3月の終わりに 2003・3・31
 3月の事件はなんといっても米英軍のイラク侵攻である。まさかと思ったが起こってしまった。とにかく戦争には反対だ。理屈はあるがあえて言わなくていいと思っている。今回の戦争を是とする人は、少し人間の尊厳について考えてみるべきだろう。
 身の回りにはいろいろ不幸が起こった。交通事故、くも膜下出血、糖尿病悪化よる弊害、さらに病死。一つ一つの事に心を痛め、いくらかの行動をした。個人のことでもこんなに心を動かすのだから、戦争の映像を対岸からドラマのように眺めているような人間にはなりたくないと思っている。
 
春立つらしも 2003・3・30
 暖かくなり、市内の桜も咲き始めた。こぶしの花も満開である。入学・入社を迎え、また新しい事業年度を迎え世の中は一気にあわただしくなる。競うように春の草花も咲き乱れるだろう。
 艶やかさの中ではなく、わずかなきざしのなかに季節を感じる喜びがいい。そんな歌を味わってください。
    くわんのん の せ に そふ あし の ひともと の 
                 あさき みどり に はる たつ らし も   八一

                観音の背に副ふ葦のひともとの浅き緑に春立つらしも

手助け 2003・3・29
 精神を病んだ老婦人を看護していたご主人が倒れてまだ意識が戻らない。若い独身の息子さんでは介護も不十分だし、財政的にも苦しい。見かねた友人がそのご婦人の手助けをしているが、大変な労働量らしい。
 福祉の制度があるとはいえ、見放されて苦しむ人はたくさんいる。出来る範囲で手助けをしていきたいし、少なくとも暖かい心で接して行きたいといつも思っている。ご主人の回復とご婦人の病んだ精神の治癒を願っている。
 
パソコン 2003・3・28
 OS(Win98SE)の再インストールとOffice2002のインストール、各種設定の復元を4月以後の新学期にあわせて全PCで始めた。ところが簡単にはいかない。次から次へと難事があらわれる。昨日から始めてやっと5台を行ったがまだ細かい設定が残っている。
 友人のPCがトラブルったので、PPSへ持ってきてもらったがどうもパンクしたようだ。Win Meなのでまだまだ若いのだけど起動しない。Yさん(SUの師匠)のおかげでデータはハードディスクを別のPCに繋いで取り出すことが出来たのが不幸中の幸いである。でも、すぐにはPCで仕事が出来ない。こんなときにもう一台予備のPCがあるといい。PPSでは現状のPCを廉価で販売する計画がある。皆さんどうですか?
 
コシヒカリ 2003・3・27
 日本の米は8割がコシヒカリの系統なので、病害や気候変動よっては一気に不作になるという。だから、いろいろな条件に対応できる幅広い品種が必要であり、とりわけ代替できる優秀なものが2つ3つなければいけないという。
 「米の1人勝ちはコシ・・・」と書かれているのを見ててっきり「ブッシュの米」だと思った。世界におけるアメリカの1人勝ちとブッシュの行動を優秀なコシヒカリに比べてはいけないが、硬直化した「帝国」が変動のなかで瞬時に没落する可能性を示している。
 もう一つ硬直化したものがある。言葉と頑なさだけが売り物のコイズミさんだ。世界的な反戦の波を無視し、国民世論をかえりみず日米同盟だけを強調する。不安だ。三重県知事選が始まった。約束したことと選挙後の実行の内容を注視していきたい。
 
ETC 2003・3・26
 伊勢湾岸道路が東名阪道に繋がり、東は豊明まで伸びた。その手前名古屋南インターでは名古屋高速3号線とも連結した。大府へは川越インターで乗り名古屋南インターで降りるのだが、二つしかない料金所の一個がETC専用になった。前の車がバックしてきてびっくりした。ETCに切り替わったのが昨日なので間違ったのだ。車載器を買うお金さえあればスムースに通れる。
 砂漠の砂嵐に米軍が難儀している。自然の力は侮れない。バグダッドはらくだに乗ってのんびり行くのが似合っていると思うのだが。
 (ETC 料金所ゲートに設置したアンテナと、車両に装着した車載器との間で無線通信を用いて
      自動的に料金の支払いを行い、料金所をノンストップで通行することができるシステムです)

