雑  感 3 (03・1・1〜)  (雑感2へ
さらば!2003年(12月28日)
 私的なこと以外に心の大半を占めたのはアメリカのイラクへの侵攻だった。政治的な発言は30年余封じてきたが、巨大な一国が世界を左右するところに正義は薄い。そこでは個々の人々の祈るような小さな声はかき消されてしまう。
 「草木のさやぎにも神の声が聞かれた遠い古(いにしえ)の代から、歌は神や人とともにあった
 中世の文学伝統(風巻景次郎)
 人々の魂の叫びが組織や国家と歩調を同じくする時、人類の希望が見えてくる。来年、世界の人々の願いとアメリカの心が融和することを希望して、今年のサンデーメモを終えよう。 

アメリカの戦争(12月21日)
アメリカが第二次大戦後、戦争・空爆をした国
 中国(1945―46年、1950―53年) 朝鮮(1950―53年)  グアテマラ(1954年、1967―69年) 
 インドネシア(1958年) キューバ(1959―60年) ベルギー領コンゴ(1964年) ペルー(1965年)
 ラオス(1964―73年) ヴェトナム(1961―73年) カンボジア(1969―70年) グレナダ(1983年)
 リビヤ(1986年) エル・サルバドル(1980年代) ニカラグア(1980年代) パナマ(1989年)
 イラク(1991―2001年) ボスニア(1995年) スーダン(1998年) ユーゴスラヴィア(1999年)
 アフガニスタンとイラク(現在)     「帝国を壊すために」 アルンダティ・ロイ著
 日本は一度も戦争をしていない。これは幸せ以外の何物でもない。


戦乱のなかへ(12月14日)
 歌をうたって誰かを眠らせてやりたい。
 誰かのそばに坐っていたい。
 うたいながらあなたを揺ってそっと
 眠らせてあげたい。
  リルケ詩集

 戦争の中でも、きっと優しい心を抱いている人が沢山いるだろう。そう思いながら、この詩をそうした人たちに贈りたい。           麻雀大会12・14

改革なくして・・(12月7日)
社会的存在としては可なりのロクでなしでも、口には進歩を唱え又みずからを進歩的だと説明している者なら沢山いるだろう。そこで世間の心ある人達の或る者は、抑抑(そもそも)進歩とは何であるかという反省をし始めなければならなくなるのである」    『日本イデオロギー論』 戸坂潤
 「進歩」を「改革」と読み直してみた。さすがに反骨の哲学者の言葉は的を得ている。耳に快くムード的に語られる言語、中身の真贋を吟味せずそのムードで大きく揺れ動く「国民世論」とは何かを問題にしなければいけない時代なのかな?

忘年会(11月30日)
 いっさいの善の始めであり根であるのは、胃袋の快である。知的な善も趣味的な善も、これに帰せられる。
                                  「エピクロスー教説と手紙ー」

 なーるほど、しかめっ面をして難しいことを考えるより、素直な欲求に従うほうが人間らしい。明日からは胃袋の快・忘年会の季節になる。でもエピクロスは「肉体的快楽」を苦とし「精神的快楽」を重んじたのだけどね。
                                   信貴山11・15 馬篭11・18

(11月23日)
 霧雨がけぶる11月の       暗い野原の想い出ーー
 最後の薔薇は頽(くず)れ落ち  燕はもういない
 秋を心にかみしめて        小道を行けば
 土の匂いとともに          過ぎ去った日々の匂いが
 薔薇の小枝から漂ってくる
               ティッタ・ローザ(イタリア) 
 11月の終りの週に。過ぎ去る秋と冬の到来を感じながら。     

おたかさん(11月16日)
 社民党土井党首の辞任は一つの時代の終焉を表しているのかもしれない。ベルリンの壁崩壊以降の社会主義衰退の帰結だろう。ただ、イラク派兵に見られる危険な日本の現状では護憲・女性・市民を掲げながら奮闘する土井社民党の凋落は不幸なことだ。誰が危険な戦争への道を止めるのだろう。
 それにしても60〜70年代に政治的に大きく活動した団塊の世代はどこへ行ってしまったのだろう。不思議だ。         

