8月の終わりに 2009・8・31(月) 
 予想されたとはいえ民主党の圧勝、小選挙区制の凄さを実感した。「大きな政府」的な政策を持つ民主党の今後を注視したい。それにしても選挙までの長さと、午後8時の開票速報が一瞬にして大勢を伝える時間の短さとの落差に虚脱感さえ感じた。
 手術を終えた孫・将周は元気、電話口で「ジージ」と叫ぶ。「スージと呼んで!」とお願いするが無理なようだ。姉・琴音がますますおしゃまになって、カコバーと長々と話している。
 ネットで買った古書を少しずつ読み進んでいるが、いろいろ新しい発見があって面白い。安藤更生の随筆・南都逍遥にある「奈良の美人」はとても楽しかった。

  大きな政府とは、資本主義、自由主義の発展に伴う様々な矛盾を解消するために、国家が社会保障・福祉や貧富の差の解消のための施策を積極的に行う政府。

相馬御風 2009・8・30(日) 
 若くして文壇で活躍した彼は33歳の時、「還元録」を書き、故郷新潟の糸魚川に隠棲する。「(東京では)浮ついた文人生活」だったと吐露し、「本当の自我に帰ること、人間的調和を得ている健全なる凡夫の生活」を故郷で目指すと書く。隠棲して書いたのが「大愚良寛」である。
 彼の略歴を確認しておきたい。

1883年、新潟県糸魚川市に生まれる。早稲田大学在学中の1903年に岩野泡鳴らと雑誌「白百合」を創刊。1906年に早稲田大学を卒業した後、雑誌「早稲田文学」の編集に参加。また野口雨情・三木露風らとともに「早稲田詩社」を設立し、口語自由詩運動を進める。1911年に早稲田大学講師となる。1916年、内面を告白した『還元録』を刊行し、故郷糸魚川に隠棲する。帰郷後は良寛の研究のほか、多くの童話・童謡を作る。1950年死去、享年68」 

立候補者の名前が無い? 2009・8・29(土)             
 知り合いが期日前投票に行ったら、投票を予定した人が無い。不思議な話だが、四日市市が市の真ん中で三重2区と3区に分けられているための勘違い。今をときめく民主党の幹事長Oさんを予定したらしいが、彼は3区、知り合いは2区在住なのだ。2区の民主党候補のNさんはどんな人?と言っていた。Nさんは鈴鹿市を地盤にしているので、知らなかったらしい。
 SU家の20代のユウスケは土日と休みを取って東京に出かけた。聞き忘れたが、多分期日前投票はしてないだろう。
 投票率は高そうだが、選挙結果とその後はどうなるのだろう?

枕草子 2009・8・28(金)             
 高校の1〜2年の担任は「もんちゃん」と言う国語の先生だった。次々と指名し解答を求める先生に、初期は圧倒され劣等感に苛まれたものだった。厳しければそれなりの成果があるもので、次第に国語が理解できるようになると、優しい先生に変身していた。
 その先生が9月6日に6回目の講義「枕草子」を母校の図書館で行う。枕草子、方丈記、徒然草などは懐かしいが、当時は大学受験用の学習という側面が大きく、それほどいい思い出はない。今はそうしたものを味わって読むことができるが、出席は戸惑う。
 ところで「もんちゃん」とは、もちろんモンキーからとった愛称である。

ジャーナリストの務め 2009・8・27(木)             
  フォトジャーナリスト広河隆一の記事が少し前の毎日の夕刊に載っていた。彼は若い時、官製報道に惑わされて、中東で殺戮に間接的に加担したことを恥じる。騙されたことに怒るとともに反省し、現場での取材を軸に官製ではない弱い方からのフォト報道を実行してきた。
ブッシュ(前大統領)の肩ばかり持つ米国の記者がインタビューで『なぜ?』と聞かれて『ジャーナリストである前に米国人だから』って答えていた。冗談じゃない。国益を考えて書いたら官報と変わらないでしょう。事実がねじ曲げられてしまう
幸せに生きる権利。それを保証する、為政者にだまされないないための知る権利。この普遍的な権利を守るのが我々の務めでしょうが
 広河の気概や良し。日々の大量報道に惑わされない努力も読者は求められている。

おめかし 2009・8・26(水)             
 くるみは今日初めてカット、羊のように伸びていた毛をそろえて、やっとトイプードルらしくなった。月末で生後5ヶ月になる。うらら姉ちゃんには負けるけど、逃げ回るスピードは超特急!

