大切なのは人の愛   (2008年8月7日卓話)

                            奈良県家庭教育支援講師 向野幾世氏

ことし72才になりました。人、出来事、自然、いろいろなご縁、出会いがあります。森信三さんの「出会うべき人には必ず出会う、遅くなく早くなく」という言葉に出会いました。
わたしの父は障害者でした。留守番で玄関に来た人に、這って出て行くと「きたない、シィー、シィー」といわれていました。が、このからだで生まれてきたから、心の値打ちの高い人がわかる、といっていました。4人の父として76才の過酷な人生を終えて亡くなった時、父のかかとがマシュマロのような小さなものであったことを初めて知りました。
その10年と10日のちに50年間父と連れ添った母が亡くなりました。私の母の原風景として、「父を背負う母」の場面がでてきます。自宅の前は瀬戸内海の霧笛、その音がみかん山に響きました。姉妹で、かまどの火を炊き、風呂を沸かしました。いつもは母は「いい湯だった。ありがとう。助かるわー。」と言ってくれました。人は自分は役に立っている、と思えることで、生き生きと生きることが出来ます。

西ノ京養護学校の女性初の校長になったとき、「逃げたらあかん」という本に出会いました。
また相田みつをさんの詩にでも出会いました。
   「なみだをこらえてかなしみにたえるとき 
    ぐちをいわずにくるしみにたえるとき
    いいわけをしないでだまって批判にたえるとき 
    怒りをおさえてじっと屈辱にたえるとき 
    あなたの眼のいろが 深くなり・・・
    いのちの根が、深くなる・・・」

昨年から、障害者は特別支援者という呼び名に変わりました。が、眼、耳がおとろえた私たちもまた特別支援者なのだと思います。大学を出て50年、同窓会をひらいたとき、固有名詞がお互いでてこなくても、話が通じる、どっこいしょと立ち上がる・・・。

外国ではシルバーシートのことをチャレンジシートといいます。
ニューヨークの国連でワンチャンス発言できる機会があって出かけました。「子どもが生まれるのが少なくなってきたのに、障害を持った子どもが増えてきたのはなぜ?」と。

後藤新平は、「お金を残して死ぬのは下、仕事を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのは上」
といっています。夫が80才で亡くなったあと、あちこちに寄付をしました。ベトナムにも幼稚園を寄付できました。今着ているアオザイはそのときに作ったものです。

少子化といえば奈良県はワースト1のときもあり、いま全国ワースト4位です。便利さと豊かさだけを享受しているように思います。性の自由化により年間270万人も堕胎されているといわれています。若い人にも知って欲しいと思います。

星野富弘さんは、体育で高い跳び箱をひねりを入れて落ちて頚椎を損傷されました。一瞬にして人生は変わるものだと思います。口に絵筆をくわえて絵を描かれます。2時間もくわえて描くのはたいへんなことです。100点の原画をあつめて、10月25日から11月3日まで、奈良県文化会館で星野富弘「花の詩画展in奈良」をおこないます。

昨年7月「お母さん生まれてきてごめん」という本を出版し、テレビ化されました。森昌子さんがおかあさんの役をしてくれましたので、会って対談をしました。
15年間を精一杯生きた、脳性マヒ児の「いのちの詩」。
   『ごめんなさいね おかあさん/ごめんなさいね おかあさん/
   ぼくが生まれて ごめんなさい/ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう/
   ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね』
母への感謝の気持ちを綴ったこの詩は、今でも多くの人に「生命の大切さ」を訴え続けています。              

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