 
初コンペ 2003・3・25
 天気予報に反して、9時半のスタートには雨が上がった。午後は写真のように晴れ間もあらわれ、今期初コンペは恵まれた。しかもプレー終了後に雨が降るという幸運な展開である。
 足場は夜来の雨で悪いが天候は絶好、しかし成績はいつもの通り最悪に近い。睡眠3時間、風邪気味だったので薬を飲みながらのプレーは辛い。25回コンペ
 
夜 2003・3・24
 夜の始めは午前0時に始まる。まだ仕事中だが当然のようにPC関連の特にHPの更新とメールの作業が重なる。難題はこの「独り言」だ。長いこと書いているとその日にインパクトのあることがないと書けない。たった5、6行のために時間がどんどん経ってしまう。
 今夜はJA2SHPさん、J先生と談笑したので材料がいっぱいあるのだが、これは今後にとって置こう。ベットに潜り込み、落語や洋画のビデオと共に眠りにつくのは4時〜5時。普通の人の10時〜11時だから「良い子」の就寝時間だ。熟睡するのだが、時々目覚めることがあるのは、ひょっとするとNさんが布団の足元に乗っているからかな〜〜?!
 
昼 2003・3・23
 目覚めが12時ごろだと昼とは午後6時頃になる。太陽が沈み、世間ではこの頃を夜と表現する。だから、昼と夜が混同した事態が始まる。腹は昼飯を要求しているのに用意されているのは夕食という晩餐(?)が待っている。恐妻家だから、もちろんPPSを飛び出して食卓(実際は店の調理台)に正座し頂く。この不自然なスタイルが20年以上続いている。未だに胃袋に変調がないという事は、人間の身体は相当丈夫に出来ているのだろう。
 不満を言っているのではない。昔の兵隊さんが「乾飯(かれいい)」で戦ったことを思えば贅沢なことだ。
 
朝 2003・3・22
 昼頃に目覚めると左手がテレビをオンにし、暖房も入れる。しばらくニュースを追ってから、隣室でラジオを聴きながらPCを起動し、メールとパズルランドを見る。階下でパンを焼きながらラジオのスイッチを入れ、朝刊を読む。寝室に戻り、洗面の横につるした小型ラジオを聴きながら歯磨き、トイレでもラジオを聴きながら読みかけの本を見る。
 う〜〜〜ん!ブッシュさんのおかげで朝が忙しくなった。さすがにシャワーを浴びているときにはニュースを聞いていないが。
 
お彼岸 2003・3・21
 「お彼岸の中日に先祖をしのび、自分が今あることを感謝して、先祖の供養をするとともに、自らも極楽往生できるよう精進するものである」と解説にあった。仏教徒ではないが「自分が今あることを感謝」の言葉から過去の連鎖として自分が存在することを思い出したが、後がいけない。先祖ばかりか過去の戦争で犠牲になった膨大な戦死者まで現れた。連鎖があるなら、彼らの悲しみ、無念、怨念を受け継いでいる。彼らとじっくりと語ることが出来るなら戦争などとは違う別の選択肢が浮かび上がってくるだろう。過去は今に繋がり、今は未来を拓く。

残 念 2003・3・20
 国連安保理の動きのなかで戦争の可能性は低いと思っていた。昨夜もわずかの可能性を期待して眠りについたが戦争は始まっていた。常々人類の英知を信じたいと思っているが、こんな暴挙に遭遇すると落ち込んでしまう。
 人間存在と社会および国家について考え直さなければいけない。ところが考察するには「頭脳」が硬化している。先人の書を紐解き、手助けを受けて少し考えてみよう。

