5月の終わりに 
2006・5・31(水)
 低温と雨の続いた5月だったが、奈良まで2度足を伸ばせたので満足している。地獄谷の石仏、奈良坂の夕日地蔵を見ることができた。
  ならざか の いし の ほとけ の おとがい に 
               こさめ ながるる はる は き に けり 
  八一
 ただ、悲しいことは恩師・植田重雄の突然の訃報だった。社会人になってからのSUを遠方から温かく見守り、常に学ぶことの大切さを教えてくださった。師の教えを実践できてないことを詫びながら、しかしわずかでも実行することを誓い、冥福を祈りたい。

100年ピアノ 
2006・5・30(火)
 倉庫に眠っていて修復復活した奈良女子大
のピアノを友人Mの尽力で見学した。
記念館の中で鍵盤にも触れた。


                                         


犬・猫引き取り手数料 
2006・5・29(月)
 無責任な飼育放棄を減らす目的で、三重県は6月から犬は有料化、猫は値上げする。去年、保健所で犬猫7千匹弱がガス室へと送られた。
 今日、公園で生後半年のヨークシャテリアを連れたお婆さんがいた。聞けば、息子が世話を止めて置いて言ったという。毛並みが悪く、首筋は湿疹か虫がわいているようでみすぼらしい。当家のうららとは随分違うなと思ったが、それでも保健所に送られずに散歩に出れるだけ幸せだ。

日吉館 
2006・5・28(日)
 友人から「奈良の街がセミナーハウス」研究会の紹介メールが来た。ここで取り上げられている日吉館は、故田村キヨノさんの経営で、会津八一や和辻哲郎らが定宿にしたことで有名だが、95年に閉館した。もちろん故植田先生も学徒出陣の直前、会津八一と共に投宿し室生寺に出かけている。
 日吉館のような文化の香りがするセミナーハウスができればとても嬉しいことだ。

辺見庸講演 
2006・5・27(土)
 ブログのほうにラ・フランスさんから以下のようにコメントが入っていた。
 嬉しい話 (ラ・フランス)
 「辺見さんが・・・・6月24日(土曜日)大阪に来て頂ける事になりました。回復の途上にあり、様態如何で又キャンセルもありうるかも知れませんが、非常に嬉しい事です。場所は大阪中央公会堂(中ノ島公会堂)、PM6時から、演題「憲法改悪にどこまでも反対する」です。6月16日までに郵便振込み口座に1000円の振込みが必要で、郵便口座00970−4−243904.その受領証が入場券になります。主催は・辺見庸講演実行委員会・・・・
 4月27日にあった東京の講演会に行けなかったので、是非行きたいと思っている。

唯佛是真(ゆいぶつぜしん) 
2006・5・26(金)
 仏像と書を紹介する4回目。大阪の四天王寺管長・塚原亮應さんの書と同寺の「こころみの観音像」です。
 「世間虚仮(せけんこけ)唯佛是真」は聖徳太子の晩年の言葉で、親鸞聖人の聖徳太子和讃で「仮の世間に、佛ぞまこと」と訳されているように、この世は仮の世界、仏の教えこそ真だということです。
 四天王寺は6世紀に聖徳太子によって建立されました。この柔和な観音さんが聖徳太子のように思えてきます。

植田先生4 
2006・5・25(木)
 東大安田講堂が炎上したことに象徴されるこの時代、大学は騒然としていた。語学の単位を温情で与えたが、この生徒は不埒だった。会計学の教授が「勉強して私のゼミに入りなさい。無試験で一流企業に入れてあげる」と豪語したことに反発し、授業を放棄した。
 事後、大学で植田先生とはほとんどお会いしていない。しかし、社会に出て皮肉なことに就職に困った。面接で履歴の不備を先生の名を勝手に出して補った。すぐに電話をかけ、事情を説明したがとても面食らっておられた。しかし、全て了承された上に、いろいろとアドバイスを下さった。その時から先生との交流が始まった。


春日山石窟仏
石窟 2006・5・24(水)
 奈良・滝坂の道を上り詰めると左方向に春日山石窟仏、右方向に地獄谷石窟仏がある。春日山を写真で、地獄谷を会津八一の歌で紹介する。

  地獄谷にて 
    いはむろ の いし の ほとけ に いりひ さし 
               まつ の はやし に めじろ なく なり
  八一
               (岩室の石の仏に入日さし松の林に目白なくなり)