ご飯欲しいな

ご飯の時は仲良し

体重1.9kg

遊び疲れて

期日前投票 2009・8・25(火)             
 投票も期日前投票のおかげで便利になった。時間の選択ができ、駐車場に車を止めてすぐに投票できるので今日済ませてきた。ただ、四日市は3か所しかない。大都市では電車の駅に投票所を置いたらもっと投票率が上がると思った。
 自民党は森政権の時に地に落ちかけていた。それを小泉政権が郵政選挙で一時的に回復しただけと考えたら、今度の選挙は負けてもそれが実態と言える。予想される新しい政権による国家運営をしばらく注視することになるだろう。

奈良の美人 2009・8・24(月)             
 安藤更生らが奈良の美人姉妹に心ときめかしたのは、大正末期、まだ20代前半の頃だが、若い仲間たちの間では「奈良には美人がいない」が通説だった。その話を聞いた先生の会津八一(40代)は「奈良に美人がゐないのは、奈良の男が甲斐性がないからだ。余所から美しいのを連れてくる力もないし、せっかく奈良で生まれた美人もこゝに留めて置く甲斐性がないのだ」と文化論?をぶったと言う。昭和40年頃には奈良で美人をよく見かけるようになったから、八一の説に従えば奈良の男も甲斐性が出てきたかも知れないと安藤は書いている。
 現在、奈良の商業界で活躍するSUの友人が、東京に遊学しその後奈良に帰って余所の美しい人を伴侶にしたのは昭和50年頃、奈良の甲斐性のある男の代表なのだ。

日吉館の由来 2009・8・23(日)             
 八一に師事した安藤更生の随筆に「奈良の美人」がある。その中に日吉館の名の由来が書いてある。「日吉館の先代、松太郎爺さんは、このKの家の山番だった。Kの家では松太郎夫妻が感心によく働いてくれるといふので、今の日吉館の後半部の方を増築して、下宿屋を出させてくれた。爺さんは貧乏な暮らしから、到頭一軒の店がもてるやうに出世したといふので、俺は日吉丸が太閤さまになったようなものだ、といふので、店を日吉館となづけたのである
 このK家の姉妹が美人で、若い安藤更生や上司海雲が心ときめかした話が書いてある。
安藤更生(あんどう こうせい) 美術史家。東京生。本名正輝。東京外大卒、早大中退。早稲田中学時代から会津八一に師事。八一と奈良美術研究会を始め、のち奈良に東洋美術研究会を創設。「東洋美術」を創刊。平凡社に入社後、中国滞留を経て早大教授となる。1970年没。
上司 海雲(かみつかさ かいうん) 奈良市生。龍谷大学英文科卒。昭和14年、東大寺塔頭観音院住職。昭和47年、二百六世東大寺別当、華厳宗管長。名筆家、随筆家としても知られる。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。1975年没。


アンコールワット展 2009・8・22(土)             
 パラミタミュージアムで昨日からアンコールワット展が始まった。安達先生から割引券を頂いたので早速出かけてみた。日頃、日本的な仏教の仏像を見ているとカンボジアの風土の中でクメール族によって作られたヒンドゥー教、仏教彫刻は新鮮である。今、手がけている白鳳彫刻である香薬師像の顔とどうしても比較しながら鑑賞してしまう。ヒンドゥー教の神像や釈迦像の眉から鼻、さらに唇まで食い入る様に観察してきた。いつか、オリジナリティに溢れた仏像を彫ってみたいとも思った。
 銀杏の木で作る阿弥陀仏の打ち合わせのため西信寺(菩提寺)にも寄ったが、住職は去年アンコールワットを訪れたと話していた。

乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん) 2009・8・21(金)             
 大化の改新(645年)と覚えた事件は、クーデターと言えるので今では乙巳の変と言う。その後の中大兄皇子による諸改革が大化の改新である。強大な唐の出現の脅威に対抗するため、倭国を統一強化し天皇制国家としての日本を作っていく。その間、百済のために出兵した倭軍が白村江の戦い(663年)で唐・新羅の連合軍に大敗した。そのため、唐が攻めてくるのではないかとの恐れから九州沿岸の防衛のため設置された兵が防人である。こんなことを最近のテレビや本で知った。ちなみに白村江は訓読みでなく「はくそんこう」で良いらしい。
   父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる 
                     万葉集・防人の歌 丈部稲麻呂(はせべのいなまろ)

秘技くらげ泳ぎ 2009・8・20(木)             
 琴音のプールデビュー、今日の写真は「秘技くらげ泳ぎ」と命名されて送られてきた。ビデオもある。昨夏は小さい家庭用ビニールプールで遊んでいただけだから、プールで遊べるとは立派とジージは目を細める。
 ともに小学2年生の鳥取の創志と隣家のお孫さんは泳ぎが得意、三滝川ですいすい泳ぐ。彼らは水中に潜ることができるので、水を怖がらない。創志はカコバーと風呂で潜りっこばかりしていた。
 11日に手術した将周も15日公園で元気に散歩している。安堵!

