よいお年を!そしておめでとう! 2006・12・31(日)
 いつものように家族・親族が集まって、ずっと大晦日を楽しんでいます。紅白を見ながら、時々、K−1を見ている義兄の部屋を覗いています。あと2時間で新年、皆さん、今年一年のお付き合いを感謝します。そして、良い年の到来を願いましょう。
 除夜の鐘が鳴り出したら
       あけまして おめでとう ございます。    SURUME

今年を振り返って8(完) 2006・12・30(土)
 今年も稼ぎにとらわれることなく、いろいろな事をしてきた。他所から見れば、呑気に見えるかもしれないが、そうしていると案外見えてくるものがある。マスメディアによって操作された「情報」の中に嘘と本当を見抜くことは至難に近い。自らが下層に存在しながら(世の中で一番多い階層・階級)、中流以上の人の考え(マスメディアへの影響は多大)を己の考えと錯覚すること。基本的に金持ちは貧乏人のことは考えないこと。これらは、コイズミ以後の社会の中で痛切に感じ取ったことだ。
 来年に期待して、玉井義臣さん(あしなが育英会会長)の奨学生・自死遺児たちへの言葉を新聞から転載したい。
 「世の中を金持ちやエリートに任せていてはえらいことになる。これからは君たちが切り開く
  番や。それには一人一人が力をつけなあかん。人の痛みに思いをはせる想像力や

待望の雪 2006・12・29(金)
 夜中から降り続いた雪で、自宅前は20cmほど積もった。オープンできずに困っていたスキー場が大喜びしているだろう。奥伊吹スキー場は急遽、今日の午後に開業した。スキー場の積雪は1m以上ないと十分とはいえない。1月はじめのツアー・赤倉(新潟)が、今朝まで積雪30cmになっていたので心配していたが、これで安心、心穏やかに年越しが出来る。
 ところで、喜んでばかりはおれない。深夜、車でジュニア達が千葉から帰省する。スノータイヤとはいえ、残雪と路面凍結が心配だ。無事を祈る親心、ジイジ心。

今年を振り返って7 2006・12・28(木)
 弱い者いじめが横行し、自殺者も沢山出た。人が人を尊重するという基本的なことが欠落しているが、さらには強い者や裕福な者が偉いのだと錯覚し、へつらうこともあるだろう。SU家では「苛めるような傲慢な奴に立ち向かえ」といつも言っている。弱い人を苛めることは容易だ。だけどその行為を周りの人は卑怯な行為だと見抜いているものだ。
 やれ成果主義だ、市場主義だなどと言って、国家社会が弱者を切り捨てて平気な顔をしている現状では、「崇高な理念」を掲げて「教育改革」をどれだけ叫ぼうが無駄だろう。
 本当に求められていることは、人間が共生して行く為に、人が組織が国家が何をなすべきかを常に考えていくことだ。

今年を振り返って6 2006・12・27(水)
 6月、7月と身体の不調が続いた。高熱でダウン、さらに気力が減退し、何事にもネガティブになってしまった。さらに極め付きは12月初めのぎっくり腰、三日三晩寝てしまった。動けない時に痛切に感じることは、健康がかけがえの無いものだということ。
 初スキーによる強い筋肉痛が、2日後の今日出てきた。特に右腕がズキズキする。ぎっくり腰の時のシップ薬を貼った。予想外に効果があったので、シップ薬を見直した。これなら、頭に貼るともっと良いことがあるかもしれない。などとアホなことを考えることも健康の足しになりそうだ。                        麻雀会     琴音

今年を振り返って5 2006・12・26(火)
 6月、サッカーワールドカップ・ドイツ大会、日本は得点1、勝ち点1のみでグループF最下位で惨敗。3月のワールドベースボールクラシック(WBC)で、王ジャパンが優勝したのとは対照的だった。しかし、スポーツで気楽に一喜一憂出来る楽しい時間だった。
 プロ野球では、我横浜ベイスターズがずっと最下位独走という悲しいで出来事もあったが。
 カメダと言う奇妙な輩が出現して、プロボクシングに幻滅したが、こう考え直した。「スポーツと考えたことが間違いだった。プロレスなどと同じように演出された興行と考えれば、怒ることは無い

初スキー 2006・12・25(月)
 ぎっくり腰を乗り越え、やっと初すべりをしてきた。雪が降らないので、人口雪ばかりの鷲ヶ岳スキー場へ。北海道を除いて、まだ自然の積雪が1mを超えるゲレンデは無いが、ここは人工雪だけで積雪1m、距離2500mを作り出している。
 友人親子にJ先生を入れて4人。高校3年生の子供(全くの初心者)を手取り足取り、さらに抱えて滑る。何度も二人で転倒したので、身体中が痛い。去年から始めたJ先生は、安定したプルークボーゲンですいすいと一人で滑っていた。