知事の発言 
2006・5・23(火)
 石原産業がフェロシルトの撤去命令の取り消しを求めて愛知県を訴えた。己の悪行を反省せず居直ったのだ。ところが野呂三重県知事がその提訴に理解を示した。そもそも危険なフェロシルトをリサイクル製品として認めたのは三重県である。だから野呂知事は先頭に立って、フェロシルト撤去を指導する立場にあるはずだ。
 盗人と結託して悪行を繰り返す悪代官とは言い過ぎだろうが、石原産業を抱える四日市市民としてはとても恥ずかしい思いをしていることを忘れないで欲しい。悪いことは悪いと当たり前のことを言い是正を求めることが、不自然に見えたり蔑視される社会は歪んでいる。

植田先生3 
2006・5・22(月)
  ものいはず 争はず 嘆かず いきづきて
             まりも暗緑に かたまりにけり
  植田重雄

 歌集・六曜星の口絵に版画家中川雄太郎作として版画が掲載されている。この歌は戦没した多くの友への追悼を記録した第一歌集・鎮魂歌の一首で、先生がとても気に入っていた。我家には直筆のこの歌が額に入っている。
 敗戦間近の学徒出陣を経験した先生の心の置き所と、その後の物静かな学究生活の根底にあるものを見事にまりもの歌は表している。

バラ 
2006・5・21(日)
 今年の春は寒かったので、バラの開花が例年より遅れて、この二、三日、あちこちから見頃の便りが届く。今日は暖かかったので三滝公園のバラも満開だった。
 写真のバラはポンバラ園から貰ったもの。だけど昨日から主がいない。北海道に旅行に出かけたのだ。「バラは切ってよろしい、但し写真を撮っておくこと」と書置き(メール)があったので、切花と言うと目が無い家人を連れて、明日にも写真を撮りに行こう。

植田先生2 
2006・5・20(土)
 「なぜ歌を詠むかと問われるならば、感動が短歌の凝縮された形態を通して、存在の世界を開き、美の閃きが宇宙の実在に触れさせてくれるからである」先生は第三歌集・六曜星のあとがきで言っている。そして「詩歌は自然賛美だけで充分である」とも語っている。
 60年代後半、騒然とした大学の中では寡黙な先生だった。時の流れに流されず、内面の世界の充実に精魂を傾けておられたようだ。授業を政治討論に変えてしまう生徒達をじっと見守り、たびたび授業を中断させたSUを先生は良く覚えてみえた。怪我で出席日数が全く足らなかったドイツ語の期末テスト、無解答で裏面に反省文を書いたら単位を下さった。 

植田重雄先生 
2006・5・19(金)
 先生が14日、胃がんで亡くなられた。専門は宗教倫理学、クラス担任でドイツ語を教わった。ただ、在学中は反抗ばかりしていたので、本当にお世話になったのは社会に出てからである。和歌を同封した手紙で、郷土の研究や歌を読むことをいつも勧めてこられた。
 上京するたびに訪問しようと思いながら、最後にお会いしたのは1999年国立博物館の「室生寺のみ仏たち」の会場だった。上野公園「伊豆栄」のうなぎを友人Yとご馳走になり、いろいろなお話を伺ったが、夕方お別れするときに「もう帰るのか?」と言われた言葉が今でも耳に残っている。SUにとって恩師と呼べるたった一人の先生だった。

新谷のり子 
2006・5・18(木)
 「(淡谷のり子さんを)ものすごく尊敬しています。戦時下、戦意を鼓舞する歌をうたうのか、そうでないのかと二者択一を迫られた時、淡谷先生は『私は愛の歌しかうたいません』と言った。モンペをはけ、お化粧はいけないと言われ、特高に囲まれても、ドレス姿でうたい続けた。そんな時代が再び訪れたら、自分はどうなの?・・・(毎日新聞)」と新谷のり子が言う。そんな心配をしなければいけないほど、最近のこの国は危なっかしい。
 1969年、新谷のり子の歌う「フランシーヌの場合」は一世を風靡した。この歌は反戦・反安保闘争や学園闘争が、目先の華々しさに反して崩壊していく過程でよく歌われたが、自殺したフランシーヌの悲哀が運動の物悲しさと合っていたからかもしれない。遠い昔のことだが。

雨の定休日 
2006・5・17(水)
 愛・地球博からやって来たカモン君(カモノハシ)をオーストラリア館に見に行った。ところがやっぱり犬同伴は禁止、あきらめて「雨の日はアーケードがあるところだね」と諏訪の商店街を散策。若紀久の工事中の新しいお店を覗き、うららを手に入れたペットショップへ。チチハハはコーヒー、うららは爪切りと足裏の毛カット、3匹の子犬にうららは追い回されていた。自分を人間(?)だと思っているので未だに犬社会に溶け込めないのだ。
 ところでオーストラリア館に入場者はいなかった。カモン君を諏訪公園に設置した方が大勢の人に見てもらえて、友好に繋がるのでは?と思ってしまった。

