10月の終わりに 2010・10・31(日)
 伝教大師像を求めて、比叡山から嵯峨野に出かけた。大師について沢山のことを学び、本物の大師像に接することが出来たが、作成中の像は完成までにまだまだかかる。最近興味を持ち始めた陶磁器も沢山見た。桃山の陶器から明治〜昭和、そして現代の作品を鑑賞してきたが、この分野も評価するというより、学習中と言った方がいい。ただ、良いものは少しわかるようになった。
 庭では強風の被害にあわなかった10本余の皇帝ダリアが大きく伸び、蕾を持ち始めた。来月の大量開花を期待して10月を終える。

明治の人間国宝 2010・10・30(土)
 愛知県陶磁資料館(瀬戸市)で「明治の人間国宝 帝室技芸員の技と美」を見てきた。「昭和・平成の人間国宝」展も同時に開催している。殖産興業に力を入れた明治から戦前まで、現在の人間国宝に当たる帝室技芸員に陶芸分野から5人選ばれている。「清風與平(せいふう・よへい)、宮川香山(みやがわ・こうざん)、諏訪蘇山(すわ・そざん)、伊東陶山(いとう・とうざん)、板谷波山(いたや・はざん)」
 万国博覧会参加を想定した艶やかで大柄な作品が目を引くが、美しい青磁、白磁には魅せられる。写真でしか見ていない名品を間近に見る事ができ感動した。
 愛知県の100周年記念事業として1978年に開館した巨大な資料館、一部しか見る時間が無かったので再度訪れたいと思っている。

平等院(水彩画) 2010・10・29(金)
 一昨日ゴルフ場で友人Yに「次の作品を待っているよ!」と督促したら、平等院の絵を送ってきた。絵は全く足元にも及ばないが、ゴルフも上達していて太刀打ち出来なくなった。
宇治の平等院を描いてみました。阿字池(あじいけ)の水面に映る阿弥陀堂です。「阿弥陀如来座像」を安置する中堂に一対の鳳凰を頂くことや、鳳凰が翼を広げたような外観などから「鳳凰堂」とも呼ばれています。現地へは、一度訪れたことがありますが、その時はちょうど発掘調査に基づき、前庭と阿字池の護岸工事中でしたので、このような全景を観ることができませんでした。この絵は平成13年に改修工事終了後の写真がグラビア誌に掲載されていたもので、あまりにもきれいであったことから、そのグラビア誌を見ながら描いたものです。水面に映る阿弥陀堂がうまく表現できるか不安でしたが、私の能力からして何とかそれなりに描けた(?)と思っています。(平等院の絵)』  

バッチャー 2010・10・28(木)
 「野球は、ピッチャーとキャッチャーとバッチャーがいるんだよ」(朝日新聞・あのね 6歳)
 語尾の「チャー」に注目して新しい言葉を作ってしまう子ども、野球の選手は語尾に「チャー」を付けると思いこんでとてもかわいらしいし、けっこう賢い。
 今日のドラフト会議でハンカチ王子・斎藤佑樹は日本ハムが交渉権を獲得した。北海道での活躍を期待したい。一巡目の指名で“バッチャー”が指名されたのはヤクルト山田哲人(内野手)、ロッテ伊志嶺翔大(外野手)、オリックス後藤駿太(外野手)の3人だけ、他は全てピッチャーとキャッチャーだった。この“バッチャー”達の活躍も注目したい。

愛宕念仏寺 2010・10・27(水)
 伝教大師像は京都周辺に3体ある。像を作った故西村公朝仏師が復興した愛宕(おたぎ)念仏寺に作成中の像を持っていき、修正の線を入れ、写真を撮ることが今回の京都行きの目的だった。
 沢山の拝観者の中で、未熟な像を置いて比べるのは恥ずかしかったが、現実の像と合わせてずいぶん参考になった。完成まではまだまだかかるが、2日前に放映された三重テレビの撮影に耐え得るほどまでには彫り進める事が出来たと思う。

