大晦日
 2005・12・31(土)
 時の流れは速い、あっという間に2005年が過ぎていく。一年を4期に渡って振り返ってみたが、有意義なことも悔いの残ることも沢山あった。反省するが、悔いは来年に持ち込まないようにしよう!
 一年のご協力・ご支援、心から感謝します。皆さん、良いお年を!

2005年その4(秋)
 2005・12・30(金)
 時代に警鐘を鳴らし続ける作家・辺見庸が闘病生活(脳梗塞)から夏に復帰した。しかし癌でまた倒れた。彼の主張に共鳴し、学んでいるので残念で仕方がない。
 細々と続けている会津八一研究はやっと全作品996首を読み終えたばかりで、八一ページでの解説は59首に過ぎない。今後もこの二人と一緒に進んで行きたいと思っている。
 大きな出来事は同級生9人の京都の旅だった。旧交を温めながら新たな交流を作った。時代を共有する仲間達の大切さを心から思う。この社会では1人で生きているわけではない。仲間達と手を繋ぎ共に歩むことができることは幸せである。

2005年その3(夏)
 2005・12・29(木)
 7月末、組合HPパズルランドの運営を全てNKさんにお願いした。8月末、IT仲間のひろさんの要望にこたえて、新たに親睦ページ・共同掲示板(どんぐりころころ)を作る。
 同じく8月末、アメリカのアフガニスタン・イラク戦争に追随するコイズミ政権への危惧から、ブログ名を「団塊のつぶやき」と変更し 「何ものにも制約されずに自分の考えを述べる」ことを実行に移す。ただし、なかなか書けないので困っている。
 9月11日、コイズミ圧勝とその後にショックを受ける。付和雷同する民意の底の浅さと考えるが、それを許したのは自分達だと主体的に反省すべきだろう。 

2005年その2(春)
 2005・12・28(水)
 パソコンスクールの移転縮小が一つの節目。「組合が5年余に渡って蓄積してきた有形無形のこの資産を今後どう活用して行くかが一つの課題」(独り言4.15)と書いた。組合理事就任をお断りして、この部門から実質的に撤退したSUの責任も問われるが、今後この貴重な資産が活用されることを期待したい。
 SU個人のことで言えば、個別利害(商店街の利害)に埋没していては残り少ない人生に悔いが残ると考えたので、無理や軋轢を承知でリタイアした。
 1 何ものにも制約されずに自分の考えを述べること
 2 アナログな世界で新しい挑戦をすること 
 この2点を新たな目標に掲げたが、未だに思うようにならない。  

2005年その1(冬)
 2005・12・27(火)
 年初に1人息子が結婚し、遠方に居を構えて独立した。我家は寂しくなったが、お嫁さんを介して新しい繋がりの輪が広がった。そんなわけで、ぽんすけ&うららが新たな子供達として登場し、1年を賑やかにしてくれている。
 相変わらず、スキーに良く出かけた。ツアー4回は新記録、日帰りも4回。今日、部屋で1mの高さから足を踏み外して後ろ向きに落ちた。骨折はしなかったが、しばらく動けない。うららはすぐ駆けつけたが、何度かの叫びにやっと現れた奥さんが言う 「よくまあ〜、スキーで怪我しないものだわ!」 

一年を振り返って 2005・12・26(月)
 今年ももうあと少しになった。一年を顧みながら、新たな年を迎えたい。パソコンスクールの縮小再編を通じてパソコンからの自立(?)を目指したが、未だにパソコンオタク的な所から抜け出せないでいる。
 いろいろな制約に捉われずに自由に人間らしい生活をしたいと思ってきたが、それもなかなか難しいものだ。新たに決めた課題も端緒についたばかりで挫けそうになるし、ブログもなかなか書けない。明日からは、今年の自分の大きな事件を振り返ってみたい。 奥伊吹

思わぬ渋滞 2005・12・25(日)
 関が原から北は車より高く雪が積もっていた。除雪が概ねできていたので、気楽に走っていたが、急に前の車が止まり渋滞になった。30分ほど全く動かない。道路幅が狭く対向する大型トラックがすれ違えないのだ。
 帰路も同じところで全く動かない。反対方向に走り、ナビを頼りに米原手前から21号線を通って関が原に抜けた。ナビのおかげで忘年会の遅刻は20分ですんだ。

イエスウーマン
 2005・12・24(土)
 小泉チルドレンと比べられて、土井たか子が吼える。「あんたッ!土井チルドレンとはえらい違いですで。刺客なんてのと、あのころのマドンナを一緒にせんといてや!いまはイエスマン、イエスウーマンばっかりでしょ、一夜にして、反対してたのが賛成になったりしてね。付和雷同。民主主義の否定だし、独裁的でしょ。バカみたいな国会になって」(毎日新聞より)
 護憲の象徴・おたかさんは健在である。9条を守るために憲法行脚をしている。
 泡沫候補がブームだけで当選して大量のイエスマンができた。右でも左でも本当に必要な人たちが締め出される。困ったことだ。

