でしたが、自然の中でタンチョウを見るのは初めてだったので、連れ合いは「これだけで今回の旅行は満足」と言うくらいでした。しかし、ホテルへ着いてからの話では「ヒグマのことが気になって、怖かった」とのこと。
(その3)

落語・八五郎出世 2010・11・9(火)
 古典落語名作選全20巻(ビデオ)にある六代目三遊亭圓生の八五郎出世」を見た。一般には「妾馬(めかうま)」と題されているもの、大ネタなので町人八五郎が士分に取り上げられるところ(上)までで噺は終わる。
 古典落語名作選
7人ほどの噺を見て、さすが名人圓生である、群を抜いてうまい。「八五郎出世」全体を丁寧にじっくりと聞かせてくれる。なかでも、酔いながら 肉親の情愛と絆を浮き彫りにする場面は心打たれるものがある。
 何人かの落語家が演じる「妾馬」を聞いてきたが、名人圓生には及ばない。何度も聞いてきた音源だけの圓生全集とは違い、初めて見た動画の「八五郎出世」は格別である。

注射 2010・11・8(月)
 インフルエンザのワクチンを打ちに、高校の後輩が経営する整形の病院に出かけた。皮下注射を打つ前に看護師さんが痛いですよと言ったので、余計に緊張した。そもそも注射は嫌いだ。好きな人はいないだろうが、あの注射針を肉体に突き刺す行為が嫌で、幾つになってもなじまない。痛みは一瞬なのだけど。
 整形なのでついでに腰痛も見てもらった。レントゲンの結果、骨などの異常は無かったので安心した。慢性化している腰痛に、医者は「腹筋と背筋の強化のみ」と言っていた。

皇帝ダリアが咲いた 2010・11・7(日)
 皇帝ダリアが昨日から咲きだした。もう少し先だと思っていたので驚いた。しかも2mぐらいの背の低い茎の方に咲いたので、大きな花を間近に見る事ができる。これは家の北(裏)の狭い路地に植ええたもので発育が悪く、5mにも伸びる皇帝ダリアにしては、高いものでも3mぐらいしかない。日当たりの悪い劣悪な環境で育ったから早く花開いたのかもしれない。家の南の高く伸びているものはまだ蕾が固そうだ。

美味しい牡蠣とタンチョウの報告3 2010・11・6(土)
 厚岸(あっけし)から、霧多布岬(きりたっぷみさき)へ寄りながら、根室市の「春国岱(しゅんくにたい)原生野鳥公園」へ。「春国岱」は、 オホーツク海と風蓮湖(ふうれんこ)の間に伸びる長さ約8km、幅最大1.3km、面積約596haの砂州(さす)。 数千年の年月をかけて堆積した砂丘上にエゾマツ林、湿地、草原などがあります。釧路湿原などと同様に「ラムサール条約」に基づく国際的に重要な湿地としても登録されており、希少種のタンチョウやオジロワシなどを含め、これまでに約310種もの野鳥が観察されている——ということです。
 駐車場に車を置いて、およそ30 分も歩くと、草原に大きめの鳥が群れをなしているのが見え、「タンチョウか」と期待しましたが、少し近づくとアオサギと分かり、がっかり。その近くにエゾシカもいました。観察路の木道をさらに行くと二股の分かれ道があり、右手の道の入口に「昨年6月、ヒグマの糞が発見されました」の看板。時刻は午後4時に近いこともあって、戻ることに・・・
(その2)

美味しい牡蠣とタンチョウの報告2 2010・11・5(金)
 友人・NKDのレポートから抜粋を数回に分けて掲載する。
 釧路空港からレンタカーで国道を東へ向かい、地元の車にびゅんびゅん追い越されながら、制限速度の50km をはるかに上回る70~80kmでふっとばして約1時間半、去年の印象が強く残っていて、今年もぜひ——と訪れたのが『厚岸(あっけし)グルメパーク』。厚岸はカキの産地で全国的に有名です。・・・このレンストランの「かきづくし弁当」は2,480 円です。去年、連れ合いは違うものを注文して「うらみ」を残しており、今年は「大枚をはたいて」同じものを注文。しかし、結果は2人とも大満足でした。・・・貝付きの焼きガキが2個、ほとんど生の酢ガキが3個、揚げたてのカキフライが2個、卵焼きのように見える「カキ豆腐」、それにカキの照り焼きが4個乗ったごはん。お椀は、特大のアサリ3個が入ったみそ汁。カキはどれも大きくて、ぷりぷりですから、2,480 円は安い!!裏金はもらっていませんが、「北海道へ行くなら、厚岸のカキを食べよう!!」と、本当に広く皆様にアピールしたいところです。(その1)

美味しい牡蠣とタンチョウの報告 2010・11・4(木)
 業界新聞の編集長をしていた友人・NKDが定年退職して、悠々自適の生活を送っている。彼から今年の北海道旅行のレポートが届いた。厚岸(あっけし)グルメパークの「かきづくし弁当」の写真と紹介は牡蠣好き人間には堪らない。
 ここのところ、トップページで紹介してきた写真はそのレポートに掲載されている写真だ。熊の出現を恐れながら望遠でタンチョウを撮影する所、野付湾に昇る朝日を撮るために早起きしたことなどを紹介しながら、「広く生命全般を最優先」しようと心優しい主張も織り交ぜている。レポート全体を一度に紹介できないので、先に写真だけ掲載してきた。
 紹介されている北海道は素晴らしい。行きたいけど行くならきっとスキー場になるだろうな!

ひなこ(人その4) 2010・11・3(水)
 小学校時代のことはだんだん記憶から遠のいていく。しかし、同窓会等もあって、今でも同級生の多くが浮かんでくる。そんな中でも「人」あるいは「名前」ですぐ浮かんでくるのは「ひなこ」、生まれが3月3日、雛祭りなのでよく覚えている。そういう意味で名前を付けることは大変なことだと思う。
 ところで「ひなこ」はひな壇の女雛のようなお姫様には程遠い色の黒いお転婆だった。SUは休み時間に犬ころがじゃれ合うように彼女とよく遊んだ。この人とも小学校卒業以降会ったことはない。

勘違い 2010・11・2(火)
 家電製品の率の良いエコポイントが10月末までと思っていたので、友人を誘って31日にテレビを買いに家電量販店に行った。大勢の人で駐車場は空き待ちだった。日曜なのとエコポイントの関係と思っていたら、率の良いエコポイントは11月末までだった。おかげでひと足早く、営業所に大きなテレビが出現し、皆で日本シリーズを堪能している。
 車の任意保険が今日で切れる。郵便での通知は来ていたが、いつもの保険屋さんから集金にくると言う電話がかかってこない。明日から無保険で走るのは怖いので、こちらから電話をかけた。「期限は12月2日ですよ。その節はよろしく」と言う返事が返ってきた。ふ~~、感違いが2つ続いた。


50円切手 2010・11・1(月)
 先月初め、孫たちに絵ハガキに手紙を書いて何枚も送った。その後、ハガキを送らなかったら、メールで絵の写真を送ってきた。絵は「スージとカコバー」と書いてある。だんだん形になってきているので、そのうち、素晴らしい絵を描くだろうと思うのは孫バカのジジの常道。
 ところで絵ハガキは沢山あるのに最近出していないのは、50円切手が無くなったから。と言うのは言い訳で、今夜は手紙を書き、明日50円切手を買って投函しよう。

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