7月の終わりに 
2007・7・31(火)
 今月は何年ぶりか?と言うほど久しぶりに腹を立てた。当方に当然の要求権利があるものに対して、何の説明もなく拒否されたからだ。組織内の都合で応じられない、と言うことが後でわかったが。
 辺見庸は言う「一つの共同体や組織がもつ美しさとか醜さというものは、内側からはなかなか捉えきれない。それを視認し、感知し、比較的正しく指摘しうるのは一般的にいって、内部の日常に埋没した者たちではなく、外側にある者たちなのではないかということです
 アベさんは選挙に負けたが総理にとどまるという。自民党と言う内部からしか見ないから、己の醜さに気がつかない。一国の代表がこんなことでは、同じようなことが随所で行われる。 

哀悼 小田実 
2007・7・30(月)
 1960年代後半、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は巨大な戦争反対運動を展開した。その代表が小田実、彼の活動は新鮮でエネルギッシュだった。だが、運動を支える理念や思想が脆弱だったために盛衰は激しく、べ平連はあぶくのように消え去った。
 同じ頃、世の中の矛盾や戦争に反対した多くの学生たち(団塊の世代)は、情けないことだが今は存在の影さえ見えない。そんな中で、彼の偉いことは生涯、戦争に反対し、また弱者救援を貫いたことだ。平和憲法が危うい中、惜しい人を亡くした。

選挙 
2007・7・29(日)
 年金問題に有権者の審判が下った。野党が過半数を制したのは当然だと思うが、コイズミさんの郵政民営化選挙の時のようにムードだけで投票が行われたのなら、先行きは暗い。
 自民党も民主党も内容的には大きな差異はなく、国家体制が根底から変わるわけではない。「権力は長くなると腐敗する」 そうした意味で自民党の長期政権は一度交代した方がいい。ただ、本当に多くの人たちの幸せを担えるのは誰か?は次の衆議院選挙で問われる。
 アベさんが続投すると言っているが、組織が負けたときに最高責任者が地位に未練を残すのでは全く「美しさ」がない。

鑑真和上像 
2007・7・28(土)
 唐招提寺の鑑真和上像に博物館でお会いしたことがある。6度目の渡航に成功し、東大寺において日本で初めての正式の授戒(僧と認める)をし、その後唐招提寺を建立した。だが度重なる渡航の失敗で失明する。
 明治の廃仏毀釈等によって衰退する寺や仏教に対する嘆きの中で、若き八一は鑑真和上像をどっしりと正面にすえて歌い上げた。東京空襲で罹災し、故郷新潟に帰った晩年、ある寺から仏像に対する作歌を懇望されたが、作れずに断っている。
    開山堂なる鑑真の像に   
        とこしへ に ねむりて おはせ おほてら の  
                いま の すがた に うち なかむ よ は
     八一
         
 (とこしへに眠りておはせ大寺の今の姿にうちなかむよは)

お墓の修理 
2007・7・27(金)
 生前、父は先祖代々の墓を修理し、母は新たにキリスト教の墓を作った。二つも墓があるとややこしいので一つにしたいが、宗派が違うことや先祖や父母の思いを考えるととても難しい。そんなことを日頃思っていながら、今日、業者にキリスト教の墓の土台修理を依頼した。雑草の太い根がカロート(納骨棺)まで入っており、その徹底した排除も頼んできた。これで親族による恒例の草抜きは当分しなくていいだろう。
 今年は子供たちが8月はじめにやってくるので、早めの墓参りになる。その後は、孫の琴音と四日市祭を楽しもう。

