1月の終わりに 2005・1・31(月)
 なんと言っても今日現在、死者・不明者30万2000人を超えたスマトラ沖地震の凄さに圧倒される。現地の早急な復興を願う。
 世界には、その日の食べ物に苦労する「絶対的貧困」層が、全人口の約30%、10数億人もいると言われている。働こうとしても働けない、或いは飢餓などにより頑張ることが出来ずに、貧困から脱出できない人たちだ。
 1月は2回もスキーツアーに出かけた。(週に2回もゴルフをするような贅沢) ジュニア達は華麗な結婚式を挙げた。世界の全ての人々の幸せを願いながら、現状に奢ることなく、謙虚に考え行動していきたいと改めて思う1月の終わりだ。

出張報告書 2005・1・30(日)
 総勢28名、流葉スキー場に出かけた。昨日は晴天、今日は雪模様だったが、スキーとしては天候に恵まれ存分に滑ることが出来た。写真は初日の記念撮影前の仲間達、左にあるSUの赤いバッグと手袋(ストックの上)が早く滑ろうよと叫んでいる。
 負傷者が二人出た。スキー保険を強化して行ったのが不幸中の幸いだが、痛い上に滑れないのだから、当人達はとても悔しいだろう。このことだけが残念なことだった。

出張中 2005・1・29(土)

出張 2005・1・28(金)
 奥飛騨へ出張、今から出かけ、日曜に帰ります。

新札 2005・1・27(木)
 遠方からやって来た若い親族をねぎらって、交通費などの代わりにお小遣いを渡した。祝儀などは真新しい新札がいいのできれいな札を選んだ。
 数日して、大事に取っておいた数枚の2千円札がない。きれいな2千円札を今回の新札と間違えたようだ。新札は一葉を渡そうと思ったわけではないので、意図した5分の1のお小遣いになってしまった。電話で確かめて、次の機会に穴埋めすることにした。
 年とともに注意力が散漫になる。反省!皆さん、偽札騒ぎの中、よくよく確かめて新札はお使いください。

e−なも(ええなも)くん 2005・1・26(水)
 高齢化社会では、高齢者は自立を要求されている。その一助になるのが、パソコンだろう。パソコンを利用することによって、生きがいを見つけたり、交流を広げたりすることができるし、孤独を解消したりもできる。また、パソコン操作は能の活性化に役立つ。
 そんな中、名古屋市と大学が高齢者も使いやすいパソコンソフト「らくらくパソコン e−なも(ええなも)くん」を共同開発した。
 操作はマウスだけにし、インターネットと電子メールのみを行う。ダブルクリック無し。入力は画面に表示される平仮名や英字、数字などのボタンを、マウスでクリックするだけ。しかも、自治体とNPOが連携し、中古パソコンを一万円で配る。既に千台を確保していると言う。
 今後を見守りたい。

子供のつぶやき・あのね(朝日新聞より) 2005・1・25(火)
  ★ 祖父が若かった頃の結婚式の写真を見て
         「やだ、ジージ、カツラなんかかぶちゃって!」 (6歳)
  ★ 仏壇のろうそくの前で、うれしそうに
         「はっぴばーすでぃちゅ〜ゆ〜」         (2歳)
 ジュニア達がプラトンホテルから記念に貰ってきたのは大きなキャンドル、毎年記念日に灯して25回、銀婚式まで使えるものだった。その頃まで生きていたとしても、SUジージは多分白髪、親がそうだった。

メダカの水 2005・1・24(月)
 寒いので庭の水槽のメダカはじっとして動かない。ほぼ冬眠状態なので、簡単に捕えることも出来る。手を切るような冷たい水の中からゴミなどを取り、室内の水道水で手を洗う。
 「やっぱり水道水は暖かいね〜〜!」   チチ 
 「・・・???・・・」                携帯メール中のジュニア
 水道水はだんだん温度が上がって熱くなる。
 「アッ!水道は温水の設定になっている」 チチ
 その話を聞いたワカヨメは涙を流して笑い転げる。昨日、あんなに涙を流したのに、どこから出てくるのだろう。午後、二人は我家の真っ赤な車を奪って(?)行き先を決めない新婚旅行に出かけて行った。車が無傷で帰ってくるかどうか、ハハと2対1で賭けたのは内緒だ。