着せ替えくるみ 2010・10・26(火)
 ハハが嫌がるくるみを捕まえて「胴が長いから似合わないね〜」などと言いながら、毎日服を着せる。とっかえひっかえ着せているのは山のようにあるうらら姉ちゃんの服、洗濯して整理するためだ。うららは服を着ると毛玉ができるので最近は服を着ない。
 くるみに新品の服はない。犬の世界にもあるお古で辛抱する次女の悲哀。



清涼寺式 2010・10・25(月)
 清涼寺式仏像は日本の仏像では独特なもので、日本に100体ほどある。ナビを見ながら嵯峨野を走っていたら、清涼寺があったので立ち寄った。(別名「嵯峨釈迦堂」) 清涼寺式仏像はこの寺の釈迦像(国宝)を模作したもの。インドで釈迦の在世中に作られた像の模刻で、縄目状の頭髪や、体を包み込むような衣文(えもん)の流れが独特だ。インドを連想させる特異な形相の等身仏(約160cm )である。
 この像に接することが出来たのはラッキーだったが、その日の目的地は愛宕念仏寺だった。

一緒に行った? 2010・10・24(日)
 昨日、ママと歯医者さんに行く夢をみたよ」。「あらそうなの」と言う母に「え?知らないの?一緒に行ったじゃん!朝日新聞・あのね 5歳) とても楽しい会話だ。解説にはこう書いてある。「自分と区別して他者の考えを推論することがまだ出来ない子どもには、自分が見たことでも、それを見なかった人にはわからない、と言うことがわからない
  連れ合いに吉野の千本桜を一緒に見に行った話をしたら「行ってない」と言う。確かに一緒に行った覚えがあるのだが、自分の勘違いかと思っていた。最近、思いついて自分のHPで探したら確かに連れ合いが写真の中にいた。この場合は、自分が行ったことでも、一緒に行った人にはわかるが、自分ではわからない、と言うことであろうか。

三重テレビに登場 2010・10・23(土)
 25日(月)午後6時「とってもワクドキ!」で安達仏像教室が放映される。火曜日に録画撮りがあったので手伝ってきた。安達先生の仏像説明、会員(三重刻友会)の作業風景、レポーターの円空仏作り挑戦などが撮影された。
 最後に番組の宣伝用が撮られ、うららとくるみも参加した。それが放映されれば我が家の“娘”たちも登場する。
        


大きい子ども 2010・10・22(金)
 落語の“子ほめ”では、松っちゃんが赤ん坊をほめるつもりで竹やんを訪ねる。
 
わぁ〜これか。竹やん大きぃなぁ」「大きぃやろ、産婆はんもビックリしてた、大きぃ子ぉやちゅうて」「こらビックリするわい、大きぃだけやないがな、産まれたてのくせに歯が抜けて皺だらけで……」「そら、お爺やんが昼寝しとぉるねん」 これなどは典型的なおっちょこちょいの例。
 朝日新聞・あのね掲載の“大きい子ども”
 ママ、おじいちゃんて子供いるの?」「ママが子どもだよ」「え!!ずいぶん大きな子どもだね」 子どもが表層的な特徴(子どもは小さい人間)で言葉を理解する例で、落語の間違いよりずっと楽しく気が効いている。

高山寺 2010・10・21(木)

石水院
 京都栂尾高山寺 恋に疲れた女が一人 大島紬につづれの帯が 影を落とした石畳 京都栂尾高山寺 恋に疲れた 女が一人デューク・エイセスが歌ってヒットしたのは1966年。高山寺について印象深いのはこの歌と鳥獣人物戯画(国宝)だけだが、土門拳の写真集で大きく取り上げられている国宝・石水院が見たくて訪れた。
 石水院は鎌倉時代の建築、1224年に後鳥羽上皇から賜ったものと伝えられる。単層、入母屋造の住宅風建築で静かなたたずまいである。石水院で時間を取りたかったが、この日は他の目的のために時間を割愛した。鳥獣人物戯画は東京と京都の国立博物館に寄託されていて、寺にあるのは模写なので張り合いがない。