美味礼讃(11月9日)
晩餐は一日の最後の仕事ゆえ、ゆっくりとちょうだいするがよろしい。会食者はいずれもいっしょに同一の目的地に着くべき旅人同士の心持でなければならぬ           『美味礼讃』 ブリアーサヴァラン 
 夕食が最後の仕事ならいい。日本人が働きすぎなのか、食後にも忙しく動き廻る。それともまだまだ貧しいのだろうか?裕福な特権階級の言葉かもしれないが、会食はこんな心持でしたい。
 身内の忘年会を一月早く11月にする。身内は同一の目的地に向かうが、気の荒い郎党・キリンは酔って逸脱するかも。                                       

勇気と力(11月2日)
勇気と力だけがあって、慎重さを欠いていたら、それは無に等しいということを忘れないでいて欲しい」   ウィンパー
    『アルプス登攀記(とうはんき)』

 米英軍はイラクで苦戦している。だから同盟国「日本」は助けに行くのか、それとも初手からの誤りを指摘してよりベターな盟友としての提案をするのか?

 イラク派兵を急ぐコイズミさん、慎重さのない蛮勇は「吉」と出ないのは太古の昔からわかっていると思うのですがね。                                       くさ ふめば(八一)

秋の黄金(10月26日)
 春が籠から 取りだして あなたの道へと 撒いた花
 しぼんで枯れて 茎ばかり 
 秋が魔法の 枝ふって それを黄金に 変えました
 さあお金持ちの 方々よ  冬が間近に やってくる
 この世に感謝 捧げます?
 あなたの旅路の 終りぎわ 手を空にして 立ち去れよ
 急げ急げ といわれてもー           コスケンニエミ(フィンランド)

真空地帯(10月19日)
 1952年野間宏は小説「真空地帯」で軍隊をこう表現した。
たしかに兵営には空気がないのだ、それは強力な力によってとりさられている、いやそれは真空管というよりも、むしろ真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる
 年内に自衛隊はイラクに派遣される。「自衛」は多分「国民や民族や国家を自衛する」という意味だろうが、自衛隊員たちは本当に異国の地で己の立場を主体的に位置付けできるだろうか?それとも野間の言うように真空地帯で作り上げられた「兵隊」なのだろうか?

山田寺の址にて(八一)(10月12日)
 くさ ふめば くさ に かくるる いしずゑ の 
                    くつ の はくしゃ に ひびく さびしさ

                 (草ふめば草に隠るる礎の靴の拍車にひびく悲しさ)

 何も残っていない山田寺の草原を踏み分けていくと草に隠れた礎石に乗馬靴の拍車が
あたって鋭い響きが出る。嗚呼!なんと淋しい響きだろう。

 声を出して読み込んで下さい。   か行音の繰り返し   ( くさ くさ かく くつ はく ひびく )  10・7 明日香


橘寺にて(八一)(10月5日)
  くろごま の あさ の あがき に ふませ たる 
                   をか の くさね と なづさひ ぞ こし

              (黒駒の朝の足掻きに踏ませたる岡の草根となづさひぞ来し)

 聖徳太子が朝の乗馬で黒毛の馬で踏ませた岡の草だと思い、なつかしく、心を寄せてこの岡にやってきた。

 橘寺は聖徳太子生誕の地と伝えられている。奈良県明日香町にある。

ユビキタス(9月28日)
 「ubiquitous」聞きなれない言葉だ。意味を理解している人は25%未満らしい。
辞書にはこう書いてある。
 同時に,どこにでもあること。時空自在。
  〔コンピューターを意識することなく現実生活のいたるところで利用できるような環境という意味で
  ユビキタス-コンピューティングなどが注目されている〕」

 ユビキタス・コンピューター=「どこでもコンピューター」を提唱した坂村健さんは有名な日本製OS・トロンの開発者。最近マイクロソフトと提携する事になった。言葉は難しいが日本の技術が評価されるのはいいことだ。

テロの定義(9月21日)
 「(9・11から)2年たっても何がテロなのかという定義は明確でない。パレスチナの武装闘争をイスラエルや米国はテロと呼ぶ。アラブ民衆にとっては解放闘争だ。米国はイラク戦争を対テロ戦争と位置づけるが、アラブ側からみれば米軍は占領軍だ。
 人は好き好んで自爆するわけではなく、理由があるはずなのに、米国の対テロ戦争では本来の問題は無視されている。・・・」                ワリード・サッカーフ(イエメン・タイムズ編集長)