偏袒右肩(へんたんうけん) 2009・8・19(水)             
 読みさえ迷うこの言葉は僧の袈裟(けさ)の着方を表す。偏袒とは肩脱ぎすることで、「右肩ヲ偏袒ス」で左肩のみを覆う着方である。これは相手に恭敬の意を表す場合の着方で、通常は両肩を覆って着る通肩(つうけん)で托鉢や座禅を行う。
 言葉の意味を辞書で調ながら「肩(けん)」を使った熟語を思い浮べようとしたがなかなか出て来ない。やっと思い浮かんだのは強肩(きょうけん)と肩甲骨(けんこうこつ)、四十肩(かた)はすぐ出てきたけれど。

第3火曜日  2009・8・18(火)             
         今日は定休日独り言も御休み。

   世の中に まじはらぬとには あらねども ひとりあそびぞ 吾は楽しき    良 寛

出家 2009・8・17(月)
 出家とは、世俗の生活を捨て仏門に入ることで、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者を経済的に資助するとされている。
 名主見習としての18歳の良寛は、役人と庶民との争いの仲裁で、正直過ぎるほどに互いの言うこと(相手への非難までも)を伝えてしまい、仲裁に失敗する。そうした立場に自分の性格がまったく合わない事を痛感し、出奔、出家したという説がある。良寛として慕われたころ、彼は「在家者を教え導く」ことをほとんどしていない。
   身を捨てゝ 世を救う人も ますものを 草のいほりに ひまもとむとは
 こう詠って、僧としての役目を果たせない己を悔んだこともあるが、いわゆる宗教家ではない良寛の求めたものが何かは興味あるところだ。

ママちゃん便り 2009・8・16(日)
  将周は元気溌剌です。昨日病院で絶好調だねって先生に言われました。火曜日にもう一度病院へ行って傷に貼ったテープが無くなれば、お風呂にも浸かれます。後は二週間から一ヶ月後位にまた先生に診てもらいに行く予定です。
 将周は凄くヤンチャで既に手を焼き始めているママちゃんです。琴音は毎日プリキュアとお姫様に夢中、今日初めてパパと近所の公園のプールに行って、浮輪でバタバタ泳ぎました。その時の写真も送ります。

 2009・8・15(土)
  今年も同級生から梨が一箱届いた。彼の会社の先輩が埼玉で作っているもので、甘くてとても美味しい。ただ、血糖値が高いので、糖分の多い果物は1度にたくさん食べないようにしているし、夫婦二人には一箱は多すぎるので、隣家や身内におすそ分けしている。
 ところで同級生にお礼の電話を入れたら、彼はびっくりするほど血糖値が高く、危険水域をはるかに超えていた。聞けば、定年退職後に日常の活動量が大幅に減ったことに原因があるらしい。ともあれ、食生活等の節制を勧めたが、梨のお礼を送るにも菓子等の甘いものはいけないので何を送ろうか悩んでいる。

昼行燈 2009・8・14(金)
  ぼんやりした人、役に立たない人をあざけっていう言葉だが、行燈そのものが生活の場にないので徐々に死語になっているかもしれない。コンパクトな辞書では見当たらない。
 「昼行燈」で浮かぶのは大石内蔵助である。ボンクラを装いながら実は・・・は、ドラマのヒーローに多いが、やはり語の意味は差別用語だろう。
 ただ「人称して名主の昼行燈息子」の良寛に関しては、後に人々の敬愛を受けた姿から考えると“ボーっとしてとらえどころがなく、性格は温和であったが社交性に欠け、小賢しいわけではなかった”と考えた方が適切である。これが18歳出家の理由の一つであろう。

