良いお年を! 
2007・12・30(日)
 年越しの為に親子で車のガソリンを入れていたら、可愛いお孫さんと一緒のN夫人にお会いした。商店街活性化に尽力するあのNさんの奥さんである。2年前に閉校したPPS(公園通りパソコンスクール)運営でご一緒したが、随分久しぶりである。
 いつもニコニコ、人柄の素晴らしい夫人に年の瀬にお会いして、なんだか幸せな新年がやってきそうな予感がした。
 皆さん、良いお年をお迎えください。明日(31日)は定休日ですので、新年にまたお会いしましょう。

2007・その8(完) 
2007・12・29(土)
 老朽化した店舗を秋に大幅改装した。傷みがひどかったので時間がかかり、費用も大幅に増えた。一線からは退くべき年になってからの資金投入は、まだまだこの世でアクセクせよ!と言うことらしい。同級生の医者が、予期せぬことが起こらない限り、日本人は90歳まで生きると語っていた。
 会津八一は「ふかくこの生を愛すへし」と述べ、今ある生、生きていることを大事にせよ。深く人生及び人間を愛することが、芸術や学問の根底になければいけないと教えている。
 そんなに長くは生きたいと思わないが、元気であるなら、もう少し低い次元で「生を愛す=楽しむ」ことを大切にしたい。一年を振り返って、益々その思いが深い。

2007・その7 
2007・12・28(金)
 8月末、念願の「新潟会津八一記念館」を訪問した。いつも頭の中にある八一の歌が書として眼前に展開する。その迫力にしばし呆然として館内に立ち尽くした。同時に展示されていた法隆寺金堂の壁画(焼損前の1935年に撮影された3メートルを超える原寸大写真)は素晴らしい。壁ごと外しての保存を提唱した八一の焼損後の思いや如何に、と思う。
 書道論などを通じて「模倣ではないオリジナリティ」を主張した戦後の文献から学ぶことが多い。今年も会津八一に魅せられた一年だった。

病中法隆寺をよぎりて 
2007・12・27(木)
 久しぶりに会津八一の歌の解説をアップロードした。

   病中法隆寺をよぎりて   
        あまた みし てら には あれど あき の ひ に  
                  もゆる いらか は けふ みつる かも
    八一  
       (あまた見し寺にはあれど秋の日に燃ゆる甍は今日見つるかも)

2007・その6 
2007・12・26(水)
 9月12日アベ総理は唐突でタイミングの悪い辞任表明、7月参院選の大敗を受けてのことだが、それにしても時機を逸した総辞職でびっくりした。タカ派の思想等からして認めがたき総理ではあったが、根底にある国民不在が内閣の崩壊をもたらしたと言っていいだろう。
 後続の福田内閣でその辺りが改善されるかと思ったが、年金問題や肝炎問題で同じような状況になっている。
 行政と癒着した長期政権の構造的な腐敗は、政権交代無しには改善されないだろう。と言っても、今の野党に政権を託せるだけの頼りがいがあるかどうかは疑問だが。

2007・その5 
2007・12・25(火)
 5月3日、わがプロ野球・横浜はセリーグで首位に立つ。ただし、一日天下で、終わってみれば4位で残念だった。それでもファンには嬉しいものだ。
 終盤の阪神の頑張り、巨人優勝、中日日本一と見所は沢山あったが、プロ野球人気は低迷している。低迷の原因はいろいろあるだろうが、子供の頃から慣れ親しんだ野球の再生を期待したい。カメダなどというばかげた輩を担ぎ上げて堕落したプロボクシングのようにはなって欲しくない。
 五輪出場を戦った星野ジャパンの戦いと感動の中に、プロ野球関係者は多くのことを学ぶことができるだろうと思う。

2007・その4 
2007・12・24(月)
 奈良には友人鹿鳴人が暮らし、会津八一が詠んだ素晴らしい風物がある。この二人のおかげで随分奈良に親しんだが、もうひとつには法隆寺近くに住む叔母の影響がある。幼い頃から可愛がってくれた叔母を訪ねることも大きな楽しみだったが、4月19日90歳であの世に旅立った。同級生も何人かが鬼籍に入り、その他いろいろな別れがあったが、身近な人との別れは辛い。ともあれ、今年一年大病することなく、恙無く過ごせたことを感謝したい。