第3火曜日 
2006・5・16(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

   わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露(あかときつゆ)に わが立ち濡れし   
                                 大伯皇女(おおくのひめみこ)

24人目 
2006・5・15(月)
 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会日本代表23人が決まった。腰の持病を抱える久保選手が選ばれなかった。知人によると腰もあるが、気迫を面に出さないとらえどころの無い性格が災いしたのではないかと言う。ともあれ、力がありながら落選した彼の気持ちを思うと心が痛む。
 何をしても一軍半で落選にはなれているSUだが、それでも落ちることは面白くない。それだからか、麻雀以外の順位を競うスポーツや勝負事に参加するのは好きではない。
 しかし、観戦するのは大好きだ。W杯一次リーグを楽しもう。

たこ焼き 
2006・5・14(日)
 万古祭でたこ焼き屋に行列が出来ていた。奥さんとうららが行列に加わったが、うららがじっとしないのでSUが並ばされた。SUの苦手はデパート徘徊と行列に並ぶこと。気楽に引き受けたが30分弱は苦痛だった。やっと購入して行列の出来る理由が分かった。タコが新鮮で明石焼き風の美味しいものなのだ。
 雨が止んで、大勢の人が出ていた万古祭、これと言って購入する予定があるわけでないので、散歩のようなもの。たこ焼き、芋、クレープ、ドラ焼きなどに混じってわずかな陶器が我家にやって来た。

三人の兄は頭が悪かったから・・ 
2006・5・13(土)
 将棋名人戦7番勝負、挑戦中の谷川浩司九段が1勝して1勝2敗とした。彼の兄さんは東大出だが、以下の現将棋連盟会長・米長邦雄の言葉は有名だ。 「三人の兄は頭が悪かったから東大へ行った。わたしは頭がよかったから将棋指しになった」 だがこの賢い会長が、名人戦開催(現在毎日新聞主催)をめぐって朝日新聞と毎日新聞の間を迷走している。朝日の提示した新たな契約金に触手を伸ばしたのだが、簡単に移行とは行かないようだ。
 将棋ファンは盤上の戦いを観戦したいのであって、連盟と朝日、毎日の言い争いを見たいわけではない。 

交換 2006・5・12(金)
 親会社からの設計図面をメールで受け、プリントして年配の建具屋さん(PCは無い)に渡していたが、システムがさらにIT化し、注文書や請求書など全てをネットからダウンロードしなければいけなくなった。もう代理ではだめなので、今日からPCを覚えてもらうことにした。反復練習して、半年先ぐらいには一人で操作してもらえそう。
 初回は1時間、終わってからノミやカンナについていろいろ教わった。こうなるとお互いが先生、なかなかいい時間になった。物々交換でなく、知的交換、ノウハウ交換!

地獄谷石窟仏 2006・5・11(木)
 細い山道を600m歩くと石窟仏にたどり着く。この日はなぜか、危険なので山道に入ってはいけないと書かれていた。熊でも出るのかと思ったが、雨の中を汗をかきながら石窟仏をめざす。静かな松林ではウグイスが鳴き、メジロがさえずっていた。

春日山原始林 2006・5・10(水)
 地獄谷石窟仏をどうしても見たかったので奈良まで車を走らせた。一昨年、滝坂の道を歩いてその手前まで登ったが、時間が無かったので引き返した。今回は奈良奥山ドライブウェイを利用して春日山原始林の中を走って間近まで行き、そこから少し歩いてたどり着いた。
 森林浴をしながら、いろいろなところの写真を沢山撮ったので満足。叔母の見舞いも兼ねて行ったのだが、元気になっていたので余計に嬉しい奈良行きだった。 

第2の人生 
2006・5・9(火)
 パズル(組合)の地下に眠っていた不備のある古いプリンターが、新しい地で活動を始めた。条件が良かった。先方の壊れたプリンターが同じではないが、同系列のものだったので試みに部品を一部使用したら、全く正常に動き出した。
 プリンターを廃棄するには費用がかかるのに、このことで先方に感謝され、プリンターも第2の人生を歩めるのだから幸せだ。公園通りのPPS(スクール)時代に酷使したけど、もう少し頑張れと言って別れてきた。

名古屋高速 
2006・5・8(月)
 名古屋から四日市に東名阪道経由で帰ろうとして、とんでもない方向に走ってしまった。おかげで料金500円分を余分に走った。ナビに頼って走っているが、時々おかしい表示をする。今日はナビに逆らったのがいけなかった。もともと方向音痴なのに、変なところで自分の力を過信するといけないものだ。
 必要なものが都会にあるので時々出かけなければいけないが、できれば複雑な所では走りたくない。天気のよい日に農道をゆっくり走るほうがずっといい。 