宴 2005・1・23(日)
 プラトンホテルのベネチュアホールが披露宴の会場、あまりハードなロックは抑えてねとお願いしておいたら、静かな調べの心を打つ曲が多かった。仲間のプロのミュージシャン達の活躍で楽しい宴になったが、オーソドックスな式の進行も取り入れてあるので年配の人にも楽しく過ごしていただけたようだ。
 下座で目立たないようにと思っていたが全く間違いだった。祝辞攻めに会い、またご挨拶に各席を回り終える頃には宴はラストに近かった。親の謝辞はなんとか済ませたが、かすかに足が震えていたような気がする。
 
挨拶 2005・1・22(土)
 明日10時からの諏訪神社の結婚式を済ませて、披露宴会場まで諏訪公園を歩く。雨ではなさそうなのでほっとしている。とりわけ、歩きたかった新婦は小躍りしている。
 ところで、披露宴の挨拶は兄だけだと思っていたら、厄介なことに親の謝辞があった。久しく大勢の前で話したことがないのでハラハラドキドキである。ライブ調の流れを壊さないために、くだけた物にしなければいけないかと思ったら、息子は反対にきっちりしたものにと言う。
 演説の得意なNさんとずっと一緒に活動してきたから、少し習っておけばよかったと思うがいまさら遅い。

ライブ 2005・1・21(金)
 東京で音楽活動をする息子が小田原の娘さんと四日市で23日に結婚式をあげる。披露宴は全て二人でプロデュースした。祝辞は伯父一人だけで、後は音楽ライブのようなもの。たくさん参加する仲間のアーティスト達が司会を中心にトークとショーを繰りひろげる。式全体に流れるBGMの大半を息子が作曲したらしい。
 ロック音楽などに縁遠い年配の親族たちは腰を抜かすかもしれない。他所の宴だと面白そうだけど、親としてはハラハラドキドキかな?
 最後の新郎の謝辞もこの日の為に作った新曲。う〜〜〜ん!成功を心から祈っている。(心配していると読んで欲しい)

アビバ 2005・1・20(木)
 アビバは、全国に330の教室を展開、約5万4千人が在籍し、パソコンスクール業界最大手である。しかし、2003年5月の教育訓練給付金制度の見直しによる減額と多額の広告宣伝費業で営業不振に陥り、産業再生機構に支援を申し込んだ。
 多額の給付金を利用して活躍するアビバは、パソコンスクール経営者にとっては雲の上の存在であったが、状況が変るとガリバーも倒れてしまうのだ。
 助成金や給付金無しで運営するパズルパソコンスクールは、インストラクターや街の仲間達の献身的な協力で頑張っているが、大きく利益を上げるのは難しい。

運搬 2005・1・19(水)
 昨日、180センチの高さの廉価な棚を買ってから、乗用車で運べないことに気づいた。担当者が「当店のトラックをお使いください」と言う。5分の距離だけど「念のため1時間取っておきましょう。無料ですよ」と言ってくれる。ガソリン代も無料だったし、快適なトラックだった。
 一昨日、有料でトラックを借り、廃業したTさんの店から冷凍庫や本箱、他所から冷蔵庫を運んだ。う〜〜ん!こんなことなら、昨日ちょっと転用して運ばせて貰ったのにと思った。

第三火曜日 2005・1・18(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

      我背子と二人見ませばいくばくかこのふる雪のうれしからまし    藤原皇后

廃業 2005・1・17
 同業でゴルフ仲間のTさんが15日で廃業した。結構努力していたが、20年間の営業が長引く不況の波に飲まれてしまった。営業者が最盛期の3分の1近くになったので、仕方がないが残念なことだ。今日引越しのお手伝いをして、いろいろ使える物を廉価な値で分けてもらってきた。
 廃業は寂しいが、Tさんは春に誕生する孫の世話が待っているので元気そのものだ。廃業直前の落ち込んでいた気分を一新し、新しい領域で楽しく元気に活躍して欲しい。

両替 2005・1・16
 銀行の両替が一定以上の枚数で有料になった。無料での両替は登録してカードを貰ってやっと一日何枚かができる。SUの行く銀行は100枚。これでは商人にはとても不便だ。かといって有料で行う気にもならない。不良債権処理で大量の税金を使っているくせに!と愚痴が出るし、大企業やパチンコ店はどうしているのかと考えてしまう。
 そんな事情で最近は100円単位の買い物でも一万円札を出すようになった。みみっちく小銭を出すよりは、少し大名気分になれるからと銀行への不満を昇華している。でも、先日、高速の料金所で一万円札を出したら、後ろに車が並んでしまった。