大雪
 2005・12・23(金)
 いくら雪好きでもこんなに降ると困る。雪はゲレンデにあるだけでいいのに!今週の遠出の予定はことごとく中止に追い込まれた。明日は刈谷に行く予定だが、伊勢湾岸道路の通行止めが解除されないととても行けない。
 友人は雪が降っていいね!と言ってくれるけど ・有料道路などの通行止め ・ゲレンデ直前の雪道の障害 ・リフトが動いてない可能性 などで「幸せ」ではないのである。
 なら、明日のイブをホワイトクリスマスとして楽しめばいいが、そんな環境にはない。

ガーター
 2005・12・22(木)
あの重い玉を転がすボウリングは最も不得意で嫌いである。ところがマネージャーが今年の忘年会はボウリングをするというので仕方なく付き合った。10年以上したことがない。
 出だしの4投全てガーター。「だから嫌と言ったんだ!」と叫ぶ。屈辱の極致である。ところがマネージャーの投げ方を見て研究したら、なんと4つもストライクが来た。こうなると神の存在を信じたくなる。でも、もうボウリングはしたくない。
 ところで成績表にはガターと印刷してある。いろいろ調べてみたら、ガター=Gutter(溝)、俗称・通称名ガーターのようだ。また、ガーターはGarter(靴下留め)と辞書に書いてある。

誕生日
 2005・12・21(水)
 子犬・うららは生後2ヶ月も経たない今年の2月11日に我家にやってきた。昨日はうららの誕生日。SU家の忘年会会場にお願いし、誕生会も一緒に行なった。
 忘年会は第1部がボウリング、第2部がふぐ鍋、うららはおとなしくハハの横で宴席に参加した。
 1年を記念して撮ったうららのファッションショー動画をどうぞ! 

第3火曜日
 2005・12・20(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

         飯(いひ)こふと里にも出でずなりにけり昨日も今日も雪のふれれば  良寛

アイスカッター
 2005・12・19(月)
 中央自動車道走行中にガラスもワイパーも凍ってとても困ったことがある。今年は下の写真のようなスノーブラシを買った。大雪の昨夜(深夜)、車のフロントガラスは凍った上に雪が積もっていた。雪は簡単に払えるが氷は困る。ぬるま湯の用意もない。ところが、たった300円弱のスノーブラシに付いているアイスカッターが威力を発揮、短時間に発進することができた。冬用対策に一つ持っていてもいいアイテムかな?
    

大会
 2005・12・18(日)
 SU家の麻雀大会が無事終わった。わいわいがやがや、忘年会も兼ねている。朝からの雪で欠席が出ないか心配だったが、全員参加、三重県大会優勝の実績があるT氏が圧勝した。お馴染みの「ぞう君」は、始まる前から飲み続けて大はしゃぎ、こんな時は成績は良くないに決まっている。大食い、大酒、大声で会場を圧倒、とても楽しい雰囲気にしてくれた。
 この大会が終わるとSU家の今年の行事はスタッフの忘年会を残すのみになる。鍋料理に決まったが、その前にボーリングをするという。SUのもっとも苦手なゲームを画策したのはママとOマネージャーである。

年賀状
 2005・12・17(土)
 年賀状作りは本来楽しいものだし、改まって便りを出す良い機会なのだが、数が増えてくると結構しんどいものだ。パソコンで作成するようになって随分楽になったが、それすらさぼりたい。となると優秀な人に頼めば良いとなる。依頼した年賀状は宛名も全部入って今日届いた。とても楽である。
 優秀な人の能力を生かしながら、いろいろな事をすすめることの大切さをこんなことから思う。人を大切にして自らも生かされる社会がいい。能力と言っても建築構造をごまかす能力ではないけど。

宮里藍
 2005・12・16(金)
 アメリカでの活躍から、ひょっとしたらと男子ゴルフ・沖縄オープンの藍ちゃんに期待したが、残念ながら通算16オーバーの120位で予選落ちした。やはり、男子コースの長さが微妙に影響していると思う。
 沖縄に義理があると無理に出場させられたようだが、大事な大器を見世物のようにしたプロゴルフ協会の姿勢も問われそうだ。
 バンカーを渡り歩いてトリプルボギーを叩く藍ちゃんに己の姿を重ねながら、その気持ちを思いやった。プロのミスはヘボアマチュアを安堵させる優しいメッセージでもある。懲りずに大活躍して欲しいものだ。