C級西部劇の保安官 2003・3・19
 ことは簡単である。保安官が正義であり、逆らうものは不正義。ほとんどの西部劇でインディアン(原住民)は「悪」として理由無しに退治されていく。大人になるまでインディアンに心があるなんて思わなかったのは、「偉大」なアメリカ映画のおかげだったのだ。
 だが今はあの悲惨な9・11の背景を考える余裕がある。長年、大国に有形無形の形で支配されてきた弱者の憎悪やねたみ、すなわち怨恨に後押しされているのだ。その数は億を越えるだろう。アメリカは建国以来200回以上の戦争をしている。明日、そんなことなど全く考えないこの「C級西部劇の保安官」の手で怨恨は増幅されそうだ。哀しいことだ。
                   
(注 「C級西部劇の保安官」という用語は辺見庸著作から)
 
88歳 2003・3・18
 SU家のOさんのお母さんが昨日亡くなった。危篤状態が続いていたが、「季節の変わり目」を乗り切ることが出来なかった。親族の方々とお見送りをしている。名残はあるが88歳の生涯と死は羨ましい。
 痛ましい車中の自殺事件がまた起きた。戦争では好むと好まざるとにかかわらず命が奪われるのに若い人が自ら命を絶つのは忍びない。この世に生きるものとして存在する、あるいは生かされている人間として自らを謙虚に受け止め、「何をなすべきか」を問い続ければ、自己を否定するなどという大それた考えは起こらないはずだ。

知 事 2003・3・17
 灯台下暗しなのか、北川知事の「名声」は他県から届くことが多かった。知事の今後の活動を楽しみにしていたが辞めてしまう。ひょっとすると変わり身の早い目先のきく人かもしれない。
 次は「Aさんを!」と友人から声をかけられた。きけば「貴方の後輩ですから」という。「う〜〜〜ん?」と思ったが、彼方にいたAさんが近くになった。「BさんのHPを!」という紹介もあった。やっぱり身近になる。不思議なものだ。選挙運動とはそんなものだろうが効果は十分ある。
 しかし、よく考えてみるとこの人たちの「政見」なるものを吟味したわけではない。候補達の訴えが似たりよったりだとわかっているからかもしれないが、このまま投票してしまう危うさを思った。「この大統領に一票投じたことを恥じている」という人が多いらしいが、選んでからでは遅い。

回 復 2003・3・16
 夕方、同級生Oがやって来た。随分いい顔をしている。交通事故にあった息子さんが順調に回復しているからだろう。骨盤三箇所の骨折なので、まだベットの上だが気持ちもしっかりし、リハビリでよく身体を動かしているそうだ。当初5日ぐらいは痛み止めが半分ぐらいしか効かなかったので、親としては身を切られる思いだったに違いない。全治42日、4月の入社式に出れることを心から祈っている。
 一方、義姉は病後20日、後遺が若干あるとはいえ、点滴が無しになり歩行訓練に入った。びっくりするほどの回復力だ。1年間入退院を繰り返している患者の家族から祝福を受けているという。転ばないかとそれだけを心配している。

小学校同窓会会長「U」 2003・3・15
 豪傑である。出張帰りに立ち寄って、ガッハハハ!と笑いながら、あたりかまわず己の大口の借金の話をし、新製品が売れ出したらUFJ銀行がぺこぺこ頭を下げて融資の話を持ってきたという。平家物語によく登場する「大音声」でしゃべるから店内の客はびっくりするが、その底抜けの素直さと人柄で「きりん」は大ファンである。頭は薄くなってきたので「入道相国」のようだ。
 ひとしきりしゃべり「次回の同窓会を手伝え!」と言い、有名な「東京駅のパン」を置いて帰って行った。
 小学校で彼は腕白なガキ大将だった。脆弱なSUはいじめられてもなんとなく馬が合い、トラの威を借る狐よろしくいつも後をついて歩いていた。不幸なことにSUは未だに金魚の糞なのだ。
 