2007・その3 2007・12・23(日)
 3月末から開始した三体目の仏像・観音菩薩立像(一尺三寸)、やっと仕上げの段階に入った。まだ光背に手をつけてないので、作業は越年する。四体目は阿弥陀如来を予定しているが、あと一年かかりそう。先輩達に比べると2倍以上の時間がかかる。この世界では才能が顕著になる。才能があるとは思えないのに続けるのは何だろうかな?
   奈良博物館にて   
     はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は 
              をゆび の うれ に ほの しらす らし
    八一  

2007・その2 
2007・12・22(土)
 孫の成長は早い。3月6日はココロの一歳の誕生日だったので千葉にお祝いに駆けつけた。一生餅でふらふらしていたが、今では歌を歌いながら元気に飛び回っている。カコバーが買った服を着た写真が今日届いた。孫の成長を見守る一年だった。

2007・その1 
2007・12・21(金)
 念頭に目標を書いた。
 「まず、楽しむ ・そのためには健康管理 ・そして残り少なくなった人生を悔いなく過ごす」 スキーその他を十分楽しむことができたので、ほぼ目標はクリアしたが、ずっと腰痛気味なので健康で一年を過ごしたとは言えない。
 もう一つの目標
 「(マイノリティ・少数派が沈黙しがちな時代に)各人が単独者として、正しいことを主張する勇気を持ち、沈黙してはいけない」 辺見庸の言葉の実践は難しかった。その主張の場・ブログ「団塊のつぶやき」が滞りがちだった。

クリスマスプレゼント 2007・12・20(木)
 「今日、一足早くサンタさんがやってきました。僕が帰ると飛んできて、〜プレゼントがきたよ〜と嬉しそうに話してくれました。大好きな新幹線、Nゲージの鉄道模型も持ってなかった電車だったので大喜びです。SUさん、カコおばさん、ありがとうございました」  創志
 18日に鳥取の創志と千葉のココロへクリスマスプレゼントを送った。電車好きの創志から早速メールと写真が届いた。お礼メールは嬉しいものだ。ココロは電話で、プレゼントは25日に開封すると言ってきた。

つきてみよ 
2007・12・19(水)
 「つきてみよ 一二三四五六七 八九の十 十とをさめて また始まるを」 良寛(70歳)のこの歌は、弟子入りを求め、仏道の如何を問うた美しい貞心尼(30歳)に返した歌である。鞠を「ひふみ〜」とつき、「とを」になったらまた戻って繰り返すと言うことから、修行の道に完成は無い、永遠に続くと歌った。さらに修行の道を越えて、手毬の中で仏の慈悲はあまねく無限であると説く。良寛と手毬には奥深いものがある。以下の良寛の詩も味わい深い。
われつけばかれ(子供)かつ歌い、われうたえばかれこれをつく、つき去りつき来て時の移るを知らず。行人われをみて咲(わら)う、何に由りてかそれかくの如しと。首をたれてこれに応えず。ことばもてまたいかに似(しめ)さんや。箇中の意を知らんと要(もと)むるも、元来ただこれのみ(人がなぜ手毬をするのかと問うても答えようがない)

第3火曜日 
2007・12・18(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

       つきてみよ 一二三四五六七 八九の十 十とをさめて また始まるを     良寛

居眠り運転 
2007・12・17(月)
 昨日、SU家のSが名阪道運転中、居眠り運転で車を大破した。すぐに警察と消防が来たらしいが、本人は無傷で九死に一生を得た。睡眠不足なのに、静岡の用事を済ませて麻雀大会に駆けつける途中だった。眠ければ車を止めて寝なさいと何度も言ったけど時間に追われて無理をした。休みにしてあげれば良かったと後悔している。
 SU自身も昨夜、疲れで接触事故を起こしそうになったし、スキー帰りの今夕、2台の接触事故の直後を走っていて、危うく巻き込まれるところだった。車の運転には十分気をつけなけれなと改めて思った。

アルバトロスヨッシー 
2007・12・16(日)
 SU家年末恒例麻雀大会が無事終了、馬名アルバトロスヨッシーのIさん(写真左端)が優勝した。4回戦を連勝で楽々優勝する。前チャンピオン・オンナタリバンもその勢いに負けて6位に後退した。後は簡単な大掃除をして新年を迎えるばかりである。
         

