擬古 九首其四     陶淵明

迢々百尺楼   分明望四荒   暮作歸雲宅   朝爲飛鳥堂
山河滿目中   平原獨茫茫   古時功名士   慷慨爭此場
一旦百歳後   相與還北邙   松柏爲人伐   高墳互低昂
頽基無遺主   遊魂在何方   榮華誠足貴   亦復可憐傷

迢々たり百尺(ひゃくせき)の楼、分明に四荒を望む。
暮に歸雲の宅と作(な)り、朝に飛鳥の堂と爲(な)る。
山河滿目の中、平原獨(ひと)り茫茫(ばうばう)たり。
古時功名の士、慷慨此の場を爭ふ。
一旦百歳の後、相ひ與(とも)に北に還る。
松柏人の伐るところと爲り、高墳互ひに低昂す。
頽基に遺主無く、遊魂何方(いづかた)にか在る。
榮華誠に貴とするに足るも、亦た復(ま)た憐み傷(いた)む 可(べ)し。
高々とした百尺の高楼に登ると、はっきりと四方の果てを望める。
夕方には夕べの雲のすみかとなり、朝には飛ぶ鳥の活動する場所となる。
見渡す限りの山と河の中で、平原だけが獨り茫々として広がっている。
その平原では、昔、功名手柄を立てようとした人々が心を高ぶらせて覇を争った。
ひとたび、死んでしまえばともに墓に入る。墓場に植えられた松柏も、時とともにマキとして伐られ、荒廃した墳墓が高く低くならんでいる。
くずれた墓を参る人もないので、死者の魂は、どちらに行ったのだろうか。榮華は、誠に貴いものとするに足るが、また憐れみいたむべきものだと言える。
inserted by FC2 system