カセットテープ 2003・3・14
 テープの寿命をずっと気にしている。ベストの状態でも10年とある。大事にしている膨大な落語のテープは10年〜30年ほど経っている。このアナログ音声をデジタル化してパソコンに取り込むサウンドプロセッサー(cf DAVOX)が雑誌で紹介されていた。凄く魅力的だ。でも、よく読みこむと1時間テープをパソコンに取り込んでCDに焼く時間は2〜3時間とある。う〜〜ん、300個を毎日1個ずつCDに焼くとして1年前後かかる。考え込んでしまう。
 この膨大なテープを購入したり、作成・編集した頃はよほど暇だったんだと自分ながら感心している。
テープの耐用年数はどのくらいですか? (ソニーお客様ご相談センターより)
 使用・保存環境さえ良ければ、10年程度ならば基本的に問題無いと考えられます。しかし、テープの経年劣化は保存環境(温度、湿度、ほこりなど)、使用頻度、使用環境などに大きく左右されます。また、ご使用のビデオデッキの状態(ヘッドや走行系の汚れ具合など)にも大きく影響されますので、10年を保証しているものではありません。
                         

不老長寿 2003・3・13
 2003年3月5日、メルヘン共和国PON大臣が以下を布告した。「わが共和国では誕生日を5年に1回とする」
 そこそこの年になっていた国民は諸手を上げて賛成し、憲法の条文にまで入れられた。かの日本国の平均寿命は80歳余と言われている。親戚筋にあたるメルヘン国民が80歳になるには、日本国式算術ではまだ百数十年余もある。なるほど、こう考えれば不老長寿も夢ではない。PON大臣ありがとう。
 従って、目前に迫った加齢におびえるSUの誕生日は2007年に延期された。めでたしめでたし!! そもそも、SURUME一族の義姉が2月末に病に倒れたので誕生パーティは中止にはなっていたのだが。
 
お水取り 2003・3・12
 素敵な画像と掲示板にお水取りの投稿をもらった。今日からおお松明が出て、メインイベントが始まる。残念ながら見に行ったことは無い。子供の頃、3月になると母から何度も何度もお水取りの話と春到来を聞かされた。京都の学校に行っていたので奈良は何度も訪れたようだ。
 義姉は奈良の学校に行っていたので良く知っており、SUの奥さんは以前お水取りに一緒に行っている。鹿鳴人の案内があるので行きたいのだが、義姉の病があるので無理。幸い昨日からリハビリに入ったので治ったら来年は案内してもらおう。

十二日: 日中の「時」終わって「数取り懺悔」。初夜大松明(籠松明;かごたいまつ、十一本、午後七時半)にて上堂。
      初夜終わって「神名帳」、その後に「過去帳」の読み上げ。 後夜の「時」の途中に咒師以下、二月堂下の
      若狭井に水を汲みに下ります。これを「お水取り」といいます。 後夜の「時」が終わって咒師作法の後
      「達陀(だったん)」の行法。
十三日: 後夜咒師作法の後、「達陀」。
十四日: 日中の「時」が終わって「数取り懺悔」。「しりつけたいまつ(午後六時半)」後夜咒師作法の後、「達陀」。
      この日の晨朝の「時」のことを「名残(なごり)の晨朝」と呼びます。一旦下堂後「破壇」のため上堂。
      以下十五日のこととみなして続けます。
十五日: 「破壇」に引き続き「涅槃講」、咒師の「神供」、大導師の「神所」、咒師の「護摩」などがあって下堂。
      仮眠して湯屋にて入浴、宿所にて昼食、上堂して「四座講」、「開山堂参拝」、解散。
       「注 東大寺HPより引用  参考 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ) 」

PPSの風景 2003・3・11
 久しぶりに昼からずっとPPSにいた。友人の娘さんが二人、今日から入門したからだ。A先生担当でワードからはじめた。彼女らはマウス(MOUS)検定を目指す。ちょっと二人とお話をして後はいつものようにうろうろ。来客も多かった。バッタさん、ryuuさん、大家のUさん、もちろん生徒さん多数。教頭先生、J先生、N夫人、アマノシステムのIさん、Kさんたちともいろいろ話す。
 大家のUさんとは子供の頃からの付き合い、久しぶりに二人でコーヒーの「さいとう」に行った。ちっとも昔と変わらない店内で昔と同じ味のコーヒーを飲む。程なく、近所の先輩や教頭先生の身内の人(?)が入ってきた。
 PPSへ戻って、J先生、N夫人とちょっとしたお勉強。暗くなってお腹が空くと自然に店に戻って本業に就く。そしてこの欄を書くとやっと一日が終わる。現在AM2:00、パズルランドを覗いてみよう。       注 MOUS検定とはマイクロソフトオフィスユーザースペシャリストのこと

