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1月の終わりに 2010・1・31(日) 正月と新年会のご馳走は美味しく、少々食べ過ぎたようだ。腹8分目が健康のもとかな? 今日、壁の書画を掛け替えた。「春日野(八一と健吉の合同書画集)」 もりかげ の ふぢ の ふるね に よる しか の ねむり しづけき はる の ゆき かな 八一 |
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姉妹のおめかし 2010・1・30(土) 夕方、娘たちがいない家に帰ってきた連れ合いが、つくづくとと亭主の顔を見ながら 「うらら達がいないと全く張り合いが無い」とのたまった。 |
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会津八一の教育 2010・1・28(木) 「先生の教へといふものはどういふものか。先生はいつたい仏典も読み、中国のいろんなものもお読みになる。けれども四書五経みたいな、ああいふ経書といふものはお嫌ひだつたのです。ですから道徳的な話はあまりなさらない、俺はいやだといつて」(吉野秀雄) この文章から、道徳的なことが苦手で自由に生きてきた自分が八一を高く評価する意味が、よくわかった。 明治から昭和を生きた八一は衆愚とは無縁で、深く培われた素養をもとに極めて論理的な思考で教育を行った。芥川賞候補になった「鳩の橋」小笠原忠著(恒文社)は早稲田中学時代の八一の教育者としての像をよくあらわしている。 注 (会津八一記念館HPより) 1910年(明治43)9月、坪内逍遙の推薦で英語教師として勤務。1918年(大正7)より教頭となりましたが、教育方針で対立して教頭辞任後、1925年(大正14)辞職。八一は英語と修身を担当していましたが、型破りな授業は生徒に大変人気があったそうです。授業を越えた全人格的教育には多くの伝説的エピソードが残され、小笠原忠の小説「鳩の橋」でも書かれています。 |
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新型インフルのワクチン 2010・1・27(水) 昨日、知り合いの医者からワクチンが入ったという連絡があったので、早速出かけた。全国的に今日から接種対象者が全ての人に拡大されたようだ。ワクチン不足が言われていたので、もっと遅くなるかと思っていたが意外に早かった。 ただ、新型インフルエンザの流行は去年の11月後半がピークで、現在は「下火」となっているため、ワクチンの取り合いになるということではないようだ。 「(注射が)ちっとも痛くなかった」と連れ合いは言っていたが、注射は苦手なので、医者や看護師と話しながらも、顔をしっかり他所向けていた。 |
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見返って美人2 2010・1・26(火) 昨日のブログに以下のような親族のメールが届いた。 (吉永小百合に会えたのは)贅沢な思い出。大学2年とき、早稲田で全国法律討論会があり、彼女に学生食堂等で会えないかと、探し廻った。母校の仲間だけでなく、他大学の連中もうろうろし探し廻っていた。彼女は現れないのかと、近くの学生に聞いたところ「今日は見かけないですね」との返答、やはり存在しているのだと実感した。 討論会後の立食パーティが大隈講堂であり、主たるメニューはサンドイッチだったが、食べ残しが多くもったいないので、京都へ帰る夜行列車での夜食とした。パンに飽きた朝方、一時停車した名古屋駅のプラットフォームのきしめんが美味かった。50円が懐かしい。 吉永小百合は同じ昭和20年生まれ、原爆の詩の朗読他、反戦での活動、我が想いは、彼女は今も素晴らしきスターである。 |
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見返って美人 2010・1・25(月) 見返り美人ではなく、見返って「やっぱり美しい」と心から思ったことがある。友人・鹿鳴人がブログで「友人と文学部あたりを歩いていた時、前方から化粧もされていないふつうの女学生が歩いてこられました。すれちがったあと、ふっとわかったのが第2文学部へ登校される吉永小百合さんであることでした」と書いているが、すれ違う沢山の女学生とは違う雰囲気を醸し出している人がいた。振り返ってみると吉永小百合、美人とはこういう人を言うのだと思った。この時の思いは強烈で、若い時に連れ合いに話した。今夕、話したら、その話はよく覚えていると返事が来た。遠い昔の忘れられない青春の一場面である。 |
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犇々と 2010・1・24(日) 明治生まれで1969年に没した歌人・吉野秀雄は会津八一に師事し、ただ一人の歌の弟子だった。彼の1940年代に書いた八一や良寛の評論はとても面白いが、漢字の難しさに戸惑う。辞書を引きながらでは文意から遠ざかるので、類推しながら読む。メモをしておいて後から調べるが、この時代の人の語彙力の凄さに圧倒される。 犇々と 忝く 夾雑 筥 烱々 扨て 砥礪 秘鑰 鏤刻 纔か 亘り 表題は「ひしひしと」と読むが、わずか数ページに上記の字が出てくる。読みは文末に表記するが、意味は辞書で調べてほしい。 ひしひしと かたじけなく きょうざつ きょ けいけい さて しれい ひやく るこく わずか わたり |
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若草山 山焼き 2010・1・23(土) 古都奈良の文化を常に体験し、また担う奈良の友人は羨ましい。 |