月日の流れ
 2005・12・15(木)
 早いものでもう12月も半ばになった。歳月の流れの速さは特に年末に感じる。目の前の鹿の顎(あご)の動きに託して、時の流れの止めがたさを詠んだ八一の歌をどうぞ。この歌は、古都のいにしえからの悠久の流れを想いながら味わうと一層深いものになる。

  春日野にて 第9首
      をぐさ はむ しか の あぎと の をやみ なく
                  ながるる つきひ とどめ かね つも

        (を草食む鹿のあぎとのを止みなく流るる月日とどめかねつも) 八一

証人喚問
 2005・12・14(水)
 山の神も外出を一切取り止めテレビに見入る。こんな腹立たしいことはない。石原産業や松下電器の事件など、最近の一連の事件は困ったものだ。
 昔は金儲け主義などと非難してOKだったけど、今は金儲けの「勝ち組」が美徳として囃されるから。『ヒルズ族は汗水流して働いたわけではない。「改革」の名の下で、金を右から左に動かしただけである。これでは国民のモラルは低下するしかない』と毎日新聞に書いてあった。最もな意見だ。金の亡者が何をするか分からないので、よほど自衛を考えて生活しないと安心できない。 

静養
 2005・12・13(火)
 メ○ヘ○仲間のおしゃべりの中で精力を使った翌日、睡眠カットの日帰り初スキーはさすがに疲れる。こんな時は山の神に娘・うららの子守を申し出る。自由にお出かけくださいと!
 猫よりも猫らしい犬・うららを膝に抱いて終日、机に向かって好きなことをする。だらだらしていると眠くなる。気が付くとうららが膝から落ちて、床の上できょとんとしている。また這い上がってきて2匹(?)で居眠りが続く。犬の落下は山の神には内緒である。

大雪
 2005・12・12(月)
 奥美濃は終日雪が降っていた。路面が午後にはすべて雪で覆われる。顔面を叩く雪と霙のため、午後早い時間にホワイトピアでの初滑りを中止。ただちに帰路についたが、見渡す限り雪ばかり。のろのろ運転の自動車道を、あくびをかみ殺しながら帰宅したとき、辺りはもう真っ暗だった。
 ゼイ、ゼイ、ゼイ、あ〜〜疲れた。スキー同行者募集中!

新築祝い?
 2005・12・11(日)
 昼食忘年会と銘打って、木の素材を最大限に生かした友人宅を訪れた。快い木の匂いが満ち満ちている新しい家で、まだ木が音をたてると言う。
 昼食を手始めにいろいろなお菓子を食べ、しゃべり続ける。10月に京都でY君から預かったと言う塩羊羹まで平らげる。気がつくともう外は暗くなりかけていた。よくもこんなに食べつつしゃべり続けれるものだと感心する。恐ろしいメ○ヘ○・・グループの実態である。

ブログなどHPの効用
 2005・12・10(土)
 誰もが手軽に作れ、書き込みができるブログは便利で市民権を得つつある。ある新聞記事でブログと伝統的(既成)メディアを対置していた。要約すると
伝統的メディアが、今まで力を持ち得たのは知識や情報が少数の人に偏在していた時代のことで、今は違う。なのに力を過信し、自己満足と傲慢さを増殖している。それに対して、手軽なブログを中心にしたネット社会は急速に影響力を増した。しかしそこには情報の不確かさ、捏造、サイト荒らし、情報操作などの問題がある。伝統的メディアの正確、公正、倫理規範の価値観を生かして、両者を融合していく必要がある
 既成メディアの公正さには疑問があるし、株でのっとりを謀る楽天は嫌いだが、メディアの先行きが見えてきそうだ。

パンジー
 2005・12・9(金)
 ビオラとパンジーはどう違うのか?パンジーの小さいのをビオラと言うのだけど、違いを調べたり考えるのは省こう。
 ところでパンジーはフランス語のパンセ(思考)から来たと言う。パンセからパスカルの本「パンセ」を連想し、パンセを我思うと訳すと、デカルトの「我思う、故に我あり」となる。全て、表層の知識でこれらの哲学書を読んではいない。せめて、パンジー(パンセ)の前では、思索するふりをしなければと考えた。(写真はパンジー・虹色スミレ)

ビオラ
 2005・12・8(木)
 バイオリンのついでにビオラを調べてみた。バイオリンよりひとまわり大きく、音域も若干低い弦楽器。暖かく、深みのある音色を持つ。とネットに書いてある。音楽音痴の我輩には関係ないが、花のビオラは簡単に手に入る。
 ビオラやパンジーは次々と新種が出てくる。去年はパンジーの新種「虹色スミレ」で楽しんだ。ちょっと変わったビオラの新種「神戸バニービオラ(写真)」がネットに出ていたが、もう売り切れになっていた。弦楽器のビオラは高くて買えないが、ビオラの新種なら手が届くのに。

