1月の終わりに 2007・1・31(水)
 元気な辺見庸の講演を聴けたのでとても満足、ただ彼の重い内容をしっかり受け止めたかは別の問題で、貧弱な脳みその活動は乏しい。
 天候には恵まれないが一月スキーは好調、睡眠を削ったりして無理を重ねるが、体調は崩していない。このまま、元気にシーズンを楽しみたいと思っている。
 スキーボケしているといろいろな所に影響が出る。とりわけ、12月完成予定だった釈迦座像の完成が遅れている。高さ30cm弱の光背(唐草文様)の透かしの部分は200個以上ある。透かしと文様を彫るより、ゲレンデを滑る方が楽しいのだ。

スキーツアー2 2007・1・30(火)
 市民病院を7台で出発して東名阪・四日市インターで乗り、長野道・松本インターまでハイウエイを使った。リーダーの指示は、東名阪から伊勢湾岸道に入り、豊田で東海環状道へ、土岐で中央道に繋ぎ、長野道に入るルートだった。随分遠回り、距離が長いのでびっくりしたが、時間的には他のコースと変わりないようだ。道路代が随分高かったが、若い人はETCの100km未満通勤サービス(5割引)を使うために一度土岐インターで降りて、再度乗っていた。なるほど、いろいろなサービスが利用できるのだ。
 「土岐で降ります?」とキリンが聞いたが「面倒なのでそのまま走ろう!」と返事した。


 スキーツアー 2007・1・29(月)
  総勢26人のツアーは乗鞍高原温泉スキー場、SUグループはいつものがーさん
 初参加の
キリンJ先生だった。27日はまたもや雪、雪、雪、翌日は晴天に恵まれて
 思う存分滑ってきた。写真は重い雪用のワックスを塗る二人、帰り支度した
J先生
  ボード歴が浅いのに全コースについてきた
 
キリンの根性を見直した。






暖冬 2007・1・25(木)
 暖かいので薄い上着でもすごせる。午後うららと川の堤防を散歩したが、風が吹きぬける割には寒くなかった。1度しか来た事のない場所なのに、さも知っているようにうららが川原に下りていったのにはびっくりした。行ってない方向に向う時は何度も何度も振り返ってSUの存在を確かめる。案外、過保護の我家のお嬢様は賢いのだ。
 明日から出かけるので、ちょっと厚めのお気に入りのジャンバーに、今冬初めて手を通してみた。ジーパンとこのジャンパーで出かけよう。でも、週末は天気が悪そうなので、また苦労するかな?

納豆定食 2007・1・24(水)
 納豆を食べるようになったのは東京の学生時代。裕福ではなかったので、廉価な納豆定食を鹿鳴人たちと一緒に食べた。納豆の材料は大豆、貴重なタンパク源なのだ。血液凝固と関係し、骨粗鬆症を防止するビタミンKも豊富にあるという。
 今は別の方法で作られるが、元来、納豆は蒸した大豆を藁(納豆菌が付着)で包み、40度程度に保温して作った。
 家庭を持ってから、納豆作りに挑戦した。大豆を注連縄の藁で包み、湯たんぽで温めた。数日後、あの粘りとにおいの納豆が出来たが、生大豆だったので失敗、硬かった。

テレビ力2 2007・1・23(火)
 納豆が話題になっている。ダイエット志向とテレビの影響力が相乗効果となって、詐欺まがいの情報が飛び交った。データ捏造が発覚する直前に知人が「もうじき2週間、ダイエットできているか楽しみ!」と言っていた。今は、落胆しているだろうなあ〜〜。
 「ダイエットに妙薬なし、カロリー制限とエネルギーの消費しかない」と言うことをしっかり抑えておけば、詐欺まがいのことに引っかかることはなかろう。
 SUの経験からは、普通の食事(一日に必要なカロリーを摂取)をして、間食をしなければ50日目から余分な体重は減り始める。但し、年齢による。高齢になればなるほどエネルギー消費が少なくなるから、体重の維持もなかなか大変だ。

テレビ力 2007・1・22(月)
 そのまんま東が知事になった。「何かが変わるかもしれない」と有権者は思ったらしいが、その投票行動に失望する。以下の件で力量と姿勢を疑問視するからだ。
 彼は芸人、タレントとして大半を過ごし、政治家としての活動(と学習)をしてきたわけではない。わずか数年、早大に通って政治を学んだというが、そんな一夜漬けのようなもので本当に知事として巨大な行政が切り盛り出来るのだろうか?タレントとしてテレビが売り出した抜群の知名度だけが当選の原動力になっているなら、宮崎県の未来は暗い。
 タレントがこんなに簡単に知事になり、テレビと新聞が擦り寄るようにほとんど批判せず、流れに迎合するところに問題がある。パンパカパーンの人で懲りているはずなのに!