良寛の生い立ち 2009・8・13(木)
  良寛は江戸後期に越後国(新潟県)出雲崎で名主兼神職橘屋の長男として生まれる。幼名は山本栄蔵。18歳で出家、48歳の時故郷に帰り、蒲原郡にある国上山(くがみやま)の五合庵に住み、いわゆる良寛的生活を送る。島崎村の木村邸で70年余の生涯を閉じた。
 良寛の幼年時の逸話「“親を睨むとヒラメになる”と叱られた言葉を真に受けた栄蔵が、海辺に走り、岩に腰掛けて泣いていた。なかなか戻らない栄蔵を心配して見つけだすと“わしはまだヒラメになっていないかえ?”」や「人称して名主の昼行燈息子・・・」などは生涯無欲恬淡な性格で托鉢生活を送った良寛自身を理解する鍵になる。


西信寺 2009・8・12(水)
  兄夫婦と墓参りの前に菰野町の西信寺を訪問し、先日頂いた銀杏の木の件で住職とお話をした。真宗大谷派は本尊が阿弥陀仏なので、銀杏の阿弥陀仏を所望された。すでに本堂の左の良い場所が予定してあった。今日はカメラを持参して本堂から銀杏の木を写してきた。
 寺のすぐ近くにある本家で兄弟ともに生まれたので、当時の産婆さんの名などが話題に上がったりして、住職夫妻と懐かしいひと時を過ごした。

大愚良寛 2009・8・11(火)
  早稲田の校歌「都の西北」を作詞した相馬御風に「大愚良寛」と言う著作がある。「大愚」とは何?と思ったが、大愚は道号(本師や恩師から授与される称号)で法名である良寛と一体のものだが、普通名前の方(良寛)だけを呼ぶ。それにしても号が「大馬鹿者」と言うことにはびっくりするが、良寛の生涯と人となりを知ると、なるほどと思えてくる。
 良寛と言えば、子供達と手毬で遊ぶ姿がすぐ浮かぶが、優れていたことは詩と歌と書である。それらは「良寛そのものの人格の表現である」と御風は言い「破笠衲衣(はりゅうのうい・破れ笠に破れ衣)の一貧老僧が飄然(ひょうぜん)として去来するところ、至るところの町、至るところの村、いたるところの家、そこに常に不可思議なる和らぎと歓びとが薫風(くんふう)の如く漂うた」ことも記述する。新潟の2人をしばらく追ってみたい。
 (P.S. 将周無事手術終わる

男・将周〜〜 2009・8・10(月)
  本日病院に入りました。午前中に検査し、異常無しとのことで、明日9時半から手術です。場所になれず、落ち着かない様子ですが、お昼ご飯を沢山食べて、ママの腕の中でお昼寝しました。順調にいけば明後日午前中には退院です。
 今夜の夕食を最後に、明日の夜までご飯にありつけません。全部しっかり食べました。ご飯前にシャワーもしたし、食後はウンチコもでてすっきりしたし、ぼちぼち寝ようかな! 「男・将周、いっちょ、頑張ります

将周 2009・8・9(日)
  将周の腸の手術を前にお見舞いと一緒に、孫たちのオモチャやお菓子を千葉に送った。よくしゃべる琴音は携帯電話の向こうで大声で叫ぶ!「カコバー、シャボン玉もグミのお菓子も入っていたよ!ありがとう」 病気の将周の世話をしてね、と言うと「は〜〜い!」とお利口な返事が戻ってくる。
 将周は元気に歩きまわりながら電話口で「バ〜バ」と言っているようだ。連れ合いが「バ〜バは止めて、カコバーと呼んでよ」とお願いしているが、聞き分けるほどの年ではない。
 明日入院、明後日の手術が無事済むことを心から願っている。

オコゼ 2009・8・8(土)
  オコゼと呼んでいる青色の虫に刺されると飛び上るほど痛く、完治まで1週間ほどかかることがある。正式にはイラガ(刺蛾)と言う。7月末、樫の木から落ちて自転車にいたオコゼに連れ合いが刺された。手の届く範囲で退治をしたが、なかなか難しい。猛威が過ぎた今日、庭師さんが殺虫剤の散布にやってきた。今年は遅いから、虫に刺されたと言うと、雨が続いたのでなかなか散布の機会が無かったと弁解する。長かった梅雨の影響がこんなところにも出た。
             

