富士には月見草がよく似合ふ

●「富嶽百景」より
○昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
・・・・・・・私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく。御坂峠、海抜千三百米。
 この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しょうと思つてゐた。
私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ばいとつて来て、それを茶店の背戸に播いてやつて、「いいかい、これは僕の月見草だからね、釆年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。 ことさらに、月見草を選んだわけは、
富士には月見草がよく似合ふ と、思ひ込んだ事情があつたからである。
御坂峠のその茶店は、謂はば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。
峠の項上から、バスで三十分程ゆられて峠の麓、河口湖畔の、河口村といふ文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらゐの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。
天気の良い日を選んで行く。
河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠嘆ともつかぬ言一葉を、突然言ひ出して、・・・・・・・間抜けた嘆声を発して、車内はひとしせり、ざわめいた。
けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥も輿へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素撮りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぽんやり崖の方を、眺めやつた。
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぽんやりひとこと、「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。
さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあぎやかに消えず残った。三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。
富士には、月見草がよく似合ふ

「富嶽百景」日本文学全集54「太宰治集」新潮社より月見草関連分抜粋
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