転倒 2007・1・21(日)
 一週間前に革靴を履いて家の前で転んだ。昨日、大阪の地下鉄のプラットホームで転倒、帰宅途中、ブラウンビルの前でも滑った。革の靴裏が減りすぎているからだろうと思い、気に入っている靴なので、連れ合いに修理に出すように頼んだ。
 靴を見た連れ合いが「右側の靴の底(トップリフト)がないですよ!」と言う。「そうか、右が滑ったから、それが原因だったのだ、納得」と言ったら「左右高さが違っているのにそんなことも気が付かなかったの!!」と戻ってきた。

辺見庸講演、再び大阪 2007・1・20(土)
 昨年6月に続いて2度目、今回は阿倍野区民センターであった。削除した癌が転移しているらしいが、6月講演より顔色もよく、声にも力強さがあった。題は「個体と状況について」 状況とは憲法9条破棄へと向う右傾化し全体主義化する日本の現状であり、個体とは納得できないことには徹底して抗う個人のことを指す。
 沈黙の螺旋(マイノリティ・少数派がマジョリティ・多数派の数に押されて意見を言いにくくなり、そのためにますますマイノリティの存在が軽視され、最後は沈黙する現象)を紹介し、各人が単独者として、正しいことを主張する勇気を持ち、沈黙してはいけないと説く。もっともなことだが実行は難しいものだ。

ハハがいない(うららより) 2007・1・19(金)
 日曜日に三滝公園で一緒に遊んだのに、翌日ハハは姉さんについて鳥取に行ってしまった。それでね、チチと二人で過ごしているけど、しつけが厳しいので、早く優しいハハが帰ってきて欲しい。でも、今日の電話で熱が出たので帰れないと言ってきた。がっかり!
 チチは厳しいけど約束を守るととっても優しい。散歩もあちこち連れて行ってくれるから、べったり引っ付いている。だけど、明日は朝から大阪に行くんだって!10時間ぐらい一人ぼっち、寂しいな。

スティーブン 2007・1・18(木)                       鷲ヶ岳スキー
 彼だけスノーボード、始めたばかりで足元ばかり見て安定しない。「遠くを見て」とアドバイスしたら、急によくなった。帰路、レネルダと二人を四日市駅まで送る。ずっと二人で英語で話していたが、突然「あくびがでてきた」と彼が日本語で言う。
 それで、あくびの仕方を習いにいく落語・あくび指南の話をする。すぐ「指南って何ですか?」の質問がある。答えてから、落語そのものの中身を話したが、説明不足でほとんど通じず。まあ、落語の内容があまりにばかげているので理解しがたいところもあるけれど。「落語はなかなかわかりません。周りの人が笑う時に一緒に笑います」と言う彼の一言が印象的だった。

レネルダ 2007・1・17(水)
 一緒に滑るのは2回目、鷲ヶ岳スキーに友人・スティーブンと参加した。運動神経抜群の22歳のお嬢さん。カナダ、マニトバ州ウィニペグから1年4ヶ月前に来て、英会話の先生をしている。少しのアドバイスですぐに技術アップ、午後には中級コースを楽しそうに滑っていた。物怖じしない、積極的なスキーは見ていてすがすがしい。
 ミッキーマウスはスキー場の人かな?あちこちで写真撮影に応じていた。

第3火曜日 2007・1・16(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

    み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだもさわぐ鳥の声かも 山部赤人


 鷲が岳スキー場から 2007・1・15(月)
   正面は大日岳(ダイナランドスキー場と高鷲スノーパーク) 右奥は白山、好天に恵まれ、
  7人で快適に滑る。






弔い上げ 2007・1・14(日)
 義父母の供養を建福寺(四日市北町)で行った。供養は13回忌を一区切りにすると言われるが「弔い上げ」(戒名を過去帳に移し、お骨を土に返す)は31回忌、33回忌または50回忌をもってする。命日を忌日(きにち)とし、故人の供養をするのが年忌法要、本葬を1回忌とするので、たとえば13回忌は12年目になる。100回忌以後は50年に1回、聖徳太子などの年忌はそのように行われる。
 年忌をはっきりしておきたかったので、ネットで調べた。実父母はキリスト教だったので、3年祭とか7年祭とかよく似たものがあるが、我家では行わない。父は3年後に33年祭、母は来年13年祭に当る。

創志君 2007・1・13(土)
 鳥取から、義姉とその孫の創志君がやってきた。電車好きなので、早速うららと一緒にJR線の近くまで出かけていった。明日は義父の33回忌、義母の13回忌の法要をする。
 義母は阪神・淡路大震災(1995 01 17 AM5:46)の翌日に亡くなった。市民病院の高い階に入院していたので、病室は大きく揺れた。
 今日、千島列島沖で地震があった。死者6,436名を出した阪神・淡路大震災からやがて12年になる。天災は恐ろしい。
             『死者数:フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)より』