小バエ 
2007・7・26(木)
 鈴虫を飼っている素空庵(SUの私室)で、小バエが4個の水槽の土から大量に発生した。さしあたり、ドアを閉め他の部屋へは行かないようにしているが、ひどいので今日市販の駆除用具を買ってきた。昔ながらの虫取りリボン、ナイス蚊っち(テニスラケット型)、小バエ取り(容器にハエを呼び込む)、水槽の上ブタに貼る小バエホイホイ(?)等々。効果や如何に?
 ところで、室内の植木鉢の土からもわく。これは腐葉土が混じる土に小バエがわきやすいためで、鉢の表面の土を少し(1〜3センチ)取り除き、腐葉土を含まない清潔な土、赤玉土などをかぶせるといいらしい。

アベさんは読んだかな?(2) 
2007・7・25(水)
 そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍隊も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。・・・・・・
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
(文部省文書  中学一年生用社会科教科書に採用 / 辺見庸「抵抗論」から転載)
 前回、郵政民営化だけで政治の選択をした。年金問題だけでは未来を見失う。 

アベさんは読んだかな? 
2007・7・24(火)
 1947年から52年まで使われた文です。誰が誰に送ったか想像しながら読んで下さい。
 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったのでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことでありませんか。      明日に続く (新しい憲法のはなし 六 戦争の放棄より)

期日前投票 
2007・7・23(月)
 SU家のYは21歳、初めての参議院選挙、しかし29日は遠方へ行くので休暇を取っている。「選挙どうするの?期日前投票できるんだよ」「やっぱり行かないといけないでしょうか。場所は何処ですか?」ネットで調べて、四日市市総合会館、三重北勢健康増進センター、防災教育センターと教える。
 でももう一つ困ったことがある。日常、社会や政治のことに興味が無いので、どんな人に投票していいか全くわからない。20代の投票率が低いのはこんなところにも一因がある。だから、コイズミさんの時のように、マスコミがムード的に煽ると深く考えずに雪崩を打って投票するようになる。しかし、今回は年金問題に関心が少ない20代の投票率は低いだろう。

造仏の種類(仏像の話5) 
2007・7・22(日)
 SUが手がけたのは木彫仏だが、造仏の方法は他に鋳造、塑造、乾漆、石造などがある。鋳造とは金属で作ったもの。代表的なものは青銅にメッキした金銅仏、蝋(ろう)型鋳造と塗金で作る。奈良の大仏の塗金では、金と水銀を1:5の比率で混合したアマルガムを塗り、その後加熱して水銀を蒸発させた。使われた水銀は2.5トンだった。
 大仏鋳造後、奇病が発生したと記録されているが、水俣病から類推すれば、多くの人々が被害にあっているだろう。
 蝋型鋳造
 蝋型鋳造は、土で大体の形(中型)を作り、その上に蜜蝋とマツヤニを混ぜた原料を塗って原型を作る。次に原型の蜜蝋の上に、再び土をかぶせ外型を作り乾燥させる。加熱すると、蜜ろうの部分だけが溶け出して空洞となる。その空洞に溶かした青銅を流し込み固める。外型を取り除くと原型と同じ型の鋳造仏が出来上がる。

PK戦 2007・7・21(土)
 アジアカップ準々決勝、PK戦でキーパー川口が1、2本目を連続して止めるという奇跡に近い活躍で勝利する。無条件で川口を褒めたい。
 圧倒的に不利なキーパーを、相手が順にペナルティーキックで攻めるPK戦は好きではない。キッカーとキーパーの不公平な条件のなかで勝敗を決めるこの方法は酷く、見ていて良い気持ちがしない。オシム監督がPK戦を見ないのはそんん所にあるかもしれない。
 話は変わるが、昨日のくつわむしの件、久しぶりに同年の従兄弟と話したら、その凄まじい鳴声の経験があるとのことで、二人で大笑いした。