天ぬき 2010・10・20(水)
 5代目古今亭志ん生が「天ぬき」を注文して一杯飲む姿は絵になったと言う。天ぬきとは、天麩羅蕎麦の蕎麦抜きのことで、江戸っ子言葉。蕎麦を抜いたものを頼むことが「通」で、天抜きの天麩羅でゆっくりと酒を呑み、最後になってから盛り蕎麦を頼んで食べた。
 北海道からジャガイモが送られてきたので、SU家のOさんが肉じゃがを作ってくれた。Oさんは、何だかおかしいなと思ったら、肉を入れ忘れたと言う。連れ合いは肉を入れて煮直すように言われたが、食卓には肉抜きの肉じゃががのった。これなどは「肉ぬき」と言うのだろうか、それとも「じゃがぬき」と言うのだろうか?

第3火曜日 2010・10・19(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

       秋山の 黄葉(もみぢ)を茂み 迷(まと)ひぬる
              妹(いも)を求めん 山道(やまじ)知らずも
 
    柿本人麻呂

400段 2010・10・18(月)
 高尾の市営駐車場から徒歩15分で神護寺の入り口に着いた。そこから階段が続いている。後でわかったことだが400段あるらしい。頑張って登ったが右の写真を撮ったところで立ち止っってしまった。
 神護寺を訪れた理由は五大虚空蔵菩薩だけではなく、本尊・薬師如来立像(国宝)も見たかったからだ。鼻が歪み口がずれた異様な顔、腰から下が圧倒的なボリュームの一木造りの仏像である。しかし、拝観場所から像は遠かった。ポケットには携帯電話とデジカメだけ、望遠鏡は車の中に置いてきた。400段を下り、さらに15分歩いて取りに行くだけの体力、気力はない。しまったと思っても遅かった。

ラーメンランチ 2010・10・17(日)
 厨房機器の会社を定年退職をした先輩が自宅でラーメン屋を1人で開業した。働くことが苦にならない人だが、営業はのんびりしている。
 しばらく前に友人を誘って出かけ、お祝いも兼ねているので、ラーメンだけではと思いラーメンランチを頼んだ。ラーメン、ライス、揚げ物、冷奴、漬物、フルーツ、コーヒーがでた。よく来てくれたと美味しいものが多めに出てくる。出されて残すのは先輩に失礼なのですべて食べたら一日胃もたれがした。
 後日、行きつけのお医者さんが言っていた。「血糖値の高い人は、ラーメンにライスをプラスするような炭水化物ばかりの食べ方は一番いけません」
 教訓、知り合いの店では沢山注文しない。ライスの付くラーメンはいけません。

五大虚空蔵菩薩 2010・10・16(土)
 神護寺の国宝・五大虚空蔵菩薩の秋の御開帳は10月13〜15日だった。写真集・古寺巡礼(土門拳)で見ていたが、実物は初めてである。青年僧の解説によると虚空とは大宇宙のことで大地を表す地蔵(菩薩)と対比されるもの、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った仏で、現世の諸々の願いをかなえてくれる仏だそうだ。
 この平安(弘仁)仏を見ながら、仏の顔もいろいろあるものだな〜と思っていると、いろいろな時代の仏たちの顔が浮かんできて、この仏の顔がどこかの仏と良く似ていると思った。観心寺の秘仏である国宝・如意輪観音とそっくりの顔なのだ。調べると作者は同一人物ではないかと言われている。去年4月に出かけた観心寺の秘仏開帳( )から1年半が経った。