ドビルパン外相 2003・3・10
 ほとんど知名度の無かったフランス外相ドビルパンが国連演説で時の人になった。2月14日の演説の最後をこう締めくくった。
 「(対イラク攻撃に反対するのは)戦争と占領と残虐の歴史を知っている“古い欧州”であるフランスからのメッセージだ。フランスはその価値観を忠実に守り、より良い世界を共に築く力があると信じる
 長い歴史を持ち、経済大国として大きな影響力を持つ日本は世界に胸を張って独自のメッセージを発信しているのだろうか?

他力本願 2003・3・9
 療養中の義姉に「頑張って」と言ったら「他力本願・・」とささやいた。一瞬ぽかん〜としてしまったが優しい夫(他力)に頼ると言うことだった。「鬼」の弟は自力更生をと思うのだが、まだ絶対安静中の義姉には酷かな?身内に「他力本願」というロックを歌っている輩もいる。他力本願は親鸞聖人の教え(所詮はなにもできない存在である自分を認め、すべてを仏に委ねる)
 SUは唯物論者で無神論だがそれでも神のようなものの存在を否定しきれない。人間が有限ならその向こうに無限なるものが想定できるからだ。無限は言い換えればオールマイティ=他力=ゴッド。人は有限で非力であるからこそ自己努力して真理への道を模索する。
 「他力本願」と言った義姉の本音は「甘え」と受け止めれるが、「己を空しくして・・」という究極の真理を具現しているのかも知れない。

春一番が吹いて 2003・3・8









          春だよ!!
            
                







携帯電話と病院 2003・3・7
 トヨタがバックアップしている総合病院だが、院内の指定された場所で携帯電話が使用できる。その領域が広いので驚いた。何棟何階の渡り廊下、ICU家族控え室、公衆電話のある場所等々。キメの細かい配慮がなされている。看護詰所は24時間外部電話の取次ぎをしてくれる。駐車場も余裕があり、職員も親切だ。Oのいる四日市の病院で6階から階段を走って降り、外に出て電話したことがある。
 ただ、喫煙者は困る。渡り廊下のほんの一部か軽食レストランの中に限定されている。喫煙する兄につき合わされると玄関外の吹きさらしの喫煙所になり、寒いので閉口する。
 
両刃の剣 2003・3・6
 ネットで知り合った3人が津で自殺すると言う痛ましい事件が起こった。他人の入力した記録を入手し大量の金を奪うという事件も起きている。パソコンとWebのおかげで飛躍的に情報の速度が上がり人類の発展に寄与したが、出会い系サイト、掲示板、メールなどを媒介してネガティブな世界が急速に広がり、悪事の質も変わった。進歩に伴う宿命かもしれない。
 ただ、全ての根源は人間および社会だから、そこにおける善悪に帰結する。Webはフリーな状態で玉石混交の世界だ。HPや掲示板に携わる者は心して運営しなければいけない。

梅にウグイス 2003・3・5
 梅にウグイスというと花札がすぐに浮かぶ。何月?カブではいくつ?花札は古来の日本文化を色濃く反映している。バクチの道具というイメージが強いので敬遠する人もいるが、トランプでは代用できないよさがある。
  鶯の 谷よりいづる 聲なくば 春くることを たれか知らまし 大江千里
  折りつれば 袖こそ匂へ 梅の花 ありとやこゝに 鶯の鳴く 讀人しらず
 平安人は春をこう詠んだ。古今集冒頭(巻第一春歌上)には梅とウグイスの歌が多い。
メルヘングループの世界でも早春の梅やウグイスが観賞できる。歌(早春賦) 鶯の声 梅園
 