うつぶせ 
2006・5・7(日)
 赤ちゃんの発育を補助するために、生後1ヶ月を過ぎると「うつぶせ」をさせるらしい。SUのジュニアの赤ちゃんの頃にそうしたかは分からない。と言うのは、我輩は言葉を話せるようになったら面倒を見ると言い、育児に手を出さなかった。そのかわり、幼児の時に「巨人の星」をうたい文句にキャッチボールをし、「末は博士か大臣か」と古典を学ばせた。だからとは思わないが、ミュージシャン・ジュニアの詩は難解である。
 子供の日に琴音の「うつぶせに挑戦!」のビデオが届いた。頑張ったから、菖蒲湯に入れてもらったかな?ジュニアは毎年入っていた。

二上山(ふたがみやま) 
2006・5・6(土)
 奈良と大阪の境をなす葛城山脈の北に連なる二上山は517mの低い山だが、奈良でも屈指の歴史を持つ。とりわけ、大津皇子(おおつのみこ)の屍を二上山に葬る時詠んだ姉・大来皇女(おおくのひめみこ)の万葉集の歌は有名である。
 うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見む
   (生きてこの世の人である私は、明日からはこの二上山を弟と思って眺めよう)

 二上山をのぞみて
     あま つ かぜ ふき の すさみ に ふたがみ の 
                     を さへ みね さへ かつらぎ の くも 
 八一 
           (天つ風吹きのすさみに二上の峰さへ嶺さへ葛城の雲)

普明照世間(ふみょうしょうせけん) 
2006・5・5(金)
 仏像と書を紹介する3回目。大宰府の観音寺住職・菊川春暁さんの書と同寺の馬頭観世音菩薩立像です。
 「普明照世間」とは、あまねく世界全体を照らしていると言う観音経の言葉、馬頭観音は怒りの激しさによって人びとを苦しみから救う観音菩薩です。
 「神や仏に守られ、自然の恵みを頂き、多くの人たちの助けで“生かされている人生”。馬頭観音は“感謝”を忘れた人を、きびしい怒りの表情で救おうとしておられます
この書の解説は、とても含蓄のある言葉です。

26 7 17 2 .292 120  
2006・5・4(木)
 上記の数字を正しく読み込んでください。解答は、26戦7勝17敗2引分勝率2割9分2厘残り120試合です。その上、中日と阪神には1勝もしていません。
 私の嫌いな楽天でも、30 8 22 0 .267 106なのです。抜かれそう。
 牛島監督、頑張って下さい!好天に恵まれた連休なのに、我々ファンの心には涙雨が降り続いています。

憲法記念日 2006・5・3(水)
 日本が世界に誇るこの憲法は59歳になった。大切な憲法なのに日刊紙は一面で小さな記事としか扱っていない。某日刊紙にいたっては一面に記事なし。困ったことだ。視聴者に迎合するテレビはもっとひどくて、語る気もしない。
 強者の論理や悪しき民族主義などによって、地球上に初めて出現した唯一の平和憲法が、なし崩しからさらに改悪への道を進んでいる。それはアメリカのイラク侵攻とコイズミさんの自衛隊派遣と共に急速に進められてきた。アメリカの国家としての覇権主義にベトナム戦争以来、一貫して反対してきたが、ただ1つアメリカを評価するのはこの憲法を作る原動力になったことだ。

仁王像 2006・5・2(火)
 愛・地球博で仏師江場琳黌・琳觀親子によって公開制作されていた仁王像、この端材で作った木簡(木の短冊)にメッセージを書いてきた。多くの人が書いた木簡は完成後に仁王像内部に入れられ、未来へと送られる。江場琳觀仏師によると仁王像の完成は来年2月、さらに東海市にある弥勒寺での開眼供養は再来年になるという。
 去年11月、京都で観た江場琳觀仏師の美しい一葉観音に今日また名古屋市博物館で再会した。見事と言う以外にはない。

5月のはじめに 
2006・5・1(月)
 暖房に未練があったのに、一転今日は真夏日だった。散歩のうららは舌をだしてゼイゼイ、動きが悪い。花の終わったボタンなどにお礼の肥料をとスコップを握ったら、汗だくになった。
 暖かくなって、ヤモリの子供がお目見えし、トカゲが走る。もうじき鈴虫たちも孵化するだろう。珍しいことに、巣に帰りそこなったこうもりがテッセンの根元におとなしくしていた。
 テッセンと言えば、亡き母が父を詠んだ歌を思い出す。
          亡き夫(つま)の植えしてっせんはな咲けば
                           花にも我はもの言ひにけり 

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