歌会始 2005・1・15

 戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々 (平成天皇)

 憲法に象徴天皇と規定されていても、前近代的な身分差別のある天皇制はない方がいいと思っている。だが上記の歌を詠まれる現天皇の苦悩と優しさは理解できるし評価できる。
 天皇には立場や見方が有るかもしれないが 「思ひ出づかの難き日を生きし人々」は太平洋戦争で苦しんだ人々への思いやりである。
 「戦なき世」とはまさしく戦後60年のこと、僕らは人を殺すなどと言うことは全く知らずに平和に過ごしてきた。この平安をかなぐり捨てて進もうとする為政者の気持ちは理解できない。
     (徴兵制の国で兵役に着くとは、兵隊にとって合法化された殺人の訓練をし実行すること)

   
どんど 2005・1・14

 明日15日は諏訪神社のどんど焼きが行われる。左義長とも呼ばれる行事だ。この日はお参りをして、どんどで餅や芋を焼くのが子供の頃からの行事、昔はこの日に晴着の新成人がお参りする好ましい光景もあった。
 成人式は古来1月15日(小正月)に行われてきた。ところが、連休にすると経済効果があるという理由だけで1月の第2月曜に変更された。祝日や儀式は由来や伝統に基づいている。軽々しく変えられると厳粛さが薄れて単なる休日になる。これでは味気ない。

NHK 2005・1・13
 勇敢な職員が職を賭して政治介入を内部告発した。受信料を取り、国民に中立公正を掲げながら、権力者の言いなりになりがちな姿勢は常に指摘されてきた。この点がSUが受信料を払いたくない理由だ。
 民放はスポンサーからのお金で成り立っているので、その影響を少なからず受ける。そこのところを考慮してみているので、少々の歪みは許容できる。
 実際、NHKを見る割合が最も多いのだが、この間の不祥事もあって、受信料を拒否しようと思ったら、拒否を指示した時はSU家のOさんがすでに払っていた。残念!

ネットの功罪 2005・1・12
 菅平のスイスホテルは同行のTとOがインターネット喫茶で探した。その上で、直接電話をかけ、いろいろ確認して予約した。ホテルから特典があるのでとネット予約を薦めてきたので、申し込むと封筒で確認書とサービス券を送ってきた。特典は嬉しいものだ。しかし、メールに書類を添付してくれば良いのにとチグハグさを感じた。
 ホテルを決めたTとOはネットの写真でホテルを選んだが、行ってみると老朽化したホテルだった。「今度からは悪そうなホテルを選ぼう!そうすれば良いかも」とTがぼやいていた。だけど、悪そうなホテルが本当に悪かったら、彼女は今度はどうぼやくだろう?  菅平スキー

スイスホテル 2005・1・11
 正式にはリゾートイン菅平スイスホテルと言う。収容人数450名のホテルだが古くて老朽化している。連休の9日、夕食バイキングにざっと300人ほど、席の確保に難儀した。明けて10日の夕食は14人だった。この落差にびっくり!リフト一日券3900円が、期間限定割引(1月11日〜14日)と銘打って2000円だったので、なるほどそれくらい連休後は暇なのだなと納得した。
 写真は10日、大松山山頂(1649m)から撮影した菅平スキー場・ダボスエリア、11日にヘリスキーに挑戦しようと思ったが、天候不順で中止だった。残念!!

出張中 2005・1・10
 
出張 2005・1・9
 AM3:00友人宅を出発する。自宅で静養していたので、前日の昼間に彼が荷物を全て積んで行ってくれた。
 遊べずに旅先のホテルで寝ていても自宅で寝ているのと同じこと、どちらも仕事からは解放される。Nさん流にプランに対して前向き?で行こう。
 ところで、行き先は国内だが、宿は「スイスホテル」ときざな名がついている。

在庫一掃 2005・1・8
 体調が悪いので自宅で寝ながら、年末から録画してあった洋画を全部見てしまった。なんとなく録画したNHKのドラマ「大化の改新」を見出したが、違和感が有り面白くない。
 原因は、 1 役者が軽い 
       2 セットが安っぽい(時代考証も?) 
       3 (これが一番悪いのだが) 語られる言語がトレンディ風の現代語