今年を振り返って4 2006・12・24(日)
 5月14日、恩師植田重雄先生が亡くなられた。会津八一の弟子でもある先生に導かれて、八一作品に親しんできた。改めて哀悼の意をささげるとともに、再度先生の歌を掲載する。
    ものいはず 争はず 嘆かず いきづきて
               まりも暗緑に かたまりにけり
  植田重雄(第一歌集・鎮魂歌)
 5月は八一の歌に導かれて奈良の地獄谷石窟仏、奈良坂の夕日地蔵を訪れた。また、友人・鹿鳴人の尽力を得て、奈良女子大で100年ぶりに公開されたピアノを、友人達と見ることが出来たのは望外の出来事だった。

一華(いっか) 2006・12・23(土)
 仏像と書を紹介する12回目、最終回。室生寺座主・網代智等さんの書と「室生寺蔵の十一面観音菩薩像」です。
 『「一華」・・・美しい好ましい一つの華が咲いている。それを見ていると、そこに法爾(ほうに)、大自然の力を観ずる』(網代)最後はあの有名な室生寺の金堂の美しい観音さんです。
 なお、法爾とは真理にのっとったあるがままの姿をいい、万物大自然そのものの事です。

今年を振り返って3 2006・12・22(金)
 スキーの季節が終わった春4月、弛緩した脳を直撃したのは、04年3月に脳出血で倒れ、昨年はガンの摘出手術も受けた芥川賞作家・辺見庸の公の場への復帰と現状の告発だった。識者は彼を「最も根源的な問いかけをする人」だと言う。新刊・審判の帯には「突き上げる衝迫のなか、死に身で書き抜いた生と死、現世(うつしよ)への異議、そして自分への有罪宣告」!!」とある。4月の東京講演は聴けなかったが、6月大阪講演では肉声を聞けた。
 また、ネット上に掲載する「会津八一の歌」のために、奈良訪問を4月16日、当麻寺から再開した。月に2首解説したいと思うが、下準備に苦労する。

今年を振り返って2 2006・12・21(木)
 3月6日千葉で待望の初孫誕生、名前はココロ音。ついにジジになってしまった。元来、赤ちゃんは苦手な方だが、4度目にあった秋には「意思の疎通」が出来そうなので一安心した。
 1月〜3月はスキー三昧、2泊3日ツアー3回、日帰り7回で延べ日数は16日になった。これなら「週一スキーヤー」を名乗ってもいいだろう。今年は新しい同年代のスキーヤーが加わったのでとても楽しくなった。「スキーは中高年のスポーツ」を合言葉に今後も山を目指そう。
 本格的な檜の仏像、地蔵菩薩立像を1月から彫り始める。8月に完成。

誕生日 2006・12・20(水)
 朝からぽんすけ(プリモプエル人形)が「プレゼント頂戴」と何度も叫ぶ。プリモプエルの誕生日は11月13日なので、クリスマスプレゼントの催促だろうか?聞いても答えてはくれない。今日はうららの2歳の誕生日なので、妹思いのぽんすけが、うららの代弁をしてくれたのかもしれない。
 昨日の定休日は、海蔵川の堤防で久しぶりに家族で昼食を食べた。今日は誕生日のケーキの代わりに、エクレアの皮をママから貰った。人間年齢24歳になったうららは、妙齢の美女(美犬?)である。        うらら12・20

第3火曜 2006・12・19(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

           山鳥のほろほろとなく声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ    行基

今年を振り返って1 2006・12・18(月)
 今年一年を自らの独り言を読みながら振り返ってみる。まずは年明けの一月。
 コイズミ劇場に浮かれ、郵政民営化だけで、政府・自民党に圧倒的な権限を与えたために、あらゆるところで弱者をさらに追い詰める施策が始まった。障害者への補助削減、低所得者や高年齢者への負担増の強要などなど。蚊の泣くような野党の抵抗を尻目に、望まない法律が次から次にろくな論戦もなく成立する。議会制民主主義とは怖いものだ。
 1月23日、ホリエモンが逮捕され、「(手段を選ばぬ)成金」が持てはやされる風潮に一定の楔は打ち込まれたが、庶民には無力感の方が多いだろう。と言いながら、庶民の端くれSUは雪山通いにせっせと出かけた豪雪の年明けだった。

年賀状 2006・12・17(日)
 昔のように手作りではなく、パソコンを使ってほとんど機械的に年賀状を作る。その作成をずっとPPS関係者に依頼してきた。おかげで今年ももう投函するばかりになった。今回は、差し出す相手を随分絞った。来店の無い顧客は名簿から削除、私的なものは、今年1月6日以降に年賀状が届いた相手は、こちらが出した返礼と考えて、ほとんど宛名からはずした。そんなことで、購入した賀状が50枚余残った。
 プリントした裏面に手書きで音信を書くのは20通程度、実際はそれだけでいいと思うけど、そうもいかない。