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新年会 2010・1・22(金) 三重彫友会の新年会を近鉄伊勢朝日駅前の「日乃出」で行った。知り合いの店主は太っ腹で、食べきれないほどのおいしい料理とこちらが断わらないといけないほどのお酒が出た。店主曰く「ビール50本、お酒100本を用意している。その他もどうぞ!」 5時から初めて延々3時間余、先生や先輩たちの蘊蓄のある話が飛び交った。彫刻(仏像)に対する芸術的論議は楽しく、お酒も手伝って普段は踏み込まない領域まで論議は白熱し、とても有意義だった。 長かったので、麺が出た後で会を閉め解散した。支払いのために残っていたら、ご飯とデザートが出てきた。席に戻り、みそ汁2杯とご飯を食べたので昨夜は胃もたれがした。 |
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チビーズ通信5 2010・1・21(木) チビーズのママからメールと写真が届いた。 「私の体調が悪く、年末年始はあまりお手伝いができず申し訳ありませんでした。遅れましたが年末年始は色々ありがとうございました。久しぶりにチビたちの写真をお送りします」 写真は ・お片付け上手っしょ? ・パパのLiveを見に行ったよ。 ・ガンダムタオルで変身! ・「うららとくるみ」ココロ画伯作 |
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竹の植木鉢 2010・1・20(水) 夜はうららとくるみを風呂に入れる。一日動き回ったくるみは夕食後すぐに寝てしまった。娘も疲れるが、休みは家族サービスでSUもしんどい。でも、月一回の休みは気分が休まる。 |
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第3火曜日 2010・1・19(火) 今日は定休日独り言も御休み。 淡雪の ほどろほどろに 降り敷けば 平城(なら)の京(みやこ)し 思ほゆるかも 大伴 旅人 |
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義母 2010・1・18(月) 今日は義母の命日、前日の阪神大震災で四日市の市民病院も大きく揺れた。8階に入院していた義母はほとんど意識はなかったが揺れは感じたようだ。残念ながら翌日の今日亡くなった。大阪にいた孫は避難して四日市にいたので祖母を見送った。鳥取から名古屋の大学に来ていた孫は、当時は携帯電話が無かったので連絡がとれず遅れて駆けつけた。 ずいぶん世話になり、四日市に戻ってからはほとんど一緒に暮らしたようなものだから、大地震の衝撃の中でさびしい思いをした。実母の命日はなかなか出てこないのに、震災の翌日だったので義母の命日だけは忘れることがない。 |
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小説 2010・1・17(日) 日頃は小説を読まないが、外泊した時は手軽な本を持っていく。しかし、選択を間違えると睡眠に影響する。友人と東京に行った時は、時代小説が面白くほとんど睡眠がとれなかった。先日のスキーツアーでは推理小説も持っていったが、これは面白くなく、すぐに止めて深夜に落語を聞いていた。二日前は長編のサスペンスを持って行き、これは楽しく読んだ。 小説は面白いから良いと言うわけでないし、また、難しいものは読みがいがあるが読むのはなかなか大変である。普段は諸事に追われて小説を読む時間を惜しむが、出来る限り読んでみたいと思う。しかし、選択が重要だ。 |
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奈良に都ができて今年は1300年、いろいろな記念事業が開催されるので楽しみだ。奈良の商業界のリーダーとして活躍する友人・鹿鳴人は、ブログを中心に奈良の文化の紹介にも力を入れている。最近は短歌の領域にも進出し、活動分野を 遷都1300年を祝う奈良を今年は何度か訪れたいと思っている。 平城京址の大極芝にて (会津八一) はたなか の かれたる しば に たつ ひと の うごく とも なし もの もふ らし も (畑中の枯れたる芝に立つ人の動くともなしもの思ふらしも) |
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月が止まった!(「あのね」朝日新聞より) 2010・1・13(水) ●月を見ていると、乗っていた車が赤信号で止まった。「すごい、月が赤信号で止まった!」 ●ママが手紙を出すときに、切手をなめてはっていた。 「どうして、人間の舌からは、のりが出るの?」 ●イワシのかば焼きをぱくぱく食べていたら、ママに「ほんまに魚が好きやなあ」と言われた。 「ええっ、かばって魚やったん?」 「あのね」が正月特集でたくさん掲載された。おしゃまな3歳のココロと比べながら、ニヤニヤしながら読んだ。孫が素直さを忘れずにウイットに富んだ人に育って欲しいと思う。 |
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2泊3日のスキーツアーは好天に恵まれ快適だった。3人がフルタイムで滑り、夕食後はウノで楽しむ。行きも帰りも高速道路1000円だったので、渋滞を心配したがスムーズに走れた。東名阪、名古屋高速、中央道を走 竜王から見た高井富士スキー場は美しく、ひょいと飛んで行ってそちらでも滑ってみたいと思った。ともあれ、今シーズン最初のツアーは満点。 |