死んだ男の残したものは(9月14日)
            谷川俊太郎 作詞   武満 徹   作曲

死んだ男の残したものは 一人の妻と一人の子供 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは しおれた花と一人の子供 他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは ねじれた足とかわいた涙 他には何も残さなかった 思い出一つ残さなかった

死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残さなかった 平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日 ほかには何も残っていない ほかには何も残っていない

9・11テロ(9月7日)
 20世紀100年で戦争、革命、地域紛争で殺された人間の数は1億人に近いと言われている。その中で最も沢山の人を殺しえたのは誰か?もちろん大量破壊兵器をもっとも多く持っている超大国である。
 超大国人一人の死はアフガンやイラクの数百人の死に値する。
 9・11は出発点ではなく、こうした不合理の過程にあったに過ぎない。不幸なのはそこを起点に更なる大義なき大量虐殺が始まったことだ。超大国に手を貸すコイズミさんと一緒に進めば自らも手を染めているに等しいことを肝に銘じておかねば!
 そんな日として、テロの犠牲者の冥福を祈りながら9・11を迎えたい。    

八月の終り (8月31日)
 子供の頃の名残か、今日は物悲しい日。たっぷりあった夏休みが終わり、明日は鈍った身体で登校と思うと気が滅入った。子供には蝉取りや川遊びが全て!
 そうじゃないよ!普通は希望に燃えて二学期を迎える。友人達との再開にワクワクする。 
 そうかなー?未だに休み明けに仕事やパソコンスクールに出向く足取りは重い。怠け者の家系なのかな!  
 自立した「個」を標榜しながら、血筋を言うのはルール違反?

武力と平和 (8月24日)
 圧倒的な米英の力が平和をもたらしているとは思えない。不幸な事件が世界で頻発している。イスラエルとパレスチナの抗争もエスカレートするばかりだ。
 血で血を洗う抗争の連続、報復の連鎖を断ち切るのは何なのかを考えないと人間は猿以下になる。
 短いキャッチフレーズでタレントなみの人気はあるが内実の乏しいコイズミさん、その全体主義的な言動で何処へ連れて行かれるか心配だ。イラク措置法の不適が露呈している。団塊の世代はそう思う!
                                  

戦争 (8月17日)
 戦争を知らない世代が70%を超えた。戦争や平和に全く興味が無いと吐き棄てるように言う若者を見た。

 夜、門のそばに立つのはおよし、
 あの男はもう帰っては来まい。
 それに苦しみが花咲くのを
 見て、笑う人たちもいる。
 
 彼の席をしつらえるのはおやめ、
 お前は独りで食事をするのだから。
 そのきれいな服を着るのもおよし、
 そんなものはもう要らないのだ。

 だまって部屋におはいり、娘よ、
 そしてお祈りの言葉をささげるがいい。
 これからの長い年月のあいだ、
 それがお前の頼りになるのだから。

     「戦いの詩  トリース(英)」

教育 (8月10日)
 「子供を不幸にするいちばんの方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」 エミール 
 ルソーの18世紀フランス革命前の言葉なのに今の日本に当てはまる。「人は生まれながらにして善であって、社会から与えられる教育は悪である」と説いた彼の言葉、自らに当てはめてみる。・・・!

 (8月3日)
 7月の雨と低温とはうって変わって猛暑・熱帯夜になったようだ。夏祭りには最適、昨夜は四日市祭り、桑名の石取り祭がにぎわった。暗くなってから四日市商店街は歩けないほど人が出た。知人は石取りに行かねばとそそくさと帰っていった。   

土用の丑の日 (7月27日)
 夏の土用(立秋前18日)にうなぎを食べて、夏痩せを防ぎスタミナをつけようということから江戸時代に「うなぎ」の日となった。
 最近稚魚の養殖に成功したようだし、ますます「うなぎ」は人間社会に貢献しそうだ。気温が上がると「うなぎ屋さん」の売上げが上がると言う。諏訪新道の「うなぎの八鳥」(同級生)も今日は忙しいだろう!
 我が家の夕飯は「うなぎ」かな?  