バイオリン
 2005・12・7(水)
 友人宅でバイオリンのホームコンサートがあった。凄いな〜!文化のレベルが違う、招待されなくてよかったと胸をなでおろした。義姉もバイオリンを弾くが、我家にはそうした文化がない。ジュニアはロック系のミュージシャンだけど、SUは音痴で音楽に疎い。
 昨夜、メリル・ストリープのミュージック・オブ・ハートと言う映画を見る。録画した映画は寝るためにあるのだが、面白くて最後まで見てしまった。外はもう朝、最後の頃に気がつく、これはバイオリンの映画なのだと。ストーリーばかり追って、音楽センスはゼロの観客である。

 2005・12・6(火)
 各地で大雪、近場のスキー場もほとんど滑ることが出来るようになった。そろそろ出かける用意をと思っていたが、早速スタッドレスタイヤを付けにでかけた。「めちゃくちゃ忙しいです」とタイヤ屋の店員さんが言う。タイヤ交換待ち時間が3時間、予約をして一旦、帰宅した。
 例年、12月はノーマルタイヤでいいのだが、この大雪ではそうもいかない。4WDに雪用タイヤを付け、柔らかい深雪用にチェーンも積む。後は気力と体調管理、そして同行の仲間がたくさんいるといい。準備OK。
 あっ!まだスキー板のワックス塗り替えがしてない。

東京から
 2005・12・5(月)
 義姉夫婦と同じ日、東京からループKの友人Yが来ていた。法事で来たがもう帰ると電話してきたので、待て待てコーヒーでも飲もうと誘う。実家前で彼を乗せてコメダへ。家人を入れて3人で四方山話をした。彼は先日のループK・京都の旅を面白おかしく家人に説明していたが、途中おもむろに出したのは携帯電話の写真、嬉しそうに説明する。11月末に生まれた娘の娘、まだ名前がない。理論派で小難しいところもある男だが、初孫を語る姿はもう好々爺、満面の笑みはこちらまで楽しくなる。
 ループK、次回は40年後と主催のKが言ったが、その時はもう孫達の時代になっている。 

東京からちょっと
 2005・12・4(日)
 鳥取の義姉夫婦が東京での結婚式を済ませ、観光に出かけてから四日市にやって来た。四日市の義兄にどこへ行ったのか聞くと「東京からちょっと・・・どこかな?」とのん気な返事だ。午後7時、やっと二人は義兄の家に到着。聞けば朝から会津若松へ行ってきたという。東京から西を考えていたのでびっくり、交通の便はよくなったものだとあらためて思う。
 「ああ!疲れた。二度と福島県には行かない」と義姉夫婦、さもありなん、鳥取ー東京ー福島ー四日市は大変だ。 

メダカもどき
 2005・12・3(土)
 宮司から電話があった。「神社の池から嫁入りしたメダカの尾びれが団扇型なら、メダカではなくタガヤシだ」早速水槽を覗くとみんな丸い。我家のメダカはメダカもどきだったのだ。
 ネットで調べると以下のように書いてある。「蚊の幼虫であるぼうふらをよく食べるので、 この名が付けられた。1916年に台湾から日本へぼうふら駆除用に移入された。学名:Gambusia affinis・ガンブシア・アフィニス
 さらに卵胎生と書いてある。春に一所懸命卵を探したが、無いはずだ。
  

柔和
 2005・12・2(金)
 災害などで打ちのめされた人の顔が、日本では不思議と穏やかである。そのことの背景に仏教の無常観などに支えられた東洋的無常観があると書いている人がいた。
 絶対を求めるキリスト教世界との違いも指摘する。キリスト教世界では絶対神に対してどうかを問うことになるから、全てはイエスとノー二者択一しかなく、厳しい生き様を要求する。仏教や神道における多様性、アバウトで多岐にわたる思想の展開は多種多様な神や仏の姿にも現れている。諦観もあれば寛容もあり、争いの世界ではなく和の世界だ。
 勝ち組・負け組などと叫ぶ近頃の日本の社会は、長年培ってきた日本人の世界とは違う他国からきた異邦人達の世界のようだ。

師走
 2005・12・1(木)
 12月に入ると気ぜわしくなる。まずは今日から半月かけて店内の大掃除、例によって例のごとくSUは日程表を作って口だけを動かす。ところが、今年は10代の新人なので、口だけではだめで、雑巾の使い方から教えなければいけない。雑巾、バケツ、ぬるま湯、洗剤・・・!彼の担当する部分の対処の仕方を説明するだけで時間がかかった。学校で学ぶより社会で学ぶ方が多いとはこのことかな?
 今年は少し手伝わないといけないだろう。20日のSU家忘年会までは、掃除と年末セールであわただしい。 
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