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準備万端!だが〜〜 2010・1・8(金) 明日から仲間たちと出かけるので準備を済ませ、ガソリンスタンドで簡単な点検とタイヤの空気圧などを見てもらった。終わって帰ろうとしたら、車が動かない。プリウス(初代)は特殊なので難しいらしい。ジャフに運んでもらって、販売店に持ち込んだが特殊なバッテリー(在庫なし)を新品に取り換えたうえで検査しないとわからないという。車を預けて、レンタカーを借りようと思ったが、連休なので雪用装備の車は出払っていた。やっと知り合いの車を借りれることになったが、その間3時間、寒いし心配の連続で大変だった。ただ、出発した後でのトラブルではなかったので、それだけは救われた。 というわけで、明日から3日間「独り言」はお休み、行ってきます。 1月9〜11日独り言は休みます。 |
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回天 2010・1・7(木) 敗勢が色濃くなった太平洋戦争末期に日本が行った常軌を逸した戦術に人間魚雷(回天)と神風特攻隊がある。戦後生まれなので詳しいことやその当時の状況がわかるわけではないが、人そのものを兵器として使うことに納得できるわけはない。中東で続発する自爆テロも同じ発想で理解しがたい。彼らの行動の背景に何があるのか、つき動かしているものは何かを考えていくことを平和のためには忘れてはいけないだろう。 回天=人間魚雷だとずっと思っていたが、本来の語の意味を最近知った。「時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと」だった。 |
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全車両チェーン装着規制 2010・1・6(水) 豪雪だと雪道走行が心配だ。凍結や積雪があると高速道路ではチェーン規制が行われ、雪用タイヤ(スタッドレスタイヤ)かチェーンを巻かないと走れなくなる。さらに状況がひどくなると全車両チェーン装着規制が出て、雪用タイヤでもチェーンを巻かなければ走行させない。 また、一般道でも雪が深かったり、凍結した急坂では雪用タイヤでもだめで、チェーンが必要になる場合がある。去年、4名乗車+トランクに荷物満載で急坂を登れなくなり苦労した。ずいぶん前だが、走行中に車体の下にどんどん雪が張り付き、タイヤが空回りして動かなくなったこともある。ともあれ、雪はうれしいが、それもほどほどがいい。 |
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食事 2010・1・5(火) 起床が遅いので朝食はお昼になる。近くのうどん屋さんに時々カレーうどんを食べに行く。今日も食べたくなったがそこは火曜日が定休、どうも火曜日になると欲求が起こるらしい。普段はうららとくるみに昼食を与えてから、パンと牛乳と果物を朝刊を読みながら食べる。ところが、娘2人は昼食を食べたにもかかわらず、追加を要求する。その目はまるで恋する乙女のようである。うららはパンやミカン、くるみはドッグフードを食べないと膝から離れない。 朝食の量が少ないので夕方前にはお腹がすいてくる。仕事の関係もあって夕食(SUにとっては昼食)は5時半ごろ。よその家庭より少々早めである。 |
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年の初めに 2010・1・4(月) 例年、年初めの目標を考えるのだが、今年はなんだか定まらない。と言うより、その意識が希薄になってきたのだろうか?そんな中で考えることは健康だろう。昨年は健康のために減量し、もう絞るところが無いくらいになった。リバウンドのないよう注意しないといけない。なぜなら、すべてのズボンのウエストを今に合わせて縮めてしまったからだ。 あえて目標を考えれば、手を出しているいろいろなことに一定の区切りをつけること。スキーで言えば、もう上達は無理なので年齢に適合した滑りを完成させることかな? |
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食べ物の人気 2010・1・3(日) 1歳から60歳代までいる年末年始、連れ合いが最も悩み、時間をかけるのは食べ物である。喜んで食べてもらえるものを選ぶこと、大量に余らないように用意することが重要である。人気のナンバーワンは肉類とアルコール、それと刺身、とりわけ孫のココロが大好きなマグロはすぐ売れる。カニもすぐ無くなるが、肉類の入らない鍋ものは人気薄だ。料理の順序にもよる。元旦の夕食(みんなで食べる最後の食事)で出た寿司は食べ残しが出た。もっとも人気が無いのはお節料理の一部、これは毎年相当残る。お節をやめたら?と提案するが、主婦としてはそうはいかないらしい。 幸いに今年はうまく用意ができたのか、残り物がほとんどなかった。しかし、連れ合いは昨日も今日も大量の睡眠をとっている。 |
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新年2 2010・1・2(土) 孫たちを中心に年越しをして、元旦は諏訪神社に初詣した。パパに抱かれてまっちゃんがお参り、良く見たらSADAおじさんと一緒にくるみも手を合わせている。(写真) 寒い元旦だったが、今年も親族集まって楽しい正月を迎えることができた。今年はどんな年になるのかな?楽しみだ。 |
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新年 2010・元旦(金) 本年もよろしくお願いいたします。良い年になるといいですね。 |
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