遊 2007・1・12(金)
 仏像と書を紹介する2007年1回目。奈良の新薬師寺貫主・中田聖観さん(門主)の書と同寺の「薬師如来坐像」です。
 『書 「遊(ゆう)」
  ・・・・・人間はロマンがなければ駄目である。
』(中田聖観)
 年頭の言葉としてなんといい響きだろう。「ロマン」「遊」とても好きな言葉、一年をそう過ごしたい。
 去年9月に『不殺生戒(ふせっしょうかい)』(書)を紹介した曼殊院門主の半田孝淳さん(89)が、天台宗総本山・比叡山延暦寺の第256世座主に2月1日に就任する。この言葉も素晴らしい。

鹿の声 2007・1・11(木)
 鹿の声はいろいろある。牡鹿の求愛の声、縄張りの声、牝鹿の声など。会津八一は定宿・日吉館に一人投宿して、深夜の鹿の声を聞きながら深い思いに沈む。
  奈良の宿にて  
      をじか なく ふるき みやこ の さむき よ を 
                いへ は おもはず いにしへ おもふ に
     八一
           (牡鹿鳴く古き都の寒き夜を家は思わず古思ふに)

雷鳥の里 2007・1・10(水)
 スキーの土産にいつも買ってくる。サクッとした歯ざわりとまろやかな味の焼き菓子で我家の大好物である。これさえ買ってくれば何度スキーに行っても文句が出ない。ちょうど、SUーがスキーを始めた頃に発売された息の長いお菓子だ。
 雷鳥と言えば、若い頃に乗鞍山頂近くで身近に見たことがある。一昨年、流葉スキー場のリフトから見下ろした時に見えたので、大騒ぎしたら、O君に「雷鳥なら冬だから白のはず、あれは茶色だから雉の雌だろう」と言われた。  妙高赤倉

爆弾低気圧 2007・1・9(火)
 この威力は凄かった。こんな時に山中にいるとよくわかる。次々にリフトとゴンドラが止まり、滑降をあきらめて昼過ぎにホテルに戻る。でも、ツアーは滑るだけでなく、室内ゲームの楽しみがある。
 「ばーさん、どうぞ!」とウノの苦手なO君にTさんが呼びかける。一瞬の沈黙の後、爆笑。O君は男なのだ。みんなは普段「がーさん」と呼ぶ。聞けば、Tさんがウノの場()のことを考えていたので、「」と「」を間違ったらしい。Tさんはお孫さんのいる立派なレッド年の「ばーさま」なのだ。そうこうしながら、窓外の降雪を確かめつつ、ゲームは深夜まで続くのである。

今年の目標 2007・1・5(金)
 友人がHPで、今年の目標を「思い立ったことをなるべく早く済ませる」と書いている。普段からテキパキした人にしてそうだから、ぐずぐずしているSUにはうってつけの言葉だ。その上で、自らの目標を考えてみた。
 ・まず、楽しむ ・そのためには健康管理 ・そして残り少なくなった人生を悔いなく過ごす
 こんなところかな。どう書いても「遊ぶ」にみえる?
                    明朝から出張のため、独り言は8日まで休みます。

3が日 2007・1・4(木)
 ソフトバンク携帯の店の前でばったり従兄弟に会う。年始の挨拶をし、去年の息子さんの結婚式の話をする。「君(SU)は、そんなに働かずにいいね!」と言われる。他人目にはそう映るようだ。SUもそんな風に振舞うところがあるからかもしれない。でも、正月はスタッフが休みを取るので、元旦から3日きっちり働くと結構しんどい。
 ところで、ソフトバンクの店では義兄が番号ポータビリティでドコモから変更中だった。SUのソフトバンク包囲網の最後の一人が陥落した。これで、元旦に我家に集合する親族は全て、ソフトバンクになった。親族の皆さん、一度、sadaに電話して、彼は明日まで正月休みだよ!!

大吉 2007・1・3(水)

再会 2007・1・2(火)
 元旦、除夜の鐘とともに初詣、お神籤に長蛇の列が出来ていたので、先に自店に回る。そこで、しばらく会わなかったK君とばったり出くわす。SUを訪ねてきた彼は、店が閉まっていたので帰るところだった。一緒に神社に行き、同級生の宮司と3人で話す。偶然が重なって再会、今年は春から縁起がいいねとみんなで言い合った。
 写真は元旦のお昼の初詣の時に、小入道の前で神妙な顔をして、チチにしがみつくココロ。お入道は四日市の人も遠方の人にも人気がある。   

賀正! 2007・1・1(月)
 本年もよろしく。諏訪神社に初詣すると「大猪(おおいのしし)」が社殿に陣取っていた。四日市祭で南浜田町が行う「富士の巻き狩り」の練り物で、SUは初めて見た。宮司も一度ぐらいしか見ていないと言っている。
 亥年の仲間たちへ!いい年になるといいね。
      
inserted by FC2 system