散弾銃 
2007・12・15(土)
 仏像作りの前は散弾銃で猟をしていた先輩が、散弾銃でも標的に当てるのは結構難しいと言っていた。しかし、昨日起きた佐世保市の事件のように、至近距離での乱射ではひとたまりも無い。とても惨いことだ。治安が極端に悪いわけではない場合、銃所持などが認められることそのものがおかしい。銃所持規制の強化ではなく、銃所持禁止でもかまわないと思う。
 若かった頃、銃器担当の同年の警察官と仲良くなり、SUにも許可してと冗談を言ったら、君みたいな危険な人にはダメと笑っていた。彼とはスキーツアーを10年ほど主催し、新米のお巡りさんを雪山で苛めていた。そこは銃を所持してない楽しい場所だった。

年賀状 
2007・12・14(金)
 SU家の若いユウスケは年賀状を出さなくなった。パソコンと携帯の年賀メールに切り替えたという。しかし、ある程度年を取るといろいろな社会的関係ができ、年賀状を出さないわけには行かない。SU自身は年賀状とパソコンの年賀メールが半々ぐらいになってきている。
 11,12月は年賀状作成でパソコンスクールは賑わう。J先生の運営する納屋プラザのスクールも生徒さんは賀状作りに忙しいと聞いている。かく言うSUも、賀状作りをJ先生に依存している。名簿を修正してやっと送ったので、後はお任せ、今年も年賀状作りは安泰である。

世界の年平均気温 
2007・12・13(木)
 2007年は平年差+0.29℃となり、1891年の統計開始以降、6番目に高い値なったと気象庁が発表している。長期的には100年あたり0.67℃の割合で上昇しているという。地球の温暖化は困るが、二酸化炭素など温室効果ガスを大量に排出することで作られる豊かな日常を享受しているかぎり、その流れは止まらない。30年先を想定して市政を行っていると言う市長がいたが、100年200年先の子孫に豊かで美しい地球を残したいものだ。
 ところで、暖冬が続く。スキー場では資源を浪費し、温室効果ガスを排出して人工雪を作り続けている。そして、それを望むSUのジレンマ!!

 雑木の紅葉 
2007・12・12(水)
   今年は忙しかったので紅葉狩りに出かけれなかった。ところが、2日前
         中日カントリーの美しい紅葉に囲まれてプレーができた。


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   中日優勝記念
 (6600円・落合の背番号)
 なのでと誘われた。中日ありがとう!


エ・アロール(それがどうしたの) 
2007・12・11(火)
 渡辺淳一が中日新聞に連載した小説から命名したのだろうか、同級生が鵜の森神社の近くで、同名の喫茶レストランを開いている。電話で、東京の同級生Yさんが来ているのでオイデと言う。10月にあった同窓会の名簿と写真があり、他の同級生もいて話に話が咲く。小説「エ・アロール」連載時、我々の年代には現実的な事だと思って読んだことがよみがえった。
 エ・アロール(それがどうしたの) 渡辺淳一
 老いても精力的に第二の人生を謳歌する老人ホームの入居者たちを描く。銀座の瀟洒で明るい高齢者のための施設「ヴィラ・エ・アロール」。「エ・アロール」とは、フランス語で「それがどうしたの」という意味。経営者・来栖は、この施設を「仕事や世間から解放された高齢者たちに、楽しく、気ままに“エ・アロール精神”で暮してほしい」という方針から設立した。その理念のもと、「ヴィラ・エ・アロール」には自由で闊達な雰囲気があふれ、楽しい語らいや恋愛問題が絶えず生じている。「老後」に対する日本人の既成概念を打ち破り、これからの新しい生き方を示唆する。

ガスストーブ 
2007・12・10(月)
 台所のガスストーブをつけるとうららは前に陣取って動かない。温風に長い毛をなびかせながら、気持ち良さそうである。
 今日、新たにガスストーブが一台届いた。一年前に無料のストーブがあるから設置してあげると今回の営業所改装の責任者が約束したもの。去年の秋に大慌てで居間を整理し、設置場所を作ったことを思い出した。それにしても一年遅れの設置とは恐れ入る。ただ、自宅の手入れもすべて頼んでいる上、改装では大奮闘してくれた人なので、お礼にお酒を一本進呈しておいた。

整形外科にて 
2007・12・9(日)
 4日前、廊下でK先生と診察前に話す。「軽い痛みがありぎっくり腰になりそうなんですが、どうしたらいいですか?いい薬ありますか?」「筋肉強化しかありません」と単純明快、診察なし。この先生はSUの高校の後輩で、ある意味でとても親切なのだ。インフルエンザの予防接種だけしたが、帰りに痛み止めの薬を用意し「スキーにも必ず持っていってください」と言う。
 その薬を飲むと痛みは消えた。しかし、治ったわけではないので、コルセットを巻いて、雪山(鷲ヶ岳スキー場)に初挑戦をした。