辻元清美 (7月20日)
 警視庁が逮捕した。悪いことをした人がそれなりの報いを受けるのは当然だが、「なんでこの時期に?」と唸ってしまう。力を持つものは行動するときに庶民を納得させる必要がある。そうでないと弱者は救われない。
 同じような田中真紀子を彼らが捕まえるかどうかでことの真意が透けて見えてくるだろうね。大げさに言えば、日本に希望を持てるか失望するか!すでにブッシュ・アメリカには落胆している。

 (7月13日)
   梅の花さくころほひは  蓮さかばやと思ひわび
   蓮の花さくころほひは  萩さかばやと思ふかな
      『藤村詩集』 86

 蓮が見事に咲いている。あちこちから写真を頂いた。藤村は美しい蓮を愛でながら初秋の萩を思うと日本の四季と花を量感豊かに表現する。秋、奈良・白毫寺門前の花後の萩を刈り取った盛土がなぜか印象的だった。頭は猛暑の夏を飛び越えている。 

文 月 (7月6日)
 7月を文月(ふみつき・ふつき)と呼ぶ。語源は諸説あって定まらないようだが「牽牛・織女に詩歌の文を供え祭る七夕の行事にちなんで文月という説」が七夕を前にするとふさわしいような気がする。
 携帯電話やパソコンを駆使したハイスピードの時代には想像も出来ない「年に一度のデート」を彼らは4千年前ほど前から行ってきたらしい。超スピード時代の恋人達とどちらが幸せなのかな?

わき道 (6月29日)
いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。   
                            「寺田寅彦随筆集」(四)203
 なるほど、車通勤を止め、自転車にしたり歩いたりすると思わぬものに遭遇する。のんびりゆっくり好奇心を持ちながら道草をするのはいいことだ。                 

香薬師 (6月22日)
 今はもう見ることの出来ないこの美しい仏を会津八一は3首詠んでいる。新薬師寺に心躍らせながら向かう歌から続く名歌をどうぞ。
   かうやくし わが をろがむ と のき ひくき ひる の ちまた を なづさひ ゆく も
   みほとけ の うつら まなこ に いにしへ の やまと くにばら かすみて ある らし
   ちかづきて あふぎ みれ ども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
  八一 目次 

海外派兵 (6月15日)
 随分昔、この日は反戦の日だったような気がする。有事立法という悪法がすんなり通り、イラクへの自衛隊が容認されようとしている。戦争体験の反省から、与党内ハト派として重きを置く野中広務も反対から賛成に回った。戦争の悲劇から培われた人間の尊厳を基礎にした平和と戦争反対の声がないがしろにされる日本の現状は狂気に近い。
 このように書くSUが異端と思われそうな世相が問題だと思っている。自分と家族があるいは若者が戦争の犠牲にならないよう願っている。                  みほとけの (八一)  

夏の風情 (6月8日)
 夏の下町の風情は大川から、夕風が上潮と一緒に押し上げてくる。洗髪、盆提灯、涼台、桜湯
ーーーお邸方や大店の歴々には味わえない町つづきの、星空の下での懇親会だ。湯屋より、もちっとのびのびした自由の天地だ。  
「旧聞日本橋」長谷川時雨 より
 ここのところ蒸し暑い日が続く、梅雨の向こうの夏の風情を想像して楽しむ。  

6 月 (6月1日)
 紫陽花が咲き始め、緑が生き生きとした6月が始まった。一週間前に蒔いた蕎麦も発芽した。山百合がぐんぐん伸び、夾竹桃も咲いている。
 梅雨は草花に潤いを与える。生き物達の著しい変化を観察するのにいい季節だ。 

従心・じゅうしん (5月26日)
 吾十有五而志乎學、三十而立、
 四十而不惑、五十而知天命、
 六十而耳順、七十而從心所欲、
 不踰矩。

 吾れ十有(ゆう)五にして學に志(こころざ)す。
  三十にして立つ。四十にして惑(まど)わず。
  五十にして天命を知る。六十にして耳(みみ)
  順(した)がう。七十にして心の欲する所に
  従って、矩(のり)を踰(こ)えず。