 古代語や文語を使えとは言わないが、大化の改新という大きな歴史上の事件を扱うなら、きちんとした言語でやり取りして欲しかった。
 その前に見た洋画「戦場のピアニスト」に圧倒されていたことによるかもしれないが、「NHKさん!もっとしっかりしなさいよ」と言いたくなる。

虚弱体質 2005・1・7
 暮から歯痛で体調が優れなかった。ところが歯医者は6日からしか開かなかった。その上、今朝起きたら扁桃腺が腫れていた。歯痛と扁桃腺炎ではさすがに身動きが取れない。PPSの新年会を欠席してご迷惑をかけてしまった。
 朝、医者に行った後、微熱で一日寝ていたが、無理をすると高熱になる。明日もおとなしくしているつもり、そうでないと明後日のツアーに置いていかれる。

スマトラ沖大地震 2005・1・6
 緊急首脳会議でコイズミさんは「アジアの人々の痛みは我々の痛み」と延べ、資金供与と自衛隊派遣を約束した。当然の事で、人と人が助け合いながら生きていくのは人類の叡智だ。だが、もう一歩進んでこう叫んで欲しい。「世界の人びとの痛みは我々の痛み」と!
 SUが叫ぶ前にキリンが吼えた「イラクにいる自衛隊を回せ!

歌行燈 2005・1・5
 桑名のうどん屋・歌行燈は、店舗を関東に展開し、さらに海外まで出店している。美味しくて人気がある店だが、チェーン化し大型化すると問題もいろいろでてくる。
 その屋号の由来になった泉鏡花の小説「歌行燈」の連載が中日新聞で始まった。格調高い日本語で芸道を中心に展開される物語は、新派のお家芸としてたびたび上演されてきた。若い時に読んだが、大まかな筋しか覚えていない。今回はゆっくりと字句を味わいながら読んでみたいと思う。連載が始まると桑名の歌行燈本店は繁盛するだろうね。

子供のつぶやき・あのね(朝日新聞より) 2005・1・4
  ★ 沸騰するお鍋の中の野菜を見て
         「ママ、野菜がおぼれている」                   (4歳)
  ★ 食後 「マシュマロ食べて」と言うので「ダイエット中」とママが断ると
         「しわがとれるってテレビで言っていたから、食べなさい!」  (6歳)
  ★ 初めて食べたお子様ランチに大感激。「いいな〜」というママに
         「ママも今度食べてみなよ〜。おくさまランチ!」        (5歳)
 固定観念にとらわれない子供の発想にいつも感心する。常識や慣習に固執して、柔軟な発想が出来ないような年寄りになりたくない。
 ところで全く話が違うが、本の文字に「ママ」とルビがふってある。これは、引用文や語句が「原本のまま」「もとのまま」と言う意味だった。今日知った、不明を恥じる。

お雑煮 2005・1・3
 我家の正月のお雑煮はシンプルである。鶏肉でだしを取ったしょうゆ味の中に大量の餅菜を入れる。食べる時は、食べたい量の餅を加える。正月はお雑煮があれば、SUは何も文句は言わない。全国的に見るとお雑煮は千差万別らしい。この地方はあっさりしたシンプルさが特徴だ。
 元旦に兄がこう言った。「昔、母が作ってくれた雑煮は、鶏肉じゃなく、鰹節のだしでもっとあっさりしていた」兄はあのこってりしたすき焼きの最後に、餅を入れて食べるのが大好きなのだが。

兵どもが夢の跡 2005・1・2
 大晦日の午後始まった宴会は、紅白と格闘技とにチャンネルを切り替えながら延々と続く。蕎麦を食べ、午前0時になると初詣へ。SUは大吉を引いてよかったが、強い風と雪のため初詣客が少なく、宮司がベソをかいていた(?)
 元旦の夜遅く、宴が終わって兄達は帰り、息子達は今日帰っていった。残されたものは外に置かれ、通路をふさいだゴミの山「とても片付ける気にならない!」と奥さんはPM2:00からの10時間ドラマを見る宣言をした。SUは仕事始めなので出勤して働いている。

賀春! 2005・1・1
本年もどうぞよろしく!






    新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと) 大伴家持
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