 
三つ編み 
     2007・12・8(土)

         
  今年最後のグルーミング、
 頭にはポインセチアの髪飾りで
 クリスマスとお正月を待つばかり
 お尻の三つ編みもチャーミングでしょ♪



大阪弁による憲法9条 
2007・12・7(金)

大阪弁の9条
 憲法9条が絶対だとは思わないが、アホーな知事が徴兵制などに触れるようでは、9条の持つ平和への願いを再認識したい。友人から「大阪弁による憲法9条」を紹介された。大原穣子著『好きやねん 大阪弁』(1999年 新日本出版社)で書かれているもの。まさか、宮崎弁で無いので、文意がわからないとはおっしゃらないだろう。
 憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

徴兵制 
2007・12・6(木)
僕は徴兵制はあってしかるべきだと思っている。若者は1、2年ぐらい自衛隊か、ああいうところに入らなければならないと思っている」とそのまんま東知事が暴言を吐いた。
 品格の低いタレントを知事に選んだ県民やそれをヨイショするマスコミの節操の無さを苦々しく思っているが、こんなところで馬脚を現した。そもそも先の戦争の悲惨な現実をどう考えるのか?その反省の上に作られた戦後の平和をどう理解しているのか?彼は軍隊とは殺人を肯定された暴力装置だと言う事を知っているのだろうか?政治があまりにも軽すぎる。

星野富弘カレンダー・アカマンマ 2007・12・5(水)
       子供たちの 遊ぶ声にひかれ 
       行ってみれば だれもいない
       夕陽の道に 草の実が こぼれていた 

 イヌタデは道ばたに普通に生え、別名・アカマンマの名で親しまれている。その名のとおり、この果実を赤飯に見立てて昔はままごとをしたという。男だったからか、SUには経験が無いが、「蓼(たで)食う虫も好き好き」を「田で喰う・・・」と勘違いしていたから、タデは印象深い。

インフルエンザ 
2007・12・4(火)
 国立感染症研究所が、インフルエンザ流行開始が過去20年で最も早いと発表した。高熱が一週間ほど続き、抵抗力が弱い乳幼児や高齢者、持病のある人などは、死亡の恐れもある怖い病気だ。
 いつも世話になっている整形外科の先生から、今年は大流行するので予防接種をしなさいと何度も言われている。大人になってから予防接種をしたことはないが、今日のニュースを聞いて明日行くことにした。整形だから、予防接種で急に混んでいる事はなかろうし、ウインタースポーツ用に腰痛の恐れのある腰の具合も見てもらえる。

落花生 2007・12・3(月)
 おちょぼさんで買ってきた安い中国産の落花生を食べ終わったら、美味しい千葉産の落花生がジュニア夫婦から届いた。甘いものは食べないが、落花生は好物なので大歓迎だ。早速、食べているとうららが欲しそうに見ている。狂言の附子 (ぶす)ではないが「これは犬には毒だから!」と話しながら一人で食べた。
 好物をもらうのは嬉しいが、ジュニア夫婦から、あらたまって贈り物をもらうと気が引ける。まだまだ、こちらが送りたいのだから!
      

花 2007・12・2(日)
 仏像と書を紹介する2007年最終回。室生寺の座主・網代智等さんの書と同寺の「釈迦如来立像」です。
 『書「花」・・・・花、人間、あらゆるものが法爾(ほうに)自然の無限の因縁生起の調和の中に生かされている。』(網代智等)
 法爾
 真理にのっとって本来あるがままであること。あるがままの姿。自然(じねん)。法然(ほうねん)。  yahoo辞書より

開店祝賀会兼〜 
2007・12・1(土)
 「開店祝賀会兼○○○○食事忘年会兼○○○と○○○○○の結婚記念日を祝う会」なるものが今日あった。心優しい友人達が、開店祝賀を冒頭に付けてくれた。「○○○○食事忘年会」に示されるように、食べることに目が無い友人達の忘年会である。一宮の友人も久しぶりに駆けつけた。
 会場はメンバーお気に入りの某寿司店である。美味しいので前回食べ過ぎて、深夜に苦しくなったから、今日は控えたがやっぱり沢山食べた。2次会にも繰り出し、わいわいと楽しい時間を過す。一年の締め、第一弾である。
 
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