暖冬 2006・12・16(土)
 木枯しが吹き、落葉が舞い上がる、そんな風景には程遠い今年の12月。山に雪もなかなか積もらない。八一の木枯しの歌でいつもの冬を思い出してみる。
   法輪寺にて  
     みとらし の はちす に のこる あせいろ の 
              みどり な ふき そ こがらし の かぜ
   八一
              (みとらしの蓮に残る褪せ色の緑な吹きそ木枯らしの風)

三途の川 2006・12・15(金)
 此岸と彼岸の境界線・三途の川は死後一週間で渡るという。善人は橋や舟で渡って行く。落語で三途の川の渡し舟を漕ぐ鬼が、舟から落ちかけた人に注意する。「おい!気をつけろ、はまったら生きる
 今日、友人のお母さん(93歳)の通夜に参列し、お別れしてきた。沢山の家族、親族に囲まれて大往生と言えるだろう。無事、三途の川を渡り、極楽浄土に生まれ変わるまでの49日を無事に旅して欲しいと言うのが残された身内の人たちの願いだろう。でも本当は、ひょっとして三途の川にはまったらいいだろうな!などと読経を聞きながら一人思っていた。

雨が降ると 2006・12・14(木)
 犬の散歩も少なくなり、町内は人通りが途絶える。整骨院の先生曰く「この町内は老人ばかりだからね〜」 誰かが「駅商店街には人がいましたよ」 先生「それでも、昔に比べれば少なくなった」 町内に若い人は少ない。SUももう「じいさん」になったしね。
 女の人が「若い時にね・・・・だったよ」と言う。よく聞くとそれは60歳前後に事だった。うつぶせになって聞いていると町内のことがよくわかる。のんびりした対話は楽しいものだ。
 ここは商店は少なくなったが、電車の使える駅商店街まで自転車で通える範囲にある。だけど、車がダメ、自転車がダメとなると辛いところがあるかな?

ウィニー 2006・12・13(水)
 「著作権侵害の幇(ほう)助」で有罪(京都地裁)が出た。IT社会の急速な発達に一般社会が対処できない現状に対する皮肉な判決だ。著作権侵害と言うなら、コピー機やパソコン、あるいは音楽機器など大量に出回っている。
 この有能な技術者は、ライブドアのように利益追求に法の盲点を利用したわけではなく、IT技術発展の基礎となりうるプログラムを開発したのだ。この技術開発を法で縛るなら、技術者はプログラム開発に力が入らなくなり、IT立国など夢と化すだろう。問題は急速に発展する社会に適切な対応ができない立法や行政の力の無さにある。
 もう一つ大事なことは、著作権は一定の期間守らなければいけないということ。他人の労作は尊重しなければいけない。

川面 2006・12・12(火)

 腰痛が快復し、歩けるようになった昨日、子犬・うららと三滝川の川べりを散歩した。犬は走るがSUはゆっくりと歩くだけ。こんな時は気持ちもゆっくりしている。川下の橋の向こうの雲に見とれ、川面の水鳥を眺める余裕がある。その時、川面に風景がきれいに映っていることに気が付いた。どうして今まで気が付かなかったのかと携帯で写真を撮った。
 振り返ると川上には鈴鹿の山がいつもより美しく見える。自然がよく見える「ゆっくり歩き」もいいものだ。

接骨院 2006・12・11(月)
 動けるようになったので、いつもの整骨院へ行った。3年前の新井スキー場でのぎっくり腰以来である。「一週間でスキーに行けるようにして下さい」 「う〜〜ん!」と唸った先生が治療に入る。チクチク痛いあの電気のマッサージ、嫌いだけど我慢我慢。
 「一週間でね〜!?」と義理堅く考えてくれる先生の「う〜〜ん!」を希望的にとらえて明日から日参するつもり。
 夜、久しぶりに転職したキリンと話す。「週末なら山に行けますが!」「OK、車の運転をしてくれるなら、いつでも連れてくよ」 冬はいつもこんな会話である。

静養 2006・12・10(日)
 デスクワークばかりで身体が弱っていたところに、冬に向けて急なトレーニングしたので腰に負担がかかりすぎた。三日三晩静養、ベットで犬のうららと暮らした。本を一冊、映画を三本、あとはひたすら眠っていた。たっぷり時間があったのに「考える」と言う作業はほとんどなし。動けないことの悔しさと後悔ばかり。
 三日間ゆっくりできたと考えるか、それともその間の遅れを悔やむか。どちらを取れば年相応なのだろう??