くつわむし悲哀 2007・7・20(金)
 孵化が遅れた鈴虫が中くらいの大きさになった。鳴き始めは8月になりそうだ。
 「ぐわ〜ぐわ〜がっがっがっががががが〜〜」と去年鳴き、家電製品が壊れたかと家人を驚かせたくつわむしは秋になると死んだが、その後水槽は倉庫の奥に封じ込められた。そのまま忘れていたが、何気なく覗くとくつわむしが孵化している。エサが無かったので、死んだものや息絶え絶えのものがいたが3匹生き残った。せっかく誕生したのに気の毒なことをした。早速手入れして飼育を始める。透き通るような緑の体と長い足を持った幼虫は美しい。生き物の成長は神秘的で眺めていると楽しい。ただ、悲しいことに鳴く頃にはやかましいので、捨てられる運命にある。野生で生き延びれるか、くつわむしには次の試練が待っている。

段ボール肉まん 2007・7・19(木)
 中国・段ボール肉まんにびっくり、さらに段ボールとミンチのの割合が4対6ではなく、6対4なのに驚愕。日本が何でもありで経済活動を行った時代を思い出しながら、経済が急成長しても社会生活のレベルやモラルが、まだまだ低いという思いが確信に近いものになった。
 ところが、モラルが低いのは捏造報道した中国マスコミだった。世界中に配信され、中国の食の信用を大失墜させた罪は重い。中国の人たちは残念だろう。ただ、一部食品に対する不信を払拭する努力はして欲しい。
 小さい頃、近くにあった北京飯店は、玉ねぎ切りなど肉まん作りの下準備を我家の前でしていた。その肉まんは美味しく、以来ずっと肉まんファンである。

商店街散策 2007・7・18(水)
 強い雨が降ると我家の姫・うららを連れてでは、戸外に出かけるところがない。考えた挙句、定休日はアーケードのある商店街の散策となった。店の雨漏り対策をし、昼食は近くの食堂から店に出前を取り食べる。食後、実家の武蔵野園で美味しいお茶をよばれて茶器など眺める。次は本屋さん、新光堂のSさんと話しながら、家人が「愛犬と行くプレイスポット」を買う。あちこち見て歩き、最後はカフェレストラン「ぼうし」を訪問、ここでもうららはフリーパスでみんなのアイドルである。店主もお客も一体になって会話が弾んだ。
 駅中心商店街は人と人の会話が豊富で楽しい、そして、雨降りに強いと再確認した。

第3火曜日 2007・7・17(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

           年たけて また越ゆべしと おもひきや 命なりけり 小夜の中山     西行    

中越沖地震 2007・7・16(月)
 震度6強、多数の死傷者と全壊家屋300棟以上、阪神淡路大震災と同じ大きさと言う。前回は3年前、再度の災害に心からのお見舞いを送りたい。奈良でも震度3の地震があった。四日市は震度1だったが気がつかなかった。
 地震前兆現象として犬や猫はおびえて落ち着かなかなくなるという。特殊な例として猫が、耳をピンと立てて様子を窺い外に出ていく時は、しばらくして余震が来る時だったという報告がある。我家のうららにも予知能力があればと思うけど、とても期待できない。

台風 2007・7・15(日)
 昨日、店が雨漏りになった。調べると2階の窓の辺りがひどく、それが階下に伝って漏っていた。バケツで応急処置をしたが、夜明けまでの台風による雨量を考えると心配で寝つきが悪かった。朝番の0さんに対処をメモして帰宅したが、幸い雨量が少なく被害は無かった。もう屋根に上る元気は無いので、明日業者に連絡しようと思っている。
 台風一過、午後には晴れてきたが、強い風が怖いのかうららがひっついて離れなかった。
 ところで、寝覚めたのは昼近く、昨夜の心配もいい加減なものである。

携帯電話 2007・7・14(土)
 友人が出張中、タクシーに携帯電話を置き忘れたが、タクシー会社名を覚えていたのですぐに手元に戻った話をブログに書いていた。大量の情報が入っていて、必需品になっている携帯が無くなると困る時代になった。
 ところで、在宅の時まで持って歩くわけではないので、コールされても気がつかないことが多い。今日も友人のコールを、違う部屋にいたので気がつかなかった。スタッフには携帯に出ない時は家にいるから、自宅の電話を鳴らせと言ってある。都合の悪い時は出ない時もあるけどね。