美輪(丸山)明宏 2009・8・7(金)
  美輪明宏が長崎原爆で10歳の時被爆しているとは知らなかった。「ヨイトマケの唄」は好きだけど、いかがわしい予言などを扱う「オーラの泉」で話す彼は嫌いだった。今日、毎日新聞に載った彼の言葉で見直した。
 「私の原爆体験より、いかに一般の日本人が知力に欠けた生活を強いられたかをお書きなさい」「(戦争中)大声で話すと“米軍の”飛行機に盗聴される、と怒られた。・・・美しいものは軟弱という理由で排除された。・・・インテリは国賊。大学を出た人が徴兵されると、上官に殴られた。無能な上層部が国を運営して国民が疲弊した知力なき時代」「(それは)愚かで野蛮だった」しかし今の日本の現状を「これからはまともな人が評価を受ける。そんな黎明期です」と言う。選挙で知力が問われると言うことだろう。

エノラ・ゲイ 2009・8・6(木)
 脆弱なわがゴム動力飛行機ではなく、「エノラ・ゲイ」は9トンの爆弾を積めるアメリカの長距離爆撃機B−29の1機に付けられた名前である。原爆投下用に改造されたこの爆撃機は64年前の今日、広島で14万人(1945年末までの死者数)を殺した。
 アメリカでは5割を超える人がこの投下を正しいと言い、戦勝国アメリカ及びアメリカ人を罪に問うた事実はない。
 日本では今日、人1人殺した人の裁判で15年の判決が出た。個人が行うと犯罪だが、組織や国が行うと免責されることがある殺人行為、このことの矛盾を深く考えたい。人を裁くという行為が強制される裁判員制度にも困惑する。

チャーター機 2009・8・5(水)
 クリントン米元大統領が北朝鮮で有罪判決を受けていた2人のTV記者を、あっという間にチャーター機で連れ帰った。両国間で何が約束されたかはわからないが、「私的な活動」と言う元大統領による見事な救出劇である。
 北朝鮮とは拉致問題を抱える日本だが、個々の課題を話し合いによって粘り強く解決しながら、隣国北朝鮮との友好関係を築くことが「求められる外交」の基本だと思う。いたずらに敵視政策を強化しても緊張が増すだけで、解決は遠ざかるばかりだ。
 ところで、わがゴム動力飛行機は材料が木と紙のみなので三滝公園の強い風の影響を大きく受けたが、義兄の努力で無事飛んだ。


今日の創志
名古屋港水族館
ゴム動力飛行機 2009・8・4(火)
 創志と小さな紙飛行機を飛ばしていて、子供のころに作って遊んだゴム動力飛行機を思い出した。近くの模型屋さんに置いてあり、創志のために2セット買った。ネットで見ると今でも愛好家はいるようだ。
 
 20代のユウスケは全く知らなかったが、60代の知人は懐かしがり、孫に作ってあげようと言っていた。当方も義兄が明日創志のために組み立てる予定。1セットを土産にするが、創志のお父さんは作れるかな?

墓参り 2009・8・3(月)
 連れ合いの実家の墓地で、創志と元気に走り回っていたうららとくるみだったが、暑かったのでしばらくするとゼイゼイ言ってアイスノンにしがみついていた。
 墓の刻字が薄くなっていたので修正した後、皆でお参りをした。元気な創志を目の前にして、鬼籍の曾祖父母は喜んでいるだろう。SU家の墓参りは12日の予定。

創志登場 2009・8・2(日)
 鳥取の創志(甥の長男)は小学2年生になった。1年ぶりの彼は背が高くなり、大人びてやってきた。四日市祭を楽しんだ後、うららとくるみに対面、最初は戸惑った創志と犬たちもしばらくすると自然に仲良くなった。カコバーとは風呂で潜水ごっこをしてなかなか出てこない。うららとくるみは風呂場まで入れ替わり立ち替わり様子を見に行く。創志の四日市の夏が始まった。明日はまず墓参り、その後はどこへ行くのかな?
 父母からメールが届いた。「今日から、ポニョ創志とババちゃんとお世話になります。四日市をずっと楽しみにしていました。夏休みの思い出をたくさん持って帰ると思います。やんちゃですが、よろしくお願いします

古色 2009・8・1(土)
 円空仏などの古色を出すために彩色をする。それほど難しいわけではないが、3工程ほどある。もちろん先生から教わった方法だが、色を施した後、次の工程に行くためには乾燥させねばならない。ところが、こう雨が降ると時間がかかる。使いたくはないが、こんなときはドライヤーが役に立つ。冬のスキーツアー専用のものをバックから出してきて使っている。明日やってくる義姉への聖観音プレゼントは間に合いそう。
 ドライヤーなど要らないカラッとした夏空が欲しい。祭の関係者もそう思って空を眺めているだろう。
      夏のかぜ 山よりきたり 三百の 牧の若馬 耳ふかれけり   与謝野晶子
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