 
70歳の三浦雄一郎がエベレスト登頂、快挙だ。孔子は「思いのままに振る舞っても、決まりに外れないようになった年齢」を70歳・従心と言った。う〜ん、まだまだ腰痛などで倒れているわけには行かない。
27日はコンペだ。                 

ゆ り(5月18日)
     男タルモノ
     花など見とれていて
     よいのか
     しかし男タルモノ
     花の美しさもわからず
     女の美しさを語るな
      星野富弘

 山百合が日ごとに成長している。梅雨に差し掛かる頃見事に咲き競うだろう。春から初夏は百合の花のように美しく女性たちを際立たせる。            
               

創造(5月11日)
 「僕が考えてみるのに、もし悪魔が存在しないとすれば、つまり人間が創り出したものということになるね。そうすれば人間は自分の姿や心に似せて、悪魔を作ったんじゃないか
                               カラマーゾフの兄弟・ドストエーフスキイより
 悪魔を神・仏に置き換えてみるのもいい。観音仏や仁王仏を人間は自分の姿や心に似せて作ったのだろう。

憲法(5月4日)
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。    「日本国憲法前文」                ARAIスキー場

JOKE(4月27日)
 "War continues in Iraq. They're calling it Operation Iraqi Freedom.They were going to call it Operation Iraqi Liberation until they realized that spells 'OIL.'"   Jay Leno             八一の歌  

三四郎(4月20日)
 中日新聞の連載が終わった。熊本の高校から東京の大学に進んだ三四郎が未知の世界で、学問、友、女性への憧れ、幾多の不安と苦悩のなかでしだいに自意識に目覚めてゆく話。明治41年、朝日新聞に連載された明治期の代表的青春小説を再読して、改めてその内容の難しさを痛感した。しかも青春とはかけ離れた中高年の立場からの読み込みである。ともあれ、29日から「山椒大夫」(鴎外)が始まる。期待しよう。          

そばのたね(4月13日)
 四日市駅前のチューリップ畑が百合とヒマワリの花壇に変身した。ラクダ隊長の特権でラクちゃん専用畑も作られたらしい。
 奥伊吹スキーの帰りに蕎麦屋さんでいただいた「そばのたね」を寄贈してきた。
「4月中旬より8月下旬にかけてご家庭の植木鉢やお庭に蒔くと1ヵ月ぐらいで赤い茎にかわいらしい花が咲きます。 伊吹野と裏書にある。朝顔先生曰く、目立たないので雑草と間違われるよ!水のやりすぎにも弱いらしい。隊長管理をよろしく。                   

(4月6日)
 ここのところ雨がふり、花見には都合が悪かった。今日はいい天気になりそうだから各地で宴が催されるだろう。
 知人も4時には約束の場所に行くと言っていた。昨夜、女房殿たちは花見と称して「ウノ」見をした。我が家で切花を愛でながらウノをしたのだから、雨は関係なかった。なかなか賢い選択である。

服 従(3月30日)
 目の当たりにする国家の暴虐性。過去に戦争と殺戮を繰り返し、その悲惨さがわかっているのにと思いながら、あらためて「何故」と問い、現状に甘んじる怖さを考える。
 暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたそれよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」 C・Pスノー    八一の歌

黙して(3月23日)
     この夜しきりに泪おちて偲ぶ
             雪中にひたひ射抜かれて死ににたる彼

                             
(宮柊二 『小紺珠』より)

      宮柊二の先の戦争の歌は重い。静かに黙読して戦争の行方を憂う。

哀しいまでの寄る辺なさ(3月16日)
 人間は果たしてどこまで非人間的になれるのだろうか?答えはまだ見えていない。道標はつとに失われ、もはや信ずべき道案内もいない。さしあたってわかっているのは、世界や歴史や人間存在や国家や人知の、哀しいまでの寄る辺なさである。そして、どこかでいままた新たな戦争が立ち上がりつつあるのだ。
    (永遠の不服従にために 辺見庸 より)