河島英五 2007・7・13(金)
 友人・鹿鳴人の案内で、河島英五の家族が経営する奈良のテンテンカフェに行く。家人は大ファンなのだ。店内には、彼が家の壁に書いていたラクダの絵が飾ってあり、またそのラクダをモチーフにした赤膚焼の食器がテーブルで使われている。とてもいい雰囲気の店だ。
 お客さんが少ない時間だったので、ドッグバックに入れてという条件でうららも入店、ここでもおとなしく、おりこうさんだった。

100歳 2007・7・12(木)
 知人のお母さんが亡くなられた、享年100。お別れをしてきたが、斎場入り口に100歳を祝うコイズミ総理の賞状と銀杯が置かれていた。100年とは気が遠くなる年月だが、よくぞ長寿を全うされたと思う。コイズミさんは嫌いだが、国を代表して長寿を祝うことはとてもいいことだ。
 自由で平等な社会であるはずなのに、階級社会の象徴たる天皇授与の勲章などがいまだにあるのはおかしいが、こうしたお祝いを国の代表が行うことは長生きの励みになって良い。

古代への憧憬 2007・7・11(水)
 聖武天皇の東大寺行幸を、深い学的知識を背景に臨場感豊かに歌い上げる東大寺懐古2首。そのイメージを大仏殿前で現在行われる音楽コンサートなどを通して想像していたが、友人・鹿鳴人から送られてきた井上博道氏の作品で、もっと鮮明に感じ取ることができた。「幡鉾(はたほこ)」も写っているのでなおさらである。
    東大寺懐古(第2首)   
           おほてら の には の はたほこ さよ ふけて
                ぬひ の ほとけ に つゆ ぞ おき に ける 
     八一
          (大寺の庭の幡鉾さ夜ふけて縫ひの仏に露ぞ置きにける)

叔母の供養 2007・7・10(火)
 奈良探訪もあって、生前によく訪問した法隆寺近くの叔母はもういない。仏壇に参り、従兄弟夫婦と四方山話。病床の叔母のこと、葬儀の翌日が長女の婚礼だった話、千葉の叔母の病気見舞いに夜行バスで出かけたことなど話は尽きない。この従兄弟は新幹線の運転手、なんで夜行バス?の問いに一度乗ってみたかったからと言う。
 ところで従兄弟は超上級スキーヤー、来シーズンは是非指導をと頼んできた。うまく行けば来てくれそうなので楽しみだ。
 家ではわがままなうららだが、出先ではハハの膝から一歩も動かないおりこうさんである。

うららの遠出 2007・7・9(月)
 先週、うららを連れて奈良の叔母のお参りに行く。車に乗せたハウスに入って、出発前にまず記念写真! 出かける前はよく言うことを聞く。
いつものように針のインターで小休止、時間がなかったのでお土産だけ買って出発したが、5km渋滞に巻き込まれる。工事による一車線規制と案内があったが、渋滞が終わるまで何処にも工事はなかった。不思議だが、友人と約束した昼食をキャンセルした。うららにとっては先月の郡上市美並町往復よりは長旅になった。

共結来縁(きょうけつらいえん) 2007・7・8(日)
 仏像と書を紹介する2007年7回目。奈良唐招提寺の長老・松浦俊海さんの書と同寺の「盧舎那仏(るしゃなぶつ)座像」です。
 『書 「共結来縁」・・・・・・「われわれ仏の弟子たちが多く集まって、将来への縁(えにし)を結ぼうではないか」と鑑真和上が仰(おっしゃ)ったのであろうと、私は解釈します。(「東征伝」)』(松浦俊海)
 