かわらけ投げ 2010・10・15(金)
 米朝落語「愛宕山」の“かわらけ投げ”の場面、「天人の舞い」「お染久松比翼投げ」「獅子の洞入り」など旦那の投げる姿を想像しながら、ずいぶん昔にジュニアと京都・愛宕山に登ったが何もなかった。戦争末期にケーブルカーは廃線、遊園地・ホテルが閉鎖されてしまったからだ。今日数十年ぶりに愛宕山系の高雄山にある神護寺でかわらけ投げに出会った。本当は神護寺の特別御開帳・五大虚空蔵菩薩像を見に行ったのだが、かわらけ投げが出来ただけでとても嬉しくなった。
 落語「愛宕山」をお薦めする。そして、かわらけ投げにも挑戦を!

落語「愛宕山」より
・・・・大阪ミナミの幇間が、京都・室町の旦那のお供で愛宕山に参詣することになる。幇間・一八は茶店で「かわらけ」があるのを発見する。これは酒や料理を入れるものではなく、願を掛けて崖の上から谷底の的に投げ込む遊び「かわらけ投げ」のためのもの。旦那は「天人の舞い」「お染久松比翼投げ」「獅子の洞入り」など多彩な技で次々にかわらけを的に投げ入れる。一八は見よう見真似でチャレンジするが全く命中しない。挙句に「大阪の人間はかわらけみたいなしょうむないもン投げまへん、金貨銀貨を放って遊ぶ」と負け惜しみを叩く。すると旦那は懐から小判を20枚取り出し、谷底の的めがけて小判を投げ込む。「これが本当の散財、胸がスッとした」と言った旦那に・・・・

空前の救出 2010・10・14(木)
 チリ、サンポセ鉱山に閉じ込められた33人が69日ぶりに今朝救出された。不測の事態が起こらなかったことが幸いしたが、国家を上げた救出作戦と閉じ込められた作業員たちのリーダーを中心にした冷静な対応が大成功を生んだ。心からおめでとうと言いたい。
 密室状態に69日閉じ込められたら、自分ならとても耐えられないと思う。封鎖された大学の講堂や教室に閉じ込められたことはあるが、これはすぐに出られると言うことを前提にした密室であるから、それほどパニックにはならないものだ。
 外で遊び歩いてばかりいると、SUを含む男性陣は、閉じ込められるより締め出される方が多いのではと考える!

運動会だより 2010・10・13(水)
 ココロから手紙と一緒に運動会の写真とビデオが届いた。早速、連れ合いとビデオを楽しんだ。玉入れ、ダンスとココロは忙しい。まっちゃんもパパと一緒にかけっこに参加していた。
 注目の徒競争はやっぱりSUの血が濃かった。仲間を押しのけるのではなく、お姫様のように優雅に走っていた。(独り言10月1日参照)

「くらら」の散歩 2010・10・12(火)
 うらら(ヨークシャーテリア)はH16年12月20日生れで人間年齢では40歳前、もうおばさんでたまにしか走らない。くるみ(トイプードル)はH21年3月31日生れで20歳過ぎ、動き回ることが仕事のようだ。
  今日、三滝川での散歩をビデオにした。川原に人や犬がいない時にリードを放すとうららはゆっくりと歩き、くるみは喜んで飛び跳ねる。ぴょんぴょん走るくるみはまるで兎のようだ。手間はかかるが楽しい家族である。

プロとアマ 2010・10・11(月)
 講演「茶わん 長次郎から光悦へ」(講師:赤沼多佳氏・三井記念美術館参事)を名古屋市博物館で聞いた。難しい話だったが面白かった。長次郎は千利休が理想とした茶碗・楽焼の創始者で陶芸のプロ、それに比べ本阿弥光悦は楽焼を学ぶが、長次郎とは異なる独自な境地を開いた。しかし、あくまでオリジナリティに富んだアマの陶芸だと言う。
 利休の指示通りに長次郎が作ったのが楽焼、彼は作陶のプロなので何個でも同じものが作れた。しかし光悦は素人だが、長次郎とは違い自ら考えて優れた作品を作った。ただし、作陶はアマなので同じものは全くないと言う。プロとアマの違いについての視点を興味深く聞いた。
 博物館の「変革の時 桃山」では長次郎の銘「大黒」(黒楽茶碗)、銘「無一文」(赤楽)、光悦の銘「雨雲」(黒楽)、銘「時雨」(黒楽)が展示されている。