星野富弘詩画集より 2006・12・9(土)
     雨を信じ 風を信じ 暑さを信じ 寒さを信じ 
     楽しみを信じ 苦しみを信じ 明日を信じる
     信じれば 雨は恵み 風は歌
     信じれば 冬の枝にも 花ひらく

            (我が家のカレンダーに掲げられている詩画)

ダウン 2006・12・8(金)
 腰痛でダウン。今日の独り言は休みます。

みかん 2006・12・7(木)

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 写真のようなみかんをいただいた。みかん特有の酸味と甘さがミックスされていて、とても美味しい。食卓にいろいろなみかんがあるが、甘さが足りなかったり、ただ甘いだけなどいろいろだ。
 このみかんは「龍馬 感激 みかん」と名付けられ、写真入りの箱に入っている。これだけでなんだか楽しくなり、あちこちに配って食べてもらっている。こんな営業努力の品は楽しいものだ。

インターホン 2006・12・6(水)
 数年前、玄関と各部屋を繋ぐインターホンが壊れた。睡眠中の寝室での呼び出し音が苦になったこと、夫婦二人だけになったことなどで、修理費を節約して、玄関と台所だけの物に変えた。2階にいると、時々、呼び出し音が聞こえない時があるが、それほど苦労していない。
 最近、室内のインターホンの役目を果たしだしたのが、ソフトバンクの携帯デンワ。夫婦で同時に通話料無料の契約に変えたので、1階と2階の簡単な対話に携帯電話を使うようになった。身近な親族が全てソフトバンク携帯に変えて、お互いの通話料金を無料化したが、内線代わりに使えるとは思っても見なかった。

大掃除 2006・12・5(火)
 掃除は好きではない。従ってなるべく私室は乱さないようにしている。「使った物は元に戻す」をモットーに整理整頓に心がけているが、最近、仏像作りのために新しいものを持ち込むことが多くなったので、乱雑になりブタ小屋のようになってきた。ここまで来ると整理好きの女房殿も進入しなくなり、さらに荒れる。
 私室はいいが、営業所はそうは行かない。31項目の掃除表をつくり、半月の期間内に大掃除する。掃除嫌いのSUは掛け声だけである。口だけが達者でやかましい経営者なのだ。

雪2 2006・12・4(月)
 確かに昨日降ったと思うが、一瞬だったのか新聞にはもちろん載っていない。寒くなったので、うららは震えて、布団の中や暖房の前を占拠する。長い毛で覆われているのに寒がりで、まるで猫のようだ。
 友人達からメールが来た。
    「スキーに行きたい気持ちが強くて雪に見えたのでは?
    「昨日のは雪ではなかったと思うけど・・
    「見ましたよ。雪のひとひら!」 

雪 2006・12・3(日)
 午後、諏訪公園の西を歩いていると淡い雪が降ってきた。屋内の用事を済ませて外に出るともう無かった。ついに雪が降った。車のタイヤをスノータイヤに替えねばと思うが、今週は忙しくて時間が無い。でも、週末に初すべりもいいものだとも思う。
 夜、若い子二人に聞くと「降っていませんよ」と言う。エッ〜!あれは深い願望による幻影だったのだろうか?
 確かに雪だったと思うが、年を取ると事実に対する確信に揺らぎが来る。困ったことだ。今夜は寒い。この事実は間違いなさそう。自転車での帰宅は辛い。

数学 2006・12・2(土)
 中学の時、S先生の私塾(個人授業に近い)に通った。この先生の授業は厳しかった。自力で問題を解くことが基本で、ヒントもアドバイスもなし、解けないと時間いっぱい屈辱感の中でただただうつむいているだけだった。結局、塾からは逃亡したが「自力で解く」と言う学習の基本をこの先生から徹底して教わった。
 高校に入学すると数学の先生がS先生だったので驚いた。(蛇足だが、メルヘンメンバーはこの1年のクラスメイト) さらに驚いたことには、この先生がPPSの生徒さんだった。数回会って話をしているのに気付かず、昨日、住所をお聞きし、しばらくしてから、うつむいていた頃がありありと浮かんできた。今度お会いしたら、非礼をお詫びし、いろいろな話がしたい。

観音妙智力(かんのんみょうちりき) 2006・12・1(金)
 仏像と書を紹介する11回目。天台宗妙法院門跡・菅原信海さん(門主)の書と「妙法院(三十三間堂)蔵の千手千眼観世音菩薩坐像」です。
 『「観音妙智力」・・法華経・観世音菩薩普門の偈(げ)、いわゆる世尊偈の中の一句。観音さまのすぐれた智恵の力のことで、この力で能く世間の苦を救うであろうといっている』(菅原)
 注1 有名な三十三間堂の本尊です。三十三間堂は京都市東山区にある
     寺院で、正式名称は蓮華王院本堂。現在は同じ東山区にある天台宗妙法院が所有・管理している。
 注2 偈とは、経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉。

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