バックアップ3 2007・7・7(土)
 ノートパソコンのディスプレーがパンクしたので、新しいデスクトップパソコンにあった液晶ディスプレーに繋いだ。(デスクトップには廃棄前の大きなブラウン管ディスプレーを繋ぐ) その上で四角のマークのあるFキーを使ってノートPCから外付けのディスプレーへ画面を切り替えたら、うまくいった。ついでに外付けのキーボードを付けたら、これも使える。本体のキーボードはYのキートップ(Yと印字して部品)が壊れているので、この不便さも解消した。捨てられる寸前だった古いディスプレーとキーボードが現役に復帰し、ノート本体は邪魔にならないように下の段に退いた。トラブルを何とかクリア、もう少し使えそうなのでほっとしている。

バックアップ2 2007・7・6(金)
 やっぱりノートパソコンの液晶画面がパンクした。バックアップは出来たけど、しばらく修復か買い替えかの作業に悩まされるかな。パソコンその2で応急でアップしたけど、しばらく独り言休載に追い込まれそう。

バックアップ 2007・7・5(木)
 パソコンの液晶画面が不安定になった。今、慌ててバックアップを始めた。設定や大量のデータを移すのは大変。ジュニアに聞いたら、保存用の容量の大きいハードディスクを使う時代だという。データを何枚ものCDに焼くのは時間がかかる。
 バックアップを終わるまで、液晶が持って欲しい。このノートパソコンも寿命かな?

琴音より 2007・7・4(水)
 梅雨だから仕方ないけど、じめじめして髪の毛クリンクリンになっちゃうし、チリンチリン(自転車)には乗れないし、ママもおむつ乾かないって困ってるよ。 来月四日市に行った時はお天気だといいな、 スージにもカコバーにもいっぱい遊んでもらえるから楽しみ!お祭りも見られるって聞いたから、それまでいっぱいねんねして、ご飯食べて、元気でいるね。
 プールを買って待ってるよ。アンパンマンのプールがいいかな?(スージ)

長崎の不幸 2007・7・3(火)
 被爆した長崎選出のアホ〜な大臣が、米国の原爆投下を“しょうがない”と発言して、大臣を辞任する。当然だが、辞任は遅いぐらいだ。その上、世評では参院選が戦えないから、アベ総理と公明党が首を切ったという。選挙向けとは何と情けない。地元長崎の人たちの心を踏みにじる暴言は長崎の二重の不幸だ。
 イラク撤退がアメリカ国内でもささやかれているのに、戦争に加担する「イラク復興支援特別措置法」がほとんど論議されることなく(世論のうわさにもならず)成立する現状では、こんな発言が裏では日常茶飯事になっているのかもしれない。全く持って恐ろしい。
 悪口は言いたくないが、「政界渡り鳥(日本新党、新進党、自由党、保守党、保守クラブ、自民党)」と言われる女性が後任の防衛大臣とは恐れ入る。これも選挙向けかな?

享年 2007・7・2(月)
 明治生まれ(1881年8月1日生)の会津八一は1956年11月21日故郷新潟で死去、享年75。この時代の人としては長生きだった。八一書簡(2341通)で亡くなる年の手紙を読んでいるが、「老耄(ろうもう)」を嘆きながらも、簡潔で味のある文章を展開している。
 ところで享年とは人が天から授かった寿命で、この世に存在した年数なので、厳密には「享年75歳」のように「歳」をつけない。また、天寿を全うするという意味なので、幼児の死などにはこの言葉は使わない。
 さてさて、我輩は享年と言う年になったや否や?天から享(う)けた年数は後どれくらいだろうと考える。

7月のはじめに 2007・7・1(日)
 6月が過ぎると何となく青空を想像する。まだまだ、天気は愚図つくだろうが、気持ちは爽やかな初夏(はつなつ)となる。季節感あふれるおおらかな万葉の歌がいい。
     春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山 
 青空から、妥協やへつらいを排して孤高を希求するこんな歌も浮かんでくる。
     白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずだだよふ
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