日本伝統工芸展 2010・10・10(日)
 名古屋三越で開催中の第57回工芸展(入選734、受賞作品16)を見てきた。すばらしい作品が並べられていたが、数の多さに戸惑い、また素人目で見るだけなので、判断停止に陥りながら、ただ歩き回るだけだった。
 受賞16作品はNHKテレビで見ていたが、やはり実物を見るに越したことはない。普段、木彫りをしているのでやはり木工に目が行き、漆を上塗りした木目の美しい木工作品をじっくり見てきた。陶芸では多くの作品が並んでいたが、酒井田柿右衛門や今泉今右衛門の作品にはすぐ気がついた。展示は11日までで、13日からは京都高島屋になる。

僕にまかせておけ 2010・10・9(土)
 土門拳は「写真を撮るのは僕にまかせておけ」と大徳寺・大仙院に触れながら言っている。昔の大仙院には「見たか聞いたか写したか」の貼り紙があった。誰でも撮影をしてもいいと言う寛容さにびっくりしながら撮影を続けるうちに、土門はその貼り紙の心を禅で言う「沈思黙考、大悟徹底」の考えだと悟る。そして「この庭に来る人の、何と無意味に写真を撮りまくることか。写真を撮るのは僕にまかせておけばよい。それよりも、穴のあくほど見つめ、石から何かを聞こうと努力すべきではなかろうか。」と語る。一見、傲慢な「まかせておけ」の中にプロの魂を感じることができる。
 今の大仙院は撮影禁止らしいが、当時の寺の心意気は評価できる。金儲けばかりに走る昨今の寺社は見習うべきものがあるだろう。

3回目 2010・10・8(金)
 「やっぱりあるよ!」と早朝叩き起こされた。刻友会のAさんが「月下美人、また蕾を10個持っている。3日ほどで咲く」と昨日言っていたので、連れ合いが朝我家の鉢を確
認して報告する。「くらら」の攻撃で早朝に何度も起こされるので眠たいが、月下美人だけは別だ。
 5個の蕾を確認し、座敷に入れたら今夜は1個咲いた。今年は3回目の開花だ。花の周りを走り回るくるみと写真を撮る。うらら姉さんは2階のベットでもう寝る態勢に入っていた。

激痛 2010・10・7(木)
 「肩の耐えられない激痛で苦しむが、原因が脳梗塞の後遺症で脳がそうさせているから治療の方法がない」と辺見庸が書いているが、失った手足が痛むと言うことと同じなのかもしれない。そして、苦しみぬいた後に突然痛みが癒えるその瞬間の快感は言い表せない。苦しんだ者しか味わえないから反って幸せなのだと言う。
 酷暑の夏が気がついたら爽やかな秋になっていた。やがて、あちこちで紅葉の便りが届くだろう。猛暑で苦しんだからこそ秋の素晴らしさを一層感じるし、大切にしたい。読書や仏像作りの手を休めて、戸外に出たいと思っている。

古寺巡礼(土門拳) 2010・10・6(水)
 奈良行きのバイブルは和辻哲郎の「古寺巡礼」(大正7年)だが、最近は会津八一の「南京新唱」(大正13年)を携帯している。
 春に見た土門拳展(パラミタミュージアム)の後、彼の「古寺巡礼」を借りてきた。カラー462枚、モノクロ325枚、全5冊の迫力ある写真集をやっと見終わった。対象選択に対する揺るぎない信念と厳しい撮影視点の作品は、さすが「動」の土門拳と言われるだけあって見ごたえがある。同じ大和の風景を撮った入江泰吉の静かな作品とは趣を異にする。
 ところで、この写真集は5冊で定価225,000円、1冊なんと45,000円、汚さないように傷つけないように細心の注意を払った5か月だった。