 今最も気骨ある芥川賞作家の文章に圧倒されて、今日一つ年を重ねた。

驕 り(3月9日)
 イラクを巡るアメリカの強気にはびっくりする。アメリカは武力と財力だけで世界を征服できると思っているのだろうか? 
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅雙樹の花の色盛者必衰の理をあらわす。奢れる者久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には亡びぬ。偏に風の前の塵に同じ。
(平家物語は読む文学ではなく、聞く文学といわれる。琵琶法師たちによって語られた文章は独特なリズムを持つ名文だ。テープで聞きながら、アメリカの行く末を考える)

啓 蟄(3月2日)
 今年は3月6日、この言葉と意味を始めて知ったときはなぜだか嬉しくすぐに覚えた。虫などが好きだったからかな? 桃の節句、奈良のお水取り、お彼岸と春がどんどんやってくる。草木の芽がふくらみ始め、その変化を見ていると誰もがうきうきしてくる。昨日の大雨で山の雪が解けたと悲しむグループもある。

自賠責保険(2月23日)
 車の自賠責保険が「傷害」は上限120万円だということを知った。なんと少ないことか!任意保険に入っていない資産のない加害者にあったときは悲惨だ。
 保険はいつも自分が加害者になったときを想定して加入して安堵してきたが、被害者になったときのことを思うとぞっとする。
 最近の飲酒運転の厳罰に文句を言っていたら、友人の医者に「飲酒運転による被害者の悲惨さを考えろ」と諭された。その意味が知人の事故でやっとわかった。         

イラク(2月16日)
 今にもアメリカがイラクに攻め入りそう。ガンジーではないがとにかく戦争は嫌だ。理屈はいろいろあるだろうが、いつも決定するのは戦力足りえる若者ではない。戦争に行かない高齢者がゴーサインを出す。
 辺見庸(第105回芥川賞受賞。主な著作に「ハノイ挽歌」「赤い橋の下のぬるい水」「不安の世紀から」など)は骨太の論評をずっと続けている。
 情けないのはマスコミ各社、世論に迎合して骨太の主張が出来ていない。時と共に各社の「社説」が揺らぐと思うのだがどうだろう?                          

多勢に無勢(2月9日)

 朝から流葉スキー場は雨。参加22名中、滑りを主張したのはSU一人、急遽高山観光に
なった。
 おかげで、ゆっくりと屋台会館を見学し、美味しいそばを食べて街並みを見学することができた。                 流葉スキー

節 分(2月3日)
 『春の節分=立春の前の日。立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視されており、一般には単に「節分」といえば春の節分を指すものとなっています。これは立春を新年と考えれば大晦日に相当する訳で、そのため前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が行われます。その代表が「豆まき」です』
 と某所に書いてあった。なるほど、知らなかった。今年は諏訪神社の豆まきがない。寂しいね。  2・2 

温 泉
 
温泉つきのスキー場は?とよく聞かれる。やっぱり野沢温泉スキー場だろうね。最近は多くのスキー場に風呂が出来たし、沿線に必ずミニ温泉があるので便利になった。
 御在所スキー場も湯ノ山温泉があるがスキー場とは言えないほど小さい。29日は湯ノ山に遊ぶ。
                                       1・26

北海道スキー
 最終日(19日)やっと好天に恵まれた。滑りすぎでパワーダウンしていたが、デジカメとビデオをリュックに入れて、楽しんできた。四日市着PM10時前、疲れはピークだが仕事とWebをいじっている。1・19

遠 出
 今週は念願の北海道スキーにいつもの仲間6人で出かける。ルスツリゾートは4千人泊まれる巨大ホテル、メリーゴーランドが館内にあり、プールも体育館もあるらしい。
 札幌観光にも仲間は行くといっているがSUは滑り続けると主張している。ひょっとすると泣きながら1人で滑っているかもしれない。                    1・12

物を見る目
 鐘が鳴ったらすぐ教室にはいるのだ。
 あらかじめよく予習をして、
 本の一章一節をよく調べておく。
 するとあとで、先生が、
 本に書いてあることしか何もいわぬこと
 がよくわかる。
      『ファウスト』  ゲーテ

 皮肉な言葉だが、一面の真理がある。今年は激動の年になりそう。しっかりと見据えて
判断を間違わない目が必要だ。
                          1・5

                     2003・1・1
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