雪と強風 2003・3・4−2
 昼過ぎに台所の温度が7度を表示している。寒いなと思っていたら、窓の外は雪がちらついていて、ラジオが全国的な寒さを伝えている。湾岸道路の表示は強風のため80キロ制限となっており、吹流しが真横だ。速度を上げると強風でハンドルを取られて怖い。春の兆しをあざ笑うかのようだ。水遣りと暖かさで街なかに花開いたチューリップもびっくりしているだろうね。
 「今シーズンのスキーは取りやめかな、それとも行くつもりかな?」と息子さんの車の事故でスキーをあきらめたOからメールがきた。「う〜〜ん!?!」とただひとり考え込む。

鉄砲勇助(てっぽうゆうすけ) 2003・3・4−1
 鉄砲勇助という話は、日本一の嘘つきの話で、江戸落語では、「弥次郎」といわれている話だ。とにかく、奇想天外なホラ話の連続、ギャグの連続で、笑いころげてしまう。悪意のないホラ話なので肩が凝らず楽しく聞ける。俗に言う「千三屋」(千に三つしか本当のことを言わない)人の話。
 気の重い道中などでは気分がほぐれて楽しくなるからいい。
 落語家の一年のうそを川に流す、これが「かわうそ」とか、北海道は寒いので「おはよう」という言葉が凍る。日中暖かくなると解けて「おはよう」の連呼になるとか。
 今日は「三枚起請」と「たちぎれ線香」を聞いて走った。
 
勝負の非情 2003・3・3
 昨日「将棋界の一番長い日=A級順位戦最終局」があった。10人が年間で9戦し、頂点の名人への挑戦権を競うのだが、成績下位2名はB級に陥落する。AとBでは地位も収入も雲泥の差がある。10人の成績結果は6勝3敗3人、5勝4敗1人、4勝5敗5人、2勝7敗1人。勝負の非情は郷田真隆9段を襲う。最終戦に勝って4勝5敗としたが前年の順位が低かったので陥落の憂き目を見た。
 4勝5敗は5分に近い成績なのにこんなことも起こる。去年の陥落者2人は共に2勝7敗だったから比べれば明らかに不運だ。
 努力や実力あるいは成績が結果に繋がらないときが度々ある。運が悪かったとも言えるが郷田9段がA級に復帰するための1年間のB1順位戦は力の戦いである。運などとは言っておれない。彼の復帰を応援したい。

蛇含草(じゃがんそう) 2003・3・2
 車の運転中はラジオ、CD、テープどれかを聞いている。ラジオはほとんど定時のニュースを聞く。遠距離の時は音楽よりも落語を聞いていることが多い。綾小路きみまろの漫談にも飽きたので今日は米朝の落語「蛇含草」と「鉄砲勇助」を聞いた。
 甚平を着た主人公が餅を食べすぎ苦しいので餅を消化しようと蛇含草を食べる。(蛇含草は蛇が飲み込んだ人間を消化のために使う) 結果は餅が甚平を着ていたというけったいな話。江戸落語の「そば清」と良く似ている。
 薬は適切に使わないといけないだろうね。問題意識がそこにあるからか、脳梗塞の薬の副作用で40人死んだという新聞記事に目が行ってしまう。
 
伊勢湾岸道路 2003・3・1
 刈谷市にある病院と四日市を往復することになった。川越インターで湾岸道路に乗り名古屋南インターで降り、一般道をJR刈谷駅近くまで走る。往路は23号線と一般道の渋滞で時間がかかったが復路は諏訪栄町まで一時間弱で帰ってきた。
 湾岸道路を使わずに渋滞等があると2時間近くかかるはずだから、びっくりすると共に助かる。ただ、湾岸道路通行料がが20分弱1350円なので日常生活で使うのはもったいない。
 義姉は危険防止のため両手を固定するほどの絶対安静だが、現状を理解できるところまで回復してきた。

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