介護ひまなし日記 2010・10・5(火)
 「介護ひまなし日記・新米ケアワーカー奮闘記」として岩波書店から出ている本の著者は、兄の大学の同級生の娘さんである。その永和里佳子さんはこう書いている。『介護とは終焉へ向かいつつある人間の生と裸のまま付き合うことであり、互いに語り合い、共感し合うことではないか。介護を通じて、誰かを必要とし、またされること、私はそれをささやかではあるが豊かな「恩恵」と呼びたい
 グループホームで働きながら書いたブログが、日本財団公益コミュニティサイトCANPANのブログ大賞を受賞し、それが本になったものである。書かれているグループホームとスタッフに囲まれた皆さんはとても幸せである。一読をお薦めする。

バッタ 2010・10・4(月)
 沢山植えた皇帝ダリアが不ぞろいに伸びてきた。50cmに満たないものから、3mを超えるものまである。11月には沢山咲いてくれそうだ。ダリアの葉が食べられているので、良く見ると沢山のオンブバッタがいる。バッタは嫌いではないがダリアのために駆除している。
              
 川べりで内科の先生夫妻がバッタを獲っていた。「どうするのですか?」と聞いたら「魚の餌です」と返事があった。「魚釣りの餌なのだ」と連れ合いに言ったら「飼っている魚の餌でしょ」と言われた。多分、それが正解だろう。このバッタは殿様バッタである。

一隅を照らす 2010・10・3(日)
 比叡山延暦寺では法華経を中心にし、開祖・伝教大師最澄の著した「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる(山家学生式)」を教えの根本にしている。こうした考えが影響し、最澄後に法然、栄西、親鸞、道元、日蓮を輩出したと言える。
 空海とともに中国留学から帰った最澄は40歳の頃、九州から関東へと布教の旅にでる。その頃の強い意志を込めたエネルギッシュな姿が、SUが彫りつつある伝教大師像だ。彫りすすめるためには、大師そのものを理解していくことも必要である。

    国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を 名づけて国宝と為す 
    故に古人の言わく 径寸十枚是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと

       (国の宝とは何?宝とは仏道を求める心です。その心ある人を国宝と名付ける。
       だから古人の言うように、直径3センチの宝石10枚は国宝ではない。一隅を照らす人こそ国宝です


中日優勝と横浜 2010・10・2(土)
 7月1日には巨人に8ゲーム差あったのに、若手をうまく使ってセリーグ優勝を果たした落合監督の手腕は評価できる。ともあれ、おめでとう。
 ペナントレースが終盤になると選手の移籍や戦力外(解雇)が話題になるが、我横浜の売却が大きなニュースになった。報道によると住生活グループ(住宅設備メーカーの「INAX」と建材メーカーの「トステム」が経営統合して設立した持ち株会社)が有力とある。もしそうなら、本拠地新潟になる可能性がある。ファンとしてはやきもきする。ただ、手放そうとするTBSや本拠地移転を阻止できない神奈川県民や横浜市民を不満に思う。だけど、今日現在47勝92敗1引分の体たらくでは何を言ってもダメなのだ。

運動会 2010・10・1(金)
 孫たちの手紙に、絵ハガキで毎晩続けて3通返事を書いたら、大喜びで電話がかかってきた。後から、ハロウィンの衣装の写真も届いた。
 明日はココロの運動会、遠いので見に行けないが楽しそうな姿を想像する。ココロのかけっこ(徒競争)は、万年ビリだったスージの血筋なら可哀想、飛びぬけて早いカコバーのなら1番だろう。「かけっこの予想は?」とママに聞いたら、「早い子がいるので2番かな」と返事があった。
inserted by FC2 system